子分を従え少女を撲殺した男の「イキり方」②~千葉・少女撲殺事件~

広宣

裕子さんを殺害したこの男は、本来ただの冴えない田舎ヤンキーでしかなかった。
事実、事件後も広宣について主だった「悪い噂」が出てこなかった。
不良少年の中にも序列や階級は存在し、ヤクザ顔負けの極悪人から使いっぱしりのヘタレまで様々だ。金のあるなしも大きくかかわる。
広宣の場合、その「ぱしり」であったというのが新潮45のルポにもある。
誰からも相手にされない、名前すら知られていない広宣だったが、その広宣をなぜか慕う後輩たちの存在があった。
犯行に加わった4人の少年たちである。この少年らは同じ中学の出身で、事件現場に近い場所で成長している。
広宣と4人の少年の共通の知人であった男が、後に裕子さんと交際を始めることからそのつながりは絡まりあっていく。

(残り文字数:12,585文字)


広宣は決して幸福な幼少期を過ごしていない。広宣の母親によれば、2歳のころ実の父親が借金を理由に家を出、家庭は不安定な状態にあったという。
その後広宣が6年生の時に母親は再婚したが、義父は事故で寝たきりの状態となってしまう。
母親が仕事と介護に奮闘する中、広宣は家事の手伝いを嫌がらずよくこなしたという。
そんな家庭の中でも、中学までの広宣は決して不良とか、落ちこぼれといったこともなかったようだ。母親によれば、中学の頃の広宣の夢は「警察官とか、公務員」だった。
高校へ進学した後も、学費は自分で稼ぐからと母親を思いやり、ファミレスでバイトもしていた。

しかしその裏で、広宣はいわゆる不良少年らと行動を共にしていた。といっても、ただ同じ空間にいるだけ、時には使いっぱしりのようなことをさせられるだけの存在であったのだが。
広宣がどんな気持ちで仲間と呼ぶには程遠い関係を続けていたのかは知る由もないが、広宣もまた、転落の坂道を転がっていく羽目になる。

16歳の時、盗難車を運転して事故を起こして少年院へと送られた。
この時、興味深い話があった。広宣はここぞとばかりに仲間を庇ったというのだ。
仲間への忠誠のつもりだったのか、広宣は取り調べに対して他の仲間の名前をしゃべらなかった。
しかし、庇った仲間はというと、広宣がしゃべっていないことを知ってか知らずか、全て広宣に押し付けた。
結果、盗難を企てたのは広宣であるという構図が出来上がり、広宣とて庇った手前、今更違いますとも言えなかったようなのである。

この時、広宣は母親へあてた手紙で悔しさをにじませていたという。

出所した広宣は、B子さんという同い年の少女と知り合い、平成11年に結婚した。
B子さんも広宣同様、複雑な家庭で育ち、弟や妹の世話をしてきたという経歴があった。
若い二人は不遇な自分たちの人生を埋めるかのように、結婚生活を始めた。あの、千城台東の市営団地の一室である。
そして、このB子さんが面倒をみてきた妹というのが、裕子さんの小学校時代の親友のひとりだった。

歪な関係

B子さんと結婚したものの、広宣は更生したとは言えない自堕落な生活を送っていた。
中卒の「子供」に働き口がそんなにあるわけでもなく、中卒の少年らが働くネットワークにも、パシリでしかなかった広宣は入れなかった。
コンビニでのアルバイトにありついたものの、ここで広宣はバイト先のレジから金を盗むという行動に出る。
新潮45のルポによれば、「仲間にいい格好をしたかったのだろう」とあるが、私はむしろ「上納金」に困っての犯行ではないかとも考える。
この頃広宣は、件の盗難車の件で広宣に全てを押し付けた仲間を仲間と思えなくなっていたのか、それともそもそも「居場所がなくなった」のか、船橋の少年らとつながっていたという。
そのグループがどういったものかは定かではないが、おそらくそこでも広宣は下の扱いであった。だからこそ、「いい格好」をしたかったのだろうし、もしかしたら下の扱いから脱出する唯一の手段が「カネ」だったのかもしれない。

