だってあの人が悪いのに~2つのゆきずりの事件~

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日常に起きるトラブル。引っ越した先のお隣さんがヤバかったとか、子供と同じ小学校の保護者がヤバかったとか、思いもよらぬ形で災難が降りかかることは誰にでもある。

さらにそれより実は起きやすいトラブルというのが、「ゆきずり」のトラブル。

なぜ起きやすいかというと、見知らぬ相手だから、ということが大きい。相手が知っている人だと遠慮したり譲歩したりもできる。隣人トラブルが長引くのは、事を荒立てれば自分のみならず家族にも影響があり、ひいてはそこに住めなくなる可能性もあるからだ。
ママ友のトラブルもしかり。自分だけの問題で済まなくなり、その問題にずっと関わり続けねばならなくなるから、できるだけ事を荒立てないように対処する人が多い。
どんなに正義感が強くても、初手できつい言葉は使わないし、手荒な対応はその後を考えて極力避けるだろう。

しかしこれが見ず知らずの行きずりの相手ならば。

2度と会わないであろう相手には、人は時に傲慢な態度をとってしまう。そこにいかなる大義名分があろうとも、なぜか見知らぬ人に対しては初手から強い態度をとってしまう人がいる。
しかしもしも相手が、さらに上を行く初手から強い態度に出る人だったら。

そしてお互いがこう思っていたら。「だって相手が悪いのに。」

廿日市のできごと

平成14年5月16日午前7時。広島県廿日市市上平良の住宅から110番通報が入った。
「息子が大怪我をしている、見知らぬ男に殴られたと言っている」
廿日市署員が急行したところ、中年の男性が顔から大量に出血して倒れていた。
現場は廿日市市の中心部から北西に位置し、国道433号線から少し入った山のふもとの住宅街で、周辺には畑なども残る場所だった。

凶器は傘

男性は救急搬送されたが、顔面(右頬)を傘で突き刺されたことが分かっていた。その傷が脳にまで達しており、搬送から一時間後、脳挫傷によって死亡した。

死亡したのは廿日市市の無職、桑原敏美さん(当時55歳)。
桑原さんはその日、親戚の見舞いに行くために、実家の母を迎えに来ていたのだという。桑原さんは実家のほぼ前の道路に車を停め、母親を迎えに行こうとしていたようだが、その際に桑原さんらしき人と別の男性が何やら口論している様子が目撃されていた。
相手の男は紺色のスーツ姿。黒っぽい乗用車で、髪型が刈り上げたようなものだったことから比較的若い印象だったという。
その直後に桑原さんは暴行を受けていることから、警察はこの目撃された男が事情を知っているとみて捜査を続けた。

周辺には小学校もあり、また古くからの住民も多い場所ということで犯人がいまだ逃走しているということは住民らの不安を掻き立てた。
また、凶器の傘も発見されていなかったことで、新たな目撃情報の収集とあわせて懸命の捜査が行われた。
現場周辺の道路などでは聞き込みが行われていたが、実は警察はある男を追っていた。

静岡での逮捕

「娘夫婦と連絡が取れなくなった。もしかして事件に関係しているのでは」

その男の関与が濃厚になったのは5月19日のことだった。警察が事件発生直後の目撃情報をもとに、複数の「参考人」の中の一人について、その男の妻の両親からもたらされた情報。
男は毎日、濃緑の乗用車で広島市内へ通勤していた。現場道路はいわゆる抜け道として通勤ラッシュ時に利用されることが多かったこと、事件自体も通勤時に起きていることからこの道路を利用する可能性のある人物と目撃情報との照合を行っていた。
男は現場となった住宅街に妻と暮らしていたが、古くからの住人ではなく、その地区に引っ越してきてまだ1年半ほどだったという。

男は事件当日も普通に出勤していたが、出産を控えた妻が産気づいたといって早退していた。が、妻が出産した形跡はなく、その妻と妻の軽自動車も消えていた。
警察は親族らの話をもとに夫婦の行方を追い、20日になって静岡県伊東市内で妻の軽自動車を発見。車に乗っていた男と妻を確保、男が桑原さんを傘でさしたことを認めたため、殺人容疑で逮捕となった。

