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ある事件の加害者は、「殺すほどのことではないと思っていた」と話した。
別の事件の加害者も、部下にあたる別の加害者が被害者に怪我をさせた以上、始末するしかないと話しているのを聞いて、当初は「なにバカなことを言っているんだ、医者に連れてけねぇのか」と、まともな判断をしていた。
しかし結果として、被害者は殺害され、その遺体は無残な状態で発見された。
どれも、きっかけは些細な事だった。ある事件では「勝手にジュースを飲んだ」、またある事件では「店の規則に反した」、別の事件では「ムカついた」などの、およそ事件になりそうにもないような、日常のありふれた出来事がきっかけだった。
なぜ彼らは、止まれなかったのか。
4つのリンチ殺人の顛末前編。
熊本の連続リンチ殺人
その車が放置されていたのは平成6年9月の下旬ころからだった。場所は九州自動車道沿いの農道。高速道路からは30mほど離れていて、周囲には水田や空き地はあるものの、民家とはかなり距離がある農道だった。
近所の人が通りがかった際、異臭に気づいた。車の中に人影もなく、ドアはすべてロックされていた。しかし、いけない臭いが漂っていた。
通報で駆け付けた警察が車を調べたところ、トランクから成人男性とみられる遺体が発見された。遺体はスーツ姿だったが、頭部が白骨化するなど腐乱状態だった。
トランクの腐乱遺体
身元はすぐ割れた。9月初旬から行方不明になっている男性がいたのだ。警察は指紋から翌日には遺体がその男性であると断定。同時に車の所有者も調べたところ、右翼団体の男性(当時54歳)が所有する車だとわかった。
が、その男性によると車は右翼団体事務所前に停めていたところ、少なくとも8月2日から4日の間に盗まれたということで、実際に9月1日に盗難届も出されていた。
司法解剖の結果、遺体は頭部を激しく殴られたことによる脳内出血と断定。警察は殺人死体遺棄事件として捜査本部を設置した。
殺害されていたのは、熊本市の無職・古谷竜一さん(当時23歳)。古谷さんは熊本市内の右翼団体に所属していた過去があったことから、警察では当然車の所有者で、右翼団体所属の男性から話を聞いたが、6日、熊本県警は古谷さんの遺体を遺棄した疑いでなんと19歳の塗装工の少年と無職の17歳の少女を逮捕した。
古谷さんの交友関係を洗っていたところ、この2人が浮上したのだという。任意同行を求められたふたりは、遺体遺棄を認めた。
古谷さんとふたりは遊び仲間だったというが、供述から古谷さんに対する暴行には二人以外にもかかわっている人間が複数いることがわかった。
実際に致命傷は頭部の損傷だったが、古谷さんの体にはそれ以外にも多くの傷が残されていたという。
県警は複数人が長時間にわたって古谷さんに殴る蹴るの暴行を加えた可能性が高いとみて、残る関係者の捜索に全力を挙げていた。
そして11月7日、先に逮捕された少年少女を熊本地検に送検したと同時に、23歳と25歳の男二人の逮捕状を取った。
11月13日、熊本県警は古谷さん遺体遺棄容疑で住所不定無職の田上新二(当時23歳)と、同じく住所不定無職の加藤博幸(当時25歳)を新たに逮捕した。
ところが逮捕されたのが田上だと報道されると、警察に複数の情報が寄せられた。
「田上はほかにもやっている」
事件は田上が逮捕されたことでさらに斜め上の展開を見せる。
ビニールシートの白骨遺体
県警は寄せられた情報をもとに、16日田上を追及した。田上は観念したのか、取り調べに対しもう一つの事件について話し始めた。
田上は古谷さんより前に、女性を殺害していた。
熊本県警は田上の供述に基づき、吉原町にある田上の実家を捜索。すると、敷地内の小屋と塀の隙間に不自然にトタンが被せられた場所があった。
トタンをめくるとビニールシートがあり、そしてその下に、白骨遺体があった。
田上の供述によればその遺体は水俣市在住の21歳の女性で、8月10日に家族から捜索願が出されていた。
遺体は、水俣市のスナックホステス、伊藤清美さん(当時21歳)。
