【傍聴記】Community~愛媛・消防団員放火事件~

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください。なお、有料記事を無断で転載、公開、購入者以外に転送した場合の利用料は50万円~となります。
**********

 

その人は、私の過去のいろんな場面にいた。
学校、会社、家の近所……
いろんな、小さな集団の中に、その人はいつもいた。

彼らは、どうしてそこにこだわったのだろうか。

火をつけた男

愛媛県今治市。しまなみ海道の愛媛県側入り口として、美しい瀬戸内の島々と世界に誇る地場産業、造船を擁する街。
その、市内中心部から少し離れた場所の、半径1,6kmの範囲で連続不審火が起きた。

10月25日深夜から5日間に、資材置き場や廃車置き場、池ののり面の雑草や倉庫などから火が出、幸いけが人や死者は出なかったものの建物などが全焼した。
現場はいずれも火の気はなく、今治市消防本部と今治署は連続放火事件の可能性を視野に地元の消防団と連携して捜査と警戒にあたった。

犯人逮捕は早かった。
令和3年11月17日未明、今治署は今治市内の倉庫の壁に火をつけたとして、市内の20代の男を放火の疑いで逮捕した。実は逮捕されたきっかけは、先の連続不審火ではなく、11月17日午前2時過ぎに起きた倉庫が燃える火災だった。
火災発生を受け、現場に臨場していた捜査員が付近にいた男に話を聞いたところ火をつけたことを認めたという。しかも、男の家は火が出た倉庫の「隣」だった。

さらに驚くべきことに、男は今治市の消防団に所属している消防団員だったのだ。

連続不審火が起きた際、その消火活動にもあたっていたという男。
消防団員が放火するという事件に興味を持って、私は裁判を傍聴することにした。

放火魔の素顔

逮捕起訴されていたのは、今治市内の会社員・末永幸希(仮名/当時25歳)。法廷で見た彼は、どちらかというと小柄で、報道などで見ていた時は眼光鋭く怖そうな印象があったが、実際のその横顔は少し幼さを感じた。
事件前はトラックの運転手をしていた彼は、事情は不明だったが祖父母と暮らしており、その自宅は住宅と田畑が混在するような場所にあった。

地元の小中学校を卒業後は、県立の支援学校へ進学し、その後、農業関連、プレス加工の仕事などを経験。その後は大手エクステリアメーカーの子会社でトラックの運転手をしていた。
職場では残業や休日出勤なども厭わず、真面目な勤務態度がうかがえた。仕事以外でも祖父母の農業を手伝うだけでなく、近所の高齢世帯の田畑の手伝いなどをしたり、地域の清掃活動などにも積極的に参加しており、非常に真面目で人の助けになることを率先して行う若者、という印象だった。
元々、人助けに関心があり、その中でも市民の財産を守り人命を救う消防士には特段の敬意を持っていたという。

そんな彼が身近で憧れの眼差しで見つめていたのが、地元の青年らで構成される「消防団」である。

消防団は地域によってその構成される人々などに違いがあるかもしれないが、舞台となった愛媛県内ではだいたい、地元(実家)で就職した若者に先輩から「入らんか(入れ)」という話が来たり、父親が引退する代わりに息子が入るとか、とにかく地域や家族の結びつきで構成されている面がある。
特に田舎になればなるほど、初期消火に貢献するのは消防団ということもある。(実際に私の父親は密集した住宅火災現場に消防団として一番に入って消火活動をした経験がある)。
彼もまた、身近でそういった話を見聞きし、自分もいずれ、という気持ちがあったのだろう。正式な団員として地域に貢献したいと考え、令和3年4月、地元の消防団に入団した。

消防団

消防団での活動は彼にとって大変有意義なことだった。彼は過去に、町内で行われたどんど焼きをSNSに投稿しているが、その際、勘違いした知人からの「これも消防団の活動なんですね、お疲れ様です」というコメントに対し、わざわざ「自分ゎ消防団員ではないんですσ^-^;」と返している。このあたりからも、消防団へのあこがれがあったことがうかがえる。