当然のことながら悪事はすぐに発覚し、広宣は二度目の少年院送りとなった。
今回は仙台。遠く離れた地から、時折母親に充てて手紙も届いていた。実際に私はニュース番組で広宣の直筆の手紙を見たことがある。とても几帳面な、割ときちんとした字を書いていたと記憶しているが、新潮45でもそのように書いてあった。
そして、少なくともあの市営団地で喘いでいる漢字の読めない若者とは違っていた。

広宣は少年院を出た後、ようやく今後をまじめに考えた時期があったようだ。
少年院ではいくつか技術系の資格も取った。難しい資格ではないものの、あるのとないのとでは中卒の広宣にしてみれば全く違う。
B子さんとは離婚していたが、平成13年には復縁、その翌年に女児が誕生した。
少なくとも、この時期広宣はなんとかまともな生活を家族で成り立たせようとしていたのではないか。

しかし、復縁したことによって広宣は、最後の妻となる裕子さんと深く関わっていくことになる。
まじめに、更生しようとしているかに見えた広宣だったが、それも長くは続かなかった。

復縁したB子さんは、広宣から暴力を振るわれ、かつ、家族を養っていけるだけの収入がなかった広宣を支えるため、子供を預けて水商売をしていた。
広宣は時に木刀などを持ち出してB子さんにいうことを聞かせることもあったといい、愛情なのか支配なのか、それとも一人よりはマシ、というだけだったのか、夫婦という状態ではなくなっていた。
そんな状態の真っただ中にあった平成14年の末、たまたま乗ったモノレールの中で、広宣は裕子さんとA子さんと出会う。

「一目ぼれだった」

そういうA子さんは、翌平成15年の正月から広宣の自宅に上がり込むようになる。この自宅は、妻であるB子さんと最初に住んだ団地の一部屋、と新潮45のルポにはあるが、その当時広宣にはB子さんという妻がいたはずだ。
にもかかわらず、その日からA子さんと同棲生活を始めたというのだ。さらに、同棲はしているものの、正式に付き合っていたわけではなかった。
「付き合ってほしい」
A子さんは裕子さんを通じて広宣に気持ちを伝えていたが、広宣の返事は
「今付き合っている男と別れたら付き合う」
というものだった。ていうかお前妻子持ちやろお前が言うな。

A子さんは言われるがままに当時の交際相手と別れ、晴れて(?)広宣と交際するようになった、というか、彼女になったつもりでいた。

妻・B子さんはというと、広宣のすることに意見をするということがなかった、出来なかったため、いわれるがまま1月5には正式に離婚した。
しかし、当時職もなく、妻・B子さんの仕事の送迎という「仕事」をしていた広宣は、離婚後もB子さんと関係を切っていなかった。もちろん、娘の存在もあっただろう。
B子さんも、広宣への思いは断ち切れておらず、広宣はA子さんと同棲しながら前妻のB子さんとも関係を保ち、なんとその2か月後には復縁している。こりゃ市役所の人も大変だ。

そういった事実をA子さんが知っていたかどうかはわからないが、この頃には結婚、離婚を繰り返すことで姓を変える「戸籍ロンダリング」の手口を覚えていた。
そして同じころ、裕子さんもまた、当時の交際相手とともにカード詐欺などを行っていた。

ど底辺の生活

広宣らが行っていたカード詐欺は、自分名義のカードでしこたま買い物やキャッシングをしたのち、「盗難被害に遭った」などとカード会社へ申告し、支払いを免れるという稚拙な手法だった。
1度や2度ならうまくいくだろうが、カード会社もバカではない。
平成15年の2月末、広宣と裕子さんの交際相手は、カード詐欺で逮捕された。
当時広宣は借金にまみれており、また、そのせいでまともなローンなど組めるはずもない状態にあった。
そのため、盗難車を専門に扱う業者から盗難車のセルシオを購入し、偽造ナンバーをつけて乗っていたという。
盗んだバイクで走り出すのは15の夜と尾崎豊も歌っているのに、広宣は二十歳を過ぎても盗まなければ車一台まともに手に入れられない男だった。

そんな、ダメすぎる成人男性の広宣だったが、16歳のA子さんや裕子さんから見れば、車を運転できるだけでも羨望だったのだろう。いわゆるDQNカーはどれだけみっともなくても少年少女には貴重なアイテムだ。
同じ年頃の少年には持ちえない、ただ成人であるだけで持つことが出来るものに、彼女らは魅力を感じていた。そして広宣もまた、まったく相手にされなかった同世代、同世代から上の人間とは違い、自分の意のままに操れる年下の少年少女たちを従えることで、自分の居場所をそこに見出していたようにも思える。
そして、舞い戻るのはいつもあの市営団地だった。

