何見てヨシって言ったんですか?〜あなたの隣の重過失〜

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重過失。
些細な注意を払えば防げたはずなのに、その些細な注意を怠ったがために重大な結末、例えば第三者の死亡などを招いた場合につけられる罪状。
平成31年、日本工業大学による屋外イベントにおいて木製のジャングルジムの内部から出火、幼い子供の命が奪われるという痛ましい事故があったことは記憶に新しいが、この事故で起訴された人物の罪名は重過失致死罪である。
木製のジャングルジムに高温になる白熱球を仕込んだだけでなく、その周囲に燃えやすい鉋屑(かんなくず)を詰め込むという発火待ったなしの状態だったことは、白熱球の熱さを知っている昭和生まれの度肝を抜いた。

類似するものとして、重過失失火というものもある。寝たばこや火の不始末などで火災に発展した場合に適用される。

そこに故意、悪意がないということのみならず、加害者のちょっとした気の緩みや無知と、ほんの一手間の注意を怠ったことで人を死なせてしまう事故は実は少なくない。
バックモニターもアラウンドビューもない車をガレージに入れる際、なぜか幼い子供を先におろす親、ガス漏れ警報で点検に来たにも関わらず、暗いからとなぜかライターをつける人、回収したスプレー缶を空にするため大量に噴射したのちになぜか瞬間湯沸かし器をつけて爆発させる人などなど、他人事としてその報に接すれば「なんでそうなった」と唖然とするわけだが、そんな私たちの隣にも「最悪のミステイク」はまるで日常の裂け目のように口を開けているのだ。

あなたはミスを犯さないか。あなたの隣人は、家族はミスを犯さないか。

泥酔妻風呂場放置死事件

「また酔っ払ってるのか!風呂に入って酔いを醒ませ!」

昭和60121日夕刻。横浜市の民家から怒鳴り声が聞こえていた。
男は隠しておいたはずの一升瓶を飲み干した挙句、空の一升瓶を枕にして寝入る妻の姿に舌打ちした。

居間に転がっていた孫の手を掴むと、ペシペシと妻の尻を叩いた。目を覚ました妻は「うるさいねぇ、わかったよ」と面倒臭そうに呟くと、そのまま四つん這いの状態で風呂場へと這っていった。
もう何度目だろうか。妻の酒好きは度をこし、完全なアルコール中毒だった。
男はそんな妻に愛想をつかしながらも、娘のためを思い、そしてやはり妻のことを諦めきれずにここまできた。

ふと風呂場を見れば、風呂場のドアすら開けられないほど酩酊状態の妻が見えた。うんざりしながらもドアを開けてやると、妻はゴロンと転がるように洗い場へ入っていった。

風呂には前日使った湯がそのままためられたまま。火は落としてあるためすでに水に近い温度だろうが、妻は洋服を着たまま躊躇いもせずにドボンとつかった。

やれやれ、これで酔いも醒めるだろう。
男はドアを閉めると居間へ戻り、テレビを見た後午後7時半には布団に入った。
風呂場からは妻の笑い声や歌声などが断続的に聞こえていた。それもいつものことだった。
午後11時半、用足しのために階下へ降りてみると、風呂場からはまだ妻の声が聞こえていた。自身が風邪気味だったこともあって、男は「いい加減にせんか!」と妻を一喝、妻を風呂から出そうという意図で溜められていた水を抜いた。

「早く着替えて寝ろ!」

そう言い置くと、男は再び布団に潜り込んだ。

午前3時。ふと目を覚まして隣を見れば、妻の姿がない。一抹の不安に駆られた男は、風呂場をのぞいた。

その風呂の洗い場の冷たいタイルの上に、同じく冷たくなった妻の姿が転がっていた。

裁判

男は妻が放置すれば命の危険があるにもかかわらず、必要な介護を怠ったとして保護責任者遺棄致死で起訴された。
検察は、男が妻に対し遺棄する意図があったと判断、泥酔して前後不覚の妻の保護者として、放置し遺棄したとの故意責任を問うた。

