但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください。なお、有料記事を無断で転載、公開、購入者以外に転送した場合の利用料は50万円~となります。
**********
沖縄県宮古島市伊良部島。サトウキビ畑が広がる美しいこの島で、平成19年11月17日、一人の高齢女性が惨殺された。
夫と農業を営んでいたその女性は、頭部に激しい損傷を受け、死亡していた。
女性の親族である宮古島市議は、
「年寄りに対して、どうしてこんな残酷なことが出来るのか」(沖縄タイムス社 平成19年11月21日朝刊)
そう言って怒りと悔しさをあらわにした。
事件
(注:↑このストリートビューの場所は事件とは無関係です。)
その人は、物静かでおとなしい女性だった。平成19年11月17日、畑に出かけたまま帰宅しない女性を探していた親族が、自宅から1キロほど離れた畑で女性があおむけに倒れているのを発見。
女性は頭部を何かで激しく傷つけられており、すでに息はなかった。頭蓋骨は陥没し砕け、その傷が脳にまで達したことによる脳損傷が死因だった。
宮古島署は殺人事件と断定、人口約6000人の、島民の誰もが顔見知りといった小さな島で起きた事件は、人々に衝撃を与えた。
殺害されたのは、伊良部島の農業、佐久本フミさん(当時79歳)。
他人から恨みを買うような人ではなく、また、自宅が荒らされたりという状況もなく、フミさんは17日の早朝に畑へ来た際に何らかのトラブルに巻き込まれ殺害されたとみられた。通常、昼には一度家に戻っていたというが、当日は一度も家に戻っていないことから、午前中に殺害された可能性が高かったが、詳しい犯行時刻も分からないままだった。
しかしフミさん方の周辺では、ある人物について「疑い」の目が向けられていた。しかもそれは、その人物の家族からもむけられていた。
疑わしいオジー
「まさかオジー、やってないよね?」
事件があった翌日、女性Aさんは近所に暮らす父親が訪ねてきた際、フミさんが死亡したということを聞かされた。一緒にいた孫(Aさんの子)が「オジーがやったのか」と聞いたという。冗談だった。だからオジーの返事は、「そんなわけない」とか、「バカなこと言うな」とかそういったものだと思っていた。
しかしオジーの口からは、「お母さん(Aさん)に聞いたら?」という不可解なものだったという。
Aさんも改めて父親からフミさんの死を聞かされたが、心に嫌な感覚が渦巻いていた。
その後、孫は今度はまじめにオジーに尋ねたという、オジーがやったのか、と。
その際、オジーは何も答えなかった。
孫はふと、あの日オジーの所在が分からなくなっていたことを思い出していた。
一方で宮古島署も、早い段階でこの男性に目をつけていた。しかし現場に物的証拠もなかったし、そもそも犯行時刻も定かでなく、見渡す限りのサトウキビ畑が広がる農道付近で起きたこの事件の目撃者もいなかった。
が、事件の2日後、ある住民が事件現場付近の路上で裸足で佇むその男性に遭遇していた。男性は体調が悪いと言っていて、自宅まで送ってほしいと話したという。
男性の家族も、フミさんが殺害されて以降、日課だった畑仕事に出ようともしないオジーを不審に思っていたというが、家族や近隣住民にはそれよりも前から、この男性との間にトラブルを抱えている人が複数いたことで、男性がかかわっているのではないかという噂が出ていたのだ。
宮古島署も男性とその家族に任意で話を聞いていたが、男性は関与を否定。家族からもこれといった話も聞けないまま、数日が過ぎた。
ところが12月3日、男性が「私がやりました」と話したことで宮古島署はフミさん殺害容疑でこの男性を逮捕した。
逮捕されたのは松原嘉男(仮名/当時76歳)。フミさんの家の、隣に長年住んでいる男だった。
男のそれまでと、トラブル
ふたりの間に何が起きていたのか。
