もうひとつの「MOTHER マザー」~桐生市・高齢女性殺害事件~

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川口の事件

平成27年年94日、東京高等裁判所の秋葉康弘裁判長は、強盗殺人などの罪に問われた事件当時17歳の少年に対し、控訴棄却、懲役15年の一審判決を支持する判決を言い渡した。
少年は、平成26年に川口市で起きた高齢夫婦強盗殺人の実行犯であり、その高齢夫婦の孫だった。
裁判では、被害者夫婦の娘であり、少年の母親でもある女も強盗と窃盗の罪で起訴されていたが、そもそもこの母親による「殺してでも借りてこい」という指示があったことが明らかとなり(母親は現在も否定)、また、少年の信じられない不遇な生い立ちにも注目が集まった。

母親の判決は懲役46月、その後この事件は令和2年に長澤まさみ主演で映画化された。

その、ずっと前。
平成16年にも、同じく母と息子が共謀して祖母を殺害、その金を奪うという事件があった。

もうひとつの「MOTHER マザー」。

平成6225

群馬県桐生市梅田町の林道三境線沿いの山林で、23日の夕方女性の遺体が発見された。
遺体は普段着姿で、その顔と手足の一部が白骨化していた。所持品もなく、靴も履いていなかったことから、県警では身元の特定を急いでいた。
同時に、現場が人が頻繁に訪れる場所ではないこと、指輪以外の所持品がないこと、靴を履いていないことなどから、事件性も視野に入れて捜査本部を立ち上げた。

検視の結果、女性は年齢50歳から70歳くらいの初老、小柄で死後3か月程度経過しているとみられた。

225日、県警捜査一課と桐生署は、この遺体の身元を同市境野町在住の石川フミ子さん(当時71歳)と確認した。石川さんは昨年の9月に行方が分からなくなったとして家族から捜索願が1028日に出されており、県警が歯型を照合した結果、一致した。

現場の状況や、石川さんのそれまでの生活状況などから、警察では殺害された後に現場に遺棄された可能性が高いとみて捜査する一方、交友関係や石川さんにトラブルがなかったかなどを慎重に捜査していた。

捜査の中で、石川さんが失踪する直前、
「人から金を無心されて困っている」
という話を知人らにしていたことが判明。夏ごろには窃盗の被害にも遭い、自宅から30万円ほど盗まれたこともあったという。さらに、石川さんの預金口座からは、失踪前にほぼ全額にあたる500万円が引き出されていたことも分かった。

石川さんの足取りは、921日から月末にかけて、知人の見舞いのために桐生市内の病院を訪れていたのものが最期で、それ以降、知人らが電話をかけたり自宅を訪ねたりしても、本人と連絡が取れていなかった。

石川さんが引き出した500万円強の現金も、使った形跡もなければ、その後引き払われたアパートのどこからも発見されていなかったが、実は、石川さんの知人らの多くは、その金が誰に渡ったか、そして、事件にかかわっているのが誰なのか、大方予想がついていた。

平成16310日、捜査本部は石川さんの遺体を遺棄したとして、ホームヘルパーの鶴貝政枝(当時38歳)とその息子の佳宏(仮名/当時19歳)を逮捕した。

政枝は、石川さんの次女であり、佳宏は実の孫だった。

案の定の逮捕

「ほかにいないと思った」

政枝と佳宏が逮捕されたのち、石川さんと親しかった知人は、地元上毛新聞の取材にこうつぶやいた。
事件は実の娘と孫によるものだということ、また、政枝が石川さん宅のすぐそばで暮らしていたことなどから、近隣住民や知人らには動揺が広がったが、その中にはこの知人のように、「やっぱりあの二人か」と思った人は少なくなかった。

近所では、石川さんがたびたび「孫から金をせびられて困る」と話すのを聞いた人もおり、また、石川さん失踪後に外車を購入していたことを不審に思った人もいた。

娘である政枝の行動にも不審な点があった。
母親が失踪したとはいえ、まだ一か月しか経っていない頃、「家賃がもったいない」といって勝手にアパートを解約したのだ。
一方で、石川さんの元夫が捜索願を出すよう言っても、「お金が無くなったら帰ってくるかも。正月まで待とう」などと言って当初出すことを渋っていた。にもかかわらず、その元夫に対し、「私が全責任をとるから、荷物を処分して」と言い、捜索願を出すより前にアパートを解約していた。
さらに、石川さんの捜索願を桐生署に出した後、その一か月後に息子である佳宏の捜索願も、同じ桐生署に届け出ていたのだ。
事実、佳宏は11月中旬から行方不明となっていた。

