絶望の淵の先にあるもの~香川・父親撲殺事件~

昭和50627

「主文、本件抗告を棄却する。」

高松高等裁判所の小川豪裁判長は、この日、ある少年事件の抗告を棄却する決定を出した。
加害者は17歳の女子少年。彼女は昭和50514日に、高松家庭裁判所において、中等少年院への送致が決定していたが、それを不服として抗告したものだった。
彼女の罪は、父親を手斧で殺害するという非常に重大なもので、高松家庭裁判所は本来ならば検察官送致も十分考えられるとしたが、その内容を考慮して中等少年院送致を決めた、としていた。

彼女をそこまでさせた事件の背景とは。

事件概要

事件が起こったのは昭和50329日。
香川県綾歌郡の民家で、男性が血まみれで倒れているのが発見された。
頭部を叩き割られているというその状況から、男性は何者かに殺害されたとみられた。
殺害されたのは、この家の主の財津正男さん(仮名/当時49歳)。妻と高校生の娘の3人暮らしだったが、この日は妻は仕事に出ていて留守だった。

捜査本部はその後、正男さん殺害の容疑者として一人娘の香予(仮名/当時17歳)を逮捕する。

香予は学校でも成績は悪くなく、その行動面でも問題となるようなものはそれまで一切なかったという。
ただ友人関係を見ると、少々消極的な性格と言え、おとなしくまじめという一方、他人の目を意識しすぎるとも言えた。

17歳の少女がなぜ、父親の頭をカチ割ったのか。

その犯行様態も非常に凄惨、かつ、そこには強い怒りが見て取れた。

その理由は、財津家の地域での複雑な立ち位置そして、父と娘の異常な関係があった。

その家

財津家は、香川県のほぼ中央部に位置する綾歌郡にあった。
裕福とは言えない経済状況の財津家の一人娘として、香予は昭和324月に生まれている。
父の正男さんは元来怠け者で、一家を支えていたのはもっぱら母親だった。母親は男仕事も厭わず仕事をこなす働き者だったが、そのために家庭のこと、香予にたいしてはなかなか目をかけてやれなかったという。
正男さんは妻に対しても暴言を吐いたり時には暴力を振るうこともあり、その素行の悪さは田舎の町でも知られたものだった。

香予は、そんな家庭の中でもすくすく育ち、将来は大学へ進学し、教師になるのを夢見るような普通の少女だった。

ただ、香予には知らされていないある秘密がこの家にはあった。

小学校高学年になった香予は、父親である正男さんから衝撃的な話を聞かされる。
なんとこれまで父親と思っていた正男さんは、香予の実の父ではないというのだ。

両親の婚姻中だったのかその前だったのかは不明だが、母親は正男さん以外の男性の子供を身ごもっていた。正男さんはそれをわかったうえで、ふたりの実子として届けたのだという。その子供が、香予だった。

正男さんの素行の悪さで財津家は周囲から孤立しており、そのせいで香予にも近所の友達は少なかった。ただでさえ、そのように寂しい幼少期を送っていた香予にとっては、このことが非常に大きな心の動揺となって残ることになった。

襲い来る父

正男さんの告白から数年後の昭和498月。夏休みだったその日、母はその頃同居していた仕事関係の職人とともに家を留守にしていた。家には、夏休み中の香予と、正男さんの二人だけとなった。

それは突然のことだった。

正男さんから肉体関係を迫られたのである。

この時は未遂に終わったようだったが、香予の心は動揺どころの騒ぎではなかった。
実の父親ではないと知っているとはいえ、10年以上も実の父だと信じて生きていているのだ。その後も生活を共にし、香予にとってはそれでも父であった。
以降、香予は昭和50年の1月頃まで合計5回、同じように正男さんから肉体関係を持ち掛けられる。

大学進学を夢見て勉強に励んでいた香予は、当然勉強どころではなくなり、かといって出ていく術もなく、もともと友人も少ないことから友達に言えるはずもなかった。ましてや、母親に事実を告げることはどうしてもできなかった。

それでも香予は、母に対して「私と二人で暮らそう」と持ち掛けた。が、当の母親は香予の真意を知るはずも、想像すらできていなかったわけで、娘が自分の苦労を慮ってそのようなことを言ってくれているのだと誤解した。
優しい娘だと感激しながらも、勘違いの母親は仕事や経済的な理由を挙げて、香予の申し出を真剣に聞いていなかった。