逮捕されたのは廿日市市の現場近くに暮らす真壁晋(仮名/当時33歳)。
真壁は事件後、何食わぬ顔で勤務先の大手賃貸アパート運営会社に出社していた。その後、事件を知った妻から連絡を受けたことで嘘をついて早退。妻と合流して岡山を経由し大阪、そして静岡へと逃走していた。
当初妻には事件とは無関係を装っていたというが、大阪に宿泊した際に妻に事件に関与していることを打ち明けたという。妻は自首をすすめたが拒まれ、結局ふたりで静岡まで逃走してしまった。

逮捕されたのは伊東市内のあんじん通りという商店街だった。パトカーが軽自動車を囲むようにして停車させられていたといい、広島ナンバーだったことを目撃者らは覚えていた。

あの日、桑原さんと一体何が起きていたのか。
それは、誰にでも経験があるであろう、交通トラブルだった。

すれ違いの憎悪

真壁はその日、いつも通りに出勤していた。いつもの抜け道を、いつものように。
そこで、たまたま桑原さんと対向する形で出くわした。すれ違うには少々、慎重さが求められるほどの道路幅。どちらかが少し下がらなければ離合は難しかった。

「下がれ!」

そう言ったのは桑原さんだったという。が、一旦はそう言われて真壁が車をバックさせた。しかしその言い方が許せなかったのか、真壁は離合した後、50mを車から降りて戻り、実家前で車を停めていた桑原さんに詰め寄った。
ふたりは口論からもみ合いになったが、その時桑原さんは傘を持っていたという。とっさにその傘を奪った真壁だったが、揉みあっているうちに傘を奪い返され、今度は自分が暴行を加えられると思いその傘で桑原さんを叩いたと話した。

起訴された真壁と弁護人は、以上の点から過剰防衛を主張。殺害しようとまでは思っていなかったと話した。

広島地裁は検察の求刑懲役7年に対し、過剰防衛を退けたうえで真壁の行為は悪質ではあるものの事件自体は偶発的で計画されたものではないこと、桑原さんが死亡したのは想定外だったとして懲役4年6月を言い渡した。

真壁は、「道を譲ったのにすれ違いざまに罵られて腹が立った」と話していた。
近隣住民らによれば真壁はそれまでも宅配業者などが路上駐車をしていると注意したりしていたという。それと、今回の離合時の対応を見るとむしろ真壁は交通ルールやマナーを守る側の人間、のようにも思える。
桑原さんの行為が本当ならば、桑原さんの傲慢で挑発的ともいえる態度にも大いに問題があると言えるだろう。
しかし一方で、このような傲慢な物言いをする人は少なくないわけで、多くの場合は腹が立ちながらもやり過ごすところをわざわざ追いかけていくまでに怒りを爆発させるというのは人格的にある種の傾向を感じざるを得ない。
妻は事件を知るとすぐさま夫に連絡し、しかも事件の関与を確認していた。もしすると妻は、夫のその「人格の傾向」を危惧していたのかもしれない。

真壁は過剰防衛を主張していたが、実際の状況は、体格的にも劣る桑原さんの襟首をつかみ、抑えつけたうえでその右頬を狙って傘の先端部分を突き刺していたのだ。そこには、単に殴ったり蹴ったりというものとは違う、なんというか刃物で刺す行為よりも憎悪を感じてしまう。
あの日、雨が降っていなければ。桑原さんは傘を持っていなかったろう。あの日、あと数秒、お互いの家を出る時間が違っていれば。裁判所が言う、偶発的なことが重なってしまったことも、たしかに結果に影響していると言えた。

それでもたかが車のすれ違いでここまでお互いが高圧的に、傲慢に、そして相手をぶちのめさなければ気が済まないという事態に発展する可能性があるというのは良し悪しを超えて考えておかねばならないことである。

西武遊園地駅のできごと

平成13年5月26日午後4時50分。東京都東村山市の西武遊園地駅、西武多摩湖線ホームにおいて、駅長室から「男性が二人組の男に殴られ意識を失っている」と110通報があった。
一報はホームの駅長室への通報だった。駅員がホームへ行くと、男性があおむけに倒れ、声をかけても反応がない状態だったという。当初、病気かなと思った駅員だったが、いびきのような呼吸をし、目も半開きのままだった。担架で駅長室へ運んだ際、一緒にいた女性が「殴られた」と話したことで救急車の要請時に110番通報も行っていた。
男性は友人女性と一緒に西武山口線のレオライナーに乗るため、西武球場駅から乗車する列に並んでいたという。西武遊園地駅はその終点だった。
その日は西武ライオンズとダイエーホークスの試合があったことから、試合終了後の西武球場駅ホームは観戦の客らでごった返していた。そのため、すこしでも電車の中は詰める必要があったようだ。
電車が終点の西武遊園地駅に到着し、男性が多摩湖線に乗り換えるためホームに降り立った際、事件が起きた。

