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家庭内での不幸な事故、悲しい交通事故など、新聞の片隅にその事実だけが掲載されるだけの出来事。
事件として発生当時は大々的に報じられるも、すぐに忘れ去られてしまうような続報のない事件。
そして当事者が全員死亡して真相がわからないままの事件。
けれどそこにも、いろんな人生があってドラマがある。
報じられたことから推測されていたことが、実は違っていたり。裁判を傍聴しているとよくある。なぜ事件が起きたのか、その本当の部分は時に、報道することが躊躇われたり、あるいは記者本人の主観がそうさせたり。
報道から読み取ったことが実は違っていた事件、ひとつの事故で被害者と加害者が家族の中に生まれた場合に起こること、そして、真実が分からない無理心中の記録。
戸田の入浴事故
平成29年1月、埼玉県戸田市のマンションで痛ましい事故が起きた。
両親が生後11か月の次女を入浴させていたところ、脱水症状を起こして死亡したのだ。
両親はともに在宅だったが、母親は家事や長女の面倒を見たりしており、次女の入浴は父親がメインで見守っていたという。
午後8時10分、次女を風呂からあげようと父親が浴室を覗くと、湯が張られた浴槽の中で、次女が足を浴槽の底につける形で湯船に浮いていた。
両親はすぐに119番通報したが、次女は搬送された病院にて死亡が確認された。
この「事故」について、それを報じる記事は見当たらなかった。地元紙などに掲載された可能性はあるが、この事故はここから2年後の令和元年に世間に知られることとなる。
そもそも、なんだこの状況?と、子供に携わる職業の人や子育て経験者ならば思うだろう。
生後11か月の乳児を風呂に入れるとき、大人が常時傍にいないでどうやって湯船につかるのか。
普通のマンションの風呂ならば、洗い場から浴槽のふちまではある程度の高さがあるはずで、外国の豪邸やリゾートホテルにあるような洗い場とふちがフラットな浴槽は日本では一般的とは言えない。
ではなぜ、生後11か月の次女は湯船に浮いたのか。
「あの」浮き輪
実は次女は、「スイマーバ」と呼ばれる首につける浮き輪のようなものを着用していたのだ。それが、発見当時は外れていた。
このスイマーバは父親が前年の10月ころに購入したもので、以降、次女を入浴させる際にはスイマーバを着用させて湯船に浮かべていたという。
最初は、10分とかその程度だった。が、思いのほか「これは使える」となったのか、次女をスイマーバに任せて目を離すことが増えていった。
加えて、次女が湯船につかっている時間も、少しずつ長くなった。
その間、両親は家事をしたり、ゲームに興じたりしていた。
次女の入浴時間はスイマーバ購入から一か月もすると、なんと1時間にも及ぶようになった。
ただ10分~15分おきには様子を見、飲み物を与えるなどしていたという。
しかし事故が起きるころには、次女の入浴時間は実に2時間を超えるほど長くなっていた。
警察は死因が溺死ではなく脱水による不可逆的ショック状態からの蘇生後脳症であることから両親に話を聞いたところ、事故が起きた日は入浴中に水分補給を怠っていたことが発覚。
その後慎重に捜査が行われた結果、両親には重過失致死が成立するとして、令和元年1月15日、埼玉県警は両親を書類送検した。
そしてその年の6月28日、さいたま地検は両親を重過失致死罪で起訴した。
気に入らない幼児体型
0歳を湯船に放置、死なせた疑い 両親「ゲームのため」
埼玉県戸田市で一昨年、生後11カ月の娘を自宅の浴槽に放置して死なせたとして、埼玉県警は15日、父親(33)と母親(36)を重過失致死容疑で書類送検した。捜査関係者への取材でわかった。父親は「ダイエットさせようと思い湯船に浮かべていた。ゲームなどをする時間を作りたかった」などと供述しているという。
捜査関係者によると、両親は2017年1月、戸田市の自宅マンションの浴室で、首に巻くタイプの浮輪をつけて娘を湯船に浮かばせたまま、約1時間半放置し、脱水症状などにさせて死亡させた疑いがある。2人とも容疑を認めているという。朝日新聞デジタル記事2019年2月15日 13時46分
事故が事件になって報道されたが、この時点で父親が自分の時間を作るためにスイマーバを利用し、さらにはその自分の時間を長くするために、長時間の入浴をさせていたことはわかる。
しかし、さらっと書かれている「ダイエットさせようと思い」という一文は、どういうことなのか。生後11か月でダイエットってなんぞ?
