彼女が死んだ理由~倉敷市・11歳女児餓死事件①~

平成14年9月24日未明

岡山県倉敷市。
この町の県営団地の住民から、「団地の一室から異臭がする」と110番通報が入った。
倉敷署員が駆け付けたところ、1階のその部屋の布団の上で女児の遺体を発見。傍らには、母親とみられる女性が座り込んでいたが、この母親も激しく衰弱しているのが一目瞭然だった。
ふと、署員が台所に目をやると、蜂蜜の空き瓶が転がっていた。

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彼女が死んだ理由~倉敷市・11歳女児餓死事件③~

優先された「自己の感情」

友里恵は裁判で、ことあるごとに「屈辱」「惨めな思い」を口にし、控訴審の最終陳述では、
「私と同じような人はいると思います。役所は本当に困った人を助けてほしいです。私と同じような人間をなくしてほしいです。私のような体になるのは私だけで結構です。」
と述べている。 続きを読む 彼女が死んだ理由~倉敷市・11歳女児餓死事件③~

悲しみのある風景~自死・無理心中からみえるもの②~

這い上がれない街

先ほども述べたとおり、愛媛県は全体として住むには非常に良い場所である。環境面でも、気候面でも、他の地域に比べればいくらもマシと思える。
県民の平均年収は四〇〇万円台と全国的に見ても低いものの、それでも「暮らしていける」ということはそれ自体が魅力ともいえる。
若い世代が給料が少ないために結婚できないとかいう話をよく聞くが、愛媛では若いうちは貧しくて当たり前という風潮もあり、経済的なことが結婚や出産の足枷になっているとは言い難い。
それは、田舎ゆえに近所に親兄弟の存在があるから、というのもある。一〇代の若い無職カップルでも、なんとかやっていけるイージーさがある。
また、若いうちは選り好みさえしなければ職にあぶれることはまずないというのもあるだろう。中卒でも失業しても焦る必要はない。
また、実家が近くにあればとりあえず住む場所は確保できるわけで、飢え死にする危険はぐんと下がる。 続きを読む 悲しみのある風景~自死・無理心中からみえるもの②~

悲しみのある風景~自死・無理心中からみえるもの③~

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親切の消費期限

愛媛県民は何度も言うが非常に親切である。老若男女問わず、みな見知らぬ人にも優しい。しかし、実はこの親切心、優しさがどうも他人を追い詰める要因になっていないだろうかと思っている。

自死を選択する人は、だれしも悩みを抱えている。幸せの絶頂で自死を選択する人はまずいないだろう。
よそで生活していてトラブルを抱え、心機一転、穏やかな気候と人柄というイメージの愛媛にやってきたとしよう。そこで、思っていた通りの親切を目の当たりにし、自身も実感する。あぁ、愛媛の人はあったかいな・・・そんな思いに包まれる。

かし、その親切の消費期限はびっくりするほど早いのだ。サバより早い。

一度親切にしてもらえたことに喜び、「何かあればいつでも相談してね」「できることがあれば言ってね」そんな言葉を真に受け、自分のつらい身の上や悩みを話せる気になって、勇気を振り絞って話してみる。
そのあと、多くの人は失望するのではないか、話すんじゃなかったと思うのではないか。
愛媛県民は親切である、しかし、だからといってそれに甘えられたり、頼み事などを現実として持ち掛けられると途端に距離を置き始めるのだ。本音と建て前というか、愛媛県民の親切心は言葉を選ばずに言うと「見栄」に近い。親切な人、いい人と思われたい気持ちが強いため、「いいお天気ですね」ばりに「何でも相談してね!」と言ってしまうのだ。
もちろん、中には本気で何とか力になろうとする人もいる。しかし、家族にそれを相談した途端、「関わるな」「他人の問題に口を出すな」と言われて諦める、そういったケースもある。(当サイトの記事、「おもいあがり」においては、まさに他人の手助けをしていた男が常軌を逸していく事件を取り上げたが、あれはそもそも弱者を助けることによって自己満足を得ようとしていた話であるため、ちょっと違う)

