孫に手をかけた姑と許せという実母~茨城・孫二人殺人未遂事件②~

思い通りにならない嫁

下館市出身の真紀さんは、高校卒業後は地元で就職していた。特に目立つ人ではなかったようだが、悪い話もない、そんな人だった。
その真紀さんが見合いをしたのは、真紀さんの実母の判断があったという。
今でこそ、30歳を過ぎてからの結婚は珍しくもなんともないが、当時は25歳を過ぎれば行き遅れとみなされる時代だった。ましてや、30歳を過ぎても結婚しないというのは、結婚できない女とみなされても文句は言えなかった。

おとなしい真紀さんを案じてか、真紀さんの実母がまとめた一夫さんとの見合い話はとんとん拍子に進み、26歳の時に結婚する。
ひさよもようやくこれで肩の荷が下りたはずだったが、真紀さんに対して「気の利く子じゃねぇな」と感じていたという。
橘氏はこのひさよの発言は、暗に「気に入らないタイプの嫁」だと言っていると書いているが、その通りだろう。言い方を変えただけである。
ひさよは最初から真紀さんに思うところがあったようだ。

これを裏付ける話として、裁判でひさよは真紀さんに家業を手伝わさなかったことを、
「体力的に無理だと思った(から、あえて手伝えとは言わなかった)」
としているが、実際真紀さんは家業について何も教えてももらっていなかったし、手伝ってもらえるかどうかの打診すらなかった。
これはハナから、真紀さんを認めていないという表れではないのか。

一方で真紀さんも、おとなしいとは言ってもひさよにひれ伏すようなタイプでもなかったようだ。
家事を任されていたようだったが、基本的に老夫婦のために食事を用意することはなかったという。同じ家に住みながら、生活は完全に別。1階にある老夫婦の住まいはほこりにまみれ、食事は店屋物が多かった。
近隣の人らは、真紀さんの姿を見かけることは殆どないと話す。
実際に、真紀さんだけでなく、一夫さんについてもその人となりや、家庭や夫婦の話を聞いたという人は極端に少なかった。

ひさよの知人は、真紀さんについてこう話す。
「ひさよさんが入院したときも、一度もお見舞いに来なかったと言って(ひさよさんが)愚痴をこぼしていた」
先の店屋物を届けていた店の人も、週に2~3回は届けるのに一度も真紀さんが応対したことはなかったと話した。
それがたとえ家族全員分の7人前であったとしても、嫁である真紀さん、一夫さんが応対したことはなかったという。
いつもひさよが足を引きずりながら対応し、「無理行ってわりがったな」と話していた。

真紀さんも真紀さんで、ある時スーパーで友人と出くわした際にこう話している。
「旦那は体の具合が悪かったんだよね。そんな事全然教えてもらってなくて、騙されちゃったんだよねー。でも子供がいるから。子供は可愛いよ」
唐突にそう話しかけられたというその友人は驚いたという。
実際、一夫さんは体が弱ったようで、結婚後外出先で倒れ、リハビリなどが必要な状態になった。真紀さんは3人の子どもの子育てと同時に、夫の介護も担っていた。
そんな中で、どうしても子供たちをひさよに預けなければならないことが出来た。
そこでもまた、ひさよが「思い通りにできない」もどかしさを抱くことになる。

懐かない孫

ひさよは、近隣の人からすれば「面倒見のいい、よくやっているおばあさん」だった。
男の子の孫を3人も面倒を見ながら、傍目にはそう映っても無理はない。
しかし、真紀さんからすれば見える景色は違ってくる。
ひさよは自分の息子である一夫さんの時と同様、孫たちにはなんでも先回りしてやってしまうという癖が抜けていなかった。
そのため、孫たちは箸の使い方がうまくなかったという。
真紀さんは基本的に自分のことは自分でやらせようとしていたのだが、ひさよに預けるとそれが台無しになってしまうと感じていたようで、親しい人にはそのことを愚痴っていた。