そのすべては裁判で明かされた。そしてそこには、この父親の歪みまくった子育て観、子育て、しつけという大義名分を掲げての、次女に対する「ある感情」が隠されていた。
父親は次女の「体型」がとにかく気に入らなかったという。
生後11か月の幼児など、その身長や体重に個人差はあっても、たいていは三頭身でビア樽みたいなぽんぽこお腹で手足はボンレスハムみたいにムチムチ、ではないのか。
そしてそれが可愛くてたまらない、のではないのか。
この父親は、それが気に入らないとしていわゆる入浴して汗をかかせてダイエットさせようとしたというのだ。
そしてそのダイエット中はスイマーバを使って湯船に浮かべておけば自分は好きなことができる。一石二鳥だと思った。アホである。
これだけなら、多分、とんでもないアホだ、で終わったかもしれない。ゲームをしていたという報道からも、いわゆるネグレクト的な想像をした人も多かったろう。
しかし実際には、この父親がしていたことは次女に対する「いじめ」だった。
育児の名に値しない「虐待」
父親は次女を疎ましく感じていた。
次女の発育を促すためだなどもっともらしいことを言い連ねて、母親としての経験、いや常識として知っていることをもとに次女を心配する妻を言いくるめた。
そして、ひとりぼっちで入浴させられているその浴室の電気を消したり、心配で様子を見に行こうとする妻に対し、「お前が行くと騒いじゃうから」などと言って浴室に行かないよう仕向けもした。
あの日次女は水分補給をほとんどさせてもらっていなかった。
これについても、実はこの父親のわけのわからない考え方が根底にあった。
父親は次女に哺乳瓶ではなく、マグマグを使って飲み物を飲むように練習をさせていたという。
ところが次女はなかなかうまくマグマグを使えなかった。
そこで父親が取った手段は、水分を与えないというものだった。喉が渇けば、いやでもマグマグで飲むしかないのだから、という考えである。今時、ペットに対してもこんなことしない。
この日の昼以降、マグマグ以外での水分補給を禁じられていた次女は、普段よりもそもそも水分が足りていなかった。
母親はそれを心配し、入浴の際には「哺乳瓶で何かを飲ませた方が……」と提案したが、父親はそれを一蹴。
「せっかくここまで頑張ってるんや、今哺乳瓶で水あげたら台無しやろ。喉が渇けば、風呂上りにマグマグを使って水を飲んでくれるやろ。」
と言って応じないばかりか、この日は入浴を3時間にする予定だ、とも言った。母親はさすがに3時間は危険であると言い張ったため、父親は2時間半に短縮したというが、水分を与えるということは両親ともにしなかった。
午後6時から始まった次女のダイエット入浴だが、7時40分ころ、様子を見に行った母親が「そろそろ出さない?」と次女を湯船から抱き上げたうえで父親にそういったが、「もうちょっとしてから」と父親が言ったために、次女を再び湯船に戻した。
そして午後8時10分、父親が浴室を確認したところ、次女が意識を失って浮いていたという流れだった。
この裁判では、よくある「こんなこと(脱水症状)になるとは思わなかった」というアホの伝家の宝刀は抜けなかった。
スイマーバを購入してすぐのころ、湯の温度を見誤ったか、水分補給を怠ったかで、次女がのぼせ危険な状態に陥ったことがすでにあったからだ。
検察は両親の関与の度合いに差はあるとしながらも、両親ともに責任は重いとして父親に禁錮2年、母親に禁錮1年6月を求刑。
さいたま地裁の伊藤吾朗裁判官は、そもそも乳幼児の入浴の際にはこのケースのような脱水のみならず、さまざまな危険性を考えておくことは幼い子供の養育には当然のことであり、ましてや湯を張った湯船にひとりで放置するなど危険な状況を率先して作り出していることなど、両被告の注意義務違反の程度は甚だしく、単なる無知や注意不足による重過失とは一線を画す悪質さがあると厳しく批難した。
母親に対しても、父親に対してやんわりと意見をすることはあっても、結局は夫婦間がこじれることを恐れ、自分自身、父親の行為は娘への「いじめ」であるとまで認識していながら容認し、放置した点においては親の自覚を著しく欠いているとした。
父親に対してはもはや育児の名に値しない虐待行為にほかならず、意図的に虐待行為の一環として一人での長時間に及ぶ入浴と水分補給をさせないという状況を作り出したと指摘。
