🔓母の名は、女~山形・村山市6歳男児殺害死体遺棄事件~

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拘置所にて

「私、今でも夢を見るの。男の人と連れ子と4人で仲良く暮らしていて。でも、男の人の顔はないの。」

女は拘置先の刑務所で、面会に来た知人にこう話した。
家族で楽しく幸せに暮らすことが夢だった。自分に子供がいるから、相手にも子供がいればいいな、女はそう思ってまさにその通りの男と巡り会った。

しかし家族になろうとしたひと月後、女は月灯りに照らされながらスギ林の中で我が子の墓穴を掘っていた

加藤翔くん(当時6歳)。母親とその同棲相手の男から凄惨な暴行を受け、死亡。母親の手によって、鬱蒼としたスギ林に埋められた。
最初に発見された遺体は、わずかに髪の毛が残った頭部だった。

事件概要

平成15年9月18日、山形県警村山署の捜査員は茨城県土浦市にいた。
この町に、捜索願が出されている女性がどうやら潜伏しているという情報を得て、勤務先とみられる風俗店に踏み込んだ。
捜査員を見た女性は一瞬怯んだように見えたが、やがて観念したのか捜査員の聴取に応じた。
捜査員らは、女性にどうしても聞かなければならないことがあった。この女性の、6歳になる息子の行方である。
息子には、投薬が必要な先天性の腎臓病があった。その息子の行方が、わからなくなっていたのだ。

「子供はどうしたの?」
捜査員に対し、当初は友達に預けている、と話した女性だったが、嘘をついてはいけないと捜査員に諭されると、
「死んじゃいました、山の中に埋めた。」
と答えた。
山に埋めた、と聞いた捜査員が思わず、「なんで!」と聞き返すと、女性は大声でこう言い返し、その場に泣き崩れた。
「だって!死んじゃったんだもん!!」

この日、山形県警村山署は、秋田県由利町(現・由利本荘市)出身で風俗店従業員の加藤有美(当時25歳)を、保護責任者遺棄容疑で逮捕した。
有美はその年の6月上旬、長男の翔くんを山形県内の山中に置き去りにした容疑が持たれていた。
有美の供述には不確かな部分もあり、翔くんが死んだから遺棄したのか、それとも置き去りにしただけなのかもよくわかっていなかった。
有美の話によれば、衰弱した翔くんを離婚した前夫に託そうと決め秋田県内へ向かっていたが、その途中で翔くんを置き去りにした、と話す一方で、死亡したため山形県内の山林に埋めたとも話していたのだ。

9月19日以降、供述をもとに村山市本飯田にある通称「勝福山」の林道で警察犬も投入して捜索するも、手掛かりになるものさえ発見できなかった。
警察では、有美が前夫に翔くんを預けるつもりだったと言いながら、前夫とは2年間音信不通だったことや、翔くんを埋めたスコップを購入した場所や処分した場所を覚えていない点を不審に思い、慎重に捜査を進めていたところ、10月に入って供述が嘘だったことが判明。
実際には、当時住んでいた村山市内の交際男性のアパートで翔くんが死亡していたことが分かった。
その後、証拠隠滅を図るために有美が翔くんを山に埋めていたのだ。

有美は翔くんを日常的にせっかんしていたといい、その延長上で翔くんは死亡したとみられた。
有美自身も、警察に対し「発育の遅れに苛立ち、せっかんしていた」とも供述していた。
また、当時住んでいたアパートの主で、有美の交際相手だった男性も、「翔くんは友達のところにいると聞いていた」と話し、さらに、腎臓病のため水分を多くとる必要があったと聞いていたのに、有美がおねしょを嫌がって水分を与えていなかったため、その男性が食事や水分を与えていたと話した。