そんなのは全国どこにでもある話だと思われるかもしれないが、これが東京だったら、「所詮そんなもんだよなぁ」で終わると思う。イメージとして、他人に対して淡白と思われているからだ。期待するほうが馬鹿だ、で終わる。
しかし、温厚なイメージ、田舎特有の世話焼き、親切なイメージしかない愛媛で、思ってもみない対応を受けた際のダメージは大きいのではないか。
しかも、自分が一番知られたくない悩みを知られてしまったうえに、距離を置かれるとか、これはかなりキツイ。そこへ、田舎特有の「ヒソヒソ」が加わるとすれば、精神が弱い人なら家から出られなくなってもおかしくない。


よそから来た人に限らず、もともと愛媛で暮らしてきた人でも同じだ。愛媛の人は他人にあまり相談しない。してもネタにされるだけだとわかっているからだ。
「何でも相談してね、できることは言ってね」というのは、単に娯楽として他人の不幸を収集する手段に過ぎないとわかっているのだ。
若い世代は別として、ただでさえ人目を気にする県民性であるので、結局自分で抱えてしまい、選択肢がどんどん削られていく。
最終的には、もうすべてを終わらせる以外に選択肢がないような錯覚に陥ってしまうのではないだろうか。日本人は積極的に死を選ばざるを得ない状況に陥っている、と、自殺対策基本法成立に携わり、二〇〇九年には内閣参与も務めた清水康之氏はいう。そしてそれは、選択肢が元から少ない地方都市においては都会に比べて多いように思う。

こんなはずじゃなかった

先に這い上がることが出来ない街、と表現したことについてもう少し掘り下げてみたい。
愛媛県は観光のほかに、漁業、農林業、畜産業に従事する人々も少なくない。特に柑橘系は近年のブランド指定などで人気を博しているし、漁業においても鯛やハマチといった人気の魚の養殖やブランド化も進んでいる。
工業系でも、砥部焼や今治タオルはもはや世界的な地位を獲得しているし、その業界で国内上位に君臨する企業、日本食研、今治造船、三浦工業、大王製紙グループなどが工場や本社を置き、住友系、帝人、太陽石油などの大きな工場、関連会社もある。

愛媛は高卒者の就職も多く、またまじめな県民性もあって、給料が安くても大きな工場などで地道に働くという人は少なくない。どんなに給料が良くても、不定休で超残業の年収一千万の聞いたことがないようなベンチャー企業よりも、地元に根付いた大企業で週休二日、盆と正月は休めて年収三〇〇万のほうが評価が高いのだ。
学歴を見ても、そもそも旧帝大、東工大一橋、早慶出身者が愛媛で就職というのは地元大企業の幹部候補か公務員、医療系を除いて稀であり、愛媛大、岡山大、広島大、このあたりで「優秀ね」となる。ちなみに中四国で就職する際、一番強い大学は松山大学である。旧松山商科大学のルートが結構強いらしく、私立大としてはびっくりするほど学費が安いということもあって近年人気らしい。

とにかく、かたい道を選択する人が多く、そういう人が愛媛に残る。逆に、そういう県民性だからこそ、なかなか新しい事業が大きくならないという面もある。

そしてそのまじめさは、時に柔軟さに欠け、同じ業界内でも格差を生み、一度あぶれてしまったらなかなか戻ってこられないという厳しい面も持っている。
まじめさは頑なさでもあり、他人に哀れまれたくない、同情されたくない、そういう見栄も併せ持っていて、失敗は自分で何とかしなければ、という気持ちを持つ人が少なくないのだ。特に、四〇代~五〇代の家庭でも職場でも責任感が求められる年代には、全国的にもその傾向が強いように思う。
平成二九年、松山市の四〇代男性自殺死亡率は、全国の割合が一九.二であるのに対し、なんと二八.一となっている。ちなみにこの年の市区別の自殺死亡率で見ると、男女ともに松山市がトップである。あの秋田市と青森市を抜いているのだ。
文春オンラインでこの記事をまとめた渋井哲也氏によれば、自殺率の高い地域は最低賃金が全国的に見ても低い傾向にあるという。
ワーストランキング上位の青森、秋田は平成二八年度の最低賃金が七三七円で、全国的に見ても番目の低さだ。愛媛はというと、それに次ぐ七三九円だった。

