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平成27年5月26日未明
愛知県豊田市太田町の民家に、男が駆け込んできた。
家主を起こした男は、「家が燃えている、自分は用事があるから119番通報を頼む」とだけ告げて、どこかへと去っていった。
慌てた家主が外に出ると、先ほど訪ねてきた男の家が確かに燃えていた。
その頃、男は岡崎市岩津町へと車を走らせていた。
岩津天満宮の駐車場に車を停めると、そこから300メートルほど離れた場所にある「はんこ屋」を訪ねていた。
「お前のせいで家族がめちゃくちゃだ、妻が病気になったのはお前のせいだ!殺してやる」
喚き散らして逆上する男に、はんこ屋の主人とその妻はただただなだめるのに必死であった。
男は通報で駆け付けた豊田署の警察官に逮捕された。
男の名は松井芳治(当時65歳)。芳治は、はんこ屋に怒鳴り込む前、妻とその母、そして長女の3人を殺害し、自宅に火を放っていた。
「家ごと火葬するつもりだった」
家に火を放つ前日の5月25日午前2時。
芳治は寝室の布団の中で目を開けた。眠ってなどいなかった。そして、隣で寝息を立てる妻の首を両手、タオルを使って絞め上げた。
妻は眠っていたからか、激しく抵抗もせずそのまま息絶えた。胸の鼓動で妻が完全に死んだことを確認した芳治は、隣室の長女の部屋へ向かった。
寝ていなかった長女は、突然部屋に入ってきた父親を訝しんで「なに?」と聞いたが、芳治はためらうことなく長女の首も、近くにあった電気コードで絞めた。
「ごめんなさい・・・働くから許して」
長女のか細い命乞いが、消えた。
階下の妻の母親の部屋へむかった芳治は、寝ていた義母を揺り起こした。
寝ぼけ眼の義母に向き合い、芳治はたった今、妻と娘を殺害したこと、どうしてこうなったのかということを説明した。
義母は、「ほうか。」といい、芳治が「一緒にいってやってくれ」と頼むと、「ほうか。わしはもうちょっと生きたかった」と呟いた。
義母を殺害した後、義母の遺体を仏間へと運んだ。妻と娘もそうしてやりたかったが、渾身の力で3人を殺害した芳治に、もうその体力は残っていなかった。
娘の遺体を妻の隣に並べた。
それから芳治は、ガソリンスタンドやホームセンターで灯油を調達。自宅に持ち帰って最期の準備を整えた。
翌5月26日未明。
妻と娘、そして義母が眠るこの家に、火をつけた。
それは芳治の中では、「火葬」であった。二度と戻ることのないこの家ごと、まるごと火葬するつもりだった、逮捕された芳治はそう述べた。
夫が知らなかった家族の姿
そもそもの発端は事件の2か月ほど前、実家の不幸ごとの際に香典を準備するよう妻・あや子さん(当時65歳)に言ったところ、「お金がない」と言われたことだった。
芳治は長年勤めた自動車工場を定年退職した後も、アルバイトとして警備の仕事をしていた。
さらに、先祖から受け継いだ財産などもあったため、このあや子さんの、「お金がない」という言葉に仰天する。ざっと考えただけでも5000万円は預貯金があったはずだった。
どういうことかと問い詰めたあや子さんの口から語られたのは、衝撃の事実だった。
松井家には長女・利江さん(当時37歳)と長男(当時40歳)がおり、二人とも家を出て立派に自立していた、はずだった。
芳治が知る限り、利江さんは愛知県内の信用金庫に15年ほど勤務しているはずで、そう信じていた。
しかし実際は、利江さんは働くことなく一人暮らしをしていた豊田市内のマンションで引きこもりのような生活をしていたというのだ。
さらに、あや子さんは娘の就職の斡旋を友人に頼んでいた。そして、その斡旋料名目で、15年間に総額で数千万円もの金を送金していたというのだ。
とってあった振込明細を芳治が確認すると、なんと8200万円にものぼった。
家にあったはずの預貯金は底をつき、香典すら用意できないほど、松井家は困窮していたことを芳治はこの時初めて知ったのだった。
おそらく、事の次第を知った芳治はまず利江さんをマンションから実家へと連れ帰ったようで、事件当時は利江さんは実家に住んでいた。
