暴走反応〜松山市・同居女性傷害致死事件〜

松山地裁第41号法廷にて。
令和422日から始まったその裁判は、交際していた女性を同居していた男が死なせたという事件についてだった。

奇しくもその裁判が始まった日は、2年前に事件が起きた日と同じ日。すでに保釈されていた被告の男は、スーツを着て髪も短く刈り、神妙な面持ちでメモをとりながら裁判に臨んでいた。

二人の間に何があったのか。なぜ男は愛する人を死なせてしまったのか。

当初の報道では、痴話喧嘩の末に体力で勝る男が女性を死なせたという印象だったが、弁護側は無罪を主張。
被害者には心臓に不安な点があったというのが根拠となっていたが、裁判が進むにつれて明らかになったことがもう一つあった。

自分でどうにかしたかった男と、男が全てを受け入れたがために制御不能となった女の事件。

事件

遡ること2年前。松山市千舟町のマンションから119番通報が入った。
通報者は男で、同居している女性の意識がないとのことだったため、受信者が口頭で蘇生の方法を教えた。が、女性は助からなかった。

その後、現場の状況から当時部屋にいた交際相手の男が女性に対する暴行容疑で逮捕され、後に傷害致死で起訴された。

逮捕起訴されたのは松山市の飲食店経営・平豊輔(たいら・ゆうすけ)被告(38歳)。亡くなったのは平被告と交際し、同居していた飲食店勤務の曾我道子さん(当時33歳)。二人は平被告のおじがオーナーの飲食店で仕事上の関係として知り合っていたが、後に交際に発展していた。

平被告の供述と現場の状況によると、道子さんが死亡した経緯は令和222日深夜、仕事から帰宅した道子さんと口論になったため、平被告がベッドにうつ伏せに押し倒した上、上半身に布団や毛布を被せて手足を抑え込み、そのまま故意ではないものの窒息死に至らしめたというものだった。
当時平被告は体重が100キロ近くあったといい、その巨体でのし掛かられただけでも窒息に至る可能性は十分に考えられたこと、さらには布団などを被せられたことでさらに呼吸が困難となり、手足を押さえつけられていたがために布団を跳ね除けたりすることもできなかったことなどから、道子さんが窒息死したことと平被告の行為には因果関係があるとして傷害致死での起訴だった。

ところが、初公判において弁護側は道子さんの死が平被告の行為によるものだとは断定できないとして無罪を主張した。
さらに、平被告がそのような行動にでた背景には、正当防衛が成立する経緯があったとも主張した。

この裁判には被害者参加制度を利用して、道子さんの実母の姿もあった。パーテーションで仕切られたその向こうからは、一人娘を理不尽に奪われ悲しみの中にいる母が厳しい視線を平被告に向けていた。

あの日、何があったのか。そして二人はなぜこんな結末を迎えなければならなかったのか。

平被告のそれまで

平被告は10年ほど前に別の福岡県出身の女性と結婚しており、道子さんと知り合った頃には妻子がいる状態だったという。しかし、長男に重度の障害があり、24時間体制の介護が必要だったことから、妻や家族と協議の上、長男が誕生してすぐに平被告は生活費を稼ぐために松山で仕事を続け、妻と息子は介護の助けを得るために福岡の実家へ戻っているという生活だった。
双方納得の上での別居だったようで、妻の実家が全面的に介護に協力してくれたという。平被告は月に1週間から10日ほど福岡へ行って家族の時間を過ごすという生活を送っていた。

平被告はおじがオーナーを務める飲食店、ぶっちゃけていうとクラブというかラウンジというかそういう店を3店舗ほど任されていた。収入がどれほどあったかは不明だが、福岡の妻子には平均して月額20万円以上の仕送りを欠かさなかったという。
加えて松山での自分の生活もあることを考えれば、そこそこ経済的には余裕があったと思われた。

そんな生活が続く中、平成28年頃に平被告が任されていた店に道子さんがママとして勤務することになった。
お酒が好きで仕事もできる道子さんを、平被告も信頼していた。そしていつからか、二人の関係は不倫関係になっていく。
妻との関係がどうだったのかは詳細に語られることはなかったが、話を総合すると家族を含めて結構うまく行っていたような印象だった。
後に証人として出てきた平被告の母親は、今でもその息子の嫁を名前で呼び、嫁姑の関係も良かったと話していた。
道子さんとの不倫がこの母親の知るところとなってからも、福岡の平被告の妻と連絡を取り合っていたし、その中で妻は夫の現状を把握したうえで、「離婚はしたくない」と訴えていたという。

が、結局妻は折れ、平成31年に正式に平被告は離婚した。

この離婚に至る背景には、道子さんからの強めの要求もあったという。平被告も離婚して道子さんと結婚する意思が当初はあったというが、離婚が成立して以降も二人が結婚することはなかった。

平被告にはどうしても結婚に踏み切れないある理由があったのだ。

それは、道子さんの酒グセの悪さだった。

豹変するひと

最初のトラブルは同居を開始した直後に起きた。
二人して松山市内のカラオケに行った時のことだった。理由はもう今となっては定かではないが、平被告はそこで道子さんに殴られた。しかも、ビールのジョッキで頭を殴られていた。
平被告はおでこあたりにたんこぶができたというが、道子さんが酔っていたこともあり特に病院や警察に行くという行動は取っていない。

