限界破裂〜虐げられた人々の愛の事件〜

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普通に生きていても、時に他人から不当な扱いをされることがある。
会社でのパワハラ、学校でのアカハラ、そして夫婦間、恋人間におけるモラハラ、DVなど。
相手との立場の問題や相手に対する感情の問題で、不当な扱いだとわかっていてもそれに抗議できず、ただ耐えることでやり過ごそうとする人も少なくない。
また、怒りがあったとしても同じ土俵に立ちたくないという思いで、あえて無関心を通そうとする人もいるだろう。

特に日本人はできるだけ、争い事を避けようとする傾向があるのも事実で、少々のことで騒ぎ立てるのはみっともない、そう思う人もいる。
限定していうと、男女間夫婦間における様々な問題は、第三者が介入し辛い面もあって気がつけば虐げられていた人は一人その理不尽な思いを抱き続けることになる場合が多い。

一方で人にはそれぞれ堪忍袋というものがあり、その容量は個人差が激しい。

虐げられた人々の我慢の限界が来た時、それまで蔑ろにしてきた本当の加害者は狼狽え、そして許しを乞う、自分がしてきたことを棚にあげ……

いくつかの我慢の限界を超えた男女の事件。

葛飾区の事件

平成3年9月1日午前〇時過ぎ、葛飾区の路上を逃げる男の姿があった。
その背後からは、もう一人の男が迫る。二人とも酔っているのか、さほど緊迫した様子見は見えなかったが、追いかける男の手には逆手に包丁が握られていた。

そして追いついた男は、ぶつかるようにしてその包丁を深々と背中に突き立てたのだった。

気弱な男

葛飾区の路上で男性が刺殺された。男性は当時28歳の鈴木信夫さん(仮名)。
鈴木さんは病院へ運ばれたものの、背中の傷が深く、第八肋骨を切断、左肺下葉部刺切創等の傷害を負い、その傷からあふれ出た血液を吸引したことによる窒息で死亡した。

一方、刺した男はその足で最寄りの亀有交番へ向かっていたが、途中で通報によって駆けつけた警察官に現行犯逮捕された。
逮捕されたのは、葛飾区在住の配管工・水野直哉(仮名/当時28歳)。
水野の供述によれば、鈴木さんとの間では水野の内妻を巡ってのトラブルがあったという。

水野には結婚歴があった。しかし平成2年には協議離婚となったが、その後も元妻とは同居を続け、いわゆる内縁の関係が続いていた。
平成3年、元妻がホステスとしてスナック勤めを始める。ほどなくして客の一人であった鈴木さんと親しくなり、夏ごろには男女の関係へと発展、鈴木さんからは結婚も申し込まれていた。
鈴木さんがどこまで事実を知っていたかはわからないが、法律上すでに離婚している女性に結婚を申し込むのは問題はない。ただ、いまだに元夫婦として内縁関係にあるのも事実で、一緒に暮らしている水野とのことを解決しないわけにはいかなかった。
水野は離婚してもこの元妻に未練があったようで、仕事とはいえ帰りが遅くなる元妻のことを気にかけていた。

また、この元妻も、水野に完全に愛想をつかしたわけでもなかったようで、鈴木さんとのことを水野に話した際、その申し出を断るという意思表示をしていた。
この時、初めて元妻と鈴木さんの関係を知った水野だったが、別れ話をしに行くという元妻とともに、8月31日の未明に鈴木さん宅へ赴いた。

水野の元妻と話をした鈴木さんは、納得できなかった。そこで、ついてきていた水野へ歩み寄り、
「水商売をすれば男ができるのは当たり前だろう。お前、別れるのか、それとも俺を殺してでも女房を連れ帰る勇気があるのか。」
と凄んだという。

