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電話
平成22年3月3日、奈良県中央児童こども家庭相談センターに一本の電話がかかってきた。
「これは虐待と言っていいと思う。昨日から風邪をひいて寝ているが、病院に連れて行った方がいいのだがどこへ連れて行ったらいいのかわからない。救急車を呼んだらいいと思うがどうしたらいいのかわからない」
電話の主は母親とみられる女性で、電話口ですでに泣いて取り乱した様子だった。合計3回の電話でのやりとりの後、児童相談所は電話の主が住んでいる桜井市に連絡。
桜井市の市職員2人が訪ねたその家は、単身者向けのワンルームマンション。ここであっているのかと思いつつもインターフォンを鳴らすと、母親らしき女性が応対、玄関ドアを開け、職員を中へと通した。
市職員は、センターからの申し送りとして「風邪をひいて寝ているらしい」「ぐったりしている」「母親に救急車を要請するよう伝えている」と言ったことは聞いていた。が、通された部屋の中で横たわっているのは、ただ風邪をひいてぐったりしている子供には見えなかった。
そこに横たわっていたのは、身長85センチ、全身が垢にまみれあばら骨と足の骨が浮き出たオムツ姿の5歳男児だった。
6.2キロの5歳児
市職員は母親がまだ救急車を要請していないことを知り、すぐさま119番通報、男児はまだかすかに息があった。
男児の容体は非常に悪く、体には複数の傷跡のほかに「褥瘡」が確認された。褥瘡は、寝たきりの高齢者などが体位を長く変えられずにいると起こることで知られるが、この男児もそんな状態だったのか……
ただ、市職員はこの時男児の妹らしき女児を保護していた。しかしその女児の健康状態には、特に問題があるようには見られなかったという。
両親と、幼い兄妹の4人が暮らすには明らかに狭いその部屋は、単身者用の1K。奥にロフトがあった。この部屋で、一体何が起きていて、この男児はなぜこんな状態になってしまったのか。
救急搬送された男児は、その後17時20分ころ、病院で死亡が確認された。
亡くなったのは、桜井市の吉田智樹ちゃん(当時5歳)。極端に痩せ細ったその体から、十分な食事を与えられていないことは明らかだった。体重は平均的な5歳児の三分の一の6.2キロしかなく、身長も1~2歳児並みの85センチしかなかった。死因は飢餓による急性心不全とみられたが、その後の司法解剖では脳の萎縮も確認された。
智樹ちゃんが搬送された後、母方の祖父が病院に駆けつけていたが、智樹ちゃんが死亡したことを受けて奈良県警は、智樹ちゃんの父親である吉田浩一(仮名/当時35歳)と、母親の真佐実(仮名/当時27歳)を、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕した。
調べに対し、智樹ちゃんは自力で歩くこともできず、食事も与えてはいたが食べようとしなかったという。
それにしても先にも述べたとおり、妹は特にその発育や養育状況に問題はなかったとされており、さほど年の変わらない兄と妹になぜここまでの差がついたのか。しかも、5歳児が餓死するということは相当な期間ネグレクト状態にあったと考えられ、その間、外部に一切虐待の事実が漏れ聞こえなかった点も疑問があった。
両親ともに実家があり、祖父母らも健在だったのだ。
逮捕後の取り調べで、両親はこう答えていた。
「智樹には、愛情がわかなかった」
そして、母親の真佐実はこうも話していた。
「母親が私でなければ、元気に育っていた。」
それまで
浩一と真佐実はともに奈良県内で生まれ育った。
真佐実は父方の祖母に育てられたといい、両親、特に母親の愛情を感じ取ることが少ない中で成長していった。
加えて、家族らの真佐実と弟に対する「扱いの差」を感じていたという。それは真佐実の進学にも影響し、表向きは経済的なことで断念せざるを得なかったとされているが、経済的に裕福でない家庭において、女である真佐実の進学自体が認められなかったのだろう。