本来ならばたとえ屋内と言えども冬の水風呂は危険であり、かつ、泥酔していることが明らかなのだから、過去に同様の水風呂経験があったとしてもきちんと監視し、その濡れた衣服を取り替え、暖を取らせたうえで寝かせるといった生存に必要な保温の措置を講ずるべきだった。
検察は、男が妻が風呂場で転んだ際、「いい気味だ」と罵ったこと、孫の手で叩き追い立てるように水風呂へ行かせたことなどから、そもそも男は妻に対してうんざりしていたという主張から生命の危険を認識しながらも放置したと主張。

男はその点については自身の軽率さを認め、反省と後悔の言葉も口にしていた。ただ、そこに悪意、故意はない、という主張をしていた。

しかし一審の横浜地裁では男の保護責任者遺棄致死の成立を認めた。弁護側は保護責任者遺棄致死は成立しないとして控訴。
控訴を受けて、検察も予備的訴因として重過失致死を盛り込んだ。

続く東京高裁での控訴審では一転、原判決破棄となり、男には重過失致死で執行猶予付きの禁固刑が言い渡された。
東京高裁では、男の軽信と妻の死亡には因果関係があり、重大な過失があることは間違いないとしても、過去になんども酔いを醒ますために妻が水風呂に入っていたいたこと、今回も妻自ら浴槽内に入っていること、何度かの確認時点においては、妻の酔いがさめているとは言えなかったが、断続的に歌を歌ったり大声で独り言を言うなど、意識があったことから、いつものようにそのうち自分で服を着替えて寝るだろうという軽信はあったにせよ、そこに死の危険が迫っているという認識はなかった、とした。

そもそも真冬に水風呂に入るというのは妻の飲酒癖によるものだった。

妻は通常でも一升以上の日本酒を軽くあけるほどだったといい、そのせいで家事や育児がおろそかになり、これまでに夫婦は2度の離婚、復縁をしていた。
しかし籍は抜いても一人娘のこともあり、ずっと同居を続けていたという。事故当時も離婚状態ではあったが、普通に夫婦として家族として生活していた。

男にとって妻は、飲酒を除けば「すばらしい人」だったという。だからこそ、どれだけ妻が酒を飲んでも、家族であり続けたのだ。
アルコール依存症の治療のため病院にも通わせ、日々起こる妻の「やらかし」の後始末もしてきた。当然、事故直後、救急隊に電話したのち、その電話越しに指示を受けながらの救命措置もした。それを知ってか、妻の親族も、妻の死を残念に思うと同時に、男に対してはねぎらいの言葉も出ていた。

判断ミス、というよりもむしろ経験からの軽信が、男にとって最愛のすばらしい妻を死なせてしまった。

しかしおそらくこの妻は、目覚めた場所が天国であることに驚くと同時に、「やってしまった」的な思いを抱くことはあっても、男に対しては恨み言は言わなかったのではないかと勝手に想像する。

ピアノレッスン場火災事故

昭和5210月。大阪府内の木造瓦葺二階建ての建物が火に包まれた。
ここは、とある大学で音楽を教える教授が実母と共に暮らす家であり、また、近所の子供らが通うピアノレッスン場も併設されていた。

火の勢いは強さを増し、もはや自力での消火は出来ない状況下で、この家の主である男性は家の外で右往左往していた。

駆け付けた近所の人らは、住人の男性が無事であることは確認できたものの、高齢の母親が火に包まれたことを知る。
しかし、この時建物の中にいたのはその実母だけではなかった。

たまたまレッスンに来ていた6歳から12歳までの幼い子供たち3人が取り残されていたのだ。

火災発生まで

男性は東京の音楽大学を卒業後、公立学校の音楽教諭を経て事故当時は関西の教育大学で音楽科を担当する教授だった。
その傍ら、大阪府内の自宅で近所の子供らを招き、当時一般家庭に次々と置かれるようになったピアノのレッスンを行っていた。

