嗤う男の化けの皮~藤沢市・OL放火殺人事件③~

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娘の決意

美穂さんは2度目の家出以降、傍目にもふさぎ込むことが増えていた。
中学時代からの親友のAさんによれば、「いつも監視されていてどうやって逃げればいいのかわからない」と美穂さんがうなだれていたという。
Aさんはそれまでも、美穂さんの体の傷のことなどを心配し、友人として見守ってきた。ただ、佐々木によって交友関係を制限されていたため、深く知ることは難しかったようだ。
秋以降、Aさんが自身の結婚式のことなどの相談で美穂さんのアパートを訪れることがあった。その際、美穂さんは佐々木と別れたいということをはっきりと口にしていたという。

Aさんはとにかくアパートを引き払い、両親に相談するよう勧めたが、憔悴しきった美穂さんがすぐさま行動に移せたかどうかは怪しいものだった。
12月8日、美穂さんが泣きながらAさんに電話をかけて来て、
「また殴られた。やっぱり耐えられない。早く別れたいけどどうすればいいのかわからない」
と訴えた。
Aさんも美穂さんの様子が気がかりではあったが、翌年早々に行われるAさんの結婚式でスピーチを頼みたい旨美穂さんに伝えると、美穂さんは喜んでそれを引き受けてくれたという。

両親も、美穂さんの様子が気がかりだった。長男の結婚式があり、なかなか美穂さんのことにかかりきりになることも難しかったが、それでも父親は仕事の合間を縫っては美穂さんに会い、
「佐々木と別れる決断さえしてくれれば、あとのことはお父さんに任せてくれればいいかから。アパートの修復代金なんか気にしなくていいし、別れる気にさえなったら別れ話もお父さんたちでやってもいいから」
そういって美穂さんを説得していた。
ただ、両親は知らなかった。美穂さんが何と言われて佐々木から脅されていたかを。
美穂さんはそんな両親を有難いと思いながらも、一方で絶対に迷惑を掛けられない、そのためにも、自分がしっかりとケジメをつけて別れなければならないと思い込んでいた。

12月8日、母親の誕生日に美穂さんはプレゼントを購入。11日に実家を訪れ、母の誕生日を祝った。
しかし、母親を毛嫌いする佐々木の知るところとなり、美穂さんは殴る蹴るの暴行を受けた。
翌13日の朝、出勤前の美穂さんに対し、佐々木は「足を揉め」と要求。時間ギリギリまでマッサージをした美穂さんだったが、出勤時間になったことでマッサージを止めたところ、佐々木は罵声を浴びせた。
その日は最悪だった。気持ちがおさまらなかったのか、嫌がらせだったのか、佐々木は美穂さんの勤務先に電話をし、長時間美穂さんの仕事の邪魔をし続けた。
美穂さんが仕事中だから、というと怒鳴り、電話を切ってもまたかけてくるという常軌を逸したものだった。

遂に美穂さんの堪忍袋の緒は切れた。職場の同僚にも「我慢の限界。」と話し、かねてより心配していたその同僚も、「別れたら晴れて一緒にご飯食べに行ったりできるね」などと話し、「休み明けにはまた会おうね」と話したという。
その日の夜、美穂さんはアパートへ戻らなかった。

豹変した男

「もう絶対にアパートへは帰らない。今日限り別れる決心をしたから。」
実家へとやってきた美穂さんはようやく心を決め、その決意を母親に話した。
そして、今まで話せなかった佐々木の振る舞いや、生活費を1円も支払っていないことなどを打ち明けたという。
母と話していると、突然佐々木がやってきた。驚いた美穂さんは、ダッシュで玄関にある自分の靴を抱え、台所に身を潜めたという。それを見た母親は、咄嗟に「娘は来ていない」と話して一旦佐々木を帰した。

21時ころ帰宅した父親にも、あらためてその決意を話し、父親から3度に渡って念押しされても、その決意は揺るがないと美穂さんは答えた。

父が事後処理をするため、佐々木がいるアパートへ向かおうとしたとき、美穂さんは必死の形相でそれを止めた。
佐々木が何をしでかすかわからないと思ったからだろう、それならばここへ佐々木を呼ぼうという父に、美穂さんは「うちのほうがまだいい」と言った。
そこへ佐々木の方から再び電話があったため、父は実家へ来るよう伝えた。

