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暴走する「おやごころ」
1月9日は、剛志の休みの日にあたっていて朝から自室で過ごしていた。
先にも述べたとおり、Aさんとの交際は極秘であったため、会うこともままならなかった中でその日は電話で話した後、LINEでやり取りしていたという。
「一緒にいたい。」
Aさんも同じ気持ちではあったが、やはり離婚成立が第一であり、以前約束した2月のAさんのお誕生日までに決着をつけるという約束に話が及んだ。
裁判で読み上げられたAさんの供述調書によれば、Aさんが冷静に話そうとすればするほど、剛志からの返信は熱を帯びていったという。
剛志とて、Aさんとの約束が気にかかっていたのは事実で、その流れで妻に連絡を入れている。おそらく、離婚について今日こそは大きく前進したい、そんな思いもあったのだろう。仕事中の妻を思いやるように、「お疲れさん」という書き出しで今日会えないか、とLINEを送っている。
この時点までは、何の変哲もない、剛志にしてみれば将来に向けてのむしろ前向きな思いを抱いていたのではないかと思われる。
お昼ごろ、突然洋子さんが剛志の部屋にやってきた。
「Aさんとどうなってるん?昨日、Aさんと会っとったよねぇ?」
剛志は固まり、何も言い返せずにいたが、納得しない洋子さんは携帯を見せろと要求してきた。
ここで見せるべきではなかった。しかし、見せなければそれはそれで疑われるに違いはなく、剛志は携帯を洋子さんに渡す。
慣れた手つきで操作すると、すぐに二人で撮った写真を見つけてしまう。
「どういうこと?!」
と迫る洋子さんを無視していると、洋子さんは勝浩さんを呼びに行き、二人して部屋に戻ってきたという。
そして、Aさんとのことを詰問された。
話し合いの途中で洋子さんは勤務先でたまたま休憩時間のAさんに電話を掛けた。
以下は裁判で明かされたその時のやり取りである。Aさんはその会話を録音していた。
洋子さん:「あのー。いま剛志の携帯見たんやけど。あんたらまだつきあっとったん?(Aさん絶句)キスの写真も見ました。12月30日に会ってたんですね。」
Aさん「・・・12月30日?その写真は前(昔)のじゃないですか?」
Aさんはパニック状態で、とにかくその写真は過去のものであると言ってしまう。
すると洋子さんはそう来るのはわかっていたといわんばかりに、
「いや、おそろいの帽子かぶっとるやん。」
と、そのキスの写真が12月30日撮影されたものだという「証拠」を示した。
今までも洋子さん、勝浩さんから叱責されたことはAさんもあった。しかし、この日の洋子さんと勝浩さんは年長者としての、というにはほど遠く、もはや恫喝に近い勢いであった。
洋子さん:「ねぇ、それでけじめつけるって言うたでしょ、やのに舌の根も乾かんうちに・・・(この写真)ゴウダさんに送るで。
これ、どうされたいんですか?(不倫は)合意の下でやってるんですよね?」
ほとんど口をはさめなかったAさんだったが、その「合意の下」というところにだけは
「してないです、(付き合いを継続することにも)断ってます」
と反論してしまう。
これは、Aさん自身、こっそり会っていたという点が後ろめたく、「自己保身の気持ち」があったと供述調書で認めているのだが、とにかく怖かったのだという。もっといえば、なんでここまで親が出てくるのか、そこも理解不能だったのかもしれない。
しかしこのAさんの反論がさらに火に油を注いでしまう。
洋子さん:「合意してないのにキスするの?普通せんやろ!剛志だけが悪いん??」
どうでもいいが、親にそういった写真を見られるだけでも最悪だが、そのことをあえて口に出されたり、ましてやそのことについて相手を巻き込まれてしまうというのは、相当キツイ。
いたたまれない剛志と、どうしてこんなことをさせて黙っているのかと憤るAさんの気持ちはわかりすぎてしんどい。子供とはいえ、もう成人した大人なのだ。
電話口の相手は勝浩さんへと移った。
勝浩さん:「なめとんか。おかしかろ。ええ加減にしてくれや。あんたは悪うないんやな?これ不倫でしょ?剛志だけが悪いわけ。そんなの成立せんやろ。会わんて約束しとるやろ。
(こっちの家族を)揉めさせてあんたは知らん顔なん?ええかげん、こっちの言っとること、わかります?
