双葉ハイムで死んだ女②~宇都宮・男女4人殺傷放火事件~

平成一二年八月五日

茨城県大洗町の海岸から東に約四〇キロ離れた太平洋上で、その日釣りをしていた船が漂流遺体を発見した。
那珂湊海上保安部が収容したところ、その遺体は二〇代から三〇代半ばと思われる成人男性で、背中一面に入れ墨があった。刺青の状態から、おそらく日本人だと思われた。
ベージュの半そで姿にスウェット姿、足元は素足。遺体の状態から死後一週間ほど経過していると見られた。

平成一二年八月二一日


深夜二時半。その男性は、火災報知機のベルと、大きな叫び声で目を覚ました。

「助けてくれ!!」
宇都宮市一条にある双葉ハイム最上階の十二階の一室から聞こえるその声に驚いた男性は一一〇番通報。すぐさま宇都宮署員が駆け付けると、一二〇一号室から煙が出ており、室内には衣服の乱れた男性二名、女性二名が倒れていた。
部屋の主は小堀英二さん(仮名/当時三七歳)で、小堀さんも部屋の中で倒れており、それ以外に栃木県高根沢町の中村慎吾さん(仮名/時三七歳)、宇都宮市鶴田町の無職、稲見晃子さん(仮名/当時三一歳)そして、宇都宮市宝木本町の飲食店従業員、小林潤美(ますみ)さん(当時二四歳)がいた。
小堀さん、中村さん、稲見さんは胸や背中を刃物で刺されたような傷を負い、稲見さんは左腕に火傷も負っていた。
三人の命に別状はなかったが、小林さんは収容先の病院で死亡した。ただ、小林さんには致命傷となるような外傷が見当たらなかった。

室内はソファなどの家具が焼けており、三人の証言で暴力団員風の男らが複数で三人の両手足をひもで縛り、刃物で傷を負わせたうえに灯油をまいて火を放ったことが分かった。
男らが出て行った後、もがいているうちにたまたま縛られていたひもがほどけた中村さんが自力で消火したという。

外傷のないにもかかわらず死亡した小林さんの死因は、後に大量の覚せい剤を打たれたことによる急性薬物中毒死と判明。
その場に居合わせた三人の証言からも、犯人と思われる男らのうちの主犯格が、小林さんに無理やり覚せい剤を注射したことがわかった。
一命をとりとめた三人も、それぞれ覚せい剤反応が出たが、日常的に使用していた痕跡は四人になく、それらも犯人の男らが強制的に注射したということも判明した。
現場となったマンションは、大通りに面した大きなマンションで、周辺には店舗、学校もある。そういったどこにでもあるような日常の中で、若い女性二人を含む四人が脅迫され、覚せい剤を打たれた挙句室内に火を放たれ、結果、一番若い小林さんが死亡するという事件が起こり、この時点では犯人らも逃走中であったため、宇都宮市内は物々しい雰囲気に包まれていた。

被害者と犯人の関係

当初、被害者の小堀さんと中村さんらは、「四人組の男にやられた」「暴力団員風だった」などと、犯人を知らないといった供述をしていた。
しかし、捜査員らが話を聞くうちに稲川会系大前田一家後藤組の後藤良次(当時四二歳)が主導して事件を起こしたことを把握。その日のうちに放火、殺人未遂容疑で後藤を指名手配した。

ただこの時点では「何らかのトラブル」があったことは推測できるものの、なぜ稲見さんと小林さんまで巻き込まれたのかもわからず、そのトラブル自体もつかめていなかった。
中村さんは以前、後藤の運転手をしていたことがあったという。自動車販売を行っていた小堀さんとはその後親しく付き合っていた。小堀さんもまた、過去にマンションの家賃に関するトラブルを暴力団との間で抱えていたという。
当日は、午後九時ころに市内のパチンコ店で後藤と合流し、小堀さんが暮らす双葉ハイムへ中村さんとともに車で向かっていた。
しかしその際、部屋の鍵を小堀さんが持っておらず、交際相手の小林さんに鍵を持ってこさせることになった。そして、その小林さんを車でマンションへ送ってきたのが稲見さんだった。

この双葉ハイムは、一般の人々が多く入居している普通のマンションだが、当時の住民の話によれば、「事件の数か月前から暴力団員風の人の姿を見かけるようになった。それ以降、夜男性が怒鳴りあうような声を聞くこともあった」ということだった。
小堀さんが入居していた最上階の部屋は、同一部屋内に一階と二階があるメゾネットタイプで、他の部屋に比べるとつくりも家賃も立派である。マルチ商法なども手掛けていたという小堀さんにはある程度の収入があったと見られた。