暴行を加えたのは若い二人の男。正確にはその内の一人がラリアットのような感じで男性を倒したのだという。男たちは小平行き電車で逃走していた。

「もう少し詰めてもらえませんか」

ところが事件後、夜のニュースでその件が報じられると、埼玉県狭山署にひとりの男が父親に付き添われて出頭してきた。
「相手が意識不明になっていることをテレビで知った。殴ったのは自分、一緒にいた友人は何もしてない」
男は練馬区在住の専門学校生、宮下幸征(仮名/当時24歳)。供述によれば、あの日、友人と一緒に電車に乗っていた際、不意に「もう少し詰めてもらえませんか」というような言葉を聞き、振り向くとその男性と目があったという。
「俺たちに言ったのか」
腹が立ってホームに降りた男性を追いかけ、呼び止めた。そして、ラリアットのような形で暴行を加えた。その後、「警察を呼んで」と男性が言ったことから男性を蹴ると、男性があおむけに転倒したのだという。
その時点ではさほど大ごととは思わず電車に乗ってその場を離れたものの、報道で男性の容態を知って父親に相談。父親に諭され出頭したとのことだった。

男性は翌日、くも膜下出血によって死亡した。まだ26歳だった。

事件の詳細が報道され、男性には一切の非がないどころか、他人に配慮し周囲のためにきちんとモノが言える正義感あふれる人だったことが分かったこと、そして、そのきっかけが「もう少し詰めてもらえませんか」という、むしろ丁寧なお願いであったことから加害者である宮下に対し、なんとキレやすい若者だと非難の声が殺到した。
男性の父親は月刊誌で手記を公開、どれほど素晴らしい息子だったか、そして家族が今どんな思いをしているのかを涙ながらに語った。男性の友人らもみな、昔から正義感にあふれ、友達思いで公共のマナーも人一倍気にし、時には言いにくいこともきちんと言える人間だったとその人柄を惜しみ、事件には悔しさをにじませた。

宮下は傷害致死で起訴された。

東京地裁八王子支部は、犯行が衆人環視のもと行われたこと、社会に及ぼした影響は軽視できないとして求刑懲役6年に対し、懲役5年を言い渡した。宮下は控訴せず、そのまま刑は確定した。
同じくして男性の父親が8200万円の損害賠償請求を起こしていたが、3000万円を支払うことで和解が成立した。
宮下は刑期を終え出所した後、30年かけて支払うという。男性の父親も、金額が目的ではなく、あくまで刑期を終えたから終わり、ではなく、一生涯その責任を背負ってほしいという意味合いが込められた和解だと話した。

精神科医で当時立教大学で精神医学の教授だった町沢静雄氏は、

「大人の社会で居場所を見つけられない若者が、最も“キレやすくなる”のが、不特定多数の人間が狭い空間に詰め込まれる電車の中」と分析。「他人と十分な距離を保てないと、人間は攻撃的になる。しかも人から注意されたり、気に入らないことがあると、親にさえしかられたことがない若者はいらだちを爆発させてしまう」 (読売新聞 平成13年5月31日夕刊)

と述べ、評論家の芹沢俊介氏は

車内マナーが何かと問題にされるが、最近は詰めずにゆったり座ろうとする人がほとんどだ。みんな他人との物理的接触を嫌う。空間の中で自分の占める位置を勝手に囲う。私はこれを「自己領域化」現象と呼んでいる。車内での化粧も携帯電話も、周囲と隔絶していることの表れだ。

と朝日新聞の取材で述べている。

宮下とその友人も、そういったタイプだったのかもしれない。この時期、ほかにも若者が注意されたことに立腹し、暴行を加えるなどされてけがを負わされたり死亡する事件が多発していた。
その時行われた注意はどれも、電車内で携帯を使わないでとか、喫煙禁止の場所での喫煙に対するものだったり、正当なものばかりだった。また、満員の車内で足や肘が当たった当たらないで口論になり暴行に至ったケースもあった。

