仁義なき戦い~嫁姑事件簿~

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嫁姑。
嫁は「嫁ぐ」というもう一つの読み方からも分かる通り、結婚し夫の家に入ること、姑は古くなった女と書く(本来の意味は年長者という意味らしい)。

この字面がすべてを物語っているように思えるが、完全同居が当たり前、嫁は一切姑に口答えならぬというのが当たり前だった時代は過ぎ、今では同居していても息子の家に姑舅が呼ばれるという形も多く、姑のほうが小さくなっている、そんな家庭も少なくない。
もちろん、時代関係なく理解のある姑舅に恵まれ、また、若夫婦も老親をいたわりうまくいっている家庭もたくさんあるし、増えているだろう。
ただそこには、親世帯の経済的余裕、子供世帯の夫婦仲の良さなど、うまくいく条件みたいなものもあるように思う。

永遠のテーマと言われる、嫁姑問題。
実の親でも大変なのに、赤の他人の女が二人、一つ屋根の下でいれば表面上うまくいっていても、胸にためるものの一つや二つはどちらにもある。
それに折り合いをつけ、時に夫や舅の仲介があり、友人や近所の人々にアドバイスをもらいながら多くの人は日々やり過ごしている。
それが出来なければ、離婚である。そして、折り合いもつけられず、我慢もできず、離婚もできなかったらどうなるか。

相手を抹殺することで解決しようとした人々の物語。

久留米の嫁姑

平成元年62日。その人は久留米市内の親せき宅に来ていた。この家には60代の女性が息子夫婦と同居していたのだが、一か月ほど前から連絡が取れなくなっていたのだ。
息子は仕事で単身赴任中、その妻と子供たちとの暮らしだったが、その妻によると「おばあちゃんは静岡に旅行に行ってる」とのことだった。
しかし、滞在している旅館や行先などが要領を得なかったことや、そもそも高齢女性がひとりで一か月も旅行に出ているというのは不可解だった。

親戚の人がその家に着いた時、家には子供たちしかいなかった。
家の中には、そこはかとなく「異臭」が漂っているような気もする。しかし、特に家の中に変わった様子は見当たらない。
子供たちに聞いても、なにか不自然な態度が気になったが、詳しく聞いてみるとこの家の母親は一番下の子供だけ連れて前日から家を空けているという。

なにかおかしい。
親戚の人は家の中を徹底的に捜した。そして、子供たちが母親と祖母が台所でけんかしているのを見ていたことや、その直後に祖母の姿が消えたこと、そして何より、母親が理由もなく家を空けていることから事件性を感じた。
そして、まさかと思いながらも外から家の床下を覗き込んだところ、ちょうど茶の間の床下から、変わり果てた女性の姿を発見したのだった。

通報を受けて警察が調べたところ、遺体は間違いなくこの家の祖母だった。
発見当時すでに遺体は腐敗が進行しており、その首にはひもが巻き付いたままだったという。
警察では末っ子と共に姿を消した長男の嫁の行方を追ったが、翌3日の朝、末っ子は父親の単身赴任先である福岡市内の会社の宿直室にひとり置き去りにされているところを発見された。
そこで警察は殺人と死体遺棄容疑でこの嫁を指名手配。18日の夜になって、「西鉄久留米駅東口に似た人がいる」との通報があり、駆け付けた署員が駅の2階の食堂街でこの嫁を発見。当初嫁は他人のふりをしていたというが、署に同行されたのちに本人であることと、姑を殺して床下に放置したことを認めたため逮捕となった。

逮捕されたのはこの家の嫁である夏井敏江(仮名/当時30歳)。
敏江は日ごろから姑の清美さん(仮名/当時64歳)とは折り合いが悪かったという。子育てに奮闘しながら夫の留守を守る敏江だったが、なぜかこの清美さんとはウマが合わなかった。
あの日、些細なことから台所で口論となった敏江は、清美さんを殴りつけた。あっけにとられる清美さんを、なんどもなんども殴る敏江。子供たちは必死に制止したという。
しかし、怒りのおさまらなかった敏江は、子供たちをほかの部屋へ追いやると、そのままぐったりしている清美さんの首をひもで絞めてとどめを刺した。

そして、清美さんの遺体を引きずって床下へ押し込んだ。
清美さんの行方を心配する子供たちには、「おばあちゃんは静岡の親戚のところへ旅行に行ったのよ」と言ってごまかしたが、日に日に、春のうららかな陽気のせいか、家の中が臭うようになってきた。
敏江は消臭スプレーを購入し、家中に噴射し誤魔化していたが、結局、清美さんと連絡が取れないことを不審に思った親戚が家を訪ねると言い始めたことでもはや隠し通すことは無理だと思った。

