22歳元自衛官が見誤った故郷の誇り~宮崎家族3人殺害事件①~

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2010年3月1日

午前5時。
寝静まった家族の傍らで、男は一人、ほんの数日前に思いついた自分のこれからの行動について思いめぐらせていた。
「この人から離れたい」
自分がひとりになるためには、もはや物理的に離れるだけでは無理だと考えていた。
この人をこの世から消してしまわなければ、自分は逃れることが出来ないのではないか。
しかし、男には他にも家族がいた。「この人」の娘でもある妻、そして生まれたばかりの「妻の子でもある」長男。
男は「この人」と「娘である妻」と「妻の子でもある長男」は一つの存在に思えていた。

長男の柔らかい首に手をかけ、力を込める。そして、水を張った浴槽に沈めた。扉を閉めたその背後から、バシャバシャと水音が聞こえた。
男はそのまま、妻と「この人」がいる寝室へと消えた。

事件発覚と動機

「妻と義母が死んでいる」
そう110番通報が入ったのは、2010年3月1日午後9時頃であった。通報により駆けつけた警察官は、通報があった家の中で、その家に住む奥本くみ子さん(当時24歳)と、くみ子さんの母親である池上貴子さん(当時50歳)のふたりが、頭から血を流して死亡しているのを発見する。
通報してきた夫である奥本章寛(当時22歳)から、長男もいないということも聞く。
直ちに捜査が始まるも、事情聴取の段階で通報者である奥本の供述にあいまいな点が見られたことなどから、事件には夫である奥本が関与しているのではとの疑いが強まった。
ほどなくして、2日未明には奥本の口から生後5か月の長男・雄登ちゃんを勤務先である同市村角町の建設会社資材置き場に埋めたことが語られた。
供述通り、雄登ちゃんの遺体が発見され、奥本は逮捕となった。
のちに、義母・貴子さんと妻・くみ子さんへの殺害も認め、再逮捕となった。

奥本の自供によれば、日ごろから義母である貴子さんに叱責され、妻に家計を握られ自由な金銭もなく、さらには自身のみならず故郷や両親らのことを悪しざまに言われたことで「義母から逃れるには殺すしかない」と考えるようになり、3人の殺害に至ったということであった。

幼い我が子を殺害し、さらには妻とその母親まで殺害するという凄惨な事件だが、裁判の過程では一転、奥本が受けた仕打ちが明らかになり、果ては被害者遺族が裁判のやり直しを求める事態にまで発展した。




奥本章寛のそれまで

奥本は福岡県豊前市の山間にある求菩提(くぼて)という集落の生まれだ。
県道32号線を上るとたどり着くその集落は約50世帯、200人ほどが暮らし、田畑と昔ながらのつくりの家々に囲まれ、さらには山伏伝説や犬ヶ岳、霊山求菩提山など、神秘的な逸話の残る山村である。

奥本は高校卒業まで、この小さな求菩提で暮らしていた。
幼いころから体格の良かった奥本は、祖母と、父・浩幸さんと母・和代さん夫婦の3人兄弟の長男として、求菩提の人々に愛され故郷と共に成長した。
習っていた剣道では、泣くこともあったが辞めず、中学卒業後はその剣道で福岡県立築上西高校に進学。剣道部では主将を務めた。
同級生によれば、男子の間でもからかいの対象になるようなキャラクターで、犯罪ましてや殺人などをしでかすようなタイプでは全くなかったという。

高校卒業後は航空自衛隊で勤務し、その時駐屯地であった宮崎で、後の妻となるくみ子さんと出会った。出会い系サイトを通じての出会いであったようだが、朴訥な奥本と年上のくみ子さんとの付き合いは遊びというものではなく、くみ子さんは母親の貴子さんにも奥本をちゃんと紹介していた。

2009年3月、くみ子さんは妊娠する。
それを機に2人は結婚、同時に奥本は航空自衛隊を辞めた。なぜ自衛隊を辞めたのかは定かではないが、一部報道によればその厳しさについて行けなかった、自衛隊という組織の気風が合わなかった、という情報があるようだ。
まだ若い二人に自活していく力はなく、宮崎市花ヶ島町の借家に暮らしていたくみ子さんの母・貴子さんの家で同居することとなった。

義母との同居生活




もし奥本が自衛隊を辞めていなかったら、少なくとも経済的に困窮することはなかったであろう。
自衛隊を辞めた奥本は、とりあえず宮崎市内の土木建築会社へ就職した。花ヶ島町の義母宅からそう離れていないその会社で、月額18万円ほどの給料だった。
給与はくみ子さんが管理し、出産費用や400万円で購入した車のローンがあったために奥本の自由になる金はほとんどなかった。

それ以前に、家族3人、そして生まれてくる子供との生活を奥本の給料だけでは賄いきれず、居酒屋で働く義母・貴子さんが足りない分を補っていた。
花ヶ島町のその借家は、国道10号線小無田交差点から東に少し入った住宅地にある花ヶ島ニュータウンと呼ばれるところにあった。

