嗤う男の化けの皮~藤沢市・OL放火殺人事件②~

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逃げ帰った娘

美穂さんが佐々木とアパートで暮らし始めた翌年の8月3日。
飯島家に突如美穂さんが帰ってきた。

それまでも実家に来ることはあったが、この日はまるで「逃げ帰ってきた」ような状態だった。どうしたのかと驚く両親に対し、美穂さんはおもむろに右胸の辺りをはだけ、「もうこれ以上、体に傷をつけられるのは嫌!」と訴えた。
美穂さんの右胸には、なんとタバコを押し付けたような痕があった。仰天した両親は、直後に電話をかけてきた佐々木を飯島家に呼びつけた。
佐々木は神妙だったという。正座して、言葉遣いも丁寧だった。
そんな佐々木を前に、父は厳しさを込めてこう伝えた。
「これ以上暴力を振るうのであれば別れなさい。」
美穂さんも自らTシャツの襟を下げ、傷跡を佐々木に示したうえで、
「体に傷をつけられるのは嫌だ」
と訴えた。

佐々木は神妙な面持ちを崩さず、父に対し
「お父さんのいうことを守りますから、1ヶ月だけ猶予をください」
と懇願。おそらくではあるが、美穂さん自身も「わかってくれるなら…」という気持ちがあったのだろう。父も二人を前に、暴力はいけない、ケンカはしてもこんなことはしないようにと念押しし、
「たまには二人で(実家に)ごはんでも食べに来なさい」
そういってふたりをアパートへ帰した。

やれやれ、と両親が思ったのもつかの間、翌月の9月17日、再び美穂さんが実家へと戻ってきた。その際、顔には殴られたような痕が残っていたという。
その時間、父は帰宅しておらず、美穂さんを迎えに飯島家を訪れた佐々木を美穂さんが公園に連れ出し、そこでふたりは別れることを決めたという。
母親にその旨を伝えた美穂さんだったが、「最後の食事」をするため、横浜へ出かけると告げて出て行った。
2人が横浜へ出かけている間に帰宅した父は、その後帰宅した美穂さんと佐々木に対し、「君は約束を守らなかった。二人はもう別れた方がいい。第一、娘をそんな環境に置いておくわけにはいかない」と、以前よりも強い態度で伝えた。
佐々木はこの時も従順で、父の厳しい言葉に対しても
「わかりました、美穂さんとも話して別れることにしたので、明日アパートを出ます。」
としおらしい態度で話したため、その夜もとりあえず美穂さんを引き留めず、二人をアパートへ帰した。

両親とてもはやこれ以上は許さないと思っていた。しかし、かといって二人の問題はきちんと二人がケジメをつけられるはずだし、そうすべきだとも思っていたのだろう。
なにより、あのアパートは美穂さんが借りている部屋である。そこへ転がり込んでいる佐々木が出て行くのが筋であるし、ここまで言えば出て行かざるを得ないだろうという判断だったのだと思われる。

しかし、佐々木は出て行かなかった。美穂さんの両親の前では殊勝なふりをしながら、佐々木は美穂さんの両親の説教など微塵も聞く耳を持っていなかったのだ。

本性

佐々木という男は、実際とんでもない男だった。
美穂さんと同棲し始めた時点では、佐々木はまだ学生であったため、家賃や生活費などの負担は確かに出来なくても仕方なかった。
しかし、同棲を始めて4か月後には働き始め、給与として13万円の収入を得ていたにもかかわらず、アパートの家賃や生活費を負担することはなく、佐々木が支払っていたのは自分の車を停めるための駐車料金月額1万円のみだった。
亀井野のアパートは家賃が月額7万円ほどだったが、そこに二人分の生活費がかかってくるとなれば、美穂さん一人の収入では厳しかったことは想像に難くない。
美穂さんの収入は当時20万円程度だったようだが、その収入が平成5年の5月には16万円に減っている。
実はこれも、佐々木が原因だった。