誰もがギスギスしていたのか。

西武遊園地駅での事件も、「もう少し詰めてもらえませんか」という、誰でも言いそうな、そんなお願いが他人の怒りを引き起こすのか、と恐怖をもって語られることもあった。

しかし、実際は少々違っていた。

「あいつら、詰めねぇな」

当初、どの新聞などの報道を見ても、男性が丁寧なお願いをしていたという風にしている。文言としても、「中の方が空いているので、もう少し詰めてくれないかな(朝日新聞)」「中の方が空いているので、もう少し詰めてもらえないですか(読売新聞社)」「ちょっと詰めてくれないか(産経新聞社)」と言った、としている。
また、裁判が始まる前に取材でその胸中を語った男性の父親も、「もう少し詰めてもらえませんか」と声をかけたと話している。

しかし裁判が始まると、その言葉は若干受け取り方が変わったものになった。

宮下が耳にしたのは、「あいつら、詰めねぇな」と連れの女性に言ったその言葉だった。宮下が供述したこと以外にも、一緒にいた知人女性からの聴取も当然行われたであろうことから、実際に男性が発したのは宮下らへの丁寧なお願いではなく、知人女性に対してふとつぶやいた「不満」だった。

あらかじめ断るが、だからと言って殴られる筋合いはないし、正直この程度のことは誰でもいうだろう。しかも、「あいつら」というのが宮下らを指しての発言かどうかはわからない。宮下が思い込んだ可能性だって十分にある。目の前で周囲に目もくれずにワーワー騒ぐ子供に言ったのかもしれない。
にもかかわらず、自分に言ったのだと決めつけ、しかも暴行を加えるなど言語道断である。それは一切揺るがない。亡くなった男性に非があるわけではない。

ただ、もし男性が「すみません、もう少し詰めてもらえませんか?」とお願いしていたとしたら、宮下は激高しただろうか。下車して呼び止め、いちゃもんつけただろうなどと言っただろうか。これも誤解されそうだが、かばっているわけでも被害男性に非があったと言いたいわけではない。
しかし見ず知らずの人間から突然「あいつら」呼ばわりされたら、気分を害す人がいてもおかしくないし、そんな言い方はよくないと注意されてもしかたないことでもある。
ふとした言葉の使い方が、同じことを言うにしても相手には全く違う印象を持って伝わるということだ。そこに正義も大義名分も関係ない。たとえ相手に非があったとしても、だからと言って無礼な物言いを無差別にして良いわけではない。
円滑な社会生活を送るためには、ひいては自分や一緒にいる人を守るためにと考えたら、やはり言動には慎重であった方がいいのは明白である。

すり合う袖

先日、大型商業施設に出向いた際、休日ということもあって駐車場が満車だった。が、たまたま入ってすぐの場所が空いたので、駐車しようとしたところ少し後で対向してきた車の運転手に声をかけられた。
「あの、そこ、自分が先に停めようと思ってたんですけど」
車を運転しない人のために説明すると、このように満車の場合は、場内をぐるぐる走りながらタイミングよく空いたところに停めるしかない。先とか後とか順番ではなく、タイミングがすべて、それが暗黙のルールである。
おそらく、その運転手はもう何周も場内をぐるぐるしていたと思われ、近くを走ったときにそこが空いたのを確認し急いでやってきたものの、たまたまタイミングとして私の車が先に到達していた、という状況である。完全にそのスペースは私のものである。異論は認めない。
その際運転していたのは夫だったが、夫は笑顔で「そうですか、どうぞ。僕らは今来たばっかりだから他を探します」と言った。相手の運転手はハッとした顔をして、それまでのキツイ表情から一転、「すみません、ありがとう」といった。

この夫の対応は正直有り得ない。「知らんがな!」で済ませて自分たちが停めていい。先にも言ったとおり、タイミングがすべてなのだ。待ってたとか目をつけてたとか関係ないのだ。ましてや、そんなことをわざわざ言ってくる人など1000人中998人くらいには変な人と思われるレベルだ。
もし無視したとして。私たちはすぐ停められてラッキーかもしれないが、その運転手はずっと停められずにさらにイライラしていたかもしれない。トイレに行きたくて死にそうだったかもしれない。一方の自分たちは別に急いでもいない。トイレも済ませてある。ならば、譲ったとてなんの影響もないじゃないか。
実際に譲ったら、相手の運転手はお礼を言ってくれた。もしも頑なに知らんがなで通していたら、相手はどんな思いを抱いたか。その運転手も自分がおかしいことは重々承知で、それでもたまりかねて言ったのだ、最低限の丁寧な言い方で。それを正論を盾に無視して相手を嫌な気分にさせて私たちは気持ちよく買い物出来たろうか。その時の相手の精神状態によっては、そのまま車に轢かれていたかもしれない。私は今生きていないかもしれない。

