そばにいて~神戸市・小2男児ため池死亡事故~

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その日

なんでこんなことになったんやろう。
必死で暗闇を駆け抜ける間、少年はずっと考えていた。
団地に戻って、階段を駆け上がる。

「賢がおらんようになった!」

玄関を開けて大声で叫んで、家の人と一緒にまたあの池へ戻る。
賢、溺れてしもたんやろか?

少年は池に戻っても、身動きできずにいた。

事故発生

平成13年4月22日午後4時30分、神戸市北区の都市整備公団「鈴蘭台第5団地」近くの調整池(以下、ため池)で、その団地で暮らす小学2年生の梅田賢君(当時7歳)がおぼれたと、一緒に遊んでいた小学4年生の男児が家人に伝えた。
その後、神戸市消防局のレスキューが出動、約20分後に水深2mに沈んでいた賢君を発見したが、すでに心肺停止だった。

そして、救急搬送された神戸市立市民病院で、死亡が確認された。
死因は溺死ではなく、急性心不全だった。

一緒にいた男児によれば、ふたりでアメンボ取りをして遊んでいるうちに、賢君が自ら池で泳ぐと言い出し、あっという間に溺れてしまったのだという。
現場は直径が40m以上もあるため池で、このため池の敷地までは、団地の北川道路沿いにある排水溝がつながっており、その蓋は子供でも開けられるような状態にあった。その排水溝を辿って、このため池に行くことができたのだという。
しかし周辺には高いフェンスが2重に張り巡らされていたうえ、立ち入り禁止、危険!!と言った注意書きの看板も設置してあった。

ところが、そのフェンスの一部が破れていた場所があったと言い、ふたりはその日そこからため池へ入り込んだ。

神戸北署では子供の危険な遊びの延長で起きた不幸な事故として処理し、悲しい事故は終息したかに思えた。

しかし、どうしてもその判断に納得ができない人たちがいた。賢君の家族だった。

疑念

事故から2年半ほど過ぎた平成15年11月、神戸電鉄粟生線西鈴蘭台駅前では、ある署名活動が行われていた。
その内容は、神戸北署にため池の事故の再捜査を求めるもので、賢君の両親とその支援者らが駅前に立った。

賢君の両親らは、当初から事故の状況に納得がいっていなかった。
まず、賢君が自らため池で泳ぐと言い出した、とする一緒に遊んでいた男児の証言について、当時の気温が16度程度で肌寒かったこと、加えて風が吹いていることから体感温度はさらに低かったと思われることから、とても泳ぐという状況になり得ないのではないか、という点があった。
さらに、ため池は非常に濁っていて、泳ごうと思うような池ではないこと、そしてなにより、賢君は「泳げなかった」のだ。

当時小学2年生で、1年の頃から水泳の授業は受けていたとはいえ、こんな汚い池で真夏でもないのに、泳げない賢君が自ら泳ぐと言い出すなど、両親からしたら考えられないことだった。

さらに、引き上げられた賢君は、全裸だった。

子供とはいえ、人並みの羞恥心を持ち合わせていた賢君が、同じ子供とはいえ友達の前で自ら全裸になる、これも両親には想像しづらいことだった。

当然、両親は警察に何度もそれを訴え、捜査してほしいと話してきていたが、結果は事故。
もちろん事故でなかったとしても、一緒に遊んでいた友達は当時14歳未満であり、その男児を罪に問うことなど出来ないが、だからといって「子ども同士のことだから」で有耶無耶にされてはたまったものではない。

このままでは、賢君が危険な遊びをして勝手に溺れて死んだ、となってしまうが、賢君の性格や日ごろの行動を知っている両親にしてみればそれは「有り得ない」ことだった。

実は両親は、署名活動を始めるより前、ある行動を起こしていた。
それは、一緒に遊んでいた唯一の目撃者ですべてを知っている男児の保護者に対しての、損害賠償請求訴訟だった。