仕事と農作業の日々。まだ20代、遊びたいこともあって当たり前だが、彼の日常は、特に農繁期ともなると早朝から夜中までなにかしらの農作業に従事することで過ぎて行っていた。
そんな中での、消防団というのは彼にとってあこがれ抜いた世界。普段は関わることのない人たち、先輩たちもいる。その一員でいられることは、何物にも代えがたい時間だったのだろう。
出動や訓練の際にはそろいの上着(半纏)をまとう。自分は消防団という組織に属しているのだという思いもひとしおだった。

これでまたひとつ、人助けができる。そういう気持ちもあったと思われるが、実際に消防団に入った彼は思わぬ体験をする。
消防団では実際に火災が起きれば現場へ急行するわけだが、それ以外の平時でも操法などの訓練、出初式などのイベント、そして定期的な会合などが開かれる。よそはどうかわからないが、大抵の会合は会合という名の飲み会でもある。

彼には、消防団として実際に現場に行って人を助けることよりも、この、団員での集まりが思いのほか、楽しかったというのだ。

焦燥からの暴走

令和4年から始まった裁判で、検察は放火の動機として
「消防団として活動したい、出動したいという思いから自ら放火して回った」と主張。初公判から傍聴していた私も、十中八九それが動機だろうと考えていた。消防団員が放火という漫画みたいな事件は幸いにも人的被害がなかったことでネットでは嘲笑の的となり、そして裁判が開かれる頃には忘れ去られていた。

ところが彼は、その犯行動機について否認。というか、消防団として活動したかったのはその通りだが、一番大切だったのは、火を消すことではなく消防団で集まりたかったことだと供述した。ちょっとびっくりしてしまったが、一方でいろんな点がつながった気もしていた。

被告人質問では、放火に至った経緯について質問がなされた。
弁護人からは、消火活動をしたかったわけでないのなら火をつけなくてもいいじゃないか、という問いがあった。要は、普通に団員同士で飲み会とかやったらいいじゃないかというもっともな問いかけだった。
しかし時期が悪かった。
令和3年というと、コロナがまだまだ猛威を振るっていた時期であり、多くのイベントのみならず、地域単位のちいさな集まりや会合も自粛を余儀なくされた。
消防団というある意味公的な活動を行う組織としても、彼が入団した年の夏以降、合同の訓練や会合は県からの通達のもと禁止となった。

田植えが終わり、真夏は農閑期となる。訓練や会合にも思う存分参加できると思っていた矢先の、禁止だった。
もうひとつ、彼は仕事上での悩みも抱えていた。トラックでの業務中に転落事故を起こし、右手を怪我していた。そのことで夏以降休職状態にあり、不眠の症状が出ていたという。
ストレス発散する場所もコロナ禍ではままならず、かといって自堕落に気ままに日々過ごすということも出来ず、悶々とした日々を送らざるを得なかった。

会合や訓練は禁止。しかし本当に火災が起きれば消防団として出動しないわけにはいかない。そうすれば嫌でも消防団で集まれる。……ならば火災を起こせばいいのでは?
いつの頃からか、彼の頭の中から危険な考えが消えなくなっていた。