末の子供を胸に抱き、夫に見つけてもらえるようにした後、敏江は逃亡する気だったのか。その割に、福岡から再び久留米に戻ると、人目に付きやすい駅をうろついていた。子供たちのことが気になったか、それとも。
30歳という若さで、すでに子供が少なくとも3人いた敏江。夫が単身赴任で身近に愚痴を言える相手も相談できる相手もいなかったのかもしれない。
清美さんがことさらに敏江につらく当たったという話も出てはいないが、子供が制止しても我に返ることなく、その後きっちりとどめを刺したあたりからは強い殺意が見て取れる。
他人から見れば些細なことでも、当の本人には耐えがたいことがもしかするとあったのかもしれない。

その後の裁判において、敏江は懲役15年を求刑され、福岡地裁久留米支部は懲役12年の判決を言い渡した。

那珂川の嫁姑

住宅街の強盗殺人

平成4116日午前1010分。
「おばあちゃんが!おばあちゃんが死んでる!」
福岡県那珂川町の住宅地から、女性の切羽詰まった110番通報があった。警察官が駆け付けると、その家の仏間で高齢女性が頭から血を流して死亡しているのが見つかった。
亡くなっていたのはその家で息子夫婦と暮らす宮岡フミさん(仮名/当時88歳)。
フミさんは頭部、顔面を鈍器で殴られ、そのうえ首を絞められたことで死亡したとみられ、さらに室内を物色した形跡があることから、強盗殺人事件と断定、福岡県警筑紫野署は捜査本部を設置し捜査を開始した。
仏間にはフミさんの米寿のお祝いの祝儀袋が散乱、バッグの口も開いていた。さらに、仏間の窓の下には、外部からの侵入を裏付けるように運動靴のような足跡と、砂が散らばっていた。

この日、息子は仕事に出ており、嫁も午前9時ころ近所の親戚の家に用事で出かけていて、フミさんが一人で留守番していた時に事件に巻き込まれたとみられた。
現場のあった地区は福岡市天神から南へ約7キロ、片縄山の南側に広がる住宅地。平成2年春には新幹線博多南駅が開業し、人口がその後年に1000人程度で増加していた。
住民が多いとはいえ、平日は若い人たちが仕事で家を空け、主婦や高齢者だけが残るという時間帯に起きた強盗殺人事件に、近所の人々はみな怯えていた。

しかし、捜査本部では強盗殺人としたものの、いくつかの不審な点に気づいていた。
現場には、フミさんのものとみられる毛髪が、まるでむしられたような状態で落ちていた。これは、もみ合った際に犯人がフミさんの髪の毛を掴んでいたということだ。
「こういうのは、どっちかというと女のやり方なんだよな」
捜査員の間ではそんな話が出ていた。では、強盗は女なのか?
さらに近所の人が興味深い話をした。
現場一帯では防犯を兼ねて犬を飼う家が多かったという。しかしこの日、事件が起きたであろう時間帯にいつもなら見知らぬ人には吠える犬が、全く吠えなかった。
その家の人は、パトカーが来るまで事件に気づかなかったと話していた。

117日深夜、捜査本部はフミさんを殺害した容疑でこの家の嫁を逮捕した。
仏間が荒らされていたのは、この嫁による偽装工作だった。

夫婦旅行

犯人逮捕に、近隣の人々は驚愕したという。
家庭内の問題が近隣でもわかっていれば、「ああとうとう」と思うわけだが、このフミさんと嫁の間にはそのような問題があったようには思えなかったと皆が口をそろえた。

逮捕されたのはこの家の嫁、宮岡志津子(仮名/当時63歳)。志津子はフミさんの長男と結婚、長く夫の勤務先のある佐賀県で生活していたという。
夫が定年になったことと再就職が決まったことで、事件の二年ほど前から那賀川町でフミさんと同居を始めた。
フミさんは高齢ということもあり、一人で外出することは少なかった。しかし、家の中に引きこもっていては良くないと、お隣りへ回覧板を回すなど負担の少ない外出をすることはあった。その時も、嫁である志津子はフミさんに付き添っていたという。
フミさんからも志津子からも愚痴など聞いたことはなかったといい、ましてや二人が喧嘩しているような様子も全く気付かなかったと話した。