有美は「翔くんの口をふさいで殺害した」とも話していたことから、警察では傷害容疑での再逮捕も視野に入れ、いまだ発見に至らない翔くんを捜していた。

10月8日。逮捕から20日が過ぎたこの日、捜索していた場所から子供のものと思われる頭部が発見された。
遺体は林道から100mほど分け入ったところの地中1mに埋められていた。膝を両手で抱え込むようにし、赤いシャツに黒のズボンで、傍には防臭剤が置かれていたという。

有美と翔くんの様子を知る住民は、こう話していた。
「暴力などは見たことはないが、しつけは厳しかった。きつい調子で叱りつけることはあったし、翔くんがじっと有美さんの顔色を窺っている感じもありました。母子家庭だからと力んでしまったのでしょうか・・・」
しかし一方で、翔くんが通っていた保育園の関係者らは一様に驚きを隠せないでいた。
有美は翔くんの体を思い、塩分を控えめにしなければならない翔くんの食事のメニューを工夫し、翔くんが熱を出したというと飛んで迎えに来るような母親だったという。
勤め先にも翔くんをよく連れてきており、実家との関係も良好で、秋田県内の有美の実家には、翔くんのおもちゃが庭先にも置いてあった。

しかし有美は、秋田で暮らしていたころからせっかんを繰り返していたと供述。一貫して自分が虐待を加え、結果死なせて埋めたと話していた。

ところがこの10月8日になって、事態は急変した。
警察が任意で事情を聞いていた、有美の交際相手の男性が自殺を図ったのだ。幸い、命に別状はなかったが、男性は救急搬送された。
実は有美の供述から、男性の関与が疑われていたのだ。
有美は一貫して自分一人が行ったという趣旨の供述をしていたが、翔くんが死亡した後、1~2日経ってから遺棄したと話していた。
とすれば、その間翔くんの遺体はどこにあったのか?当時有美は村山市内の交際相手の男性が借りていたアパートで暮らしており、男性もその期間その部屋にいたことが分かっていた。
何も知らないと話していた男性の関与について調べ始めた矢先の自殺未遂。

結果から言うと、男はすべて知っていた。というより、この男こそが、翔くんを死亡させた張本人であった。

【有料部分 目次】

母子のそれまで
変わり果てた「かー」
我が子の墓穴
葛藤
男との約束
「なんで減らしたんですか!!」
「母として仇をとってやりたい」
初の懲役10年以上
昨日まで一緒に泥棒してたんでしょう?
最期の言葉

ここからは有料記事です

🔓護られたかった人~小牧市・同居女性殺害事件~

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平成18年8月17日

名古屋高裁でこの日、とある殺人事件の控訴審判決が言い渡された。
被告人は、原田芳文(仮名/当時39歳)。平成16年に小牧市内で同居していた女性を殺害、遺棄した疑いで逮捕起訴されていた。
半年前の28日に下された一審判決は、懲役12年。求刑が15年であったことからも、妥当な線に思えた。
しかし、この日名古屋高裁の前原捷一郎裁判長は、原判決を破棄、懲役10年を言い渡した。
さらに減刑となった理由は、殺人が起こるその過程に注目したうえで、一審判決はそれを十分に考慮していない、というものだった。

男が殺人を犯した理由は、なんだったのか。

事件概要

愛知県小牧市新町2丁目のとあるアパートの駐車場に停めてあったトラックの箱の中から、毛布にくるまれた遺体が発見された。
そのトラックは、思えば長いことそこに放置してあった。運転席や助手席には書類や新聞紙、ゴミなどが山積みの状態で、使用されている形跡もうかがえない。
トラックは愛知県内の食料品加工会社のもののようだったが、その会社はすでに倒産していた。一度、トラックの周辺で異臭騒ぎがあり、アパートを管理している会社が来て調べたことがあったが、その時は運転席をのぞき込んだりする程度で箱を開けてはいなかった。

