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誰しも生きていれば借金を背負うことはある。たとえば家や車を買うとき、多くの人はそれぞれのローンを組む。学費など、子供の教育費のローンを組む人もいるし、貸与型の奨学金も借金の一つだ。
そして多くの人は銀行や公庫などの正式な金融機関で審査を受け、返済能力を判断されその範囲内での貸付が行われる。そのため、中には希望額が借りられなかったり、そもそもローンが通らないということもある。
そうなった場合、普通の判断ができる人は購入を断念、あるいはグレードをさげ、身の程に応じた生活を送るわけだが、中には諦めきれずに審査の緩い金融機関で再挑戦してしまう。審査が緩いところは全てではないが金利が高いところが多い。それでも数%の高い利息を細かく計算する人はそもそもそんなローンには手を出さないわけで、大抵の人はローンが通るならと、その高い金利のローンを契約するケースも多い。
それにもあぶれてしまったら。お金の使い道が車とか家とかではなく、日々の生活費や医療費などの切迫したものだったとしたら。さらには本人の属性で借金自体が出来なかったら。
そして、その不安と焦りを見透かすかのように「救いの手」を差し伸べたのが、悪魔だったら。
その悪魔から逃れられなかった家族の悲しみの果て。
八尾市JR関西線安中踏切にて
平成15年6月14日午前0時5分、大阪府八尾市相生町の遮断機と警報器のある安中踏切から南へ約15mほどの線路上に、複数の人影がしゃがみ込んでいるのを難波発奈良行きの6両編成普通電車の運転手が120m手前で発見、急ブレーキをかけるも間に合わずその人影をはねた。
はねられた人は成人男性2名、成人女性1名と見られ、男性の一人はかなりの高齢者だった。
その後の調べで3人のうち二人の男女は八尾市内の夫婦で、高齢男性は女性の兄であることが判明。3人が逃げずにしゃがみ込んでいたことなどから、覚悟の自殺とみられた。
死亡したのは、八尾市の団地に暮らす清掃員の藤川正喜さん(仮名/当時61歳)と、妻の詠子さん(仮名/当時69歳)、そして詠子さんの兄で藤井寺市在住の近藤照夫さん(仮名/当時81歳)。
照夫さんは両手足に関節機能障害があり障害者3級だった。
この年の2月以降、全国各地で複数の人間が同時に自殺する、いわゆる集団自殺が頻発しており、ネット上にも自殺希望者を募るサイトが出現するなど社会問題化していた。この翌年の平成16年には、平成初期に絶大な人気を誇ったロックバンドの元妻が集団自殺で死亡している。
その理由は様々で、自分自身が生きづらいとして死に急ぐ若者や、それに同情する形で追従する人、加えて生活苦によるものもあり、今回の藤川さん夫妻と詠子さんの兄の自殺も、家族であることから集団自殺というよりも心中だった。
その理由は、思いのほかすぐに判明した。
事故の数時間前、詠子さんの知人女性(当時45歳)が警察に捜索願を提出していたのだ。一刻を争う事態だった。藤川家のテーブルに、遺書が置いてあったからだ。
さらに、知人女性はこの藤川家を、詠子さんを悩ませる事情を知っていた。詠子さんは消費者金融に借金をしており、その返済に苦労していた上に、想像を絶する恐ろしい取り立てにあっていたというのだ。
細々とした生活
藤川夫妻の住まいは八尾市内の老原雇用促進住宅で、家賃は月額1万7千円。10年ほど前に越してきて、自動車を所有していたというが、その団地自体が高齢世帯や低所得者が対象となっている住居であることからも、夫婦の生活は決して余裕のあるものではなかった。
夫婦は昭和の終わりに出会った。正喜さんは明るくて気さくな詠子さんにぞっこんで、間もなく結婚。八尾市内の郊外の静かな場所で新婚生活を始めた。ふたりとも初婚だった。
それまで詠子さんは藤井寺市内で一番上の兄である照夫さんと暮らしていた。照夫さんは先にも述べたが関節に障害があり、そのため詠子さんが身の回りの世話をしていたようだ。また夫の正喜さんも、交通事故の後遺症で片足が不自由だったことから、自動車は必要だったと思われる。
照夫さんもまじめな人柄で知られ、その生活は細々としたものではあっても、平和な暮らしだった。
詠子さんが結婚するとなると、照夫さんの世話は今までのようにはできなくなるが、照夫さんも自分のために婚期を逃したかもしれない妹の結婚を喜んだ。
正喜さんと詠子さんの住まいは兄の家まで車で20分。何かあればすぐに駆け付けられる距離だったし、結婚してからも詠子さんは照夫さんの食事などを用意するために頻繁に藤井寺へ来ていた。この時点で照夫さんは障害者年金と生活保護費が生活の支えだったが、贅沢をしなければ何とかやっていかれた。
夫婦は酒も飲まなかったといい、派手なことも好まず夫婦と体の不自由な兄と、肩を寄せ合い暮らしているようだった。
ところが、結婚して5年ほど経ったころから、藤川家に暗雲が立ち込め始める。いや、この時点では晴天に少し雲がかかったくらいだったろう。雨が降りそうな気配はなかった。
しかし実際には、この時点ですでに10年後の嵐の前触れは藤川家、特に詠子さんの心に影を落としていた。
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借金
闇金カワグチくん
『殺していいよ」
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