広宣が逮捕されて、A子さんは狼狽したという。狼狽したとは言いつつも、どこかで極道の妻にでもなったつもりのような感じでもあった(ように私には思える)。
そして、裕子さんもそれは同じで、その薄っぺらい極妻気取りのA子さんと行動を共にし、励まし、憂さ晴らしに付き合った。
A子さんは仕方なく実家へ戻ったが、そこへは裕子さんもついてきた。ふたりは夜な夜な遊びに出掛けては、同じ年頃の女の子に因縁をつけてケンカをしたり、ナンパしてくる男性らから金銭を盗むこともあった。当然、よからぬ病気ももらっていた。
さらにこの時期、A子さんと裕子さんは、自分で自分の腕に「入れ墨」をついた。もっともそれはタトゥーとすら呼べないシロモノで、針に墨汁をつけて彫るというみっともないことこの上ない出来であった。
素人なら絵柄ではなく文字や記号程度しか彫れないうえに、自分でやるもんだからそのほとんどがとんでもない出来になってしまう。それこそ、江戸時代の島流しにあった人みたいになる。
それをカッコいいと感じ、他人にひけらかしてしまうのも若い子によるあることだ。極妻なら何百万もかけて一流の彫師を雇うわけだからその仕上がりは息をのむほど美しい。
しかし、千城台の彼女たちは金もなければ彫師のつてもなかったのだろう。「刺青をしている」という形だけが整えば、よかった。
A子さんは広宣を指す「ヒロ」を、裕子さんも自身の彼氏の名前、仲の良い男友達、ハートマーク、そしてなぜか「ヒロ」の文字を入れたのだ。
解せん。
この時、A子さんは何とも思わなかったのだろうか。かのリンリンハウス放火事件で逮捕された坂本なんとかという男がいたが、彼には忠誠を誓う側近が複数名いた。そしてその全員が坂本のフルネームをみぞおちからへそにかけて彫っていた。・・・そのノリか?

ともかく、A子さんは裕子さんとともに広宣の帰りを待った。当初は別れも考えたというA子さんだったが、広宣と長くともに暮らした妻・B子さんの、
「あなたには無理よ」
という嘲笑めいた言葉がA子さんを頑なにさせた。
平成15年7月。執行猶予が付いた広宣は、A子さんのもとへ帰ってきた。広宣が戻り、A子さんの実家に居候していた裕子さんは、A子さんが広宣のあの団地へ戻ったのを機に、その団地で広宣とA子さんと、3人で生活するようになっていく。多くの人はこの状態から当然のように予想するように、広宣は裕子さんとも性的な関係を持っていた。さらにはシンナーなどにも手を出し、日々乱痴気騒ぎを繰り返しながら、3人はど底辺の中で自由気ままに生きていた。
その直後、トラブルがあって一度は実家へ戻っていたという裕子さんだったが、中学時代の友人が事故で亡くなったことなどもあり、少し心境に変化もあったという。葬式に出るため、茶色の髪を黒に戻したいと母親に話したり、母親の助言にも以前よりは耳を貸すようになってもいた。体調を崩していたこともあってか、秋からは昼の仕事を見つけると母親と約束していた。
しかし、その約束は裕子さんの死によって果たされることはなかった。

偽装結婚

3人の生活が始まってすぐ、広宣はやるべきことがあった。逮捕前に乗っていた車が盗難車であったことから、執行猶予中の今、その盗難車に乗ることはためらわれたのだ。
しかし、広宣にとって車は自分の威厳を保つためにも必要不可欠なアイテムであった。広宣はいわゆるVIPカー愛好者で、中古のやっすい元高級セダン(クラウンとかセルシオとか)を下品に改造した車が好きだったという。後に共犯となる少年らとも、その趣味がきっかけで知り合っている。
田舎では免許を取ったばかりの若い子が、10年、15年落ちとかの国産セダンに乗っていることが多い。価格にすれば30万円以下の価値しかないものでも、そういうことを知らないさらに若い世代にはある程度見せびらかせる。
セルシオが生産終了となったのは、こういった下品な改造をされてしまうことでイメージが悪化したことが要因ともいわれるほどだったが、件の広宣の盗難車も、セルシオであった。