香予の逃げ場はなかった。

壊れゆく娘

その頃、父親の正男さんは胃潰瘍を患い高松市内の病院に入院していた。
ただその時、正男さんは自身が胃潰瘍ではなく、がんであると誤った確信を抱いていたという。
日が経つにつれ、正男さんは将来を悲観するようになっていく。

元々、うまくいかないことがあると自暴自棄になる傾向があった正男さんは、自宅近くの医院へ転院したあとは、自分が家を空けていた間に同居していた妻の仕事関係の職人と妻が不貞関係にあると思い込むようになる。
そして、その苛立ちは妻に向くことになり、今までにも増して暴言も凄まじくなっていった。
自分の寝床には常に包丁や金づちなどを備え、何か気に入らないことがあるたびにそれを振り回して妻を追いかけまわすなど、その言動は常軌を逸していた。

320日、またもや正男さんから肉体関係を迫られた香予は、春休みに入ることでますます逃げ場がないと不安になり、翌21日からは従姉妹の家に遊びに行ってそのままそこへ泊るようになった。
しかし、香予の真意を知らない母親が、あまりに長く滞在すると迷惑になると思ったのか、24日には香予を呼び戻してしまう。
失意の元自宅へ戻った香予が見たのは、夏野菜の植え付けをしている母の姿だった。

「あぁ、お母さんは家を出る気なんてさらさらないんだな」

香予は絶望した。

326日、香予の悪い予感は的中する。この日、香予はついに強姦されてしまう。さすがに母親に対し泣いて家を出たい旨申し出たものの、どうしても正男さんからされたことを告げることができなかった。
ただただ家を出ようとしか言わない娘が、まさか自分の夫から強姦されているなど夢にも思わない母親は、娘をなだめるしかできず、それが結果として香予を追い詰めていくことになる。

香予の精神状態は明らかに不安定になっており、27日に高松市内にでかけた際、内臓付きのフグを4尾購入し、これを正男さんに食べさせ中毒にさせようと思うまでになっていた(結果未遂)。
28日には母親に対し再度、「父さんがうるさくて勉強ができない、お願いだから家を出よう」と持ち掛けたが、やはり母親は動いてくれなかったし、深く話を聞いてくれることもなかった。
香予が正男さんを無視して過ごすと、正男さんは近所に響き渡るほどの大声で香予を呼び続けるため、やむなく香予は正男さんの寝室の隣の部屋で過ごさざるを得なかった。恐怖のあまり夜も普段着のままで過ごし、ほとんど一睡もできないまま、29日の朝を迎えた。

憎悪

朝、いつものように母親と同居の職人が出勤していくと、また家の中は正男さんと香予の二人だけとなった。
睡眠不足と精神的疲労で朝食を食べる気力もなかった香予に対し、正男さんは執拗に寝室に来るよう名を呼び続けていた。

午前11時、突如それまでとは違う、驚くほど大きな声で名を呼ばれた香予は、うんざりしながらも正男さんが寝ている布団のわきに座った。
すると、正男さんは今までにないほどの形相で香予を押し倒すと、そのまま強姦に及んだのだ。

耐えられない屈辱と恐怖と嫌悪感が香予を覆いつくし、それでも必死の思いで正男さんを跳ね除けると、北側につながる土間に逃げ込んだ。

もう、香予には逃げる場所も頼る人もいない。このままでは自分の将来も母の将来も、めちゃくちゃになってしまう。
恐怖や屈辱、嫌悪感よりも、香予の心では憎悪が爆発していた。

ふと見れば、まるで出番を待っているかのような薪割り用の手斧(全長1m、重量3.7kg)がそこにあった。
香予はそれを両手で持つと、正男さんの寝室のふすまを開けた。
そして、うつぶせになっていた正男さんの頭めがけて、2度、その斧を振り下ろした。さらに、手近にあったストッキングで正男さんの首を絞めた。確実に息の根を止めたかったのかわからないが、それをするまでもなく正男さんは、後頭部陥没骨折、頭蓋底骨折、脳挫滅によってすでに死亡していた。

