17歳の”漢気”~大牟田・男性殺害事件①~

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平成13年4月13日

福岡県大牟田市。
そのとある住宅で、一人黙々と身支度を整える少年の姿があった。
真新しい作業着に身を包み、足元は地下足袋。その腹には、さらし替わりの白いシーツが巻き付けられていた。
実家から持ち出したのは、叔父の形見の切り出しナイフ。

じっと見守る女に、少年はこう語りかけた。
「待っとかんや」
頷く女に微笑んで、少年は討つべき相手の元へ駆け出した。

事件概要と犯人逮捕

平成13年4月14日午前8時35分頃、大牟田市中白川町の住宅から、「長男が血を流して倒れている」と、その家に住む男性から110番通報が入った。
大牟田署員が駆け付けたところ、倒れていたのはその家の長男、川上丈志さん(仮名/当時26歳)で、すでに死亡していた。
丈志さんの体には、複数の刺し傷があり、警察では殺人事件と断定して捜査を始めた。
丈志さんは配管工として大牟田市内の会社に勤務していたが、県外出張が多く、この日も静岡県内の工事現場での仕事を終え、久しぶりに帰宅したところだった。
父親は丈志さんが帰宅した時間外出しており、息子が帰宅しているのは、玄関に靴があったことで知ったという。
父親は深夜に帰宅していたが、そのまま1階で就寝しており、朝になって丈志さんが起きてこないことで2階に上がり、惨状を目の当たりにしたというわけだった。

15日に司法解剖された丈志さんの死因は、複数個所を刃物で刺されたことによる失血死だった。

犯人逮捕は早かった。
警察では、かねてよりこの丈志さんにまつわるある「トラブル」を把握していたのだ。
丈志さんには、ある女性に対するストーカーや脅迫などで警察署に相談がもたらされていた。
丈志さんの体がメッタ刺しにされていたことなどから、警察では強い恨み、または怒りによるものと考え、そのトラブルの相手女性に事情を聞いた。
そしてその中で、その女性の交際相手の存在が浮かんできたのだ。

4月14日、警察は任意でその人物から事情を聞いたところ、その人物はあっさりと丈志さん殺害を認め、凶器の捨て場所も話したという。
供述の通り、熊本県山鹿市内の道路わきから凶器の切り出しナイフも発見されたことで、この人物を丈志さん殺害で緊急逮捕した。

ただ、この人物は、17歳の少年だった。

愛の渦

大牟田市内で生まれた少年は、県立高校を1年で退学したのちは、大牟田市内で水商売をしていた。
平成13年のバレンタインデーの日、客としてやってきた佳代子(当時25歳)と知り合う。
当時少年には交際相手がいたようだったが、商売柄、客の女性ともある程度の付き合いをする必要があったため、佳代子にも気軽に接していた。
その一週間後、再び来店した佳代子と意気投合した少年は、その翌日にSEXをし、佳代子と付き合うようになる。

ただ佳代子はこの時点で既婚者だった。どころか、幼い娘を持つ母親だった。

早い段階でその事実は少年に打ち明けられていたが、それを聞かされて怯むような男は水商売などできない。
出来ちゃった婚で平成7年に結婚した佳代子の夫婦仲はもうずいぶん前から冷え切っていた。平成11年には、佳代子は別の男性と不倫関係になっていて、その男性こそが、川上丈志さんだった。
ただ、丈志さんとの関係も1年ほどでうまくいかなくなっており、佳代子は丈志さんに関係の清算を迫った。

どんな関係でどんなやり取りがそこにあったのかわからないが、丈志さんは佳代子に対して激怒、そしてそれでは収まらず、佳代子にとんでもない「念書」を書かせた。
内容は、「一生、(丈志さんの)性の処理者としてどんな性行為も喜んで行う。この条件を破れば、その都度6万円を支払う」というもので、なんで6万?という疑問はあるが、要は佳代子を縛り付け、辱めることで言いなりにさせるという、もはや愛情など欠片も存在しない二人の関係がそこにあった。

おそらく、だが、暴力行為もあったのだろう、でなければいくらなんでもこんな条件を飲むはずがないし、佳代子が逆らえない何か弱みも握られていたのかもしれない。
平成12年8月以降、性的な虐待のみならず、脅迫めいた電話を何度も受けた佳代子は、当時住んでいた熊本県荒尾市の荒尾警察に丈志さんとのことを相談している。
さらに、仲が冷え切っていた夫にも泣きつき、夫が荒尾警察に相談に行ったこともあった。

少年と出会ったのは、そのようなゴタゴタのさなかのことだった。

丈志さんとの関係を断ち切れない一方で、佳代子は少年との交際も深めていく。
少年が丈志さんのことを聞いたのは、平成13年3月に入ってすぐの頃。少年は驚き、怒りがこみ上げると同時に、佳代子が自分に心を開いてくれていると思い親身に話を聞くようになっていく。
このころには、他の女性との関係は切っていたというから、佳代子への入れあげっぷりは相当なものだった。
佳代子の娘に対しても、少年は愛しいという思いを強めていたが、そんな時、丈志さんが佳代子につきまとい、挙句、
「娘を殺してやる、家にも火をつける」
と言われたという話を佳代子から聞く。それだけではない、いまだに佳代子は丈志さんに性的な関係を強要されており、少年の怒りは日に日に激しさを増していった。

佳代子は佳代子でかなり疲弊していたとみられ、時に「(丈志さんが)いなくなればいいのに」と口にすることもあった。
少年も少年で、佳代子への愛情もそうだが、やはり男としてこのような輩は許せないと思う性格だったのだろう、なんとか佳代子の悩みを解決してやらねばと、17歳なりに考えていた。
いっそ、痛めつけるか。そういう考えもないではなかった。が、手負いにしただけだと、後々さらにひどい報復を受けるのは佳代子とその娘だと思い、やるならきっちりカタをつけるしかないと思うようになっていく。
もうすでにVシネマの世界であるが、ここは大牟田、修羅の国と呼ばれる福岡県の中でも暴力団が地域に根差しているともいわれる地域だ。看板こそ背負っていなくても、中学生でもその斜め掛けのカバンの裏にそれぞれのステッカーくらいは貼っているのだ。

平成13年4月。
静岡に出張していた丈志さんが、12日に大牟田へ戻るという情報が佳代子から少年に伝えられる。
激しく動揺し、佳代子は寝込んでしまう。実はこのころ、佳代子は体調がすぐれないある「理由」があった。
少年は、もはや猶予はないと決断。
12日、佳代子は自宅を訪れていた少年に対し、
「死ぬかもしれん。おらんごとなるかもしれん」
「私さえあの人のところに戻れば誰も傷つかん、今までもそうやって我慢してきた」
と、大泣きした。
もう、時間がない。少年の腹は決まった。