なぜここまで賢君の両親は疑いの目を向けたのか。
そこにはこの一緒に遊んでいた男児とその両親、特に母親がこの事故を引き起こした大きな要因になっていると思わざるを得ない「それまで」があったのだ。

男児の家庭

ここでは仮に、その男児を拓哉(仮名)と呼ぼう。拓哉は賢君が暮らす団地のすぐ隣の棟で生活していた。
賢君より二つ学年が上の小学4年生だった。
事故が起きた当時は母親との二人暮らしだったが、その生活は劣悪と言ってよいほど荒んでいた。
母親は平成2年に結婚したが、その1年後には離婚。ところが妊娠が判明し、平成3年11月に出産、それが拓哉だった。
その後、平成4年2月には元の夫(拓哉の父親)と再婚、拓哉との3人暮らしを送っていた。

しかしそのわずか半年後、母親は再び離婚する。当初拓哉の親権は父親が持っていたが、養育費が払えないということから後に母親がその親権を得た。
平成6年、なんと母親はまたもや元夫と再再婚する。何がどうなってどうしたのかさっぱりわからないが、拓哉はこのように不安定な両親のもとで幼い時期を過ごさざるを得なかった(ちなみにこの時点で父親の先妻の連れ子、拓哉から見ると義兄が存在する)。

そんな家庭の中で育った拓哉は、幼少期から問題行動を連発するようになった。
小学校1年生の頃からその態度は威圧的で、同級生や年下の子供に命令したり、意に沿わないことがあれば暴力行為にも及んだ。
友達を自宅に呼んで部屋に閉じ込め、ゴム鉄砲の的にしたり、注意されると激高して相手を叩くというもので、幼さゆえとしても看過できるレベルは越えていたという。

このような拓哉の性格については、近隣の人や学校の父兄らの間では両親、特に母親の養育態度が大きく関わっているとみられていた。

母親は定職に就いておらず、常々拓哉を放置していた。幼い拓哉を家に残し夜通し外出する、当然食事を満足に与えられないことで、拓哉は極端に身長が低かった。
学校に上がってからも、食事をとらせてもらっていないことを担任が知り、教諭らがスーパーでパンなどを買って拓哉に食べさせることもあったという。

夏でも冬服を着せられていたり、逆に真冬なのに素足だったり、水着を買ってもらえなかったことで水泳の授業も受けられなかった。服装も汚れていた。
当然と言うと語弊があるかもしれないが、身体的暴力もあった。母親は感情的に殴打し、時にはタバコの火を押し付けることもあったという。

近隣でも母親は鼻つまみ者だった。
夜中泥酔して、大声を出しては近所から迷惑がられる、運動会でも深酒してなんと寝てしまったという。
そんなだらしのない母親の姿に、学校関係者も近隣も眉を顰めるしかなかった。そして、そんな母親とその母親に眉を顰める大人たちを見て、拓哉は成長していったのだ。

賢君の両親は、その拓哉のある特徴的ともいえる「嫌がらせ行為」を知っていた。
それは、友達が家に帰ろうとするのをことのほか嫌がり、「殺すぞ!」という強い言葉でそれを制していたこと、そして、時にはその友達のゲーム機や私物を遠くに放り投げる、ということを行っていた。そしてそれを取ってこさせたりもしていた。

あの日、賢君の洋服は重ねてため池の法面においてあったのに、なぜか靴だけは、両方とも池の全く違う場所にそれぞれ浮いていたのだ。

まるでそれは、誰かに放り投げられたように見えた。

類似行為

両親が「本当に事故なのか」と疑った理由は他にもある。
賢君と同い年の児童が、拓哉と団地内でサッカーをして遊んでいた時、児童がそろそろ帰宅する旨伝えると、拓哉はサッカーボールをあらぬ方向へ蹴ってしまったことがあった。