男性には当時77歳の実母がおり、この大阪府内の自宅にて妻子らと共に実母とも同居していた。
実母は下半身不随の状態でありほぼ寝たきりの生活だったというが、この実母には実に困った習慣があった。

寝たばこである。

これまでにも、寝たばこが原因で畳を焼くなどの事故があったといい、男性は火災が起きては大変と、常々実母に言い聞かせるなどしていた。

昭和52年の1015日午後4時過ぎ、この日妻も子供も家にいなかった時間帯、レッスン場には近くの12歳と9歳の姉妹が来ていた。自分の番を待つ6歳の男の子の姿もあった。

ふと、なにやらきな臭いにおいが鼻をついた。

レッスン場の出入り口である引き戸を開けて廊下を見てみると、すでに熱気が感じられ、天井付近には白煙が立ち込めているではないか。
瞬時に男性は、レッスン場と廊下を挟んですぐ向かいにある実母の部屋が火元ではないかと思い、慌てて実母の居室の開き戸を開けた。

そこには、すでに火に包まれた状態の実母の姿があったという。

救出はもはや不可能、次にすべきはすぐ近くのレッスン場にいる子供たちをいち早く安全な場所へ避難させることだと誰もが思うだろう。
しかし男性は、「火事だからそこで待っとりや!」と子供たちに声をかけると、そのまま表に出、家の周辺を見て回った。
しかもその際、レッスン場の引き戸は開け放たれたままで、再び男性がレッスン場に戻ったときには、廊下から白煙が立ち込め、男性がレッスン場に入ることができない状態になってしまっていた。

男性は裏口や窓から子供たちを救出しようとしたものの、すでに煙が充満して視界がゼロの状態の中、パニックを起こした子供たちを誘導できるわけもなかった。

結果、9歳の妹と6歳の男の子は一酸化炭素中毒で死亡、12歳のお姉ちゃんは全身にⅡ度の火傷を負い、二日後に死亡した。

酌量しても免れない罪

火災だったことやその原因自体が男性にあったわけではない点で、このような場合罪に問われないこともあるように思える。
しかし男性は、起訴された。
罪名は、重過失致死。

本来ならばまず、①子供たちの生命の安全を確保すべきところを男性は判断を誤り、かつ、②4mも離れていない火元の部屋と子供達のいるレッスン場を隔てる扉を開け放した状態で③「そこで待っとりや」と子供らに「指示」し、④その場を離れ、⑤急を要することでもなかった外回りの確認にかまけたことで、子供たちの救助が著しく困難になったと検察は主張。
対する弁護側は、男性が目にしたのは火に焼かれる実母の姿であり、気が動転、狼狽したために正常な判断ができない状態にあり、そのため子供たちの救助が後回しになったとしても無理からぬことであると主張。
その状態の男性に注意義務を課すのは相当ではなく、たとえ課すとしてもそれの遵守を期待するのは可能性がないわけであるから、重過失も成立しない、とした。

裁判所は、男性が動転し狼狽したことは容易に推認されるとしつつも、レッスン中は自宅で保護者の代わりに子供たちを自己の管理下に置いていたわけで、火災などの重大な事態が発生すれば子供たちの生命や安全を最優先に行わなければならない注意義務を課されているのが相当とした。
男性には子供たちを安全な場所へ避難誘導する義務があったのに、それを怠ったことが重大な過失として認定されたのだ。

また、火災に気づいて駆け付けた近隣住民に対し、なぜか男性はレッスン場に子供が取り残されているにもかかわらず積極的な救助を要請しなかったという。
詳細は不明だが、推測するに男性は子供たちのことを最初に言わなかったのだと思われる。
もしも駆け付けた人らに子供たちがいるんだということを告げていれば、皆何よりも子供らの救助を優先させただろうし、判決文の中で「取り残された児童の救出を求めようとしなかったために有効な救助の機会を失わしめた」とされていることからも、男性はここでも大きな判断ミスをしていた。