広宣は新しい車が必要だった。しかし、多重債務者の広宣が組めるローンはなく、そこで再び、戸籍の名前を変えて別人に生まれ変わることを考えた。
広宣はこれまでに鈴木、天野と名前を変えてきた。そして、さっそく自分に惚れ込んでいるA子さんに結婚の話をもっていった。
ところが、思いがけずA子さんはそれを拒否する。拒否する代わりに、なんと裕子さんと結婚するよう広宣に言うのだ。
一目ぼれともいった恋人が、たとえ戸籍上のことだけとはいえ自分以外の女と結婚するなど、普通で考えればありえないはずだが、そもそも普通とはかけ離れた中で生きてきた彼女たちである。そうだった忘れてた。
A子さんが拒否した理由は定かではないが、裕子さんはその申し出を10万円で引き受けた。

当然ながら裕子さんは入籍の事実を両親には伏せていた。16歳だった裕子さんが結婚するには親の承諾が不可欠だったが、その書類も偽造し、7月10日には広宣は裕子さんの「石橋姓」と、マークⅡを手に入れた。

うまくいったかに思えた偽装結婚と3人の生活だったが、7月末には早くも破綻の兆しが見え始めた。
A子さんが蓄えていた生活費の4万円が消えたのだ。これをA子さんは裕子さんが盗ったとして問い詰めると、裕子さんもそれを認めたという。そして、裕子さんは先述の通り実家へと戻った。
ただ、この時期この団地の部屋には不特定多数の少年少女らが入り浸っており、裕子さんが盗ったという確証があるわけではない。裕子さんは、親友のA子さんに問い詰められたことで信頼されていなかったことに気づき、どうでもいいという気持ちから自分がしたことにしたのかもしれない。

同じころ、A子さんの妊娠が発覚した。広宣の子供に間違いなかったためにすぐ広宣に伝えたが、そっけない態度だったことでA子さんのイライラは募っていく。
広宣にしても、子供どころの話ではなかった。偽装結婚はしたものの、それで凌げるのも短期間だ。しかもこれが露呈すれば執行猶予は取り消される。
広宣はこの頃久しぶりに母親へ電話をかけた。お金の無心もしたが、その際、「ものに対する感動が薄い」という趣旨の話をしたという。
子供ができたというのに喜べない自分、この時広宣は何かを自分に訴えたかったのかもしれない、と母親は振り返る。

さらに、思わぬところからも悩みの種が持ち上がった。
裕子さんから謝礼の残りを支払うよう催促が来たのだ。広宣は偽装結婚の謝礼として10万円払うということで裕子さんと合意していたが、実際には5万円しか支払えていなかった。
そのことを持ち出され、挙句、籍も早急に抜いてほしいともいわれた。
実は裕子さんの妹が携帯電話を契約するのに住民票が必要で、このままでは裕子さんの偽装結婚の事実が親にばれてしまうことを裕子さんは恐れていたのだ。
さんざん親を振り回して逃げ散らかしてきた裕子さんが、この時ばかりはなぜか親にバレるのを恐れ必死に催促を続けた。
たまりかねた広宣は、裕子さんに対して「籍を抜くなら渡した5万を返せ」と言ったが、裕子さんの返事は「それは残りのお金を払ってからじゃないの?」というものだった。

裕子さんについては、とにかく一言多い、という印象だったという。
気の強さもあったと思うが、相手の逆鱗に触れるようなことを臆せずいうようなところがあったのは事実のようだ。
もちろん、裕子さんのいうことは善悪は別として正論であり、広宣とて痛いところを突かれたが故の激高であったろう。
しかし、この時裕子さんを取り巻く状況は本人が知らないだけでかなり悪い状況にあったと言わざるを得ない。
前出のとおり、親友のA子さんとの間の溝、仲のよかった人ほど離れた際の言われようが殊更ひどくなるのはよくあることで、裕子さんに関する嘘とも真ともわからないような悪い噂が仲間内で噴出した。