一人の気持ちじゃ成立せん、二人の問題やろ。」
温和で懐の深い勝浩さんの姿はなかった。開口一番、なめとんかと言いたくなる親の気持ちもわかる。もちろんわかる。12月28日、洋子さんがAさんに詫びた経緯を考えれば、信用していたのに裏切られたと思うのも当然である。そして、この電話の際におもわずAさんが口走った言葉が、勝浩さんと洋子さんを激高させてしまったのもわかる。
しかしだ。勝浩さんも言うとおり、不倫は一人の感情では成立しない。そう、二人の問題なのだ。そこに親が入ってはまとまるものもまとまらないのだ。
しかも、剛志とAさんのケースの場合は、いわゆる遊びの延長のような不倫とも少し違っていたわけで、ここまで親が介入する必要性がどうにもよくわからないのだ。
さらに勝浩さんは、傍らの剛志に向って、「お前こんなん言われて(おそらくAさんが同意の下じゃないといったことを指している)それでも女庇うんか!」と言った。
剛志は庇っていたというより、事実を話していたのではないかと思う。Aさんが「こんな状態では付き合いを続けられない」「けじめをつけてほしい」と再三話していたことを、おそらくそのまま伝えていたのではないだろうか。
しかし、親にしてみればそれでは剛志が勝手にのぼせ上っているだけに見えてしまうわけで、それはそれで怒りのやり場を失うことにもなり、Aさんに憎しみを向けざるを得なかったのだろう。
Aさんは、この時電話口で捲し立てる両親の傍らにいるであろう剛志が、止めに入る様子もなかったことに落胆していた。
電話はふたたび洋子さんにかわる。
「これ、どういうこと?もう4度目はないよ。あの嬉しそうなキスの写真・・・。私らが分からんとでも思ってたん?」
二人の幸せな時間を、洋子さんは晒しあげた。そして、休憩時間をとうに過ぎても電話口に引き留めたAさんに対し、
「あ、社長か責任者の人おる?今までの話なんやったん。図太い神経しとるなぁ、たいしたもんや。
ゴウダさんにも電話するんで。関係ないんでしょ、そういうこと。わかっとる日以外にも会っとるんでしょう。ちゃんと言わんかい。嘘つかれたらわからんけど。」
そう追い打ちをかけた。
そして、最後にこう言った。
「あ、もう仕事戻ってくれてかまんよ。(そこで働けるのも)あと少しやろけどな!」
野菜ジュースと包丁
(弁護人:Aさんに電話されてるとき、そばにいた?)
「はい。だいたい覚えてます。」
午後の休憩を挟んで行われた弁護人による被告人質問で、この時の様子を剛志は割と詳しく覚えていた。
剛志はAさんを責め立てる両親の前で成すすべがなかった。
「両親からAさんのことについて・・・。言うてきました。今後はどうしたいんかとか・・・。父から・・・。Aさんと続けるんやったら、この家から出て行けとか言われました。断ち切るんやったら・・・。自分らで・・・アクセサリー類を捨てろって。」
(弁護人:実家に居続けるなら、ってこと?)
「そうっすね」
(弁護人:お父さんから?)
「うん。父からいわれました。」
(弁護人:それから?)
「・・・。」
(弁護人:電話の後、お父さんからいわれたの(場所)は実家?)
「そうっすね、自分の部屋です。二階の。」
(弁護人:で、どうしたの?)
「そのあと・・・。・・・。そのあと・・・は・・・。自分のAさんに対する気持ちを父に話しましたね。でも母とかも言い出して来て・・・」
(弁護人:そのあとは?)
「・・・。で・・・最終的に・・・えーと・・・、車のキー返せって言われて・・・・部屋出たかった気持ちもあったけん、自分の部屋出ました。」
(弁護人:その後は?)
「リビング(LDKのこと)行きました。お腹すいとって、野菜ジュース飲んだ。そのあとは・・・。そのまま包丁手にしました。」
検察は、部屋で両親と不倫のことで口論となり、激高して台所から包丁を持ってきて両親を殺害した、という主旨のだったが、細かい当日の様子をひも解いていくと、少なくとも部屋を出たとき、剛志の中に「殺意」はなかった。
朝から何も食べていなかったことで、また、口論にもなり喉が渇いていたことから自然に野菜ジュースを飲んだ。そうすることで、むしろ一旦冷静になるというか、落ち着こうという方向に向かうような気がするのが普通ではないかとも思う。
この時の剛志の心の動きは、裁判2日目の弁護側の質問でさらに語られることになる。また、この「野菜ジュースを飲んだ」という剛志の行動を、鑑定医は見逃していなかった。