一方の浩一はというと、こちらも経済的には裕福とは言えない家庭で育っているが、浩一は大学へ進学している。ただ、理由は定かではないが中途退学となっている。
真佐実は親から暴力を振るわれたことはなかったというが、浩一は幼少期から父親に叩かれて育った。しつけの範疇は大きく超えていたとみえ、浩一は父親と距離を置くようになった。
二人が出会ったのは真佐実が高校生のころ。平成15年、真佐実が二十歳になったときに結婚している。
この結婚に真佐実の両親は反対していた。理由は、二十歳という若さを懸念したということのようだが、真佐実自身は実家の両親や浩一の家族らの協力を望んでおり、そのためならば同居しても良いと思っていたという。
しかし、どちらの両親、親族からも援助や協力は得られなかった。義母に至っては、同居自体を拒んだ。
ふたりはおそらく経済的な理由もあったのだろう、およそ新婚には似つかわしくない桜井市内の単身者向けアパート(6畳+2畳のロフト付き1K)で生活を始めた。
平成16年7月、智樹ちゃんが生まれた。難産となり、緊急帝王切開を経て生まれた智樹ちゃんは仮死状態だったという。
しかしその後はすくすくと成長し、乳幼児健診でも何の問題もなかった。真佐実も智樹ちゃんを連れてきちんと検診に出向き、また、些細な健康の変化や不安がある際には適切に医療機関を受診していて、母親としても問題なかった。
しかし実はこの頃、真佐実には大変な悩み事が持ち上がっていた。
それは、夫である浩一に関係することだった。
不甲斐ない夫
一つ目は智樹ちゃんが生まれる前後に判明した。真佐実の知らない、浩一名義の借金の存在が明るみになったのだ。
借金は複数件あり、しかもそのうちのいくつかは浩一の親族が勝手に名義を使ってした借金だったという。激怒した真佐実は夫である浩一に激しく詰め寄り、時には暴力も振るった。浩一は責められるのが嫌で真佐実に隠し事をするようになる。
しかし詰めが甘いためにそれらは次々と発覚し、余計に真佐実を怒らせる結果となった。
真佐実は借金を返済するために、智樹ちゃんを帝王切開で産んだ一か月後からパートとして働き始めた。産後の仕事復帰については人それぞれの部分は大きいが、一応法律上は最低でも6週間は労働させることは出来ない。たとえ本人の強い意志があってもである。
自分が働きたくて働く分には本人の一存で構わないとは思うが、真佐実の場合は必要に迫られてのことだった。それでも真佐実は実家の両親に智樹ちゃんを預けてパートに出た。
ところが浩一は、智樹ちゃんが1歳を過ぎたころ、真佐実に内緒で仕事を辞めていた。
真佐実は浩一に対して不信感を募らせていく。借金の原因を作った浩一の親族とは絶縁状態のままだった。
浩一は激高する真佐実を恐れ、真佐実に表面上は迎合するかたちをとっていた。家計はすべて真佐実が管理し、浩一に対しての締め付けも相当なものだったという。
しかしこの夫は真佐実に対してだけでなく、自分の親族らに対しても迎合する態度をとっていた。
平成18年ころ、真佐実は自宅に覚えのない督促状が届いたことで、夫がさらに借金をしていることを知る。しかもそれは、浩一の親族がした100万円の借金の連帯保証人になっていたというものだった。
自分の借金のケツも拭けないにもかかわらず、連帯保証人とは恐れ入るしかないが、この親族もなかなかである。
督促状が届いているということは、そもそも借金をしたその親族が支払っていないからであり、連帯保証人にすべてを負わせる気満々ではないか。
真佐実は浩一に対する不信感が募り、また、当時長女の妊娠が発覚したこともあり、精神的に不安定になっていった。
体重は減少し、タバコの火を腕に押し付けたり、やみくもにピアスの穴をあけまくったりという自傷行為に発展していく。ピアスの穴は両耳に20個以上開けられていたという。