平屋の古い借家が数件並ぶうちの、ほぼ中央にあった貴子さんの家は、現在取り壊されて空き地になっている。

貴子さんは居酒屋で働いていることもあり、明るく快活な女性であった。と同時に、気の強さや思ったことをポンポン口にする性分も併せ持っていたようで、気が小さくうまく自己主張できない奥本はこの貴子さんが苦手だった。
くみ子さんも、母親がそばにいる安心感もあってか、奥本よりも母親に同調することが多く見られたという。
奥本とくみ子さんが口論になると、内容を問わず貴子さんが割って入り、奥本を叱責した。
貴子さんからすれば、男らしさに欠ける奥本を歯がゆい思いで見ていたのかもしれない。
奥本が自衛隊を辞めてしまったことも貴子さんは気に入らなかった。
事あるごとに、男のくせに、稼ぎが悪い、そういった趣旨の言葉を浴びせられた。
奥本は貴子さんに対していつも敬語だったという。それは自身の両親の前でも同じで、奥本の母・和代さんは「見ていて痛々しいくらいだった」と回想する。

ニュースでもよく取り上げられる奥本と貴子さん、くみ子さん、雄登ちゃんの家族写真がある。
たしかに、義母の貴子さんは見るからに気の強さを窺わせ、くみ子さんも母親に非常によく似ていた。
その気の強さは、家族としては心強い一方で、気に入られなかった人間には非常に居心地の悪い人であったであろうことは想像ができる。

貴子さんは奥本の不甲斐なさに忸怩たる思いでいたようだ。若いのにもっと働けばよいじゃないか、妻と子のために寝食を忘れてがむしゃらに働くのが夫であり父親ではないのか。
なぜ娘の夫は、安定していた自衛官を辞めたのか。普通、結婚し子供が生まれるタイミングでそんなことするだろうか。
そのくせ、嫁の母親の住まいに転がり込んで何とも思わないのか。
貴子さんにしてみれば、理解しがたいことの連続であったのかもしれない。

貴子さんの苛立ちは、次第に奥本の両親、そして故郷に及んでいった。




両親と故郷

奥本の両親、父・浩幸さんと母・和代さんは、事件後幾度となくマスコミの前に出た。
顔を隠すことも、声を変えることもなく、2人そろってマスコミの取材を受け、頭を下げ、遺族に詫びた。
奥本に死刑判決が出たのち、TBSのとある番組で特集が組まれ、両親はそこでも事件発覚から今日までの苦しい胸の内を明かしている。

和代さんは当時仕事中で、詳細がわかっていない時点での報道を耳にしていた。
生後5か月の男の子が行方不明だと聞いて、「孫と同じくらいだなぁ」と思ったという。
その後、浩幸さんから「章寛の嫁さんとお母さんの名前がテレビに出ている」と聞かされ、その行方不明の赤ん坊が自分の孫・雄登ちゃんであると知る。

その後まもなく、3人を殺害した犯人が息子の章寛であることも知ることとなるのだ。

すぐさま二人は求菩提を出て宮崎へと車を走らせた。道中、2人の間ではどのような会話が交わされたのだろうか。
警察で事件の詳細を聞いた浩幸さんは、「もう故郷へは帰れない」と覚悟したという。
夫婦はそのまま、およそ20日間にわたって車中泊を続け、その間に浩幸さんは死に場所を求めて彷徨った。
人気のない夜の港の岸壁に車を停め、和代さんが寝静まるとひとり、「このまま海へ車ごと飛び込んでしまおうか」とも考えた。
しかし、それではあまりに無責任ではないか。求菩提の人々に顔向けは出来ないが、それでも一度戻って、きちんと詫びよう。
事情を説明し、その上で求菩提を出よう、そう決心して夫婦は求菩提に戻った。

近所の人々の冷たい視線を覚悟していた浩幸さんと和代さんであったが、2人を待っていたのは求菩提の人々の思いもかけない言葉だった。

「お前たちのことはわしらが守る、だから息子のことはお前たちが守ってやれ」

和代さんはその言葉を思い出すたびに胸が熱くなるという。
小さな集落で、奥本家が築いた信用と人間関係は、息子が犯したあまりにも残酷な事件でも揺らぐことはなかった。
「きっと何か事情があるに違いない。」
集落の人々は誰もがそう思ったという。すぐさま、事件の内容や法制度を知るための勉強会を開き、支える会を発足させた。
奥本の学生時代の担任や、小中の同級生らの姿もあった。もちろん、冤罪を訴えるようなものではなく、罪を認め、厳しい刑も想定し、その上で奥本とその家族を支えるという趣旨であり、自分たちに何ができるか、集落の人々なりの考えからであった。

会合には奥本の両親も顔を見せた。その中で、両親のみならず、集落の人々が思わず言葉を失くした貴子さんの言動が浮かび上がった。