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平成13年8月9日
「顔、どうしたんですか?」
レンタカー会社の社員が、客の男の顔に引っかき傷があるのを見つけて何気なく訊ねた。
「猫がね…」
男はそういって、その日の朝早くに予約していた車を借りていった。
自宅に戻った男は、トランクに次々と荷物を放り入れ、岡山市北区日吉の笹ケ瀬川へと車を走らせていた。通勤途中にいつも通る見慣れた景色が広がる。
男は堤防から下った河川敷の竹林の陰に車を停めると、トランクから荷物を運び出して次々に捨て始めた。
その中には、女性の遺体も含まれていた。
実は男は女性の遺体をこうやって川に捨てるのは初めてではなかった。
男の名は、宇井錂次。過去に2人の女性を殺害して同じように遺棄した罪で無期懲役となっていた。
仮釈放から2年、宇井は3度目の殺人を犯した。
宇井のそれまで
宇井は昭和15年に愛知県東加茂郡で生まれ、同地域の小、中学校を卒業後、一旦は県立農林高校へ進学したが中退、その後は家業である農業を手伝ったり、民間企業で働くなどしていた。
昭和37年には結婚し、二人の子供にも恵まれた。岡崎市内に家を購入、昭和47年からは名古屋市内の郵便局で働くなど、公私ともにごく一般の、きちんとした家庭を築いているようだった。
しかし、昭和51年。
たまたま訪れた岡崎市内のスナックで知り合ったホステスAさん(当時30歳)と不倫関係に陥ってしまう。
不倫はたちどころに妻の知るところとなり、妻も離婚の意思表示をしたことから離婚の方向で話し合いがなされていた。
これだけならば家庭の問題で済む話だが、宇井はこのホステスに相当入れあげていたようで、なんと勤務先の郵便局の金を横領していた。
その額は600万円にも上り、当然、昭和52年の夏ごろには発覚、業務上横領事件として報道され始めた。
当然であるが、ホステスA子さんはその事実(自分との交際費用のために横領していた)を知らず、報道でその事実を知って以降は宇井に対して距離を置くようになったという。
それでも宇井はA子さんに対して未練が残っていたとみえ、しつこくA子さんに関係を求めていたようだ。
うんざりしたA子さんは、昭和52年8月21日、前夜から何らかの話をしていた宇井に対し、「あなたはお金に不自由していないと思ったから付き合ってきた、(それが嘘だった以上)もう顔もみたくない」と言って突き放した。
宇井は激怒、我を忘れて手近にあった木をつかむとA子さんを殴打して殺害、その後共犯者(詳細不明)とともにA子さんの遺体を東加茂郡足助町内の河原に運び、岩場の隙間に遺棄した。
A子さんは忽然と姿を消したわけだが、ホステスという職業や、A子さん自身の身の上の関係もあったのか、殺害、死体遺棄は全く事件化しなかった。
宇井は郵便局を懲戒免職となったのち、妻との離婚が成立した。
A子さん殺害から1年半ほどしたころ、愛知県岩倉市内の小料理屋「愛」に足繁く通うようになった。理由は、その店の女将であった。
常連客となった宇井のことを、女将も気に入ったようで、ふたりは急速に親密さを増した。
出会ってから半年ほどたった昭和54年の夏、女将の方から宇井に対して逆プロポーズのような形で結婚したい旨が伝えられた。
宇井は、そこまで自分を愛してくれるこの人ならば、自分のすべてを打ち明けられると考えて、過去の横領事件について告白したという。
宇井の予想に反して、女将は冷水を浴びせられたようになり、宇井に対して露骨に拒否の態度を示した。
口論の流れで宇井は女将の顔面を殴打、女将がさらに暴れたことでヒートアップし、女将が来ていたブラウスなどを用いて絞殺してしまう。
その日のうちに前回同様、女将の遺体を河原まで運ぶと、A子さんと同じ岩場の隙間に遺棄した。
この事件は女将が行方不明になったことで発覚、それがきっかけとなって宇井の存在が浮上し、宇井は逮捕された。
その捜査の中でA子さん殺害の事実も判明し、宇井は昭和55年4月、2女性殺害と死体遺棄、郵便局に対する詐欺や業務上横領などの罪で無期懲役となった。
収監された宇井は模範囚として刑期を務めた。規律違反などは皆無で、15年間規律違反のないことを表彰までされるほどだった。
無期懲役の運用は、刑法28条に定義されており、「懲役又は禁錮に処せられた者に改悛の状があるときは、有期刑についてはその刑期の三分の一を、無期刑については十年を経過した後、行政官庁の処分によって仮に釈放することができる。」とある。