5分ほどで飯島家のインターフォンが鳴った。
これほどまでに怯える娘の姿に事の深刻さをみた両親だったが、現れた佐々木はそれまでとは別人であった。
いつもは殊勝な態度で膝も崩さなかった佐々木が、この日は来るなり胡坐をかいて座り、おもむろにタバコに火をつけた。
困惑する両親がそれでも美穂さんに対する仕打ちを咎めると、佐々木は開き直った。
「二人の問題に親が出てくることはないだろう!」
目が座り、今にも何かが起きそうな不穏な空気が飯島家のリビングに立ち込めていた。

それを察したのか、隠れていた美穂さんが出てきて、
「もうこれ以上は我慢できない。私は一生懸命やってきたけど、これ以上は無理。慶ちゃんと暮らすより、一生独身でいた方がいいとまで思うようになったから、私は慶ちゃんと別れます!!」
美穂さんの口からはっきりと別れを聞いたことで、佐々木の形相はみるみるうちに変わっていく。
そして、美穂さんと言い争ったり、かと思えば「これまでうまくやってきたじゃないか」と懐柔するような態度を見せるなどしていたが、埒が明かないと踏んだ母親が、佐々木の母親を褒め称えながらやんわりと諭した。
すると、それまで息巻いていた佐々木はおとなしくなり、美穂さんと別れることに同意、アパートも18日までに出て行くことを約束したという。

荒い口調だった佐々木の話し方が丁寧になったことで両親も安堵し、これで決着がついたと思っていた。
母親は、夕食を済ませていない佐々木のために、飯島家の夕食を折りに詰めてやるなどしたという。その間、涙ぐんでいた美穂さんも落ち着きを取り戻し、佐々木に対して「至らなくてごめんね。明日遅刻しないよう仕事に行きなね。」と話していた。

佐々木が飯島家を出ると、美穂さんは笑顔になって伸びをしながら「あぁ、これで自由に友達とも会える!」と喜びを表現し、年内の休みが14日しかなかったことから、明日は朝からアパートの荷物を整理し、解約手続きも済ませるなどと14日のスケジュールを両親らと話し合った。
また、持ち帰った家具や家電をどうするかなども話し合い、穏やかな状態で美穂さんは就寝した。

両親も、ようやくこれで美穂さんに笑顔が戻った、一人暮らしは手痛い結果となったけれども、これも経験、まだ若いのだからこれからまた良き出会いもあるだろうと、これでよかったのだと話し合った。

なにもかもが、良い方向へ向かっていると皆が思っていた。佐々木ただ一人を除いて。

黒い心


飯島家を後にした佐々木は、アパートへの夜道を辿りながら、途中、中学時代の友人に電話を掛けた。
友人に対し、美穂さんと別れさせられたこと、本意ではないこと、美穂さんに未練があり、いつか復縁を願っていると言った話をしたという。
アパートに戻った佐々木は、一人でいることに耐えられなかったのか、なんと実家の母親に電話を掛けた。えー、正直キモい。そこで何を話したかは不明だが、息子の様子を心配した母親が、美穂さんのアパートを訪ねて一泊したという。これも結構スゲェなと思ってしまうが、手でも握って寝たんだろうか。

ともあれ、翌朝佐々木の母親は息子を気にしつつも午前8時37分ころ出勤した。
この時、佐々木の心に何が蠢いていたのか。

美穂さんは14日の朝、出勤する父親を母親の車で駅まで送った。その車中で、父親から今日の予定の確認をされた際、「わかってるよ、全部やっとくから」と明るく話した。
その後、午前8時過ぎに自宅に戻った美穂さんは、日帰り旅行に出かける母親を駅まで送った。そして、夕方6時には家に帰っているから、駅についたら迎えに行くから連絡してと母親に伝えている。
善行駅で母と別れた美穂さんは、その車でアパートへと向かい、8時30分前後には南側駐車場に車を停めた。これについては目撃証言もあり、この時間美穂さんはアパートについていたことは間違いない。

そして、自分の部屋で佐々木と対峙した美穂さんは、その4時間後、無惨な焼死体となって発見されてしまうのだ。