そして、「こんなことならあの時譲っておけばよかった」と後悔したかもしれない。

食事する際、オーダー間違えについて「すみません、注文した商品が違っているのですが」というのと、「あの店員、注文もまともに取れないのか」というのと同じ印象だろうか。不注意でぶつかられた際、ごめんなさいと謝る相手に対して「大丈夫ですよ」というのと「どこ見て歩きよん、目ぇついてないんか!」というのとは同じだろうか。
車の譲り合いでも、わき道から頃合いを見計らって出ようとしている相手の進入をわざと防ぐような運転をしたら交通違反ではないにしろ相手は嫌な気持ちになるだろう。が、あえて譲った場合は、譲られた側の多くの人は「ありがとう!」という気持ちになるものだ。その後、今度は自分が誰かに道を譲る気持ちになるかもしれない。些細な日常の自分の対応がAかBかで、見ず知らずの人が、ひいてはその人がその先で出会う見ず知らずの人までもがイラついたり感謝したりするのだ。

だって相手が悪いから。間違っているから。私が優先だから。相手の事情など、知らなくて当たり前だから。どうして私が相手を気遣わないといけないの?

もちろんそうだ。間違っている方が悪いし、注意されても仕方ないし、そもそも間違っている見ず知らずの相手を思いやる必要などない。ましてや注意されて逆ギレとか有り得ない。
廿日市の被害男性も、おそらく実家の前の道路ということである種の「地元意識」があったのかもしれない。対する加害者は新参者である。どちらが優位ということは表向きないが、実際にはある。地元民が上である。しかしそれをあからさまに態度や言葉に出してしまったらどうだろうか。
加害者の男も本来はマナーがあり、ルール違反は良くないと考えていたのかもしれないが、一方で近所づきあいはせず、回覧板すら受け取らなかったという。身近な人々との円滑な共存については何も思わなかったのだろうか。
西武遊園地駅の加害者、宮下は、彼を知る人によれば挨拶もでき、最近の若者は、と言われる中で彼はそんなタイプではなかったという声もあった。
被害者の男性は誰もが思う不満を呟いただけだ。なにも声高に嫌がらせのように言いあげたわけではない。もともと正義感が強く、相手が大人でも違っていることは違うと言える子供だった。友人らにも、友人のためを思ってはっきり注意することもあった。そこに非はない。

しかし宮下からすれば、わざと詰めなかったわけではなかったかもしれないし、公共の場で恥をかかせるようなことを言わなくてもいいじゃないか、あいつ呼ばわりはさすがに、と思ったかもしれない。それこそ、「ちょっと詰めてもらえませんか」と言えばいいじゃないかと思ったかもしれない。
被害男性にすれば、誰あてでもないそのつぶやきで「気づいて」くれたらな、と思ったのかもしれない、直接注意して恥をかかさないように。
もしも宮下が「気づかなかった、どうぞ!」と奥へ詰めていたら、被害男性もきっと「ありがとう」と言ってお互い気持ちよく帰路についただろう。もしかしたら被害男性も「あいつらなんて言っちゃって、あの言い方は失礼だったかな」と反省もしたかもしれない。

お互い、言い分があったし、お互いのやりようによっては違う未来もあった。

自分の何気ない言動が日常の、自分の安全に大きな影響を持っているとしたら。
言い方一つで、態度一つで自分のみならず他人の人生をも変えてしまうことがあるとしたら。

これはSNSの話ではない。たとえ見ず知らずでも、目の前にいる相手と袖すり合った際の話である。

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参考文献

朝日新聞社 平成13年5月27日、28日、9月1日東京朝刊、平成14年3月26日東京夕刊
読売新聞社 平成13年5月31日東京夕刊
産経新聞社 平成13年5月28日東京朝刊
中日新聞社 平成14年2月7日、平成15年1月21日夕刊