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世界の国、その数196。
一度きりの人生において、その国のうちいくつを訪れることができるだろうか。
島国である日本は、隣の国に行くだけでも歩いてはいけない。その分、陸続きの国の人よりはそのハードルは高い。
しかし日本のパスポートは世界最強とも言われ、そのパスポートを持つ権利のある日本国民が世界を旅しないなんてありえない。そういう観点から、若い世代でも経済的に余裕がなくても、むしろ今しかできない旅を楽しめるとして世界に飛び出す人は少なくない。
これ自体は大変良いことであるし、世界のあらゆる現実を見つめる、肌で感じることでその後の人生が大きく変わることもあり得る。
今回は文字通り、人生が大きく変わった旅する日本人のお話。
彼らの経験は、旅を終えて帰った人の誰も、話すことができないレベルの経験だった。
彼らは、生きて日本に帰って来れなかった。
台湾へ行った女子大生
親日としても名高い素晴らしき、台湾。
日本からも近く、比較的安く行けることから、初心者にも人気である。卒業旅行や初めての海外に台湾を選ぶ人も多い。
その台湾へ一人旅に出た女子大生がいた。
失踪した女子大生
平成2年、お茶の水女子大学4回生の井口真理子(当時22歳)さんが、帰国予定日を2週間過ぎても何の連絡もなく、その行方が分からなくなっていることが判明。
井口さんは4月2日に成田を出発し、台北、台南、高雄などを観光した後、18日午後の飛行機(ユナイテッド航空828便)で帰国予定だったが、夜になっても戻ってこなかった。
心配した両親が問い合わせたところ、飛行機の予約はあったにもかかわらず、搭乗した記録もキャンセルした記録もなかった。
26日、両親が台湾の警察に連絡。現地の新聞などもそれを報道し、27日には井口さんの母親も台湾入りした。
しかし井口さんの消息は全くつかめず、家族が真理子さんを探す会を結成したり、有力な情報に対しては懸賞金も設けられたが、平成3年3月、事態は最悪の結末を迎えた。
焼け焦げた人骨
「これが娘なんですか。足りない骨はないんですか?」
テレビに映し出された人間の骨。すべてがそろっているかどうかはわからないほど、バラバラになっていた。ただ、頭蓋骨はそこにはなかった。
そして、その骨を見て泣き崩れる母親。日本のワイドショーはその悲しみの対面を全国放送した(この映像は真理子さんとは別の遺体の確認であるとする指摘もある)。
台湾の警察は、容疑者として33歳のタクシー運転手の男を逮捕したと発表。その後、遺体を遺棄したという現場から人骨が発見された。
実は男は前年の12月にも参考人として話を聞かれていたのだが、精神的な疾患で治療中だったことや、物証が得られなかったことから一旦釈放されていた。
しかし捜査に行き詰まった警察が再度、男から話を聞いてみたところ、その話は以前よりも具体的だったことから裏付け捜査を行っていた。
男の供述では、真理子さんを殺害したのち、バラバラにして台南へ運び、2箇所のゴミ捨て場で遺体を焼却して捨てた、ということだったが、実際にその場所から焼け焦げた箱が見つかり、さらには人骨も発見された。
加えて、男が現場で泣きじゃくっていることからも、現段階では真理子さんであるか断定できないとしても、男が女性を殺害してここに捨てたことはほぼ間違いないと見られた。
出会いから殺害まで
男の名は、劉 学強(当時33歳)。タクシー運転手の仕事をしていた。
なぜ、劉は真理子さんと出会い、そして殺害したのか。
真理子さんとの出会いは偶然だった。
平成2年4月7日午前、劉は高雄市内をバイクで走っていた。駅前に差し掛かった時、「ハーイ!」と、明るく声をかけてきた女性がいたという。それが、真理子さんだった。
ちょうど高雄駅に列車が到着した時で、真理子さんは台南市から高雄市内へ入ってきたところで、劉に対し、「安いホテルはないか」と筆談で尋ねてきたという。
劉は日本から来た若い真理子さんに、当初は単なる親切心から自宅へ案内したようだった。その前には市内の観光案内もしていた。