その後の香予がとった行動は、それまでとは打って変わって冷静だった。
まず凶器の手斧を隠し、正男さんの血が付いた上着をハサミで切って脱がせ、それ以外の血が付いた座布団などもまとめて焼却した。その後、すでに死亡している正男さんを引きずって土間付近まで連れて行き、なぜかその頭にさらしの腹巻を巻き付けた。なぜそんなことをしたのかは、わかっていない。

そして、午後2時ころに母親の勤務先へ電話して「正男さんを殺したこと」を告げたのだった。

逆送か、それとも

少年の事件の場合は、まず家庭裁判所において検察官送致(逆送)とするかの判断がなされる。
香予の場合、附添人の弁護人からはその事件が起きた背景や事情を考慮して、自宅へ戻し、高校に復学させて更生させたい、という主張がなされていた。
香予自身も高校へ通いたいという強い願いを持っていた。

確かに、香予が犯した罪は重大である。しかし附添人が主張するように、それに至った背景や事情というのはどう考えても正男さんに大きな落ち度がある、というか正男さんがしたことは犯罪である。
いくら血のつながりがないとはいえ、それまで父親として生活してきた未成年者に性的関係を迫るなど言語道断であり、香予が心に受けた傷は計り知れない。

しかし、高松家庭裁判所は、逆送こそしなかったものの、香予に対して中等少年院送致の処分を下した。自宅へ戻すということは認めなかった。

附添人の三野秀富弁護士は直ちに抗告したが、高松高等裁判所の判断は、抗告棄却であった。

高松家裁の安倍嘉人裁判官は、この処遇に至った理由に対し、次のようにまとめた。
まず逆送の選択をしなかったことについて、本件は十分にそれに値するとしながらも、香予の性格や年齢、そしてこの事件が逆送によってその全容が刑事法廷で明らかにされると、狭い地域社会にそれが漏れてしまう可能性を指摘した。
ただでさえ、財津家は地域社会の中でそれまでも孤立した状態にあった。正男さんについては、過去に近所の老女に対し強姦致傷事件まで起こしていた。

この香予の事件は当然地元紙をはじめ報道はされたものの、あくまで17歳の娘が父親を殴り殺した、といった内容で、なぜその事件が起こったのかについては、誰も知らないという状態にあった。
香予は友達にも母親にもその事実を一切話しておらず、事件を起こして調べが進むうちに、正男さんからされたことを話したのだ。

ちなみに少年犯罪データベースにもこの事件は掲載されているが、

父親は胃潰瘍で療養中だったが胃ガンで長くないと思っており「2,3日の命だ。早く楽にしてくれと父親に頼まれたため、日頃から勉強中も用事を言いつけられてうるさく思っていたこともあってとっさに殺そうと決意した」と自供。手斧で頭を数回殴ってストッキングで首を絞めたもの。目立たないおとなしい性格だった。

となっている。が、事実としては全く違うものだったわけだ。
そうである以上、刑事法廷でいろいろと事実が公になっていくのはかえって香予の更生には良い影響を与えないとの判断があった。

という点では、家庭裁判所も正男さんへの香予の感情についても一定以上の理解は示していることと言える。
もっといえば、香予の激しい殺意は正男さんにだけ向けられたものであるわけで、その正男さんが死亡した以上再犯の恐れはないと言えるし、実母がそばにいることで更生は可能、ともいえた。
そしてなんといっても、この事件が起きた背景を考えれば、最大限に寛大な処分でもよさそうに思えた。
ではなぜ、その上で弁護人が言うように自宅へ戻し、高校へ復学させるという選択をしなかったのか。

そこには厳しいように見えて、狭い地域社会の実情や香予のその根本にある問題点を見据えての、深い判断があった。

絶望の淵のその先へ

家庭裁判所は、香予の事件についての捉え方を危惧していた。
何度も言うように、この事件の要因は正男さんにある。しかし、どんな事情があったとしても殺人を犯しているのだ。しかもそのあとに冷静に証拠を隠滅しようとし、当初は正男さんに殺害を頼まれたといった話をしていた。

