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平成13年11月16日深夜
「助けて!!子供が中にいるの!!!」
狭山市広瀬1丁目の河川敷で、車らしきものが炎上しているのを近所の住民らが発見。
気付いた住民らが消火器を持って駆け付けてみると、その傍らに全身ずぶ濡れの女性が呆然と立ち尽くしていた。
通報で駆け付けた消防により、車の火は消し止められたものの、車内の助手席と後部座席から小さな遺体が発見された。
事件概要
亡くなったのは、狭山市に住む会社員、武部聡さん(仮名/当時39歳)の長女・玲奈ちゃん(仮名/当時8歳)と、妹の保育園児・沙奈ちゃん(仮名/当時6歳)と判明。
一緒にいて難を逃れた母親も手や顔に火傷を負っていた。
現場の河川敷公園は、入間川に沿って広範囲に多目的広場や運動場、野球場などが整備され、春になれば桜も見られる場所で、休日のみならず平日でも人が良く訪れる場所であった。
ただ、夜中に車を乗り入れる人はおらず、人影はほとんどない場所でもあった。
そんなところで幼い子供たちを連れ、いったい何をしていたのか。
実は母親と子供たち二人はその夜、捜索願が出されていたのだ。
夫の聡さんは、夜9時ころに帰宅。すると、妻と子供、そして車がなくなっていたという。
妹の沙奈ちゃんには中度の知的障害があり、何かと目が離せない状態でもあったため、聡さんはすぐに捜索願を出した。
その2時間ほどのち、河川敷に止めた車が燃えたのだった。
母親は燃え盛る車内へ戻ろうとしたところを、駆け付けていた住民らに止められており、なんらかの事情で車から出火したかと思われたが、警察では当初から無理心中を視野に入れていた。
母親には、精神科への通院歴があったのだ。
事件の翌日、警察は母親を殺人の疑いで逮捕した。
次女
逮捕されたのは玲奈ちゃんと沙奈ちゃんの母親で、主婦の武部里香(仮名/当時38歳)。
里香は普段から長女の学校行事や役員などにもしっかりと参加し、障害を抱える沙奈ちゃんにもありとあらゆる情操教育などをさせており、夫と家族4人、埼玉県内の一戸建てに暮らすどこにでもいる主婦だった。
平成5年に長女を、その2年後には次女にも恵まれた。
姉妹はすくすくと成長し、夫が休みの日には入間川河川敷へ出かけたり、幸せな家庭を築いていた。
平成8年4月、元気に育っていた次女に異変が起こる。
微熱が続き、咳が止まらない、そんな症状が出たため、病院にかかったところ、「仮性クループ」と診断された。
これは、乳幼児に多くみられる感染症の一つで、時には保育園などで集団感染がおこることもあるという。
基本的には数日で自然治癒する病気であるため、直ちに命に係わるとかそういう病気ではないようだった。
ただ沙奈ちゃんの場合、なかなか症状が回復しなかった。
大学病院で検査したところ、仮性クループのほかに好中球減少症になっていることが判明。呼吸状態が改善しなかったため、一時的に沙奈ちゃんは人工呼吸器を装着した。
6週間ほどで退院した沙奈ちゃんだったが、一つ心配なことが起きていた。
入院前には普通に首も座り、一人で立つこともできていた沙奈ちゃんが、退院後は自力で座っていることすらできなくなっていたのだ。
体力が落ちたことによる一時的なものかとも思われたが、やがて沙奈ちゃんは寝たきりとなってしまう。
再度担当医の診断では、沙奈ちゃんの脳に委縮が認められたという。原因は明らかにされていないが、沙奈ちゃんは発育に遅れが出る可能性を指摘されていた。
里香だけでなく、家族は大きな衝撃と悲しみに打ちひしがれたが、まだまだ幼い沙奈ちゃんには未知の可能性が十分に秘められていると信じ、諦めないで沙奈ちゃんに様々な経験をさせようと心掛けたという。