逮捕された佳宏は、母親である政枝と共謀して祖母を殺害、遺棄したことを認めていたが、政枝は当初認める供述をしたものの、その後は否認に転じるなど、二転三転していた。

330日、捜査本部は石川さんから金を奪う目的で殺害したとして、政枝と佳宏を強盗殺人容疑で再逮捕した。
供述によれば、920日の夜、石川さんを政枝の自宅に呼び出し、ふたりで政枝さんの首をタオルのようなもので絞めて殺害、その後梅田町の山に棄て、翌21日未明に石川さん宅に侵入し、現金を奪ったということだった。

死体遺棄についてはこの時点で処分保留となった。

家族のそれまで

政枝は、昭和41年に石川さんの次女として誕生。姉がいたが、政枝が9歳の頃、石川さんの男性関係が原因で両親は離婚、姉は父親が引き取った。
その後、政枝は母親との二人暮らしとなったが、石川さんは男性関係にかまけて政枝の面倒をあまり見なかったという。
昭和58年に結婚した政枝は、翌年に長男・佳宏を出産。しかし昭和60年には離婚し、佳宏を引き取ったのちに別の男性との間に次男が誕生した。
母親の石川さんは昭和59年に再婚したが、平成13年に離婚、ただ、この元夫とは形式上の離婚だったようで、お互いに行き来のある良好な関係だった。

夫と離婚したのちは、一旦政枝親子と同居する。
しかし、関係はうまくいかなかったという。お酒が好きだった石川さんは、昼間から酒を飲む生活をしており、それが原因で政枝親子とケンカになり、石川さんは長女宅に身を寄せることもあったが、しばらくすると政枝方へ戻っていた。

政枝は平成11年ころまでは水商売をしていたが、それ以降は児童福祉手当や石川さんの貯金などをあてにした生活を送っていた。
そのくせ、ブランド品などを好み、およそ身の丈に合わない生活をしていたようだった。

石川さんと同居するようになって以降は、ホームヘルパーとして働いたが、月給は多いときでも15万円程度で、余裕のある生活は難しかった。
その頃高校生になっていた佳宏も、2年で退学し、交際相手と同棲するなど勝手気ままな生活を送っていたが、平成15年の9月頃は職もなく、実家で政枝や石川さんと同居していた。
政枝は母親から金をせびるために、佳宏が交際相手を妊娠させたなどと嘘をつくこともあったという。

ただ、佳宏の中には政枝に対して、自分を女手一つで育ててくれたという感謝の念があり、母親の言いなり、といった面もあったようだ。
それとは反対に、政枝は母親である石川さんに対して、幼い頃の不遇を恨む気持ちがあり、それもあって生活費などをせびっても当然、というような気持ちがあった。

ちなみに佳宏の父親違いの弟はこの時点でグレまくっており、平成159月以降は少年院暮らしであった。

もともと歪な形でしかつながっていなかった母、娘、その息子(孫)は、やがて「金」でしか関係を維持できない状態へと陥っていく。

920日も、きっかけは些細なことだった。

「全くお前んちは縁起悪くてどうしようもない」

仕事から戻った政枝は、石川さんのアパートの前に友人の車が止まっていたのを見てうんざりした。
この頃、石川さんは政枝宅から目と鼻の先のアパートで暮らしており、そこには時々友人らが来ていたという。

ただ、政枝には気がかりなことがあった。

石川さんのそれまでの生活や仕事は詳しいことが分からないが、少なくとも3000万円ほどの預貯金があったという。当然、政枝はそれをあてにしていたわけだが、石川さんも政枝だけでなく、佳宏の学費や長女の家の資金などをその都度出してくれていた。
そのため、平成15年時点ではその預貯金は600万円程度に減少しており、それまでのようにポンと大きなお金を出すことは難しくなっていた。

政枝はその残りの600万円を自分が自由に使うことを企み、石川さんに対し、生活保護の受給を勧めた。
そして、そのためには預貯金が口座にあってはいけないので、全額引き出してタンス預金にしておくよう言う。
いわゆる不正受給であるが、石川さんはそれに同意し、910日に郵便局で570万円を引き出した。

政枝は早速、生活保護の手続きをしてくるからと言って、その際70万円を受け取った(おそらく、手続きをしてくれる専門家に払うとかなんとか言ってだまし取った可能性が高い)。
そして、誰にも分らない場所に隠しておくよう言い含めた。

また、石川さんが夫と離婚したのも、ある種政枝の入れ知恵だった。
夫は通院が必要な病気を患い、その病院代がかさんでいたという。それを知った政枝は、離婚して夫が生活保護受給者となれば、病院代がかからないといって離婚を仕向けたのだ。
まさえはとにかく、石川さんの貯金がほかの人のために使われるのが気になって仕方なかったようだった。

このような出来事があったため、石川さん宅に人が来るのを政枝は嫌った。もしその友人らがタンス預金のことを知れば、その金を狙われると思ったのだという。

20日、石川さん宅にて、些細なことで口喧嘩となる。
その際、石川さんから
「弟は施設に入ってどうしようもない。全くお前んちは縁起が悪くてどうしようもないね」
という言葉が出た。