その後も、道子さんは酔うたびに豹変した。

平成2969日、店から道子さんを家に送る途中のこと。突如キレ始めた道子さんが、走行中の車内から平被告の私物を投げ捨て始めた。さらに、平被告が握るハンドルを奪うように車内で暴れ始め、危険を感じた平被告が車を止めて道子さんを鎮めようと揉み合っているのを通行人が見咎め110番通報されてしまう。
平被告もその際、店のマネージャーを呼び出し、警察に対して道子さんが酒によって暴れたことなどを説明した。マネージャーは道子さんのそういった様子を知っていたといい、マネージャーからも警察に対し、「彼女は酒の飲み方が良くない」といった説明があったという。

その件があった直後の611日、店がはけた後平被告と道子さんは行きつけの店で飲んでいた。職業柄、男女問わず知り合いが多い平被告に対し、偶然店にいた友人女性が声をかけてきたという。
その女性は道子さんも知っている女性だったようだが、少々平被告への態度が馴れ馴れしかった。肩に手を回し、アレコレと話をするその女性が立ち去ろうとした時、ガラスのコップが宙を飛んだ。

投げたのは道子さんだった。

表情は一変しており、そのまま店を駆け出した道子さんを追った平被告は、店を出たところで傘でしこたま殴られた。
そしてその後平被告に送られたLINEには、
「私、○○(その知人女性の名前)殺すね」
と書かれていた。

平成301022日、送迎中にまた暴れ始めた道子さんは、走行中の車から飛び降りようとした。危険な行為にもう手がつけられないと感じた平被告は、実母に電話で助けを求めた。以前からちょこちょここの道子さんの酒グセの悪さを耳にしていた実母は、関わり合いになりたくない気持ちもあって適当にあしらったというが、平被告はすでに車で実母のマンション近くに来ていた。
すると、深夜だというのにけたたましいクラクションが響き渡り、何事かと近所の人らも顔を覗かせる事態となった。そして隣人らにより110番通報もなされていた。

12月、酔って帰宅した道子さんに、平被告は離婚する話はどうなっているのかと問い詰められた。まだ合意に至ってないことを説明すると、道子さんは暴れ始めた。この頃になると平被告はまともに相手をせず自分が部屋を出るなどして事態の収拾をはかっていたという。
この時も部屋を出ようと道子さんを押しのけたところ、「暴力をふるわれた!」と騒ぎだし、道子さん自ら110番通報した。
ただこの時臨場した警察官に対し、平被告は道子さんの暴力行為について初めて話していた。そして、暴れる道子さんの様子を動画にも収めていた。後々、酔いが覚めた時に道子さんに見せて反省してもらうつもりだった。
警察官らは話を聞いてくれたといい、ここで初めてDVについての説明も受けた。DV被害者へのアンケートにも記入した平被告だったが、例の暴れる道子さんの様子を収めた動画は「置いておくのが嫌」ですぐに消去した。

平成31418日。この日の道子さんはいつにも増して危険だった。刃物を取り出し、物を手当たり次第に投げつけた。あまりにも暴れ方がひどかったことから、平被告はリビングの床に押し倒して道子さんを制しようとしていた。
この時も警察がきたが、道子さんは警察が来るとおとなしくなったという。

ベッドに押さえつけたのは、一度や二度ではなかった。フローリングの床に押し倒すと、自分も道子さんも怪我をするため、暴れて手がつけられなくなると平被告は道子さんを引きずってでもベッドや布団の上に連れて行っていた。
事件が起きる3ヶ月前、道子さんはとうとうマンション室内に放火するという信じられない行動に出た。
桐タンスの上部にあった段ボールに引っ掛けたハンガーに干されていたタオルに、道子さんが火をつけたのだ。
幸い、タオルが燃え上がった程度で他への延焼はなかったが、室内の火災報知器が作動した。

これ以外にも、道子さんはマンションのベランダから身を乗り出したりもしたという。シラフならまだしも、泥酔している状況で身を乗り出すため、平被告はその度に肝を冷やしながら道子さんを抱きすくめ落ち着くのを待つしかなかった。もう、こんなことで警察を呼ぶのも疲れ果てていた。

そして事件の夜を迎えた。

元彼のけんちゃん

事件が起きる前日の夕方、道子さんはいつものように着物の着付けや髪のセットをするため17時頃に家を出た。帰宅したのは22日の午前5時頃だった。
すでにベッドに入っていた平被告は、「ただいま、お腹すいた!」という道子さんの声を聞いて、結構酔っているなと感じていた。
お腹が空いたという道子さんのために、平被告はカレーうどんを作った。すでにパジャマ姿だった道子さんはカレーうどんを食べ、その後「スルメが食べたい」と言い出したので、スルメとマヨネーズにしょうゆ、一味を加えたものを平被告が拵えた。

二人は普段一緒には寝ていなかったようで、平被告はベッド、道子さんはリビングのテレビの前に敷いた布団で寝ていたという。
平被告はまたベッドに戻り、スマホのゲームに興じていた。道子さんもスルメを食べながら、リビングで休んでいたという。

「ねぇねぇ、これ見て」

不意にリビングから道子さんが声をかけた。スマホのゲームをしていたこともあって、平被告は「見れん。こっちきて」と返答した。
道子さんは寝室にやってきて、平被告に自分のスマホを差し出した。そこには、前日に出勤した際の和服姿の道子さんが映っていた。
鮮やかなブルーの着物を着て微笑む道子さん。ふと、その写真の下に並ぶカメラロールの中に、平被告は見知った顔があるのを見つけた。そこにあったのは、道子さんの元彼の写真だった。