事件から一週間たっても、依然として後藤の行方は知れず、共犯の男らの行方も分かっていなかった。
小堀さんらの供述もあいまいな部分が多く、捜査はなかなか進まなかった。
本人らの供述や知人らへの聞き取りで、小堀さんと後藤の間で金銭トラブル、人間関係のトラブルがあったことまではわかっており、その話し合いが決裂したあげくの犯行との見方は固まってはいたものの、大量の覚せい剤を打ち、縛り上げた状態で火を放つという犯行に至らせた決定的な動機はわかっていなかった。
三人は犯行時に大量の覚せい剤を打たれた影響で記憶もあいまいだったが、小林さんは交際相手の小堀さんから後藤の話を聞いてはいたもののそれ以上の接点はなく、稲見さんに至ってはまったく接点がなかった。
そのため、小林さんと稲見さんの二人は、たまたま巻き込まれたとの見方が強まっていた。

逮捕から起訴

事件発生から一〇日。この日宇都宮署の捜査本部は、埼玉県松伏町のホテルにいた後藤を発見。同時に、共犯として指名手配されていた後藤組幹部の小野寺宣之(当時三一歳)、無職の浦田大(当時三四歳)、そして出頭してきた土木作業員の沢村勝利(当時三七歳)を逮捕した。
容疑は後藤と小野寺が現住建造物等放火未遂、殺人未遂、逮捕監禁、浦田と沢村は逮捕監禁だった。
その際、沢村以外の三人は自動式短銃一丁も所持していたため、銃刀法違反(共同所持)でも逮捕された。

後藤と小野寺は容疑を否認したが、浦田と沢村は容疑を認めていた。

九月七日。送検された後藤は、当初こそすべてを否認していたものの、この頃から少しずつ同期に関する部分を話し始めていた。
また、死亡した小林さんを含めて四人に覚せい剤を注射したのも後藤本人であると認め、殺人容疑でも追及されることになった。
そして新たに暴力団幹部の吉澤浩(当時三七歳)と、暴力団員の男(当時二一歳)もこの日指名手配された。

九月二一日。最初に逮捕された四人はこの日宇都宮地裁に起訴された。また、警察ではこの四人を強盗致死の容疑でも再逮捕する方針を決めていた。
四人を監禁した後、稲見さんのセルシオと現金二万円弱、小堀さん宅にあったペアの腕時計などを奪っていたことが判明していたのだ。

後藤をはじめ、計六人が逮捕されたこの事件は、暴力団員が一般人四人を死傷させた事件として扱われたが、裁判が始まり、トラブルの全容などが明らかになると、複雑な人間模様が露呈することとなった。

(残り文字数:11,350文字)

事の発端

最初は些細なことだった。
後藤のもとで生活をしていたとある人物らが、後藤のもとを無断で去ったことから事件は始まる。
怒った後藤は、その人物らが身を寄せた関係者の車(シーマ、フェアレディZ)を強引に取り上げるなどの制裁を加えていたという。
しかし、取り上げたはずの車が、後藤の知らない間に元の所有者へ返還されていた。その手引きをしたのが、事件の被害者の一人、中村さんだった。
中村さんは当時後藤の運転手をしており、何らかの事情があってそのようなことをしたようだった。
後藤はすぐさま中村さんを呼びつけて、制裁を加えた上で問い質したものの中村さんからは関与を認める告白はなかった。
収まらない後藤は、平成十二年六月、覚せい剤仲間でもある吉澤に仲介を頼んで中村さんを呼び出し、その際も制裁を加えて詰問したところ、ようやく中村さんが白状した。そこで、先述の関係者を連れてくれば許してやることにしたが、中村さんはその後も一向に関係者を連れてくることはなかったという。
弁護士作成の後藤の上告趣意書によれば、中村さんは結構反抗的だったようで、後藤の追い込みにもなかなか屈せず、関係を認めた後ものらりくらりと追及をかわしていた。

業を煮やした後藤は、吉澤と協議のうえ、関係者を探し出すよりもここは金で解決させた方が早いと考え、中村さんに対し二〇〇万円の慰謝料(?)を要求することにする。
二〇〇万円の捻出には、かねてよりの知人であり、また、中村さんの友人でもある小堀さんに協力させ、金は吉澤と後藤で折半とした。
一方で吉澤は中村さんに対し、「自分が一〇〇万円を負担してやるから、ここは二〇〇万円で解決しろ」などと話したものの、中村さんは気のない返事にとどまり、かつ、関係者を連れてくることも、金を用意する素振りもなかった。
当初は丸く収めようと考えていた吉澤も、その中村さんの態度に次第に怒りがわいてきて、後藤との間でも中村さんに対する怒りが口をついて出るようになっていく。