現時点で父親が自分がしたことを認めていることや、お決まりの幼い子供(長女)の存在があることなどを酌量したとしても、執行猶予を付けることは相当ではないとして、父親に対し禁錮1年8月、母親には禁錮1年4月の判決を言い渡した。
悲しい事故と思われた次女の死は、父親の悪意と母親の弱さが引き起こした虐待事件の結末だった。
徳島の日本刀刺し違え事件
平成19年11月11日朝。
徳島県小松島市中郷町の民家から、「夫と長男が死亡している」と通報があった。
警察が駆け付けると、庭と家の二階部分の個室で男性二人が死亡しているの発見。
庭で死亡していたのはこの家の主で建設会社会長の平山晃千(てるゆき)さん(当時60歳)、二階で死亡していたのは長男の徹さん(当時32歳)だった。
捜査員はそのふたりが死亡している現場を見て言葉を失った。
2人とも場所は違えど、血まみれで倒れていたのだ。特に、2階の部屋のベッドの上で死亡していた徹さんは、上半身の前面や首、さらには背中部分にも複数の刺し傷、切り傷があった。また、庭の晃千さんも首に深い傷を負い、血だまりの中で息絶えていた。
晃千さんは地元小松島市のみならず、徳島では大変有名な実業家であり、商工会議所会頭、自民党県連副幹事長を務め、つい先日には黄綬褒章を受章したばかり。
徳島の建設業界をけん引する存在としては誰もがその功績を称え、かつ、近所の人らに偉そうにふるまうこともなく、丁寧な人柄だった。
外部から侵入した痕跡はなく、警察は家族から話を聞いたところ、前夜、この父子の間で口論が起きていたことが分かった。
当初の報道では、玄関付近の仏間に抜き身の日本刀が、さらに晃千さんの傍らにも鞘に入った日本刀が落ちていたことから、口論が激化した二人がそれぞれ日本刀を持ち出して刺し違えた、という可能性が伝えられていた。
事件直後の週刊ポストでも、刺し違えたとみられる、とあった。
しかしその後判明した真実は、悲しい決意のはて、だった。
そこにいったいなにが。
父と息子
人格者であり、実業家としても成功を収めていた晃千さんとは対照的に、息子の徹さんには心配があった。
事件当時は晃千さんが会長を務める平山建設で営業の職に就いていた徹さんだったが、その勤務実態は給料日に会長室へ行って小遣いをもらうこと、だったという。
徹さんは地元の高校を卒業後、一旦は就職して上京したもののすぐに退職、平成11年に実家の徳島へ戻ってからは、いわゆる「引きこもり」の状態にあった。
それを見かねて、自身の会社へ入れたのが父親である晃千さんだった。
徹さんについては、新聞報道では控えられていたが、実際には小学生の頃からその人となりについて周囲を悩ませてきたことがわかっている。
徹さんは友達であろうが先生であろうが、とにかく他人の言うことが全く聞けない子供だったという。
団体行動もできず、いつも勝手気ままにふるまう。修学旅行でも計画的にお金を使えず、初日ですべての小遣いを使い切ってしまったり、意に沿わない他人に対する他害行為もあった。
これが、今ならばもしかすると発達障害の可能性も考えられるのかもしれないが、裕福な家庭の子ども、というスペックが「ただのわがまま坊や」という風に見られていたのかもしれない。
そんな徹さんを心配し、叱咤し続けてきたのは晃千さんだった。
事件前夜、生活態度について見かねた晃千さんが徹さんに注意したところ、徹さんが激高。二人は激しく言い争っていたというが、母親が間に入ったことでいったんはおさまったかに見えた。
しかし、午前4時ころ、ふたりは再び争いとなり、平山家の先代当主(晃千さんの父親)が収集していた日本刀をそれぞれが持ち出し、斬り合いになった、という見方がなされていた。
状況として二人が別々の場所で倒れていたこと、徹さんは自室で倒れていたこと、傷が多かったことなどから、徹さんの部屋で斬り合いになった後に、晃千さんが負傷しながらも日本刀をたずさえ庭先まで出て息絶えたか、とも見えたが、晃千さんの傷は首の深い傷のみだった。
晃千さんが首に傷を負わされた状態で二階から庭先まで出たとするには、家の中の血痕が少なすぎた。
さらに、二本の刀の状態を調べたところ、斬り合った形跡は認められなかったという。
ふたりは刺し違えたのではなかった。
