母の名は、女~山形・村山市6歳男児殺害死体遺棄事件~

拘置所にて

「私、今でも夢を見るの。男の人と連れ子と4人で仲良く暮らしていて。でも、男の人の顔はないの。」

女は拘置先の刑務所で、面会に来た知人にこう話した。
家族で楽しく幸せに暮らすことが夢だった。自分に子供がいるから、相手にも子供がいればいいな、女はそう思ってまさにその通りの男と巡り会った。

しかし家族になろうとしたひと月後、女は月灯りに照らされながらスギ林の中で我が子の墓穴を掘っていた。

加藤翔くん(当時6歳)。母親とその同棲相手の男から凄惨な暴行を受け、死亡。母親の手によって、鬱蒼としたスギ林に埋められた。
最初に発見された遺体は、わずかに髪の毛が残った頭部だった。

事件概要

平成15年9月18日、山形県警村山署の捜査員は茨城県土浦市にいた。
この町に、捜索願が出されている女性がどうやら潜伏しているという情報を得て、勤務先とみられる風俗店に踏み込んだ。
捜査員を見た女性は一瞬怯んだように見えたが、やがて観念したのか捜査員の聴取に応じた。
捜査員らは、女性にどうしても聞かなければならないことがあった。この女性の、6歳になる息子の行方である。
息子には、投薬が必要な先天性の腎臓病があった。その息子の行方が、わからなくなっていたのだ。

「子供はどうしたの?」
捜査員に対し、当初は友達に預けている、と話した女性だったが、嘘をついてはいけないと捜査員に諭されると、
「死んじゃいました、山の中に埋めた。」
と答えた。
山に埋めた、と聞いた捜査員が思わず、「なんで!」と聞き返すと、女性は大声でこう言い返し、その場に泣き崩れた。
「だって!死んじゃったんだもん!!」

この日、山形県警村山署は、秋田県由利町(現・由利本荘市)出身で風俗店従業員の加藤有美(当時25歳)を、保護責任者遺棄容疑で逮捕した。
有美はその年の6月上旬、長男の翔くんを山形県内の山中に置き去りにした容疑が持たれていた。
有美の供述には不確かな部分もあり、翔くんが死んだから遺棄したのか、それとも置き去りにしただけなのかもよくわかっていなかった。
有美の話によれば、衰弱した翔くんを離婚した前夫に託そうと決め秋田県内へ向かっていたが、その途中で翔くんを置き去りにした、と話す一方で、死亡したため山形県内の山林に埋めたとも話していたのだ。

9月19日以降、供述をもとに村山市本飯田にある通称「勝福山」の林道で警察犬も投入して捜索するも、手掛かりになるものさえ発見できなかった。
警察では、有美が前夫に翔くんを預けるつもりだったと言いながら、前夫とは2年間音信不通だったことや、翔くんを埋めたスコップを購入した場所や処分した場所を覚えていない点を不審に思い、慎重に捜査を進めていたところ、10月に入って供述が嘘だったことが判明。
実際には、当時住んでいた村山市内の交際男性のアパートで翔くんが死亡していたことが分かった。
その後、証拠隠滅を図るために有美が翔くんを山に埋めていたのだ。

有美は翔くんを日常的にせっかんしていたといい、その延長上で翔くんは死亡したとみられた。
有美自身も、警察に対し「発育の遅れに苛立ち、せっかんしていた」とも供述していた。
また、当時住んでいたアパートの主で、有美の交際相手だった男性も、「翔くんは友達のところにいると聞いていた」と話し、さらに、腎臓病のため水分を多くとる必要があったと聞いていたのに、有美がおねしょを嫌がって水分を与えていなかったため、その男性が食事や水分を与えていたと話した。

有美は「翔くんの口をふさいで殺害した」とも話していたことから、警察では傷害容疑での再逮捕も視野に入れ、いまだ発見に至らない翔くんを捜していた。

10月8日。逮捕から20日が過ぎたこの日、捜索していた場所から子供のものと思われる頭部が発見された。
遺体は林道から100mほど分け入ったところの地中1mに埋められていた。膝を両手で抱え込むようにし、赤いシャツに黒のズボンで、傍には防臭剤が置かれていたという。

