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亀岡のマンションにて
12月に入ったある日の夕方、そのマンションの住人は、訪ねてきた別の階に住む知人の男性の様子がおかしいことに気づいた。
真冬だというのに裸足で、慌てふためいている風でいて、放心状態にも見え、明らかに普段の知人とは様子が違っていた。
「あの……帰ってきたら、妻と子供が死んでるんです……」
知人男性の言葉が、すぐに理解できなかった。なにを言ってるんだろう。
しかし知人男性がそれだけ言うと泣き崩れたのを見て、とにかくその知人男性の部屋へと向かった。
部屋の中はひんやりとしていて、そこにはその部屋よりも冷たくなった母子の姿があった。
事件
平成13年12月2日午後6時、京都府亀岡市のマンションから110番通報が入った。
内容は、このマンションの住民が死亡しているというもの。しかも、母親と幼い息子が死んでいるのだという。
通報者はその家族の知人で、同じマンションの別の階で暮らす人だった。
亀岡署員が急行すると、夫とみられる男性が茫然自失で泣きじゃくっており、通報者の知人の姿もあった。マンションの住民らも、何ごとかと、遠巻きに様子を見守っている。
部屋の中では、その部屋の住人である女性と、その5歳になる息子がリビングで布団をかぶった状態で死亡していた。
母親とみられる女性は首に傷があり、その右手には包丁が握られていた。
母親は寝間着姿、一方の子どもは、普段着姿だった。
子どもには目立った外傷はなかったこと、部屋が荒らされた様子もなく、さらには鍵が内側から掛けられていたことが判明し、やはり状況から母親による無理心中か、と思われた。
しかし警察はすぐに殺人と断定した。
理由としては母親の首の傷がかなり深かったにもかかわらず出血量が多くなかったことと、二人が発見された際、布団が掛けられていたことがあった。
要は、首の傷は死後につけられた可能性が高い、ということだった。
警察は当然ながら第一発見者の夫から話を聞いた。
そして翌3日、府警捜査本部はその夫を、妻子殺害の容疑で逮捕した。
逮捕されたのは、江辺義則(当時36歳)。義則は農水省京都食糧事務所に勤務する国家公務員だった。
一方、殺害されたのは義則の妻で病院検査技師の史子さん(当時33歳)と、息子の竜哉ちゃん(当時5歳)。二人はその後の調べで首を絞められたことによる窒息死と判明していた。
国家公務員による妻子殺害。しかも、義則が妻子を殺害したのはその日の朝。義則は夕方まで待って帰宅してから第一発見者を装い、史子さんを殺害した後でその首を斬りつけて偽装工作をするなど犯行内容も悪質、ただその偽装工作は捜査員らにその場で見破られるほどの杜撰なものだった。
同じマンションの住民らは衝撃を隠せなかった。一家に何かトラブルがあったようには見えず、しかも事件の一週間前には、史子さんの実家の家族らと共に旅行にも出かけていたという。
近所のクリーニング店に家族3人で訪れたり、昨年のクリスマスにも幼い竜哉ちゃんを真ん中に、大きなクリスマスプレゼントを抱えた一家が目撃されており、義則も史子さんもまじめな人物としか言いようがなく、家族を崩壊させたものがなんだったのか、周囲の人らは全く分からなかった。
逮捕された義則は、「自身の借金について日ごろから妻から叱責されていた。妻の寝姿を見て殺害しようと思った」と話し、竜哉ちゃん殺害については、「母親がいなくなっては不憫」という思いから、と話した。
ふたりのそれまで
昭和40年に京都府船井郡和知町で誕生した義則は、府立高校を卒業後、農林水産技官となった。
その後、農産物検査官の資格を取り、京都食糧事務所福知山支所勤務を経て、平成11年4月から同食糧事務所の本所において、地域課食品第一係長となった。そして、事件当時は同課指導係長の役にあった。
史子さんは昭和43年に下京区で生まれ、平成2年4月から公立病院で臨床検査技師として働いていた。
義則とは平成3年にテニスサークルで知り合い、順調な交際を続けて平成5年に結婚した。
史子さんは結婚後も病院勤務を続け、堅実な家計をモットーとして日々、真面目に生活していたという。
ところが義則には秘密があった。