さらに、その年の5月には浩一がこれまた内緒で、親族が滞納していた家賃およそ20万円を肩代わりしていたことが発覚、もう真佐実の精神は限界だった。
平成18年の暮れ、長女が誕生。
同じ頃、智樹ちゃんは赤ちゃん返りのような時期に来ており、それも真佐実を苛んだ。
いたずら好きで活発に動き回る智樹ちゃん。男の子ということもあり、顔も浩一に似ていると思っていた。声は嫌いな義母に似ている気がした。
真佐実はそれが、我慢ならなくなりつつあった。
「旦那に似てて、むかつくねん」
長女が誕生してからというもの、真佐実は智樹ちゃんの何もかもが気に入らなくなっていた。走り回っては、寝ている妹の腕や足を踏んでしまうことがあった。それは、もとはと言えば6畳しかない部屋で生活していることが原因なわけだが、真佐実にしてみれば智樹ちゃんが自分を困らせているような錯覚に陥っていた。
それの一番の要因は、智樹ちゃんと浩一が顔が似ているということだった。浩一は夫としても父親としても最悪だった。誰にでもいい顔をし、手に余ることでも引き受け、それを真佐実に押し付ける。
当初は自身の体に向けられていた真佐実の苛立ちのはけ口は、いつのころからか幼い智樹ちゃんに向くようになっていった。
「部屋が狭いから」
そういう理由で、真佐実は智樹ちゃんを2mの高さにあるロフトに追いやるようになった。最初は、真佐実が在宅していて智樹ちゃんに邪魔されたくない一時のことだった。しかしそれは常態化し、4歳を過ぎたころには1日中ロフトで生活させるようになっていた。
きちんと受診していた乳幼児健診も、3歳6か月の検診には行っていなかった。
日々疲れ果てている真佐実を心配し、また、何度も借金を繰り返す浩一への腹立たしさから、真佐実の両親が離婚を迫ったことがあったという。
ただこれには真佐実も難色を示し、勝手に夫婦の問題に介入してきた両親との関係が悪化する結果となってしまった。
そのこともあって、真佐実は自分が仕事に出るときも両親に智樹ちゃんを預けられなくなっていた。
智樹ちゃんが4歳10か月のころ、真佐実が外出して帰宅すると、ロフトにいたはずの智樹ちゃんが勝手に下りていた。しかも、CDを壊し、調味料をばらまいて遊んでいたため、それを知った浩一が「外出しているときはトイレに閉じ込める」ことを提案してきたという。
当初はやむを得ず、な気持ちもあった、しかしそれは次第に日常化し、真佐実の心に後ろめたさはなくなっていった。
ある時、真佐実と会ったという知人男性は、真佐実の手首に複数の切り傷があるのに気付いた。わけを聞いても真佐実がそれに答えることはなかった。
育児のストレスだろうか、夫婦間に何か問題があるのか、知人男性との会話の中で、話題は次第に智樹ちゃんへと移った。
そして、真佐実は智樹ちゃんのことを、「旦那に似ていてむかつくねん」と話した。
この頃智樹ちゃんは、すでに真佐実から虐待を受けていたのだ。
ロフトとトイレしかない世界
平成21年5月、真佐実はスーパーのレジのパートを再開する。仕事の日は、妹だけを託児所に預け、智樹ちゃんは自宅のトイレに閉じ込めていた。
食事は、ラップで細巻きにしたおにぎりのようなものと、バナナなどの簡単なもののみ。しかし智樹ちゃんは、次第にそれらを食べなくなっていったという。
真佐実が仕事のない日でも、智樹ちゃんは一人ロフトに追いやられていた。階下では妹が一心に母の愛情を受けている。それを、智樹ちゃんはどんな思いで眺めていたのか。
妹が生まれて2年、智樹ちゃんはそのほとんどをロフトとトイレの中で過ごしていた。ロフトにいるときはカーテンを閉められ、外の景色を覗くことすらできず、母に甘えることも、父と遊ぶこともないまま、ただひとりぼっちでこの2年を過ごしてきた。
真佐実と浩一は、智樹ちゃんを一人残して妹と三人、USJへ遊びに行くこともあった。
ロフトから降りられるのは、たまの入浴の時と、トイレに閉じ込められるときだけ。