小堀さんに対しても、吉澤は思うところがあった。
過去に、小堀さんが住んでいたマンションの部屋を自分が所属する組の事務所として使用したいため、明け渡してほしいと頼んだことがあった。
小堀さんも了承し、その時点で滞納していた家賃など四〇万円を組長が負担することで小堀さんは引っ越した。
しかし、小堀さんが次に移った双葉ハイムは、組が借りた部屋より立派だったため、吉澤は「組のメンツを潰された」と感じ、組長が捻出した四〇万円の返還を小堀さんに求めていたが小堀さんは拒否。そして連絡も断っていた。
さらに、組事務所として使用するはずのその部屋が契約の行き違いで借りられなくなったうえに、その組長が死去した際、世話になっていたはずの小堀さんが葬儀に顔も出さなかったことに腹を立てていた。

その話を聞いていたのが、当時後藤の側近だった小野寺である。小野寺自身も、後藤から経緯を聞いていたうえ、自分が管理するしのぎ用のアダルトビデオを小堀さんに無断で持ち出されていたことなどを思い出して一緒に腹を立てていた。

そして事件の起こる八月二〇日を迎えた。

阿鼻叫喚

知り合いの元暴力団組員宅に中村さんが出入りしていると知った後藤らは、その元組員に仲介を頼み、元組員宅へ中村さんと小堀さんを呼び出す。
小野寺、浦田、沢村、そしてもう一人の組員とともにそのマンションへ赴いた後藤は、室内にいる中村さんと小堀さんを見つけるや否や、恫喝を始める。
「この裏切り者、ヤクザなめんじゃねぇぞ!出すといった金はどうなった!お前はいつ払うんだ!」
そこへ、遅れてやってきた吉澤も加わり、小堀さんに対し、
「なんでてめぇは電話に出ねぇんだよ!世話になった人に線香の一本もあげられねぇんか」
などと激しくなじった。
後藤は拳銃を二人に突き付け、吉澤が木づちのようなもので数回二人の頭を殴るなどし、スタンガンも押し当て、数回放電するなどの暴行を加えた。
その後、「三回覚せい剤を打っても死ななかったら許してやる」などと言い、高濃度の覚せい剤を2度に渡って注射し、中村さんと小堀さんにも脅して自ら注射させた。
それでも二人は金を払うと言わなかったため、また、無関係である元組員に迷惑がかかると考えた後藤は、小堀さんのマンションへと移動することにした。

午後一〇時三〇分。
双葉ハイムに到着した際、小堀さんが「鍵を持っていない」と言い出した。
小堀さんからすれば、鍵がないと言えば家に入れないから、逃げる隙が出来ると考えたのかもしれないが、小堀さんに同棲している相手がいることを知っていた吉澤は、「女に持ってこさせろ」と言う。
仕方なく小堀さんが交際相手である小林さんを呼んだのだった。

しばらくしてやってきた小林さんと友人の稲見さんは、マンション前で異様な様子の集団を見て慄いていた。
後藤は、無理やり部屋に引き込んだ小林さんと稲見さんに対し、「これなんだかわかるよね、大きい声出したり逃げたりしないでね」拳銃を示して脅し、二人の両手を後ろ手にして針金で拘束した。
室内ではすでに覚せい剤を打たれて正気ではない男性らと、どこからどうみてもヤクザな男たちが五~六人控えている。この状況下で、二人の女性はただ怯えるしかなかった。