嘉男は、調べに対し「20~30年前からフミさん宅には迷惑をしていた」というような話や、フミさんが嘉男宅のものを盗んでいたことから我慢の限界に達して殺害に及んだ、ということを述べていた。
嘉男は宮古島の生まれ。家の手伝いをするために小学校は5年生までしか通えず、そのため読み書きや計算が出来なかった。
二十歳頃からは八重山や沖縄本島、静岡などで主に漁師として働き、その後、伊良部島へ戻った。
結婚後は2男6女に恵まれ、うち1人は子供の頃に死亡したようだが、7人はそれぞれ成長し事件当時はすでに自立していた。
事件当時は妻との二人暮らしで、その生計は二人の年金と、漁業、農業で得た収入で賄われていたという。
嘉男は普段はなんということもないが、突然怒り出したり意味不明の難癖をつけて時には暴力行為に及ぶこともあった。ただそれらは子供や女性に向けられたといい、近隣では「女子供には強く出るオジー」などと揶揄されてもいた。
ところで嘉男が供述していたフミさんとのトラブルというのは何だったのか。
嘉男が語ったことによると、主に5つのトラブルがあったという。
まず、30年ほど前からのこととして、フミさんが自宅の庭で散髪をし、その際にわざと嘉男宅へ切った髪をとばしていたというもの、もうひとつは、嘉男宅の塀の外側の草むらにフミさんが魚のはらわたや骨などを捨てるため、嘉男宅にはいつも腐敗した魚のにおいが漂っていたというもの。
三つめは、嘉男が家を建てた際、余った砂を袋に入れてとっておいたところいつの間にかなくなっており、それを嘉男は後にフミさんがとったと考えていた。
四つ目は、敷地の境界の問題だった。隣同士だった嘉男とフミさん宅は、敷地の境界にペンキを塗った石を置いてその目印としていた。しかし10年ほど前にその石が消え、またフミさんが嘉男が境界に建てたブロック塀部分についても自分の土地だと言い張っていたという。このことも嘉男を苛立たせていた。
そして、フミさんを殺害する直接の動機となったこととして、この地域に根付く「神事」が関係しているとも話した。
枯れたサトウキビと、盗まれた神の砂
それは、旧暦の9月に行われる五穀豊穣、航海安全、豊漁祈願などを祈念する祭りで、おそらくだが、「ユークイ」「ミャークヅツ」のことだと思われる。
その祭りでは、嘉男とフミさんの家がある地区の住民は漁港にある砂の集積所から砂を持ち帰り、自宅の門や玄関までの間にその砂を巻く習わしがあるという。
これは、神様を家の中に迎え入れるためのものであり、また神が来たことを知るためのものでもあるといい、大切なことだった。
嘉男もフミさんも、毎年その習わしを忠実に行っていたようだが、7~8年前に嘉男がまいた砂が何者かに持ち去られるという出来事があったという。
嘉男によれば、その砂を盗られるとその後1年間はサトウキビの収穫が出来なくなり、家族が飢え死にするという言い伝えがあるのだという。
その年、嘉男の畑のサトウキビが枯れた。
それ以降、嘉男の畑のサトウキビは枯れることが多くなったという。このときは誰が盗んでいるのかわからなかったというが、事件の起きた平成19年の祭りの時、嘉男の家の前に撒かれた砂をかがんで手で集めていた人物を見つけた。
フミさんだった。
その後フミさんはその砂を自宅に持ち帰って撒いていたという。考えてみれば、フミさんのサトウキビは毎年非常によく育っていた。嘉男はそれらはすべてフミさんが神の砂を盗んでいたからだと思うと同時に、非常に腹立たしい思いを募らせていた。
ただ、もしかすると顔を合わせればフミさんが謝ってくるかもしれないと考え、その時は我慢していたというが、フミさんが一向にその気配を見せないことで、嘉男はフミさんを殺害することに決めた。
事件当日、早朝に畑に向かうフミさんを見つけると、そっと後をつけた。途中、自分の畑の小屋から斧を持ち出した。そして、畑に着いた時、「あんたなんで僕の砂を盗ったか。」と聞いたという。するとフミさんは「何の砂か。」と聞き返した。嘉男はこの期に及んでもフミさんがシラを切ろうとしていると思い激高し、手にしていた斧をフミさんに振り上げた。