志津子についても、近所の評判は悪くなかった。
「きれい好きでしっかりした人」というのが、多くの人の知る志津子の姿だった。
夫婦仲も悪くない。事実、11月には夫婦で旅行に出る計画があった。
しかしこの夫婦旅行が、志津子がフミさんを手にかける直接のきっかけになってしまった。

88歳のフミさんを、旅行の間一人で置いておくわけにはいかなかった。そこで、近くに住む親類の家に旅行の間預かってもらうことで話がついていた。
ただ、当のフミさんはそれに納得していなかったようなのだ。
事件の朝、夫が仕事に出た後、家に残った嫁と姑は台所で何気ない話をしていた。そして、旅行の話になったとき、フミさんが何事かを口にした。
その口調は、明らかに刺々しく、悪意に満ちていたという。実は志津子とフミさんは周囲から仲の良い嫁姑に思われていたが、一緒に暮らす夫から見れば、以前から確執があったという。
志津子はそれを誰にも見せずに、ただひたすら姑を支える善き嫁であり続けた。そんな中で、夫との旅行はひとときの安らぎを得られるだろうし、楽しみにしていたことはよく理解できる。そういった息抜きで、日々のフミさんの言葉にも耐えることが出来ていたのかもしれない。

何をどうやったのか、気づいたときにはフミさんの首を絞めていた。
眼を見開いたまま動かないフミさんを見て、志津子は一度は110番しようと受話器に手を伸ばしたという。しかし、娘や孫の姿が目に浮かび、罪のない家族の将来を壊せないと思い、「万が一でも逃れられるのなら」と泥棒に見せかけることにした。
外からの侵入を思わせるための偽装も抜かりないはずだった。
しかし、経験豊富な捜査員らの目は誤魔化せなかった。

福岡地裁は、犯行自体短絡的で隠蔽工作までしており悪質だが、偶発的な犯行で本人も反省しているとして、求刑10年に対し懲役6年を言い渡した。
志津子には近隣住民らから減刑嘆願書もでており、かつ、夫が寛大な判決を求めたことが酌量されたと思われる。

88歳のフミさんが志津子に何を言ったのかはわからないが、おそらくフミさんからすればなんてことのない、「嫌味」の一つだったのだろう。
しかしその一言は、志津子を鬼に変えるには十分なものだった。

川崎の嫁姑

平成5510日午後5時前、川崎市高津区の住宅の居間で、高齢の女性が鼻や口から血を流してうつぶせに倒れているのを、パートから帰宅した嫁が発見。
すぐさま救急車と110番通報をしたものの、女性はすでに死亡していた。

亡くなっていたのは藤野キミさん(仮名/当時77歳)。キミさんは後頭部を鈍器で殴られた跡があり、神奈川県警捜査一課は殺人事件として捜査を開始した。
室内は特に物色された形跡はなかったことから、警察は早い時点でキミさんの人間関係に目をつけていた。

そして511日、第一発見者の嫁を殺人の容疑で逮捕した。

逮捕されたのは藤野よし子(仮名/当時45歳)。よし子はキミさん、夫、息子の4人暮らしだったが、夫は茨城に単身赴任中、息子も消防大学校へ入学していて事件当時はキミさんと二人暮らしだった。

よし子は事件の朝、いったん普段通りにパートに出かけた。昼に帰宅し、昼食をキミさんと囲んだという。
その時、よし子はキミさんに借金の申し込みをしたが、キミさんに「息子が一生懸命働いているのに、お前だけが贅沢してはいけないよ」と言われ、さらに、それより前によし子が勝手にキミさんの口座から金を下ろしていたことについても咎められたという。

そこでよし子は、「もう殺すしかない」と思い、手近にあったゴルフクラブでキミさんの背後から殴りつけた。
キミさんが死亡したことを確認したよし子は、なんと何食わぬ顔でパート先に戻ると、夕方帰宅して第一発見者を装ったのだった。

警察はそもそも物盗りの犯行ではないこと、白昼に起きた事件であるにもかかわらず付近で不審な人物や車の目撃がないことなどから、顔見知りの犯行ではないかと睨んでいた。
そして、第一発見者のよし子が、家族であるキミさんの遺体をしっかり見ようとしないなどその振る舞いに被害者遺族としては不自然な点があったことから、よし子に話を聞いていたところ、よし子はキミさん殺害を認めたのだった。