有美と翔くんの様子を知る住民は、こう話していた。
「暴力などは見たことはないが、しつけは厳しかった。きつい調子で叱りつけることはあったし、翔くんがじっと有美さんの顔色を窺っている感じもありました。母子家庭だからと力んでしまったのでしょうか・・・」
しかし一方で、翔くんが通っていた保育園の関係者らは一様に驚きを隠せないでいた。
有美は翔くんの体を思い、塩分を控えめにしなければならない翔くんの食事のメニューを工夫し、翔くんが熱を出したというと飛んで迎えに来るような母親だったという。
勤め先にも翔くんをよく連れてきており、実家との関係も良好で、秋田県内の有美の実家には、翔くんのおもちゃが庭先にも置いてあった。

しかし有美は、秋田で暮らしていたころからせっかんを繰り返していたと供述。一貫して自分が虐待を加え、結果死なせて埋めたと話していた。

ところがこの10月8日になって、事態は急変した。
警察が任意で事情を聞いていた、有美の交際相手の男性が自殺を図ったのだ。幸い、命に別状はなかったが、男性は救急搬送された。
実は有美の供述から、男性の関与が疑われていたのだ。
有美は一貫して自分一人が行ったという趣旨の供述をしていたが、翔くんが死亡した後、1~2日経ってから遺棄したと話していた。
とすれば、その間翔くんの遺体はどこにあったのか?当時有美は村山市内の交際相手の男性が借りていたアパートで暮らしており、男性もその期間その部屋にいたことが分かっていた。
何も知らないと話していた男性の関与について調べ始めた矢先の自殺未遂。

結果から言うと、男はすべて知っていた。というより、この男こそが、翔くんを死亡させた張本人であった。

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村山署は12月1日、有美の交際相手で事件当時同居していた村山市の無職の板垣直樹(当時29歳)を、死体遺棄容疑で逮捕した。
板垣は、6月19日に死亡した翔くんの遺体を遺棄するよう有美に指示、場所の指定や捨て方なども細かく指示していたという。
さらに、翔くんの顎を殴ったことも認めており、警察ではその暴行が翔くんの死に結び付いたとみて有美と板垣を殺人容疑でも追及していた。

板垣は有美と翔くんと同居し始めた直後から、翔くんのしつけがなっていないなどと難癖をつけ、有美に体罰を要求していたという。また、板垣自身も翔くんに対して暴力を振るっており、それに有美も加担するようになったようだった。

この板垣という男はどういった男なのか。

有美と出会う直前まで、板垣は村山市内の父親宅で、自身の息子とともに同居していたという。
有美とは出会い系サイトを通じて知り合っていたが、離婚歴があり、少なくとも3人以上の子供がいたと思われる(事件当時同居していたのが三男であることから推測)。
板垣には前科があった。この事件が起こる前年、東根市で飲食店を経営していた板垣は、自宅で知人女性の体や顔を複数回にわたって木刀で殴打し、傷害の罪で1年8月、執行猶予3年を言い渡されていたのだ。

有美はどの時点でかは定かではないが、板垣に前科があることは承知していたようだ。普通ならばこんな男は犬も避けて通るわけだが、有美にはそれ以上に交際する相手に求める条件があった。
それは、翔くんと同じくらいの年の子持ちである、ということだった。

有美は離婚して板垣と出会うまでの間に、交際していた男性がいた。しかし、翔くんの存在がネックとなって、うまくいかなかったという。

時代背景として、このころ出会い系サイトは全盛期と言ってもよく、私は利用したことがない(この時期既婚者だったので)が、周辺ではおおっぴらにしなくても利用している人は少なくなかった。
有美の場合、子供がいてなかなか自由に出会いを求めることもできなかっただろうし、なにより周囲の誰もが認めるほど翔くんを一番に考える母親だった。
同時に、一人の女性として、自分の幸せを夢見ることもあったろうし、これも理解できることだ。子供がいたら恋愛してはいけない、そんなことはない。
だから有美も、出会い系サイトならば「この人なら」と思う相手と出会えるまでは、別に出歩く必要も時間を取られることもない、と考えたのだろう。もちろん、その条件として翔くんを受け入れてくれる人=子連れの男性、と考えたわけだ。

そして有美は、理想ともいえる男性と巡り会った。

しかしこの時有美は、その男性が、同居して一か月後には最愛の翔くんを殺害することになるなど夢にも思わなかった。

母子のそれまで

有美は秋田県由利町(現・由利本荘市)の出身。
田畑の中を国道108号線が走り、そこから各集落へと進むとどこも似たような長閑な田舎の風景が広がる。
旧由利町の中心部こそ商店や施設が立ち並ぶものの、石巻から由利本荘市までをつなぐこの国道沿いとはいえ、由利町は通過点の町、といった印象だ。