ここで平被告は絶対にしてはいけない行動に出てしまう。道子さんに説明を求めたのだ。気持ちはわかるが、酔っている人間にそんなまともなことをぶつけても無駄どころか、一触即発になってしまうのは目に見えていたはずだった。

それでも平被告は聞かずにはいられなかった。写真の日付は、二人が同居を始めたよりも、後だったからだ。

さらに言えば、道子さんへのそれまでの苛立ちがあった。あれほどまでに平被告に離婚を迫っておきながら、自分はなんなのだ。そういう思いがこの時平被告の胸にはあったという。
確かに、不倫をしている側が妻に、しかも介護が必要な子供を抱えた妻に対して離婚を迫るとか頭がどうかしているわけだが、とにかく平被告にはこの時道子さんに対して苛立ちや不満が込み上げていたのは本人が証言しているので事実である。

平被告の態度に、道子さんはガラリと表情を変えた。
「ケータイ(スマホ)返せ!」
そう言い始めた道子さんはすでにヤバい状態になりつつあったのは平被告も分かっていたが、この日は引くことができなかった。
道子さんは寝室を出るとリビングで別のスマホを操作していたという。(ちなみにこのスマホは、何度もスマホを壊されてしまうために平被告が予備で契約していたスマホだった。)

「なにしよるん?」

その問いかけに道子さんは、「今から警察に電話するけん」と言った。すでに電話は発信されていたといい、スピーカーからは受信者の声もしていた。
「もう、周り巻き込むのやめようや」
そうなだめる平被告の言葉を聞いてか、道子さんは「間違えました」といって電話を切った。

電話を切った道子さんは冷静さを取り戻したかに思えたため、平被告はいったんその場を離れてタバコを吸っていた。
すると、不意に背後からドドドっという音が迫ってきたかと思うと、道子さんが走ってきて台所の包丁を取ろうとしたという。
柄が抜かれたかどうかまではわからなかったというが、平被告は「落ち着いて!ケガするけん!危ない!」と言い続け、なんとか道子さんに刃物を持たせないようにしていた。

しかし、その後包丁を手にした道子さんはそのまま平被告の左胸下部に押し当ててきた。
「ケータイ返せ。ぶっ殺すぞ」
この時平被告は、「刺された」と感じるほどにグイっと押し付けられたと証言した。

怯んだ平被告からスマホを取り戻した道子さんは、刃物も手放し一旦は落ち着いたかに見えたという。しかし、ぶつぶつと何か独り言を言いながら、部屋の中をうろついていた。
これまで何度か包丁を持ち出したことはあったものの突き付けられたことはなかったという平被告は、頭が真っ白になっていた。
不穏な空気が部屋の中を支配していた。

終わりへ

包丁こそ手にしていなかったが、道子さんの様子は普通ではなかった。いつそれが爆発するのか、それすらも分からないまま平被告は次に何が起こるのかを疲労困憊の中見守っていた。

ふと、道子さんがリビングのテーブルを見た。平被告は咄嗟に道子さんを制する。リビングのテーブルの上には、ハサミやボールペンなどがあったという。
「今までも興奮するとハサミやペンを振りかざすことがあって
抑えつけられたことでさらに興奮した道子さんは大声でわめきながら暴れまわった。道子さんは身長157センチ、体重は48キロで小柄な女性だったが、体重100キロの平被告が抑えきれずに二人ともが床に倒れ込むほどの、もはや狂気がそこにはあった。
平被告は髪の毛をつかまれ、右手の人差し指を嚙まれた。たまらず平被告は背後に回ってヘッドロックのような体勢をとるとそのままベッドルームに引きずり込み、ベッドにうつ伏せに押し倒したという。

「ぶっ殺すぞ!」

道子さんは大声でわめき、なおも平被告をひっかくなどの抵抗を続けたため、手近にあった布団をかぶせてそれを防いだ。

「勘弁してや!落ち着いてや!」

平被告が必死でなだめ続けていると、道子さんは次第に落ち着いてきたという。10分ほど経って、抵抗が弱まったことから平被告は手を緩め、タバコを吸うためにその場を離れた。
道子さんは暴れることはなかった。
タバコを吸いながら、口の中が切れていること、両手には擦過傷や噛まれた際の傷があることに気づいた。腹部も痛んでいた。

「なんでこんなケンカせないかんの

平被告はそう言いながらベッドルームの道子さんの元へ行ったところ、道子さんは上半身を起こして顔を平被告へ向けた。
そして、何事か話すうちにまた二人は口論となってしまう。そして、道子さんは「殺してやる」と言ったかと思うと、近くの窓に手を伸ばした。

平被告は道子さんを再び抑えつけ、今度は布団のほかに毛布も掛けて抑えつけたという。落ち着いて、もうやめて。
暴れる道子さんを抑え込むこと10分。

いびきのような、喉が鳴るような「ぐるるるる」という音が聞こえ、それまで力が入っていた道子さんの足からふっと力が抜けた。

平被告は、やり過ぎた。

冠攣縮性狭心症

公判2日目。
初公判で弁護側は傷害致死が成立するには合理的な疑いをさしはさむ余地があるとして無罪主張していた。

その合理的な疑いというのは、道子さんの通院歴だった。

道子さんは以前より胸の痛みを気にしていたという。特にそれは早朝に起きているといい、時には胸の痛みで目が覚めてしまうこともあったという。
平成30525日、道子さんは平被告に送ってもらって市内の循環器内科を受診。その際、痛みは4か月ほど前から起きていて、寝起き以外でも歩行時の痛みや圧迫感などを主訴としていたという。
諸検査では特に異常はなく、診察した医師は24時間心電図ホルターとニトロを処方した。
翌日も診察に訪れた道子さんには、24時間心電図ホルダーにてSTの低下が認められた。これは狭心症や虚血の疑いがあるといい、主訴などを含め診察した医師は無症候の心筋虚血、冠攣縮性狭心症を疑い、念のためより精密な検査が可能な県立中央病院へ紹介状を書いた。