それにしても、借金を断られたから殺す、というのは突飛な気もする。キミさんは確かによし子を窘めたのは事実だが、それとて柔らかく諭された、という感じで嫌味を言われたとかそういったことでもなかった。
よし子にはどうしても金が要って、キミさんを殺してでも奪わなければならなかったのか。

よし子にとって、金の問題よりも大きな問題があった。
今回の借金を断られたことはどうでもよかった。よし子は、キミさんの口座から勝手に引き出したことをキミさんが知っていると思わなかったのだ。
それが、キミさんの口から「知ってるんだよ」と言われてしまって、よし子は慌てた。
よし子にとって、自分の泥棒のような真似が親戚に知られたらどうしよう、それが一番重要なことだったのだ。

心を入れ替えますから、お義母さんどうか内密にしてください、そうでもいえば、キミさんとて今の今まで黙っていたのだからわかってくれた可能性は十分あった。
しかし、よし子からそんな殊勝な言葉は出てこなかった。

横浜地裁川崎支部は、残忍で凶悪な犯行と批難したうえで、求刑懲役13年に対し、懲役10年を言い渡した。偶発的な犯行だったということと、よし子が深く反省していることが酌量された。

そんなことで

ここまで読まれた方の多くは、「なんかオチがあるわけでもなく、つまらない事件」と思われているのではないだろうか。正直私もそう思う。
が、「こんなつまらないことで」殺人が起きるのだ。これは家族だからこそである。
職場の同僚や近隣住民との間でも殺人は起きるが、特に隣人のケースだともうクロネコの人までそのトラブルを知ってるというくらいに、抜き差しならない状態が周囲にも周知されているケースが多い。宇都宮の散弾銃事件も、館山のアウト老殺害事件も、冨里の隣人一家殺害放火世田谷の日本刀斬殺事件も皆がそのトラブルを知っていて、巻き込まれた人々もいた。
ところが嫁姑の事件となると、その多くは周囲が気づいてないことが多い。けれど家の中は火が回り、もはや消火不可能の事態になっているのだ。

ここまでの事件で共通するのは、夫(当事者以外の家族)の影が薄いということ。おそらくこの夫たちの希望もあって同居していたのだと思われるが、にもかかわらず母親のことは妻に任せきり。
母親の面倒を見ているという世間体だけを気にして、実際は自分ではなく妻がそれを担っていることをどう思うのか。
ちなみに1988年以降、嫁姑の事件は結構あるが、たとえば舅vs娘の夫の構図の事件は見つけられなかった(憎しみ以外の要因がある。たとえば妻との関係や経済的なことなど)。

嫁姑問題が周囲になかなか知られないのは、本人らの性格もあるだろうが地域性と姑と嫁のそれぞれの交友関係が関係しているような気もする。
たとえば2番目の那珂川町の事件の場合、町内には高齢者が比較的多く生活していたといい、世代が違っても専業主婦は同じ生活リズムになる高齢者のコミュニティも無視できなかったのではないかと思うのだ。しかも、夫側の親戚が近くに住んでいたのだ。
おいそれと姑の愚痴を言ってしまうと、下手すればその日のうちに姑の耳に入るかもしれない。それを思えば、愚痴などなかなか言えなかったろう。
もちろんそれは姑世代も同じで、若い世代が多い場所ではそれなりに控えめなおとなしい老人を演じる必要もあったろう。
しかしそれらが時に、相手からすれば「おとなしいふりをして」と余計イラ立つこともある。那珂川町の姑は、嫁が自分を置いて旅行に行こうとしていることをどうしても許せなかった。なのに、近隣の人たちはいい嫁さんだと思っている……

川崎の姑は気の毒だ。勝手に預金を使われて、それでも黙っていた。それは嫁のことを考えてのことだったろうし、昼ご飯を一緒に食べていたこともそうだし、なにより借金の申し込みをしてみようと思える相手であり、もともと仲が悪かったわけではないのだろう。
けれど、だからこそ、川崎の嫁は狼狽したのではないか。仲良くやってくれていた姑が、実は自分より何枚も上手で自分の弱みまで握っていた。それを何食わぬ顔で今まで生活していたのか。それに気づいた時の川崎の嫁の心中は、なんとなくわかる気もする。
川崎の姑は全く悪くないどころか、嫁に正しい道を教えてくれる存在だったはず。しかしそれが、それこそが、この川崎の嫁には、耐えがたいことだったのだ。