その後、再び覚せい剤を取り出して、四人にそれを注射しようとする後藤に対し、小林さんは「私は覚せい剤など使用した経験がない(から、やめてほしい)」と訴え、さらに、稲見さんについても「彼女には持病があるからそんなことしないで」と哀願したという。
そんな小林さんの痛切な願いは、後藤らには響かなかった。というのも、小林さんの同棲相手である小堀さんは、覚せい剤の経験があったからだ。
後藤らは高濃度の覚せい剤を四人に注射し、女性らの服を脱がすなどの暴行も加えた。
「よういどんで逃げてみろ。逃げたら撃ってやっから。俺は三〇メートル離れてても撃ち殺せんだ」
「バンジージャンプしてみるか。ベランダから飛んでみるか。」
後藤の恫喝は真剣みを帯び、覚せい剤を大量に打たれた男性らの意識ももうろうとする中、小林さんの様子がおかしくなる。
稲見さんはシャワーを浴びることが出来る状態だったものの、小林さんはぐったりとして動かなくなった。
小林さんが死亡したことを確認した後藤らは、小堀さん宅にあった石油ストーブ用の灯油を室内に撒き、さらには小堀さんらの体にも灯油をかけたうえ、室内に火を放って逃走した。
逃走する直前、すでに死亡している小林さん以外の人間の体をハサミで滅多刺しにし、小堀さんには左前胸部刺傷(全治三週間)、中村さんには前胸部、背部刺創および両側血気胸(全治二〇日間)、そして稲見さんには左外傷性血胸(全治二〇日間)と全治六か月の大やけどを左腕に負わせた。

偶然にも拘束が解けた中村さんが必死に火を消したことで、三人は一命をとりとめた。

大洗町の漂流遺体


後藤らは指名手配となり、その後逮捕された。
取り調べの中で、後藤、小野寺らは中村さんとのトラブルを動機として挙げたが、それにしてもここまでの事態に発展することへの疑問は拭えなかった。
中村さんとのトラブルは、先にも述べた通り簡単に言うと後藤の意に反することをやった、ただそれだけである。そこには金銭も絡んでいなければ、後藤がなにか不利益を被ったと言うようなこともない。
そもそも後藤も、中村さんに対してすぐさま追い込みをかけるというようなこともしておらず、殴る蹴るくらいはしただろうが複数回中村さんと直接話し合いも持っており、中村さんが後藤に対し怯えて逃げ隠れしているという風でもなかった。

それが、男女四人に覚せい剤を大量に打ち、殺傷して放火するという事態に発展するというのはどうにも理解に苦しむ展開だった。

しかし、供述や捜査でわかったことなどを踏まえると、この「些細なトラブル」こそが、後藤にとってなによりも許しがたかった、ということが分かってくる。

宇都宮で事件が起こる前に、大洗町沖の太平洋上に浮かんだ漂流遺体。
実はその遺体の男性も、後藤と小野寺に殺害された一人だったのだ。そして、その男性とのトラブル、殺害動機こそが、この宇都宮事件の突飛とも思える犯行を理解するうえで重要なものだった。

大洗町の漂流遺体は、その後の調べで茨城県常陸太田市新宿町の人材あっせん業、斎藤正二さん(当時三三歳)と判明していた。
斉藤さんは服役した過去があり、その時に後藤と知り合っている。後藤は、「斉藤とはそれほど親しい関係ではなかった」と話しているが、後藤が面倒をみていた人物(以下A)が逃走した際、その情報を得るために斉藤さんと連絡を取り合うようになった。

一方で斉藤さんは、別の暴力団組員に対しセルシオを売却した際、車検証をつけずに渡し、そのことでその組員とトラブルになっていた。斉藤さんは、自身が借金をしていたAに対し、「セルシオを売ったヤクザが金を払わない。鍵を渡すから引き揚げてそれを売って、借金に充当してほしい」旨告げた。
その話を信じたAは、言われた通り合いかぎを受け取り、組員のセルシオを勝手に売却してしまう。金を払っていた組員は怒り、当然斉藤さんの仕業だと思ったものの確証がなく、どうにもできないでいた。
しかしその直後、Aから事の真相を打ち明けられ激怒、七月二九日に斉藤さんを知人宅へ呼び出し、Aと同席の上激しく斉藤さんを追求したが、斎藤さんはシラを切りとおした。
そしてその際、自身の関係する組の幹部に仲裁を求めたが拒否され、困った斉藤さんが頼ったのが後藤だった。

