悲しみのある風景~自死・無理心中からみえるもの②~

這い上がれない街

先ほども述べたとおり、愛媛県は全体として住むには非常に良い場所である。環境面でも、気候面でも、他の地域に比べればいくらもマシと思える。
県民の平均年収は400万円台と全国的に見ても低いものの、それでも「暮らしていける」ということはそれ自体が魅力ともいえる。
若い世代が給料が少ないために結婚できないとかいう話をよく聞くが、愛媛では若いうちは貧しくて当たり前という風潮もあり、経済的なことが結婚や出産の足枷になっているとは言い難い。
それは、田舎ゆえに近所に親兄弟の存在があるから、というのもある。10代の若い無職カップルでも、なんとかやっていけるイージーさがある。
また、若いうちは選り好みさえしなければ職にあぶれることはまずないというのもあるだろう。中卒でも失業しても焦る必要はない。
また、実家が近くにあればとりあえず住む場所は確保できるわけで、飢え死にする危険はぐんと下がる。 続きを読む 悲しみのある風景~自死・無理心中からみえるもの②~

悲しみのある風景~自死・無理心中からみえるもの③~

親切の消費期限

愛媛県民は何度も言うが非常に親切である。老若男女問わず、みな見知らぬ人にも優しい。しかし、実はこの親切心、優しさがどうも他人を追い詰める要因になっていないだろうかと思っている。

自死を選択する人は、だれしも悩みを抱えている。幸せの絶頂で自死を選択する人はまずいないだろう。
よそで生活していてトラブルを抱え、心機一転、穏やかな気候と人柄というイメージの愛媛にやってきたとしよう。そこで、思っていた通りの親切を目の当たりにし、自身も実感する。あぁ、愛媛の人はあったかいな・・・そんな思いに包まれる。 続きを読む 悲しみのある風景~自死・無理心中からみえるもの③~

悲しみのある風景~自死・無理心中からみえるもの④~

居住者以外の自死

警察庁や厚生労働省が発表する自殺者数は、自殺が発生した地域別になっていることが多い。したがって、たとえば愛媛県で自殺した人の中には、旅行者や出張で来た人なども含まれている。

先の文春オンラインでの統計は、居住者別のものも掲載されているので参考にしてもらいたい。 続きを読む 悲しみのある風景~自死・無理心中からみえるもの④~

悲しみのある風景~自死、無理心中からみえるもの⑤~

東北の憂鬱

東北へ私は行ったことがない。生まれも育ちも愛媛、瀬戸内の雪も降らない場所にはや30年住んでいる。
そんな私には、東北の厳しさをわかるはずもないわけだが、イメージだけでいうと、心の内に秘めたものを皆が持ち、泣き言を言わず、苦難の時もじっと耐える、そんな強いイメージしかない。暗いとか、そういうことではなく、強い。
しかしそんな東北では、自殺死亡率はここ何年も全国の上位を独占している。
特に、秋田、青森は12位を争う(という表現は好ましくないが)ことが多い。

東北で自殺が多いことの要因に、「日照時間の少なさ」が関係しているとする研究結果がある。先に述べた、慈恵医科大学の論文でも、日照時間との関連性はあった、とされている。
しかし、編集者で作家の末井昭氏が、元秋田大学副学長で法医学教室の吉岡尚文氏に取材したところ、実は日照時間は自殺との関連性があるようでない、との返答だったという。
というのも、たしかに東北は日照時間が少ないものの、時に愛媛、宮崎、沖縄といった決して日照時間が短いわけではない県が上位に上がってくることもあり、一概に日照時間との関連を重視はできない、という結果があるからだ。
また、一年を通じて12月を含む冬というのは自殺が少ないという。年の瀬に、というのは最近では当てはまらないようで、むしろ社会が新しく動き始める年度初めから5月にかけてが多い。となれば、日照時間や厳しい冬はあんまり関係ないと確かに思える。
とはいえ、自殺死亡率の上位を「常に」占めるのは東北、北陸の県であり、要因の一つにはなり得るのかもしれない。

私は自殺が増えたとされる2000年から5年ほど、秋田と青森の自殺について調べてみた。その中で、青森では自殺というか「心中または無理心中」の割合が高いのではないかとことに気付いた。すべての都道府県と比較しているわけではないが、人口との割合で考えた場合、正直、驚いた。

青森県では1998年から2000年末までの3年で12件、2001年から2003年までの3年で15件(県外居住者による県内での無理心中含む)、秋田県でも、1998年から2000年までに11件、2001年から2003年の3年間で8件(いずれも未遂含む)と、新聞報道があったものだけを見てもこれだけあった。これは自殺者ではなく、心中または無理心中の発生件数だ。
しかもこの心中のケースでは、子供を道連れにした無理心中、一家心中が目立つ。特に2002年の青森で6件もの心中または無理心中が起きているのはちょっと異様だ。

