隣人訴訟ともう一つの結末~三重・幼児水死事故②~

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バッシング

判決が出たのち、新聞各社は大きく報道した。
しかし、ほとんどの見出しは、賠償命令を受けた工藤さん夫婦に同情的なものだった。

例えば、地元の中日新聞では「『近所の善意』に厳しい判決」とし、全国紙も「隣人の好意につらい裁き」「近所付き合いに『冷や水』」といったものに加え、工藤さん夫婦に賠償命令が下ったことを重点的に報道した。
それ以外にも、「善意とはなにか」や、「子どもはもう預かれない」といった、どこかこう記者の感情が大きく影響しているような記事が躍った。

先にも述べたが、判決は賠償命令を出したものの、その多くは親に責任があるとしている。しかし、このような見出しを見ると、多くの人は原告である山中さんの主張が全面的に認められたというような極端な印象を植え付けられてしまう恐れがあった。
そして、それは現実のものとなり、原告の山中さんに対して全国から非難の声が寄せられたのだ。

判決が出た当日の夕方、山中さん宅には電話が相次いだ。
当時は電話帳に住所や名前が当たり前に掲載されていたし、事故を報道する際も細かな住所まで載るのは当たり前だった。
そのため、山中さん宅の住所や電話番号はいとも簡単に見つけることが出来てしまい、報道があった翌日からはさらに強い抗議、非難、そして誹謗中傷へとその内容はヒートアップしていく。

山中さんは、電気工事業を営んでいたのだが、報道された翌日には元請業者から突然に契約を打ち切られた。
また、当時小学5年生だった山中さんの長女は、学校で賠償金を何に使うんだ、などと冷やかされ、商売をしていた親せき宅へも裁判を非難する声が寄せられた。
自宅への嫌がらせの電話や手紙は収まる気配もなかった。
わずか20日程度の間に、嫌がらせ電話は500件以上、手紙やはがきなどは50通以上山中さん宅にもたらされた。

一方で工藤さん宅には、支持するといった応援の電話が相次ぎ、中には弁護士費用を用立ててやるから控訴しろ、などと言ったものもあったという。
工藤さん夫婦への賠償命令は出たものの、国や建設会社への管理責任が認められなかったことで山中さん側は控訴の予定だったが、思いもよらぬ全国からの罵倒の嵐に、判決から約2週間後、訴訟自体を取り下げてしまう。

ただ、訴えを取り下げるには相手方の同意が必要であった。実は山中さんが訴えを取り下げる1週間ほど前に、工藤さん夫婦は控訴の手続きをとっていたのだ。

山中さんが訴えを取り下げたことが報道されると、風向きはがらりと変わった。
あれほどまでに日本全国から同情と激励を受けていた工藤さん夫婦に対し、今度は「人殺し」などといった誹謗中傷の声が寄せられるようになってしまったのだ。
工藤さん夫婦は即座に訴えの取り下げに同意し、国や建設会社も同意したため、津地裁での裁判は判例のみが残され、訴訟自体は最初からなかったことになってしまった。

山中さんは自宅に住み続けられなくなり、引っ越しを余儀なくされた。
法務省の人権擁護局もこの事態を重く見て、調査を始める。双方の夫婦からの聞き取り、実際に送られてきた抗議文などの中身を精査し、
「多数の侮辱的ないし強迫的な内容の投書や電話が殺到し、そのことで裁判を受ける権利が侵害されてしまった。これは非常に極めて遺憾なことであり、このような事態が再び起きないように国民ひとりひとりが裁判を受ける権利の重要性を再認識してほしい」と強く訴える事態になった。

暴走した正義感

訴訟取り下げと、法務省からの異例の表明という事態を受け、新聞各社は冷や水を浴びせられたかのように冷静さを取り戻した。
判決直後に感情的ともいえる記事を書いた記者の一部は、それを反省し、この「騒動」を分析するなどしている。
今ならば、新聞やテレビの情報のみを鵜呑みにして国民が右へならえで物事を批判するという現象はあまりない。
それはネットが普及し、真実を自分たちである程度知り得ること、そして、報道が絶対的な真実を伝えているとは限らないと知っているからだ。

しかし昭和の時代、新聞をはじめとする報道がすべてだった。新聞に書かれることこそが正義であり、真実だった。
たとえそこに書く側の感情や思惑があったとしても、それを見透かす力は国民になかったと言っていい。
山中さん側の事情は殆ど報道せず、ただ善意の隣人へのあまりに辛辣な対応、その一点のみを前面に出した。
さらに裁判の中身を詳しく説明もせず、500万円という一般的に考えると高額な賠償命令のみを見出しに載せた。

