但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください
**********
いけしゃあしゃあ
美穂さんの父は、美穂さんが埋葬されて以降、毎日欠かさず花を持って美穂さんの墓へ行き、そこで語り掛けたり本を読むなどして美穂さんと過ごしてきた。
民事裁判を起こした後の平成10年、一度美穂さんの眠る墓地で父は佐々木と行き会ったという。
父の横を素通りした佐々木は、美穂さんの墓にぺこっと軽く頭を下げた。
父は心を鎮め、佐々木に向き合ってこう伝えた。
「何が起きたのかを知りたい。だからあなたを訴えました。」
すると佐々木は、
「真実を話しているつもりですけどね。(地裁の民事裁判で自分が敗訴したとしても)高裁も最高裁もありますから。」
と事も無げに言い放った。
不安な自分を強がっているようにも思えるし、諦めようとしない両親に対し、侮蔑的な意味でのまぁせいぜい頑張れよ、という風にも聞こえる。
ただ、墓地で佐々木と対峙した父親は、
「彼はもしかしたら、美穂に許しを請いに来たのかもしれない」
と複雑な、そして佐々木の人間の心に一縷の望みを託していた。
しかし佐々木は、民事裁判でも一貫して美穂さんが自分で首を刺し、部屋に火を放ったという主張を崩さなかった。
数々の美穂さんへの暴力もそのひとつひとつを否定した。美穂さんが周囲に訴えた様々な佐々木からの精神的、肉体的DVについても、手を出したことは認めてもその程度は軽いだとか、眼帯をしていたことは認めてもそれは目にものもらいが出来ていたからだ、電話番号を変えたのもいたずら電話が多かったせいであり、決して友人関係を断つためではないなど、その言い訳は実に巧妙であった。
さらに、美穂さんの体に残っていた無数の根性焼きの痕も、美穂さんと別れ話や口論をした際、美穂さんが誠意を表すために自らつけたのであって、自分としてはどうしてそんなことをするのかと心配していたとのたまった。
美穂さんの胸にそれが集中していることについても、美穂さんの胸には茶色の痣があり、本人はそれを気にしていた、こんな体では結婚もできないと悩んでいたからではないか、などと述べた。
佐々木の証言は巧妙を通り越して悪質でさえあった。証拠が残っているものや、突っ込まれそうなものはあえて認め、その程度は軽かっただとか、「やむにやまれぬ理由があった」といった風に証言し、美穂さんの証言でしかないことは完全に否定しまくった。根性焼きのことも、もしも美穂さんが自傷行為でやったことならば、両親にそれを咎められた際になんとしてでも訂正したはずだ。佐々木は一切そのような事をせず、両親に殊勝な態度を取り続けていたのだ。それでも両親が傍聴している目の前で堂々としらを切った。
会社への長電話も、会社の同僚らの証言があるにもかかわらず、そんなことをした覚えはないととぼける有様だった。
火災で証拠がほとんど燃えていたことや、なによりも事件発生から7年もの歳月がそれを容易にしていた。
さらに、民事裁判の段階で佐々木には坂東司朗弁護士が率いる7名もの弁護士がついていた。
「いったん不起訴になった事案を、民事で犯人だと認定されただけでさしたる新証拠もないのに、事件後7年も経過して逮捕するなど、驚きとともに怒りを感じる」
と、坂東弁護士は不快感をあらわにしていた。
そして、
「万が一起訴されたら、徹底的に争う」
と付け加えた。
疑わしきは罰せず
平成13年3月18日、横浜地検はそんな坂東弁護士の言葉を受けて立つかのように、佐々木を殺人と放火の罪で起訴した。
起訴に至ったのは保存されていた美穂さんの臓器を再鑑定に回し、その結果、死因は「一酸化炭素中毒」とされたことが理由だと検察は冒頭陳述で述べた。