松山地方裁判所は、懲役3年の実刑判決を言い渡した(即日控訴しているが、その後報道がないことから取り下げた可能性がある)。

自分

彼はSNSをやっていた。ただ投稿があるのは農繁期がほとんど。連日、トラクターや田植え機で作業をする様子をアップしていた。
遡ると、仕事をし始めた頃は外食の様子や遊びに行った際の様子もありはするが、やはりメインは農作業だった。
毎年毎年、一町五反の田んぼを管理し、さらには近所の高齢世帯の田畑、知り合いの田畑の代掻きや田植え、稲刈りを手伝う様子も挙げられているが、いくら機械がやるとは言ってもオペレーションは楽ではない。普段から自分が管理していない他人の田んぼだからか、スタックも頻繁に起きており、作業は連日ナイターになっていた。
そこで起きるのが、騒音トラブルである。
今でも農作業の機械の音がうるさいという苦情が入る、という話がSNSで話題になる。思いっきり他人事のSNSでは農作業は神であり正義であり、苦情を言う方がどうかしているという意見が大勢を占めるが、実際問題、田舎の農家育ちの私でも住宅が点在する場所での農作業は遅くても20時までだろうと思っている。特にほかに仕事があれば徹夜してでもやり終えてしまいたい気持ちはわかるが、それは山奥でやっていただくしかない。

彼のSNSでも、「通報されないか心配」とか実際に通報されたりという記載があった。
その際、

「奴らはサラリーマンなので
1時間だけと言ったのですが引き上げの一点張り」
「ナイターがダメなら早朝にやってやります」
「宅地造成にやられまくり」
「後から来たのに先駆者が負けるのですから」(SNSより引用)

というやり場のない思いを吐露している。

彼にとって、農作業は不満が溜まるストレスのもとであるのも間違いないが、ただそれ以上に、「自分」の力や価値を思う存分示せる分野でもあった。
SNSだけでなく、事件後の報道を見ても地域の農作業を自ら進んで手伝ってくれる、人助けを率先してするというのが彼に対する評価だった。
逮捕される前日の朝も、畑のあぜ道の草刈りをしていたという。

自分を評価してくれる人のためには一生懸命、意識が飛ぶまで農作業をやる一方で、それを認めない人々の存在に負けてしまう不甲斐ない自分。それも、彼のストレスになっていたのではないかと感じた。

思惑

彼に対しては、町内のほぼ全世帯から嘆願書が提出されたという。ただこれは、おそらく自治会に入っている人々のほぼ全世帯と思われ、それこそ彼がいう「後から来た人達」というのは自治会に入っていない可能性もある。
そして私はこの嘆願書の「真意」に気づいてしまって恐ろしくなった。

断言するが、彼を排除できない、受け入れざるを得ない事情がこの地域にはある。
まさしく、農作業である。
実際に田んぼを見てくれる若い世代がいないと田んぼは放棄地となり、一度そうなったらもう高齢世帯の力ではどうにもならない。結果、宅地として売り払われることにもなる。
しかも彼は率先して引き受けてくれ、そして文句を言わない。頼んでおいた精米の色が悪いと言えば黙って精米し直してきてくれる。

彼には帰って来てもらわないと、困るのだ。もっと言うと、彼を思ってというより、自分たちのことを考えてのことにも思えた。

彼は逮捕後に保釈されていたが、農繁期を迎えると例年通り農作業の様子をSNSにアップしていた。すでに初公判は終えており、裁判中のことである。
ただ、例年だと多くのコメント(といっても決まった2~3人のメンバーで多くて10件くらい)がつくのに、事件後でもありいいねはされてもコメントは少なかった。
ひとりだけ、明らか「しっかりせぇよ」と苦言を呈している人もいたが、その人への返信はなされていなかった。
彼にとって、農作業をして人から感謝される自分こそ本来の自分であり、ストレスから放火した自分は自分ではなかった。だからいつも通り、何ごともなかったかのように頑張る頼りにされる自分を見せたかったのか。
いくら人的被害がなかったとはいえ、放火は重罪である。被害者は厳罰を求めていたし、金銭的な賠償はおそらく難しかったと思われる。

裁判長「口で言うほど簡単でないぞ。裏切らないことができるか」

 被告「もしまたやったら本当の大ばかもの」

 裁判長「大ばかものだけじゃ済まない」

(連続放火した消防団員、語った別の動機 地元住民の嘆願書は意外にも より引用
朝日新聞社松山総局 中川壮記者)

