おもいあがり~愛媛・高知同居男性傷害致死死体遺棄事件③~

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死因

弁護側が傷害致死を認めないのには理由があった。
野田さんの死因は、「多発外傷性ショック死」とされており、たとえば首を絞められたとか、刃物で刺されたとか、そういったはっきりとしたものが死因ではなかったのだ。
遺体を解剖した高知大学の古宮医師によると、野田さんの遺体には、外傷性硬膜下血種、多発ろっ骨骨折、広範囲に及ぶ皮下軟部組織損傷が認められ、それらが合わさったことによる多発外傷性ショック死が死因であった。
それらは野田さんの死の直前(数時間前から半日以内)にできたものが大半であり、これ以外にも多数の外傷が野田さんの体には残されていた。
実際、光洋も野田さんが死の直前に、椅子からずり落ちて側頭部を強打したことを供述している。

しかし、それらを単発で考えた場合、いずれも致命傷となるほどの外傷とは言えなかったのだ。

さらに、その外傷をすべて光洋がつけたものと言えるかどうか、についても弁護側は追及した。
野田さんは放浪癖というか家出癖というか、ふらっと出て行っては何日も帰宅しない、そういった行動が見られた。
事実、野田さんが死亡する前日も2週間に及ぶ家出の末の帰宅であり、帰宅するまでの間に何らかの事故、トラブルに巻き込まれていた可能性を否定できなかった。
たとえば、上半身にあった複数の傷は、転落や暴力行為によって出来る傷であると古宮医師は説明したが、野田さんは過去にトラブルで他人から暴力を受けたことがあった。

また、光洋自身も、帰宅した野田さんの右足の甲から出血しているのを見たと供述していた。
自転車で転んだという可能性もゼロとは言えなかった。



空白の24時間と野田さんの怪我

野田さんが警察官に連れられて帰宅したのは、12月1日の23時50分ころである。そして、光洋が野田さんが死亡しているのに気付いたのが、翌2日の21時53分(母親への通話記録から)である。

この、およそ24時間の間、野田さん宅にいたのは光洋のみで、光洋の供述によれば、光洋が野田さんの様子を見に行った際には、野田さんは自室および家の中にいたという。

しかし、ずっと見張っていたわけでもなく、光洋自身も寝ていた時間もあり、その間、野田さんが家の中にずっといたという証拠がなかった。

家出癖のあった野田さんが、いったん帰宅した後、光洋の目を盗んで再び外出したとも考えられたのだ。
弁護側は、それだけでなく第三者が野田さん宅に侵入した可能性についても言及した。

たしかに、野田さんは家に帰りたくない様子だったと、野田さんを最後に連れ帰った警察官は証言した。
弁護側は、野田さんが再度外出した際に事故かトラブルに巻き込まれて負傷し、その後帰宅してから容態が急変したという可能性を挙げて古宮医師に質問を行った。

古宮医師は、事故や自傷によるケガではないか、という弁護側の推測を否定した。
まず、野田さんにはこれまで大きな既往症はなく、死因につながるような病気を抱えていなかったこと、それぞれ個別の傷について、全てが転落などの事故でついたとは考えにくいこと(転落の怪我では見られない内腿の傷があった)、転落したにしては傷の範囲が広く不自然であること、心臓内に血液がなかったことなどから、他害による外傷性ショック死と判断。
そしてこれらをもとに和歌山県立医科大学法医学講座担当の近藤稔和教授にセカンドオピニオンを求めたところ、他害による外傷性ショック死の典型であるとの回答を得たと説明。
弁護側の主張する、病死、転落や自損事故などでのケガではないと証言した。

野田さんの焼損遺体は、両手の肘から先、左足の太腿から先、右足の膝下が焼かれたことで欠損していた。
しかし、残された部分からも様々な「声」を聞くことが出来ていた。
頭頂部には二か所の挫滅、右肋骨が3本折れ、顔面は眼窩部皮下出血、打撲痕、背面には広範囲の皮下出血、胸椎出血、筋肉出血、腰部分にも筋肉出血が認められ、臀部は筋肉が挫滅していた。
そしてそれ以外に、非常に重要な「痕跡」があった。
それは索状物で拘束したと思われる圧迫痕だった。

不可解な圧痕



この裁判では、モニターが活用されていた。
通常、事件現場などをわかりやすく説明するため、裁判員や裁判官らには小型モニターで図や写真が示されることはあるが、傍聴席に向けてのモニターに映し出されることはされないケースもある。
今回、遺棄現場や自宅周辺、そして野田さんの傷など、あらゆるものが傍聴席向けのモニターにも映し出された。