人々の生活は豊かになっていたとはいえ、それでも500万円という金額は人々の心に歪みをもたらすには十分な金額である。
投書をした人々は、ほとんどが高齢者と言われている。中国残留孤児やシベリア抑留を引き合いに出すなどしている文面からもそれは窺えるのだが、加えて、日本人の美徳や助け合い精神などを引き合いに出し、あたかも自分は正義を主張しているといった文章も多かった。
戦前、戦中、そしてすべてを失った戦後を生き抜いて、生活は楽になったけれども気づけば高齢となった人々が、自分たちが大切にしてきた「隣人愛」「助け合いの精神」をまるで無視するかのようなこの裁判に、そして若い世代の山中さんに怒り狂っていた。
もう一つ言うならば、山中さんが自営業者であり、外車を乗っていたことや、サラリーマンだった工藤さん宅よりも裕福だったこともその怒りを増幅させたと思われる。

子だくさんでサラリーマンの工藤さんが弱者、自営業者で裕福な山中さんは強者という図式が、潜在的にあったことは否めないだろう。
彼らは隣人愛などともっともらしい言葉を大義名分にして、自身が発揮することのできなかった偏った正義感をこれでもかと山中さん夫婦にぶつけたのだ。

隣人でなくなったから訴えた

また、子供の死の責任を金で解決するのかといった的外れな批判もあった。
裁判の仕組みを少しでも知れば、損害賠償は金銭賠償が原則とわかるわけで、訴える以上、賠償額が出るのは当たり前のことだ。
しかし、子供を善意で預かってくれた隣人を訴え、さらに500万円という金を受け取ることになった山中さん夫婦には、それを理解しようとしない人々から「守銭奴」「そんなに金が欲しいのか」「工藤さんからとった金で海外旅行でも行きますか?」などといった誹謗中傷が相次いだ。
これについては、熊本大学法学部教授の吉田勇氏も、金銭賠償以外の方法が検討されて良いのではないか、と提言する。
今回、山中さん夫婦は「金が欲しくて」訴訟をしたのではないことは明らかであり、そうであるならば弁護士費用の負担であるとか、慰霊碑建立の費用など、実費として発生した部分は金銭賠償、それ以外の部分、たとえば精神的なダメージは慰謝料ではなく、精神の回復に必要な形をとる、といったことが考えられないだろうか、としている。

そもそも山中さんは訴えの動機として、「一言の謝罪もなかった」ことを挙げている。
であるならば、工藤さん夫婦が謝罪すれば山中さんの気持ちは収まるはずである。
ただ、これを判決で命令してしまうと、誠意から出た謝罪と受け取れなくなってしまうわけで、解決とは言えなくなる。
実は、この部分が欠落していたことが、裁判ひいてはその後の騒動を大きくさせた原因なのである。

山中さん夫婦と工藤さん夫婦は、昭和49年ごろにこの新興住宅地に家を構えており、年齢差こそあったものの同じ年頃の子どもがいることで交際を深めていた。
お互いの家を行き来し、それこそどちらの家の子どもも我が子同様に面倒を見、家同士で深く結びついていたはずだった。
だからこそ、山中さんに対し、「隣人愛」「助け合い」を持ち出して人々は批判したのだ。そこまでに仲が良い相手を、お互いの話し合いで解決せず「突然」訴えるのか、と。

個人が個人を訴える民事訴訟は、裁判を起こすまでは同情的な人々も、いざ提訴に踏み切ると途端におろおろし始めたり、時には「そこまでしなくても」などと言い出して訴えを起こした人を批判したりすることもある。
悪意があってしたことではなく、むしろ善意で行ったことが「不完全」だったことで訴えるというのも、その前に第三者を交えた話し合いや謝罪の場があれば違うのではないか、しかも仲が良い隣人同士であるのだから。
もっともである。しかし、先に紹介した吉田勇氏はこう分析する。

「この事例でも誠意ある謝罪を(山中さんが)求めているところから見て、少なくとも訴訟提起の時点では、被告夫婦は原告夫婦にとって”善意の隣人”ではなく、謝らないから許せない”他人”になっていたのである。隣人ではなくなったから訴えが提起されたのである。」

実際、山中さんが事故当日の様子を聞くために工藤さん方を訪れた際、会うことが出来なかったというのは先にも述べた。
実はこの時、「玄関にカギがかけてあった」という表現をしていた。
推測ではあるが、時代的にも普段玄関に鍵などかけない家だったのではないか。もっというと、近所だからこそ、在宅であることを把握したうえで訪ねたのではないか。
にもかかわらず、玄関は施錠され、応答もなかった、しかもそれは3度も続いたという。

ここに、工藤さん夫婦の潜在的なものが見え隠れしないだろうか。

さらに事態を悪化させたのは、被告側弁護士の頑なな態度にもあった。
裁判所は一度、和解を被告側弁護士に打診したという。それを、被告側弁護士は即座に断ったというのだ。
感情のもつれが大きく影響しているケースであるにもかかわらず、勝敗をきっちりつけようとする弁護士の姿勢が事態を悪化させてしまったともいえる。

山中さん夫婦は訴訟を取り下げた後、それでも康之くんの慰霊だけはと、池のほとりに慰霊碑をたてた。