この時の政枝の胸中は、ちょっとだけ同情する。
そもそも政枝が不遇な幼少時代を強いられたのは、母親である石川さんの男性に対するだらしなさが要因であった。そのせいで、人には言えない苦しみや悲しみが幼い政枝にはあったであろう。
反面、父親に引き取られた姉は、結婚して家を建て、自分とは違う人生を歩んでいる。しかもその姉に、この母は余分に小遣いなどを渡している……
政枝の心に、あんたにだけは言われたくないという思いが吹きあがったとして、ここだけは理解できる。

しかしその後、政枝がとった行動は常人には理解しがたいものだった。

残りの金は、幼い頃の私に対する慰謝料だ。私がもらって当然の金。殺してでも奪ってやる。

息子

夕方5時、石川さん宅から戻った政枝は、自室にいた佳宏を呼び、おもむろに石川さん殺害を持ち掛けた。
突然母親にそんなことを言われても、はいそうですかという子供などいるはずもなく、佳宏も理解しがたいという顔をして自室へと引っ込んだ。
しかし政枝はすぐに佳宏を呼び戻し、「ばあちゃんを殺してほしい」「大丈夫だから。」「殺してくれたらその中から100万くらいあげるから!」と執拗に石川さん殺害を持ち掛ける。
母親の態度に佳宏は何を感じたのか。

政枝は石川さんに対し、「佳宏が酒を奢ると言ってるから」と言って自宅に呼び出した。
佳宏は遊びに来ていた交際相手を送るために外出しており、帰宅した際にはすでに石川さんが来ていた。
本気なのか……この時点では、佳宏の決心は出来ていなかった。とりあえず自室に戻ると、すかさず政枝が部屋に来たが、その手には「垢すりタオル」が握られていた。

母は息子に対し、その手順を示し、さらには報酬の具体額も示した。
息子は母に逆らうことは、出来なかった。

孫が酒を一緒に飲もうと言ってくれている、元来酒好きな石川さんにとっては、楽しみな出来事だっただろう。
さっきはあんなに娘をなじったけれど、こうして近くに住んで、孫も自分を思ってくれている……
そう思っていたであろう祖母のそのちいさな体の背後から佳宏は近づき、母から手渡された垢すりタオルをその首に巻き付けると、一気に絞めあげた。
しかしためらいがあったのか、石川さんを殺しきれなかった。すると、それを見ていた政枝が加勢したのだ。
垢すりタオルの片端を掴むと、ふたりがかりで石川さんの首を絞めた。
石川さんは失禁し、そのまま息絶えた。

その後の行動は迅速だった。

まず、遺体を遺棄しなくてはならない。失踪を装うため、簡単に見つかる場所ではダメだった。
遺棄の場所について提案したのは、佳宏だったという。
以前、夜景を見に行った際に通った、あの梅田町の林道沿いの山林であれば、この時期人が来ないのでは、とのことだった。
ふたりは遺体を車に乗せると、その場所を向かった。そして崖下に遺体を捨てると、今度は急いで石川さんの自宅へと戻った。金を盗むためだ。
政枝はあらかじめ、金の隠し場所には目星がついていた。靴下を二重に履き、介護用の手袋をつけたうえで石川さん宅へ侵入すると、まんまと500万円近い金を手に入れた。
そして、佳宏に指紋などをふき取らせ、自宅へと戻ったのだった。

政枝は佳宏に対し、100万円を渡したうえで
「誰にもしゃべるな。ばあちゃんの金を見せびらかすんじゃないよ」
と口止めまでしていた。

これが、母と息子が共謀して行った強盗殺人の全容である。

しかし目論見は外れ、石川さんの遺体は翌年早々に発見されてしまった。
狩猟期間中であり、林道沿いの山林にはハンターの姿があった。そのうちの一人が、遺体を発見したのだ。

遺体発見から一か月もしないうちに、母と息子の悪行は暴かれてしまった。

裁判

裁判では、政枝も佳宏も全面的に起訴内容を認めた。
弁護側の被告人質問では、「今ではなんであんなことを考えたんだろうと思う。犯した罪は一生かかっても償えない」などと話し、反省した様子ではあった。
殺害を決意した時期については、事件当日の口論があった時であり、かねてからの計画的なものではない、という政枝の横で、佳宏は
「母に頼まれた時に断っていればと思う
とうなだれた。