それの前か後かは定かではないが、利江さんは精神的に不安定な状態になったという。奇声を発したり、あや子さんに暴言を吐く、突如過呼吸の症状に見舞われるなど、とても一人にしておける状態ではなくなっていた。
利江さんは、信用金庫の就職がうまくいかなかったからか、この15年もの間食事もろくにできないような、一日中マンションで電気すらつけずに過ごすような生活を送っていた。芳治はその事実に愕然とした。
あや子さんは、夫に心配をかけまいとしたのか、その一切をこの15年間隠し続けていたのだった。
そして一方で、なんとか娘の自立をと駆けずり回っていた形跡があった。知人らに職の斡旋を頼み、そのために必要な経費などを支払うこともあった。
そのひとりが、家族を殺害後に芳治が怒鳴り込んだはんこ屋の女だった。
はんこ屋の女
「うちも金を貸していた。被害者なんですよ。生活費やら香典代まで用立てたこともあります。全部で数千万と聞いています。」
事件直後、ワイドショーのリポーターに険しい顔で話す男性。この男性は、はんこ屋の息子だった。
岡崎市内のそのはんこ屋は、主人が愛知県内の寺院の住職(堂主)を勤めている関係なのか、はんこを通じた開運、厄除けなども看板に掲げていた。
そのはんこ屋の妻・水野照代(当時67歳)と芳治の妻・あや子さんは30年来の友人であった。
照代は話好きの気の良い人、という印象で、夫の立場なども関係したのか顔も広かったという。
事件当日、早朝に押し掛けてきた芳治を、照代の夫がとりあえず中に入れたという。そこで、芳治から冒頭のようなことを言われ、夫は仰天した。どうやら夫も、妻とあや子さんの間に金銭の貸借があったことは知らなかったとみえた。
要領を得ない夫の代わりに応対した照代は、「お金は返さなくていいからゴタゴタに巻き込まないで」と芳治に言った。
芳治の尋常ではない様子からすでに通報されていたため、すぐに警察官がやってきて芳治は確保される。その際、包丁を2本持っていた。一つは照代を脅すため、もう一つは自身の自殺用だった。
しかし、「逮捕まで早すぎて」芳治は照代に対しても自分に対しても、何もできなかった。
照代は、あや子さんからことあるごとに借金を申し込まれていたと話した。それは生活費のみならず、車の買い替え費用、娘のマンションの家賃など、多岐にわたったという。
当初は返済があったものの、そのうち返済してはまた借りる、さらには返済されていないのに新たな借金の申し込みなどがあったと話した。事件当時はおよそ250万円が返済されていないままだ、とも。
実は事件が起こる二か月前、あや子さんから事実を知らされた芳治は、照代に対し直談判を行っていた。
しかしその際に、照代からあや子さんとの金のやり取りの経緯を伝えられ(詳細不明)、なぜかその時は照代の話を信じたのか、「すみませんでした。金は死んでも払います」と言ったという。
その後、長男にも相談してあや子さんにも再度確認し、これは騙されたのではないかと思って親族や警察にも相談したが、そう簡単に解決できる見込みはなかった。
芳治はなんどもあや子さんに事実関係を確認したという。しかし、あや子さん自身が負い目を感じていたためか、なかなか要領を得る話が引き出せなかった。
事実、あや子さんが経費が掛かることを承知で照代に職の斡旋を依頼しており、その過程で生じた経費については、支払うべきものと考えている部分もあったようだ。
まじめな性格の芳治にしても、照代の言い分をまともに受け止めてしまった節もあった。だからこそ、「お金は返します」などといったのだろう。
しかし長男らに相談するうちに、いよいよこれはおかしいということになった。5月21日には妻や長女とともに弁護士に正式な依頼もしていた。それとは別に、相談を受けた長男も、自ら警察に相談していた。
それからわずか数日後、芳治は家族を葬った。
疑問
結果からいうと、照代はあや子さんをだましていた。すべてが嘘だったとは言えないが、あや子さんにありもしないトラブルをでっちあげ、その解決金を「肩代わりした」と偽り、あたかもあや子さんの借金であるかのように見せかけたのだ。
照代はあや子さんに対し、「そのトラブルを解決するために、私は土地を売ってお金を工面したのよ。」などと圧力をかけた。