A子さんの4万円は、実は広宣にそそのかされて盗った、と裕子さんが言いふらしているといううわさが立ったのもこの頃だった。
そして、広宣に対しても、謝礼金を払わないのならば偽装結婚の事実を警察に話す、そればかりか、偽装結婚に伴う詐欺についてもチクってやると裕子さんが息巻いているといった話が飛び交った。
A子さんも憤慨し、時に広宣に対し、「もう裕子、やっちゃえよ」と言うこともあったという。

子分たち

広宣は裕子さんがこのままでは自分を警察に売りかねない、そう思うようになっていた。
思えば16歳のころ、車を盗んで捕まった時、広宣は一緒に盗んだ仲間のことを言わなかった。ダサい田舎ヤンキーの広宣にも、矜持たるものはあったとみえる。
密告る(と書いてチクる)、それこそ、広宣の中で最も許せないことだったのは想像ができる。
自分の中途半端、馬鹿さ加減は全力で棚の上であったとしても。

広宣には年下の子分がいた。少年CとDである。
いずれも同じように「何が格好良いか」の判断さえつかないような少年たちだったが、だからこそ、広宣にもついてきた。
広宣はその子分たちに、裕子さんを襲撃させようと画策したのだ。
少年CとDは、8月に路上で高齢女性に対する強盗を働いていた。事件自体は表沙汰になっていたが、CとDの犯行であることまでは発覚していない段階だった。
その強盗事件の被害者が後に死亡した、とCとDは思っていたが、実は死亡していなかった。強盗殺人を犯してしまったと思い込んでいたのはCとDだけではなく、その界隈の少年少女らにはそう思い込んでいたものも少なくなかったという。
広宣はそれを利用することを思いつく。裕子さんが「あの強盗殺人の犯人はCとDだ」と言いふらしていると吹き込んだのだ。
さらに、「警察に言うと言っている」と付け加えるのも忘れなかった。

加えて、広宣やA子さんに対する不義理、あることないことを少年らに吹き込み、少年らの怒りを増幅させていく。
そして、近くの駐車場にでも裕子さんを呼び出し、そこで「ヤキを入れる」ことを計画した。その計画はA子さんも承知していた。
少年CとDは、知り合いの別の少年Eにも話を持ち掛け、さらにはたまたまその日遊びに来ていた別の高校生・Fも引き込んだ。

そして、10月1日を迎えた。


広宣は裕子さんの仕事の送迎も行っていた。裕子さんは当時、「Pure Rose」というぼったくりキャバクラで働いていたが、その店は住吉会系暴力団がからむ店だった。
広宣はその店を通じてかどうかは定かではないが、覚せい剤も使用していた。
その店は、コピー用紙に手書きで料金が書かれていたといい、一部報道では「抜きキャバ」ともいわれていた。
普通のキャバクラとは違い、性的なサービスを行っていたというのもまぁ、なんとなく想像がつく。

店が終わる午前2時ころ、広宣は何食わぬ顔で裕子さんを迎えに行くと、店のママとともに裕子さんを乗せ、まずママを自宅方面へ送った。
その後、子分の少年らが別の車で待機している貝塚墓地へと走り、まずは裕子さんにトランクを開けるよう指示し、背後から少年らが襲う、という手はずだった。

少年のうち、Cは自身の犯罪発覚を恐れていたこともあり、サバイバルナイフも準備していた。ほかにも、金づちなどをあらかじめ準備してその時を待っていた。

午前3時過ぎ。
広宣と裕子さんの乗ったマークⅡが貝塚墓地へとやってきた。計画では、少年Eがまず裕子さんを引き倒すはずだったが、Eがタイミングを逃したため、裕子さんはいったん車内へと戻ってしまう。
広宣は、小便をしてくるといって車を降り、再度裕子さんにトランク内を見てくるよう告げた。
訝りながらもトランクをのぞき込む裕子さんの背後から、今度こそ少年Eがその衣服をつかんで後方に引き倒したところを、他の少年らで殴る蹴るの暴行を働いた。
この時点では、おそらくケガを負わせて黙らせる、という筋書きでしかなかった。少なくとも、少年らはそうだったろう。
最後に加わった高校生・Fにいたっては、貝塚墓地へ行く前から後悔していた。しかし、計画自体をすでに知ってしまった以上、抜けることは無理だと諦め、とりあえず墓地までついてきたという状態だった。