さらに事故前日、同じ児童と遊んでいた拓哉はその児童が持ってきていたおもちゃを放り投げた。
それは、あのため池のフェンスを越えた。そして拓哉は、児童に対し「拾ってこい」と命令したという。
どうやってフェンスの向こう側に行けばいいかわからなかった児童は、「よう拾わん」と半べそをかいたところ、「俺は行き道を知ってる」と話し、児童を連れて排水溝伝いにため池まで侵入したという。

そしてそこで、「池の中に入れ」と言った。

「よう入らん」という児童に対し、「絶対入れ!」と命令し、児童も逆らえずにその池に腰あたりまで浸かったものの、恐怖で泣き出したためその日はそれで帰宅したという。

賢君の両親は、賢君も同じ目に遭ったのではないかという疑念を払しょくできなかった。
あまりにも状況として似ていた。拓哉が同じように、賢君の靴を池に放り投げ、取りに行けと命じたのではないか。もしそうならば、あの肌寒い日に、泳げない賢君が汚い池に入ったのも、全裸になっていたのも合点がいく。

入らざるを得なかったのではないのか、拓哉に強制されていたのではないのか。

両親はそれの判断に加え、拓哉の監督の義務を怠ったとして両親を提訴したのだ。

当然、拓哉の両親、特に母親はそれを真っ向否定した。
当日の状況は拓哉が話した通りであって、それ以外の拓哉の問題行動についてもその多くを否定、あるいは「知らない」と主張した。
さらに、自分はきちんと子育てしており、問題行動も何度かはあったものの、事故があった当時は問題がない程度にまで改善されていたと話した。

母親は事故後、通夜にも参列し礼を尽くしたが、その後は線香を上げに行くことも拒否されていると訴えたが、実際には事故後賢君父親に事情を聞かれた際には「子どものことだからよくわからない」と言ってそれを避け、仮通夜にのみ参列しただけだった。

平成16年2月25日、神戸地方裁判所は、両親の訴えを一部認め、合計2600万円の慰謝料の支払いを拓哉の母親に命じた。
認められなかったのは、事故当時すでに離婚し別居していた父親の拓哉に対する監督責任と賠償義務、両親が拓哉の加害行為を予見できたかという点であり、拓哉のその日の行動には「強制」があり、かつ違法であること、そしてその違法行為と賢君の死亡には因果関係があり、拓哉に十分な養育をしていない親権者たる母親には監督義務違反がある、とされた。

母親側は控訴したが、その後平成17年6月17日、大阪高裁は控訴棄却。
判決は確定した。

両親は判決後の記者会見で涙をにじませ、賢君の名誉が回復された、と喜んだが、同時に警察への不信感、そして刑事でも再捜査が行われることへの期待を表明した。
この時点でも警察は「捜査は正しく終了しており、再捜査はしない」としていて、両親にしてみればあと一歩、という思いだった。

しかしその後、両親はさらなる苦悩に苛まれることとなる。

犯罪被害者給付金訴訟

民事裁判では、神戸地裁、大阪高裁ともにこの「事故」には拓哉の強制があったと認定した。
両親らが主張したように、①天候が泳ぐには適さないものだった②事故前日の類似行為③拓哉の問題行動④賢君が泳げなかったことなどがほぼ認められた形となった。

一方で、両親が求めた拓哉の母親と父親双方の監督責任においては、親権者ではなく、すでに別世帯を持って同居もしていなかった生物学上の父親には監督責任を問えない、とした。

しかし賢君の両親にすればそれは正直どうでもよくて、とにかくあの日、賢君が勝手に危険な行為をして勝手に溺れたのではない、それを司法が認定してくれたことはこれ以上ない喜びだっただろう。

判決も確定し、これで終わったか、に見えたが、両親としてはやはり警察がこの判決確定を受けてもなお、賢君がいわば「死に至らしめられた」と考えず、事故であるとしている点は納得がいかなかった。
加えて、拓哉の母親の態度は全く持って理解不能だった。