証人にはこのかかりつけ医とその後を引き継いだ県立中央病院の医師が立った。

弁護側は、道子さんが死亡したのはこの胸の痛みの原因である心臓の疾患が関係したのでは、と主張していたのだ。

最初に検察側証人として呼ばれたのは県立中央病院の医師だった。
主任部長を務める医師は、実は道子さんがのちに窒息して運び込まれた際にも居合わせていた。
医師は問診、レントゲン、エコー、トレッドミルでの検査を行ったが、特に異常が認められなかったことから診断的治療としてニトロを処方した。

これは、もし今後痛みが起きたときにニトロで治まるかどうかを見るためで、それによって診断がより確実となる、そういった目的があった。
しかし医師は、そもそも問診の時点で道子さんが胸の痛みが30分ほど持続する、と訴えたことで狭心症の症状ではないと判断していた。むしろそこまでの長時間の痛みとなれば心筋梗塞であるとした。

道子さんはその後も4回、かかりつけの循環器内科を受診している。しかしその際、ニトロを使用した形跡はなく、もともと処方していたニトロの消費期限が近かったことから、医師は再度ニトロを処方した。
総合病院の医師は、診断結果をかかりつけ医に送付した。
かかりつけ医からの紹介状にある通り、道子さんが早朝の胸痛を訴えていたことが認められるものの、現時点では心臓カテーテルなどの精密検査までは必要ではない、と言ったものだった。

弁護側はこの、総合病院の医師の診断が甘かったのではないか、として次々に文献などを持ち出して医師に質問した。
これは後に行われた解剖医・浅野水辺(みぎわ)医師への質問でもくりかえされることになるが、とにかく冠攣縮性狭心症が死亡の直接の原因となった可能性について言葉を選ばず言えば「執拗」ともとれるものだった。正直、聞いていて辟易してしまった。

というのも、冠攣縮性狭心症というのは一つの症状であり、これによって死亡したという証明自体が不可能なのだ。
詳しくは検索していただきたいが、冠攣縮性狭心症の人が死に至ったとしても直接の死因はその後引き起こされる「心筋梗塞」などとなる、ということだ。
これがどうにも嚙み合わなかった。あくまで冠攣縮性狭心症による死亡、を主張する弁護側に対し、確かにSTの低下などの所見はあったものの、痛みが長時間にわたることや動脈硬化などもないという状態で冠攣縮性狭心症を起こしていた可能性は低く、たとえそうであったとしてもそれが死に関係しているとは言い難い、と総合病院の医師は一貫して主張。
弁護側は教科書的な本を取り上げて、循環器内科専門医、指導医の資格を持つ医師歴26年の県立中央病院主任部長を責め立てた。途中から明らかにうんざりしていた医師の言葉が強まる場面もあった。

さらに、そのうんざりが頂点に達したのが、総合病院の医師がかかりつけ医に返信した書簡の内容について問われた際だった。
「先生の御高診のように、早朝の胸痛という訴えが認められました」
この一文を、弁護側は「先生も認めてるじゃないですか」としたのだ。
これはいわゆる医師の世界での儀礼的な文言でしかないわけだが、丁寧に対応したことがあたかも「わかっていたのではないか」というあらぬ疑いを掛けられてしまってさすがに気の毒だった。

このあと、冠攣縮性狭心症の疑いをもったかかりつけ医も証言台に立ったが、よくよく聞いてみれば「可能性はゼロではない」と言っているだけで、冠攣縮狭心症の症状としても早朝の胸痛以外は「非典型」であるとしていた。
病死の可能性を「ゼロではない」というかかりつけ医と、「その可能性は低い」とする総合病院の医師。言い方の違いで、結局は同じことを言っていたわけだが、正直これに丸1日費やす必要があったのかと疑問だった。

風邪をこじらせてのちに肺炎になって死亡した人、生活習慣病から肥満となり動脈硬化になり心筋梗塞を起こして死んだ人がいたとして、その死因は肺炎であり心筋梗塞であって、死因が風邪や肥満になることがないのと同じ(ここで言われる冠攣縮性狭心症はたとえそうであっても風邪や肥満と同じ扱いで直接の死因となり得ない)ではないのかと思いながら聞いていたが、これについては翌日の解剖医の証人尋問にも引き継がれた。

法医学教室の事件ファイルと「困ったときの窒息死頼み」

翌日の証人は、もう一目でわかった。愛媛大学の浅野水辺教授だった。
法医学を専門とし、経歴や解剖の件数を取ってみても申し分のない信頼性の高い法医学の教授である。現在でも年間に100件の解剖に携わっているという。

浅野先生によれば、死因は急性窒息死。
ただ、今回は絞殺と違って窒息死したと一目してわかるような状態ではなかったという。そこで、一通りの解剖を行い、病死の可能性やその他の外傷などの有無を確認したうえで、現場の状況を考えたという。
通常解剖や科学捜査などでは目の前の証拠だけを見る、というのが普通なのかと思っていた。生きてる人は嘘をつく、というやつで、ご遺体は嘘をつかない、だから遺体からわかることだけで判断し、それ以外は警察の仕事だ、というやつである。
浅野先生の場合はそこが違っていた。浅野先生は解剖でわかること以外に、現場の状況やその他もろもろの情報を仕入れたうえで判断する、とのことだった。

