妄想男の理不尽な憤怒~富里市・一家3人惨殺放火事件~

白昼

「やった!やってやった!!バカたち、なにをやってるんだ」

とある新興住宅地の一角にある美容室から火の手が上がったのは夏休みの土曜日。
多くの家庭では昼で仕事も終わり、昼食を家族でとる、そんなありふれた日常が突然ぶち壊された。

家々が密集する場所とあって、火災に気づいた近隣住民らは必死の消火活動を続けていた。
そんな中、火が出た家の裏手の家の2階から、その家の住民が奇声を発しているのを皆が見ていた。

その数分後、今度はその家から火が出た。

昭和62年8月22日

この日の午後1時20分ころ、千葉県富里町(現・富里市)中沢の住宅街にある美容室兼住宅から火が出た。
さらにその数十分後、消火活動のさなかに美容室から15mほどしか離れていない別の民家からも出火。
美容室の焼け跡からは、成人の男女と幼児と見られる焼死体が発見された。
もうひとつの住宅からも、成人とみられる焼死体が出た。

美容室内で亡くなっていたのは、その家の主である三木勝美さん(当時36歳)、妻で美容師の久美子さん(当時31歳)、そして長男の智司ちゃん(当時2歳)の3人と判明。
3人は美容室兼住宅の居間部分に倒れており、久美子さんは智司ちゃんを抱きかかえるようにして亡くなっていた。当時、久美子さんは妊娠中だったという。

短時間に近隣で2件の火災が起こるなどもはや事件のにおいしかしないわけだが、この火災のほかにこの近隣では負傷者が出ていた。
火災のあった三木さん宅と道路を挟んで隣にある安田謙一さん(仮名/当時39歳)宅では、三木家の異変にいち早く気付いた妻の美津子さん(仮名/当時36歳)が不審に思って表に出た。
するとそこには、泣きじゃくる三木家の長女(当時5歳)の姿があった。驚いた美津子さんがどうしたの?と近寄ると、長女は家の中を指さして言葉にならないほど泣きじゃくっており、美津子さんは三木家の中へ入ろうとしたという。

すると、家の中から男が出てきた。驚いた美津子さんが悲鳴を上げると、男は持っていた槍のようなもので美津子さんを刺した。
男はそのまま15mほど離れた自宅へ戻ると、すぐさまポリタンクを持って出てきて、三木さん宅へ入っていったという。その後、三木さん宅の窓から炎が噴き出した。

美津子さんの悲鳴を聞いた安田家の長男(当時13歳)が119番通報し、重症を負わされたものの美津子さんは一命をとりとめた。

消火活動を行う近隣住民を尻目に、男は冒頭のように自宅2階の窓から奇声を上げ、住民らを罵倒していたという。そして、自らも自宅に火を放ち、焼身自殺をしたのだ。

男は北村哲夫(当時43歳)。7年ほど前からここで暮らしていたというが、家族はいなかった。
北村はこの一角に立ち並ぶ建売住宅が建てられた際の、大工のうちの一人だったようで、昭和55年に売り出された直後、その一軒を購入して越してきていた。三木さん一家を含めた近隣10軒も、ほぼ同時期の入居だったとみられる。

小さなコミュニティで一体何が起きていたのか。

そのコミュニティは、すでに3年以上に及ぶトラブルに悩まされていた。

ご近所

三木さん一家は、四街道市にある大手企業の千葉営業所に勤務する勝美さんと、自宅兼美容室である「美容室ミキ」を経営する妻の久美子さん、長男長女の4人家族だった。
住宅地の中にある美容室は、アットホームな雰囲気が売りで近所の主婦らにも評判の店だった。
勝美さんも、責任感があり人当たりも良く、友人も多い人だった。会社員として勤務する傍ら、一級建築士を目指して専門学校に通う努力家でもあった。

事件で重傷を負わされた安田美津子さん一家も、ほぼ同時期にこの区画の建売に越してきていた。
それ以外にも、30代から50代くらいの夫婦が主体の家族が数軒集まっていたが、そんな中で一人暮らしの北村は「異質」なものだった。

しかも当初から近隣住民らとは打ち解けず、家の周りで子供たちが遊べば「うるさい!」と怒鳴る、向かいに位置する安田さん宅には「家を覗くな!」と言いがかりをつけるなど、非常に神経質だった。
隣の家の物干しざおが少しでも敷地にかかれば食って掛かったという。
あまりにもクレームがひどいため、安田さん宅は北村宅に面する敷地に高い塀を作ったほどだった。

そのくせ、北村はよその家を窓から覗き込む、玄関先に石を投げこむなど「奇行」と取られてもおかしくない行動をしていた。
当初は大工仕事をしていたというが、昼間はほとんど家から出ず、事件の2年ほど前からはいったいどうやって食べているんだろう、と近所の人らが訝しむほど、その生活の様態は謎に包まれていたという。

数年前からは北村宅の玄関にはドアを開ける回数が記録される機械や、警報機などが備え付けられ、それらも近所の人に対し、「お前たちが覗くからだ!」と言いがかりをつけていた。