一方で、たとえば大阪府は都道府県別でみると自殺死亡率は一番低いのだが、行政区別でみると西成区が全体のトップに躍り出る。沖縄県も、女性の自殺死亡率は全体の下から番目と低いものの、男女合計の都道府県別でみると一八位まであがってくる。
さらに興味深いのは、ワースト位の秋田青森の場合、県全体で位であり、県庁所在地(秋田市、青森市)で見てみると実はぐっと自殺死亡率は下がるのだ。おそらくこれは、県内でもわりと山間やへき地での自殺率が多いのだと思われる。それこそ、第一次産業従事者や高齢者の割合が他に比べて高いのだろう。
一方の松山市は、県内で一番自殺死亡率が高いのだ。私は松山市に住んでいるが出身は別の市町村である。松山が大都会に思えるほどの山奥の出身だ。経済的にも目玉産業もなく店もない。災害もあったり地場産業の衰退、観光はない、公務員、医療系従事者以外は非常に厳しい生活を余儀なくされている土地である。
しかし、自殺者はそんなにいない。松山のようにたとえ失業しても職さえ選ばなければなんとかなるとか、そんなレベルではなかったにもかかわらず、皆たくましかった。

それが松山だと、自死という選択肢が現実味を帯びてくるのはなぜなのか。

実際に住んでいるものとして感じるのは、松山市が住みよいのはあくまで一般的な生活を営めているという前提がある場合でのみ、言えることだということ。
失敗したり、心機一転やり直すには、まったく向いていない地域性があるのではないかということだ。

たとえば職を持っていて、家族もいて家も買ったとしよう。贅沢はできなくても、ごく普通の生活はおくれている状態から、大黒柱が職を何らかの理由で失ったとしたら。
転職がうまくいけばいいが、先にも述べた通りうまくいくケースはそんなに多くない。ましてや、病気やケガでの離職の場合、はっきりいって再起は難しいだろうと思う。もちろん、退職金や年金、保険などが充実していたり、年齢的にいいタイミングとなることもあるだろう。しかし自殺者の多くは、そんなタイミングにはまだ遠い、四〇代から五〇代だ。家を売ろうにも、そもそも買い手がいないためなかなか折り合いもつかない。
一家に一台の車の維持費が途端にしんどくなるが、手放せば生活できなくなる。
最低賃金の話が出たが、愛媛県の賃金は安い。年収三〇〇万円台で家族人暮らしとかザラだ、というか、それでやっていけるからある意味「住みやすい街」なのかもしれないし、ガツガツしない県民性から、ストレスにさらされることも少ないと思われるのだろう。
しかしこれは「年収三〇〇万で余裕ある暮らしができる」わけではないのだ。いっぱいいっぱいギリギリ、そしてそれで結構満足している層がいる、そういうことだ。(実家が太い人は除く)
したがって、世帯収入に減少がおこれば、途端に生活は苦しくなってしまう。
現に松山市は、最新版ではないが四国県の県庁所在地のうち、一番世帯収入が少なく、二〇〇八年から二〇一一年の三年間の生活保護受給世帯増加率は三〇パーセントに迫る勢いで、四国で一番増加している。
まるで、綱渡り状態の暮らしが当たり前の風景として実は存在しているのだ。まじめだけれど、上昇志向にかけ、場合によっては努力して高みを目指す人の足を引っ張る……。そんなことは嫌というほど目にしてきた。勉強を頑張る子供よりも、野球を頑張る子供のほうが評価されるのも、愛媛独特かもしれない。

松山という街は、経済的にもそして人も、弱った人や失敗した人を受け入れるキャパがそもそもないのだ。
みな、いっぱいいっぱいだから。でも、一見親切だから何とか話は聞くし、助けるよと手も差し伸べてくれる。でも、実際に頼られると途端にしんどくなってしまう。そりゃそうだ、もともとそんな器じゃないのだから。
けれどそれは住んでみないとわからないし、イメージはすこぶる良いもんだから誤解してしまう。
おそらく、日本一「こんなはずじゃなかった」と思われる街かもな、と思うのだ。  

居住者以外の自死

警察庁や厚生労働省が発表する自殺者数は、自殺が発生した地域別になっていることが多い。したがって、たとえば愛媛県で自殺した人の中には、旅行者や出張で来た人なども含まれている。