夏の暑さが本格的になった平成16731日。不審に思った住民女性が、思い切ってそのトラックの観音を開けた。
もともと食品を運んでいたトラックだから、ニオイはした。
しかし箱の中には明らかにそぐわない、布団のような、毛布のようなものが見えた。そして、その布団から、人の手らしきものがはみ出ていたのだ。

通報を受けた小牧署員が確認したところ、そこには白骨化した遺体があった。その後の調べで、遺体は女性、年齢30歳から50歳くらいの成人で、身長約160センチ、髪は茶髪で肩くらいまで、と発表される。
服装は紺色のジーンズに、上半身は下着姿。足元には枕と靴があったという。

すぐさまこのトラックを使用している人物の特定がなされ、そのアパートに住む食品製造会社勤務の男性と判明。
名古屋ナンバーのそのトラックは保冷車で、平成16年の1月頃からそのスペースに停められていたという。
警察が男性に話を聞いたところ、確かにそのトラックを使っていたのはその男性だったが、給料未払いの代わりに会社が男性に譲渡したものだということがわかった。
男性は現在別の食品会社で働いており、通勤にそのトラックを使っていたものの、故障したため3月以降放置していたという。箱を開けたのは、昨年末が最後だった。

警察は当然、この実質の所有者の男性に話を聞くことになる。しかし男性は遺体に関して全く知らないと主張。警察は男性の部屋のほかに、トラックが止められていた場所に一番近い部屋も捜索していたが、そもそも遺体の状況もよくわからなかった。
司法解剖で死因は特定されておらず、遺体もほとんど白骨化しており、いまだ身元も不明だった。
遺体は箱の真ん中より後方にあったが、敷布団と掛布団、それに枕、靴まであった。
箱は外から簡単に開けることができるため、たとえば浮浪者などがこっそり入り込み、それを知らない所有者もしくは第三者が観音を閉めてしまった、そういう可能性もあった。
しかし、箱の中や観音の内側に出ようとした形跡がないことから、やはり女性は殺害されこの場所に遺棄されたと断定、84日には遺体の身元が近くに住んでいた35歳の女性であることも判明した。

女性の交友関係などから、女性が行方不明になった際に同居していた原田が浮上、警察が事情を聞いたところ、5月に女性を殺害してこのトラックの箱の中に遺棄したことを認めた。

しかし、同時に驚愕の事実が判明する。
女性には13歳の息子がおり、事件当時は原田と3人での生活だった。そして、警察がその息子にも事情を聞いたところ、なんと「遺体を運ぶのを手伝った」と話したのだ。

【有料部分 目次】
3人の38日間

母親の「癖」
息子の心
振り回される人々
原田の過去
「私霊感が強いの」
壮絶な母
守れなかった制服
本当は、護られたかった人

🔓病める女~愛知・藤岡町男児せっかん死事件②~

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もうひとり

三月一二日に開かれた亮子の初公判において、弁護側は起訴内容を一部否認。亮子が単独で行ったとする検察に対し、亮子の知人である女性の名前を示して、その女性に言われるがままに行ったものだと主張した。
それはむしろ、その知人女性こそが、この事件の「主犯」であるかのような主張だった。

【有料部分 目次】
親友

暴走か、洗脳か
訴因変更
作られた「行動障害」
共同正犯
病める人々

🔓通り魔になった男の悲しき弁当箱~イトーヨーカドー乳児刺殺事件~

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平成十七年二月四日正午

愛知県安城市。
嫌なニュースだった。近くのショッピングセンターで幼い子供が通り魔にあったというニュースを出がけに聞いたその主婦は、憂鬱な気分で歩いていた。
ふと、児童公園の入り口に、なにか置いてあるのが目に入った。青っぽい紫色のそれは、雨合羽のようだった。
手に取った主婦は、それに血がついているのを見て先ほどのニュースを思い出した。
「犯人は逃走中、白いキャップに紫色の上着……」
主婦はすぐさま110番通報した。