発達に遅れがみられる子供たち向けの教室や、言葉の遅い子供向けの教室、音感教室、さらには健常児とのふれあいから刺激を得ることも重要と考え、普通の保育園に入園させた。
しかし沙奈ちゃんが4歳になった時、里香はかかりつけ医から沙奈ちゃんの状態についてこう告げられた。
「沙奈ちゃんには中程度の知的障害、てんかん、多動があります。」
これまでいつか同年の子供たちと同じになれる、追い付けると信じてやってきた里香は、もはやそれがかなわない現実として突き付けられたことに大きなショックを受けた。
そしてそのショックは、母親である自分が、もっと早く沙奈ちゃんの異変に気付いていればこうならなかったのでは?という自責の念へと変わっていった。
その思いは日ごとに里香を追い詰めるようになり、平成12年の秋にはうつ状態、不眠症と診断される。
投薬と通院治療をつづけた里香は、一時回復の兆しを見せた。
が、沙奈ちゃんの小学校入学が近づくにつれ、普通学級しかない地元の小学校に通うか、それとも転居して特殊学級のある学校に通わせるかで再び思い悩むようになってしまう。
それは夫をはじめ、周囲の人も心配するほどで、夫に対しては、
「死にたい、子供を殺して私も死ぬ」
といった物騒な言葉を吐くまでになっていた。
夫とともに訪れた精神科で、うつ状態はさらに強まっており、加えて自殺念慮を伴っていると診断され、投薬治療をつづけることになった里香だったが、この先沙奈ちゃんの身に起こるであろう出来事を想像しては落ち込み、さらには沙奈ちゃんをずっと守っていなければならない親としての重圧、自分たち親が死んだ後沙奈ちゃんはどうなるのかなど、今考えても答えなどでないようなことで日々思い悩むようになっていった。
平成13年10月、里香は家から出ることすら、できなくなっていた。
自殺未遂
妻の尋常でない様子を夫は当然心配していた。
かといって四六時中そばにいるわけにもいかず、夫は妻を気にかけながらも仕事へと出かける日々だった。
勤務中でも妻からは「すぐに帰ってきて」という切羽詰まった電話も入るようになり、そんなときは仕事を抜けて自宅へと戻っていた。
帰宅すると、里香は沙奈ちゃんの将来を悲観する言葉を口にし、挙句、姉の玲奈ちゃんの将来まで悲観し始めたことから夫は危機感を抱き、その後仕事を数日休むなどして里香に寄り添い、家事や育児を担ったという。
残業も断り、できる限り家族と一緒にいる時間を増やしたという夫のおかげもあり、里香はまた少しずつ回復しているように見えた。
しかし10月の終わりに予定されていた沙奈ちゃんの入学前健康診断の日が近づくと、またしても里香の心を悲観的なことばかりが支配するようになっていく。
里香は沙奈ちゃんの健康診断を受けなかった。
里香は、沙奈ちゃんが他の子供と同じようには育たないことに不憫な思いが消えず、その責任は母親である自分にあるという思いから、沙奈ちゃんと死のうと考えるようになっていった。
さらに、残された姉の玲奈ちゃんもいっそう不憫だと思い込むようになり、ならば玲奈ちゃんも一緒に死んだほうが良い、そう言った考えが消えなくなっていた。
どうやって心中するかも具体的なことまで考えるようになっており、二人を苦しませないためにあらかじめ睡眠薬で眠らせている間に決行することを決めた。
11月初旬、里香は二人に睡眠薬を飲ませ、さらに自分も睡眠薬を飲んだうえで子供たちを車に乗せ、自らハンドルを握った。
予定では事故を起こして死ねるはずだった。しかし、軽微な追突事故にとどまったため、遂げることができなかった。
自殺に失敗したものの、改めて予定された健康診断の日が近づくと、里香はさらに死への思いを深めていく。