男性は深く反省し、自己の非を全面的に認めており、教授という職を辞した後は遺族に対し慰謝を尽くし続けていたという。
それでも、幼い子供らを救助することなく自分の家の周囲を見て回り、さらには煙を見て子供らの救助を断念し、近隣住民らにも子供たちの救助を要請していないなど、親からしてみればどうしてという言葉しか出ないだろう。

裁判所は男性の態度やこれまでの人生などすべてを斟酌したとしても、刑の猶予はできないとして禁固10月を言い渡した。

男性は控訴せず、刑を受け入れた。

除草剤入り栄養ドリンク事件

「これ、何入ってんだい?」
栃木県野木町の自動車解体工場。その会社を経営する大山三郎さん(当時65歳)は、訪ねてきていた知人の車の後部座席に無造作に散らばった瓶を見て訊ねた。

「あぁ、オレンジジュースの腐ったの」

知人の車の後部座席に散らばっていたのは、栄養ドリンクの瓶だったが、中身は栄養ドリンクではないものが入っているようなことを、確かに男は言っていた。

その後、用事を済ませて一服しようとした際、知人男性は車の後部座席にあった栄養ドリンクを一つ掴むと、大山さんに「飲むかい?」と手渡した。

先ほど知人の男が、この瓶には「オレンジジュースの腐ったの」が入っていると言っていたことを大山さんが覚えていたのか、忘れていたのか、覚えていたけれど「その瓶には」栄養ドリンクが入っていると思い込んだのかはわからないが、大山さんは勧められるがままにその栄養ドリンクを流し込んだ。

それは、栄養ドリンクでも、オレンジジュースが腐ったものでもなく、「ブリグロックスL」、ジクワット・パラコート液剤であった。

大山さんはすぐに吐き出したが、その後パラコート中毒によって死亡した。

杜撰過ぎる男

なぜこんな悲劇が起きてしまったのか。というか、むしろ事故に見せかけた他殺ではないのかと思うほどである。

確かに、栄養ドリンクの瓶のサイズは希釈して使用する液剤の持ち運びにはもってこいなわけで、冷蔵庫の麦茶の瓶に素麺つゆの悲劇と同じくらいに、栄養ドリンクの瓶に農薬、除草剤というのは田舎ではありがちと言えばありがちなことではある。

しかし、素麺つゆならブハーで済むが、除草剤となると洒落にならない。実際に大山さんはすぐに吐き出したが、栄養ドリンクだと思っておそらく一気に流し込んだのだろう、すでに致死量を超える量が体に取り込まれており、医師にも手の施しようがなかった。

知人男性は逮捕され、重過失致死で起訴された。

裁判ではこの男性・仮にAとするが、Aのあまりに杜撰な性格というかもしかしてこれは何かの病気では?と思わざるを得ないほどの実態が明かされた。

そもそもなぜ大山さんに除草剤を入れ替えた栄養ドリンクを渡したのか。普通、栄養ドリンクでなくとも、飲料や食用の容器に食べたら死ぬで系のものを一時的であっても詰め替えたならば相当な注意を払うだろうし、ましてや他人に飲用、食用目的で手渡すなど絶対にあり得ない。
実際、事故の直前には大山さんにその瓶の中身を聞かれ、表現の意図は別として少なくとも「飲み物ではない」という認識はAにもあったはずだ。

Aは職場にあったパラコート液剤を、自宅の庭の除草目的で栄養ドリンクの瓶に移し替えて所持していた。わずか3日前の話である。
なぜ栄養ドリンクの瓶だったかというと、便利であることに加え、Aの車の後部座席には自分用も含めて箱で栄養ドリンクが常備されていたのだ。
Aはそれを知人らにも分けることがあったという。