事件概要


「お客様が刺されました!犯人は一八〇センチくらいの男でまだ逃げています。一階におりてください」
イトーヨーカドー安城店は、とんでもない事態に陥っていた。
二階の洋服、寝具売り場の近くの通路で、ショッピングカートに乗っていた乳児が突然、男に刺されたのだ。
さらに、ちかくのちびっこ広場で遊んでいた女児も蹴られ、庇おうとした女性も殴る蹴るの暴行を加えられたのだ。

店内は悲鳴と怒号が飛び交い、刺された乳児を抱いた母親が泣き叫んでいた。
すぐさま救急車が到着、乳児は救急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。
亡くなったのは、青山翔馬くん(当時一一か月)で、蹴られた女児は姉の陽菜ちゃん(仮名/当時三歳)だった。陽菜ちゃんを庇って暴行された女性(当時二十四歳)は、たまたまそばにいた買い物客だった。

翔馬くんは、母親と陽菜ちゃんと三人でイトーヨーカドーを訪れており、通路ですれ違った男に突然、無言で頭部を果物ナイフのようなもので刺されたのだ。
救急隊が到着した際、翔馬くんの頭部にはナイフが刺さったままで、その先端は、下顎まで到達するほど深く差し込まれていた。

逃走した男は背の高い、やせ型というほかに、白い野球帽のような帽子をかぶり、上着は青紫のカッパ(ウィンドブレーカー?)のような服装だった。
付近の警察にもすぐさま情報は流され、署員らはパトカー以外の自家用車にも分乗して犯人を追っていた。
現場から南東に一キロほど離れた場所で、捜査員らは前方から一人の男が歩いてくるのに気づく。両手をポケットに入れ、頭には逃走犯と同じ白色のキャップ姿。
しかし、男が来ていた上着はカーキ色だったため、不審に思いながらもその場はやり過ごした。
その直後、無線で冒頭の主婦によって発見された上着の情報が流れ、逃走犯が上着を脱ぎ棄てている可能性があるとの情報がもたらされたことで、署員らは先ほどの男を追った。

男性警察官が男を呼び止め、この近くで事件があったこと、犯人と思われる男が逃げていることなどを説明したうえで、職務質問を始めた。
男は素直に質問に応じていたが、両手はポケットに突っこんだまま。警察官が「手を出して」というと、男は両手を出した。

その手は、血塗れだった。

緊張が高まる中、若い警察官らは冷静に、その手はどうしたのか、と確認すると、男は「自分で切った」と話した。
が、所持品検査を行おうとした際、取り囲んでいた警察官のひとりを蹴り、男は逃走を図ろうとした。
「犯人なのか!?」
警察官らの怒号に、取り押さえられた男は「はい、私がやりました」と答えた。

男の名は、氏家克直(当時三十四歳)。
愛知県内で窃盗を働いた罪で有罪となり、つい先月の一月二十七日まで豊橋刑務支所で服役していた。出所後、数日での犯行だった。

男のそれまで

氏家は福島県伊達郡桑折町の生まれ。両親と祖父、幼い妹との暮らしだったが、四~五歳の頃、一家は福島市内の借家へと居を移す。
新たに弟も生まれたが、一家の暮らしは楽ではなかったという。

そもそも、桑折町で暮らしていた時から、一家の暮らしは厳しかった。が、それにはなるべくしてなった、という理由があった。
氏家の父親は、農業を営んでいたというが非常に酒好きで、母親はギャンブル、主に競馬にのめりこんでいた。
田畑を所有していたが、それらも借金のカタに切り売りされたという。
田畑を失い農業を営めなくなった後は、モーテルの管理人などの職を得て生活していた両親だったが、暮らしは上向かず、父親は近隣の倉庫に忍び込んで米を盗んだこともあった。