その上で、佐々木が日ごろから美穂さんに暴力を振るっていたこと、かねてより心中を持ちかけていたことなどをあげ、事件当日復縁を迫ったものの拒否されたことで殺害に及んだとした。さらに、当初美穂さんが自分でつけた傷とされた首の刺し傷も、第三者でなければつけられない傷であるとした。
佐々木は刑事裁判の場でも、民事同様一貫して「殺人も放火もしていない」と主張。
弁護側は再鑑定の結果を新証拠とすることには同意しなかった。
証人尋問では、事件直後に解剖を担当した東海大学の武市早苗教授が、警察から「若い男女の心中案件」であることを告げられていたことを明かした。
さらに、藤沢北署から、事件性はないので鑑定を急ぐように言われたため、肉眼による鑑定のみで鑑定書を提出したとも明かした。
しかしその上で、武市教授は死因はあくまで自他殺不詳の焼死で間違いなく、心不全ではないと述べ、臓器の再鑑定についてもそれはおかしいと地検に伝えたと話した。
一方で、再鑑定を行った元帝京大の石井教授は、美穂さんの心筋細胞に「収縮体壊死」とされる症状が出ていたことを確認、その症状が現れると心不全に至るとの論文があることで美穂さんの死因を「心不全」としたと述べた。
検察は平成15年3月27日、極めて残酷な犯行であるとして、佐々木に無期懲役を求刑。
対する弁護側は、同年4月24日、美穂さんが佐々木との交際や家族のことで悩んで自殺を図ろうとし、自分で首を刺してから火をつけた」と主張。検察側の証人である法医学者が「首の傷は自分でつけることは不可能」としたことも、「自傷は可能。検察の都合に合わせた鑑定で信用性はない」と反論した。
この裁判の途中である平成14年9月には、民事裁判で殺人と放火を認定された佐々木と弁護側が最高裁に上告していたが、それを棄却する判決が出ており、民事では佐々木が美穂さんを殺害して放火したことが確定していた。
佐々木には非常に不利な状況に思えたし、美穂さんの家族にしてみればこれでようやく美穂さんの濡れ衣を晴らせると思っていたに違いない。
しかし、判決は冒頭の通り、無罪であった。
矢村宏裁判長は、判決理由を以下のように述べた。
「美穂さんは事件前日にようやく被告人と別れることになって喜んでいたのであり、その翌日に被告人と心中するとは考え難い。美穂さんは長生きしたいと話すことはあっても死にたいなどと言ったことはなく、友人の結婚式を楽しみにしていたり、今後の生活の準備をしていることなどから事件当時美穂さんに自殺の動機が乏しかったと言える。
一方被告人は、嫉妬心が強く美穂さんを束縛し、別れ話がまとまった後も美穂さんに未練を示していたこと、美穂さんに対し些細なことで手拳で殴打するなどの暴力を振るい、包丁を持ち出して暴れ、室内を損傷していただけでなく、たびたび一緒に死のうと申し向け、まずは美穂さんから死ぬよう命令していたこと、別れたら実家やアパートに火をつける旨脅迫していたこと、本件当日も手首を切って自殺を図っていることからすると、被告人にこそ美穂さんへの課外および放火の動機があったと認定できる。
よって、被告人が美穂さんの頸部を刺突し、灯油を散布して放火した蓋然性が認められる」
裁判長は、事実上佐々木の犯行である可能性が極めて高いことを認定した。
そしてその上で、こう締めくくった。
「蓋然性が認められるものの、関係各証拠からは頸部刺突行為、灯油散布行為、放火行為の先後関係を決することが出来ないばかりか、これらの行為をすべて被告人が行ったのか、それとも被告人が強要するなどして美穂さんが行ったのか、両者が分担して行ったのかを確定することは不可能であって、被告人を放火および殺人の犯人であると認定することについてはなお合理的疑いを容れる余地があるというべきである。
以上からすると、本件公訴事実については、犯罪の証明がないことになるから、被告人に対し無罪の言い渡しをする」