日本刀を握っていたのは、晃千さんだった。
悲壮な決意
警察は、普段刀を管理していたのは晃千さんであること、自室で倒れていた徹さんに防御創があったが部屋自体、争った形跡が薄かったことなどから、寝ている徹さんを晃千さんが斬り、殺害。
その後、別の刀で晃千さんが自ら首を斬り自害したと断定した。
その後の調べで、鞘に納められていた刀は実際には抜き身だったことも判明していた。
2人が倒れていることに気づいた妻が通報している間、その現場を見た人がもう一人いた。
晃千さんの、80歳になる母親だった。
母は血まみれの日本刀を拾い上げると、それを仏間に置いた。晃千さんのそばにあった日本刀は、鞘に納めた。
二階で孫の徹さんが死亡していることを知っていたかどうかはわからない。が、高齢のこの母は、庭先で我が息子が、自慢の息子が息絶えているその姿を見て、何を思っただろうか。
勲章を授与されるほどの功績を社会に残し、地域でも人望のあった晃千さん。
しかし我が息子のことだけは、どうにもできなかった。
平山家は立派な日本家屋であり、川沿いの広い敷地は和風に整備され、周囲を塀と植栽が囲っている。立派ではあるが、派手さはなく、そこにも晃千さんの人となりが見える気がするが、実は家の中は大変なことになっていた。
徹さんの他害は家族にも向けられていたといい、皿などはそのすべてと言っていいほどの数が割られ、壁には穴が開き、壁紙を張り直しに来た業者がドン引きするレベルだったという。
新潟青陵大学で犯罪心理学が専門の唯井真史教授(当時)は、週刊ポストの取材に対し、この事件の背景をこのように語っている。
「社会的に成功を収めた父親は、同じ成功を子供にも求めがち。時にそれがプレッシャーになり、子供は抑圧的な父から常に侮辱されているような気持ちになってしまう。それが、引きこもりにつながる。
一方、父親はデキの悪い子供に歯がゆさを感じ、ジレンマとなり嫌悪感に近い感情を抱くようになる。どちらも、ふとしたことがきっかけで殺意に発展しやすく、脆い親子関係といえます」(週刊ポスト 平成19年11月30日号より)
たしかに、事件備忘録で傍聴記として掲載した松山の父親傷害致死事件では、まさにこの通りの事態に発展していた。
しかし、この晃千さんと徹さん父子の場合は、嫌悪感や憎しみではなく、なんというか晃千さんの悲壮な決意が見える気がする。
晃千さんは徹さんを憎んだり疎ましく感じたりはしていなかったのではないか、とも思う。直前の口論の内容は分かっていないが、19日には勲章の授与式も控えていた。対外的には成功者として見られていても、家の中では違う。自分と同じようにならなくていい、成功などしなくていい、普通に、普通に育ってくれればよかった。けれど、親としてそれすら自分は出来なかった。
そんな思いも、晃千さんの決意を促す材料になったのかもしれないと思えてならない。
神戸の交通事故
平成12年3月13日午後7時15分頃、神戸市西区伊川谷有瀬の道路で普通自動車が対向車線をはみ出し、電柱に衝突するという事故があった。
この事故で車は横転し、フロントガラスと後部ハッチバックのガラスが割れた。
車には明石市在住の夫婦と、生後7か月の長男が乗っていたが、運転していた父親はシートベルトをしていたため軽傷だった。
後部座席の母親も大きなケガはなかったものの、生後7か月の長男は事故のはずみで車外の放り出された。
長男は脳挫傷を負い、搬送後危篤状態が続いたが、事故から9日後に死亡した。
悲しい事故。
しかし後に夫婦の姿は法廷にあった。
死亡した長男の生命保険の分配と、長男の逸失利益、そして慰謝料を求めて母親が父親を提訴したのだった。
お互いの主張
損害賠償請求が提訴された平成14年の時点で、この夫婦はすでに離婚裁判に突入していた。
原告である母親の主張は先に述べたとおりだが、これに対して父親の反論は以下の通りだった。
この裁判は損害賠償請求であり、かつ、長男の搭乗者保険金の半額に対する不当利得返還請求であるが、そもそも損害については過失相殺があること、また母親と長男は好意同乗者であることから減額されるべきとし、不当利得返還については夫婦である原被告には連帯債務として負担すべきであり、被告が支払ったことで原告である母親の債務も減少していることでそもそも損失がない、というものだった。