平成21年の秋以降、智樹ちゃんの衣服はたとえ入浴した後でも新しいものに取り換えられることはなく、その入浴も、平成22年になるとなくなった。
真佐実も浩一も借金返済のために働く日々と言ってもよく、確かにそのストレスは大きかったろう。しかしふたりは、そのストレスのはけ口として智樹ちゃんに肉体的な虐待を行うようになる。
智樹ちゃんの体のあちこちには、三角形の火傷のような傷がいくつも見られたが、これは真佐実によって「熱したアイロンの先」を押し付けられたことでできた傷だった。
これ以外にも、真佐実は智樹ちゃんの頭を家具や壁にわざとぶつけたり、背中にかみつく、殴るなどの暴力を振るっていた。
浩一も、真佐実の暴力を受けることがあったといい、それを恐れて真佐実に迎合していた。実の息子である智樹ちゃんが真佐実に殴られていても、浩一は自身の保身に終始して智樹ちゃんを庇うどころか、真佐実の行為を認めるかのように浩一自身も智樹ちゃんに暴力を振るった。
真佐実がテレビで虐待の話題が出るたびに「私がしていることは虐待ではないか」と浩一に問うことがあっても、浩一は「真佐実は子育てを頑張ってるよ」と言ってなんら対処することはなかったという。
そんな中で、智樹ちゃんは感情をなくし、体はやせ衰え、自発的な行動がとれなくなっていった。
そして、平成22年3月3日、智樹ちゃんは5歳8か月の生涯を閉じた。
愛着遮断症候群
警察では、真佐実らからの聞き取りと実際の智樹ちゃんの様子が合わないことを感じていた。
真佐実らは当初、パートを再開した平成21年の5月ころから十分な食事を与えていなかったと供述していたが、それまで健全に育っていたとすれば身長が85センチしかないというのは異常だった。警察は、もっと以前から虐待があったとみて追及したところ、先述のように実際は妹が生まれた直後から虐待を行っていたことを認めたのだ。
花園大学教授で児童福祉論が専門の津崎哲郎教授によると、智樹ちゃんは暴力やネグレクトといった虐待が本格的に始まるずっと前から、両親の「愛情がわかない」という気持ちを敏感に察知していた可能性が高いという。
子供が幼ければ幼いほど、親の感情をまるで我が感情のように呼応するのは子育て経験者であればわかると思うが、親が不安な気持ちでいると泣き止まなかったり、口には出さずとも怒りの感情を持っていると同じようにかんしゃくを起こすように泣いたりすることは珍しくない。
すべてではないが、そういった不安定な状況下や、両親に限らず周囲の人間から適切な愛情を受けられずにいる子どもは、成長に不可欠なホルモンの分泌が悪くなることがあるのだという。
結果、極端な低身長になったり、赤ちゃん特有のむちむちした肉付きは失われ、異様に線の細い体つきになったりすると言われる。繰り返すが、そういった特徴の子供全員がそうなのではなく、虐待を受けた子供にはよくみられる症状だということだ。
これを、「愛着遮断症候群」という。
症状としては低身長のほかに、著しく感情の乏しい表情や、本来子供にあるはずの愛情をせがむような、甘えるような仕草がなくなっていく、自発的な行動をしなくなるといった、もはや生きる希望を失っているかのような状態になっていく。
栃木県小山市で父親の知人の男に殺害された幼い兄弟、特に弟の方は抱き上げられても体をそらしたり、まったく感情のないうつろな瞳をしていたという。彼もまた、激しい虐待に晒される中で愛着遮断症候群に陥っていたと思われる。
真佐実は十分ではないものの、おにぎりやバナナといった食べ物は置いていた。しかし、智樹君は次第に痩せ衰え、平成21年9月には誰の目にもその痩せ方が尋常ではない状態になっていた。
それは、智樹ちゃんが食事を受け付けなくなっていたからだった。おなかが減れば食べるだろう、真佐実も浩一もそう思っていたのだろうが、智樹ちゃんはあまりの寂しさ、悲しさ、絶望感から生きる気力を失っていたのだ。
生きるための根源である食べるという行為も、もうできなくなっていた。