娘のことで頼んだのは自分。それがこんな迷惑をかけてしまっている。あや子さんが負い目に感じたのも無理はない。
照代はおそらく、そういったあや子さんのまじめで思いつめる性格を利用したのだ。
その後も事あるごとに理由をつけては、あや子さんから松井家の金を引き出し続けた。
しかし。普通、数百万ならいざ知らず、数千万円も延々と金を渡し続ける、しかも15年にもわたって、こんなことがあるのだろうか。
裁判では8000万円のうち、時効にかかっていない1000万円について有罪が確定しているが、そのすべてが照代に騙し取られたものだったのだろうか。
また、15年と言えば、利江さんが大学を卒業したころからである。30も過ぎた娘ならば親も何の仕事をしているのかわからないという人もいないとは言えないけれど、大学を出たばかりの娘がどんな所に勤め、どんな生活をしているのかを「全く知らない、確認もしない」でいる父親がいるのだろうか。たとえ妻に嘘をつかれていたとして、それを15年間も信じ込めるものだろうか。ましてや、同じ市内に住んでいるというのに、娘のマンションを訪ねたり、職場のことを話題にしたりしなかったのだろうか。
もちろん、芳治がだらしなく、子供のことなど全く興味のない人間であったならばそれもわかる。
しかし、芳治は近隣の人からみても「堅実でまじめ」、しっかりと会社を勤めあげ、家族と家を守ってきた人間である。このような事件を起こしても、残された長男は父を慕っている。
婿養子だという芳治は、ことのほか家、世間体を重んじた。裁判でも、
「世間に一家が没落するのを見せられない」
と話した。
現場となった松井家の周辺は、愛知の人でも「こんな所があるのか」という程、あまり知られた地域ではなかった。昔ながらの農家の佇まいの大きな家屋が点在し、松井家の隣近所も古いといっても平屋の立派な家屋が並ぶ。
芳治は、婿養子として松井家を守ることを何より大切に感じていた。町内会長を務め、近隣の人からの信頼も厚かった。
さらに言えば、婿養子として松井家の当主としての責務を芳治は「立派にその責任を果たしてきた」自負もあったろう。預貯金がざっと計算しても5000万はあると思っていたことからも、周囲に対しても胸が張れる、そう思っていた。
しかし、実際はそうではなかった。
家の財産がほとんどなくなっていることもさりながら、娘が15年もの間苦しんできたこと、妻がたった一人でお金の工面をし、悩みぬいてきたこと。芳治にとっては、お金よりも家族の苦しみに自分が気づけなかったことがきつかったろう。
気づけなかったのは、あや子さんが必死に抱え込んで隠してきたからなのだが、それでも芳治は誰よりも自分を責めたのではないか。
今までまじめに何不自由なく、平凡ながらも幸せな家庭を気づいてきたと思ったのが、ガラガラと崩れ去っていく。
芳治の心を壊すには、十分すぎる出来事だった。
それぞれの犯した過ち
松井家の15年は、振り返れば、事件の後で考えてみればそれぞれが間違いを犯していた。
あや子さんはその性格ゆえのこともあったろうが、たとえ今から15年前だとしても、口利きで就職できるほど世間は甘くない、それに全く気付かなかった。
昔ながらの、縁故採用、顔のきく人の口添えで事が運ぶ、そんなことがまかり通ると信じて疑わなかった。だから、15年にわたって8000万円もつぎ込んだ。
8000万円あれば、娘が就職できなくても家事手伝いとして家に置いておけばよかったのに、アルバイトでも何でもよかったのに、就職にこだわった。
娘の利江さんはどうだろうか。
本人も非常につらい15年間だったろうが、もしかしたらあや子さん以上に「甘い考え」があったのかもしれない。
利江さんは、父親に首を絞められたとき、「働くから許して」と言った。
この言葉は、自身が働かないことへの後ろめたさから出たものだ。殺される理由は、自分が無職だから。そう、死ぬ気になれば、働けたのだ。死ぬくらいなら働いたのだ。本気で精神を病んでいたとしたら、そのまま死を受け入れたのではないか。
15年の間、おそらく利江さんも最初は焦りもし、行動にも移していただろう。しかし、母親のあや子さんがどういったかは定かではないが、「お母さんが何とかするから」という会話があったかもしれない。