清美さんは独身で水俣市内で姉と暮らしていたというが、4月下旬から家を出ていたという。5月、福岡にいるから、という連絡が清美さんからあったのを最後に、行方が分からなくなっていた。
清美さんは死後半年以上とみられた。それを裏付けるかのように、田上は「5月ごろ殴ったら死んだので実家の敷地に捨てた」と話した。
この実家は当時田上の両親が新築中だったといい、仮住まいをしていた小屋のすぐ裏手の草むらに清美さんは放置されていた。道路に面した場所ではあったが、塀が2mほどあったことで通りがかった人らも異変に全く気付かなかったという。
清美さんの遺体はビニールシートで巻かれたうえ、その端をビニールテープで止められていたことから、臭いが漏れにくかったのかもしれない。
ただ警察はこの清美さんの殺害についても、田上単独の犯行とは見ていなかった。
清美さんは司法解剖の結果、顎や胸、腰など全身の骨が60か所も骨折しており、死因は外傷性ショック死とされていた。
警察は清美さんがスナックのホステスだったこと、そこに田上とその友人らが通っていたことを掴んだ。その中に、古谷さん死体遺棄で逮捕されていた加藤の名もあったことから、加藤も関わっている可能性を視野に捜査を続けた。
そして、古谷さんへの殺人容疑で田上、加藤、あの少年少女を再逮捕し、殺人と死体遺棄の疑いで新たに23歳の女も逮捕した。
また、清美さんの殺害に関しては田上と加藤を殺人の容疑で再逮捕、新たに熊本市薄場町の建設作業員の男も逮捕した。さらに、少年を含む6人を清美さんに対する暴行容疑で熊本地検に書類送検した。
「横着だったから」
古谷さん殺害の経緯は、平成6年9月2日未明、熊本市池田三丁目の駐車場に古谷さんを呼び出しその場で木刀や素手で暴行、その後加藤が当時借りていた横手4丁目のアパートに連行したうえ、そこでも暴行を加えたということだった。
5人と古谷さんは遊び友達だったというが、おそらくかねてより古谷さんの言動に不満を募らせていた節があった。古谷さんが第三者に勝手に仲間のポケベルの番号を教えたことも火種になっていた。
「横着だったから」
警察の取り調べに、そう答えたという5人だったが、直接の暴行のきっかけは「冷蔵庫の飲み物を勝手に飲んだから」だった。
アパートに監禁すること4日。その間、5人はかわるがわる、あるいは同時に古谷さんに暴行を重ねた。
そして、古谷さんは殺害された。
一方の清美さんについては何が原因だったのか。
資料が少なくその詳細は不明ながらも、当時の報道や判決文での裁判長の言葉などから、清美さんと田上、加藤を中心とした「遊び仲間」たちの関係性が見えてくる。
清美さんはスナックホステスだったが、中心となった田上、加藤と出会ったのは平成6年の4月28日のことで、店に客としてきたのが始まりだった。
ところがその際、些細な清美さんの言動に腹を立てた田上と加藤が、「生意気だ」として清美さんに暴力を振るったという。
その後、清美さんが暴行を警察に訴えると話したことを聞きつけたふたりは、5月初旬、加藤の自宅アパートに清美さんを拉致監禁、そこから約20日間にわたって暴虐の限りを尽くした。
しかもその際、逮捕された人物以外の複数の知人や遊び仲間を呼び込み、面白半分で清美さんへの暴行に加わらせていたという。
その中には未成年者や、女もいた。些細な言動がきっかけで、木刀や石などで全身を殴られた清美さんは、どれほどの恐怖、絶望だったろうか。
清美さんは20日に及ぶ地獄を味わい、全身の骨60か所を折られて殺害された。
田上、加藤は清美さんを殺害遺棄したわずか4か月後に、またもや同じことをやった。しかも今回は4日という短期間で殺害していて、もはやそこには人の命を何とも思っていない、人として欠格であると言わざるを得ないどうしようもなさがあった。
あの綾瀬のコンクリート詰め殺人を彷彿とさせる。あの家には、殴っても何してもいい女がいるんだって。そんな噂が、熊本の若者の間を駆け巡った。
しかしそれが、清美さんの事件発覚につながった。
社会的弱者へのいじめ