義則は史子さんと交際するよりずっと前の近畿農政局勤務時代から、消費者金融の借金があったのだ。
それは昭和62年ころに遡る。当時、独身寮で生活していた義則がハマりこんだのは、競馬とパチンコだった。
国家公務員とはいっても、まだ若い義則はそこまで高給取ではなく、その借金は増え、史子さんと結婚した頃にも総額100万円ほどの負債があった。
堅実でまじめな史子さんに借金、ましてやギャンブルでこさえたものだなどとは言えるはずもなく、義則は史子さんに隠れて借金を返しては借りるを繰り返していた。
借金とギャンブル
平成6年、借金総額は300万円に膨らんでおり、この頃義則は返済に窮することがあった。独身で好きに給与を使えるならまだしも、結婚してある程度生活費を渡していた義則は、ある時返済を滞らせてしまう。
自宅にかかってきた督促の電話が、運悪く史子さんの耳に入ってしまったことで、隠し続けてきた借金が史子さんに知られることになってしまった。
史子さんは借金があったという事実もさることながら、それを3年以上も隠されていたこと、気づけなかったことに衝撃を受けた。
義則もまた、史子さんを裏切っていたことや自身の不甲斐なさなどから、一旦は家出するなどの行動に出たものの、史子さんや家族らの説得で帰宅。その後は、実家の両親と史子さんの預貯金で借金を全額返済、史子さんにも詫び、今後は絶対にギャンブルをしない、借金もしないと誓った。
しかしそれは半年で破られることとなる。
義則と史子さん夫婦に限らず、夫婦の間で口論になることはある。ただその際、過去の、反論しようのない事柄を持ち出して相手を糾弾することは得策ではない。
史子さんは、口論になると過去の義則の過ちに言及し、義則の口をふさぐことがままあったようだ。
また、思いついたように「借金やギャンブルをしてないよね?」と史子さんに確認されることが、次第に疎ましく感じるようになってきた。実際にこの時、義則は借金もギャンブルもしていなかった。
正直、ウザかった。
むしゃくしゃした気持ちが晴れない義則が向かったのは、パチンコ店だった。
どうせ疑われるなら、関係ないだろう。そう思ったのか、義則は史子さんの目を盗んでパチンコに興じるようになってしまった。
軍資金を得るために、再び消費者金融から金を借りるようになるのに、さほど日数は要さなかった。
家族会議
義則がギャンブルや借金を再びするようになった平成7年、夫婦は京都府亀岡市内の分譲マンションを購入する。この時点での義則の消費者金融の残高はさほど多くなかったのか、それとも国家公務員という身分がごつかったのか、住宅ローンはすんなり通った。
約3500万円ほどのローンだったようだが、平成8年には竜哉ちゃんが誕生。しかし、平成11年になるころには、義則はそれまでの利息でジャンプすらもう難しい状況になっていたといい、史子さんにバレるのももはや時間の問題と思うようになっていた。
平成11年夏、義則は前回同様、現実逃避なのか自己憐憫なのか、自殺をほのめかして家出した。しかし史子さんも親族もそんな義則を見放すこともせず、ほうぼうに手を尽くし、上司にまで協力を願い出てなんとか義則を帰宅させた。
義則の上司まで巻き込んだ騒動に発展してしまったこともあり、史子さん、史子さんと義則双方の両親を交え、家族会議が開かれた。
史子さんの両親もおそらく厳格な真面目な人々だったのだろう、一度ならずも二度までも自身の遊興のための借金を作ったことに理解は得られるはずもなかった。
史子さんの父親は、こんな男に娘と孫は任せられないとし、離婚させたい旨を義則に申し渡したが、これに反対したのは当の史子さんだった。
史子さんは涙ながらに、義則だけの責ではない、夫婦の問題であり、ましてや幼い竜哉ちゃんから父親を奪うことは決して得策ではないとして、怒り狂う父親を説得。
義則も、史子さんのその気持ちに打たれ、深く反省して二度と借金をしないことをその場で頭を下げて誓ったという。
父親とて、可愛い娘と孫に恨まれたいわけでもないし、ここまで言うなら、と、引き下がった。
義則が抱えていた借金300万円について、義則の父方の親族が全額肩代わりしてくれることで話はまとまった。
しかしこれが、後に後悔してもしきれない分かれ目となってしまった。
義則はこの時点で嘘をついていたのだ。