Aも、パラコート液剤を詰め替えた瓶を、まさかそのまま同じ箱の中へ戻したわけではない。ナイロン袋に入れ、他のものに触れないよう、そして除草剤入りだとわかるように、分けていた。
ところが、後部座席に置いた栄養ドリンクの瓶が箱の中でガチャガチャと音を立てるのが気になり、なんと未開封の瓶まで別のナイロン袋に入れたというのだ。
この時点で、ぱっと見どれが除草剤入りでどれが未開封かわからなくなっていた。

まさにロシアンルーレット状態であったにもかかわらず、なぜ躊躇いもせずにその複数散らばった瓶の中からよりにもよって農薬入りの瓶を手渡してしまったのか。

裁判では検察も「故意」があったとまでは言っておらず、あくまでも事故という点に争いはなかった。
弁護側は、過去にAが鍋を火にかけたまま忘れたことを挙げ、Aは健忘症であったとして過失致死にとどまると主張。
また、そもそもパラコート液剤の人体への影響を正しく認識していなかったこと、その証拠に、Aはパラコートを瓶に移す際、素手で行っていたことを挙げるなどした(パラコートは服用以外の経皮吸収でも中毒を起こす)。また、会社での保管も鍵のないところで保管されていたことから、Aがパラコートの除草剤を劇薬であり、慎重な取り扱いが必要であるとまでは思っていなかったと述べた。

対する検察は、自宅で子供達に触らないよう注意していたことや、大山さんが吐き出した後、口を濯がせ、「ごめん」と言ったこと、そして何よりも、その薬剤を数十倍に希釈したものを庭に散布したのち、3日ほどで雑草が枯れたことを経験として知っているのであって、人体に取り入れられれば深刻な状態に陥ることは常識として分かっていたと反論した。

裁判所は、これら双方の主張を踏まえ重過失致死の成立を認めた。

弁護側は重過失致死は成立しないとして東京高裁に控訴したが、平成231130日、東京高裁は控訴棄却、弁護人の所論にはいずれも理由がないとして退けた。

報道や裁判の資料が乏しく、この重過失致死がどれほどの刑になったかは定かではないものの、悪意があったわけではないことは明白であり、直後には速やかに救急要請をし、大山さんを救命しようとしていたことなどは酌量されたであろう。

0歳児窒息死事件

平成1393日午前4時。
栃木県小山市の古びたアパートから、生後4か月の乳児が息をしていないと119番通報があった。
病院に運ばれた乳児は、すでに死亡していた。

死亡したのは、このアパートの一室で暮らす田﨑あずささん(仮名/当時40歳)の長女、有紬(あゆ)ちゃん。
死因が窒息だったことなどから病院が通報、警察は母親のあずささんから事情を聴くとともに、内縁の夫で有柚ちゃんの父親でもある男性からも事情を聴いた。

有柚ちゃんは発育状態に問題はなかったものの、三か月検診にはきていなかったといい、警察ではあずささんと内縁の夫双方に養育方法の問題がなかったか、慎重に調べを開始したところ、内縁の夫がその夜の状況を話し始めた。

内縁の夫は、有柚ちゃんを段ボールに入れて押し入れで寝かせていたというのだ。

こんなことになるんなんて

警察は、有柚ちゃんの父親の、東岡忠春(仮名/当時27歳)を逮捕。
有柚ちゃんの夜泣きが煩わしかったと話したことから、警察では虐待も視野に入れて捜査したが、有柚ちゃんの体には虐待をうかがわせるような痕跡はなく、結果として忠春は重過失致死容疑での逮捕となった。

あの夜何があったのか。

忠春は福岡県の生まれ。事故当時は小山市内で知り合ったあずささんと同棲していた。
年上のあずささんの稼ぎに頼っていた節がうかがわれるが、平成135月には有柚ちゃんが生まれた。
しかしふたりは籍を入れることもせず、有柚ちゃんを認知することもなかったという。

はっきりと判決文に書かれているわけではないが、あずささんにも忠春にも、有柚ちゃんの養育態度にはいささか問題があったと思われる。
赤ん坊が泣くことでしか気持ちを訴えられないのは当たり前のことではあるが、ふたりにとってはその夜泣きで夜も寝られず、特に仕事を持つ母親のあずささんは寝られないことから仕事にも支障が出ることがあったようだ。