熊本地方裁判所は、田上と加藤ともう一人の建設作業員の男に対し、「たぐいまれな残虐な犯行。社会的弱者へのいじめも連想させる」として加藤と田上に求刑通りの無期懲役、もう一人の男に対しては懲役7年を言い渡した。
この、社会的弱者へのいじめという点については詳細は不明であるが、察するに清美さんもしくは古谷さん、あるいは両人ともに対する言葉であるわけで、特に清美さんは古谷さんとは違い、初対面に近い状況で事件に巻き込まれてしまっており、この言葉は清美さんに対するものではないかと推察する。
その上で、ここからは事件備忘録の妄想になるが、もしかすると清美さんはなんらかのハンディを持っていた可能性はないだろうか、と思うのだ。
ただのホステスであれば社会的弱者という表現にならない気がするし、女性であることもその表現にはそぐわない。
そんな清美さんだったから、いとも簡単に拉致もできたし、もっと言うと「捜す奴なんかいねぇだろ」的な計算もあったのではないか。
事件備忘録で公開している、鹿嶋市のリンチ殺人の被害者もそうだった。こんな女、家族も誰も捜さないだろうと加害者たちは思っていた。だからストレスのはけ口にしてもかまわない、殴りいたぶり、泣いて命乞いするのを面白がった。
そして、自分たちがやり過ぎたことに気づいたときにはもう、殺す以外の解決策を見いだせなくなっていた。
しかし、父親をはじめ家族は彼女を捜し続けていたのだ。
清美さんへの暴行は、完全にいじめだった。うっぷんを晴らすために、仲間から一目置かれたいがために、加藤も田上も清美さんの存在を別に隠そうともしていない。むしろ、仲間内とはいえ多くの人物に対して清美さんには何をしてもいいと嘯き、仲間たちも面白半分でその暴行に加担した。
まさに、もう一つの綾瀬の事件である。
加藤と田上は後に控訴したが、平成11年7月、福岡高裁は一審判決を支持し、控訴は棄却となった。その後の報道がないため、確定したと思われる。
大宰府のバイト仲間リンチ殺人
平成11年2月18日、福岡地方裁判所は被告人に対し、求刑通りの無期懲役を言い渡した。
照屋常信裁判長は、「犯行の常軌を逸した凶悪さや被告の果たした役割、遺族の処罰感情などを考えると、酌量減軽するのは相当ではない」とし、被告人を厳しく批難した。
被告人は二十歳。事件当時は19歳の少年だった。
裁判所は、それでも無期懲役を言い渡した。
便槽の遺体
発端は知人からの連絡だった。
当時福岡の私立大学に通っていた中富稔晴さん(当時23歳)が、出席を予定していた友人との集まりに顔を見せなかったこと、中富さんの乗用車も消えていたことを中富さんの友人らが不審に思ったのだ。
平成10年2月6日、午前中大学の授業に出席していた中富さんは、以降連絡が取れない状態になっていた。
友人らは広島県呉市の中富さんの実家の両親に連絡し、13日には両親が呉署に捜索願を出していた。
中富さんはすでに就職も内定しており、自らの意志で家出する理由がなかったのも両親に捜索願を出させた理由の一つだった。
両親らは友人からの連絡を受けるとすぐさま呉から福岡へ向かい、友人らの「中富君が人に会うと言っていた」という証言を頼りにその会う予定だった人物を2月16日の昼頃JR博多駅に呼び出した。
同時に、福岡県警にも情報は共有され、JR博多駅で県警がその人物を発見、職務質問しようとしたところ、その人物が理由もないのにナイフを携帯していたことから銃刀法違反で現行犯逮捕し、引き続き中富さんとの関係などを追及した。
その後、中富さんを殺害して遺棄したことをほのめかしたため、供述の場所を捜索したところ、変わり果てた姿の中富さんの遺体が発見された。
発見された場所は、公衆便所の便槽内だった。
仲良しのバイト仲間
中富さんを殺害遺棄した容疑で逮捕されたのは、長崎県出身で住所不定の元暴力団、小嶋啓志(当時25歳)。
しかし小嶋の供述から、もうひとり共犯がいることが判明。福岡県警は2月20日までに福岡市内の私立大学生の少年(当時19歳)も中富さんの殺害遺棄容疑で逮捕した。
少年と小嶋と中富さんはバイト先が同じという関係で、さらに少年と中富さんは同じ大学に在籍中だった。