この町で有美は高校卒業まで育った。

高校は隣町の普通科へ通ったというが、当時学級崩壊と言えるほどに荒んでいたその高校の中で、有美はどちらかというと先生にも丁寧な言葉を使うおとなしいまじめな生徒だったという。
両親が不仲な家庭で育ったとはいえ、有美は非行に走ることもなく育っている。
親せきの話でも、有美は家族の手伝いなども進んで行い、親せきの人たちにも素直な子、という風に見られていた。

高校卒業後、地元のスーパーで勤務していたが、同じ年に翔くんを19歳で出産している。
その後、由利本荘市内で翔くんと夫と3人での生活を始めた。
しかし4年後、夫婦は離婚。一部報道によれば、夫がパチンコにのめりこみ、生活費まで手を付けるようになったから、というのが理由のようだ。
また、翔くんに先天性の腎臓病があったことを、「お前の家系のせいだ」と言われていたことも離婚理由の一つだと周囲に話していたという。


離婚後は、由利町の隣、岩城町の町営住宅に入居、町内のテーマパーク「天鷺村」や、駅での切符販売の仕事をしていた。
月給は6~7万円程度だったようだが、それでも町営住宅に入居していたことで家賃が抑えられ、母子手当などがあったであろうから、なんとか母子二人の生活は成り立っていたようだ。
ちなみに、だが、離婚した前夫からは養育費は支払われていなかったようだ。
有美の生活について、例えば借金があったとかとりわけ生活に困窮していたという話は出ていない。民間のそれより安いとはいえ、町営住宅の家賃滞納もなかった。
実家との関係は悪くなかったことから、物的な支援などがあったのかもしれないし、それ以上に有美が自分の経済力に見合った生活を心がけていたのだと推測される。

由利町の実家でも、翔くんのおもちゃが置かれ、有美とともに実家の庭先で嬌声をあげる翔くんの姿は頻繁に目撃されていた。
腎臓病を患う翔くんが、食事制限を続けていることを不憫に思いながらも、いつか手術を受けさせ、美味しいものをたくさん食べさせたいと、わずかながら医療費の貯金もしていたという。

一方の翔くんも、母親の有美に非常に懐いており、「かー」と呼んで慕っていた。有美が仕事で買い物に行けないとき、知人が翔くんを連れて買い物に行ったことがあった。翔くんはプリンをかごに入れ、「これは、かーの分」と嬉しそうだったという。
職場でプリンを受け取った有美も、本当にうれしそうに微笑んでいたのを見て、この知人は「うらやましい親子関係」とまで思った。

間違いなく、有美は正しく愛情あふれる母親だった。

それが、まるで土石流にのまれるかのごとく、あっという間に我が子を殺す鬼になったのはなぜなのか。

変わり果てた「かー」

出会い系サイトに、日ごろの愚痴を書き込んでいた有美は、ある時写真付きのメッセージに目を止めた。
29歳、なかなかハンサムな彼は、翔くんと同い年の子供の父親。それが板垣だった。
やり取りを重ね、ふたりはお互いの子供を連れて会うことになった。
当時、村山市内の父親方で暮らしていた板垣は、その父親宅に有美親子を招いた。
同い年の子供たちはすぐに仲良くなり、板垣の父親も微笑ましくそれを見ていたという。

平成15年5月、出会って一か月足らずの二人は、村山市内のアパートで子供たちとともに同棲生活を始めた。
ある時、翔くんがお巡りさんごっこをしていたのを板垣が見咎めた。
なんてことない、だれしも経験のある子どもの遊びだったが、自身が執行猶予中であった板垣は苛立った。
板垣はその時、棒で翔くんを殴ったという。さらに、「お前のしつけがなってねぇからだ」と、有美にも同じように叩くよう仕向けた。
戸惑いを隠せない有美だったが、翔くんのお尻を10回ほど叩いたという。

以降、板垣はことあるごとに難癖をつけては、翔くんに暴力を振るった。そして、有美はもちろん、自分の息子にも翔くんを殴るよう強制した。
有美はこの時、板垣に捨てられたくないという思いに駆られていたといい、翔くんを叩きながら「お願いだから言うことを聞いて!!」と心の中で念じていたという。