そして、こう付け加えた。

「俺に勝てる自信があるのか。喧嘩して勝った方が女を手に入れることにしよう。俺は欲しいと思ったものはどんなことをしてでも取る。」

内心ではふざけるなと思いはしたという水野だったが、あまりの鈴木さんの剣幕に押され、何も言い返せずすごすごと自宅アパートに戻るしかなかった。

そんな展開……

自宅へ戻った水野は、元妻に対してなんとしてでも鈴木さんと別れてほしいと懇願したという。
元妻もそれに対して応じる姿勢を見せたことで、一旦は水野も気持ちを落ち着けていた。

ところが夕方4時ころ、鈴木さんから電話がかかってきた。
何事かと思えば、「3人で飲みに行こう」という申し出だったという。女を取り合っている人間がその女も含めて飲みに行くなど、そこになんらかの企みがあるとしか思えないが、3人は飲みに行くことになった。

しかし案の定、酔いが回ってきたころ、鈴木さんはこっそりと水野の元妻と二人でカラオケへ行こうとした。
ここからはちょっと悲惨な展開になるがお付き合い願いたい。できれば、場面を想像しながら読んでほしい。
はたと二人がいないことに気づいた水野は、店を飛び出した。すると、二人の姿があったことで水野は号泣しながらこう訴えた。
「なんで鈴木さんは俺に黙って〇〇ちゃん(元妻の愛称)と行くんだよぅ。なんで俺だけ仲間はずれにするんだよぅ!」
これは事件備忘録が面白おかしく書いているのではない、判決文にこの通りに書いてあるのだ。
仲間外れ……そういうことか??そこか?
しかも結局鈴木さんらはあまりに水野が泣くので、カラオケはやめて水野のアパートで3人で飲み直すことにしたという。

気分が壊れたままでの3人の飲み会は、話し合いの場へと変わった。しかし全員もれなく酔っている。そんな状況での話し合いなど、ろくなことになるわけがなかった。

鈴木さんは、「俺は〇〇を幸せにできるが、お前はそれが出来ないだろう?お前が別れろ。俺がこの女を幸せにするから。」と譲らなかった。
水野はというと、ずっと泣いていた。そして、元妻に対して、「どっちを取るんだよぅ」とさめざめと泣いて訴えるしかできなかった。
元妻もだんだんとあきれ顔になり、泣くばかりで話にもならない水野を置いて、出ていく素振りをした。鈴木さんもそれをみて、水野の元妻を外に連れ出そうとした。

そこでも水野は駄々っ子のように泣いて、「なんで俺を置いていくんだよぅ、置いていかないでくれよぅ」と叫びだしたため、一旦は鈴木さんと飲み直しに出かけるつもりだった元妻も行くのをやめ、水野をなだめるように自宅へと戻った。

もはやお母ちゃんと3歳児である。

しかし鈴木さんも引くに引けず、元妻が部屋に戻った後も階段をのぼったり下りたりして、時に「もうほっぽっておけば」と大声でいうなどし、自身の存在をアピールし続けていた。

しばらくすると、ようやく部屋のドアが開いた。やれやれ、と思った鈴木さんは固まった。
出てきたのは水野の元妻ではなく、怒りでねじが飛んでしまった水野が包丁を手に向かってくる姿だった。
お前さっきまで泣きよったやろ……

妻の本心

裁判でも水野の尋常ではない気弱な部分はクローズアップされた。当然、鈴木さんの水野に対する愚弄した言動も、一定の落ち度とみなされた。
事件自体は短絡的で人命軽視も甚だしいとされたものの、水野のあまりに弱気な性格が災いして引き起こされたものであって、粗暴癖の発露ではない、とされた。
気の毒に、水野の母親は決して楽ではない生活の基盤でもある土地と家屋を売り、それでもって鈴木さんの遺族に賠償しようとしていたという。