国分寺の嫁姑

平成2610月のある朝、国分寺市のとある住宅の台所では嫁(33歳)が姑(73歳)をアルミ鍋でどつきまわしていた。
きっかけは、この家の2歳になる次男が目を充血させていたことだった。
「病院に連れていけ」という姑と、「眠いだけだから」と反論する嫁。たった、たったこれだけのことでお互いが引くに引けなくなっていた。

その後、嫁は夕食用にと鍋にジャガイモやニンジンをいれて下茹でしていたところ、突如姑がやってきて、その鍋の中身をシンクにぶちまけた。

「なにするの!!」

普段から折り合いが悪かった。
朝も早くから、家族のために夕食のカレーの下準備をしていたのに、こともあろうかそれを捨てるとは何事か。こうなったら生かしておけぬ、「死んでしまえ!!」と叫びながら嫁は姑の首を絞め、さらにはその空になったアルミ鍋で姑の頭をどつきまわしていたのだ。
その後自ら119番通報した姑だったが、状況から警察に転送され、小金井署員が駆け付けた。
嫁に事情を聴いたところ、死んでしまえと言いながら殴ったことを認めたため、殺人未遂の現行犯で逮捕されてしまった。

幸い、姑のけがは頭部を5針縫ったとはいうものの、その後ワイドショーの取材にも元気に答えられるほどの軽いものだったが、報道で「姑にカレー捨てられ嫁逆上」「アルミ鍋で殴る」といった見出しが躍ったことに加え、嫁姑戦争という状況とその被害者である姑のけがが軽かったことと、ワイドショーでの言動が息子(加害者の夫)ともどもパンチ効き過ぎだったことで世間の注目を集めた。

もともと姑は夫とふたりでこの家に暮らしていた。12年前、息子と夫が共同名義で家を建て、3年前に夫が死亡した後に、息子単独名義となりそこに嫁と子供たちがついてきた。
こういった場合、姑は家の名義にも絡んでいないわけだから息子夫婦に全権を渡して隠居生活というか、自分だけの楽しみに生きればよかったわけだが、それができない人は少なくない。
いつまでも若いつもりなのか、なにかと嫁と張り合い、本来口出しすべきではない子育てにも口を出しまくった。それはまるで、自分の存在を誇示し、居場所を守るためにも見えた。
嫁の子育てに問題があったならいざ知らず、そういった報道はない。

あの日も孫のことに姑は口を出した。自分の意見を嫁はなぜ素直に聞かないのか。苛立ちが頂点に達した時、嫁が作りかけていたカレーの鍋をシンクにぶちまけたのだ。
その後の嫁のブチギレは予想外だったのか、ワイドショーに登場した姑は「こんなおおごとになるなんて」と意気消沈してみせたというが、人が作っている料理を捨てるなど、宣戦布告である。
それが見事返り討ちされたとたん、被害者に豹変してみせた。加害者でありながら、先に手を出しておきながら全力で被害者になり切れるほどの神経を持ち合わせていなければ、嫁姑戦争には勝てないのだろう。

逮捕された嫁はどうなったのか。
当初から、事件の内容的にもこれがル・クルーゼやストウブでぶちのめしたとなれば殺人未遂だが、凶器がアルミ鍋だったことから殺人未遂ではなく傷害にとどまるだろうとの見方が強く、家族間の問題で姑側にも非はあることから、起訴猶予、もしくは罰金程度ではないかと言われていた。報道もないことからおそらくそのようになったのではないかと思われる。

嫁は、嫁をやめただろうか。夫はどちらの肩を持ったのだろうか。
ちなみに、捨てられた時、カレーのルウはまだ入れられてなかったので、カレーの味に文句をつけたとかいうことではなかったとのこと。

岡山の嫁姑

その夜、眠っていた嫁はふと足元に誰か立っている気配で目を覚ました。
ふと足元を見ると、暗闇の中にぼうっと明かりがともっている……というか、燃えてる?!
火事だと思い飛び起きた嫁は、その炎の向こう側でライターを手に立ちすくんでいる姑を見た。

平成2086日午前一時。岡山県井原市の住宅で、就寝中だった嫁の布団に火を放ったとして、姑が逮捕された。
逮捕されたのは西中博美(仮名/当時65歳)。幸い、火に気づいた家族らがすぐさま消したために、布団と畳が燃えはしたものの妻が軽いやけどをしただけで済んだ。