先の文春オンラインでの統計は、居住者別のものも掲載されているので参考にしてもらいたい。

松山市の自殺死亡率が高いのは、実はこれも関係しているのかなと考えた。
松山は海も山もあり、本当に美しい自然が多く残る街だ。
瀬戸に沈む夕日はいつ見てもため息が出るほど美しい。
そして、よく新聞に載るのが、「航行中のフェリーから人が転落」「下船者の人数が足りない」という記事だ。
松山から出港するフェリーはいくつかあるが、やはりフェリーから身投げする人は一定数いる。
間違いなく死ねるだろう点と、やはり海というものへの畏敬の念というか、誘(いざな)うものがあるのだろう。
山もそうだ。死に場所に山を選ぶ人も少なくない。特にお年寄りが家族とふらりと山にドライブに出かけ、姥捨て山の発想なのか、覚悟のうえで行方不明になるという話もいくつも聞いた。

死に場所を求めていた人に出会った人もいる。
数年前、私の友人が出会い系サイトを通じて知り合った男性がいた。彼は出張で松山に来ており、ビジネスホテルの一室で会ったという。
出張らしく、着替えのスーツが窓際にかけられ、スーツケースもあった。そこで、お酒を飲みながら他愛もない話を時間ほどしたが、特にそれ以上のことはなかった。
翌日、再びその彼から会ってほしいと言われた友人は、特に何も思わずまた彼のホテルの部屋を訪れた。その時彼は、家族のことや子供のこと、仕事のことなどをたくさん話したという。
話し相手が欲しかったんだな、そう思った友人は、その日も話をしただけで彼と別れた。
その翌日、友人の携帯に警察から電話があり、死亡したとある男性の携帯電話の履歴の最後があなただったので連絡した、と言われた。当初は意味が分からなかった友人だったが、その男性はあの出張できていた彼だったのだ。
彼は自殺で、友人に遺書を残しており、「見ず知らずの人間の最期に優しくしてくれてありがとう」と書いてあったという。

本気で死のうとする人ほど、最期に幸せを感じて死にたいと思うのかもしれない。そんな時、たまたま出張で訪れた松山で、表面的であったとしても人のやさしさに触れられた彼は、それまで漠然としたものだった自分の人生の終わりを、ここにしようと決められたのかもしれないなと思った。
悲しい結末ではあるけれど、死んで彼が楽になれたのであれば、たとえ表面的でも本音でなくても、松山の人間が醸し出す親切な態度というのは、意味のあることなのかもしれない。

第一次産業における自死

東京慈恵医科大学大学院医学研究科環境保健医学(当時)の鈴木隆司氏、同准教授の須賀万智氏、同教授の柳沢裕之氏の論文によれば、自殺者が急増する前(一九九〇年~一九九五年)と急増した後(二〇〇〇年~二〇〇五年)において、様々な指標と照らし合わせ、変化がないものについて関連性があるとした研究の結果、経済分野としては課税所得(特に男性)、環境分野で日照時間、そして、労働分野では第一次産業従事者について関連性が認められたのだ。

第一次産業とは、先にも述べたが農業、林業、水産業を指す。
今でこそ機械化が進み、法人化して異業種が参入するなどハイテク化も進んでいるところも多いが、依然として多くの個人就労者は厳しい状況に置かれている。
名作「北の国から」で、北海道の酪農や農業で失敗したら自死か夜逃げ待ったなしといった厳しさを知ったが、愛媛県全体でみると第一次産業従事者の自死というのは突出して多い印象はない。
高齢者の自死(原因問わず)の場合、愛媛県の場合第一次産業従事者が多いのでおのずと数に計上されるが、第一次産業に従事していることそのものが要因になっているとは思えない。