判決が確定した後も、その一部たりとも賠償金を支払っていなかった。結局、判決が出ても「別に」という感じでしかなかった。
賢君の両親だけが、必死で息子のためにあがいている、そんな風になってしまっていたのだ。

そこで両親は平成17年6月28日、神戸北署に対して判決確定を受け、再捜査の要望書を手渡した。
また、その1年後には兵庫県公安委員会に対しても、加害者から損害賠償金を受け取れない被害者に対して国が給付金を支給する「犯罪被害者給付金」の申請を行った。

「男子児童(拓哉)は溺れるという認識はあったはずで、傷害行為に他ならない」

というのが趣旨だったが、結局神戸北署が動くことはなかった。さらには、犯罪被害者給付金についても「事件性がない」として不支給決定がなされた。

平成19年11月30日、両親は兵庫県を相手取り、犯罪被害者給付金不支給決定を不服として提訴した。

確かに、民事でその違法性が認められたとしても、それですべてがひっくり返るわけではない。あくまでも別物である。
ましてやこのケースの場合、たとえ拓哉の違法性をついて事件として扱ったところで、「どうにもならない」のだ。拓哉はまだ9歳だった。
事実、賢君の両親は警察から「子ども同士のことを調べて何になるんや」と信じられない言葉を投げられていた。

しかしそれが現実なのだろう。事件として扱ったところで何になるんや、なのだろう。刑務所に入れられるわけでもなければ、金がない人間からは慰謝料すら取れない。運が悪かったとして諦めろ、そう言っているのだ。

納得できるわけがない。

なんとしてでも賢君は事故ではない、強制されて池に入らされたことが結果として死につながったのだと、ここだけは絶対に証明したかった両親は、犯罪被害者給付金を支払わせる=賢君は犯罪被害者であることの認定を求めたのだ。決して金の問題などではないのは、誰の目にも明らかだった。

しかしこの訴訟は裏目に出てしまった。

結末

事故から7年半が経過した平成20年10月16日、犯罪被害者給付金不支給決定取り消しを求めた賢君の両親らの訴えに対し、神戸地方裁判所は事故当日、拓哉による強制があったと認め、「上級生(拓哉)の強制行為は犯罪にあたる」として、兵庫県公安委員会の不支給決定を取り消した。
提訴されてから、裁判長らは現地の視察に赴いた。ため池がどんな状況なのか、泳ぐ気にならないような池なのかどうかを確認するためだったという。

そのうえで、佐藤明裁判長は、
「(加害児童=拓哉)が亡被害者に対して本件池の中に入るようまたは同池の中に入ってなんらかの行為をするように命じたため、亡被害者はこれを拒否できずやむなく脱衣して同池内側法面の石垣を降りて同池の中に入ろうとしたとの前記認定に合理的疑いを差し挟む余地はなく、ほかにこの認定を揺るがすに足りる証拠はない」
「暴行に該当するとは言えないが、加害者が脅迫などにより被害者をして加害者の命令に応じた行動以外の行動を選択することができない精神状態に陥らせたうえ、被害者が当該行動に出たことによって被害者に傷害結果が生じまたは被害者が死亡した場合には、加害者に傷害結果に対する認識について欠けるところがない限り、加害者の上記行為は、傷害罪または傷害致死罪に該当しうるというべきである」
とした。

加えて、拓哉の生育環境や性格が直ちに被害者への強制を推認させるものとは言えないとしても、事故当時もなお粗暴な性格を有し、その性格形成の環境的要因の少なくともその一部がその生育歴にあると推測できることは、加害児童(拓哉)による強制があったと推認させる重要な事情の一つ、とも認定した。