そこで忠春が思いついたのが、押し入れの中で寝させる、ということだった。

襖があれば少しでも違うのではないかと考えた忠春は、段ボールをベッド代わりにして、有柚ちゃんを押し入れに入れた。
ところが、段ボールのサイズに合う「掛布団」がなかったという。
そこで、大人用の掛布団を段ボールのサイズに折りたたむと、そのまま有柚ちゃんの上に被せた。

この危険性が分かるだろうか。
掛布団を折りたたんだ経験のある人ならわかるだろうが、掛布団のような厚みがあって軽いものには「復元力」というものがある。二つ折り程度ならばまだしも、大人サイズの掛布団を赤ん坊のサイズに合うよう折りたたんだとすれば、四つ折りくらいには少なくともしただろう。
折りたたまれた掛布団は、そのうち有柚ちゃんのちょっとした動きで徐々に復元し、そのうち有柚ちゃんの顔を覆ってしまった。
有柚ちゃんは生後4か月、寝返りすら打てない時期である。軽い布団であっても、それをはねのける力はあろうはずもなかった。

掛布団と襖に邪魔され、おそらく泣き声やうめき声も大きくはなかったのだろう、忠春もあずささんも娘の異変に気付くことはなかった。

裁判では、それまでにも段ボールに入れ押し入れで寝かせていたことや、そもそもその煩わしいと思った泣き声こそが、子を守るためのサインであり、聞こえないような工夫をすること自体が非常識であると批難。
ただ、この行為自体が信じられないほどにバカな行為であるとはいっても、有柚ちゃんが寒くないように、というある意味「親心」からの行為であることは否めず、典型的な意図的虐待とは様相を異にしているとした。
また、あずささんがそこまで強い処罰感情を持っていないこと、加えて忠春と今後も一緒にいるという意思を持っていることなどが酌量された。

結婚も、我が子の認知すらしていなかった男の信じられない過失で幼い娘を失う羽目になったにもかかわらず、やり直したいといったあずささんの気持ちは一ミリも分からないが、裁判所は懲役1年の求刑に対して、懲役8月、未決拘留日数60日を算入するという判決を言い渡した。

忠春自身も、「まさかこんなことになるなんて」と当初から後悔と自身の過ちを認めていたというが、その代償は人間一人、しかも無限の未来をその小さな手に握りしめていた幼い娘の死だった。

ガソリン引火母子焼死事件

冬の時期になるとたまに、ごく稀に、ファンヒーターなどの灯油を入れるべきタンクに誤ってガソリンを入れてしまい火災を引き起こした、という事故を耳にすることがある。
ただ最近では、ガソリンを携行缶以外に給油することや、一定量以上の販売が制限されるなどの対策もあって、そのような事故は減少している。

しかし過去には、ガソリンの取り扱いを大きく誤ったことで最悪の事態を招いてしまったというケースがある。
そのきっかけは、単に「ちょっとした、ズル」を企てたことに遡る。

あの日、男の心によぎったちょっとしたズルは、最愛の妻子を焼け死なせる結果となって男に跳ね返った。

種火

その日男は、勤務先の車に乗って大阪府内の自宅へと戻った。時刻は午後8時になろうとしており、自宅では妻と2人の子供が入浴中だったという。

男は自宅裏の土間へ行くと、そこで4リットルを入れられるガソリン携行缶を手に取った。
中身は3リットルほど入っていたというが、男はそのガソリンの中身を、別のガソリンタンクへ移そうと試みた。
すでに156リットルのガソリンが入っていたもうひとつのタンクの注ぎ口に、男は携行缶の口を合わせるとゆっくりと中身を移し替え始める。しかし、案の定、ガソリンが一部こぼれてしまった。