子供のいる家庭をことさら嫌っていた節もあり、子連れの主婦らが立ち話をしているだけで「俺の悪口を言っている」と睨みつけることもあった。

三木さん宅も、北村に憎まれる要素を兼ね備えていた。

糞尿を撒き散らす男

10軒ほどのコミュニティの中で、三木さん宅だけが北村に憎まれていたというわけではない。
ならばなぜ、三木さん宅が標的にされたのか。

北村も含め三木さん夫婦も死亡したことで、警察では捜査のしようもなく、真実はわからないままだが、事件の約一週間前、三木さん夫婦と北村との間でトラブルが起きたという話があった。
「三木さんの家は、特に久美子さんは物怖じしない性格で、はっきりものを言う性格だから……」
事件後、朝日新聞社の取材に対し、こう話す近隣住民がいた。

近隣全体と北村とのトラブルとしては、「井戸」の問題があったという。
ここ一体では、5軒の家が共同で井戸を使用しており、そこには安田家も三木家も北村の家も含まれていた。
共同利用ということで、井戸水をくみ上げるポンプに使用する電気料金は、5軒で均等に負担することとなっていたというが、ある時から北村はその支払いを拒否するようになった。

とはいえ、一応は集金は行われていたと言い、持ち回りで北村に対し、支払いの催促をしていたという。もちろん、三木さんもそれをしていた。
その支払い拒否の前か後かは定かではないが、北村によるとんでもない迷惑行為が目撃されるようになる。

ある時、近所の家々に干してあった洗濯物が汚されるという事件が起こった。
しかもその汚れは、明らかに「糞尿」によるものだった。
住民らの話によれば、その犯人は北村だったという。ご丁寧に注射器のようなものに尿などを入れてはそれで振りかけるという手段だったと言い、常軌を逸した嫌がらせに住民らは警察に相談にも赴いた。
しかし警察からは、「現行犯でないと動けない」と言われなす術がなかったという。

高い塀に囲まれた安田家よりも、商売上、オープンな状態だったと思われる三木家にその被害は集中していたようだ。
久美子さんはたびたび、「洗濯物を汚される」とこぼしていたと言い、勝美さんも、「店の前にお客さんが車を置いただけでもバカヤローと文句を言われる」と苦々しく話していた。

さらに事件の直前には、深夜に2~3時間にわたる無言電話にも悩まされていたという。

北村が犯行を決意したきっかけは明らかになっていないが、近隣の中でも北村が三木家に対しほかの家よりも憎しみを抱いていたのは間違いない。

ハズれた隣人ガチャ

北村は北海道の生まれ。7年前に札幌から越してきた。
大工の仕事はたまにしかせず、金が入れば趣味の山歩きやダイビングなどをしていたという。
非常に健全な趣味であり、ストレス解消にもなりそうなものだが、どこで北村は狂っていったのか。

病歴も精神科などへの通院歴もなかったというが、度重なる奇行から警察に呼ばれた際は、「六法全書によれば……」などと意味不明なことを口走っていたという。

司法解剖の結果、火が回った時には3人はかろうじて生きていたとみられた。
また、焼け跡から回収された凶器は、植木ばさみの重なった刃の部分を外し、1本の槍のような形状にしたもので三木さん一家を次々に刺したとみられた。
美津子さんを刺したのも、この植木ばさみだった。

三木さん家族は、勝美さんが背中に、智司ちゃんは右胸に刺し傷があったというが、久美子さんにだけはその刺し傷が10数か所あった。このことからも、北村が久美子さんに対して相当な憎しみを持っていたとみてよいだろう。

久美子さんは確かに物怖じしない性格だったとは言うが、それでも度重なる嫌がらせに悩み、愚痴をこぼす姿は決して怖いもの知らずの人、というものとは違っていた。
しかも妊娠4か月の身重だったのだ。幼い子供も抱えて、北村のような異常者に立ち向かえたとも思えない。

気が強い久美子さんが北村の逆鱗に触れるようなことを言ったのではないかとする向きもあったが、単に自分とは違って幸せを絵にかいたような生活をしている、ただそれだけで北村のどうしようもない思いが憤怒に変わった可能性はないのだろうか。

賃貸マンションならば隣人ガチャが大ハズレでもなんとかなる。が、戸建てを購入ともなれば、おいそれと引っ越したりというわけにもいかない。
すでに確立された住宅地へ越すのならば、事前に調査もできようが、このような新興住宅地であれば住んでみなければ隣人のことはわかりようもない。
ましてや、自宅兼美容室という状況で、三木家は我慢する以外に選択肢はなかったのだろう。

全てが灰になった以上、真相はわからないままだが、あの日すべてを目撃した長女が生き延びたことは、悲劇ではあるがせめてもの救いともいえる。
兵庫の母方の実家へ引き取られたという長女が、どうか健やかに育って幸せになっていてくれたらと願う。

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参考文献
読売新聞社 昭和62年8月23日、24日東京朝刊
朝日新聞社 昭和62年8月23日、24日東京朝刊

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