しかしそこは限度を知らない、踏み込んでいいこと悪いことの区別の知らない子分たちのこと、案の定暴行はエスカレートしていく。
広宣は持参した金づちで裕子さんの頭部や背中を複数回殴打、それを見ていた残りの少年らも、次第に暴行に力が入っていく。
そして、最終的には墓地にあった石材を投げつけ、それでも助けを求める裕子さんに対し、重さ60キロ以上の石材を頭部に落として殺害したのだ。
高校生・Fは、この投石行為に参加していない。
その後、証拠隠滅を図るため、少年らに指示してドン・キホーテでライター用のオイルを万引きさせる。この時、少年Cはドン・キホーテの店内で実父に遭遇していた。
アリバイなのか口裏合わせか何なのか、広宣と少年らは万が一貝塚墓地にいたことがばれた場合は、「かくれんぼ」をしていたことにしようと話し合った。

少年たちはいざ知らず、広宣には確定的な殺意が事件を起こす前からあった。殺すことを決めていたのだ。
それを証明したのは、ほかならぬ広宣の前妻・B子さんであった。

B子さん

裁判で、弁護側は広宣裕子さんに対して殺意を持ったのは少年Eが石材をぶつけ始めてから後のことであり、計画的な殺人ではなかったと主張した。
たしかに、少年らも、交際相手であり裕子さんとの軋轢もあったA子さんも、広宣が裕子さんに「ヤキを入れる」と思っていた。
しかし広宣は、前妻・B子さんに、裕子さんを殺した後の遺体の処理方法について話をしていたのだ。
そしてB子さんは、捜査段階でこそその話をしなかったが、裁判が始まると「広宣から裕子さんをボコったあとでオイルをかける、という話を聞いていた」と述べた。
B子さんは、広宣が裕子さんを焼くつもりだと知っていた。実際にやるかどうかは別として、そうするかもしれないということを知っていた。

B子さんは裁判で、かなりの割合で広宣の不利になる供述をしている。しかしその一方で、広宣に対し、「娘はしっかり育てるから」「また一緒にやり直そう」などとも話している。
弁護側はこのB子さんの証言を信用できないとした。そりゃ、散々迷惑をかけられ、挙句、離婚が成立していたとはいえ妹の友達であるA子さんを妊娠させ、堕胎させたような男だから、いわば復讐心のようなものから虚偽の証言をしていると言いたかったんだろうが、裁判所はB子さんの証言が信用に足る、と判断した。

B子さんは確かに虐げられ、広宣に迷惑をかけられ振り回され、大変な思いをしてきた人だ。暴力も振るわれた。
しかし、違う見方をすれば、広宣を誰よりも理解し、何もかも飲み込んだうえで共に時間を過ごした人でもある。たとえ広宣に女ができようと、離婚、復縁を繰り返そうと、B子さんには大したことではなかった。
広宣は、どんな時も結局この前妻・B子さんの元へ戻っている。A子さんと同棲するために離婚したものの、すぐさま復縁し、周囲には戸籍ロンダリングのためと映っていても、心のどこかでB子さんの存在が広宣の拠り所だったのではないか。

そしておそらく、そんな広宣の弱さをB子さんはわかっていた。だからこそ、A子さんというイキがる鼻息荒いこわっぱが登場しても、鼻で笑えたのだろう。
ましてや、裕子さんなどどうでもよい存在でしかなかったろう。広宣と同じように、戸籍ロンダリングの道具でしかないと考えていたとしてもおかしくはない。

そして自分は、裁判でとうとうと善悪の分別のある人間を「演じた」のだ。そしてその上で、広宣に「待っている」と伝えた。怖ぇー。

それぞれの母親

事件後、毎日新聞において双方の母親が手記を寄せた。
当初、毎日新聞に連絡してきたのは広宣の母親だった。そして、その手記に対する反響に反応する形で、裕子さんの母親も手記を寄せた。