ふたりの裁判に先立って、実はある男の裁判が開かれ即日結審していた。
それは、政枝の交際相手の男だった。
実は事件のあった翌日、政枝はこの男に「お母ちゃんを殺しちゃった」と電話で伝えていたのだった。
男はそれを知りながら、通報することもなく、こともあろうに証拠隠滅の手ほどきをしたのだ。
政枝は男の指示通りに、政枝さん殺害の際に汚したカーペットなどをゴミ袋に入れてふたりで市内のごみ集積所へ捨てたという。
そのゴミ袋の中には凶器となった垢すりタオルも含まれていたというが、結局発見されなかった。

男は、石川さんと面識はなかったものの、数年前から政枝と交際しており、しかも幼馴染でもあったと言い、政枝と石川さんの仲が良くないことは知っていた。

男はその後、懲役1年執行猶予3年を言い渡され確定した。

検察は、実の娘と孫による強盗殺人事件で結果と地域に与えた影響は重大とし、また、加害者の家族でもある遺族の心痛、そのうえで遺族らは厳罰を求めていることから、政枝に対し無期懲役、佳宏に対して懲役15年を求刑。
前橋地裁の久我泰博裁判長は、政枝に対し、自分に従順な佳宏を事件に巻き込んだとし、犯行後には強取した金を短期間で散財するなど極めて悪質と批難した。
一方佳宏についても、いくら母親に強要されたとはいえ、最初に首を絞めたのは佳宏であり、遺体の遺棄場所の提案をするなど犯行に必要不可欠な役割りを果たしたと認定、政枝同様、短期間で散財している点でもその情状は芳しくないとした。

無残に殺害された石川さんに対しては、本来まだまだ元気で人生を楽しめたはずが、よりにもよって経済的にも援助してきた娘と孫に殺害され、その遺体を寂しい山の中に打ち捨てられたあげく、その体の一部を動物によって損失するなど、その無念は察するに余りあるとした。

しかしながら、政枝が母を憎む要因には、石川さん自身の身勝手な姿が過去にあったことは認め、先に証拠隠滅の罪で裁かれた政枝の交際相手が政枝の帰りを待つと証言していること、次男の存在、佳宏については母である政枝に引きずられた面が否めないことなどを酌量した。

そのうえで、汲むべき事情を最大限考慮したとしても、求刑通りの刑に処するのが相当と判断、政枝には無期懲役、佳宏には懲役15年が言い渡された。

暴露された手紙

佳宏はすでに出所している可能性が高いが、政枝にはまだまだ長い刑務所の暮らしが続くだろう。
帰りを待つと約束したあの男は、今も帰りを待っているのだろうか。

裁判では終始、反省の態度を見せていた政枝だったが、どうもその心のうちは胡散臭い。

石川さん殺害後、金を奪うために石川さん宅に侵入したのは佳宏だったが、これも政枝の指示によるものだった。テーブルなどの指紋をふき取り、金の隠し場所も政枝の指示通り探して、そして金を発見して持ち帰った。これらも全部、政枝は自分ではなく息子の佳宏にやらせていたのだ。

もうひとつ。

実は政枝は、起訴された後で佳宏に対し、手紙を出そうとしていた。手紙のやり取りは出来ると思うが、その内容はとんでもないものだった。

政枝は佳宏に、「ひとりでやってことにして」という手紙を書いていたいたのだ。
当然この手紙は出される前に差し止められていて佳宏には届いていないが、裁判で検察が証拠申請していた。
政枝はこの手紙について、「(一人残された)次男が心配だったから」と答えたが、ここまでするかという思いである。
母親ならばわかる、絶対にこれは嘘であると。
佳宏は母の思い付きに引き込まれ、殺人を犯した挙句、その母に罪をなすりつけられようとしたのだ、弟のために。

もしも本当に弟のためだったとして、それを言われた佳宏の心は全く考えなかったのか。
どこまでもおそろしいほど自分のことしか考えていない母の本音を知った佳宏の心はいかばかりだったか。

川口の事件では、手を下した息子よりも、そそのかした(というよりある種の洗脳か?)母親の罪は軽かった。
少年は、精神鑑定において「母親の言うことに逆らえない学習性無力感の状態」とされたが、佳宏にはそこまでの印象はない。しかし、佳宏の中でも母の存在は相当に大きなものだったのは間違いないだろう。

この事件でも、もし、政枝があの時垢すりタオルの片方を握らなかったら、同じように佳宏のほうが重い罪になっていたのだろうか。

母という存在は、時に罪深きもの。

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参考文献
上毛新聞 平成16226日、25日、27日、31112日、20日、31日、42日、13日、78日、平成17128
読売新聞社 平成16226日東京朝刊、311日東京朝刊、331日東京朝刊、413日東京朝刊、630日東京朝刊、922日東京朝刊、1022日東京朝刊

折原臨也リサーチエージェンシー

川口高齢夫婦殺害事件Enpedia

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鹿砦社20201216日 片岡健

MOTHER公式サイト

前橋地方裁判所 平成16年(わ)第242
平成16年(わ)第297
D1-Law第一法規法データベース