そういったことが重なってなのか、桑折町を後にした一家は、心機一転、新聞配達をしながら生活の立て直しを図った。
借家の家賃は当時で二万円。県営住宅などの家賃と比べるとまだ高いので、そこまでド底辺とは言えないにしても、家は荒れていた。
当時のことを知る人によれば、「母親が家事をしない人のようだった。家は中のほうが外よりも汚く、風呂に入る習慣がないのか、家族はいつも臭かった。」という。
母親が新聞の集金にくると、その家の子供たちはあからさまに「くさーい・・・」とこぼしていた。

そんな家庭環境で育った氏家少年だったが、成績は悪くなかった。おとなしく、口数の少ない少年だったそうだが、小学校卒業の際の文集にみる彼の字はとてもきれいで、書いてある内容も、小学生生活への別れに対する寂しさ、そして、中学生になる意気込みなどをしっかりと書いており、非常に頭の良い子、という印象だ。
将来の夢は国会議員、とも書いており、将来に夢を抱き、可能性に満ちた氏家少年の姿がそこにはあった。

しかし、彼は二十年後、取り返しのつかない罪を犯してしまうなど、この時点では本人も周りも、誰も思ってはいなかった。

【有料部分 目次】
高校中退から前科持ちへ
殴られた証人
夢と現実と責任能力
保護観察の実情
解明は不可能か
悲しみと憤怒
大きすぎる代償

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🔓流浪の運命共同体~長野・山梨・静岡・男女殺害遺棄事件~

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無念の記者会見

「なぜ母が殺されなければならなかったのか。そしてなぜ、姉がそれに加担したと言われるのか、まったく理解できません。
ふたりは仲の良い母娘でした……」

黒磯市役所で記者会見に応じた男性は、悔し涙をにじませた。
傍らには、妻の姿もあったが、この二人は一歩間違えれば今頃生きていなかったかもしれなかったのである。
ふたりは生き延びたが、入れ替わりに行方不明になった男性の母と姉は、壮絶な人生を送る羽目になってしまった。

平成一五年二月二六日

この日、とある傷害事件で男が逮捕された。
男は昨年に静岡県伊東市内の貸別荘で、当時行動を共にしていた男性とその妻、そして一歳の子供に暴力を振るい怪我をさせたとして、静岡県警から指名手配となっていたのだ。
男の名は、上原聖鶴(当時三五歳)。

ところが調べを進めるうちに、
「長野県内で仲間らとともに二人殺している。遺体は甲府市内のアパートにある」
と供述したため事件は違う展開を見せ始める。
甲府市飯田のウィークリーマンションを捜索したところ、供述通り、室内から男女と思われる遺体を発見した。
上原の供述では、自分以外の仲間もここへ遺体を運んだ行為にかかわっているとしていて、警察は、上原と行動を共にしていた女と、若い男二人も死体遺棄の容疑で逮捕した。

当然警察では二人の殺害にもかかわっている可能性が高いとして調べを進めたところ、男二人は殺害にかかわっていないことが判明。警察は、三月にはいって、上原と女を二人に対する殺人の疑いで再逮捕した。
上原と一緒に逮捕されたのは、高須賀美緒(仮名/当時二七歳)。美緒は、昨年の六月から上原と行動を共にするようになったというが、上原には妻子があった。しかも、その妻子もずっと行動を共にしていたようなのだ。
わかっているだけでも、上原と妻子、美緒、若い男二人、この六人が逮捕当時共同生活を送っていたとみられた。
さらに、上原は美緒と生活を共にし始める前、美緒の弟夫婦とその子供と一緒に生活をしていた。
そして、弟家族と離れた直後、今度は美緒とその母親を呼び出し、まるで入れ替わるかのようにその母娘と生活し始めていたのだ。