前科もない水野に対し、東京地裁は懲役7年を言い渡した。

すぐ泣いてしまう水野がその後の刑務所暮らしを耐えられたかどうかはわからないが、そもそもこの元妻の本心はどうだったのだろう。

鈴木さんはおそらく漢気あふれるというか、少なくとも水野のようなうじうじしたタイプではなく、ボス猿タイプだったのだろう。そこに水野の元妻が惹かれるのはわかる。
しかし、結果として元妻は水野のそばを離れていない。なんというか、私には鈴木さんとのことも含めて、水野の元妻による「ケツ叩き」だったように思えるのだ。

元妻は、アパートにやってきた鈴木さんとの話し合いの場で、泣いてばかりいる夫に対し、「そんなんだったらもう、鈴木さんの所へ行っちゃうよ?」と言っている。
これには、どうにかしてそのなよなようじうじした性格、すぐ泣いてしまう性格を何とかしてくれ、そういう思いが見えるような気がするのだ。
それでも突っ伏して号泣する水野を放っておけず、結局元妻は鈴木さんと出かけるのをやめている。
どこか、鈴木さんを利用してこの情けない夫を奮起させよう、男を見せてみろといった思惑が見え隠れするのだ。

鈴木さんが階段の下で待っている間、ふたりの間でどんな会話があったのか。
なぜ、水野はこの日初めて、ここまでの暴走をしてしまったのか。

すべては気弱すぎる水野と、殺害された鈴木さんの見下した態度が原因だったのだろうかそして、その後水野と元妻は、どうなったんだろうか。

豊島区の事件

私、今まで楽じゃない生活の中であんたを食わしてきた。
あんたがそこまで言うなら、騙された女として、あんたを許すわけにはいかない。

あんたは、絶対に言ってはならないことを言った。
今言った言葉を撤回して。おねがいだから、嘘だごめんと言って。

「やれるもんならやってみろ。お前の残り少ない人生なんか、いらないんだ」

そうか。
今まであんたが私に言ってきたことは、全部嘘だったんだね。
ならもう、仕方ないね。
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平成11年10月12日、豊島区の居酒屋から119番通報があった。救急隊員が駆け付けると、すでに店の外で通報者と思われる女性が立っていて、救急車を見つけるや否や近づいてきた。
「はやくしてよ!死んじゃうよぉ」
狼狽えた女性が救急隊員を店内へ案内、そこには座敷があり、そこで男性が血を流して倒れていた。
男性は心肺停止状態、床の上には血だまりが出来ていたことから、救急隊員は女性に事情を聴いた。

「どうしたの、誰がやったの?あなたがやったの?」

しかし女性は顔を背け、返答をしない。
少し後、警察官が臨場した際には再び「どうにかしてよ!」と興奮した様子だった女性をみて、警察官は「あなたがやったのか」と確認した。

女性は、「わたしがやった」と警察官に告げた。

不甲斐ない男

死亡したのは田中浩司さん(仮名/当時47歳)。田中さんを刺したとして殺人容疑で逮捕されたのは、木村美津代(仮名/当時61歳)。

居酒屋を経営していた美津代は、その知り合った経緯は不明だがいつのころからか田中さんを家に住まわせていた。
田中さんは仕事がなかなか長続きしなかったといい、知り合った当時はホームレス状態だった。美津代と知りあって以降、その生活のほとんどを美津代の世話になっていた。
美津代自身、姉御肌だったこともあって、14歳も年下の田中さんの世話をしながら居酒屋を切り盛りしていた。

事件があった日、実は田中さんの就職が決まったことで、店が終わった後ふたりで前祝をしていたという。
美津代にしてみれば、どれほどこの日を待ち望んだかわからないほど、うれしいことだったようだ。
その性格から、田中さんを一人前にしたい一心でこれまで田中さんを食わせてきた。美津代の店は経営が順調とは言えず、店の家賃も滞っているような状況だったという。
それでも、いつか田中さんが仕事をし始めてくれれば……
二人ささやかながらも、静かに暮らしていける。美津代はただそれだけを願って、苦しい日々の中でも田中さんを励まし、支えてきた。
それが、ようやく叶ったのだ。