義則が抱えていた借金は、400万円だったのだ。
蟻地獄
義則が自身の借金の額を偽ったのは、前回の借金額を上回ったことを言い出せなかったからだという。
結局、100万円ほど借金が残ったままだったが、史子さんや親族らは義則の借金はゼロになったと思い込んでいた。おそらく、それもあって以降の義則が自由に使える金はさほど多くはなかったと思われる。
この時点で、残金100万円の月の返済額は4万円ほど。
今ならば月々の返済額をその都度変えられたり、無理のない範囲での返済に消費者金融も融通を聞かせてくれるところが多いが、この当時は消費者金融無双といっていい時代であり、金利も高かった可能性がある。
義則は月4万円の返済が思ったよりも難しいことに気づく。遅い。
時に滞ることはあっても実際は親族が肩代わりしたことで、おそらく信用的には義則は悪くなかったのだろう。しかも義則は国家公務員である。
月4万円の返済に窮した義則は、またもやそれを補填するために消費者金融から借金をするようになる。こうなったらもう、蟻地獄である。
少し考えればわかることなのだが、ケツに火がついているとなかなか冷静な判断は出来なくなるのは分からなくはないが、義則はさらにパチンコで何とかしようとしてしまう。
これは本来いいわけで、パチンコをする理由付けだと思われる。好きでするんじゃない、理由があってしているんだ、という。
案の定、パチンコで思うように勝てるわけもなく、平成13年には100万円だった借金の残債が700万円になっていた。
さらに、自身の生命保険金を担保にしたり、それでも足りないときは史子さんの預貯金に手を付けていた。
そして平成13年6月、再び自宅に消費者金融からの督促状が届いたことで、史子さんは義則の裏切りを知ることになった。
以降、夫婦の間には口論が絶えない事態となってしまった。史子さんにしてみれば、両親に相談することもおそらく恥ずかしくてできない状態にあったと思われる。
「だから言ったじゃないか!」
そう言われるのは目に見えていただろうし、なにより妻として、信じた夫に二度も裏切られるというのは屈辱でさえあったろう。
史子さんはおそらく、何とか夫婦間でこの問題を片づけたいと思っていた。
しかし住宅ローンや日々成長する竜哉ちゃんの将来への貯金、たとえ共働きで夫が国家公務員とはいえ、史子さんの心労は想像を絶するものだった。
それ故に、義則への態度は硬化し、夫婦げんかもそれまでより頻繁に起きていた。
義則は逮捕後の供述で、このような史子さんとの日々耐えがたい口論によって、いわば発作的に殺害に及んだというようなことを話していた。
実際に、二人は絞殺されており、のちに偽装工作に使われた刃物は自宅にあったもので、かねてから計画を立てて、というものではなかった。
だからこそ、すぐにその偽装工作は見破られていたのだ。
新聞報道などでも、動機としてはギャンブルで作った数百万の借金、という見出しばかりだった。
12月24日。京都地検は義則を殺人罪で起訴。
そしてその動機として、「再婚のため」というものを公表した。
臨時職員の女
義則とその女性が知り合ったのは、事件の半年前、平成13年の6月だった。
臨時職員として京都食糧事務所地域課に勤務していた、当時24歳の衣田潤子さん(仮名)。同じ課の指導係長だった義則と潤子さんはメールを交換するなど、親しくなった。
そして夏が終わるころには、不倫関係に発展していた。
義則は史子さんの目を欺くため、潤子さんのことを真実を交えながら嘘をついていた。
「部下の女の子の悩み相談に乗っている」
そう言いながら、潤子さんとの逢瀬を楽しんでいた。
男の上司に勤務時間外に相談する女など地雷以外のなにものでもないわけだが、当然史子さんも怪しいと踏んでいた。
9月、義則の借金が発覚した際、史子さんは「自分の借金を棚に上げて部下の女の相談に乗っている場合じゃないでしょう!」とぐうの音も出ない正論を浴びせた。
怒りおさまらない史子さんは、義則に強引に潤子さんに電話をかけさせ、潤子さんに対し、妻子ある男性に対するあなたの態度は非常識だと非難した。
義則はそんな史子さんの姿を見て、これまた自分のことを全力で棚上げし、自分は史子さんではなく、潤子さんが好きだと気付いたのだという。知らんがな。