子供たちも、そういった母親と祖母の板挟みで居心地の悪い思いを少なからずしていたようだ。
事件後、真紀さんの実家から幼稚園に通うようになった和史くんは、見違えるほどおしゃべりになったという。家の中の雰囲気が変わったことが、これほどまでに子供に影響を与えるのかと、和史くんの幼稚園では話題になった。
実際、それまでは7人家族とはいえ、祖父母との交流はほとんどなく、特に次男と三男はあまりひさよに懐いていなかった。
しかし、それはどうやらひさよに問題があったとみえる。ひさよは、裁判で真紀さんが憎かったわけではなく、「長男にもっと目をかけてほしかっただけだ」と話したのだ。

ひさよは、真紀さんが長男だけを差別していると思い込んでいた。
決して次男と三男が憎かったわけでも、真紀さんが憎かったわけでもなく、ただひたすら虐げられている長男のことを思うが故のことだったと、裁判で訴えたのだ。

「みんなして悪い」

裁判でのひさよの主張は到底理解できるものではなかった。
ひさよがそう思い込んだのは、次男と真紀さんがよく似ていることが理由だったという。
「嫁は次男ばっかりで……。なんでも違うんです。毎日、長男にはろくにご飯も食べさせず、礼司ばっかり。顔も似てるし、可愛かったんでしょう。」
この答えに対し、検察官が食事は別だったのでは、見ていないのになぜわかるのかと問うと、
「お皿の盛り具合、下げてきたものを見れば食べ具合が分かります!」
と返した。
ひさよはどうも、ものをどれだけ与えるか、特に食べ物を多く与えることが愛情の度合いと比例すると思い込んでいるようだった。
たしかに、田舎のじいちゃんばあちゃんはやたらとお菓子をくれたり、これも食べろあれも食べろと辟易するほどご馳走を出してくれたりするものだ。
それは確かに、ものが少なかった時代を生きた人の最大のもてなし、愛情というのはわかる、が、時代は違うし、ましてや母親である真紀さんが食べ物で子供たちに差をつけているなどまず考えられない話だ。
長男はサッカーなどもやっており、決して一人だけ不当に差別されているようなことは見当たらない。

さらに、ひさよには誰もが持ち合わせる「内省」という志向が欠落している、と橘氏はいう。正確には、ひさよの73年の人生で、そういったことが必要とされてこなかったのだ、と。

ひさよは先にも述べたように、嫁の立場を経験していない。ここでいう嫁というのは、真紀さんの立場の嫁である。ひさよは結婚当初から夫の両親とは別居で、しかも自分の実家の近くで結婚生活を送っているところから見ても、かなり自分の思い通りの生活を送ってきていることが分かる。
それが、自分を省みる、客観的に自分を見る、そういうようなことが全く不要な人生を歩んできたことになったのではないか。

裁判で検察官から、「事件の原因は、長男の一夫さんが嫁の言いなりであること、真紀さんが長男を差別していることの2点だというのですか?あなたには問題点はなかったのですか?」と質問され、「自分自身に原因はないです。」と言い切った。そして、こう付け加えたのだ。
「お互いに話もしなかった、必要なこときりね。私もそうだったし、一夫も嫁も。みんなして悪い」

……。ひさよは、自分「が」悪かったとは思っていないのだ。やったことは申し訳なかったと泣き崩れるが、そうなった原因は自分ではない、自分は長男が受けている差別を何とかしようと義憤に駆られてのことだったのだと、完全に正当化していた。
ひさよは、三男よりもむしろ次男に強い殺意を抱いていた。そのことを問われたときには、思わずこう言った。
「(次男がいなくなれば)そうすりゃ、長男を見てもらえると思ったんだねぇ」
ひさよは長男のためなら次男には死んでもらう方が良い、いなくなってもらいたい、そう思っていたわけだ。
足が悪く、いつもその足を引きずっていたというひさよ。二階には上がることが出来ないから、いつも1階でひっそり生活していたというひさよ。足が悪いせいで、いつも娘に付き添ってもらったりして、家の掃除もろくにできなかったという73歳のやせ細った老婆は、三男を殺すためにその階段を上ったのだ。その形相たるや、いかほどだったのだろうか。

平成17年5月11日。水戸地裁下妻支部で開かれた判決公判で、木下秀樹裁判長は求刑懲役12年に対し、懲役9年の判決を出した。
三男の和史くんはケガから回復、元気に生活しているというが、次男の礼司くんはこの時も退院の目途は立っておらず、重度の知的運動障害があった。そして、将来的にも重度の後遺症がのこるとされた。