要は、それまでの粗暴な拓哉の言動を恐れていた賢君は、拓哉の誘いを断れず、かつ、命令に背くこともできず、本意ではないけれども服を脱いで池に入り溺れ、急性心不全を起こして死亡した、そうなるかもしれないということは当時小学4年生だった拓哉が全くわからなかったとはいえず(ため池の周りの注意喚起の看板などからもわかる)、「人を傷害した」(刑法204条)に該当するという判断だった。

裁判所は、あの日ため池で拓哉による強制があり、それを拒否できない状況にあった賢君が強制されるがままに取った行動が死につながったと認め、そしてその強制行為は犯罪行為であると認定したのだ。

犯罪給付金不支給決定は取り消され、賢君は犯罪被害者であると認定された。

しかし、県は控訴。それでも両親は「名誉が回復された」として判決を素直に喜んでいた。

その後。

平成21年9月に行われた控訴審において、なんと逆転敗訴の判決が出された。
民事裁判で強制が認められ損害賠償2600万円を命じた判決が確定していたが、大阪高裁は「強制されたかどうかを判断するのは困難」として、拓哉の強制行為自体を認めなかった。
自ずと、その行為が違法だったという判断もできなくなり、傷害致死罪にあたると認定した行政訴訟の地裁判決も取り消された。

すべてが、元に戻ってしまった。

両親は到底納得できるわけもなく、その後上告した、しかしその結末は知ることができなかった。
あらゆる新聞を調査したが、上告受理申し立てを行ったところまではわかったが、結果はどこにも載っていなかった。

おそらく、だが、棄却された可能性が高い。絶対ではないが、最高裁で再び両親の訴えが認められれば犯罪給付金支給は決定となるわけで、それを報じないというのはちょっと理解しがたい。棄却されたならば、支払われることはなくなるわけで、ここで終了である。

民事裁判では拓哉の強制行為があったと認定された一方で、行政訴訟では全く逆の判断がなされてしまった。

有り得ることとはいえ、やはり判断が分かれるというのは誰の得にも慰めにもならないわけで、素人的にはもやもやするわけだが、それでも賠償命令が出た民事裁判の結果は、賢君の名誉を回復できていると私は思う。

いずれにせよ、拓哉の年齢では確かに警察の言う通り罪にも問えなければ少年院にも入れられない。
せめて、一つの司法の判断として
「賢君は自分で勝手に危ないことをして勝手に溺れたのではない」
と認定されたことは、非常に意味のあることだと思う。

そばにいて

拓哉の性格と、それに伴うエピソードは興味深い。
拓哉が特に強い態度で友達らに命令するのは、その多くが「先に帰るね」と、友達が帰ろうとした場面に起きている。

これを考えた時、心が締め付けられる気がした。

拓哉の母親がはっきり言ってどうしようもないのは十分わかる。父親も、裁判で監督責任は問えないとされたとはいえ、あまりにも身勝手なふるまいは見える。

この両親は事故後、それぞれ今度は別の人間と再婚している。いや、それは別にいい、しかし事故後半年とか、一か月後とか、そんな時期に再婚するか?そんな気になれるもんなの??
事故とはいえ、我が子がその場にいて、最期の目撃者となったのだ。しかも遺族は疑いのまなざしを向け、拓哉自身もすぐさま助けを呼びに走っているのは事実であり、「死ねばいい」と思ってしたことでないのはそうだろう。
であるならば、いくら粗暴な拓哉と言えども、目の前で友達が死んだという事実を受け止めきれただろうか。

そんな状態の中、父親は一か月後に別の女性と結婚し、母親もその半年後には妊娠して再婚している。
さらに、母親が妊娠したことで拓哉は児童自立支援施設へ送られた。
7月頃にはすでに母親は妊娠していたことを考えれば、事故後お前は何をしてたんだと言いたくもなる。しかも、賢君の家は同じ団地の別棟であり、その毛の生えた心臓には驚きを隠せない。