もしまたやったら、じゃねえよ、すでに大ばかものだよと法廷でも思ったのだが、裁判長に「深く反省している」と話した彼は、その罪の重さを実感できてないような気もした。

一方、放火の直接的な動機だった消防団の人たちは彼をどう見ていたか。

community

実は彼は自分ちの犬小屋にも放火している。もしかするとその辺で逆に怪しまれたのかもしれないが、裁判では消防団員からの擁護的なものはなかった。
むしろ検察によれば、地域住民らが犯人逮捕を知って「まさか」と思ったのに対し、消防団員らの間では以前から「あいつがやった」と確信に近い感じの話が出ていたという。

おそらく、彼は消防団の中で異質だったのではないか。

田舎には集落単位、あるいはその中でも年代によってや祭りの関係などでおのずと集団が形成される。最近では孤独死を防ぐためのコミュニティをつくることも多いと聞くが、若い世代でもそれはある。
正直、面倒くさい以外のなにものでもないが、実家暮らしが当たり前、結婚しても同居か敷地内別居、祭りの際には帰ってくるみたいなところだと、そのコミュニティから外れることはまぁまぁきついことでもある。
母親同士のママ友とも違う、男性の独特なコミュニティが田舎には存在するのだ。
消防団もそのひとつだろう。
父親の引退に伴い入団するケースが多いことを見ても、そのつながりは固い。だれだれの息子であり、だれだれの後輩であるということはその後の立ち位置にも関係する。
彼の場合、消防団入団は果たせても、おそらくそういったつながりは希薄だったのでは、と推察する。もっと言うと、消防団入団を敬遠する人が普通の今、率先してはいりたがる彼は「変わった人」扱いだった可能性もある。
事情は分からないが祖父母と暮らし、高校は支援校だった。友人はいたようだが、そう多くはなさそうだった。彼は他人を手伝うが、彼を手伝う存在はあまり出てこない。

また、SNSからはなんというか、プロじゃないのにプロを気取っている感も見えた。経験の差とはいえ、私の実家の父親がやっていることに比べるとちょっとどうなん?的なこともある。夜間の農作業にしても「連日ひとりでそこまでせねばならない」時点でそもそもキャパオーバーだ。
先に述べたどんど焼きのエピソードも、消防団に入っているかのような、におわすことを言っていたのかもしれない。それをSNSで書かれたものだからあわてて団員ではないと書き添えたような印象もあった。

もちろん、コロナ禍でなければ頻繁な集まりもあったろうし、彼を理解し仲間と認める存在もあったと思う。そこは、不運だったなとは思う。
しかし一方で、たとえ誰からも相手にされなくてもずっとそこに属し続ける人もいる。
私の知るそういった小さな男性のコミュニティにおいても、「ところで数年前からいますけどあなたはいったい誰ですか?」という男性が必ずいるのだ。彼もそうだったような気がする。
話の輪に入るわけでもなく、でもずっとそこにいる。人々が移動すれば、黙ってあとをついていく。何か頼まれごと(パシリ)をすれば一目散に行動する。慰安旅行や飲み会にも参加はするが、話題に入ることはない。ていうか、誰もその人に興味を示さない。何かを手伝わされたり売りつけられたりすることはあっても、その人を周囲が助けることはないし、そもそも本人も助けを求めない。
絶対イヤな感じでしかないのに、来なくなることはない。

そういうひとにとって大事なのは、まさに彼が言うとおり、みんなで集まること、そしてその輪の中に自分がいること、その事実だけなのだ。

たとえ自分が透明人間のようであっても。

刑期を終えた彼を、実家周辺の人々は表面上温かく迎えてはくれるだろう。しかし彼にとって本当に必要なのは、助かる助かると褒めたたえるだけの人ではなく、「しっかりせぇよ」と叱ってくれる人であり、まずは自分の力量を知り、自分そのものを大切にすることのように思える。

**************

参考文献

愛媛新聞社 令和3年11月3日朝刊、11月18日朝刊
NHKニュース 令和3年11月17日

連続放火した消防団員、語った別の動機 地元住民の嘆願書は意外にも
朝日新聞社 きょうも傍聴席にいます より