わかりにくい。
要は、夫婦である以上財布(家計)は一つであり、その片方が被害者だと主張してもう片方に損害賠償を請求したとしても、結局は同一の生計である以上、二人の間の財布をいってこいしただけ、という正直あんまり意味なくないか、ということ。
例えば夫が主な収入源だったとして、妻が夫に損害賠償請求をして認められたとしても、夫の収入で家計が回っている以上、夫が窮すれば妻も子も窮するわけで、そこに司法が介入してあれこれ命令をするのもなんだかな、という話である。
さらに、夫婦や同居の親族においては協力扶助義務もあるため、夫婦や親子間で何でもかんでも損害賠償請求権を行使することはその協力扶助義務に違反するともいえ、権利の濫用とみなされる、というのが被告である夫側の主張だった。
過失相殺については、確かに理由がないとは言えなかった。
母親は後部座席で自身もシートベルトをしていなかったことに加え、生後7か月の長男をベビーシートに座らせていなかった。
しかも家にはちゃんとベビーシートがあったという。にもかかわらず、その車に乗せてさえいなかったのだ。
母親は「授乳のため」と説明していたが、それでもベビーシートに座らせていれば少なくとも死亡はしなかった可能性は低くなかった。
さらに、夫はその日事故が起きたのは、母親やその親族らの無理強いや運転の強要があったことも関係していると主張していた。
この日、父親は体調不良で仕事を休んでおり、病院で治療も受けていた。
ところが会社を休んでいることを知った母親が、自身の買い物や身内の見舞いのために父親に運転をさせた。
体調不良に加え運転をしたことで父親はかなり疲れていたのだという。
その後、長田区の母親の実家へ行った後、不意に母親が明かしの自宅に戻りたいと言い出した。
理由は、サラ金のカードを持ち出したい、というものだった。そう、支払日が翌日だったのだという。
明日でも間に合うじゃないか、と言っても、母親は頑として譲らず、とにかく今日中にそのサラ金のカードを明石の自宅から持ち出したいと言ってきかなかった。
そこで仕方なく、父親は明石へと車を走らせ、その道中で事故を起こしたのだった。
父親は、自身の体調不良と疲労の度合いを母親が知っていながら運転を強いて、その車に長男を乗せたのも母親であるのだから、その点において母親にも過失がある、と主張した。
好意同乗者については、このように事故発生の危険が増大するような状況を同乗者が作り出したり、その車に乗ることで事故発生の危険が増大する客観的な事情があることを知りながらあえて同乗した際に考慮される考え方である。
そういう点でも、母親には過失があると父親側は主張した。
損害賠償については、生命保険金は受け取ったがそこから病院代を支払っており、またその後の葬儀や法要、仏具の購入や供養品の購入など、事故後に発生した支出は夫婦である母親も支払い義務があるわけで、それをすでに被告である父親が支払ったのだから、そもそも母親の支払うべき債務は減少しており、母親には何ら損失がない、とした。
神戸地方裁判所は、夫の主張には理由がないとし、そのほとんどを退け、母親の請求のほとんどを認めた。
夫婦
裁判所は、父親の反論のうち、母親が長男をベビーシートに座らせていなかったことについてのみ、1割の過失を認めた。
母親がシートベルトをしていなかったことについては、後部座席のシートベルトは一般道において義務ではないこと、当時は後部座席のシートベルトがさほど一般に浸透していなかったことから、過失とは言えないとした。
ベビーシートについては、そもそもその着用義務は運転手に対して課されるものであって、その運転者である父親が自分のことを棚上げして母親に過失があると主張するのは疑問、としながらも、損害の公平な分担の理念に照らせば、母親にも子を守る責任があったといえ、その点においては父親の主張に理由があるとした。
母親はこれについて、ベビーシートを車に乗せることを父親が嫌がったために、一人で乗せることが難しかった、と反論したが、それならば実家の両親らに頼めば済むことで、それは理由にならないとして退けた。
ほかの点について、好意同乗者については事故のそもそものきっかけを考えれば成立しないとした。
父親は疲労と体調不良を事故の要因としていたが、実際には少々違っていた。