話を戻すが、拓哉はとにかく、友達が家に帰ろうとするとことのほか怒った。こぶしを握り締め、「帰るな!帰ったら殺す!!」とまで言った。
そこには、その強い言葉の裏には、
「どうかそばにいて、もうちょっと俺と一緒にいて」
という、せつない心の叫びが聞こえる気がしてならない。

拓哉は寂しかったのではないのか。一人で家に帰れなかった。だから、相手を怖がらせてでも無理矢理でも、とにかく一緒にいてほしかったのではないか。

こういう人は大人でもいるわけだが、拓哉はまだ9歳だった。それでもみんなが帰ってしまった夕暮れの団地の公園で、なにを思っただろうか。迎えに来た親と手をつないで帰宅する友達を見て、なにを思ったろうか。

賢君はそんな拓哉を恐れながらも、遊ぼうと言われれば「うん、ええよ」と優しく応じていたという。
もちろん、断り切れなかった部分は大いにあるだろう。幼稚園の頃は、拓哉を見かけると怖がって姿を隠そうとすることもあったという。
しかし、心優しい賢君は、拓哉の寂しさをもしかしたらなんとなく知っていたのかもしれない。

「夏になったら泳ぎに来ようなぁ」

拓哉は賢君とそう話したのだという。

本当のことは、賢君と拓哉だけが知っている。

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協力
折原臨也リサーチエージェンシー

参考文献
読売新聞社 平成13年4月23日大阪朝刊、平成16年2月26日大阪朝刊、6月24日大阪夕刊、平成17年6月18日大阪朝刊、6月29日大阪朝刊、平成19年11月30日大阪夕刊、平成20年10月17日大阪朝刊
毎日新聞社 平成15年11月16日地方版/兵庫、平成16年2月26日大阪朝刊、平成20年10月17日大阪朝刊、平成21年10月6日大阪朝刊
朝日新聞社 平成17年6月18日大阪朝刊、6月29日大阪地方版/兵庫、平成19年11月30日大阪夕刊、平成20年10月17日大阪朝刊、平成21年9月17日大阪朝刊、平成21年10月3日大阪地方版/兵庫
神戸新聞社 平成20年5月27日朝刊、平成20年10月30日夕刊
沖縄タイムス社 平成21年9月17日朝刊

平成16年2月25日/神戸地方裁判所/第5民事部/判決
平成14年(ワ)647号 判例時報1853号133頁

平成20年10月16日神戸地方裁判所/第2民事部/判決
平成19年(行ウ)第93号

平成21年9月16日大阪高等裁判所/第9民事部/判決
平成20年(行コ)第174号

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「そばにいて~神戸市・小2男児ため池死亡事故~」への4件のフィードバック

  1. こんばんは。たいへん興味深く読ませていただきました。今回の事案はコメントが長文になりそうです。管理人様、申し訳ございませんがお付き合いよろしくお願いいたします。
    「何の意味があるの?」って言われながら、2つの裁判の長い闘いを、辛抱強く頑張られた賢くんのご両親には頭が下がる思いです。裁判にはとてつもなく大きなエネルギーが要ると思います。平穏な暮らしを捨ててまでも賢くんのため、真実を知るために闘うことはなかなかできることではありません。賢くんは家族から本当に愛されていたんだなぁ~と思いました。できることならお二人の願いの叶う判決であって欲しかった。時々思うことですが、地裁と高裁と最高裁でこうも判決が違う、っていったいどうしてなんでしょうね。三審制なのでもちろんあり得ることですが。
    私事ですが、小学校低学年の頃、クラスの子と放課後に遊ぶ約束を無理矢理させられて、その子は強引なところがあってしかも乱暴で苦手な子だったけれど、しかたなく遊んでいた記憶があります。庁舎から聞こえる17時のチャイムで家に帰ろうとすると、拓哉君と同じようになぜか怒られて帰らせてもらえなかった。暗くなって親が迎えに来てやっと帰れる状態でした。やがてその子がどこかへ転校していった後で、いろいろと複雑な家庭の子だったと知りました。寂しかったからわざと乱暴をして気を引きたかったのかな、とか今になってみればわかる事ですが、子どもの時は知るよしもありませんでした。
    自分の子どもの友達を見渡しても、ちょっと関わり合いたくないタイプの子ってやっぱりいるものです。子どもの世界って独特で力関係とかがけっこうシビアですからね。でも親としてあからさまにあの子と遊ぶな、とも言えないし、かといって十分目が届くわけでもないし、悩ましい問題だと思います。もう少し大きくなれば適当に距離を置いたり、表面上でつきあったり、リスクを回避する術が自然と身につくのでしょうが…。
    管理人様の考察はいつも的を射ていて、しかも文章の最後の方に事件の本質に関わる深い記述が見受けられます
    本件はラスト1行に強烈なインパクトがあり、とてもせつなくなりました。真実を知っているのは二人だけで、優しい賢君はもういないのです。せめてもうひとりの当事者である少年のその後の生き様が、どうか真面目で誠実であることを信じたいです。
    夜分に長々と失礼いたしました。