要は、佐々木がやった可能性が高いけれども、この裁判で提出された証拠では、美穂さんの死因が焼死じゃない可能性があるというだけで、佐々木が刺したという証明も放火したという証明が全くできてない、人を一人放火殺人犯に認定するには、証拠が足りていないということだ。
裁判長はその理由について詳しく述べており、合理的疑いの余地として
①美穂さんが別れ話の後佐々木と普通に会話していることから、美穂さんに未練がなかっとは言い切れない
②合意によるものかどうかは別として、事件直前に性行為を持っていること
③強要されたとはいえ、最終的に自己判断で自傷に及んでいること
④放火をしたのが佐々木だと断定できないこと
⑤美穂さんが突発的に自殺を図った可能性もゼロではないこと
⑥首の傷は自傷不可能とは言えない
などを挙げた。
たしかに、美穂さんは根性焼きについて、佐々木から「殴られるか根性焼きかどっちかを選べ」と言われた末に、根性焼きを選んだという。
これについても、もしもそれが本当ならば普通はその痛みや傷痕などを考えれば殴られる方がましだと思うのではないかと弁護側は反論していた。
民事では、佐々木から殴られることに極度の恐怖を感じていた美穂さんが殴られることを回避したいがために仕方なく選択したとも考えられるとして退けられていたが、刑事ではその点について、首の傷が美穂さん自身の手によるものの可能性を否定できなかった。たとえ強要だったとしても佐々木が刺しているかいないかは重要な点だった。
また、佐々木の供述では美穂さんが灯油をまき、首を刺して火をつけたとなっていたが、頸動脈が切断されている状態でライターで点火することは不可能という法医学者の見解が提出されたが、これについても「その根拠となる論文の考察が不十分」と退けた。
判決を受けて「至極まっとうな判断」とする弁護側に対し、両親と検察は落胆の色を隠せなかった。
一般的な感覚からしても、民事で認定された罪が刑事で認められないというのはどうも納得がいかないのも事実だ。
元最高検検事の土本武司氏は、
「結論から言えばやむを得ない。被告の供述を全面的に否定できるような証明が出来なかった。『疑わしきは罰せず』の原則に立った判決」
と理解を示す一方で、
「刑事と民事で結果が違うことは甚だわかりづらい。立証の適度の違いから起きたことだが、初動捜査の不徹底が招いた結果」
とも話した。
立証の程度の違いというのは、民事の場合個人対個人の訴訟であり、その立証の程度も5割を超える程度の立証で足りるという。
しかし、刑事の場合は国家権力対個人ということになり、その立証責任は国家権力側にあること、そしてその程度も9割以上の立証が出来なければならないという。
一審では確かに美穂さんの死因に新しい発見があったとはいえ、それは新しい解釈程度とも言えた。なにより、それが出たことで佐々木が犯人であるとする決定的な証拠とは言い難かった。
有識者らも感情は別として、裁判としては妥当とする声が多かった。
平成15年6月2日、無罪判決を受けた佐々木は拘置所から釈放された。
弁護士を通じ、「ホッとしている。美穂さんが自殺したことについては一定の道義的責任を感じていることは今も変わりない。そっとしておいてほしい。」と話した。
横浜市内で記者会見をした美穂さんの両親は、驚きと無念さをにじませながら、「あきらかな佐々木の嘘がまかり通ってしまって信じられない。密室だったことをいいことに、佐々木の都合のいい証言ばかりが採用された」と語った。
美穂さんの親友として、佐々木と別れたがっていた美穂さんの様子を証言もした女性は、判決の途中で耐えられず退廷した。悔し涙にくれながら、「無罪になるなんて思ってもみなかった。怒りで涙がこみ上げ、とても聞いていられなかった」と声を振り絞った。
美穂さんの母親は、「検察には今後も頑張ってもらいたい」と、控訴の意思を示していた。
その思いを受けて、検察は6月10日、東京高裁に控訴した。