しかし調べていくと、とある地域で明らかに第一次産業従事者であったがために自死に追い込まれたというケースがあることを知った。
場所は九州、佐賀、長崎、福岡の漁協関係者の自死だ。
ピンと来る人も多いと思うが、これは二〇〇二年ころから増え始め、二〇〇四年から二〇〇五年の年間には一一名という自死者(未遂含む)を出しているのだ。限られた職種、限られた団体の中でこの数というのは異常だ。
その中でも、海苔漁業と潜水業に携わる人が多く、中には高齢の母親を道連れに無理心中(本人は死にきれず)した人までいる。老人はおらず、みな、三〇代から六〇代の働き盛りの人々である。
これには、大きな出来事が関係していた。諫早湾の大規模干拓事業である。

一九五二年に、水害を防ぎ食料増産のために農地拡大を進める「長崎大干拓構想」が発案され、一九八九年に着工。当初の事業費は一六〇億円程度だったが、最終的には二五〇〇億円に達する大規模国営工事となった。
この地域では多数の犠牲者を出した水害も発生しており、水害によって農作物が甚大な被害を受けたこともあり、干拓事業でそれらに加えコメ不足も解消できるとして始まったものだが、その後長きにわたる苦悩を地域住民にもたらすことになる。
漁業被害を懸念した地元の漁協関係者らは、潮受け堤防設置に反対、抗議行動なども行ってきたが、一九九七年、潮受け堤防の二九三枚の水門が閉じられた。
漁業関係者らには保証金も支払われたというが、漁協は漁業権を失い、または一部制限されることになる。
水門が閉められた直後から、有明の海には異変が起こった。それまで多い時には九〇〇〇トンもの水揚げがあったタイラギ貝が極端に獲れなくなったのだ。さらに、アサリが死滅したり、海苔が赤茶けるなど、水門が閉められて以降、海の生き物はどんどん減っていった。

この後の動きに関しては長くなるため割愛するが、この水門が閉められて以降一〇年の間に、漁協関係者が判明しているだけでも二三名の自死者(未遂含む)を出しているのだ。二〇〇四年からの年間に突出して自死者が増えたのは先述の通りである。
裁判の原告と支援者でつくる「よみがえれ!有明海訴訟」原告団・弁護団・支援する会の岩井三樹事務局長は「漁業不振に陥ったのが原因で自殺した漁業者や家族は有明海周辺では事業開始後、七〇(!)人が自殺しているが、いずれもこうした生活苦などが遠因とみられる」と強調する(二〇〇四年八月二八日付/中日新聞朝刊)



自死者の多くは極端な水揚げ高の減少と、設備投資での借金を抱えていたこと、それらが複合的に絡まりあったことが動機とされるが、それに加えて人間関係の不和もあっただろう。
各漁協は一致団結して抗議活動をしていたというわけではなく、各漁協によって考え方は様々だった。国が基金として出した一〇〇億円をもとに、新しい形で再生しようとする動きもあったし、実質反対していたのは長崎の漁協がメインだった。
しかし自治体として長崎県は水門の開門には反対しており、さらには開門に必要な工事に県が協力しないなど、こじれにこじれた。
また、国からの補償金などの提案に合意した当時の漁協組合長は、ハンコをついたことで周囲からは様々なことを言われたという。
そういった仲間との軋轢、不信感、家族内での不和などが心労となり、精神をすり減らしてしまったが故の自死も少なくはなかったろう。現に、漁協関係者の「家族」が自死しているケースもいくつもあった。

諫早湾干拓事業は、当初は戦後の食糧難から米の生産量を増やし、食糧確保が目的だった。しかし、しばらくするとコメが余り始め、減反政策が推し進められる。すると今度は防災目的、といった風に、もはや止められない国の大規模事業を何としてでも推し進めるために、さまざまな理由が後付けされていったのだ。

もちろん、干拓事業のおかげでのちに起きた大雨でも大きな被害はなかったし、農地では多くの事業者が野菜などの生産に力を入れている。
しかし、その農地で成功しているのは母体が大きな他業種だ。資金があるために設備投資も惜しまず、大規模なハウスでの安定した栽培、加えて土地の改良のための機械の販売などで売り上げを上げたという。
資金力のない農家は露地栽培を余儀なくされ、カモなどによって作物を荒らされるなど、被害を受けているところも少なくない。そのカモはどこから来たのかと言えば、干拓事業で新たに作られた調整池に飛来してくるのだというから笑えない。