後藤に対し、斎藤さんは「大勢にセルシオを盗んだと責められているので助けてほしい」と言った。その電話をAがひったくって後藤に真実を説明している間に、なんと斉藤さんは逃げた。
その頃後藤は、水戸市内の知人宅(先生宅?)でバーベキューの準備に励んでいたが、斎藤さんからのその電話が気になっていた。当初は相手にしないつもりだったが、このまま斉藤さんを突き放すのもかわいそうだと思いなおし、その準備を抜けて小野寺とともに斉藤さんを捜しに出た。
同日九時三〇分。斉藤さんから再度電話を受け、待ち合わせ場所で落ち合った後藤は、Aやトラブル相手の組員らと直接話し合おうと斉藤さんに持ちかけた。
しかし斉藤さんはそれより先にお世話になっている叔父貴(!)のところに行くと言い出したので、後藤らはそちらへ向かうことにした。
すると、叔父貴の家に近くなるにつれ、斎藤さんがそわそわしはじめ、「実は叔父貴のところにあるセルシオにマークⅡのナンバーがついてるんでヤバイんスよ」などと言い出し、トラブル相手の組員のところへ行くと言い出した。
仕方がないのでそちらへ車を走らせると、Aがトラブルの根源であり、自分には非がないということを道中しゃべっていた斎藤さんが、今度は「人の目があるからいけない」などと言い、さらにはAと会うのも渋る始末だった。
その間、後藤は斉藤さんのある噂を思い出していた。斉藤さんは暴力団関係者であるものの、その界隈では誰からも相手にされていない人間であり、嘘の多い人物であるというものだった。後藤自身も、斎藤さんのことを「人の悪口を言い、言わなくてもいいことをしゃべってしまうなどトラブルの多い人間」だとわかっていた。

さらに、後藤は自分と斉藤さんの間のことも思い出していた。
出所後間もない斉藤さんに頼まれ、後藤は無担保で二〇〇万円を貸していたのだ。当面は金にも困るだろうと、後藤なりに斉藤さんを案じてのことだったが、その返済も全くされていなかった。
そして、今回の車に関するトラブルも、実は斉藤さんが後藤に金を返せないがために起ったことだというのもわかっていた。

そこで後藤はもう斉藤さんにかかわっても無駄だと思いなおし、ほかに車があるならそれでも良いと告げると、斎藤さんは「病院にクラウンが置いてある」と言ったため、病院へ向かった。
するとそこでも斉藤さんは「実はマフラーが壊れている」と言ったり、さらにはAのフェアレディZを見かけたなどと言って後藤らに追いかけさせるなどした。
Aの車を追いかけている最中、当のAから電話を受けた後藤は、その電話でこのトラブルの張本人が斉藤さんであることを確信した。

その上で、最後に斉藤さんに対し、「Aと直接会って話し合えるか」と確認したが、斎藤さんはのらりくらりと態度を濁したままだった。

おそらく、後藤と小野寺の堪忍袋の緒が切れたのはここである。

同行した小野寺によれば、斎藤さんの態度は酷いものだったという。
業を煮やした二人が斉藤さんの体をガムテープなどで縛り上げている最中も、
「それでも斎藤は相変わらず危機感のない声で、いやあー勝手に持ってかれたんです、自分は悪くないじゃないですか、なんですかこれ、などと言っておりました。良次さんが斉藤に、俺を裏切っているだろう、正直に言えよ、などと言っていたのですが、斎藤は時折へらへらと笑顔を見せるなどしながら、なんなんですかこれは、やめてくださいよぉー、などと言っていた」
というのだ。
さらに、後藤が殺害をほのめかしてもなお、「勘弁してくださいよぉー」と緊張感のない声で言うばかりだったという。・・・シャブ食ってたんか??

結局、斎藤さんはスマキにされて那珂川にかかる橋の欄干に立たされても、命乞いや謝罪などしなかった。
そして、そのまま橋の上から突き落とされ、長いこと漂流する間魚に喰われながら、太平洋上まで出てしまったのだ。

ヤクザのメンツと別の顔


後藤が何よりもこだわったのは、ヤクザのメンツだった。
中学を出て以降、一貫して暴力団の業界に身を置いてきた後藤にとってそれが一番大切なものだったのだろう。
後藤は私よりも15歳以上年上だから、昭和を生きたヤクザともいえるだろう。今でこそ武闘派はバカにされるのかもしれないが、Vシネマどころじゃない時代をヤクザとして過ごしてきた後藤は、今のように一般人と見分けがつかないヤクザではなく、ある意味「分かりやすいヤクザ」だったのかもしれない。

先の水戸事件における斉藤さんとのトラブルを見ても、後の宇都宮事件の小堀さん、中村さんらの事件と同様、なんか中学生みたいなトラブルである。
しかしだからこそ、許せなかったのだろう。こんなくだらないことで、自分を巻き込んだにもかかわらず舐めたマネしやがって、と。