翔くんは笑顔を見せなくなり、有美のことを「かー」と呼ばなくなっていた。

虐待はエスカレートの一途をたどった。
腎臓病の影響で尿のコントロールがうまくいかない翔くんに対し、おねしょをしたと言っては制裁を加えた。
有美はそれを恐れて、翔くんの命にかかわることを把握していながら、与える水分を制限した。
若干発達にも遅れがみられた翔くんが、同い年の板垣の息子よりも動きが緩慢だったり、食事をこぼしたりすることも、板垣は許さなかった。有美も、理不尽だと思いながらも、翔くんの発達の遅れを気にしていたこともあって次第に苛立ちを隠さなくなっていく。

同棲生活が進むにつれ、有美の中に翔くんに暴力を振るうと「スカッとする」気持ちが生まれていた。

我が子の墓穴

通院が欠かせなかった翔くんだったが、村山市に越して以降、通院の記録はなかった。
理由は、通院させられなかったから、それだけである。
有美は通院が不可欠なことは知っていた。しかし、それによって虐待がバレることを恐れ、また、板垣からも釘を刺されていたこともあって通院していなかった。
水分を減らされ、食事も制限されていたという翔くんは、ここのところ白米しか与えられていなかった。
板垣の一方的な暴力だったものが、このころには有美も同じように加わるようになっていた。
エアガンで撃ったり、「消毒」として65度の熱湯をかける、ハサミで腕を切りつけたこともあった。
おねしょしてしまう翔くんを、衣装ケースに正座させ、そこで用を足させた。さらには、トイレの水や衣装ケースに溜まった尿を飲ませたりもした。

6月15日。
有美は翔くんの顔が歪んでいることに気付いた。
顔の下半分がずれていて、翔くんも強い痛みを訴えていた。板垣の暴行を受け、翔くんは下顎は真っ二つに割れ、右顎も剥離骨折していたのだ。
それでも病院に連れていくことなく放置し、寝たきりとなった翔くんの傍らに水と白米を置いただけで看病も、水を口に運んでやることもしなかった。
その2日後、翔くんは6歳という短い一生を終えた。

翔くんが死亡したのちの行動を指示したのは板垣だった。
なぜか山に詳しい板垣は、山に埋めることを提案してきた。ただその際、「俺には前科があるし…」と言ってきたという。それに対し、有美は「わかってる、私一人で行ってくる」と答えた。

「一回山に入ったら終わるまで戻るな。」
「山菜取りの人が入りそうな場所は避けろ」
「伐採間近の印がある木のそばは避けろ」
「穴が浅いと野犬に掘られるから深く掘れ」
「供え物はするな」

有美は言われた通りの場所を下見したうえで見当をつけ、板垣が東根市内のホームセンターで購入したスコップを積み込むと、スポーツバッグに翔くんの亡骸を入れ、防虫剤や防湿剤なども車に持ち込んだ。
6月19日午後7時半過ぎ。林道を車で入れるところまで入ると、スギ林を分け入り黙々と我が子の墓穴を掘った。
気付けば日付は変わっていた。有美は6時間も穴を掘り続けていたのだ。

無職だった二人は、有美のそれまでの貯えやお互いの児童手当などで生活していたようだったが、8月になるとそれらも尽きた。
そこで、板垣の紹介で東根市内のスナックに有美は働きに出るようになっていた。

一方で、秋田の有美の実家や元の職場では、有美と翔くんの行方が取りざたされていた。
実は、有美は実母に内緒で、職場にも何も言わずに板垣の元へ「逃げて」いたのだ。

葛藤

有美は実母に対し、新しい交際相手ができたことを告げられずにいた。
というのも、翔くんがまだ幼く普通よりも子育てに慎重さが求められるため、「再婚」については実母は反対していたのだ。
しかし有美としては交際の延長上には当然、再婚があるわけで、彼女なりの葛藤はあったに違いない。

出会って間もないころ、秋田の有美の自宅に板垣と息子が来たことがあった。
その日たまたま有美の自宅へ来た実母が、見知らぬ板垣を見咎めたという。そこでなにかしら板垣が常識的な対応をすればよかったのかもしれないが、突然のことでお互いに不穏な空気が流れてしまい、板垣も息子を連れて逃げるように出て行ってしまう。
おそらく、実母もこの出来事からさらに有美に対して小言を言ったのではないか。

そんな実母も、結婚生活はうまくいっていなかった。
実母が離婚していたかどうかは不明だが、有美が幼い頃から夫とは不仲だったという。
夫に殴られながらもそれに耐え、経済的に余裕のない中で必死に有美を育て上げた実母だったが、有美は不仲な両親の前でのびのびと日々過ごすことは出来なかった。