解剖するにあたり、どういった状況で死亡していたのか、搬送時の道子さんの様子などを聞き取り、遺体の所見と合致するかを確認するという。

そのうえで、今回道子さんが急性窒息死であるとした根拠は
①現場のマットレスが柔らかいもので、うつ伏せだと鼻と口がふさがれる可能性がある
②布団をかぶせると酸素欠乏になりうる
③平被告の体重が道子さんの約2倍あったことで、肺の動きが阻害されいわゆる人なだれの状態が考えられる
④手を抑えつけたことで呼吸が苦しくても布団をはねのけるなどの行為が難しかった
⑤次第におとなしくなったのは、呼吸ができないことで心機能が低下したことに合致する
⑥唇が真っ青だったのはまさにチアノーゼの症状
⑦唇周辺の皮膚に変色があったのは鈍体による圧迫が考えられる
⑧布団をかぶせられて暴れればそれだけ窒息に至る時間も短くなる
ということをあげた。

病死の可能性は、と検察官に問われると、可能性は限りなく低く、かつ状況を考えれば窒息とするのが合理的、とした。

また、弁護側が主張する冠攣縮性狭心症については、そもそも死ぬような病気ではないこと、心筋梗塞を起こしていたならば解剖でわかるがそんな痕跡はなく、過去に心筋梗塞を起こした痕跡すらなかったと証言した。
ちなみに、心筋梗塞を起こすと心筋が壊死し、壊死した部分はその後繊維状になるのだという。道子さんにはそのような痕跡もなかった。
血管内にはプラークもなく、それ以外にも動脈部分が細くなったりということもなく、3本ある冠動脈にはいずれも血栓は存在しなかった。

浅野先生は自身の解剖結果について、その後分かった事実などを考えてみてもその判断は一切変わらない、むしろ自分の解剖結果に間違いがないことを確信していると断言した。

対して弁護人は、前日同様、教科書的な医学書を持ち出して浅野先生に質問する。
中等度、という表現についてや、その教科書的医学書に書いている通りの解剖をやってないことを執拗に問い質していくのだが、やはりちぐはぐな印象は否めなかった。
前日の医師らと同様、冠攣縮性狭心症というのは一種の症状であり、痙攣したかどうかは解剖ではわからない、だってもう痙攣治まってるのだから、と何度説明しても弁護側には伝わらないのか、あえてそう振舞っているのか、とにかく聞いているのがしんどかった。

そして、名言が飛び出す。

浅野先生は、先にも述べたが解剖してわかること以外に現場の状況なども総合的に判断して死因を書く、と話していた。
それについて、弁護側は「なぜ窒息としたのか」と問うた。
たしかに病死の可能性はゼロではないかもしれないが、現場の状況が窒息死し得る可能性が非常に高い状況である以上、わざわざ可能性の低い病死を持ってくることは合理的ではない、と証言。
ここで弁護側は、
「病気の痕跡がなくて運ばれた遺体に事件性が背景としてある場合、それだと困ったときの窒息死頼み、みたいになりませんかね?」
と発言。
(自分で言ってて可笑しかったのか、それまで険しい表情だった弁護人がちょっと表情が緩んだ気もしたが、私も内心うまいこと言う~と思ってしまった。)

浅野先生は冷静に「慎重にしなければならないのはその通りです」と返答されていた。

ともあれ、この冠攣縮性狭心症については「これ以上は議論になってしまう」として弁護側は引いた形で終結したが、あくまでも可能性がゼロではないということを引き出せただけで十分だったのかもしれない。

何も知らなかった(かもしれない)母親

浅野先生の証言ののち、午後からは道子さんの母親による証言の時間がとられた。
初公判から検察側にはパーテーションが設けられており、被害者の関係者がいることは分かっていたが、被害者参加制度によるものだった。

道子さんは青森八戸の生まれ、母親いわく、非常に山深い場所で育ったという。母は夫も娘も亡くして今はひとり、悲しみの中に生きていた。

「娘の死は旅先のハワイで聞きました。その時、平さんに殺されたと思いました。」

冒頭から強い気持ちを前面に出していた母親に対し、検察は道子さんの人柄や生い立ちについて質問していく。

道子さんは流産を二度経験したのちに生まれた大切な娘だった。父親っ子で、非常にやさしい心を持つ子供だった。
ある時、モグラが死んでいるといってお墓を作ったという。成人した後も、夫をがんで亡くしてから一人暮らしの母を心配しては月に15万円の仕送りを欠かさなかった。
そこには、酒に酔って暴れるという道子さんの姿は全く見えない。

道子さんが松山へ行った理由は分からないと話したが、母も数回松山には来たという。水商売だったが本人が楽しいと話し、やりがいを見出していたので特に何も言わなかった。

平被告のことも知っていた。一度青森に二人して帰ってきたこともあり、道子さんは婚約者として平被告を紹介していた。
が、平被告とは特に会話もしていない、と母は証言した。
道子さんからは平被告に暴力を振るわれる、という話も聞かされていたという。そして、「私殺されるかもしれない」とも話していたと証言した。
ちなみに、だが、この時点では先に述べた道子さんによる平被告へのDVの件はまだ明かされていない。道子さんの母親がどこまで知っていたのかはわからないが、少なくともこの時点では暴力を振るわれていたのは娘のほうだと話していた。
ケンカの最中に電話がかかってきたこともあったという。理由は平被告の過去の女性関係と「嘘」が原因だと話した。