以降、智樹ちゃんは「ロボットのよう」な「オブジェのよう」な状態になっていく。言葉を発することがなくなり、かといって泣いたりもせず、日がな一日ぼうっと放心したようにそこにいた。真佐実が「寝ろ」といえば横になり、座らせるといつまでも同じ姿勢でそこにいた。
さらには抜毛行為が始まる。もう、智樹ちゃんの瞳は何を見ているのかもわからないほどうつろになっていた。
平成22年2月、とうとう智樹ちゃんは寝たきりの状態となる。無理矢理に口に食べ物を運んでも、もう反応すらしなくなっていた。
結果としてはすでに述べた通りだが、この事件が発覚したのは真佐実の通報だった。
しかもその際、真佐実ははっきりと「虐待している」と話していた。
多くの虐待親が虐待のつもりはなかったなどと言い募る中、真佐実はずっと自分のやっていることがとんでもないことだとわかっていた。
しかし家庭内にそれを止める人間はおらず、もともと周囲からは孤立状態だったことなどもあって結局智樹ちゃんの命が終わるその日まで、真佐実は助けを求めることができなかった。
むせび泣く法廷
分離公判となった真佐実と浩一の裁判では、当初殺人罪を視野に入れていた検察だったが真佐実が自ら通報し助けを求めたことなどから未必の故意とまでは言えないと判断、保護責任者遺棄致死での起訴となっていた。
罪状認否で起訴内容を認めた真佐実は、「裁判では逃げずに正直に事実を述べたい」と涙ながらに供述した。
弁護側は、浩一の裏切りや義母との確執、親族らの借金などが出産、子育てと重なり、精神的肉体的に追い詰められていて心神耗弱、あるいは心神喪失状態にあったと主張していたが、検察は真佐実がパートをしていたことや、妹の養育に問題がないことなどを踏まえて、責任能力に欠けることはないとした。
法廷の雰囲気は事件の内容が内容だけに重苦しいものだった。
そのただでさえ重苦しい空気の中で思わず裁判員らがうめき声をあげたのは、検察がある写真を示した時だった。
そこには、骨と皮そして傷だらけの智樹ちゃんの遺体が映し出されていたのだ。続けて、智樹ちゃんが閉じ込められていた実際のトイレの映像と続いた。
直視できずにうつむく人、思わず嗚咽を漏らす人、さらに検察が生前のまだ健康だったころの智樹ちゃんが楽しそうに歌を歌うビデオを流した時には、裁判員のほとんどが泣いていた。
真佐実の裁判には証人として同じく保護責任者遺棄致死で起訴された浩一も出廷した。
そこで浩一は、智樹ちゃんが調味料をばらまいた際、真佐実が「ぼこぼこにして殺してしまいそうになった」と言ったと証言。自身も真佐実からの暴力を恐れて見て見ぬふりを続けたと、ここでも自己保身の証言をしていた。
また、育児を真佐実に任せきりにしていたことについては、真佐実から「智樹に関わらんといて」と言われたと話し、平成21年9月にオムツを替えて以降は智樹ちゃんの世話をしなかったと話した。
これに対して真佐実は、智樹ちゃんが食事をしなくなっていることを浩一に相談した際、「食べないなら食べさせなくともよい」と言われたことや、調味料撒き散らし事件の際に確かに真佐実自身、浩一が証言したような発言を認めたうえで、浩一から「俺なら殺してるわ」と言われたことを証言した。
検察は懲役10年を求刑、平成23年2月10日、奈良地裁の橋本一裁判長は、真佐実に対し完全能力を認めたうえで、「智樹ちゃんを人間扱いせず、無慈悲で残酷である」とし、検察の主張をほぼ認める懲役9年6月の判決を言い渡した。
真佐実は控訴せず、刑は確定した。
一方の浩一の裁判では、浩一がどの程度智樹ちゃんの虐待に関与していたかが争点となっていた。
弁護側はあくまで真佐実と智樹ちゃんの母子関係の悪化が原因であり、虐待を止められなかったのは事実だがそれは真佐実への負い目があったからだと主張した。
対する検察は、家庭の中で日常的に何年にもわたって行われていた虐待について、夫婦のどちらかに差があるとは言えず、浩一にも真佐実を止めたり智樹ちゃんを保護する責任があったとして真佐実と同じ懲役10年を求刑していた。