実母との関係に気を使いながらも、有美は職場の同僚らに「山形の人と結婚するの」と報告していた。そして、そのために退職願も提出していたのだが、人手が足りなかったのか、GWが終わるまでは待ってほしいと慰留された。

その直後の、実母と板垣の遭遇であった。
有美は仕事をやめ、身の回りの荷物だけ持って翔くんを連れ、板垣が待つ村山市へと「逃げた」。
会社にも実母にも、転居先は知らせていなかった。実母に口うるさく言われたくなかったのか、それとも、板垣から別れをにおわされ、二者択一を迫られたか……。
有美はこの時点ですでに自分を見失っていたと思われる。恋人との別れからようやく立ち直り、「理想の人」を見つけたと思い込んでいた。
この人についていきさえすれば、私は幸せになれる。有美はその希望にすがっていた。

ただその希望あふれる未来に、はたして翔くんの姿もあったのだろうか。

有美はただひとつだけ、気がかりなことがあった。翔くんが板垣に全く懐いていなかったのだ。翔くんは周囲にも山形へ行った話はしておらず、そのあたりからも板垣に対し子供なりにの嗅覚で何かを感じ取っていたのではないか。
有美はそれをわかっていながら、翔くんを連れて板垣の元へ走った。

板垣になつかない翔くんとは対照的に、板垣の息子は有美にすぐ懐いたという。
「本当の親子みたいだ」
そんな板垣の言葉に、有美は傍らで立ち尽くす我が子の存在に目を瞑ったのだった。

男との約束

事件発覚直後、有美は警察に対し、あたかも自分が翔くんを疎ましく思い、自分の日々の苛立ちを翔くんにぶつけた末のことであるかのように話した。
有美が板垣と暮らしていたことも警察は把握していたが、有美は自分がやったというし、板垣は板垣で警察の調べに対し有美に代わって面倒をみることがあったなどと話していた。
もちろんこれは嘘である。のちの調べで判明したように、すべては板垣と出会ったがために起きたことである。

しかし有美は翔くんの遺体が発見されるまで、嘘をつき続けていた。
普通に考えれば、板垣に脅されていた、そう思うわけだが事実はそうではなかった。
有美は、板垣と約束していたのだ。
「罪は全部私が一人で被る、刑期を終えたら、板垣と一緒になる」と。
有り得ない、将来の幹部を約束されて鉄砲玉となる暴力団組員よりも、有り得ない。しかしその有り得ない話を信じ込むまでに、すがるしかないまでに有美は追い込まれていたのだろう。

事件が発覚した経緯として、実は早い段階で実母は有美と翔くんが板垣と一緒にいることはわかっていたようだ。
有美が職場の人に山形へ行くと言っていたこと、結婚すると言っていたことなどからそう思っていた。
しかし、肝心の板垣の所在が分からない。どこに住んでいるのか、同じ町内ならばまだしも、県をまたいでしまえばなかなか把握しづらいだろう。
実母が不安な日々を送る中、有美の実家に一通の封書が届いた。
それは、有美が所有する携帯電話の解約通知書だった。
中には有美の現在の住所として、村山市内のアパートの住所が記載されていたことから、実母は8月30日になってそのアパートを訪ねた。
すると、まさにその部屋に有美がいたのだ。しかし、仰天した有美は実母を振り切りなんと逃走。
実母は翔くんを捜すも、その姿はどこにもなく、有美が連れていた気配もなかったことからその足で村山署に駆け込んだ。

なにより、翔くんは腎臓病を抱えている。その孫が、どこにもいない……
村山署もすぐさま捜索に乗り出し、聞き込みや地道な捜査で有美の車がJR福島駅前の駐車場にあるのを発見。しかし、有美の行方は分からずにいた。

そのころ有美は仙台と茨城県土浦の風俗店をはしごして金を作っていた。
その金は逃走資金でもあり生活費でもあったわけだが、実はこの金を有美はどうしても作る必要があった。
それは、愛するとの将来をつかむための「口止め料」だった。

その後の調べで、逃走中に何回かにわけて板垣の口座へ合計20万円の送金があったというが、一部の新聞報道によれば有美が板垣に渡した金は6~700万円に上るともいわれる。
ただ、どれだけ風俗でフル回転したとしても、わずか3~4か月(板垣と同居していた時から風俗にいたとしても)でその額を稼げたかどうかは怪しく、たとえ当時が今ほど風俗嬢のギャラが安くなってはいなかったとはいえ、この額には疑問も残る。