広宣の母親は、一貫して「私の育て方が間違った、愛情のかけ方を間違えた」と自身を責めた。そしてそれは読者から、「広宣のしたことは許せないけど、なんか泣けた」だの、「犯罪加害者は、人生の被害者でもある(なんでやねん)」「広宣も被害者」といった感想が寄せられていた。
このあたりは例の熊谷男女4人殺傷そそのかし女の母親に通じるところがある。あの母親も、自分が悪かったと言いながら、その文章からは自己憐憫、責任転嫁の臭いがプンプンしていた。
広宣の母親は、自分の好きなように生きてきたという。広宣を殺人鬼に変えたのは自分だと。
しかし続けてこうも言う。
自分自身が親に棄てられ、思いやりや愛という感情を知らずに育った。貧困の中、必死で子育てをし、育児書通りにやった、そうそう貧困の理由は夫の借金なんです、私は広宣のために離婚する気はなかったけど、広宣が言ったんです、「ママ、無理しなくていいよ、僕は大丈夫だよ」と、小学1年生の子が言ったんですよ、だから離婚したんです。
広宣はぜいたくを言わない子で、私は買ってあげようとして「欲しい?」と聞いたんですけど、「いらない」とあの子が言ったんですよく出来た子でしょう?反抗期もワガママもなかった。
悪いことはしましたけど、よく手紙もくれたし、そうそう、そもそも少年院に入ったのも友達を庇ったからなんですよ本当にあの子は優しい子で…
高校中退してから変わっていったんですけど、そもそも県立大原高校は第一志望じゃなかったんです、行きたい高校に行ける力はあったけど、父親(義父)の介護があったもんだからついて行けなくて…決して怠けていたんじゃないんですよ
事件直前にもお金を貸してくれと電話が来たんです、でもうちにそんな余裕はないから助けてあげられなかった、うちに来いというべきだったんですまぁ来たところで何にもしてやれなかったけど…

といった調子である。読む人によれば、広宣もかわいそうだな、とか、この母親も一生懸命だったんだなとなるんだろうが、そうはいかんぞ。
これを読まされた裕子さんの側はたまったものではない。というか、加害者である以上、こんな公開土下座みたいな手記は一番やっちゃいかんやつだ。なんのための手記なのか。反省文にすらなっていない。
ただひたすら、我が子を守ろうとする母親を演出している自己陶酔の文章でしかない、〆の言葉はまさにそれを表している、「私の犠牲になったと書いて」ってだったら代わりに無期懲役行くのかよ。

一方、裕子さんの母親の手記も、同じ親として考えると首をかしげる部分もいくつか見受けられる。
裕子さんが非行の道を全速力で疾走し始めたことについて、新潮45の記事などによれば部活が終わったことでの燃え尽き、みたいな風に書いてあるが、母親によれば実際にはもっと前から夜間徘徊などの問題行動はあったという。
裕子さんの両親は、「いつかわかってくれる」と信じて口やかましく言わなかったという。裕子さんは「他の家は話が分かってくれていいな。うちは嫌だ」と口癖のように言っていたとも。

なにかこう、ずっと前から家庭におけるなにかが始まっていたとしか思えないが、そこには言及されていない。というか、いまだにわかっていないのかもな、とも思う。
実際、口やかましく言わなかったという割には、手記の中で裕子さんに語ったことは結構口やかましいことが多いようにも思えた。

また夜の店のことも、母親は飲食店で働いていた、と書いている。しかし実際は風俗店まがいのキャバクラであった。いくら何でも知らなかったということはないだろう。事件後、裁判が始まってもなお、娘が働いていたのは飲食店であるとあえて言ってしまう、このあたりに裕子さんとのわだかまりの一端が見えるような気もしないでもない。

さらには遺族として裁判で少年たちに語り掛けてもいるが、それも少年らに何か伝わるはずだと信じてのことだという。これにも私は引っかかるものを感じずにいられない。段階としてそういう心境になる人も大勢いるが、いくらなんでも早ない?
感情をぶちまけ、極刑以外にないというのならわかる。しかし、まるで諭すかのように娘を殺害した少年らに語り掛けるのはどうも違和感を覚えてしまう。どうしてそこまで「理解」を示そうとするのか、と。
それは、裕子さんが加害者になっていたかもしれないという思いがあったようだが、
「責められるべきは、わずかこれだけの理由で生命の尊さを一顧だにせず被害者を惨殺した被告人その人である」
と断罪した裁判所の方がよほど人間らしいと思うのだ。
裕子さんが欲しかったのは、こういうことじゃなかったのか。