バイト先では年齢としては小嶋が年長だったが、バイトの仲間としては中富さんが先輩格だったという。
バイト先は中洲の風俗店。中富さんは実家が裕福だったこともあっていつも身なりを整えていたといい、学生でありながら乗用車も所有していた。県警は発見された際、中富さんの財布などがなくなっていたことや、中富さんの部屋からもなくなっているものがあったことから、小嶋と少年が裕福な中富さんを殺して金目の物を奪ったという強盗殺人の可能性が強いとして引き続き、両者を追及していた。
ただ取り調べの中で、ふたりは中富さんと金銭トラブルがあったという話に加え、「約束を反故にされた」「裏切られた」という話もしていた。
その上で、「むかついたから」ということを軸に話していたという二人だったが、それが中富さんを殺害せねばならないほどの事情には到底思えず、動機の解明が待たれた。
3人は表向きは仲が良いと思われていたといい、接見した弁護士もその理由が今一つつかみきれないと当時の朝日新聞の取材に答えていた。
その上で、「もしも被害者を許せなかった事情があったのなら、話した方がよい」と話したという。
平成10年3月11日、福岡地検は少年を家裁に送致、小嶋を強盗殺人と逮捕監禁などの罪で福岡地裁に起訴した。
そして4月3日、福岡家裁は「刑事処分が相当」として、少年を福岡地方検察庁に逆送致した。
G-SHOckと少年の憂鬱
少年は山口県生まれ、3人兄弟の長男で地元の小、中、高校を卒業した後、太宰府市内の私立大学へ進学していた。
ただ、この大学に行きたくて入ったというわけでもなかったことから、勉学への意欲は当初からなく、入学早々ほとんど講義にもでないで遊び惚ける日々だった。
平成9年11月半ば、少年は遊興費目当てで中洲の風俗店でアルバイトを始めた。その同じ頃、小嶋もその風俗店でアルバイトをしており、元暴力団だった小嶋に憧れに似た感情を持った少年は、小嶋と親密になっていった。
被害者の中富さんも、同じ店のスタッフとしてアルバイトをしていて、年が近いこと、さらには中富さんと少年が同じ大学に在籍していたことから3人は遊び仲間としても付き合いを持つようになった。
が、小嶋としてはこの中富さんの存在は疎ましいものでもあった。
少年はもとから小嶋に対して敬意を持った接し方をしていたというが、アルバイト仲間としては中富さんは先輩にあたるため、二つ年上の小嶋に対して少年ほども敬意は感じられなかったようなのだ。
加えて、同じバイト仲間であるにもかかわらず、実家が裕福な中富さんが身に着けているものは小嶋や少年からすれば高級品だったという。
小嶋のみならず、その卑屈な感情は少年も抱いており、いつの頃からか小嶋が中富さんに良い印象を持っていないことを知ると少年もまた、その不満や嫉妬心のようなものを口にするようになっていた。
少年は大学には嫌気がさしていたものの、ネイルアートに興味を持っていたといい、ネイルアートの学校に通いたいと思うようになった。が、受講料が二十数万円かかることで、実家の親にも言い出せずなんとか自力でねん出できないかと悩んでいた。
一方の小嶋も、消費者金融の借金返済に苦しんでいた。ちなみに小嶋は覚せい剤も使用しており、その覚せい剤購入の未払い金もあったという。
そんな時、小嶋は知人からG-SHOCKが安く手に入るという情報を得る。この時代、模造品には甘い時代であり、ヤフーなどの大手オークションサイトなどでも完全な模造品がどうどうと取引される時代だった。
中国産のスーパーコピーの出来は悪くなく、素人目には見分けがつかないブランド品も多かった。
小嶋が得た情報も、偽物のG-SHOCKだとは裁判でも認定されていないが、おそらくその類のものの可能性が高い。小嶋は安く仕入れたG-SHOCKを転売することで利ザヤを稼ごうと考え、少年と中富さんにも一緒にやらないかと持ち掛けた。
少年も中富さんも乗り気だったが、仕入れるために100万ほど必要だった。少年も小嶋も消費者金融への借金があったために借りられず、ならばと中富さんにサラ金の100万円の融資枠を持ってもらった。