ところが、酔いが回ったのもあってか、田中さんは元来の弱気な面を見せ始めたという。
それを聞いた美津代は、田中さんをなだめ励ましていたものの、いつまでたってもぐちぐちと言う田中さんに、次第に怒りがわいてきた。
やがてふたりは口論となり、騒ぎを聞きつけた近隣の住民が通報したことで警察が駆け付ける騒ぎへと発展してしまう。
その時は警察官のとりなしでいったんはおさまった。
ふたりで飲み直していたが、結局話を蒸し返してしまったことで、さらに激しい口論になってしまった。

そして、田中さんの口から思いもよらない言葉が発せられた。

お前みたいなババァ

田中さんと美津代の間に、男女の関係があったかどうかはわからない。
しかし、すくなくとも美津代は田中さんとの将来を考えていた。だからこそ、これまでの苦しい日々にも耐え、田中さんの尻を叩いてきたのは先にも述べたとおりだ。

田中さんはどうだったのか。
年上の居酒屋の女主人に生活の面倒を見てもらうというのは、まぁ、ありがちな話のような気もするが、そこはいわゆる女の漢気と言うか意地というか、色恋抜きでも成り立つケースもあるものの、田中さんはそこにどうやら色恋をにおわせていた。

そして美津代も、その年下の男の戯言を、心のどこかで信じていた。

にもかかわらず、不甲斐ないことばかり抜かす田中さんに、美津代はつい、詰め寄るような言い方をしてしまった。

「今まであんたが言ってきたことは、嘘だったんだね?」

それに対し、田中さんはこう言い放った。

「誰が、お前みたいな年寄りのババァと一緒になるわけないだろう」

わかっていた。同じ14歳年下と言っても、二十歳と34歳とはわけが違う。私はもう、還暦を過ぎた「ババァ」だった。
美津代は田中さんの胸を押し、店の座敷に置いてあった布団に突き飛ばした。
田中さんも激高し、すぐに置きあがったかと思うと反対に美津代を突き飛ばした。そして、美津代の口をふさぐとその首を絞めてきたのだ。

美津代は田中さんをはねのけて立ち上がると、冒頭のように思いの丈をぶちまけたのだ。それは、心の叫びだった。ここで、なにもかもが決まる。これまで心のどこかで、いつか終わると思っていた。一方で、嘘みたいだけど田中さんとふたり、一緒に生きていく人生も夢見ていた。
それが、今終わろうとしていた。

許すことは出来ない、そう声を震わせた美津代に対し、田中さんは
「俺はお前を殺してもどうもない。幾ばくも無いお前の残り少ない人生なんか、いらないんだ」
女に食わせて生きながらえてきた男が、絶対に、言ってはならない言葉だった。

求刑懲役12年、判決懲役8年

検察は、殺人で美津代を起訴したが、弁護側は殺意はなかったとして傷害致死と主張。また、犯行当時は酩酊状態であり、心神耗弱だったとし、さらには現場に駆け付けた警察官に対し「わたしがやった」と話したことが自首に相当すると主張していた。

しかし東京地裁は、田中さんは心臓一突きで殺害されており、強い殺意が推認されるとした。
また、酩酊状態であった点についても、その後の取り調べにおいて、いまだ鑑識すら終わっていない時点であったにもかかわらず、具体的かつ迫真性に富んだ証言をしていることから、美津代の記憶やその精神状態に大きな問題はなかったとした。

そして自首についても、すでにその事件が発覚し、その場にいて事情を知っていると強く推認される状態での「わたしがやった」という発言は、自己の犯罪事実の申告ではないため自首には当たらないと退けた。

一方で、ホームレス同然だった田中さんの世話をし、社会復帰にまでこぎつけたのは美津代の支えあってこそであり、その美津代に対する田中さんの、たとえ酔っていたうえでの発言とは言え、美津代に対する背信的な言動が事件の背景にあるとして、美津代に対して懲役8年(求刑懲役12年)、未決勾留日数を300日算入という判決を言い渡した。