劉の自宅は簡素な作りの小さな平家で、家の中は電化製品も家具らしきものもほとんどなく、雑然とした質素なものだったが、劉は真理子さんにベッドを譲り、自分は床に寝た。真理子さんも旅の疲れからかすぐに寝入ったという。
ところが深夜になって、劉は真理子さんに性的な行為に及ぼうとする。目を覚ました真理子さんは当然のように拒否した。
そこでの会話などは不明だが、拒否された劉はなんと自宅にあったボーガンのようなもので真理子さんの頭部に4発打ち込んだ。
真理子さんはそれによって死亡したとみられた。
その後、劉は遺体をナタで解体すると、袋に入れて台南市まで運び、ガソリン40リットルをかけて焼き、そのまま真理子さんの遺体は複数の場所に打ち捨てられた。
人懐っこい人
今ならばいたるところに防犯カメラがあり、駅前で男のバイクに乗った真理子さんの足取りや、犯人の目星はついたと思われる。
しかし当時はそのようなこともなく、警察は真理子さんの足取りを追うのも一苦労だった。
日本人である真理子さんの失踪は、現地でも大々的に報道された。そして早い段階で、真理子さんと一時期行動を共にしたという男性が名乗り出ていた。
家庭教師をしているその男性(当時28歳)によれば、4日の夜7時ころ、ザックを背負った真理子さんが台南市役所前で市営の労工休暇センターという素泊まりの簡易宿泊所への道順を尋ねてきたという。
900円という格安で泊まれる宿ではあったが、男性は真理子さんが若い女性であり、また日本人の観光客ということもあって自宅に来るよう勧めた。
この男性は実家で両親らと暮らしており、自身もアメリカへ留学した時には心細い思いをしたことなどを思い出し、家庭でのもてなしを思いついたのだ。
男性の自宅では両親らと共に夕食を囲み、両親らも了解のもとでそのまま真理子さんは男性の家に7日まで滞在している。
その間、男性は家庭教師の仕事で忙しかったため、観光に付き添うなどはせず、観光名所までバイクでの送迎だけをしていた。
7日、高雄へ行くという真理子さんを台南駅へ送った。そのことは駅員も覚えていて、男性もこの先の案内を同じ列車に乗る台湾人に頼もうとしていたという。
が、適当な人が見つからず、真理子さん自身も「大丈夫」と言っていたことから、男性はそこで別れたと話した。
これについては当然警察がアリバイを確認しており、男性の話はすべて真実であり、善意の人でしかなかった。
男性は真理子さんのニュースを知り、いてもたってもいられず警察に情報提供していた。
「真理子さんは礼儀正しく、素直な人だった。元気で日本に帰ったものとばかり思っていた。」
そう男性は話したが、「ただ、人懐っこい人で警戒心をあまり持っていないように感じた」とも話していた。
台湾は当時、街中でも銃撃戦が起きたり、タクシー強盗も頻繁にあった時代だった。経済的に急成長した背景があり、貧富の差も広がっていたために富裕層でなくとも玄関を二重ドアにしたり、テレビでは防弾ガラスのCMがよく登場したという。
1980年代後半からは、1日に4件の割合で殺人事件が発生。誘拐事件は4~5日に1度の割合で起きており、今とはだいぶ情勢が違っていた時代だった。
そんな中でも、この男性のように親切な地元の人の方が多かったのは言うまでもないわけだが、次にであった劉は、残念ながら善良な地元民では、なかった。
うなされる男
劉が捜査線上に浮かんだのは、近所の人の情報だった。
劉が血のようなものがついた寝具を捨てていた、という話があったのだ。が、先にも述べたとおり、精神的に不安定だったこともあって逮捕には至っていなかった。
また、劉は以前から野良猫や野良犬を捕まえては虐待を加えるといったことがあったといい、その血の付いた寝具も一概に真理子さんの事件を裏付けるとは言えなかった。
それがなぜ、再度捜査線上に浮かんだのか。
きっかけは、姉からの通報だった。
「弟が毎晩うなされている、人を殺したと言っている」
姉によれば、劉は犬猫を虐待する一方で、自宅には仏像などを並べていたという。そして、真理子さんの事件が起きた後、ひどくうなされてはノイローゼ状態になっていったというのだ。
その理由を、劉はこう語った。
「首のない女の幽霊が枕元に立つ」
罪の意識だったのかなんなのか、とにかく劉は困り果てていた。