いずれにせよ、有美はたとえ逃げおおせられなくとも、刑期を終えたら板垣と一緒になると、この時点でもそれにすがっていた。

しかし結局、不用意に発した「翔くんを埋めるまで2日ほどアパートに置いていた」という言葉で、板垣の関与が露呈し、ふたりは保護責任者遺棄容疑から、その後殺人の容疑でも再逮捕となった。

「なんで減らしたんですか!!」

平成15年10月30日。山形地検は有美をまず死体遺棄罪で起訴。12月22日には初公判が開かれた。
ずっとうつむいたままの有美は、罪状認否で「間違いありません」と答え、起訴事実を認めた。
検察の冒頭陳述が始まったあたりから、有美は終始泣き通しだった。
翌年2月5日、有美と板垣は殺人で再逮捕。二人が共謀して翔くんに暴行を加え、治療もせずに死亡させたことが「不作為の殺人容疑」であると判断されたのだ。
2月26日に起訴され、これについても、二人はほぼ認めた。
3月22日の第二回公判では、殺人罪についての罪状認否が行われ、有美は明確な殺意は否定した。
4月5日第三回公判。この日は虐待に至った経緯について問われ、「板垣さんに嫌われたくなかったから」と有美は答えた。
暴行を加えるにつれ、それが次第に快感になっていったとも述べたものの、一方で、「(やらないなら)今度はお前の番」などとエアガンを向けられるなどしていたことも証言し、板垣から有美に対するDVがあったことも述べていた。
5月12日、論告求刑。殺人と遺棄罪に対して、検察は確定的な殺意があったとし、「幼児虐待の極み」と厳しい言葉で非難、求刑は13年だった。
明確な殺意を否認していたことについても、「罪の軽減を図るための弁解」と切り捨て、翔くんを自動車事故に見せかけて殺すことを板垣に提案していたことを挙げて「むしろ積極的かつ確定的な」殺意があったとした。
弁護側は、「被告は翔くんと板垣親子との4人で楽しく暮らしたかっただけ。板垣の機嫌を損ねないためのしつけとして始まったもの」と未必の故意を主張、情状酌量を求めた。

6月7日、山形地方裁判所の木下徹信裁判長は、
「もっとも信頼すべき母親に裏切られた翔くんの悲しみ、怒り、絶望は察するに余りある。自己の恋愛感情を満たすために行った犯行で、身勝手で冷酷、かつ陰湿な動機に酌量の余地はない」
と述べ、懲役11年の判決を下した。
最大の争点だった有美の殺意については、「未必の故意」とし、検察側の言う確定的な殺意は退けたものの、板垣によるDVについては、
「交際、同居を自ら選択、優先させ、虐待行為に加担して死亡させた事実は変わりはない」
として酌量の余地なし、とした。

判決が言い渡された時、突然有美が叫んだ。
「なんで減らしたんですか!!!」
有美はそのまま床に泣き崩れ、刑務官に支えられてもなお、法廷には有美の嗚咽が響いた。
木下裁判長は、
「あなたにチャンスを与えたのです。翔くんの命を大事に思うなら、自分の命を大事にして、供養をしっかりやりなさい」
そう有美に言葉をかけた。

有美は控訴はせず、そのまま刑は確定した。

「母として仇をとってやりたい」

板垣は平成15年12月22日に死体遺棄容疑で起訴、有美同様、のちの殺人罪でも起訴となる。

2月16日の初公判では、どこか心ここにあらずと言った風で、裁判長からの呼びかけに応じない場面もあった。
4月19日の第二回公判において、殺人罪の罪状認否については「死んでも構わないと思ったが、計画的ではない」と確定的な殺意を否認、弁護側も有美同様、未必の故意を主張した。

この時点で、有美と板垣の関係は変化しており、有美は自身の裁判で板垣が翔くんに包丁を突き付けた、階段から翔くんを突き落とすことを相談したといった証言をしていた。
そのため、弁護側は有美の証言を根拠としての証拠採用を拒否、板垣の殺意の有無について争う姿勢を示していた。