美穂さんは宝石店(おそらくジュエリーマキ横浜東口店もしくは鶴見店)で働いていたが、休みが合わない、残業が多いなどの理由でたびたび佐々木から理不尽な叱責を受けていた。
そのため美穂さんは自宅アパートに近い藤沢COSTA(当時)内にあった店舗への移動を願い出た。横浜市内の店舗に比べると時間の融通はきいたものの、その分給料は減った。
新しい店に移っても相変わらず佐々木と休みが合わず、美穂さんは転職を考えるようになる。そこで、新聞折り込みの求人チラシを得ようと、新聞の定期購読を申し込んだところ、佐々木の逆鱗に触れた。
許可を得ずに行動したこと、それがダメだったのだという。許可。許可……。
それ以外にも、佐々木は少しでも美穂さんの帰宅が遅れると、職場に電話をかけて来ては声を荒らげるなどしていた。さらに、佐々木が帰宅した時点で夕食の支度が出来ていなければならないというルールまで課していたという。
再度言うが、この男は生活費を一切入れていない。社会人と言っても、親類が経営する会社に雇ってもらっていた状態で、その勤務評価も決して良いものとは言えなかったようなのだ。
にもかかわらず、美穂さんに対して理不尽な要求ばかりを押し付けた。事実、新聞を勝手に契約したことに怒った佐々木は、「実家で頭を冷やしてこい」と言って、タダ飯喰らいの居候の分際で家主の美穂さんをアパートから追い出した。さらには、美穂さんの周囲にまで迷惑がかかるようなことを平気で行っていた、というか、わざとやっていた節がある。

美穂さんの同僚らは、佐々木からの電話で長時間拘束され、仕事に支障をきたす美穂さんを見ていた。
また、ある時友人の結婚式の連絡で以前交際していた男性から電話があった際、佐々木は激高して相手を罵倒するなどし、さらには美穂さんのアドレス帳を破り捨て、以降男女問わず美穂さんが友達付き合いをすることを禁じた。
一方で、藤沢コスタ店に頻繁に電話をかけて来ては、仕事中であってもお構いなしに美穂さんを束縛するようになっていた。

この、元交際相手の男性からの電話事件以降、佐々木はあからさまに美穂さんに対し暴力を振るうようになっていく。
当初は口汚く罵るなど口頭での怒りだったのが、美穂さんの帰宅が少し遅くなっただけで「男といたのか!」などと言って怒り、包丁などでカーテンを切り刻む、壁に傷をつける、電話機を壊す、拳で壁に穴をあけるというようなことに発展していた。
さらに、それでも気が済まない場合は美穂さん自身へと暴力が及んだ。
殴る蹴るでは収まらず、佐々木は美穂さんに対し、自傷行為を強要する。それが、実家で両親にみせた胸のタバコを押し付けた痕だった。

まだ続く。佐々木は自傷行為の強要に止まらず、美穂さんに何度も心中を持ちかけた。これが本心かどうかは別としても、その要求は、先に美穂さんが死ね、というものだった。
実際に美穂さんは包丁を持たされ、深くはなかったが手首を切らされている。
美穂さんが耐えかねて実家へ逃げ帰った後も、両親や美穂さんの前では殊勝な言葉でその場をしのぎ、その舌の根も乾かぬうちからさらにひどい暴力を行っていたのだ。
9月に美穂さんが実家へ助けを求めに行った際、佐々木は美穂さんの父親からはっきりと「約束を破ったのだから別れなさい」と言われ、別れることを約束した。
しかしその帰宅後、美穂さんに対して2度と実家へ帰らないという誓約書まで書かせていた。暴力も激しさを増し、美穂さんが顔を腫らし眼帯をして出勤したのを見た人もいる。

平成5年10月、美穂さんは兄の結婚式に出席したものの、佐々木の機嫌を損ねるのが怖く、早々に退席する。これは他の友人に対してもそうで、佐々木に許可をもらって友人と会っていても、佐々木の機嫌一つで友人との約束はいつでも反故にせざるを得なかった。当時携帯電話は一般に普及しておらず、美穂さんは仕事中もポケベルを気にしていたという。
佐々木は両親に対してしおらしい態度をとる一方で、美穂さんの母親に対しては毛嫌いしていた。おそらくだが、美穂さんが母のように生涯仕事を持ち、キャリアウーマンとして成長したいという思いを抱いていたことが気に入らなかったのだろう。
美穂さんが母親にプレゼントを贈ろうとすれば難癖をつけ、その母が美穂さんのために渡してくれた預金を旅行代金に充てようとするなど、佐々木は母親と美穂さんの仲が良いことがとにかく気に入らなかった。

佐々木が両親の前で殊勝な態度を取り続けたのは、すべて美穂さんを逃さないためだった。美穂さんとて、一度は好きになった相手であり、今度こそ改心してくれるのではないかと思っていたのだろう。
美穂さんは他人から見ればありえないほどの暴力を振るわれても、幾度もふたりでアパートへ帰っていった。そして両親も、不安な気持ちを持ちつつも、若い二人に口やかましくしてもいけないという親心から、ふたりを帰し続けたのだ。

平成5年12月。事態は抜き差しならない状況へ静かに転がり落ち始めていた。