一方で、裁判資料を読んでいくとそこには暴力的で人間とは思えないような後藤の、思いがけない一面も見えてくる。

水戸事件でも、後藤は斉藤さんを殺害するその直前まで、斎藤さんを案じ、しようがないなと思いながらも自ら行動してトラブルを収めようとしている節がある。
小野寺はこうも言う。
「私は良次さんが斉藤のことを殺すにしろ殺さないにしろ、その前に本当のことを聞き出したいのならばもっと締めて言わせればいいのではないかとおもっておりました。しかし、良次さんは私にも締めろなどとは全く言わず、斎藤に対しても正直に言え、などと言うばかりで、私からすれば生ぬるい追及しかしておりませんでした。」

この点は弁護士が上告の際にしたためる趣意書にも詳しく書いてしまうほどで、あまりに頑張りすぎてこの件は被害者の斉藤さんが悪い!みたいなことになってしまっているくらいである(いやたぶん悪いんだけども)。

また、宇都宮事件についても、後藤のよくわからない一面が垣間見える。
当初、小堀さんらを監禁していたのは知り合いの元組員の家だった。しかし、「ここでは迷惑がかかるから」と、わざわざ場所を移している。
さらに、小堀さん宅に場所を移した後、偶然居合わせて監禁される羽目になってしまった女性陣に対し、逃げないよう一応拘束したものの、舎弟らが針金状のもので拘束したことを気にしていたという。
これは被害者の供述にもあるので真実だと思うが、女性らの手足に針金が食い込んでいるのを見た後藤は、「二人が痛そうにしているのを見て、それじゃあ痛いから、何か違うもので縛ってやれ」といい、針金の代わりになるようなものを探させている。
さらに、キッチンのフローリングに座らされている女性たちを見て、「下に何か敷いてないと痛いだろう、毛布か何かあるだろう、敷いてやれ」とも言った。
もちろん、そんな事を言いながら女性たちの服を脱がせるなどの行為もしており、だからなんだと言われればそれまでなのだが、その服の脱がせ方ひとつにも後藤は口を出す。
共犯の一人が小林さんの服を脱がすためにナイフで服を切っていたところ、後藤は「なにも服を切らなくてもいいじゃないか」と言い、さらに女性たちをレイプしようとした仲間の一人に対しては「てめぇ、みんなが見てるのに恥ずかしくないのか」と叱責した。

被害者である稲見さんもこう証言している。

「シャワーを浴びて来いと言われて仕方なくシャワーを浴びた後、脱衣所で体を拭いていると後藤が来て、そのまま裸で部屋へ戻れと言われたのでせめてもの抵抗に嫌です、と言うと、後藤はバスタオルを私に渡しました。」
「潤美ちゃんの服を切っている男に対しては、切らなくていいだろう、ちゃんと脱がしてやれ等と言っていました」
「裸でエアコンがかかった部屋にいたせいか、覚せい剤を打たれていたせいか寒くて仕方がなく、それを訴えると後藤は誰かに言って服を持ってこさせ、私の上半身にかけさせました。」

小野寺も、先に部屋を出る際、後藤が稲見さんに対して
「稲見さんごめんな、もうシャワー浴びて服着ていいよ」
などと言っていたと証言し、別の男も、なかなか風呂から出てこない稲見さんを心配して
「あの子大丈夫か、ちょっと見てこい」
と指示されたと話す。

しかし、そういった直後、小林さんが死亡していることに気付くやいなや、優しい言葉を書けたはずの稲見さんを含め、ハサミでめった刺しにして火の海に放置するのだ。この極端な言動はどういうことなのだろうか。私はそこが一番謎だった。

人間性のかけら

後藤が稲見さんらに見せた「気遣い」は果たして何だったのだろう。
それは、後藤の供述に答えがあった。
そもそも後藤は、放火して全員死なせるつもりはなかった。脅して痛めつけて、二度と逆らえないようにする、それが目的だった。その一環として、小堀さん宅にあった金目のものもついでにいただいていこう的な考えはあったにせよ、最初から全員ぶち殺したる、とは思ってなかったはずだ。

だから、稲見さんに「ごめんな、もういいよ」と言ったのだろう。

ではどこで歯車が変わったのか。
それは、小林さんの「予想外の死」であった。

後藤は覚せい剤を使用してきた。だから、その匙加減などはある程度把握していた。高濃度とはいえ、死なないであろう予測のもとに、四人に注射したのである。
裁判資料によれば、小林さんを除いた三人は過去に覚せい剤を使用した経験があったという。
さらに、小林さんも小堀さんと同棲しているという点で、覚せい剤の経験があると後藤は思い込んでいた。
実際、四人は同濃度の覚せい剤を、女性二人にはほぼ同量を注射して、稲見さんは自分でシャワーを浴びられるほどだったために油断していたのだという。だから、この次注射したら死んでしまうレベルにあったとはわからなかった。
後藤の予想に反し、小林さんの状態が急激におかしくなって、後藤は「パニックに陥った」という。
そしてその瞬間、スイッチが切りかわったのだろう。生かしておいても意味はないとして、全員殺害するしかないと方向性を変えたのだ。