しかし義則はここでも姑息だった。
本心としては潤子さんと一緒になりたい気持ちが第一であったにもかかわらず、それを言うと自分の立場が今よりも一層悪くなるため、自身の借金を理由に史子さんに離婚を打診したのだ。信じられないクソである。
当然、そんなことは史子さんはお見通しで、離婚を受け入れることはなかった。
が、夫婦の間は寒々しいものとなり、口論が絶えない日々が続くようになってしまった。
義則は潤子さんに対し、史子さんに離婚を提示したことを話した。潤子さんはそれに理解を示し、けじめをつけてほしいと義則に伝えている。
潤子さんとしても、不倫状態ではあるものの妻である史子さんがふたりの関係を知ったにもかかわらず、このような態度でいたということは、ある意味強気だったと推測できる。
ただの遊びだったならば自分の立場も考えて狼狽えもしようし、こんなしちめんどくさい男など遊ぶ相手ではないと思うだろう。
それでも潤子さんと義則は不倫をやめようとはしなかった。
本当の理由
義則は先にも述べたように、妻子を殺害したその理由として自身の借金とそれに伴う史子さんとの軋轢をあげていた。
しかしその後、起訴される段階になって「再婚したかった」という話をしている。
おそらく、捜査の段階で潤子さんの存在はすぐに判明していただろうし、そもそも借金はすでにバレているわけで、この段階になって妻子を殺害するその理由としては弱いと思われたのだろう。
それにしても、なぜ再婚したいからといって妻子を殺害したのか。そうまでして、再婚を急ぐ理由でもあったのか。
それには、この潤子さんという女性の理解しがたい事情があった。
潤子さんは義則に妻子がいることを知ったうえで不倫関係を続けていたわけだが、実は潤子さん自身にも、いわゆる本命の交際相手がいたのだ。
しかも、その交際相手とは「婚約中」の身だった。
ふたりが不倫関係になったのはその年の9月だが、潤子さんはその2か月後の11月25日、なんと挙式する予定だったという。
しかし潤子さんは義則にことのほか惹かれた。自分の気持ちを見極められないまま、かといってすでに何もかも決まっている結婚を反故にすることもできず、気がつけば挙式当日を迎えていた。
一方義則は、史子さんに不倫も借金もバレてしまってはいたが、こちらもかねてから決まっていたのか、11月23,24日の両日、史子さんの両親との一泊旅行に出かけていた。
25日が潤子さんの結婚式であることは当然知っており、24日の夜、史子さんの実家に宿泊した際も気が気で眠れなかったという。
そして25日の夜、挙式して新婚初夜であるはずの潤子さんから
「彼とケンカになった」
という連絡が入った。もう、わやである。初夜にケンカして、家族といるであろう夜に不倫相手に連絡を入れるその神経もゴツい。18,19の子どもならまだしも、この時点で潤子さんは25~6歳になっている。あまりにも子供じみている。
義則は潤子さんの訴えにすっかり我を忘れ、翌26日には史子さんに嘘をついて潤子さんに会った。そこで潤子さんはとどめのセリフを義則に伝えた。
「あなたが迎えに来てくれる日を、私はずっと待っているから」
早く迎えに行かなくちゃ
酔いに酔いしれたふたりは、互いの立場が困難になればなるほどさらに酔いしれた。
義則はなりふり構わず、史子さんに離婚を迫った。しかし史子さんとて、これが借金だけの問題ならばいざ知らず、この夫の本心は不倫相手のあの女と一緒になることに違いない。であるならば、意地でも離婚などするものか、そう思ったとしても不思議はない。
そもそも、有責である義則の勝手な言い分で離婚など、この時点では通るはずはなかった。
それでも義則は仕事に行けば潤子さんに会える。
11月30日、職場の同僚らの目を盗んで潤子さんとデートの約束を取り付ける。
日時は12月2日、JR京都駅付近での待ち合わせだった。
事件前夜、竜哉ちゃんを寝かしつけた後、不意に史子さんが義則に、7日からの職場の旅行に、不倫相手の潤子さんが参加するのはおかしいのではないか、不愉快であるといったことを言われた。
この時点で、義則の職場は二人の不倫を知らなかったと思われる、というか、潤子さんは結婚してまだ1週間程度しか経っていないわけで、職場としてもお祝いはしたであろうし、何人かはなんとなく気づいていたとしてもまさかいまだに絶賛不倫継続中だとは思わなかったとしても不思議ではない。