もしあったのならば、いつの日かそれに慣れ、お母さんが何とかするんだからいいじゃないかと心のどこかで思ったのかもしれない。
義母のキヨコさん(当時89歳)は気の毒である。89歳までしっかりと生きてきたのに、最期は信頼してきた娘婿(婿養子なので実子同然である)に殺害されるなんて、いくら事前に説明があったとはいえ、その心中を察すると痛ましい。
ただ、芳治の供述から推察するに、キヨコさんはどうやら家庭内の問題を察知していたと思われる。誰よりも、芳治の心の機微を察していたのではないか。
殺害される直前に、芳治から殺害の申し込みがあったときも、取り乱した様子はない。
ただひとこと「もう少し生きたかった」と言った。
芳治の過ちは、妻と娘、義母を殺害したことはもちろんだが、家族の命と世間体を天秤にかけたこと、これこそが痛恨の極みであった。
まじめに生きてきた人ほど、物事を極端にとらえ修復不可能であると思い込んでしまう。芳治もまたそうだった。
独立した長男がおり、兄弟や親せきもいた。あや子さんのように一人抱え込んだのではなく、親戚にも警察にも弁護士にも相談した。
それなのに、その家で暮らす家族を殺してしまった。
当初は、翌月に車検などの出費を控え、それを捻出できない不安もあったと、経済的な理由も話していたが、実際はキヨコさんの年金が30万円ほど入金される予定だった。
しかし芳治は、「義母の年金に手を付けることは絶対にできない」と言った。
家族で助け合っていく、家族の失敗をもう一度やり直す、その選択肢はなかった。自分自身が思い込んでいた、誇り高き松井家はもうない。ならば家ごとなくすしかなかったのだ。
最大の過ち
世間体と家族を天秤にかけたことが痛恨の極みではあるが、もうひとつ、最後の最後に芳治は間違えた。
なぜ、照代を先に殺さなかったのか。家族を殺すと決めたとしても、それにしても結果として照代は生きている。
照代はその後逮捕され、懲役4年が確定している。はんこ屋は店構えこそそのままだが、もう営業していないと聞く。
照代は裁判でも素直にあや子さんへの詐欺行為を認めようとはしなかった。
自分の欲のために一家殲滅という事態が起こったのにもかかわらず、「あや子さんとはいいお友達だったのに」とうつむいてみせた。
平成28年3月22日、名古屋地裁岡崎支部は、芳治に対して懲役27年を言い渡した。
求刑は無期懲役、減刑となったものの、芳治の年齢を考えれば限りなく無期懲役に近い判決である。
批判を承知で言う。男なら、そこまで世間体、意地にこだわるのであれば、何が何でも照代を生かしておいてはいけなかった。妻と娘と義母の死はなんだったのか。
妻を食い物にし、娘の15年を無駄にした女を生かしておいてはいけなかったのだ。
照代の夫は、芳治に背を向けていたのに何もされていないことから、「殺す気はなかったんじゃないか」と警察に話している。
遺族でもある長男が減刑を嘆願していることも含め、個人的にはもう少し刑が短くても、と思わないでもないが、出所したところで生きていかれないだろうとも思う。
せめて、先にあの世へ送った家族のために、残りの日々を過ごしてほしい。
松井家をむしゃぶりつくしたはんこ屋の女は、おそらく住職である夫のコネを利用しても極楽へはいけまい。
※参考文献については諸事情で非公開です
要求があれば速やかにお知らせします。
豊田の家族放火事件
犯人のやった事は決して許される事ではないと思うのだが
27年は犯人年齢からしたら辛いな
出所したら92歳ゆっくり余生過ごして欲しい
それにしても何故水野照代という女はたった4年で刑を終えるの
又同じような事やって別の人を苦しめると思う
こんな人間こそ無期懲役にして欲しい
浜田るり子 さま
コメントありがとうございます。
やったことは決して許されないです。妻も間違ったけれどそれでも何もかも失ったわけではないですよね。
娘さんは命乞いをして、おばあさんも「もう少し生きたかった」と仰って。
ご長男がおそらく身元引受けをなさると思うので、満期より早く出所する可能性もあると思うのですが、どうか心穏やかに暮らして欲しいですね。
はんこ屋の女は今どうしてるのか。
今でも自分は悪くないと思っているのでしょうか。