そして、再度事情を聞かれた際には、真梨子さんの殺害を自供したのだ。現場検証では、遺骨が出るとその場に泣き伏したという。
遺体の身元確認には、台湾の法医学者が鑑定にあたった。頭部が発見されておらず、日本から取り寄せた歯の治療カルテは使えなかったが、鑑定の結果、遺骨は真理子さんと断定された。
ただ遺族は納得できず、台湾警察もその説明には苦心したという。
真理子さんの遺体発見の前、実は真理子さんではないかとされる女性の遺体が出ていた。母親はその遺体も確認したというが、その遺体は後に別人だったと判明。そういったこともあって、遺族は真理子さんと断定されても納得できなかった。遺品の一部に母親が知らない持ち物があったことも関係していた。
しかし、結果としてその遺骨は真理子さんのものだった。
劉はいったん死刑判決となったが、心神耗弱が認められ無期懲役と公民権剥奪に減刑された。
真理子さんの遺骨は火葬され、5月、ようやく日本に戻ることができた。
タイに行った新婚夫婦
「私たちを襲ったのはこの人たちです。」
平成元年4月11日、一人の女性がタイ・バンコク北部のノンタブリ地方裁判所の法廷に立った。
女性は1か月ほど前、このタイで最愛の夫を殺害されるという地獄を味わった。そして今、夫を殺した男たちの裁判に証人として出廷していた。
男たちの罪は「傷害致死」。現に男たちも、「殺すつもりはなかった」と終始訴えていた。
新婚旅行の夫婦
事件が起きたのは平成元年3月21日、現地時間で午前一時ころだった。
20日の深夜に成田からノースウエスト機でタイ・バンコクに到着した一組の新婚カップルがいた。神奈川県逗子市の高校臨時教諭・渡辺俊輔さん(当時32歳)と、デザイナーの茂木田鶴子さん(当時33歳)だ。
ふたりは空港から市内に向かうため、タクシーを使用した。ところがその直後、タクシーの運転手と共犯の男に襲われ、リュックやカメラなどを奪われたのだ。
その際に俊輔さんも田鶴子さんも男らに殴られており、田鶴子さんは軽傷だったものの、俊輔さんは意識不明に陥っていた。
ふたりは19日に日本で挙式、ネパールへの新婚旅行でタイに立ち寄っていた。
俊輔さんは大学を卒業後に1年半かけて東南アジアを中心に34か国を回るなど旅好きで、その経験から子供たちにその素晴らしさを知り、国際的な人物になってほしいという思いで教師を目指したという。
そんな旅慣れた俊輔さんがなぜ襲われたのか。
横行する白タク
タイに到着したふたりに、親し気に声をかけてきた男がいた。英語を話したという男は、タイ空軍の下級軍人で、アルバイトとしてホテルや空港で客引きをしているのだという。
「こんな時間だからリムジンハイヤーはもうない。ホテルを決めてないなら安くて良いホテルも紹介できる」
そう言って、俊輔さんと田鶴子さんをタクシーへと案内した。
当時タイ国内では個人旅行客をターゲットにした「白タク」が横行していたという。正規料金の1/6で市内まで行ってくれる白タクは、費用を少しでも抑えたい個人旅行者にはある意味好評だった。
俊輔さんらもその安さにつられたのか、あるいは旅慣れていた俊輔さんが過去にも利用していて問題がなかったからなのか、とにかくふたりは男が進めるタクシーに乗った。
少し走ったところでタクシーがエンスト。運転していた男が、俊輔さん夫婦に後ろから押してほしいと頼んできた。しかし、旅慣れしている俊輔さんはピンときた。
『車外に出たところを、走り去るのではないか。』
要は、乗客だけを車外に出し、荷物ごと走り去るつもりではないのかと考えたという。そこで、運転手を外に出し、自分がハンドルを握った。
その後、再び運転手の男がハンドルを握り、タクシーはなぜか一旦空港へと戻った。詳細は不明だが、おそらく再び車に不具合が出たら困るということで、空港にいる友人の男を乗せると再びタクシーは市内へと走行し始めた。
ふと、俊輔さんは窓から見える景色がおかしいことに気づく。
車は、市内からどんどん離れて行っていたのだ。
「どうしてなんだ……」
俊輔さんは運転手にそのことを問うた。すると運転手は、近道だから、というようなことを言ったという。
おそらく、この時点で田鶴子さんはまだしも、俊輔さんには事態がまずい方向へ流れていることは分かっていたと思われる。