潤子さんにしてみれば、二人きりではないものの、史子さんが踏み込めない状況で義則と旅に出ることができるわけで、たとえ妻にバレていようが参加しないという選択はなかっただろう。
この夜の史子さんはいつにも増して強気だった様子がうかがわれる。
義則に対し、自分で職場にことを説明し、潤子さんを参加させないようにしてもらうか、さもなくば史子さんがすべてを職場に話しに行く、そこまで言ったという。
そして、私と不倫相手とどちらを選ぶのか、と詰め寄られた。
義則にしてみれば、気持ちはもう潤子さんにまっしぐらであって、思わずそれを史子さんにそのまま伝えてしまう。屈辱に震える史子さんだったが、義則の携帯電話から潤子さんの電話番号を無理矢理消去し、そのまま寝室に引っ込んでしまった。
義則はこの日、初めて自分がしている不倫行為が思っていたよりも社会的な問題になり得ることにようやく気付いた。
もしも史子さんが職場に怒鳴り込んでくるようなことがあれば、国家公務員という立場上かなりまずい。刑事事件ではないにしても、相手も既婚者であり、不法行為が成立するのは明らかだった。
離婚できたとしても職を失ったら潤子さんとの将来はどうなるのか。しかも国家公務員でなくなったら、この700万円の借金を返せる見込みはなくなる。有責である自分は慰謝料なども払う必要がある。
悶々と考えていくうちに、もはや史子さんにはいなくなってもらわなければ自分と潤子さんの未来はないと思うようになっていた。
翌朝、起きだした竜哉ちゃんは、朝に放映されるアニメを見ていた。義則も竜哉ちゃんを着替えさせるなどして、表面上はいつもと変わらない休日の朝を過ごしていた。
一方で、史子さんを消したとして、この竜哉ちゃんまでも、ということには躊躇を覚え、心は決まらないままだった。
ふと、心にある考えが浮かんだ。
自分の借金を苦にして、無理心中を図ったことにすればいいのではないか。
竜哉ちゃんを道連れに、という筋書きならば、いけるのではないか。
この時、義則の頭の中は潤子さんと会うことでいっぱいだった。
待ち合わせは午前9時、もう時間がない。義則はアニメに見入っている竜哉ちゃんの首に、その両手をかけた。
死刑求刑
しかし義則は思いとどまった。無邪気に父親に微笑みかけた竜哉ちゃんの首を絞めはしたが、激しく咳き込み、苦しそうな竜哉ちゃんを見て、思わずその手を離した。
ごめん、と謝ると、竜哉ちゃんは不思議そうな顔をしたものの、気を取り直してまたアニメを見始めた。
引き返せた。
しかし、義則は寝室へと向かう。史子さんなら、今ならためらいなく殺せる。先にそっちを片付ければ、もう後戻りできない。腹をくくることもできる。
寝ている史子さんの首を締め上げ、暴れるのを抑えるために馬乗りになってその抵抗を封じた。
うつぶせで枕に顔を押し付けられ、そのうえで首を絞めつけられて、史子さんは窒息死した。
その後、無理心中を装うためにゴム手袋をして台どころから包丁を持ち出し、史子さんの首を斬りつけた。
義則は再びリビングへ戻ると、今度こそ、その愛らしい小さな息子の首を絞めた。
竜哉ちゃんが最期に見たのは、大好きな父親の鬼のような顔だった。
義則は汚れたものなどを廃棄するためにまとめ、潤子さんとのデートに向かった。家を出る際、目に留まった史子さんの携帯電話も持ち出した。自分が外出している間の出来事であると偽装するために。
京都駅に向かう車中で、義則は2台の携帯電話を操作し、あたかもこの時間、史子さんが生存しているかのようなやりとりを残した。おそらくそこには、発狂する史子さんの様子を偽装したものが残されていたのだろう。
無事潤子さんと落ち合った後、ふたりで京都市内をめぐり、絵画展や神社などを見て回ったという。
そして、ふたりはホテルへ行った。妻のみならず、幼い息子まで殺害したその手で、義則は潤子さんを抱いた。そして、
「いろいろあると思うけど、今後二人で頑張っていこうな。必ず迎えに行くからな。」
と囁いた。
どうでもいいが、不倫とかする人ってなんで絵画展とか高尚なとこにまず行くんかね?そのあとに待ってる低俗で猥雑みだらな行為とのバランスをとるのか。井戸谷堰に沈められたあの夫も、イチゴのお姉さんとゴッホの絵画展へ出かけていた。