後藤については残忍で恐ろしいという印象よりも、むしろ面倒見がよく自分に懐く、あるいは頼ってくる人間に対しては非常に親身になっていたという話が多い。
懲役に行った人間の家族に経済的援助をしたり、子供達をかわいがったり、映画「凶悪」でもそういった場面は描かれている。
それはひとえに、後藤自身が他人を信頼する性分であることが要因だろう。だからこそ、「裏切られた」時の反応は常軌を逸する。なんていうんだっけ、可愛さ余って憎さ一〇〇倍?
後藤が後に先生こと三上静男を告発するきっかけも、まさにこの「裏切り」であった。後藤が面倒をみていた清水という男のことを、後藤は三上にくれぐれもよろしくと頼んでいた。この清水という男は若干知的に問題があった可能性があり、独りで生活していくのは厳しい人間だったという。だからこそ、後藤はこの清水のことを気にかけていた。

しかし、安心しろと請け負った三上は、その約束を反故にする。それだけでなく、清水を自殺に追い込んだのだ。
この件から考えても、後藤は少なくとも自ら理由もなく他人に危害を加えるというタイプの人間ではない。

小林さんと稲見さんへの仕打ちは理解できるものではないとしても、少なくともほかの三人には、後藤には後藤なりの「おとしまえ」をつける必要があったのだ。

人生が”あおり運転”

暴力団の世界は一般人には理解しがたい。実家が組事務所でもない限り、その内情やその世界で生きる人々の感覚など絶対分からないだろう。

私は若いころ、子供にピアノを教えていたが、その教え子の一人が「組長の娘」であった。なんにも知らずに自宅マンションへ伺うと、組の教えを書いた額がドーンと出迎えてくれて私はのけぞったが、美人な奥さんと可愛い子供たち、お父さんもいかつくて夏でも長袖だったけど私には優しかった。

そう、何の害もない人間にはヤクザだって無害である。しかし、そこに利害が発生した途端、豹変するのがおそらくヤクザなのだろう。

後藤は先にも述べたとおり、むやみやたらに自己の私利私欲のためにだれかれ構わず殺害したのとはちょっと違う。
後に後藤によって引っ張り出された先生こと三上静男は私利私欲の塊だったろうが、それの片棒を担いだ後藤には、「大義名分」があった。
後藤から見れば、殺害された誰もが「殺害されるだけの理由があった」のだ。

那珂橋から突き落とされた斉藤さんは、一〇〇万歩譲っても後藤を舐めてかかっていたことは否めないし、そもそも後藤以外の人間に殺されてもおかしくなかった。
もっと言えば、後藤が関わっていたことで斉藤さんは他の人間に殺されずに済んでいた部分もあったと私は思う。

小堀さんと中村さんも、斎藤さんほどではないしても後藤を甘く見ていた。それが正しいとか正しくないとか、正義感とかそういうことは関係なくて、後藤を舐めてかかっていたのは間違いない。そして、全員が組員ではないにしても、ヤクザの世界とかかわりを持っていた。
「命までは取られないだろう」
そう思っていたとしたら、昭和のヤクザである後藤が激高しても仕方ないよな、とは思う。だってヤクザだよ?

ヤクザの人生は終始あおり運転そのものである。その道に足を踏み入れた時から、いやというほどVシネマを見せられ、自分自身を煽って煽って生きていくのだ。
乗っている車が何であれ、運転しているのはヤクザなのだ、それに舐めたマネをかましてくる奴は高速道路で止めてでも、後ろからダンプで追突してでも目に物言わせなければならない(たとえ話ですよ)のがヤクザの世界だ。だから一般の人々はそれらを無視し、道を譲り目を合わさず知らない顔でやり過ごさなければならない。何度も言うが、良いとか悪いとかそういう話ではないのだ。
しかし、煽られた側がさらに上を行くヤクザだった場合はどうだろう。
YouTubeに有名なあおり運転動画がある。軽バンが走行(めっちゃ安全運転)していると、すぐ後ろにいきり倒した軽四がぴったりと張りつく。そして、誰が見てもあおり運転が始まるわけだが、しばらく走ったところで軽バンから肩で風切るお兄さんが下りてきて、煽り倒していた後続の軽四の運転手がボコられるというある意味清々しい動画だ。