5月24日の第三回公判では、被告人質問が行われ、翔くんに包丁を突きつけたことも、階段から突き落とす相談をしたことも否定し、さらには包丁を突き付けたのは有美であると述べたため、検察側は有美を証人申請することになる。
7月5日の第四回公判、証人として出廷した有美は、「板垣さんは私が持っていた包丁を取り上げ、翔に突き付け、『俺なら殺せる』と言った。本当に刺すかと思った。階段から突き落とす話も、板垣さんが言い出したと思う」と証言するも、板垣は「やってないことまで言っている」として有美の証言を否定した。
その上で、板垣に対して、
「顔を見るのも嫌だし、声も聴きたくない。できることなら、母として仇をとってやりたい(?)。本当に償う気がないならば更生の機会すら与えてほしくない」
と述べ、退廷するときも板垣を一瞥もしなかった。

7月26日の論告求刑において、検察は
「罪の軽減を図って虚偽の弁解をし、確定的な殺意をもって終始主導的な役割を果たしていた、加藤受刑者よりも刑事責任は重い」
として、懲役15年を求刑。
「人間として到底許されない悪質かつ残酷な犯行」とも述べ、翔くんが受けた暴力の凄惨さを強調した。
板垣は
「大切な命を奪ってしまい申し訳ない、早く刑に服して冥福を祈りたい」
と謝罪の言葉を口にした。

10月18日、山形地方裁判所の金子武志裁判長は、
「空腹や暴行に耐えて嘔吐する姿を目にしながら平然と虐待をつづけた被告人は、人間としての情が欠如している。翔くんの悲しみ、恨み、絶望を思うと涙を禁じ得ない」
と断罪、争点だった殺意についても未必の故意を認定、懲役13年の判決を下した。
検察は判決に先立ち、翔くんの祖母(有美の実母かどうかは不明)の手紙を朗読。「もし罪にならないのならば、翔にしたことをやり返したい」という手紙に、板垣は「本当に申し訳ないことをした」と謝罪した。

裁判を終え、板垣の弁護人はその態度などから、
「どんな判決でも従う心境だったようだ」
と話して、控訴しない意向を示していた。

しかし、板垣は量刑に不服として控訴した。
板垣は控訴審以降、法廷には姿を一切見せていない。理由は、
「傍聴席からの視線に耐えられない」
というものだった。

その後、なんと最高裁まで持ち込まれたものの、平成17年6月13日、最高裁はこれを棄却し懲役13年の判決が確定した。

初の懲役10年以上

この事件が注目されたのは、実母によるあまりに短い期間での虐待殺人、死体遺棄だったことのみならず、その判決にも理由があった。
それまでにも多くの子供らが虐待の末に死亡、遺体を遺棄されるといった事件はあったが、いずれも傷害致死、保護責任者遺棄致死といった罪状となっており、殺人罪が適用されるケースは稀(あるにはあった)だった。
このサイトでも取り上げている広島二児虐待死事件、苫小牧ネグレクトなどは殺人罪が適用されているものの、いずれもこの村山市の事件よりも判決は後であり、平成14年時点では虐待事件で判決が懲役10年を超えた事例はなかった。
平成13年に起きた尼崎の瀬田恭一君の事件などは短期間の暴行で死に至らしめている点や、遺体を捨てている点など類似しているものの、傷害致死と死体遺棄で懲役8年となっている。

どうも虐待は殺人ではなく傷害致死、保護責任者遺棄致死であるといった「区別」があるようにも思え、イコール、虐待する親は「まさか子供が死ぬとは思わなかった」と思いながら殴る蹴る、食事を与えない病院に連れて行かない、いざ死んだら狼狽える、だから殺意がなくては成立しない殺人罪には問えない、そんな空気が今もずっとあるように思うが、この時代においても多くがそうだったとみえる。

病気の子供を病院に連れて行かないのは、死んでもしかたないと思っているからではないのか。そしてそれは未必の故意であり、殺人と同じではないのか。いわゆる、見殺しである。
ならば、助けを求める子供を無視し、暴行を止めない、通報や他人に助けを求めるなどの行為もしない、これだって「死んでもしかたない」と思っているからではないのか。

こういうと、エライ人は「洗脳されていたんだ、騙されていたんだ、視野狭窄、フリーズ状態わーわーわー」というだろう、もちろん、それ自体は否定しない。しかし、この村山市の事件において、裁判長は「その状況を自ら選択し、優先した」という点を見逃さなかった。

昨日まで一緒に泥棒してたんでしょう?