その言葉通り、その後の義則と潤子さんには、想像を超えた「いろいろ」が待ち受けていた。
裁判では、検察が妻子殺害の動機として保険金利得目的についても言及。しかし、江辺家の保険について、義則が受け取れるものは竜哉ちゃんの300万円のみだった。
また、義則自身がその内容を把握していなかったこともあり、この保険金目的という主張は退けられている。
義則も一貫して保険金については否認していた。義則の頭の中は、潤子さんのことしかなかった。
史子さん殺害については、潤子さんと再婚したい一心での犯行というものだったが、一方、なぜ竜哉ちゃんまで、という疑問もあった。無理心中を装うため、という主張もその通りだったが、ほかにも実は動機があった。
義則にとって、竜哉ちゃんは障害だったのだ。
この日、直前まで、無理心中偽装を思いつくまで、いや、竜哉ちゃんの首に手をかけて思いとどまった時までは、竜哉ちゃんを殺さなければならないとは思っていなかった。
が、史子さんを殺害することは決めていて、となると今日1日、竜哉ちゃんは死んだ母親のそばでひとりでいなければならなくなる。これをどうにかしなければと思ったというのだ。
だが、今後の生活をしていくうえで、潤子さんとの交際に竜哉ちゃんを連れて行くわけにもいかず、結局、竜哉ちゃんに寂しい思いをさせるのならばいっそ、という考えになっていた。
この、どこまでも愛人のことしか考えていないのはなかなかである。
検察は遺族の処罰感情が峻烈であることや、幼い竜哉ちゃんまで殺害したこと、犯行後に愛人と何食わぬ顔で出かけ、性交渉までもっていることなど、犯行後の情状も最悪だとして義則に死刑を求刑した。
弁護側は、連日の史子さんとの口論でいわゆる視野狭窄に陥っていたなどとして、情状面に訴えた。
しかしいずれも、義則自身の落ち度でしかないことが原因であり、史子さんやまして竜哉ちゃんに落ち度があるわけでもなく、苦しい最終弁論となった。
史子さんは最初の借金が発覚した際、激怒する父親に涙ながらに訴えて義則を庇っていた。その後、自分の貯蓄を差し出して義則の窮地を救ったのだ。
もちろん、義則からすればその後ことあるごとに借金やギャンブルをしていないかを確認される毎日に嫌気がさすことがあったという気持ちもわからなくはない。
しかしだからといって借金増やしてどうする。私もギャンブルをするので言うが、ここまでならない、普通はならない。
息抜き、たまに、そんなレベルでここまでなるわけがないのだ。
遺族の思いは想像を絶する。たった1週間前まで、笑っていたかわいらしい竜哉ちゃん。苦しい思いを見せずに、明るく振舞っていた史子さん。そしてその傍らでへらへらしていた義則を思えば、この手で殺してやりたいと思ったとしても、理解できる。
裁判所は検察が主張した保険金目当てという動機こそ退けたものの、殺害後に行った偽装隠蔽のみならず、愛人との逢瀬を楽しみ帰宅した後に確実に二人が死んでいるのを確認してから、裸足で知人に助けを求めるなどの三文芝居は相当に心証が悪かった。
しかしそれでも、京都地裁は義則に死刑を言い渡さなかった。
京都地裁は、義則がとんでもないアホだということは認めながらも、利欲目的の利己的かつ打算的な動機と評価することは出来ない、とした。
殺害の意志を形成したのが手をかける直前だったというのも影響した。たしかに、義則は迷いに迷っていた。そこへ、潤子さんとの待ち合わせの時間が迫ったことが影響していたと認定。
偽装工作も一部は巧妙に見えて、結局捨てようとして持ち出したはずの証拠品を車の中に置いたままにしていたり、場当たり的な印象もあった。
借金や不倫という心証の悪い背景があるにせよ、だからといって偽装や隠蔽の稚拙さを見ずに悪質だと断じてしまうことは出来ないとした。
そして、義則の両親が行った慰謝、義則自身が極刑を受け入れる覚悟でいることなどを考慮し、無期懲役の判決を言い渡したのだった。
罪深き人
検察は控訴、しかし平成15年の大阪高裁での判決も、無期懲役だった。