中富さんを良く思っていない小嶋は、中富さんには金だけ出させて出し抜いてやろうと考え、少年と共に計画を練ってはみたが、そもそもの仕入れの話がまとまらず、その計画自体は頓挫した。
ところが平成10年の1月、中富さんが小嶋にG-SHOCKの転売の話を蒸し返し、中富さんが用意した100万円で小嶋にG-SHOCKを仕入れるように依頼してきた。
が、中富さんは小嶋や少年とではなく、別の友人と共同でそれをやると話した。小嶋は不快感を隠せなかった。
元々は小嶋が得た情報である。それを、金を出すのは自分だからと言って情報だけを小嶋から得、儲けは別の友人と分けるというのか。
小嶋は裏切られたような、バカにされたような気持ちを抱く。
その話は当然、少年にも告げられる。少年が元からどう思ったかは別として、不快感を隠さない小嶋に同調するような対応をした。
小嶋と少年が中富さんに不快感を募らせたのには他にも要因があった。小嶋は自分が当時交際していた彼女のプレゼント費用を中富さんに借りていた。ダサい。
少年も少年で、当時の交際相手に件のネイルアートを学べるスクールの費用として30万円を借り、実際に平成10年の1月半ばにはそのスクールに入校していた。ただ、ステップアップのためにはもう20万程の追加の受講料が必要だと考えていた。
中富さんは小嶋との間で借金の返済期日を1月の末、と決めていたが、当然というか、小嶋はその金を用意できるアテもなかった。
この頃から、少なくとも小嶋の中には「裕福な中富さんの身ぐるみはいで、殺してしまおうか」、そういう物騒な考えが生まれるようになった。
しかし一人では心許なかった。
「やりますかね」
「あいつは裏切りもんだ。殺して埋めようか」
小嶋は顛末を話した上で、そう少年に持ちかけた。
もちろん当初はただの勢いからの言葉だと思っていた少年は笑って聞き流す程度だったが、1月中旬以降、小嶋から頻繁にその話をされることから、小嶋は本気なのか、と思うようになっていく。
その際、少年は「殺すまでしなくとも中富さんを騙して仕入れの金100万円を持ち逃げしたらどうか」と小嶋に提案するも、流石に中富さんも騙されないだろうということで一旦はその計画自体、断念した。
しかしその後もことあるごとにその話は蒸し返される。
「やっちゃおうか。お前にも金入るよ。埋めちゃえばわかんないよ。」
そう言われて、少年は初めて
「バレたらどうすんですか?」
と投げかけた。その答えは、
「海に捨てるか、山に捨てればわかんないよ。顔を潰しとけば死体が出ても分からないから大丈夫」
少年は小嶋が元暴力団であり、そういったことを見聞きしたのかもしれないし、ヤクザがそういうならそうなんだろう、という思いもあって逡巡し始める。
すかさず小嶋が、
「○○君(少年の名前)の家を貸してもらうしかない。途中まででもいいから手伝ってくれ、あとは俺がやるから」
とたたみかけた。そのくらいなら協力してもいい、そんなふうなことを少年は口にしたが、それでもこの時点では中富さんを殺害してまで、というこの計画には乗り切れなかった。
1月下旬、それまでも何度も「中富はムカつく。やっちゃおうか」と再三にわたって小嶋から吹き込まれていたものの、決断せずにいた少年だったが、2月3日、事態が変わる。
1月末に返済期限だった中富さんへの借金返済ができなかったことで、中富さんが小嶋の交際相手の女性にそれを伝えたのだ。
交際相手からそれを聞かされた小嶋は激怒。再度、少年にこの出来事を話した上で中富さん殺害への加担を執拗に迫った。
「一人じゃできん。山に埋めたらわかんないから」
何度も小嶋に言われるうち、自身も金に困っていることを考えるうち、少年は2月6日になって小嶋に対し、
「やりますかね」
と伝えた。
「楽に殺してください」
二人は6日のうちに犯行に必要な道具類の調達を行なった。
手錠、ガムテープを携えて小嶋の家にやってきた少年は、中富さんをどう呼び出し、どう拉致するのか、金目のものを奪う手段などを相談。