諫早湾の無理心中

漁協関係者の自死では、海苔漁業者が圧倒的に多い。海苔は黒いダイヤと呼ばれ、平均的な水揚げ高は一五〇〇万円~二〇〇〇万円といわれ(当時)、多い人はワンシーズンで億円を超える人もいたという。
もちろん、設備投資にも莫大な金がかかる。乾燥機や漁船など、数千万単位でかかってくるばかりか、それはいずれ壊れてしまうため買い替えや修理の費用も必要となる。
母親を道連れに無理心中をした男性は、一五〇〇万円~二〇〇〇万円ほどで安定して推移していた水揚げが、二〇〇〇年にはなんと三四〇万に落ち込んだという。当時男性には父親の残した借金一〇〇〇万円と、船を新しくした際の一五〇〇万円、計二五〇〇万円の借金があった。
水揚げは激減したが、もともと生真面目な性格で遊ぶこともせず、漁の合間にもアルバイトをするなど働き者だったこともあり、なんとかその後年は踏みとどまっていた。
しかしその間も漁船の修理などで出費はかさみ、借金は三四〇〇万円になっていた。
さらに追い打ちをかけるように、ノリ小間と呼ばれる漁場の賃料の一括払いを求められてしまう。
男性は水揚げの中から八割を借金返済で漁協に天引きされており、手元に残るのは~三〇〇万しかなかった。そこからノリ小間の賃料(年分一〇〇万円)を払うなど、到底無理な話だった。
それでもまじめな男性は、借金をしてでも払おうとしたという。しかし、もはや男性に借金をさせてくれる金融機関はなかった。

男性の窮状を兄弟らは一応知っていたが、男性は助けを求めてこなかったという。むしろ、わざわざ電話で「借金返済のめどがついたから」などと、安心させるようなことを話していたという。破産など、考え付きもしなかった。
男性は死を選ばざるを得ないと思うようになっていく。
ノリ小間の賃料が払えそうにないことを、長年一緒に海苔業をやってきた母親には打ち明けた。母親は、「お父さんが作った借金、かつがせてごめんね。お前となら、死んでもよかよ。」そう言ったという。
そして母親は刺身包丁と菜切り包丁を自分で持ってきて、海苔小屋にいるからと男性に告げた。
男性は仏壇に手を合わせ、先祖に詫び、結婚して間もない妻と、親族に宛てて遺書を書いた。
そして、母の待つ海苔小屋へと向かった。

結局、男性本人は死にきれなかった。手首を切ったが死ねず、漁船に乗って海に出、ガソリンを被ったがライターをつけることはどうにもできなかった。
陸へ戻って車で彷徨っていたところ、妻から通報を受けた警察に発見されたのだった。
裁判で男性には、嘆願書が四〇〇〇筆も寄せられた。判決で裁判長は、「働いても働いても苦しくなる一方の生活に絶望したために心中を決意して実行したものであって、誠に同情を禁じ得ない。」と心を寄せた。そして、母を殺害したときに、「全身の力が抜けた」という男性に対し、「(あなたが自殺できないように)力をお母さんが持って行ってくれたのだと思います。」と語りかけたという。

自営業者、特に第一次産業の自営業者は同じ経済的な問題であっても、その額と重圧はサラリーマンとは桁が違う。
住宅ローンがかさんだなら最悪売ればいいし、破産という手もある。自営業者にも破産はあるが、第一次産業従事者の場合、同業者=苦楽を共にしてきた仲間が連帯保証についていることが多いため、おいそれと自分の都合だけで破産などとてもできることではないのだ。
設備投資にかかる額も住宅ローンの比ではない。三五年かけて払う五〇〇〇万円と数年で払う一〇〇〇万では重みが違う。しかも何年かごとに数千万の借金を新たに背負うことも珍しくはない。
生き物、自然を相手にしている以上、不測の事態も多い。経営手腕だけでどうにかなる世界ではない。

一方で、諫早湾の変貌については、干拓事業以前から異変が起きていたと指摘する声もある。なにもかもが干拓事業のせいとまでは言い切れないのも事実だ。
しかし、私でも思ってしまうだろう。もしもあのギロチンが下りていなかったら、と。

ある漁業関係者は言う。あの時、俺たちはムツゴロウと一緒に死んだ、と。