さらに、事件後も香予は一貫して現実逃避の姿勢をとり、あくまで自分は正男さんのみならず恐ろしく勘の悪かった母親の犠牲者であり、正男さんの脅威がなくなってもなお、正男さんに対する深い憎悪を拭いきれずにいた。

この点については、女性の立場でいえば当たり前じゃないかと思わないでもない。何度も言うが正男さんにされた行いは身の毛もよだつものであり、香予のように反撃に出るのではなく、むしろ絶望のあまり命を絶ってしまう人もいるだろう。
それほどまでに残酷な経験を香予はさせられたのだ。

だからこそ、の中等少年院送致だった。

よくよく冷静に考えた場合、香予の気持ちは痛いほど理解できるとはいえ、いつまでも自己を正当化し続けるというのは、殺人を犯した以上看過できるとは言えないだろう。それは長い先を見たときに、決して香予のためになるとは言えない。香予が大人ならば別だったかもしれない、しかしまだ17歳。だからこそ、未熟で当たり前だからこそ、現実をしっかり見据えること、それを受け止めること、自己反省の気持ちを養うことを教える必要があるというのが一番大きな判断理由だった。
そしてそれは、ただでさえ勘の鈍い、自罰的な母親の手には到底負えないものだった。

もうひとつ、香予の現実に対する甘さも裁判所は心配していた。
それは、香予の暮らす狭い地域社会のことだった。
香予は元の高校に戻り、また前のような生活が送れると真剣に思っていた。皆が理解し、自分を受け入れてくれると思っていたのだ。それは、自分は一切悪くないという思い込みに基づいた考えに他ならない。
しかし現実はそんなに甘くはなかった。
香予が暮らすのは田舎の小さな町であり、そこに暮らす人々も考え方は様々で、事件が起こった詳細が明らかに「出来ない」以上、香予がしたことはただの親殺しであり、それに対して厳しい意見を持つ人は少なくなかった。

そんな場所に、全く自分のしたことを悪いことだと思えていない香予が戻ればどういうことになるか。
自己反省の気持ちが薄ければ薄いほど、香予がその後自分と向き合う機会は失われ、他者(地域社会や級友)の無理解に対する苛立ちが募ることとなり、結果、香予のこれからの長い人生に良い影響は、ないだろう。
裁判所はそこまでちゃんと考えていた。

高松高裁もほぼ、同じ判断だった。

処分は確定し、香予はその後中等少年院に送られ、その後の足取りはわからない。
元々、優等生を演じるような、おとなしく周りの目を気にする少女だった香予。彼女の生い立ちには同情しかないわけだが、それでも彼女がとった殺害からの一連の行動はやはりそれでいいんだとは言えないのも事実だ。

しかしそれでも思わずにいられない、こんな風にしたのは、香予がそうせざるを得なかったのは誰のせいなんだと。

彼女がその後穏やかな人生を歩めたと信じたい。

****************

参考文献
少年事件データベース
家庭裁判月報281103頁、111
昭和50514/高松家庭裁判所/決定/昭和50年(少)198
昭和50627/高松高等裁判所/3/決定

「絶望の淵の先にあるもの~香川・父親撲殺事件~」への2件のフィードバック

  1. 備忘録様

    お疲れ様です。
    拝読させていただきました。
    最近、この事件に似た感じの裁判を傍聴しました。私が傍聴した件は姉弟への暴力の外傷が第三者に発見され、それ以上は大きな事件にはなりませんでしたが、次女は同じように強姦されていました。とても気分が悪くなりましたし、思春期にそのような恐怖を経験した少女の将来を考えるととても心が痛くなりました。
    最後の一行は同じ気持ちです。

    尊属殺人が撤廃されたのも類似の事件があったからでしたね。

    1. さすらう さま
      いつもありがとうございます。
      血の繋がりがたとえなくても、長く保護者として存在していた人からの、その立場を利用した性暴力は本当に許せないです。
      表向きは虐待や別の犯罪での立件でも、裁判の中でレイプの事実が判明することもありますよね。
      本当にどれほどの屈辱、恐怖、悲しみだったかと思うと泣けてきます。

      昔の裁判所って今より親の立場が強くて当たり前、なのかと思っていたら、結構子供や女性に寄り添う判決も沢山あって意外でした。
      少年犯罪はどれも深く考えさせられるものばかりです。

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