田中さんは確かにとんでもないクズだ。しかし、美津代はどうだろうか。
ホームレス同然の田中さんを、なにを思って養ったのか。そこに、淡い期待はなかったのだろうか。
もしもそれがあったのだとすれば、ある意味見返りを求めていたことにもなるわけで、その年齢を考えればいささか大人気ない印象もありはする。
美津代は「いつか」という夢さえ見られていればよかったのかもしれない。一緒になることが叶わずとも、ずっと、田中さんに嘘でも夢を見させてもらえれば、それでよかったのかもしれない。

夢が覚めたから、殺した。

足立区の事件

平成4年10月、東京地方裁判所はある女に対して懲役3年執行猶予4年の判決を言い渡した。
女は、愛する男を殺害しようとしたものの思いとどまり、我に返るや救命を施し、駆け付けた警察官に自らの犯行を告白した。

とはいえ、男性のケガは胸部刺創および左血気胸、全治二カ月と決して軽いものではなかった。にもかかわらず、社会での更生の機会を与えられた。

つかめなかった幸せ

女は足立区で暮らす笹岡アヤ子(当時40歳)。被害者は、アヤ子の夫だった。
アヤ子は平成元年に夫と知り合い、その後1年ほど交際して平成2年4月に結婚した。
ところが幸せなはずの新婚生活は長くは続かなかった。平成4年ころになると、夫は度々家を空けるようになる。

夫の外泊に心を痛めていたアヤ子だったが、平成5年、妊娠したことを知ってこれで夫も落ち着くのではないかと思って、それを夫に告げた。
しかし夫の反応はアヤ子が望んだそれとは大きく違い、冷たくこう言い放った。

「愛していない女の子どもはいらん」

どうやらアヤ子は、この時まで夫はただ遊び足りずにいるだけだと思っていたようだが、ここではたと、「夫は浮気をしているのでは?よそに女がいるのでは?」と思うようになった。
以降、ことあるごとに夫にそれを問い詰めるようになってしまう。
こうなると悪循環でしかなく、夫はそれを嫌がり、アヤ子が持ち出すたびにうんざりしたような顔をして家を出るようになってしまった。
一方のアヤ子も、真実を知りたい気持ちもあったがそれを問い詰めれば夫に家を出ていかれてしまうため、聞くこともできなくなって一人悶々とする日々を送っていた。

そしてそのストレスは、アヤ子に辛い現実をもたらすことになる。

流産

何度目かの夫との口論の際、とうとう夫は浮気していることを認めた。
わかってはいても、実際に認められるとそのショックは思いのほか強かった。アヤ子は食事ものどを通らなくなっていたが、それでもやがて生まれてくる子のために夫の気持ちを取り戻そうともがいていた。

しかし夫は相変わらず外泊をし、アヤ子に浮気していることを告白したことで気が楽にでもなったのか、それまで以上に堂々と女の所へ行くようになってしまった。

そして6月。アヤ子は流産してしまう。

それでもアヤ子は夫に愛想をつかすこともできず、なんとか夫の心を取り戻そうと懸命に努力をしていた。
流産の傷も癒えていないアヤ子に、夫がいたわりを見せることはなかったという。
6月11日、珍しく家にいた夫に、今日こそは女のことを聞いてみよう、そう思いながらも言い出せずに時間だけが過ぎていくうち、アヤ子は思い当たる。

たとえ今日、話を聞くことができたとしても、それはきっと私が求める言葉と違う。
私を捨てて女の所へ行く気ならば、それならば、いっそ。

最後通牒

その夜午後11時ころ、寝入っている夫の足元に忍び寄ったアヤ子は、その足首に自分のストッキングを巻き付け、きつく縛り上げたうえ、ガムテープで固定。
そして台所から文化包丁を持ち出すと、茶の間のちゃぶ台の下に隠した。