もうひとりの姑

事件後、当然ながら真紀さんは実家へ戻った。一夫さんと離婚したのかどうかは定かではないが、あの家では暮らせまい。
事件現場となった家では、ひさよの夫がひとり暮らし、ひさよが出所すれば二人でまた暮らす予定だという。
この事件に対しては、近所で暮らす人々のこの事件についての捉え方も非常に興味深いものがあった。
この地域はいわゆる「班」と呼ばれる組織があり、それはいわば運命共同体とでもいうべきか、非常に重要な存在だった。
同じ班の人々、というのは悪く言いあうことは身内の恥になるため絶対にしないという。もしもその掟を破ってうわさ話などに興じた暁には、村八分が待っている。
事件を取材するマスコミに対し、顔を隠してインタビューに応じた若い主婦がいたが、
「どこの嫁かはすぐにわかる」
とのことだった。ひさよの夫が事件後に班内を謝罪して歩いたということも、美談のように語られただけでなく、班内ではひさよにたいする減刑嘆願を募る動きもあったという。
それほどまでに強固な制度は、その地域に暮らす年長者らの危機感が透けて見える。

昔のように、若い者が言いなりになる時代ではなくなったこと、自分たちの思い通りのやり方が通用しないことを、年長者らは痛いほど知っている。だからこそ、こういった制度で家を縛り、その家に来た嫁を縛り、取り込んでいくのだ。
茨城県は当時、同居率が9割近かったという。完全同居でなくとも、敷地内同居や二世帯にするなどして夫の両親と生活を共にするというのは、若い世代でも「避けては通れない」ことだったのかもしれない。

さらに、「本家」と「分家」の家制度を重視するのも特徴で、ひさよのように長男を溺愛し、特別扱いするのはこの地域においてはなんら不思議なことではなかった。厳しいカースト制度が存在しており、皆がそれに囚われていたのだ。

そしてそれは、嫁の実家にも及ぶ。

事件後、子供二人を殺されかけ、次男は重度の障害を負わされてしまった真紀さんに対し、本来一番の理解者となるはずの真紀さんの実母はこういった。

「姑さん(ひさよ)は病気だったということで、帰ってきても責めずに受け入れたい。娘にも言い聞かせているし、娘も納得している」

我が子を殺されかけた娘にこれを言ってのけたこの実母もまた、囚われの人である。

参考文献 事件ノンフィクション 孫を殺す「恐怖の祖母たち」橘由歩 著(2005年1月)

「孫に手をかけた姑と許せという実母~茨城・孫二人殺人未遂事件②~」への10件のフィードバック

  1. 東のほうの風土習慣はよくわからんしけっこうディープなものもあるが、嫁さんの実母さんのスタンスは評価してあげたい。次男君には申し訳ないが、少なくとも「嫌なら孫作ってさっさと帰ってこい」とか平気で言う現代の嫁実母よりは。

    1. おさむ さま

      コメントありがとうございます。
      ちょっと分からないのですが、我が子を殺害しようとした姑を許せ、という実母を評価する、ということですか?
      おさむさんは、自分の子供を殺されかけても、その相手を受け入れて一緒にその後暮らせるのですか?
      確かに現代の友達親子といったベッタリ母娘は私もいかがなもんかと思いますが、それとこれとは雲泥の差があるように思います。
      この実母の言い分に理解を示す方がいるというのが驚きでしたが、そういう見方もあるのですね。
      おさむさんのコメントは結構斜め上な感じで興味深いです。

  2. case1112
    ちょっと記事の読み間違いですかね?
    自分は祖母が孫の下二人を殺しかけたと読んだんですが。もちろん誰であろうと殺人(未遂)なんて許されることではありませんが、嫁実母さんはこの事件の原因には自分の娘の至らなさも少なからずあるとおっしゃりたいのではと判断しました。確かに最近はこんな発言は異常中の異常でしょうね。あえて言えば山形マットや大津いじめの加害者親が普通に近いんでしょう。