青森県警で刑事調査官を務め、40年にわたる刑事生活で多くの自殺遺体と向き合ってきた櫛引信利氏による、「自殺百態」という書籍によると、青森県はなにも自殺を好む、良しとするような県民性ではなく、むしろ自殺という死に方は嫌悪されてきたという。恥ともいえ、一族から自殺者を出したとなれば、子々孫々後世まで、あそこの爺様は首つりをしたそうだ、とか、あそこの婆さん、服毒自殺をしたなどと言われると記されている。
にもかかわらず、当時(昭和59年)青森県警が取り扱った遺体(1,066体)のうち、その4割が自殺遺体だったという。古い統計ではあるが、この年の全国の割合を上回っているところから見ても、やはり東北の自殺者の多さは最近だけの話ではないと分かる。自死を忌み嫌う県民性であるのに、なぜ。

私が調べた6年間の青森、秋田での心中、無理心中の個々のケースを見てみても、一家心中もあれば老夫婦による覚悟の心中、男女の心中、父親による一家無理心中、母親(父親)による子供を道連れにした無理心中など、様々だ。
その理由も、介護疲れ、将来への悲観、借金問題などよくある理由が並ぶものの、共通点などない。
ただ、その中で青森の場合、やはり借金や将来への悲観などが目立つ一方で、秋田の場合はなんというか、心中を企てた人間のエゴが見えるものが散見する。

たとえば、同じ子供を道連れに心中するにしても、青森の場合は「家族を残してもかわいそうだから」といった、先ほどの櫛引氏の本にもあったように、「子々孫々まで」言われないように、との思いが見え隠れするのだが、秋田の場合は少し違う。
夫婦喧嘩で激高し、そのまま家に放火して心中を企てるとか、妻を病気で亡くして生きる気力を失って子供を道連れに、とか、自分から浮気しといて夫が出ていったら淋しくなって復縁を懇願するも拒否され、その夫を後悔させるために幼い娘を殺して自分も死ぬ(いずれも未遂)といった、自己の感情のみで暴走しているケースがちょっとみただけでもこれだけある。ちなみにこれは2000年から2001年のわずかな間の事件だ。
借金苦であっても、夫婦で相談しての心中、ではなく、「妻に出て行かれそうになったから」というようなものも見られる。もちろん、どんな理由であっても相手の承諾を得ない無理心中は許されず、ただの殺人でしかないわけだが、秋田のそれはいいわけも取り繕うこともなく、ただの暴挙である。

ただ、そんな無理心中の中にも、東北の人のこだわりを見るケースもあった。
古い事件だが、昭和56年11月、青森県南部のとある農家で孫夫婦とその子供二人が死亡しているのが発見された。状況から、父親が妻と子供らを殺害して自らも殺虫剤500mlを一気飲みして果てていたことで、無理心中は間違いなかった。
が、妻と子供らが寝かされていた布団をはいだ「自殺百態」の著者でもある櫛引氏は、その格好に息をのんだ。妻は黒の礼服に身を包み、美しく化粧を施し、両手は胸の上で組んであった。子供らも、きれいな服を着て、長女には薄化粧、幼い長男のおむつも新品だった。完璧な死化粧をし、夫婦覚悟の上の心中だったのだ。
ただ、これは櫛引氏によると、この時代「典型的な一家心中の状態」だったという。女性の単独自殺遺体を見ても、死線期の苦しみで衣類が乱れたり、足が開いてしまうことを防ぐために両手両足を縛ったうえで首を吊るなど、非常に体裁を気にしている遺体が多かったのだという。父親が息子二人を道連れに心中した際も、殺害した息子ら二人の足元には草花と漫画本が置いてあった。
なんというか、時代もあるだろうけれど、死に際にこだわりをもつのも、東北の人の特徴なのかもしれない。

上小阿仁村医師問題と畠山鈴香への寄せ書き

秋田と言えば、上小阿仁村の医師問題を思い浮かべる方もいるだろう。
それを調べていると、なんとなく見えてくるものもあった。
秋田県民の方が言っているので間違いはないだろうが、秋田県民は見栄を張り、また人を見下すというか、よほどの功績をあげ地域に貢献した人でないと認めない、そんな雰囲気があるのだという。ちょっと愛媛と似てる。
ただそれがあからさまか、うわべは取り繕うか、の違いだろう。愛媛は後者、秋田は前者である。
上小阿仁には、そもそも医者はいらなかったのだという。車で30分も行けば総合病院があった。ただ、無医村という響きがダサい、医者一人も呼べなきゃ村長の名が廃る、ということもあったようだ。
当然、へき地に医者を招聘するというためには、それなりの高待遇も必要だったため、年収はそれなりに高くなった。
ここから、秋田県民がどんなに否定しても否定しきれない部分が蠢き始める。