母親はとにかく、娘が死亡した以上は平被告に責任があるのだからそれははっきりさせてほしい、と、遺族としてごく当たり前の感情を伝えていたように思えた。過度に平被告を攻撃することもなく、時には「どっちもどっち」という、娘にも問題はあったかもしれないが、ともとれる発言さえあった。
これから娘と生きていく人生を奪われ、一人ぼっちになってしまった母。本当は罵倒したって足りなかったろう。それを、非常に冷静に証言するあたりに、道子さんが生まれ育った環境の良さが見える気がした。

しかし、気になることもあった。

道子さんの母親は、平被告と話をしたことがない、と証言した。その際、被告人席でうつむいていた平被告が「えっ?」という顔をしたのだ。あたりを見渡すように、意味が分からない、というような表情で明らかに困惑していた。
私も違和感があった。娘が婚約者だとして連れてきた相手と、これまで話をしたことがないなど有り得るのだろうか。しかも、八戸に行った際には家族で焼き肉店にも行っていた。

さらに、母親が証言したことと全く違う「ある出来事」が、DV事件以外にも実はあった。

裁判員

この裁判では裁判員が非常によく質問をしていた。
内訳は、20代後半くらいの女性、40代くらいの男性、50代くらいの女性、30代くらいの女性、60代くらいの男性、そして20代の男性の6人。
この中でも特に、5番の60代くらいの男性裁判員は多くの質問をした。

4日目、被告人質問が行われた。
道子さんとのなれそめなどを一通り話した平被告は、自身のことについても証言した。

別れて暮らす長男や元妻を名前で呼び、非常に子煩悩な印象もあった平被告だったが、一方で道子さんと不倫関係に陥る。
どちらが誘ったとか、そういうことはどうでもよく、妻子がありながら不倫をしていた時点で平被告のその長男への愛情は大きく減点されたのは事実だった。

平被告の証言の後、裁判員からの質問が飛んだ。
先の、道子さんの母親の証言から、「道子さんが殺されるかもしれないと母親に伝えたことについて思い当たることは?」と聞かれた平被告は、「自分のほうが殺されると思っていました」と答えた。
アルコールの問題について、治療はしなかったのかという問いには、仕事以外では飲まないように言っていたこと、加えて、道子さんが心療内科に通っていたこともこの時証言した。

4番目の30代くらいの女性裁判員の質問は、実は私も気になっていたというか、「それは言わないほうがいいのでは」と思ったことだった。
平被告は、素面の時の道子さんのことを聞かれた際、
「聞き分けがいい」
という表現をした。普通、聞き分けが言い、という表現は親が子供にすることが多いように思ったので、なんというかこの何気ない言葉のチョイスに、平被告と道子さんとの間のパワーバランスが見えた気がしたのだ。
が、おそらく平被告は酔っている状態=何を言っても伝わらない=聞き分けがない、と表現しており、それに対比する形で「聞き分けがいい」と表現したのだろうなと私は解釈したが、4番の女性裁判員はどうやらそうは思っていなかったようだった。

答えは分かっているうえで、確認の意味で聞いたのだろう。「聞き分けがいいとはどういう意味ですか?」と投げかけた。
平被告は言葉のあやだ、というようなことを言っていたが、自分でも表現がまずかったことに気づいていたようで、若干しどろもどろの印象があった。
裁判員としては、そのしどろもどろの平被告を見ただけで十分だったろう。その裁判員がした質問によって、気にしていなかったほかの裁判員も何かを感じたようだった。というか、感じないほうがおかしい。

そして続いた5番の男性裁判員は、そのなんとなく漂い始めた雰囲気にとどめを刺した。

一見、白髪の角刈りで非常に真面目そうな雰囲気というか、昭和の職人的な雰囲気の初老の男性だったが、断言してもいい、彼は女性が男性に暴力を振るうということを「あり得ない」と思っていた。

彼の質問にそれは如実に表れていたし、事実、平被告の証言を「嘘だと思っている」とまで言い切ったのだ。

彼の質問は、主に道子さんからされたという暴力行為と、室内への放火についてだった。
「カラオケで殴られたといいましたが、ジョッキで殴られたんですか?なのに、病院に行かなかったのですか?」
「(証拠写真から見るに)そんなに燃えた形跡がありません。火災報知器がなったのは本当なんですか?」
最初は普通に答えていた平被告だったが、火災報知器が鳴ったのになにもしなかった(たとえば隣近所に知らせるなど)のはおかしい、と言われたあたりから語気を強める場面が見られた。
男性裁判員は、一つ大きな勘違いというか思い込みがあった。火災報知器が家にないのか、その仕組みが分かっていない節があった。

ご存じない方のために言うと、火災報知器には煙感知と熱感知があり、場所によって使い分けられる。
たとえば台所など煙が出ても当たり前の場所には、煙感知を設置したらしょっちゅう誤作動してしまうため向いていない。
一方、煙が立つことが通常ないリビングや寝室などは、熱感知よりも煙感知のほうが早期発見につながる。
平被告のマンションの設置場所などが定かではないが、おそらくリビングの天井もしくは天井付近の壁に設置されていたと思われる。
道子さんが火をつけたのは、たんすの上に置かれた段ボール箱にひっかけたハンガーのタオルだった。
とすれば、位置的に天井に近いし、壁にも近い。さほど燃えていないとはいえ、証拠写真には黒く焦げた段ボールがあった。となればタオルは燃え、煙が立った可能性は十分あるので、火災報知器が鳴ったという証言も特段おかしいとは思えない。