その中で、野田さんの体にあったある「圧痕」が、不可解だった。

野田さんの体は焼損していたため、古宮医師は皮下の状態で判断したという。
そうすると、野田さんの体には、両肩部分から脇にかけてそれぞれ帯状圧痕が残されていたというのだ。
こう、リュックを背負った際の肩紐の位置と符合するのだが、そんなところを縛って意味があるのかな??どういう縛り方?という印象だったのだ。
そしてもうひとつ、右足の大腿部の付け根に、全周性の圧痕も認められた。これはおそらく、欠損している左足にも同様の圧痕があったのではないかと古宮医師は推測した。
そして、これらの圧痕は、野田さんの死につながる大きな要因を作っていた。

野田さんは、頭部の硬膜下血種、多発ろっ骨骨折、そして広範囲の皮下軟部組織損傷が合わさっての外傷性ショック死だったが、なかでも皮下軟部組織損傷が虚血性心機能障害、貧血性ショック、肺脂肪塞栓、腎機能障害を引き起こし、それが死につながった可能性を古宮医師は指摘した。
中でも両肩と右太ももの圧痕はかなり強い外圧がかかっており、大腿部は内出血に止まらず一部は挫滅状態、両肩は線状の皮下出血、筋肉の一部断裂と壊死も認められ、相当な暴力的加害行為と認定した。

その傷が、「ミオグロビン血症」を引き起こしていたと古宮医師は説明した。
ミオグロビンとは、筋肉が破壊されると分泌されるもので、野田さんの血中濃度は120,000ng/mlと異常な高い値(正常値70~100ng/ml)を示していた。
これは、強い圧迫や筋挫滅を受けた筋肉が解放されることで、乳酸などとともにこのミオグロビンが流出しクラッシュ症候群を引き起こし、腎不全などに至らしめる。崩壊した建物の下敷きになった人が、助け出された後で容態が急変することで知られるが、おそらく野田さんも同じような状態に陥っていたとすると、説明がついた。

特に左肩の圧痕は重傷で、おそらくこの圧痕がミオグロビン血症を引き起こしたとされた。

かなり説得力のある古宮医師の証言だったが、弁護人は真っ向食らいついた。

嗤う弁護人



弁護人は、古宮医師に対し率直にこう言った。
「先生は検察からの依頼が多いんですよねぇ。予断持ってませんでした?」
古宮医師は即座に否定したが、弁護人がこう問うたには理由があった。
光洋が8月に起こした逮捕監禁事件があったからである。
弁護人は、おそらく古宮医師がその事実を前もって警察から聞かされていたため、その事件に引っ張られるように判断したのではないかと詰め寄った。
さらに、圧痕についても細かく指摘が続く。野田さんの遺体は焼損していたため、推測での証言も多かった。それについても、縛ったことを前提にしているのではないか、縛っていなくても、打撲などでついた痕の可能性があるのではないか、とにかく「可能性があるかないか」に執拗にこだわった。

もちろん、それは重要なことであり、しかも縛ったことによってミオグロビン血症が起き、それが死因に繋がっているのだからそこは弁護人としても譲れないところだろう。

しかし、ベテランの弁護人は次第に古宮医師を嘲笑するかのような質問をし始める。
それに反応し、古宮医師も当然答弁には慎重になっていったのだが、それがますます弁護人をエスカレートさせた。
肩にあった帯状圧痕についても、長さ5センチ程度しか認められないというのは不自然ではないか、と詰め寄り、古宮医師は「服などが挟み込まれていればそういった状態の痕がつく可能性がある」と反論したが、黙る場面が多くなっていく。
そして弁護人はそもそもこれは圧痕ではないのではないかと言い始め、あげく、死亡推定日時にまで疑問を呈し始めたのだ。
検察からも異議が何度か申し立てられるほど、雰囲気が悪くなっていた。

右太もも大腿部に残されていた全周性の圧痕についても、写真が残されていないことを弁護人は追及した。
写真を撮らなかった理由を聞かれた古宮医師だったが、撮ってないものをなぜ撮らなかったといわれても答えに窮してしまう。弁護人は大げさに
「えーっ!撮ってないんですか?特徴的な痕なんですよねぇ、なのに記録として写真に残さなかった、へぇー」
などと古宮医師と検察を挑発するかのような質問を続けた。

もう古宮医師の背中は怒りで震えているのが分かるほどだったが、弁護人は追及の手を休めない。

そこへ、穏やかな表情の裁判長が
「まぁ、わかんないものをなんで、どうしてって聞いてもね、進みませんからその辺で」
と助け船(?)を出して弁護人からの質問は終わった。

傷の大部分が他害によるもの、という点はゆるぎないと思われた。しかし弁護人は、そうであったとしても野田さんが自宅に戻るより以前につけられた傷の可能性を捨てていなかった(光洋も野田さんが帰宅時に足に怪我をしていたと取り調べの段階から供述している)し、古宮医師による鑑定で「死の直前、数時間から半日以内にできた傷」という点についても、遺体が焼損されていたことなどからずれが生じる可能性もあるとしていた。
野田さんが帰宅するまでの間、本当に何もなかったのか。

翌日、最後に野田さんを自宅へ連れ帰った警察官が証人として出廷した。