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平成8年5月2日
群馬県勢多郡大胡町。
とある民家のガレージから火の手が上がった。
隣人らの通報で消防と警察が駆け付けたが、ガレージでその家に暮らす女性と思われる焼死体が発見された。
その数時間後、赤城山の大沼近くの旅館から、沼に車が突っ込んだ、という通報も入った。
しかも、「人を殺したと言っている」とのこと。
赤城大沼に突っ込んだ車は白の乗用車で、大胡町の現場から急発進して逃走した車も、白の乗用車だった。
捜査の結果、一命をとりとめた白い乗用車の運転手の男が、元交際相手だった大胡町の女性にガソリンをかけて焼き殺したと判明。
男の回復を待って、5年後の平成13年月に逮捕となった。
この事件、地元の人らの間では忌まわしいある過去の事件を思い起こさずにはいられなかった。
昭和の終わり、この事件と同じような事件がこの大胡町で起きていたのだ。
昭和の事件
昭和62年8月25日未明、群馬県勢多郡大胡町の住宅2軒に、火炎瓶と灯油入りのポリタンクが投げ入れられる事件が相次ぎ、一軒が全焼してその家の主婦が焼死、他二名が重軽傷を負う事件が発生した。
事件があったのは、大胡町のの雑貨商兼工務店経営の高山庸次さん(仮名/当時56歳)方と、同じ町内でそば店を営む関谷正一郎さん(仮名/当時40歳)方だった。
この事件で、高山さんの木造平屋建ての家屋は全焼、高山さんの妻、ふゆさん(仮名/当時57歳)が焼死、高山さんも全身熱傷の重体、長女のさや子さん(仮名/当時26歳)もやけどを負った。
そば店の関谷さん方は、物音に気付いた住民が急いで火を消し止めたことで大事には至らなかった。
警察では状況や火炎瓶などがあったことから連続放火殺人として捜査を開始、すると、高山さん宅の隣の農業の男性とその妻の行方が分からなくなっていることが判明。
事件が起きた数時間後の同日早朝、大胡町から5キロほど離れた新里村の池に車が突っ込む事案が発生。乗っていたと思われる女性がずぶぬれで民家に駆け込み、その民家から110番通報がなされた。
車を引き揚げたところ、車内で男性は死亡していたが、逃げ出した妻の方はかろうじて意識があった。
大胡署の調べに対し、妻は
「夫が放火した、夫も自分も農薬を飲んでいる」
と話した。警察では、何らかのトラブルがこの家族の間にあったとみて、妻の回復を待ってさらに事情を聞く方針を示した。
ところが、その二週間後、助かったと思われた妻の容体が悪化、そのまま死亡してしまった。
パラコート系農薬による中毒死だった。
さらに、重傷だった高山さんも死亡しており、この事件での死者は合計4人となった。
隣同士の家族の間に何があったのか。
それまで
警察では、関係者らの聞き取りや妻の証言などから、何らかのトラブルがこの家族の間にあり、農業の男性が高山さん、関谷さん宅に火炎瓶と灯油入りのポリタンクを投げ込み高山さん夫妻を殺害、その後妻とともに農薬を飲んで車で沼に沈んだ、と断定。
火を放ったのは、高山さん宅の西隣で暮らしていた、小暮和夫(当時40歳)。死亡した妻は、美江子さん(当時38歳)だった。
小暮は、農業を営む傍ら、農閑期は高山さんの工務店で働くなど、関係性は悪くはなかった。むしろ、家族ぐるみで生活の相談事やさまざまな悩み事を共有するような、良き隣人関係を長年保ってきていたと思われる。
昭和60年以降、少しずつ、小暮と高山さんとの間で諍いめいたことが起きていた。
それは、高山さんの知人の関谷さんにも及んでいたという。
農業を営んでいるとどうしても地域の人々との関わりなしでは成り立たず、そのあたりのことが関係しているのかと思われたが、実はトラブルの元は小暮の妻にあった。
不倫スーパー
美江子さんは昭和60年ころから、近くのスーパーでパートの店員として働き始めていた。
そこで、ある男性と親しくなり、やがてそれは不倫関係へと発展した。
うまく隠せるほどの器量がなかったのか、美江子さんの不倫はすぐに夫の知るところとなった。
ただ、夫の小暮がどれだけ言っても、美江子さんの不倫はなかなか終わらせることができなかったという。
そこで小暮が頼ったのが、長年信頼していた隣人で職場の上司でもある、高山さんだった。
高山さんも、親しくしている小暮の家庭を揺るがす大問題に心を痛め、何かと小暮の相談をきいてやっていた。
そのうち、職業柄顔の広い関谷さんも交え、なんとか美江子さんの不倫を止めさせられないかと思案するようになった。
高山さんらの説得もあって、美江子さんの不倫は終止符が打たれた。小暮も安堵し、高山さんらに感謝もしたのだろう、ところが実は美江子さんの不倫は終わっていなかったのだ。