平成23年3月3日、同じく奈良地裁の橋本一裁判長は、「(浩一)被告は虐待を止められる立場にあった。(すでに離婚している)真佐実受刑者より責任が勝ることはあっても、軽く見ることは出来ない」として真佐実と同じ懲役9年6月の判決を言い渡した。
奇しくもこの日は、智樹ちゃんの命日だった。
「私が母親でなければ良かった」
数年に及ぶ肉体的精神的虐待の末の、餓死。
ただこれは、虐待によって智樹ちゃん自身が生きる希望を失ったことによる、セルフネグレクトの印象もある。
たった5歳。いや、虐待が始まったのは2歳半のころからであり、そんな幼い、それこそ親の愛情を受けるためだけに存在しているはずの時期から、真佐実に疎まれ、邪険に扱われていたと思うとたまらない。
しかも、妹は溺愛されていた。どんな思いで、その小さな胸はどれほど傷ついていたろうか。
小さな心は、大好きだったはずの両親から無視され、疎外され、一方で妹へは惜しみない愛情を注がれ、それを目の当たりにしながらどういうことなのかを悟る間もなく、壊れていった。
この単身者用のアパートには当然ほかにも住人がいた。当初は子供の泣き声や、物が詰まった段ボールを落としたような音が響いていたというが、それも次第になくなったという。
ここに、ひとつ大きな特徴というか、事件が悪化してしまった要因が見える。
もしもこの家族が暮らしているのが単身者用のアパートでなく、小さい子供らのいる家族向けのアパートだったら、もしかしたら真佐実はここまで孤立しなかったかもしれない。
真佐実には本来相談できる実家があったが、浩一との関係が悪化して以降は智樹ちゃんを預けるのをやめ、さらには実両親の再三にわたる智樹ちゃんとの面会も拒んでいた。虐待が始まったころと、両親を遠ざけた時期は一致する。
裁判で証言台に立った真佐実の母親は、「私たちに心配をかけまいとしてうちあけられなかったのでは」と娘を思いやったというが、そもそも近くに住んでいながら2年も孫の姿を確認できないことは異常である。どんなことがあろうとも、おかしいのだ。
しかし両親らは気づかなかったという。夢にも思わなかったという。
そんなわけあるかバーカと言いたいが、本人たちは自分の心の中の狡さに向き合うことはないのだろう。
母子健康診断についても、見逃してしまった。
真佐実は智樹ちゃんが1歳になるころまでの検診はすべて受けていた。そして智樹ちゃんの健康状態、養育状態に特に問題はなかった。
ところが1歳6か月の時の検診に、真佐実は訪れなかった。この時は行政の方から真佐実に連絡を取ったが、真佐実は検診会場までが遠く、交通の便も悪かったことで行けなかったと話していた。
さらに、智樹ちゃんが1歳8カ月になったころ、再度検診を勧奨したというが、この時は妹の妊娠発覚で受診できなという返答だった。その後、真佐実は智樹ちゃんの健康診断に訪れていない。
ところが、重大な見逃しが隠されていた。
真佐実はたしかに智樹ちゃんを母子検診に連れてこなくなった。が、一方でその後生まれた妹についてはすべての月齢に応じた乳幼児健診に真佐実は来ていたのだ。
この時に家庭の状況や智樹ちゃんの存在は把握できていたわけで、妹は来られるのになぜ上の子は来ていないのかということを重要視すべきだった。
広島大学の長尾正崇教授は、
「乳幼児健診は、社会とのつながりが少ない未就学児の虐待被害を発見できる有効な手段。自治体は受診に来ないすべての家庭に保健師らを派遣して、乳幼児、保護者との面談を実施し虐待の有無を確認すべき」
と読売新聞の取材に答えているが、桜井市で児童養護施設や家庭センターなど、母子、家庭に関する支援活動を幅広く行ってきた社会福祉法人飛鳥学院の河村喜太郎理事長はさらに手厳しい。
「我が子に検診を受けさせないのはそれ自体がネグレクト、虐待である」
とし、
「検診を受けさせなかった時点でその両親は子育てに関心が薄いと警戒すべきで、行政は問題意識が欠落している」