フミさんは頭をかばおうと両手を出した。嘉男は何度も何度も、斧を振り下ろした。
39条
裁判では精神鑑定が提出された。
那覇地方裁判所は、嘉男が医師との会話の中で、「殺さなければ良かった」という一種の後悔のような言葉があったことなどから、妄想に囚われていたのではないとして完全責任能力を認め、検察の求刑懲役16年に対し、懲役10年を言い渡した。
6年の減刑になった理由としては地裁の判決文が公開されていないため詳細が分からないが、控訴審判決文からうかがえることとして、嘉男に前科前歴がないことや、嘉男が高齢であること、その上で少しでも社会復帰できる余地を残し、社会で余生を過ごすことに期待するといった理由があったようだ。たしかに、懲役16年となればたとえ出所できたとしても……という状態の可能性が高い。そういった部分を考えて、のことなのだろう。
ちなみに弁護側は心神喪失で無罪を主張していた。
おそらく弁護側の控訴だと思われるが、控訴審では原判決破棄自判となった。
福岡高裁は、原審で認定された完全責任能力を否定、理由として、原審が根拠とした精神鑑定で、嘉男の発言が妄想に囚われたものとは言えないとした部分において、嘉男はあくまで『殺さなければ良かった」といっているだけで、「フミさんが砂を取ったわけではないのだから」殺さなければ良かった、と考えているわけではない点を挙げた。要は、自分の考え(フミさんとのトラブル)が思い込み、妄想だったと理解した上で言っているのではなく、自分の考えは妄想ではなく正しいけれども、殺さなくても良かったかも、と言っているだけで、いまだに妄想真っ只中である可能性が高いと言うことだ。
嘉男がいうトラブルの中で、第三者も証言している間違いなくあったことというのは、生ゴミのことと境界のこと、そしてフミさんが自宅の庭で髪の毛を切っていたということである。
原審で妄想性障害を否定した鑑定人は、これらの前提事実は被害的な思考ではあるものの、事実を元にしていて妄想には発展していないから妄想性障害ではない、と結論づけていた。
しかし、事実であるとされる事柄のその全てが、嘉男の言うような「フミさんの嫌がらせ」であるとはいえない。髪の毛の話も、庭で髪を切っていたのは事実としてもそもそも嘉男の家はフミさん宅より高い場所にあるわけで、そこに狙ったように髪の毛を飛ばすなど至難の業ともいえよう。
さらに、サトウキビの件については確かに嘉男は科学的な教育を十分に受けていないとはいえ、サトウキビの収穫だけが収入源ではなかったし、家族らもサトウキビの収穫状況など気にもしたことがないという状態で、サトウキビが枯れたところで一家が飢え死にするなどという状況ではなかった。にもかかわらず、嘉男はサトウキビが枯れたのはフミさんが砂を盗ったからであり、そうなれば家族が餓死するハメになる、殺さなければ、と思い込んだ。これは確かに、神事を尊び、神の力を信じる気持ちがあったとしても了解可能とは言い切れない。
原審での鑑定の根拠が嘉男の単なる被害的な思考であって、それは妄想ではないとする前提に成り立っているのであれば、その被害的な思考自体が根拠のない妄想であれば成り立たないとして、福岡高裁は原審の鑑定には看過できない誤りがある、とした。
そして、神の砂をフミさんがとったわけではないかもしれないとすら、公判を通じて思い至ることはなく、最終の段階になってもなお、フミさんにも非があるのにどうして自分だけが、という不満を述べている点から、嘉男の被害的思考は相当強固であると認定。
フミさんに砂を盗られた(妄想)ことによりサトウキビが枯れた、このままでは家族が飢え死にする(妄想)という妄想に基づいた被害的思考に囚われた嘉男が、ならばフミさんを殺すしかない、にまで至ったのはこの持続性妄想性障害が影響しており、責任能力を欠いた状態ではないものの、心神耗弱は認められるとし、懲役8年を言い渡した。