その間、当然義則は懲戒免職となった。裁判所は、義則に目立った反社会性がないこと、前科前歴も交通違反にとどまり、問題があるとすればパチンコなどのギャンブルの資金調達のために拵えた借金と、交際女性と不倫関係にあった以外は問題行為はなかったとしたが、ギャンブル借金不倫と来ればもう人としてだいたい終わっている。
刑が確定し、無期懲役囚となった義則は当然のことながら、この事件では多くの人が、いや誰もが、もう一人の罪深き人に注目していることだろう。
不倫は民法上の不法行為ではあるものの、日本においては石打の刑にされることも斬首されることもない。
せいぜい、職場にいられなくなるとか周りから好奇の目で見られて終わりである。不倫相手の配偶者から訴訟を起こされることはあっても、命を取られることはない。
史子さんは完全なる被害者である。多少、気の強さはあったにせよ、義則のような不出来な男の妻である以上、気の強さがなければ共倒れである。
おそらく、史子さんは強い人だった。仕事を持ち、母となっても竜哉ちゃんをしっかりとしつけ、健全な家庭を築こうと努力していた。
義則の借金も、怒りはしたが突き放すことなく、再起できるよう計らった。身銭も切った。
それを裏切り続けたのは誰か。
あげく、職場で不倫して女に入れあげ、マリッジ・ブルーかなんか知らんけど「アタシ、本当にこれでいいの?」と血迷ったその女を上司として先輩既婚者として諭すこともなく上げ膳据え膳とばかりに肉欲に溺れ、借金700万円と3000万の住宅ローンを抱えた身分で「必ず迎えに行くから」とどの口が言うのか、どんな男前なのだ。
不倫相手の潤子さんも、たいしたタマである。
この事件の判決文は、現在でも登場人物全員が実名表記のままである。潤子さんは裁判当時、姓が変わったままになっている。義則と出会った当時と、姓が変わっているのだ。
ということは、おそらくこの裁判が行われている時点では、挙式が決まっても浮気し、相手の妻にバレ、それでも不倫を止めずにかといって結婚も止めず、その新婚初夜にケンカしてその夜に不倫相手に泣き言を言い、1週間もしないうちに不貞行為に及んだこの潤子さんは、離婚していない可能性が高い。
事件が事件だけに夫となった人物が知らないということはなかろうが、この判決文とか読んだことあんのかなーと気になった。
だってこの人のせいでもあるでしょう。と私は思う。この人の浅はかな行動がなければ、事件は起きていない。こんなごみのような男でも離婚しなかったことから見ても、史子さんは潤子さんのことも憎んでいるだろう。
史子さんが知らなかったならまだしも、直接電話で話までしているのだ。にもかかわらず、潤子さんは史子さんを愚弄し続けた。それは、義則と同罪である。
潤子さんはあの日、自分と会うために、そして自分を迎えに来るために、義則が妻子を殺害したと知ってどう思ったのだろうか。
そしてあの日、自分を抱いた男の手が、血に塗れていたことを知って、どう思っただろうか。
無期懲役となった愛する男に、もう、迎えに来てほしいとは思っていないのだろうか。自分のために、妻子を殺した男を、どう思っているだろうか。
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参考文献
中日新聞 平成13年12月3日朝刊
東京新聞 平成13年12月3日朝刊、夕刊、平成14年12月18日夕刊
産経新聞社 平成13年12月3日大阪朝刊、大阪夕刊、平成14年12月18日大阪夕刊、平成15年8月28日大阪夕刊
毎日新聞 平成13年12月3日、12月25日大阪朝刊、大阪夕刊、平成14年9月18日、12月18日東京夕刊、大阪夕刊、12月26日大阪朝刊、平成15年8月28日大阪夕刊
読売新聞社 平成13年12月3日東京夕刊、大阪夕刊、12月25日、平成14年2月19日、3月1日大阪朝刊、平成14年9月18日大阪夕刊、10月17日、12月18日大阪朝刊
京都新聞 平成13年12月25日朝刊、平成14年9月18日、10月16日、12月18日、12月26日夕刊
沖縄タイムス社 平成14年9月18日、12月18日夕刊
静岡新聞社 平成14年12月18日、平成15年8月28日夕刊
朝日新聞社 平成14年12月18日大阪夕刊、12月26日大阪朝刊
平成14年12月18日/京都地方裁判所/第3刑事部/判決/平成13年(わ)1702号