そして、小嶋が借りていた40万円を返すという名目で中富さんを呼び出すこと、不審に思われないよう少年宅へ入るまでは普段と変わらない接し方をすること、少年宅に着いたら、小嶋から彼女に告げ口した件について中富さんを問い詰める、それをきっかけにして、少年が中富さんを押さえつけて手錠をかける、中富さんの体をガムテープで縛り上げ、現金や金目のものを奪い、中富さんが持っているサラ金のカードで金を引き出し、さらには中富さんの自宅へ侵入して家にある金目のものも根こそぎ奪い、最後は殺して山に埋める、ということを申し合わせた。
2月6日午後9時前、呼び出された中富さんは少年の自宅へ車でやってきた。
当初の計画通り、怪しまれないために部屋に入るまでは3人でいつものように談笑し、中富さんは警戒することはなかったという。
しかし、予定通り交際相手へチクったことに話が及ぶと、雰囲気が一変。戸惑う中富さんをベッドに押し倒すと、手錠とガムテープで身動きが取れないよう、中富さんを拘束した。
中富さんは口も靴下やすりこぎ、そしてなぜか家にあった試験管で口に猿轡をされ、事態が予想以上に悪くなっているのを悟ったのか抵抗しなくなったという。
にもかかわらず、小嶋と少年は中富さんに対してコタツの脚や手拳などで血まみれになる程殴りつけた。
計画通り、所持金の他に中富さん所有のサラ金のカードで限度額いっぱいを引き出し、中富さんの自宅からも金目になるものを奪った。
その間、中富さんは逃げ出さないように浴室のドアを外側から紐などで縛られ、真冬の浴室にパンツ一枚で監禁されていた。
中富さんの私物を奪った後、小嶋と少年は風呂場の中富さんを縛った状態のまま上から袋や毛布を掛けて車のトランクに押し込めた。
そして中富さんはそこで42時間にわたって監禁され、連れまわされることになる。
2月8日午後11時ころ、車は太宰府市から福岡県粕屋郡宇美町の山中についた。そこは、国の特別史跡でもある大野城跡。
「顔、潰さなくていいんすか」
少年は小嶋に聞いた。水分しか与えられず、冬とはいえ車のトランクという狭いところに押し込められていた中富さんはすでにかなり衰弱していた。
小嶋は助けてくれと命乞いをする中富さんを無視し、手で首を絞めた。しかしなかなか中富さんは息絶える様子がなかった。
小嶋は中富さんを車外に出し、そこでもまた手や紐で首を絞めた。少年は中富さんの背に乗ってそれを幇助した。
「殺すなら、楽に殺してください」
中富さんは絞り出すように、そう懇願した。
しかし中富さんは全身全霊の力を振り絞って抵抗したため、そこでも殺害することができなかった小嶋と少年は、なにやら話し合った。
そして、そばにあった重さ20キロ以上ある鉄塊を持ち上げると、虫の息の中富さんの顔めがけて落とした。
「あの便所、鍵かかってないっす」
少年が小嶋に耳打ちしたのは、史跡内の公衆トイレの便槽のふたにカギがかかっていない、ということだった。
小嶋と少年は、中富さんの殺害を確実にするため、そして遺体を隠蔽するために中富さんの体を便槽の中に落とし込んだ。
ふたりはふたを閉めると、そのまま下山。中富さんの車はとりあえず少年の自宅近くの駐車場に入れた。
念のために少年はその車を一日に何度か出し入れするなどして、中富さんが生きているかのように偽装までしていた。
中富さんから奪ったのは、サラ金の限度額いっぱい(報道では48万円)と、現金5万円、中富さんのアクセサリーなど22万円相当。
少年はそれらを交際相手に預け、さらには口裏合わせも行った。
大丈夫なはずだった。しかし、中富さんの両親に呼び出されのこのこ出向き、しかもナイフを携帯するというバカにもほどがある小嶋の失態で、すべては白日の下にさらされることになった。
19歳の無期懲役囚
裁判では弁護側が小嶋に逆らえず、指示されるがままの犯行であり、従属的だったと主張した一方で、検察は共犯として小嶋とは対等の立場であり、また、未成年者であるということが逆に重大であるとして、無期懲役を求刑した。