現在では有期刑の場合は刑期の半分以上、無期に関しては20年以上経過しなければ仮釈放はなされていないが、昭和の時代ではこのように仮釈放の運用も緩かった。
まじめで問題を起こすことのなかった宇井も、平成11年11月11日、人を2人殺害したにもかかわらず仮釈放となった。
悪い虫
仮釈放後の宇井は、15年間の作業賞与金を70万円持っており、職業訓練などもきちんと行い更生への足掛かりを着実に固めていた。
当初は更生保護施設にいたが、1年が過ぎたころには岡山市北区の大供表町(当時)にアパートを借り、新聞配達や清掃業などで収入も得られるようになった。
友人と呼べる人もでき、その姿からは過去に二人の女性を殺害し捨てたなどと言う重おかげは見いだせないほど、宇井は真面目であった。
ただ、宇井には「癖」があった。
この人は、と思える人に対しては割と気軽に金銭を貸したり、時には与えたりするのだ。
これは女性に貢ぐ、ということに止まらなかった。確かに過去を見れば、結婚しようと思った女性に貢いでいたわけだが、仮出所後の宇井は、新聞配達で仲が良くなった男性などにも頻繁に金銭を貸していた。
そんな時、その知人男性が一人の女性を宇井に紹介してきた。
岡武圭美さん(当時57歳)である。
彼女は身体障碍者で、生活保護受給者だった。
当時圭美さんはお金に困窮していたため、その知人男性が宇井を紹介したと思われる。
ただ、この知人男性が宇井を金づるにしていた様子はなく、むしろ宇井に対して「自分の知らないところで金を貸してはいけない」と再三注意していたようだ。
この圭美さんについても同様で、知人男性は圭美さんへの借金のいわば保証人のような立場で宇井に紹介はしたものの、圭美さんに対しても今後直接金を貸してはいけないと言っていた。
実は、圭美さんは過去に2度の破産宣告を受け、にもかかわらず宇井と知り合った時点で一千万円以上の借金を抱える身であった。
独身ではあったが、もともと夫も子もおり、生活保護を受給するために偽装の離婚をしているにすぎなかった。
周囲の人間の多くも同じように破産している人間が多くおり、破産者同士で借金の保証人になっているような、目も当てられない状態に陥っていたのだ。
宇井がどこまで事情を知っていたかは定かではないが、圭美さんは案の定、知人男性を介さずに直接宇井に借金の申し込みをしてきた。
懇願、哀願してくる圭美さんを無碍にも出来ず、お金を貸してしまった。
宇井の悪い虫が、むくむくと目を覚まそうとしていた。
それでもなおの「ええかっこしぃ」
おそらく早い段階で、宇井は圭美さんの腹積もりに気づいていたはずである。
しかし、宇井は圭美さんの金の無心に応じ続けた。一回につき、1万円のこともあれば30万円のこともあったという。
新聞配達と清掃の仕事をしていたとはいえ、月収は20万円程度ではなかったかと思われ、自身の蓄えでは当然賄いきれるものではなく、宇井は圭美さんの要求にこたえるために自ら借金までしていた。
過去の事件を思い起こしてもそうであるように、宇井には「ええかっこしい」な、分不相応にふるまうクセがあった。
ホステスA子さんとの付き合いでも、郵便局の金を短期間に600万円つぎ込み、小料理屋の女将に対しても毎晩のように通うだけでなく、そのままモーテルへ行く生活をしていた。そうなれば一晩数万円使っていても不思議ではない。
ただ、この二人に対しては恋愛感情があった。
圭美さんに対してはどうだったのか。
出会った当時、宇井は60歳を超え、圭美さんも57歳という年齢で、決して若さに燃え上がるというような年齢ではなかった。
しかも圭美さんには前夫の影がちらつき、引き合わせた知人男性からも親密になるなと言われていた。
この宇井のクセは、保護司も見抜いていたようで、定期的な保護司との面談でも、「女性との個人的に深い付き合いは気をつけるように」と言われていた。
宇井自身も、このままでは抜き差しならない関係になると思い、関係を断とうともしたという。
しかし宇井は、圭美さんと肉体関係を持つに至った。
被害者である圭美さんに大変失礼を承知で言うが、おそらくこれは圭美さんの計算もあったと私は同じ女として思う。真剣に宇井を愛していたとは到底思えない。
宇井も、圭美さんが自分を愛してくれているなどとは思っていなかったであろう。
女性に入れあげてしまうタイプというだけでなく、宇井は圭美さんが身体障碍者である点に「同情」していた。たとえ圭美さんが自身の障碍をダシにしていたとしても。
様々な葛藤がありながらも、本来のええかっこしいな性分と、ようやく手に入れた自由と、久しぶりの女性との関係に、宇井は負けてしまった。