と痛烈に批判した。
桜井市は後に検証報告書をまとめ、その中で問題点として、子を連れてやってくる親の利便性をもっと考える必要があること、真佐実から電話を受けたセンター職員ですら、緊急性を感じなかったと言っていることから職員に危機意識の薄い部分があったことで初動の遅れにつながったことなどをあげている。
くわえて、家族が単身者のアパートにいることや、保育所の入所を断念している経緯などをもっと気にかけるべきであり、センターが子を育てる親の受け皿になれていなかった部分も否めないとした。
真佐実は最初から無慈悲で残酷な人間だったわけではない。
そもそものトラブルは夫とその親族らがもたらしたものといえ、真佐実の立場になれば相当に苦しい思いを強いられたと思う。裏切りといってもいい。
そんな中でも真佐実はなんとかしようと自身も産後間もない体で仕事をし、やれること以上のことをやっていた印象がある。
裁判では長女の妊娠と夫への不信感、そこへ智樹ちゃんの「いやいや期」「赤ちゃん返り」が重なり、本人のキャパを超えたという側面があることを、子どもの虹情報研修センターの川崎二三彦氏も証言している。真佐実自体に育児能力が著しく欠けていたとか、そういうことではない、という判断である。
それは妹の養育に問題がないことからも間違いないだろう。
どうしようもない状況に追いやられた人は、時にその怒りの矛先を向けやすい方向に向けてしまう傾向がある。
テレフォン人生相談でおなじみの早稲田大学名誉教授の加藤諦三先生は、その番組の中でもよく言っている。「あなた本当は別の所に不満があるんじゃないの?」と。
その多くは、夫婦間にあるという。自分でも対応しきれない悩みや、解決できない悩みを自ら作り、やたらと攻撃的で不満に満ちた人、あるいは過剰な自己憐憫の人というのは、よくよく聞いてみると怒りの原因と矛先が違っていることがあるのだ。
夫への、妻への不満が直接相手に対峙できない、できたとしても解決できない状況にあると、その矛先を向けやすい子供や近しい人の中で特に弱い立場の人に対して理由をこじつけ、攻撃し、嫌悪する。そうすることで自分の心のバランスをとるのだ。
真佐実も、まさにそうだった。憎むべきは、夫の浩一とその親族だったはずなのに、彼らから離れることをせずに固執した。
両親から別れろと言われ、逆にその両親を遠ざけている。真佐実は苛立ち、浩一を殴りつけながらも、浩一と離れることを拒んでいるのだ。そして妊娠までした。
そして、智樹ちゃんに対してはどことなく浩一に顔が似ている、そんな理由をこじつけて自身のネグレクト、妹との差別的扱い、暴力を正当化していた。
浩一に対して晴らしきれないうっぷんを、智樹ちゃんで晴らしていたのだ。
真佐実は「私がお母さんじゃなかったら、智樹はちゃんと育っていた」と話している。浩一とその親族のクソっぷりは当然としても、その通りである、母親が真佐実だったから、智樹ちゃんは死んだのだ。たった、5歳で。
本来、夫やその親族に向けるべき怒りを、抵抗できずただサンドバッグであり続けるしかできない智樹ちゃんに向けた。どれほど真佐実が身を粉にして働き、夫を支えていたとしても、一切の同情もできない。
最後の最後、間に合うはずもない遅すぎる時点ではあったけれども、真佐実は自ら外部に叫んだ。助けて欲しいと。そこに、わずかな母としての思いが残されていた、とみる人もいただろう。
ただそれも、智樹ちゃんではなく、「私を助けて」だったのかもしれない。
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参考文献
奈良県児童虐待対策検討会 検討結果報告書
日本の児童虐待重大事件 2000〜2010
川崎二三彦/増沢高 著 福村出版
朝日新聞社 平成22年3月4日、5日朝刊
読売新聞社 平成22年3月4日朝刊、大阪夕刊、3月30日、平成23年2月11日大阪朝刊、3月7日東京朝刊、