現場の道路は北向きが2車線、南向きが一車線で、南向きが下り坂である。事故はその下り坂が緩い左カーブに差し掛かった際に起きた。
が、その要因は、父親のわき見運転だった。
父親は、下り坂に差し掛かる手前にあったコンビニに気づいたものの、通り過ぎていた。その際、その店で飲み物を買えばよかった、と考え、後方に遠ざかるそのコンビニを振り返って見たりしていた。
その脇見が原因でハンドル操作を誤り、左側の縁石に乗り上げそのままコントロールを失って事故が起きたのだった。疲れと体調不良は全く関係なかった。
である以上、母親が事故を予見したり危険性を知り得ることはまず無理な話だし、母親が無理を強いたから事故が起きたという父親の主張も成立しなかった。
損害賠償については、財布は一つの理論は確かにあるとしても、全ての、どんな状態の夫婦、家族にも画一的に当てはまるかというと必ずしもそうではない、という判断を示した。
実際、夫婦は絶賛離婚裁判中であり、すでにその関係は破綻していた。
その中での損害賠償訴訟であり、もはやそこに財布は一つという考え方は当てはまらなかった。
事件備忘録でも取り上げたケースでも、夫婦間における損害賠償請求は成り立たないとして、離婚後に提訴したケースがある。
神戸地裁は、夫婦、同居の親族間には協力扶助義務があり闇雲に損害賠償請求を行うことは権利の濫用にあたるケースもあるとしながらも、どのケースが権利の濫用にあたるかは不法行為の態様、被侵害利益の内容、違法性の強弱などの具体的事情を考慮して判断されるべき、との判断を示した。
その上で、このケースは父親のわき見運転という一方的で著しい過失によって長男が死亡したのであり、過失の内容は大きく、被侵害利益は幼い命と大変なものであり、さらには夫婦はすでに破綻状態で愛情による共同関係は存在しないとした。
よって、今回のケースは母親による損害賠償請求が権利の濫用とは言えない、という判決となった。
母親には長男の生命保険のうちの半分と、固有の慰謝料として200万円、さらに、長男の逸失利益として2116万円(男子労働者平均年収560万円を基礎とし、18歳から67歳までの期間を通じて生活費控除割合50%として算定)を認め、過失相殺やその他の差し引きの結果、父親に対し合計で570万の支払いを命じる判決が言い渡された。
ちなみに裁判費用は3分の1が父親、残りは母親の負担となった。
その後離婚裁判がどうなったかは定かではないが、離婚しかなかろう。
2人はその時期を考えるといわゆる出来ちゃった婚だった可能性が高い。
2人を夫婦にした小さな命は、その二人の過失によってたった7カ月でその使命を終え、そして2人はその感情の行き場を見失い、争い、短い家族としての期間を終えた。
裁判を終えたふたりは、どんな気持ちだったろうか。
ドラマ
そんな事件あったっけ。
人は忘れる生き物である。忘れるというのは決して悪いことではなく、忘れることで救われる人も少なくない。
今回の事件、事故も、当事者以外が忘れているようなものばかりだろう。日々起きるすべての事件、事故の9割はそうだと思う。その事件、事故を知ったときは、多くの人は胸を痛め、被害者に思いを馳せる。
けれどすぐに忘れる。その時の胸の痛みも。
どんな小さな事件、事故にも被害者加害者それぞれに人生があって、そこに至る経緯が、理由がある。
事件備忘録を書き始めたとき、そんな誰も知らないような小さな事件を掘り下げてみたいと思った。
現実的には資料がないことが多く、記事として成立しないものばかりで結局、ある程度知られた話題になった事件が多くなっているが、今後も今回のように誰も知らないような小さな事件、事故をその結末まで書くことが出来たら、と思う。
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参考文献
北海道新聞社 平成19年11月12日朝刊
読売新聞社 平成19年11月13日、14日、16日大阪朝刊
朝日新聞社 令和元年2月15日、6月29日東京地方版/埼玉
令和元年11月8日/さいたま地方裁判所/第二刑事部/判決/令和元年(わ)730号
※神戸の交通事故については参考文献(判決文)に実名が記載されているため、こちらでは明記いたしません。知りたい方は個別にどうそ。