福岡地方裁判所は、監禁時から小嶋がいないときにも少年が一人で激しい暴力を中富さんにふるっていたことや、中富さんから奪ったキャッシュカードをもって一人で金を引き出しに行っていることなどから、決して小嶋に指示されて動いていたとは言えないとし、法廷でも小嶋にすべてを押し付けるかのような弁解に終始していること、そもそもこの事件は少年の加担がなければ起こらなかったことなどから、少年の役割は重要で、犯行後の様態もよろしくないとして、少年であっても酌量の余地はないと求刑通りの無期懲役を言い渡した。
実は少年も覚せい剤も常用しており、事件後の2月16日にも自宅で覚せい剤を使用していた。
中富さんの実家は呉にある醤油醸造会社で、その跡取りとしての期待を背負っていた。本人もいずれは家業を継ぐことを考えていたのか、就職先は大手食品卸会社だったという。
その夢が、中富家の未来が無残にも砕かれた。
呉の両親は連絡を受け、いてもたってもいられずすぐに行動している。友人らにしても、無断で欠席しただけで実家の両親に連絡していることからも、中富さんが普段から実家や友人とのつながりがあり、約束を破ったり心配をかけるようなことをするような人物ではなかったことが窺われる。
一方の少年と小嶋はどうか。小嶋は元暴力団ということからも険しい時代を経験したのは分かるが、その生い立ちなどは分からない。
少年については、両親や兄弟がおり、少なくとも大学生になるまではその素行などに問題があったという記録はない。
ただ、本人は「行く気がなかった」という大学。もしかすると、親の考えが強かったのかもしれない。
同じ大学に居ながら、同じバイト先で2~3歳の年の差でほとんど同じのはずなのに、中富さんと自分との違いをどこかで感じてしまっていたのだろうか。
それは小嶋ももしかしたら同じだったのかもしれない。
監禁の最中、3人は夜が明けていくのをぼんやりと眺めながら、
「なんでこんなことになってしまったんだろう」
と話し合ったのだという。
たしかに最終的には金目当ての強盗殺人に他ならなかった。しかし、事の発端を見れば、およそ殺人に発展するような、そんなことではなかった。
借りていた金は40万円、返せない額ではなかったはず。小嶋は金のことよりも、中富さんに裏切られた思いが強かった。たとえ自分も当初は中富さんを出し抜こうとしていたとしても、それは棚の上だった。
少年にいたっては小嶋にそそのかされたというには、あまりにもやり過ぎていた。裁判所はその点について、人格として問題があると非難している。便槽に生きたまま落とし込むという残虐な方法を思いついたのも、少年だった。
トランクに入れられた中富さんは、それでも水分補給は許されていた。放っておけば、なにも首など絞めずとも顔をつぶさずとも、そのうち息絶えたであろうに、小嶋と少年は連れまわしている間は、むしろ死なないよう最低限のことをしていた節がある。
ならばなぜ、殺してしまったのか。しかも目を覆いたくなるほどの残酷な手段で。
昨日まで、同じバイト先で笑いあっていたはずなのに。世話になったこともあったろうに。
分離公判の小嶋にも無期懲役が求刑され、後に無期懲役の判決が言い渡されている。
中富さんの実家の老舗醤油醸造会社は、令和3年7月にその長い歴史に幕を閉じた。
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参考文献
西日本新聞社 平成6年11月4日夕刊、11月5日、8日朝刊
NHKニュース 平成6年11月4日
朝日新聞社 平成6年11月4日、17日、24日、平成11年2月18日西部夕刊、7日、平成10年2月19日、24日、3月11日西部朝刊
読売新聞社 平成6年11月6日、7日、18日、平成10年2月19日西部朝刊、24日、平成7年1月5日、平成11年3月29日西部夕刊
熊本日日新聞社 平成6年11月18日朝刊、
毎日新聞社 平成10年10月9日、平成10年2月20日、12月8日西部夕刊、平成10年2月19日、3月12日、4月4日、平成11年7月7日西部朝刊、平成10年12月8日中部夕刊
平成11年2月18日/福岡地方裁判所/第三刑事部/判決/平成10年(わ)310号/平成10年(わ)463号