「あんた。本当のこと言ってよ。」

寝ぼけまなこの夫は、足を縛られていることに気づくと
「こんなことしやがって!もういい、俺はあの女と結婚する!」
そう喚いた。
さらに、アヤ子への罵詈雑言をつらね、もうアヤ子とは夫婦でいられないと、そればかりを繰り返した。
腹を決めていたはずのアヤ子だったが、やはり面と向かって別れる、そう言われると胸にこみあげるものがあった。
それでも引っ込みがつかなくなったアヤ子は隠していた包丁を持ち出すと、夫に突き付けた。
嘘でもいい、悪かった、許してくれ、お前とやり直す……嘘でもいい、そう言ってほしかった。

しかし夫は、
「殺すなら殺せ!」
と開き直った。

夫は、私とやり直すよりも死んだほうがマシだというのか。

そうまで言うなら叶えよう、アヤ子は夫の胸に、その包丁を突き立てた。

弱い女

しかしアヤ子は思いとどまった。刺してはしまったが、とどめを刺すことはどうしてもできなかった。

夫はアヤ子に刺された直後、うめきながらもこう叫んだ。

「愛してなかったら!一緒になんか住んでいるものか!」

アヤ子はその言葉にハッとしたのだという。
これこそが、アヤ子の聞きたかったほしかった答えだった。 

裁判では当然、夫の仕打ちは批難された。アヤ子が自分の意思で思いとどまり、救命したことなども酌量され、執行猶予となった。

もっと言うと、この夫がアヤ子を許しているということも大きかった。

自分がひどい仕打ちをし続けたことが事の発端であるにもかかわらず、結果としてこの夫は被害者となり、さらには被害者が加害者を赦すという形になったことで、事情を知らない人からすればなんと懐の深い夫、という風にもなり得た。

アヤ子はといえば、裁判で執行猶予がついたところでなんの救いにもならなかった。
夫に傷を負わせた以上、アヤ子は人殺しと呼ばれても仕方なかったし、その夫が望むと望むまいとに関わらず、夫とは離婚に応じるというしかなかった。

そもそもあの夫の言葉は本当だったのだろうか。
愛していなければ一緒になどいない……いや、アヤ子にとったら本当でも嘘でもそれはどうでも良かったのだろう。
嘘でもなんでも、愛していると言ってくれさえすれば良かった。アヤ子も、豊島区の美津代も、そうだった。

近い事件で言えばあの不死鳥ホストの事件をほうふつとさせるが、事件直後の不敵な笑みを浮かべた加害者の女のその後の裁判での様子は、正直痛々しい以外のなにものでもなかった。
アヤ子もまた、殺してでも手放したくなかった男だったはずなのに、離婚に応じるといった。夫がまだ離婚の意思を示していないにもかかわらず。

こうまでせねば、自分の気持ちにケリをつけられなかったのかもしれない。
しかしそれならば、なぜ思いとどまったのか。そんな中途半端な話があるか。死んだと思ったら助かったならまだしも、男の本気かどうかも分からない言葉にハッとさせられてどうする。
この出来事以降この男は、未来永劫自分を愛し続けるとでもいうのか。

そもそも、本当かどうかも分からない愛しているのひとことでそれまでの仕打ちが帳消しになる、その程度のことならばなぜ殺そうなどと思ったのか。

うんざりしながら、呆れながら、バカじゃないのかと思いながらも、それでもなぜか切なくなる。

愛しているから殺そうと思った。その殺す対象は、人それぞれ。

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平成4年3月5日/東京地方裁判所/刑事第12部/判決/平成3年(合わ)165号
平成4年10月5日/東京地方裁判所/刑事第1部/判決/平成4年(合わ)110号
平成12年12月13日/東京地方裁判所/刑事第16部/判決/平成11年(合わ)450号