車はバンコクの北、ノンタブリ県に差し掛かった。大通りを走っていたタクシーは突然、路地へとハンドルを切った。
そこでふたりは車外に引きずり出され、地面に抑えつけられるような格好になったという。
そして、男たちから殴る蹴るの暴行を加えられた。田鶴子さんは気絶し、気づいたときには病院だった。俊輔さんも病院に運ばれていたが、意識不明の重体となっていた。
そして、24日には死亡が確認された。俊輔さんは搬送された時点で頭蓋骨骨折の脳死状態だったといい、その後一度も意識を取り戻すことなく、帰らぬ人となってしまった。
田鶴子さんは気絶する直前、俊輔さんの悲痛な叫びを聞いていた。殴られ、必死で抵抗する俊輔さんは、「どうしてなんだ」とうめいたという。
東南アジアを愛し、自分のキャリアを後回しにしてでもその国々を巡って人々と交流してきた俊輔さんにとって、まさにどうしてなんだという言葉でしか、この状況は言い表せなかったのだろう。
微笑みの国で、本来親切で優しい人々が多いこの国に愛する妻と降り立って、まだ数時間だった。
死刑判決
男らはすぐに逮捕された。ただ、日本人が犠牲になったとはいえ、政治的な問題での事件ではなく単なる一般的な事件に過ぎないため、外務省などが特に動くということもなかった。
また、日本での報道でも「白タクなどに乗るからだ」といった批判めいたものもあったが、旅慣れた俊輔さんは白タクの怖さを知っていたといい、家族らはそんな不用心なことを俊輔さんがするはずがないと思っていた。
それもそのはず、実際には、男たちは正規のタクシーの標識を偽造していたのだ。パッとみただけでは、それが白タクだとはわからないようになっていた。
一方で犯人の男ふたりにはタイでも人権派として名高い弁護士がついた。当初、金持ちの日本人から所持品や金を奪おうと思ったと供述していたふたりは、初公判でも『殺すつもりはなかった』と遺族に対して土下座して詫びていた。
男らは、金品を奪って逃げるつもりが、俊輔さんが柔道の技をかけて抵抗してきたことから怖くなったという。そこで、たまたまあった木材で俊輔さんの頭部を滅多打ちにしてしまったというのだ。
が、第二回公判以降は、警察による自白の強要があったとして、否認に転じた。
たしかにタイではこの事件が少なからずタイの観光事業にダメージを与えるとして、事件発覚当初より犯人逮捕に全力を挙げると息巻いていた。
犯人逮捕を焦るあまり、自白の強要をしたというのが弁護側の主張だった。
起訴された罪名も、殺人ではなく傷害致死。ただ、タイでは傷害致死の最高刑は「死刑」だった。
6月29日、ノンタブリ地方裁判所は二人の男に対し、「死刑」を言い渡した。そして、妻の田鶴子さんには2万9000バーツ、日本円にして約15万円の補償金の支払いを命じた。
その後、タイの最高裁までもつれ込んだものの、平成6年2月、最高裁は上告を棄却し、二人の死刑判決が確定した。
田鶴子さんと俊輔さんは、実は入籍をしていなかった。帰国したら入籍するつもりだったといい、記入済みの婚姻届けを俊輔さんの両親に託しての新婚旅行だった。
田鶴子さんは後に俊輔さんの日記をもとにした本を出版。俊輔さんの思いを少しでも知ってもらえたら、との願いを込めてのことだった。
その後も未入籍だったにもかかわらず、田鶴子さんは俊輔さんの両親と暮らしたという。
グアテマラの日本人観光客
一体、何が起きたのか。
グアテマラの北西部に位置する静かな山間の町の、商店や小さなホテルが立ち並ぶ広場の一角。
白昼の惨劇だった。さっきまで多数の地元民と観光客で賑わっていたこの場所には今、破壊し尽くされた観光バス、飛び散ったガラス片、血痕、地面に残る黒く焼け焦げた生々しい痕……
周辺の小売店やホテルのロビーでは、匿われて難を逃れた人々が心配そうに外を眺めている。
広場には、激しく損傷した男性の遺体がそのままになっている。
何が起きたのか、正確に理解している人はおそらくいなかった。
広場には、スペイン語で「何もするな」という放送だけが流れ続けていた。
【有料部分目次】
突然の地獄絵図
写真
悪魔の集団による子供の拉致
混乱と過去の恐怖
アフガニスタンへ行った男女教師
頭部を撃ち抜かれた遺体
ふたり
生ぬるい風に吹かれて
その愚かさこそが