有美は裁判でも終始泣き崩れ、加害者でありながら被害者の母親であるということに必死でしがみついているように見える。
最終陳述では、翔くんへの謝罪の手紙を読み上げたといい、傍聴席からはすすり泣きも漏れ、検察官までもが目頭を押さえたという。

「翔、ごめんな。
ここが翔に一番近い場所だと思っている。手紙読むから聞いてね。
何度謝っても謝り切れることでも、償いが終わるわけではないけど、今はそれしかしてやれません。
(中略)
再逮捕された時、翔の大好きな食べ物がおかずとして出てきた。あれ、翔でしょ。『翔が元気をくれている』。そう思った、ありがとう。
(中略)
(遺体が発見された時)ばかな母親を、翔のかーに戻してくれたね。ありがとう、翔。
小さい手なのに、ふっくらしてない翔の手だけは離すんじゃなかった。『翔、手つないで』って(お願いしても)つなげないんだね、もう二度と。」

うーん、なんだろこのドン引きする感覚。まるで浜崎あゆみの歌詞かと思うほど、酔っている。
別の新聞の報道では、オブラートに幾重にも包んだ状態でこの「ドン引き」を伝えるものもあった。
死刑にしてほしいと、有り得ない判決を望んだかと思えば、弁護人から虐待について問われても「よくわからない」という様子や、時には質問する検察官らに対し、私の気持ちはわからないと言わんばかりの態度で応じる姿に、「本心から向き合っていない」と書く新聞もあった。。
弁護人自身も、「踏み込めない部分があった」と話していた。

 
佐賀、長崎の連続保険金殺人の山口礼子を彷彿とさせる彼女は、前述のとおり自身の刑が確定したのち、板垣の裁判に証人として出廷した。
自分の刑が確定して、自分はすでに償いの道にいるからなのかなんなのか、まるで板垣単独の犯行であるかのような証言をつづけ、あろうことか、「母親として仇をとってやりたい」という迷言まで残した。お前が言うな、と、法廷にいた人たちは思わなかったのだろうか。

ラジオの超有名番組、「テレフォン人生相談」でおなじみの大迫恵美子弁護士が、ある時相談者に対し痛烈な一言を放ったことがあった。
不倫を清算した男性が相談者で、
「元不倫相手の女性が別の男性と不倫しているのが許せない、不倫は悪いことだから自分はやめた、だから女性もやめるべきだ、そのために自分は正義としてその不倫を女性の家族に伝えようと思っているが、それは法に触れないか」
という内容だった。

大迫弁護士は、罪に問われるかどうかはケースによるとしながらも、なぜそれをよりにもよって不倫していたあなたが偉そうに言うのか、ということを男性に問いただした。
男性は、「自分は反省し、悔いている。だから、今度はそういう悪いことをしている人を正したい」というような、正義感を振りかざして反論。

しかし、大迫弁護士は、
「だってあなた、昨日まで一緒に泥棒してたんでしょう?罪を告白したら急に共犯者を売っちゃって、良い人になるんでしょうか。」
と返し、相談者は絶句。テレフォン人生相談史上に残る不朽の神回である。

同じとは言わないが、有美のこの法廷での言動を見るにつけ、なぜお前がそんなことを言えるのか、という思いがずっと離れなかった。
検察官が目頭を押さえたのは絶句していただけじゃないのかとすら思う。
そんな有美に対し、本人にその意図があったかどうかは別として、板垣もまた痛烈な皮肉をつぶやいている。
母として仇をとってやりたい、そう法廷で怒りをにじませた有美に対し、板垣はこう答えた。
「……親なら、そう思うと思います。」
私は呪縛にとらわれていた、と言った有美に、この言葉はどう響いただろうか。

最期の言葉

翔くんは、6月上旬、とぼとぼとアパート近くの路上を歩いているところを通行人に保護された。
リュックを背負い、中にはパジャマらしきものが入れられており、
「にゃんこばあちゃんのところへ行く」
と話した。にゃんこばあちゃん、とは、有美の実母のことである。
保護した人が交番へ連れて行こうとした矢先、有美が血相を変えて現れ、翔くんを連れ戻した。
翔くんは明らかに、有美から逃れようとしたのだ。
この日から数日後に、翔くんは顎を真っ二つに割られ、食事を与えられず水分も摂れず、寝たきりになってただ死を待つのみとなった。

もう、長いこと「かー」と呼ばなくなっていた翔くんは、命が消えた夜、有美を見つめてこう言った。

「かー、助けて」

それが翔くんの最期の言葉だった。

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参考文献
社会福祉法人 横浜博萌会 子どもの虹情報研修センター
平成22年度研究報告書 「児童虐待に関する文献研究」
研究代表者 増沢高 共同研究者 川﨑二三彦 他 

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