家族らが問い質したところ、火をつけたことを認めたという。
博美はその後、殺人未遂と現住建造物放火の容疑で逮捕となった。

博美はこの家で息子夫婦と孫の計6人で生活していたが、嫁とは以前から確執があったたようだ。それも、かなり前からのものだった。
あの夜、普段1階で一人寝ていたという博美は、ライターを手に二階の嫁の寝室へと向かった。
「嫁を殺して、私も死のうと思った」
バスタオルを広げ、ライターで火をつけた。しかし、そう簡単に燃え広がるものでもなく、あっけなく火は消し止められてしまった。
二人の間の確執については詳しい話が分からないが、岡山地裁は博美に対し、懲役3年執行猶予4年を言い渡した。

そもそも計画的とも、その手段に確固たる殺意があったのかどうか疑わしかった。
灯油やガソリンをまいたわけでもなく、それはまるで思いついたかのようなものだった。
まるで子供の火遊びのレベルである。もちろん、人が寝ているわけでもしも嫁が気づくのが遅れれば、軽いやけどでは済まなかったし、下手をすれば孫らも含めて死亡させていた可能性もある。本来、現住建造物放火は非常に重い罪なのだ。
が、他の殺意を持っての焼殺の事件と比べると、程度は低かった。

元々の検察の求刑も懲役4年というものだった。家族内の事件で未遂だったこと、けがの程度も軽かったこと、そしてなにより、狙われた嫁が「寛大な処分を求める嘆願書」を出したことが大きかったのだろう。
よほど嫁自身、姑との関係において自身の非があったと反省してのことなのか、それとも、今後夫と生活していくうえで必要に迫られてのことだったのか。
しかし赦されてこの姑は家族の元に帰ったのだろうか。自分が火を放ったその家で暮らしたのだろうか。

それにしても自分を殺そうとした人間と同じ屋根の下で寝られるもんだろうか。
どっちが正しかったとか、悪かったとかではなく。

終わりなき日々

嫁と姑はただの他人のはず。
それが、一人の男を介してある日突然家族になる。遠く離れた場所で暮らすならば問題は少なかろうが、これだけ嫁姑問題がはるか昔から続いているにもかかわらず、自分の母親と妻を同居させようとする男が絶滅しないのは理解に苦しむ。

もちろん、やむにやまれぬ事情もあろう。
しかしやむにやまれぬ事情での同居は、それだけ不満もたまりやすいと思える。
それぞれが介入しない、そう心に決めていても、目の前で雨に濡れた洗濯物があれば取り込みたくなるのが自然だし、子供が叱られて泣いていればかばいたくなるのも自然なことだ。何日も前の煮物が冷蔵庫にあったり、絶対使わないだろう包装紙や箱をいくつも仕舞いこまれていれば、捨てたくなるのも分かる。
しかしそんな「良かれと思って」の行動が積み重なると、それは相手に対して非をあげつらっていることになっていく。そんなつもりはなくてもだ。

勝手にトイレに花柄カバーとかつけられたり、趣味じゃない置物を玄関に置かれればげんなりするのも理解できる。ましてや30年前の育児の常識を持ち出されたり、食事に口出しされればイラつくのも分かる。
そしてそれらひとつひとつはあまりに些細で、当事者以外には気にも留まらないものだ。

国分寺の姑は、夫を亡くし途端に心細くなったのかもしれない。
自分の先々というよりも、自分の存在価値を見失ったのかもしれない。だから、ことあるごとに口出しし、自分の存在を嫁に誇示し続けなければ、いてもたってもいられなかったのではないのか。
岡山の姑は、おそらく家の中に誰も味方はいなかったように思える。孫らとの関係も、希薄だったのではないか。でなければ、なぜ孫らも巻き添えになることも考えずに、火を放ったりしたのか。
嫁の嘆願で刑務所に入らずに済んだとはいえ、その後の生活はどうなったのか非常に気になるところ。

いっそ刑務所に入ったほうがましだったという生活でないことを切に願う。

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参考文献

中日新聞社 平成元年63日夕刊
朝日新聞社 平成元年64日、619日西部朝刊、平成5512日、平成6510日、89日東京地方版/神奈川、平成2087日大阪地方版/岡山
西日本新聞社 平成2427日朝刊、平成4116日、1114日夕刊、117日朝刊、平成5323日夕刊
読売新聞社 平成4116日西部夕刊、117日西部朝刊、平成5511日東京朝刊、平成201111日大阪朝刊
毎日新聞社 平成5512日朝刊
報知新聞東京本社 平成261024
サンケイスポーツ 平成2087

サンデー毎日 紅葉ワイド〔「秋の日はつるべ落とし」〕姑をカレー鍋で殴打事件 嫁逮捕こうなる前にすること  平成251116日号