「困ったら身近な大人に相談して」
母親はそう手記をまとめている。裕子さんは相談できなかった。籍を抜くことを急いたことが事件の引金の一端ではあるが、両親らは相談してくれればよかった、と嘆く。そりゃそうだ、人を殺したわけでもあるまいに、なぜこの程度のことが相談できなかったのか。
家出を繰り返し、犯罪まがいの行為を繰り返していた裕子さんが、なぜ今になってたかだか偽装結婚していた事実を家族に知られまいとしたのか。
おそらく裕子さんはこの時期、家庭との修復を図ろうと試みていたように思える。だからこそ、こんな些細なこと(些細じゃないけど)も親には知られたくなかった。知られては困る、なにかこう怯えのようなものを感じてしまう。家庭との修復を図ろうとする裕子さんに、それでも「今は若さだけでいいけど、接客業は頭がよくないとできないよ」という返しは果たして適正だったのだろうか。
裕子さんにしてみれば、偽装結婚の事実をドンと受け止めてくれる親とは思えなかったのかもしれない。

裕子さんは何でも一人でやる子だったそうだ。
しかし、好きでそうしてきたのだろうか。そうしなければならない家庭だった可能性はないのか。
裕子さんは自分がしたいことや好きなことを、認めてほしかったのではないか。けれどそれが叶わなかったから、相談もせず一人で決めるしかなかったのではないか。

無期懲役

少年らは、当時高校生だったFを除いて懲役5年以上10年以下、遺体を焼く行為に加担していないFについては、懲役3年6月以上7年以下の不定期刑がそれぞれ言い渡され、確定した。
広宣はその後無期懲役が確定した。

裕子さんと仲違いしたままだったA子さんは、有名な話だが事件直後、広宣に連れられて燃える裕子さんを見に行っている。
それでも事件発覚直後の取材に対しては、別れを決めることもできずにいたという。
親友でもあった裕子さんの遺体、しかも火に焼かれている姿を見せられて、それでもそれをやった男を吹っ切れないとはもはや理解不能ではあるが、なにか「特別扱いされた自分」とでも思っていたのだろうか。
広宣からすればその行動が意味するのはただ一つ、「見たんだからお前も共犯な」それだけであるというのに。

A子さんは特別な存在どころか、裁判では前妻・B子さんの存在だけが取り上げられた。
A子さんはど底辺の青春を謳歌した大切な友達だったはずの裕子さんも、広宣との一方通行の愛の結晶も失った。広宣に関しては、最初から手に入れてなどいなかったのだが、おそらく気づいていまい。

「あなたには無理よ」

「子分を従え少女を撲殺した男の「イキり方」②~千葉・少女撲殺事件~」への2件のフィードバック

  1. Twitterで、少し前にコメントさせていただきましたものです(恵庭OL殺人事件)。
    この事件は、一般知名度はそれほどでもないかもしれませんが、それでもコンビニの棚に並ぶようなコミックの題材にはなってましたね…

    それらをよく読んだわけではないのですが

    > 母親が仕事と介護に奮闘する中、広宣は家事の手伝いを嫌がらずよくこなしたという。
    > そんな家庭の中でも、中学までの広宣は決して不良とか、落ちこぼれといったこともなかったようだ。

    このあたりの情報はほとんどなかったような…
    とにかく猛烈なDQN、いわゆる半グレや暴走族ですら仲間に入れたがらないようなDQN、みたいな内容だったかも。。。まあ商業出版の場合、紙数に制限あるしかけないこと多いわけですが。
    そのようなわけでいろいろと新情報をまのあたりにして考えさせられてしまいました。

    1. oko_kさま
      コメントありがとうございます。
      個人的にはこの事件、リアルタイムで見てましたのでよく知っているのですが、事件としてはそこまで知名度はないかもしれませんね。

      さて、広宣の人となりについてですが、ご指摘の部分は母親の証言をもとにしています。
      それと、団地の話の中でも書いてますが、広宣の字は結構きちんとしていて、根っからの育ちの悪いDQNという感じでは決してありませんでした。
      進学先が訳の分からない私立高校でないあたりも、中学までの広宣は、他の事件に出てくるようなとんでもない奴らとはちょっと違うように思います。

      コンビニのコミックの内容は面白おかしい部分を取り上げているでしょうし、真偽の程も確かではないと思います。

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