信仰が根付く島
(注:↑このストリートビューの場所は事件とは無関係です)
那覇地裁の判決では、完全責任能力を認定し、その上で先にも述べたように「被告人が生きて社会復帰し得る余地を残し、多少なりとも社会内で余生を過ごすことが期待できるように」との配慮からの、求刑懲役16年に対する懲役10年だった。
福岡高裁はその判決文の結びとして、たしかに嘉男に前科前歴はなく、心神耗弱状態だったことや、元来粗暴な面はあったにせよ、それなりに平穏な社会生活を送ってきていたことは有利に斟酌すべきではあるが、何の落ち度もないフミさんが突然隣人である嘉男に襲われ、その顔面を叩き割られて命を奪われた恐怖と無念、変わり果てたフミさんと対面せざるを得なかった遺族の悔しさ、無念を思えば、加害者である嘉男に対して余生を社会で過ごせるようになどという配慮は相当ではない、とした。
地裁判決の懲役10年が高裁で懲役8年なったのは、そのような嘉男への配慮に基づくものではなく、あくまで責任主義の刑法に則り、心神耗弱である以上その刑を減軽することはやむを得ない、という判断である。
嘉男が起こした事件は、妄想性障害の影響があったという認定がなされた。この、妄想性障害というのは他の、特に理解不能に陥るような事件の背景に存在していることが多い。
嘉男の場合も、その動機となる事実自体が「妄想」に基づいている可能性が拭えず、また直接的な動機である神事に用いる砂を盗られたから、というものも、そもそもフミさんが盗んだという証拠も、嘉男の証言のみだった。
この砂は屋外に撒かれるものであり、風が吹けば少々飛ばされてもおかしくないし、人が通ったときにふと腰をかがめたりすれば、まるで砂を集めているかのように見えなくもない。
伊良部島をはじめ、南西の島々には現代でも司祭制度が色濃く、そして厳格に受け継がれていることが多い。その中には禁忌もあるし、神事の最中にもしミスがあった場合にそれを許してくれる神の存在もある。
事件があった伊良部島のその地区は、その宮古諸島の中でも他の地域に比べ神事は盛大に行われる。神様への祈りをささげる女性たちの選出も誰でも良いということはないし、その中にも、そして行動にまで序列があるという。
そのような島で生まれ育った人々の多くは、その伝統をまもり大切に引き継いで今も生きている。嘉男はどうだったのか。
裁判では砂を盗まれるとサトウキビが枯れるといった言い伝えについて、科学的ではないとしながらも完全に否定はしていない。また、義務教育も受けられなかった嘉男はそういったいわゆる非科学的なことを当然だと思っていたとしても、島の人々の多くがそういった神事を大切にしている点からも理解できるとした。
そのような伝統はその濃度の差はあれ、地方へ行けばあるものである。それらをすべてひっくるめて迷信、なくしてしまえばいいといった乱暴な意見もある。また、そういったならわしが様々な軋轢や外部からの移住者を排除しているとか、害悪であるかのような声もなくはない。
この嘉男のケースも、サトウキビが枯れてしまうという「妄想」が起こした事件だったのか?
そうではない。嘉男の妄想は、神々を敬い、信じ、畏敬の念を抱くことではなく、フミさんこそが諸悪の根源であると思っていた点である。
嘉男は最後までフミさんへの謝罪の気持ちを表すことはなかった。
*********
参考文献、サイト
宮古島佐良浜のユークイ 関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室
毎日新聞社 平成19年11月18日西部朝刊
沖縄タイムス社 平成19年11月18日夕刊、21日朝刊、夕刊、22日朝刊
読売新聞社 平成19年12月4日西部朝刊、平成21年3月31日西部夕刊
控訴審判決文(福岡高裁)