しかし、男性裁判員は「結論から言うと、私は(火災報知器が鳴ったというのは)嘘だと思ってるんです。」と言ったのだ。
こんな質問かまんの??と思ったが、さすがに平被告もなんでそんなことで嘘をつく必要があるのかと、少々食い気味に反論していた。
裁判員はおそらく、平被告の証言が大げさであるといいたかったのだろう。
ただこの放火事件については、後日道子さん自身が友人にあてたLINEで、
「(平被告に)どうやって謝ったらいい?火をつけてごめんなさい?」
というものが残っていたので事実である。

一応言っとくと、サバ焼いただけで火災報知器はなるし、そもそもある程度早い段階で鳴ってくれなかったら意味がないではないか。
自力消火不可能になって発動したって意味がないのだ。質問をするのはいいとしてもあまりに的外れな質問は聞いていても正直イラついてしまった。
火災報知器が鳴ったか鳴らなかったが問題ではなく、室内に火を放つというその行為自体が問題のはずではないのか。

が、どうやら裁判官含め、どうもこの女性からのDVについて過小評価というか、冷めた目で見ているのではないかと思えてならなかった。

あの事件を知らないのだろうか。平成19年の、町田市の殺人事件を。

あの事件

概要は当サイトでも取り上げているのでそちらを参照にしていただくか、新潮45が出版している「悪魔が殺せとささやいた渦巻く憎悪、非業の14事件 (新潮文庫) を購入してぜひ読んでいただきたい。

あの事件は、女性による男性へのDVを世に知らしめたと言っても過言ではない。

全く同じとは言わないが、この町田市の事件と今回の松山市の事件は共通点が多い。
アルコールが原因だと言われた道子さんだったが、本当のところは分かっていない。本人が心療内科へ通院していたことが事実ならば、もしかすると道子さん自身、己のこのどうしようも制御できない「なにか」に気づいていたのかもしれない。
DVの中身も、当人への身体的暴力、周囲の人を巻き込む、警察沙汰になる、自傷行為、エスカレートする破壊行為などなど、傍聴していてデジャヴを覚えたほどだ。
平被告の部屋の写真はすさまじかった。壁という壁にボコボコ穴が開き、家電製品や家具は何度も破壊されたという。

いつスイッチが入るのかもわからない、それも似ていた。町田の妻の場合は、メールの返信に絵文字が少ない、室温が低いなどでもブチ切れたという。相手の交友関係に異常に神経をとがらせ、相手を脅迫(殺すなどの言葉)するのも似ていた。暴れ疲れて眠ってしまうというのも、同じだった。

ただ一つ違ったのは、町田の夫が最後は殺すしかないと、周りに被害が及ぶ前に終わらせなければならないと考えたのと違い、平被告は離れられなかったという点だろう。

公判5日目、平被告の母親が証言台に立った。母は道子さんのDVを聞かされていたこと、実際に自宅マンション前で警察が出動する騒ぎが起きたことから知っていた。
当然、息子である平被告には別れなさいと話していたが、30も過ぎた大人同士のことに口出しするのもはばかられた。
道子さんの素面も知っていた母は、なぜあんなにお行儀のよい普通のお嬢さんが酒を飲むとこうまで豹変するのかいまだに理解できないといった、困惑した様子だった。

平被告への質問に戻そう。
道子さんの母親は、夫(道子さんの実父)が死亡した際に平被告からは香典の一つもなかったと証言していた。
ところが、実際は平被告は道子さんと共に青森へ行くつもりで道子さんにそれを伝えたものの、遠方であることで道子さんが断ってきたのだという。
「青森の辺りの葬儀はかなり費用が掛かると聞いたので、ならばと、葬儀費用として150万円を道子さんに預けました」
しかし母親の証言も事実であるとするならば、その150万円はどこへ行ったのか。葬儀費用に充てられたのかもしれないが、それを道子さんが母親に黙っているというのもいささか不思議である。

このように、道子さんの母親が証言した内容と、実際の出来事が合致しないという点があった。先の、平被告と話したこともない、というのも、常識的に考えるとなにか質問の受け取り方を間違えたのかな、としか思えなかった。

町田の事件の際には、女性からのDVについて誰もが「女性がそこまでするには相当な理由があったはず」という前提を持っていて、回避する手段もあったはずだという論調だった。
平被告の場合も、抑えつける必要性などなかった、とか、検察官に至っては殴る蹴るよりも悪質だと言った。
そうなのだろうか。私は殴る蹴るという行為には怒りがや憎しみが見えるのに対し、抑え込むという行為にはそれは見えない。
刃物を振りかざし、隙を見てはベランダから飛び降りようとする人を、酔って前後不覚状態の人を横目にのんきに110番できただろうか。
それよりもなによりも、とにかく落ち着いてほしかった、抱きすくめても暴れるのを止められないなら、私でも布団などをかぶせて暴れるのを何とか封じようとするかもしれない。

しかし、平被告と道子さんの体格差もあって女性からのDVにピンとこない裁判員には、話半分以下でしか伝わっていないようだった。

4回の警察沙汰やその際行われた平被告へのDV被害者アンケート、実母、元妻、店のマネージャーら道子さんの豹変ぶりを知る人々、そして友人へのLINEなどに見られる道子さんのあえて言う「醜態」については、事件とは無関係と言わんばかりに思えた。