    1. チューリップ さま

      いつもコメントありがとうございます。長文大歓迎ですので、どうか今後ともよろしくお願いします。

      この事件を取り上げようと思ったのは、お気づきかもしれませんが高知の南国市で起きた不可解な水難事故があったからです。
      非常によく似ている…
      泳ぐ環境でない場所で、しかも泳げない子。一緒にいたのは友達。真実を知っているのも、その友達と亡くなった子供だけ。

      拓哉は寂しかったんだと思います。でも、おそらく家庭の問題で、その寂しさを打ち明ける術を教えてさえもらってなかったと思います。
      だから、脅してでも怖がらせてでも従わせる以外なかった。
      可哀想な子です。

      一方の賢くんは、お父さんがうっかり捨てたゴミを拾って、ダメだよと言うようなところのあるしっかりしたお子さん。きっと、年下だけど拓哉の寂しさを知っていた気がします。
      もしかしたら、拓哉は賢くんにだけは、話していたかもしれない。

      あの日、あのため池で何があったのか。
      実は目撃証言として、賢くんが拓哉とおしりを丸出しにして楽しそうにしていた、という話があったんです。
      高裁で強制が認められなかった理由には、そういったことをどう判断するか、というのもあったようですね。

      最後の一文は、おそらく私たちは当然の事ながら、ご両親でさえも分からない拓哉と賢くんの間にあったものが少しでもあるとしたら、という思いで記しました。

      天国で賢くんは、拓哉のことをどう思ってるでしょうか。

  2. これは、もちろん被害者の男の子が一番可哀想ですが、加害者も可哀想な子ですよね。
    母親が一番悪い。父親もだけど。

    小さい子放置で夜出歩くとか、信じられないです。
    ご飯もあげず、タバコの火を押しつける‥。
    こんなんなら養子でどこかのお家に行けた方がよほど幸せだから手放して欲しい。

    しかも次の子を妊娠したから施設にやったって。ごみみたいな扱いですよね。

    今頃加害者はどう暮らしてるのか気になります。

    1. ちい さま

      いつもコメントありがとうございます。
      最後の上告の結末が調べきれず、記事にするかどうか迷ったのですが、多くの方に知って欲しい事故(事件)であったのでまとめたました。

      本当のことは2人しか知らなくて、どちらも子ども。
      裁判所の判断が割れた以上、絶対にこうだ!とは言えませんが、やはりご遺族が主張されていることの方が自然に思えます。
      ですがたしかに、拓哉(仮名)も可哀想すぎる子供なんですよね。だから何だ、と言われればおしまいですが、彼が粗暴になるしかなかったのは理由があったと思います。

      今、30代でしょうか、連鎖のようなものにハマっていないことを願います。

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