「あの医者、年収1500万だって」

医療ガバナンス学会において、秋田大学医学部5年生(当時)の宮地貴士氏が発表した考察によると、この村の多くの人が赴任してくる医師の年収やそれに伴う待遇について詳しく知っていたという。
彼は、上小阿仁村の医師問題の根底には、「嫉妬」と「医師に対する誤解」があるのでは、と推察する。
この村は高齢化が進み、世帯平均年収は208万円(2018年)。そんな人々からすれば、医師の報酬はとんでもない額である。
村の人の中にはこう不満を漏らす人もいた。
「あの先生は子供を見ない。すぐ紹介状を書いてほかへ回す。」「薬を出すとき、分厚い本をめくっているのを見ると、大丈夫なのかと不安になる」
これが、宮地氏の言う「医師への誤解」だ。
当時の上小阿仁村の医師は80歳と高齢で、進化し続ける現代の医療に対して慎重に、間違いのないように対応するのは当たり前に思える。
しかし、村の人には「医師=万能」という間違った図式があるため、医師が念のためによその病院へ紹介状を書くと、「怠慢だ」となってしまうのだ。

さらに、別の秋田県民のブログによれば、秋田県民は基本的に頭を下げることを嫌うという。医師に対しても、「治してください」ではなく、「治せるんだろ!」となる。それが紹介状など書かれた日には、「治せないのか、ヤブ医者め」となってしまう。
また、「公営」の医療機関を見下し、通ったこともないのに「あそこはヤブでしょ」と決めてかかるのだという。どうもそのあたりは見栄なのか、よその人を認めたくないのか、なのだろうが、ここも愛媛県民と通じる部分がある。
さらに、秋田は「一旗揚げて帰ってきた人」に優しくないらしい。これも愛媛とホント同じ。泣きそう。
そのブログによれば、たとえば実家が飲み屋だったけれど努力して医者になって地元に戻っても、昔の肩書でしか呼ばれないのだとか。
〇〇先生、ではなく、「飲み屋の息子」としてしか、扱われない。ここにも、他人の努力を認めない、そんな陰湿さが見えてくる。

秋田の陰湿な面が全国に轟いたのは、この上小阿仁村問題だけではなく、その前、あの秋田連続児童殺害事件での畠山鈴香受刑者の卒業の寄せ書きだろう。

今でも検索すれば山のように出てくるそれは、いくら娘とその友達の男の子を殺した女に宛てたものとはいえ、胸が詰まってしまう。この時まだ彼女は殺人など犯していないし、18歳だった。
鈴香と私はほぼ同世代だが、時代背景が今と違うとはいえ、ここまであからさまな、イジメ以外のなにものでもない寄せ書きが「配られた」という事実には恐怖を覚える。
愛媛も陰湿な面はあるが、それはあからさまではなく「ヒソヒソ」タイプである。しかし秋田は他人の悪口をいうことに抵抗があまりないように思える。
先のブログでも、歯医者で治療中、歯科医が席を立った途端、突然歯科衛生士が、「あの先生、キモイでしょ」と話しかけてきて、話に乗らなかったところ、大変不満そうな表情をしたという。
日常の盛り上がる会話が、もしかしたら秋田は他人の悪口なのかもしれない。ただそこに、「悪意」があるのかと言われると、一概にそうとも言えないように思う。
自死する側にも、悲壮感に満ち溢れた思いというよりも、もっと強い、確固たる信念があるように思う。たとえその信念が大いに間違っていたとしても。
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悲しみのある風景~自死、無理心中からみえるもの⑥~

自殺者が少ない街

では逆に、自殺者が確実に少ない街、というのはあるのだろうか。
これは、懇意にしてくださっている折原臨也氏に勧められたのだが、健康科学者の岡檀氏が発表した「生き心地のよい町(講談社)」という本にはその奇跡のような街が載っていた。
それは、徳島県海部町(現:海陽町)。徳島の南東に位置するその町は、山と海の豊かな自然に抱かれた、人口2600人程度の小さな町である。小学校は一つあるものの、中学高校はこの町にはない。
この町は、当然高齢者の数が多い。高齢者が多ければ、おのずと高齢者の自死というものが増える傾向にあるのだが、この町ではほぼそれがないのだという。
徳島県全体も、自殺率は低いのだが、この海部町は全国の市町村の中で、離島などをのぞくと一番自殺者が少ないのだ。しかも、先ほど述べた高齢者の自殺は17年にわたりゼロである(2015年当時)。 続きを読む 悲しみのある風景~自死、無理心中からみえるもの⑥~