検察は、「何度もあったという抑え込みについて、最期の死亡に至ったケースのみを見てほしい、それまでの道子さんのDVは別問題。2回目の抑え込み時には道子さんは凶器も持っていなかった。抑え込む必要などなかったのです。窓に手を伸ばしただけです。窓から引き離せばよかったのに、それをせずに布団をかぶせて抑え込んだ行為は悪質。」と主張。弁護側が病気のことを持ち出してくると思うが、「それは違いますから」とまで言っていて、弁護人らもさすがに顔を見合わせ呆れたような顔をしていた。

検察は、その時の行為のみで判断すべき、それまでの行為や道子さんのDVは別と言いながら、直前の元カレけんちゃんの写真を持ち出した。それを見た平被告の中に、道子さんに対する怒りがあったから、やり過ぎに及んだと主張していたが矛盾ではないだろうかと思った。
そして、あたかも道子さんに非があるかのような発言を繰り返しており、被告は真摯に反省しているとは言えないとして懲役7年を求刑した。

弁護側は病死の可能性を主張し、抑え込みについても全体重をかけないようにしていたことや、とにかく怪我をさせないためにしたことであって、怒りに任せた行為というならそれこそほかにやりようがあったはずだと反論。
すべての出来事は一連とみるべきで、個別に判断するのは不適切とも述べ、傷害致死に至っては成立しないとして無罪を主張した。

正直、無罪はなかろうと思ったが、やはり長年にわたるDVを別問題だと切り捨てる検察に対しては「被害者が女でも同じこと言うのか」と言いたくなった。
ちなみに検察官は女性だった。

たいせつなひと

道子さんの母親は論告求刑と最終弁論の前に再度証言をした。
そこでは、母の知らなかった道子さんのDVを意識してなのか、「喧嘩両成敗」とか、体力では負けるから道子さんがした暴力については仕方ないと思った、という発言もあった。

そして、娘を死なせるくらいならば、それほどまでにひどい暴力を受けていたというならば早く別れてほしかった、と述べた。

ここだろう、確かにそうだ、なぜ平被告はこれほどまでにひどい仕打ちを受けていながら、道子さんと別れなかったのか。
本人も、すでに愛情があったかどうかはわからない、仕事上のこともあったしただひたすら恐怖を感じていたと述べたが、本心は最終の陳述に隠されていた。

平被告はそれより前の被告人質問の際、事件の数時間前に撮られた出勤時の道子さんの写真を見せられ、証言台でその大きな体を丸めて号泣した。弁護人が言葉をかけられないほど、彼は泣いた。
そして、裁判の終わりにこう述べた。

「事件から2年、道子さんのことを考えない日はありません。ずっと考え、自問自答してきたが、取り返しがつかないことをしてしまった。道子さんの母親のことを思うと涙が止まらなくなる。
裁判では道子さんの暴れる様子を証言することが多く、酔って暴れている道子さんばかりを思い出してきたが、でも本当は、思い出されるのは普段の他愛もない会話をしているときの道子さん。明るい笑顔の道子さんです。
大切な人だったから。だから別れませんでした。」

本心だろうなと感じた。仕事上のパートナーだからとか、怖かったから別れなかったのではない、ただ、好きだったのだろうと思う。

しかし現実は悲惨すぎるものとなった。

平被告は、性格的に困っている人を助けようとする人物だという。店のスタッフの悩みを聞いたり、時にはお金を貸すこともあった。
酔って暴れて手が付けられなくなる女など、本来なら捨てていい。しかしそれが出来なかったのは、自分が何とかしてやりたい、救いたい、そういう意識も働いていたのかもしれない。
いやそれ以上に、やはり単に好きで好きで、だから別れられなかったのではないのかなと思う。

しかし結末は、道子さんの母親が言うとおりだ。なぜ、別れてくれなかったのか。捨ててくれなかったのか。あなたの手に負える人ではなかったのだから、逃げてくれたらよかったのだ。そうすれば、道子さんは死ぬことはなかったろう。
平被告には死なせる意図など毛頭なかった。しかし、平被告と居続けたために、平被告が何もかもを受け入れ続けたがために、道子さんは命を落とした。
激しいDVも、受け入れ続けたがために止めることのできない暴走反応となってしまった。

愛しているからこそ、抱きしめるのではなくて離れる勇気が必要だった。

道子さんは平被告を何度も試したのだろう、どこまでこの人は受け入れるのか。殴ろうが蹴ろうが自殺をして見せようが家に火を放とうが包丁を突きつけようが、平被告はそばにいた。
「私、殺されるかもしれない」
母にいつしか道子さんはこう伝えていた。それは、道子さん自身が自分の暴走をわかっていたからではないのか。それでも止められない自分を、道子さん自身もどう扱っていいのかわからなかったのではないか。

平被告は、自分がしたことが罪になるのかどうかわからない、と話していた。しかし結果は受け止め、道子さんの母親に対し、親戚中に頼んで集めた700万円を慰謝料として支払った。
そのうえで、今後本来ならば道子さんがしたであろう母親への仕送りを、受け取ってもらえるのであればずっと続けていくつもりだとも話していた。

この裁判の直前の令和312月、重度の障害を抱えていた平被告の長男が亡くなった。保釈されていた平被告は、許可を得てその通夜と葬儀に行ったという。

松山地方裁判所は、平被告に対し、懲役6年の実刑判決を言い渡した。弁護側は控訴の意向を示しているが、どうだろうか。

道子さんは今、故郷の八戸で、大好きだった父親と共に眠っている。