次に男がしたのは、その3リットル入りの携行缶をさかさまにしてもうひとつのタンクの口とあわせ、中身を一気に移し替えるという方法だった。
ゆっくりやるからこぼれたのであり、一気に移せばたとえこぼれたとしても少量で済むのではないかという考えだったようだが、そんなことができるはずもなく土間には大量のガソリンが流出してしまった。

次の瞬間、土間は焔の海と化した。

男がガソリンを入れ替えていたのは風呂場横の土間であり、しかもその風呂場の種火がついたままだったのだ。

母子焼死

土間を一瞬で包んだ焔はそのまま男が手にしていたガソリンタンクへも引火した。
動揺した男は、そのタンクを玄関方向へ持ち出そうとしたというが、ふと右腕を見るとすでに男の腕にも火が燃え移っていた。

さらに動転した男は、なんとその火がついた状態のガソリンタンクを自宅奥の六畳間へと放り投げてしまった。
火炎瓶どころか、15リットルのガソリン入りの火炎タンクである。放り投げられた先でガソリンは撒き散らされ、自宅はあっという間に炎上した。

火はその後男の自宅のみならず、マンション全体を包み込み、合計4室、132㎡を焼き尽くした。

さらに、現場からは3人の無残な遺体も発見された。

男の妻(当時29歳)、そして3歳と1歳の息子は風呂場から逃げ出せず、全身にⅠ~Ⅱ度の火傷を負って焼死してしまったのだ。

警察は男を重過失失火容疑で逮捕し、その後男は起訴された。
起訴された際、男には重過失致死の罪状も追加されていた。

どこの時点でまずかったのか

弁護側は、妻子が焼死したのは男が引き起こした火災が原因であることは異論がないものの、その火災が起きた原因はあくまで男が火のついたガソリン入りタンクを室内に放り投げてしまったことによるものであると主張。
そして、その行為は妻子が入浴中であることを知っていた男が、妻子から炎を遠ざけようとしたのであり、その際に自己の腕に火が燃え移ったことで狼狽し、咄嗟に放り投げてしまったことを「過失」とするのはいかがなものかという主張を展開した。

たしかに、自分の命を捨ててでも火災を食い止めなければ罪になるというのであれば、それには問題もあろう。裁判所も、この弁護人の主張には一定の理解を示した。

しかし、そもそもの男の過失はもっと前の段階にあるのではないか。

検察は、
①妻子が入浴中であるということを知っていた
②男は運転手という仕事柄、ガソリンの危険性や取り扱いについて常識以上の知識はあった
③妻子がいた風呂はその構造上、土間に面したドア以外から出入りができない
④ガソリンの入れ替えを行った土間は非常に風通しが悪かった
⑤ガソリンの入れ替えの際に、ポンプなどがあったにもかかわらず使用しなかった

以上の点から、男の過失はガソリンタンクを思わず放り投げたことではなく、その前段階にあるとした。

男は帰宅後、妻子がすでに入浴中であることを知っていた。
そこで、妻に対して「ポンプはどこにあるか」と聞いたという。ポンプは自宅の玄関の辺りにあったというが、帰宅してすでに下着姿になっていた男は、その恰好のままで玄関へ出ることを躊躇い、かといってまた着替えることも面倒だと感じ、移したいガソリンが3リットル程度だったことで軽く考え直接移そうと考えてしまった。

もし、男がポンプを使って移し替えていたら、危険ではあったけれどもその後の火災発生には至らなかった可能性があった。
また、ポンプを使用しなかったとして、同じくガソリンを流出させてしまったとしても、風呂の種火を消していれば、当然火災はおきていなかった。
種火がついていたことを知らなかったとしても、妻子が入浴中であるのだからもしかしたら種火がついているのでは、という確認をすれば、同じく火災を起こすこともなかった。