では、亡くなった二人はいったい誰で、どんな関係の人間なのか。
遺体はそれぞれ男女一名ずつで、男性は二〇代、女性は五〇代~六〇代とみられた。
遺体の状況は、女性のほうが腐敗が進んでいたことから死亡時期が違うこともわかっていた。
その後の司法解剖の結果、男性は神奈川県厚木市の大学生、中里善蔵さん(当時二一歳)、女性は栃木県黒磯市(現・那須塩原市)在住の高須賀悦子さん(仮名/当時五三歳)と判明。

悦子さんは、美緒の母親だった。上原と美緒は、中里さんと悦子さんを殺害した容疑で再逮捕されたのだった。

発端

事件の始まりをたどっていくと、平成一三年に遡る。
当時、とび職関連の仕事をしていた美緒の弟・英治さん(仮名/当時一九~二〇歳)は、仕事関係で上原と知り合った。
五月ごろ、英治さんは上原からこう聞かされたという。
「俺とお前の名前が暴力団のリストに載ってる。俺が何とかしてやるから、一緒に逃げよう、お前も俺の言うことを聞け」

若い英治さんは、暴力団という言葉と、上原の入れ墨に恐怖を感じ、その言葉を信じてしまう。また、それ以前に上原から借金を申し込まれていた経緯などもあり、上原と行動を共にすることを決意した。
すでに妻子がある身だった英治さんは、驚く妻を説得して妻子とともに上原と合流、そこから一年もの間、車で各地を転々とする生活を余儀なくされていた。
生活は、主に貸別荘などを借りていたが、その費用は英治さんが消費者金融から借金をするなどして都合していたという。

逃亡生活は次第に英治さん一家にとって「何のために逃げているのか」わからないものへと変わっていく。
先に述べたとおり、金銭は英治さんに借金をさせ、足りなくなると英治さんの妻にも借りさせた。
食事は一日に一度となり、幼子を抱えた妻は自分の食事をわが子に与え、一〇キロ近く痩せていたという。
そこまでして英治さん一家を縛っていたのは、暴力団に追われているという嘘と、上原からの暴力だった。

上原は体重が一二〇キロ近くある巨漢で、英治さんは日ごろから暴力を振るわれていた。
ある時からそれは特殊警棒のようなものになり、時には妻にもその暴力は向けられたという。
さらに、英治さんの一歳の子供にも、上原は自分の子供に命令し、叩く、けるなどの暴力を振るわせていた。

また、英治さん一家は常に上原の妻に監視されていた。伊東市内の貸別荘では、窓のすべてに鍵がかけられ、外から粘着テープで目張りされて開けられないように細工されていた。
用事で家族に連絡を取る際も、常にだれかがそばにいて、余計なことを言わないよう見張られていたという。
英治さん夫婦に対しては、それぞれを別の部屋で過ごさせ、お互いに「相手は子供を愛してない」などと吹き込んで疑心暗鬼にさせていた。

平成一四年六月一五日、たまたま上原とともに外出していた英治さんは、今しかないと思い隙を見て逃走する。
妻子のことは気になったが、それでも助けを求めるには逃げるしかなかった。そしてこの判断は正しかった。
伊東市内から妻の実家がある栃木県黒磯市までヒッチハイクをしながら三日かけて英治さんは戻り、そのまま黒磯署に助けを求めた。
事情を知った妻の父と警察署員らとともに、英治さんの案内で伊東市内の貸別荘へ戻り、ようやく英治さんの妻子は救出されたのだった。
発見時の妻は、殴られたような痕が多数あり、全治三週間のけがを負わされていた。

妻子を奪還した英治さんは一八日、心配をかけた母親・悦子さんと姉・美緒にも連絡した。実は英治さん家族が上原と行動を共にし始めた直後、「お前の家族も危ない」と吹き込まれていたことから、黒磯市に暮らす悦子さんと美緒に連絡して、福島の親類宅へ身を寄せるよう伝えていたからだ。
しかし、一度は電話に出た美緒だったが、その日のうちに連絡が取れなくなってしまう。

そして、伊東の貸別荘からは、上原たちの姿も消えていた。

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