おそらく、高山さんらに説得されたのは美江子さんだけではなく、狭い町の中のこと、相手の男性にも高山さんらは接触していたと思われる。
美江子さんからすれば、他人が口出ししないでよ、という思いもあったのかもしれない。
とはいえ、隣家のご主人まで出てこられてしまってはバツも悪かったのだろう、一旦は「終わらせました」と夫である小暮と、仲裁した高山さん、関口さんにも伝えていた。
しかし二人の仲では不倫は終わっておらず、以前にもまして人目を忍ぶようになっていたようだが、残念ながらバレてしまった。
ただ、小暮は妻ではなく、高山さんらに憎悪の矛先を向けてしまう。
「妻が不倫などしたのは、やめないのは、高山さんらがそそのかしたからだ」
逆恨み
なぜそのような判断になったのかは理解に苦しむが、もちろん、高山さんや関口さんが美江子さんをそそのかした事実などないし、美江子さんの不倫が再燃したこと自体、ふたりは知らなかった可能性もある。
小暮は高山さんと関口さんが自分を騙し、笑いものにしているという妄想に囚われてしまった。
美江子さんの不倫が発覚して以降、かなり憔悴しており、精神的にもノイローゼ気味だったという。
小暮は、子供たちを家に残し、妻の目の前で高山さん宅の窓ガラス越しに、自作の火炎瓶と18リットルの灯油入りポリタンクを投げ入れた。
そこは高山さん夫妻の寝室であり、寝ていた夫婦、特に妻のふゆさんは全身を焔に包まれた。
母親の絶叫に驚いた娘のさや子さんも部屋を飛び出したものの、すでに火だるまとなってのたうち回る母を救うことは出来なかった。
小暮は高山さん方に放火した後、美江子さんを車に押し込むとそのまま関谷さんの店舗兼住宅へと車を走らせた。
恐怖に慄く妻の手には、農薬の瓶を握らせている。
関谷さん方は一階が店舗で、高山さん方同様に火炎瓶とポリタンクを投げ入れたものの、誰もいない店舗だったことから人的被害は出なかった。
その後、妻の実家にほど近い新里村の童沢貯水池までやってくると、車から降り貯水池の土手に座ると、おもむろに農薬をがぶがぶ飲んだという。
美江子さんも、農薬を2~3口飲んだ。
そして二人は車に乗り込むと、そのまま童沢貯水池に車ごと沈んだのだった。
美江子さんは沈んだ車から自力で脱出、そこから1kmほどの自分の実家まで走った。
そして実家へ駆け込むと、「夫が隣家に火をつけた、農薬を飲んで池に飛び込んだ」と話したのだ。
その後は先に述べたとおり、高山さん夫妻と小暮夫妻全員死亡してしまった。
不気味な一致
事件の被害者との関係性は、この事件と10年後に起きた事件とは違う。
しかしいずれもそれまで親しかった人との間で起きた感情の行き違い、思い込み、そして逆恨み、さらには相手の殺害方法と自殺の方法など、恐ろしいほど似ている。
さほど大きくないこの大胡という町で、こうも似通った、重大な結末となる事件が起きたことは偶然としてもはっきりって不気味だ。
平成の事件の加害者は一命をとりとめ、その後裁判も行われて刑も確定、すでに出所しているだろう(生死は不明)。
この加害者は年齢的に小暮とほぼ同世代であり、昭和の事件を知っていた可能性は高い。感化されたとは言わないまでも、どこかこの昭和の事件が記憶のどこかにあったのかもしれない、とは思う。
ただ、この昭和62~3年ころには不倫が原因の事件で、かつ、殺害方法が相手に灯油やガソリンを浴びせかけたうえで殺害するといった手段がほかにも用いられていることから、この時代の言い方は悪いが「流行り」みたいなものもあったのだろうか。
殺害の手段として、絞殺、刺殺、撲殺などがメジャーどころだと思われるが、やはり焼殺というのは強い殺意のみならず、「怨み」の思いが強いように感じる(三島短大生の事件に関しては、そうとは言えないが)。
確実に殺せる確率は高いうえに、万一失敗しても相手に火傷という後遺症を負わせられるし、家などを失わせることもできる。
殺すだけでは飽き足らない、そういう強い憤怒、怨みの思いがこの手段を択ばせるのだろうか。
平成の事件で裁かれた男は、諸事情あったとはいえ懲役10年という信じられないほど軽い刑となった。
しかしその後、三島短大生焼殺事件において、生きたまま焼き殺すという殺害方法は、たとえ被害者が一人であっても死刑やむなしと言わざるを得ないほど、残虐なものであることが法的に示された。
くすぶり続けた小暮の心の種火は、やがて大きな憤怒と怨みの焔となって、何もかもを焼き尽くしてしまった。
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参考文献
中日新聞社 昭和62年8月25日夕刊、9月7日夕刊
読売新聞社 昭和62年8月25日東京夕刊/群馬
朝日新聞社 昭和62年8月25日東京夕刊
事件備忘録:一人で死ね、は暴言か~道連れにしたがる人々~