このように、ちょっとした、誰でもが容易に行うことができる確認や注意を怠ったがゆえの重大な過失がある場合に、重過失致死に相当すると判断される。

裁判所も、検察の主張を認めて男の重過失=妻子の死亡は、ガソリンタンクを放り投げたことではなく、それより以前の男の行動にあったと認定。
そして、火災が大きくなってしまった要因として、男が事故の腕に火が燃え移ったことでガソリンタンクを投げ出した(火災が大きくなった)、という行為が介在したとしても、男の重過失は成立するとした。
そのうえで、死亡したのが男の妻子であること、反省が深いこと、前科等がないこと、焼け出された一部の住人が男を宥恕していることなどから、禁固1年執行猶予2年の判決を言い渡した。

あなたなら、家族が入浴するその風呂場の横で、ガソリンを入れ替えたりするだろうか。ましてや、ポンプがない状態で入れ替えようと思うだろうか。
そもそも、なんで男はガソリンをタンクからタンクへ移すということをしていたのか。

それは、この男の「ズルい考え」があった。

男はこの日、勤務先の車で帰宅している。その際、あることを思いついた。

「会社の車のガソリンを抜いて、自分の車へ入れよう」

……はぁ?はぁ???ただの窃盗(横領か?)じゃん。
そのために、家にあったガソリンの携行缶をまず空にする必要があったのだ。車の給油口から直接、別の車へ給油することは不可能だからだ。

もうまずそこからあり得ない。価格にしてどれほどだろうか、もしかしたら今までも会社の車からガソリンを抜いていたのかもしれないが、そういったせこさ、ズルさがこの事故の根本にあるような気がしないでもない。

仕事を終え帰宅し、家では愛する妻と子供たちがにぎやかに風呂に入っている。なんと幸せな日常。
その声を聴きながら、男は風呂の外の土間から子供らに声をかけたかもしれない。まだ言葉もおぼつかない子供たちを傷つける意図などこの男には微塵もなかった。
それが、一瞬にして燃えてしまったのだ。男が面倒がったせいで、ズルをしようとしたせいで、妻子は炎に焼かれてしまった。

あなたの隣の重過失

誰にでも、うっかりミスや判断ミスはある。自動車事故などはほとんどがそうだろう。工事現場や工場などでの事故も、わざと間違えるバカは多分いない。
「大丈夫だろう」「これまでもやってきた」「誰かが確認しているだろう」「相手が気を付けてくれるだろう」

しかしその結末はすべて同じだ。

「こんなことになるなんて思わなかった」。

きっと本心だ、まさかまさか、火事になってしまうなんて。まさかまさか、さっきまで笑っていた人が自分のせいで死ぬなんて。

けれど第三者としてそれを見ると、どう考えても「何見てヨシって思ったんですか?」と言いたくなるケースがほとんどだ。

そう言って批判し、あきれ返る私たちにもその闇は容赦せずに口を開けていることも忘れてはならない。
ゴミ出しのほんの数分だから、火を鍋にかけたままでもいいか……、友達がたくさんお酒を飲んでつぶれてるけど、子供じゃないんだし大丈夫だろう……

しかしその数分後、その判断が他人を傷つけたり最悪、死なせてしまう可能性は十分ある。
注意や確認はやりすぎて困ることはないだろう、自分が今しようとしていることは、本当に間違っていないのか。

ドアを閉める前に、その場を離れる前に、楽をしようとする前に、一瞬考えてみたい。
死ぬほど後悔するのは、自分自身だ。

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参考文献
平成21113/大阪地方裁判所/13刑事部/判決/平成1年(わ)4789号 判例タイムズ768251
昭和601210/東京高等裁判所/8刑事部/判決/昭和60年(う)1349号 判例時報1201148頁 判例タイムズ617172
平成131227/宇都宮地方裁判所栃木支部/判決/平成13年(わ)242
平成231130/東京高等裁判所/5刑事部/平成23年(う)1585号 東京高等裁判所(刑事)判決時報62122
昭和54410/大阪地方裁判所/8刑事部/判決/昭和53年(わ)4730

読売新聞社 平成13925日東京朝刊、平成23117日東京朝刊
NHKニュース 平成23116