後藤の場合は煽られた側だ。擁護しているわけでもなんでもなく、普通に見てそう思う。斉藤さんは嘘をつき、何度も猶予があったにもかかわらず最期までそれを見誤った。
小堀さんと中村さんも、ヤクザに義理を欠くという信じられないことをやってしまった。同じヤクザでも殴ったり蹴ったり、金で解決とかしてくれるならまだよい。中にはそれで許してくれないヤクザもいるのだ。

被害者と言えたか

法律上というか、加害者被害者の区別を強いてつけるとすれば後藤は加害者だし、斎藤さん、小堀さん、中村さんは被害者だ。小林さんと稲見さんに至っては被害者以外のなにものでもない。

しかし、小林さんと稲見さんがなぜ巻き込まれたか、を考えたとき、見方は少し変わってくる。
後藤らに小堀さんが自宅へ連れていかれた際、鍵がないから入れないと伝えていたことは先にも述べたとおりだ。
だから、同棲相手の小林さんに持ってこさせることになった。これがなければ、小林さんも稲見さんも巻き込まれる可能性は非常に低くなったはずだ。
実は小堀さんは鍵を持っていた。にもかかわらず、持っていないと嘘を言い、ならば女に持ってこさせろと言われてそれに従った。拳銃を突き付けられ、覚せい剤を打たれている状況下に、自分の交際相手を呼ぶか普通。これがもし後藤だったら、絶対に女を呼ぶような真似はしていない、このカシオミニを賭けてもいい。

そして、小堀さんと中村さんはこの事件の後、自身も覚せい剤取締法違反で逮捕されている。容疑は、この事件が起こったその日、覚せい剤を所持していたというものだ。
裁判では、裁判長からこう諭された。
「あなたが覚せい剤を持っていたことが、小林さんの命を奪う原因になった可能性が高いことを忘れないように」
おそらく、小堀さん宅で使用された覚せい剤は小堀さんが所持していたものだったのだろう。実際、金目の物を探している最中に、黒い箱の中から覚せい剤を見つけたという供述もある。
もしも小堀さんが覚せい剤を持っていなければ、小林さんに覚せい剤が打たれることはなかったかもしれない。
小林さんは、あまりの苦しさに、恋人の小堀さんに「殺してくれ」と頼むほどだった。
もちろん、直接的な加害者は後藤だけれども、その前段階として小堀さんらが後藤に対して取ってきた行動は何度も言うけど良い悪いは別にしてありえない行動だった。だってヤクザだよ?
肩書としては小堀さんらは暴力団員ではなかったのだろう、しかし、一般人から見たらなんの変りもなかった。
小林さんと稲見さんにひとつだけ落ち度があったとするならば、付き合う相手を間違えた、それだけだろう。シャブ中はダメだぞ…

凶悪

ご存知の通り、後藤良次はこの水戸事件と宇都宮事件で死刑判決を下されたのち、自身が信頼していた男に裏切られたとしてまた激怒、今度は殺せないから雑誌記者に頼んで表に出ていない殺人を告白した。
そしてそれらは新潮45で「上申書殺人」として連載され、後藤の話が本当だったことが証明された。

これは映画化されたが、実際の後藤良次もおそらくこのまんまなんだろうなという印象だった。
一部異なる点はあるものの、宇都宮事件、水戸事件も作中で描かれている。
(おそらく斉藤さんはあんな感じだったんだろうなとは思う。)

先生こと三上静男はこの宇都宮事件、水戸事件の裁判で証人として供述もしている。そこでも何食わぬ顔で後藤の人となりを証言し、自身との関わりあいについて述べている。
この頃すでに三上の尻拭いをさせられていた後藤だったが、三上との関係についてこれ以上の話を後藤は一切していない。
それも、ただひたすら先生のことを信じていたからだろう。残してきた舎弟のことが気がかりだったからだろう。
そんな後藤の性格を三上は見抜いていた。しかし、最後の最後の詰めが甘かった。ヤクザは命を奪うことへのハードルが低い。だから利用してきた、うってつけだった。
ただ、ヤクザは自身の命へのハードルもまた低いということを、三上はよくわかっていなかった。さらに言えば、義理と筋を通すということを、この三上は軽んじていた。後藤にだけは、それをしてはいけなかった。

そしてそれは、宇都宮事件、水戸事件の被害者にも言える事だろう。

 

だって、ヤクザだよ?

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