    まあとばっちりを受けた孫次男三男目線なら「何言うとんねん!」だとは思いますが。

    1. 祖母が孫を殺そうとしてます、合ってます。
      そして、嫁である孫の母親の母親が、「姑を許せ」と言ってます。
      嫁さんの至らなさは確かにあったかもしれませんね、ただ、その至らなさがなんぼのもんじゃというのが私の感覚です。
      さらに言うなら、この姑は「自分も悪かったけど家族みんな悪いから、こういう事件を起こさざるを得なかった」と、まるで他人事です。
      もっと言うと、嫁が憎くてではなく、長男だけが可愛いから起こした事件です。その辺は私の文章力のなさゆえ、読みといていただけなかったのだと思います、すみません。
      おさむさんはおそらく、ご自分や身内に対して非常に厳しいというか、他人を悪くいう前に自分を省みろ、という意識がお強いのでしょうね。それは誰もができることではないですから、尊敬します。
      でも、必要以上に自分に厳しくされないでくださいね。

  3. case1112殿
    自分は
    身内>外部>自分に順で厳しいですw
    あと決して姑は擁護してませんので。あの時代にはよくいるタイプの極端な形だったというだけで、あのタイプが激減したこと自体はいいことだと思いますよ。

    ということでこれからも斬新な事件のチョイスを楽しみにしています。

    1. ありがとうございます。
      おさむさんの忌憚なきご意見も、どんどんお願い致します。
      時には反論もすると思いますが、色んな視点は大切ですし、それによって気付かされることもありますからね。
      よろしくお願いします。

  4. 同居はろくでもないという感想です。
    私は絶対同居なんて出来ないですね。
    うちの従兄弟が生活力が無くて嫁と子供3人とで実家に転がり込んで住んでますが、私が嫁さんの立場なら、必死で働いてもアパート借りて家族だけで住みます。
    あと、夫の兄もマスオさんしてるのですが、理解出来ないです。

    この姑も、孫の中で可愛い子と可愛くない子が分かれてるんでしょうか?
    もし万が一長男が蔑ろにされていたとしても、自分がこっそり可愛がるとかその程度ですよね、普通。可愛がられてる孫を殺せばいいって発想がわからない。

    そして嫁の実母は何言ってるんでしょう。
    例えば自分の娘が至らなくて姑にひっ叩かれたとかなら、叩くのはひどいけどあんたも反省すべきよ、くらいは分かるんですが子供を殺されかけて重度の障害が残った娘に、姑を許してやれは無いですよね。
    もし、うちの母にそう言われたら絶縁しますね。私は。

    1. ちい さま
      いつもありがとうございます。
      私は前の結婚で同居を経験しましたが、想像のはるか上をいきました…
      洗濯物を全て干し変えられる、私の私物を捨てられる、贈り物を壊される、食事を用意すればケチをつけられ、しなければ文句を言われ、数ヶ月も持ちませんでした。
      上手くいっているところも多いと思いますが、それはお互いの我慢や思いやりでなんとかなっているわけで、片方がそれを放棄したらアウトですよね
      この事件の家族は、お互いがそれを放棄していたように思います。
      祖母は長男教の人であったのは間違いなく、1番上の孫を、それこそ自分の子(長男)に重ねていたと思われます。
      この家庭に男の子がいなければ起きなかったでしょうね。

      それにしてもこの実母さんの考え方も理解に苦しみます。
      別の方がコメントされたように、自分の非をまず考える、という出来た人とも思えますが、事が事ですから。殺人未遂ではありますが、ほとんど殺人です。
      それを、病気がさせたことだから許せというのはいくらなんでも…
      事件後、おそらく実母も色々と言われたのではないかと想像します。
      今、みんなどうしてるんでしょうね…

  5. 同居経験があるんですね。
    その状況はひどい、ノイローゼになりそうです。数ヶ月よく耐えましたね。
    逃げ出せてよかったです!!
    私は特に人とずっと居るのが嫌なタイプなので、3日で逃げそうです(笑)
    しかもそんな姑は。

    自分をまず反省するというなら、自分が殺されかけたならまだわかります。
    我が子にされたら許せないのが当たり前ですよね。
    本当に今どうしてるんでしょうね。

    1. そうですよね、自分に向けられたものならばまだ分かります。けれど、無関係の子供に向けたとなれば話は大きく違うと思います。

      この姑は、元々ふくよかな人だったそうですが、事件があった頃はガリガリで髪もざんばらで、かなり怖い風貌だったそうですよ。
      怪我を負わされた子供たちはさぞ怖かったでしょうね…

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