見苦しい人々〜守口・4歳児暴行死事件〜

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平成13年8月5日午後7時45分。
守口市の関西医科大学附属病院にて、小さな命が消えた。
救急搬送されてきたのは、4歳の男の子。目立った外傷は見当たらなかったが、その脳は腫れ、すでに機能を失った状態にあった。
それでも心臓は動きを止めず、男の子は搬送されてから2週間、必死に生きようと頑張っていたが、医師らの尽力も届かず男の子は死亡してしまった。

救命にあたった医師らは、その怪我自体は自分で転倒して頭部を強打したような場合でも起こり得るものとの認識はあったが、念のため警察へも通報していた。
警察が家族から聞き取ったところ、複数の家族が「自分で転んで頭を打った」という証言をしたため、男児は事故死と判断された。

発覚

平成16年3月、守口市内の住宅で、父親に怪我をさせたとして21歳の男が逮捕された。
逮捕されたのは無職の山内智弘(仮名/当時21歳)。智弘は同居していた父親(当時62歳)と口論になり、フライパンで殴りつけたという。
父親は腕を骨折。このままでは命が危ないと感じた父親がたまらず守口署へ被害届を出したことで智弘は逮捕となった。

ところが、その際に殴られた父親は別のことも話していた。

おそらく、家庭内での父と息子の行き過ぎた親子喧嘩、といった風にあしらわれそうになったのだろう。今ならそんなこともないだろうが、当時はDVなどの概念も広まっておらず、ましてや成人した男同士の取っ組み合いなど……という認識だったとしても仕方なかった。
慌てた父親は、いかに息子の暴力がひどいかを訴えた。
宥めながら聞いていた警察官の顔色が変わったのは、父親が3年前の話をし始めた時だった。

「あいつは3年前に俺の孫も殺してるんや!」

警察が慎重に話を聞き出していくと、この家に預けられていた当時4歳の男の子が頭を打って死んでいるという事実がわかった。
そして、父親の話によれば、男の子を死なせたのは息子の智弘だというのだ。

警察は当然、智弘からも話を聞いた。
その上で、事件当日智弘とともに自宅にいた智弘の弟からも証言を得られたことで、あの日から3年が経過した平成16年5月17日、智弘を殺人容疑で逮捕した。

平成13年に死亡していたのは、智弘の姉の息子である木寺拓実くん(当時4歳)。
拓実くんは頻繁に祖父(智弘から見れば父親)の家へ預けられていたといい、事件当時は祖父、智弘、智弘の弟、そして拓実くんの兄弟との合計7人で生活しているような状態だった。

智弘も当時18歳の未成年であり、智弘からみれば甥っ子である拓実くんをなぜ死なせた、いや、殺人容疑での逮捕だったことからも、殺意を抱くほどの出来事がこの家族の中に蠢いていたというのだろうか。
家族の間でも、拓実くんの死に智弘が関わっていることはわかっていたのだろうか。
父親がこう捲し立てた以上、他の家族も事情を知っていたのではないかと思うのが自然だが、ならばなぜ今の今まで、家族や拓実くんの両親らからなんの申し立てもなかったのか。

そこには驚くべき、家族の事情があった。

あの夜の真実

平成13年当時、警察に事情を聞かれた智弘らは、拓実くんが走り回っていた際に転倒し、床の敷居部分に頭部を強く打ちつけた、という話をしていた。
よく、虐待を隠すために子供の不注意であるかのように装う親がいるが、そんなものは医療関係者が見ればすぐわかる。
が、拓実くんの場合は、その子供の不注意でも起こり得るものだったという。

加えて、それ以外に虐待を思わせるような日常的、古い傷などが見当たらなかった。

拓実くんは、あの夜なぜ、叔父である智弘に死に至るような暴行を受けてしまったのか。

事件が起きたのは夜。当時、智弘が父、弟と暮らしていたその家は決して広い家ではなかったという。
その家に、姉が頻繁に子供達を預けにきていた。預けるというより、住んでいたと言ってもいいほどだったようだ。
当然、子供達だけに部屋を与えることもできず、就寝時はみんなで雑魚寝、というふうにせざるを得ない状況で、智弘の布団で子供らが寝ることもあった。

ただ、拓実くんには困った癖があった。おねしょである。

実はこれまでにも何度もおねしょをしていて、その被害を被っていたのが智弘だったという。
また、子供たちが遊んでいる際、智弘の私物を壊す、傷つけると言うこともあった。
7月21日の夜、いつものように四畳半間に二組の布団が敷かれていたが、そのうちの一つが智弘の布団だった。
しかもこの布団は買ったばかりのものだったというが、そこで拓実くんは寝ていたという。

午前2時、智弘が布団の上を歩いた際、足に嫌な感触があった。
掛け布団をはぐと、そこにはおねしょをした痕跡が残っていた。

「拓実」

寝ていた拓実くんを起こした智弘は、寝ぼけ眼の拓実くんを立たせると、その両足を持って引き倒した。
おねしょがバレたと察した拓実くんは、涙ながらに必死で智弘に謝罪したという。
しかし智弘の怒りが尋常でないことを察知し、咄嗟に四つん這いで智弘から逃げようとした拓実くんのその両足を智弘は掴むと、そのまま逆さ吊りにぶら下げるように持ち上げた。

そして、そのまま床に真っ逆さまに拓実くんの頭を叩きつけた。

四男の証言

「拓実はごめんなさいと謝っていた。それでも被告人は拓実の足を握ったまま、かなりの力で落とした。
自分は床続きの布団の上に座っていたが、振動が来た。
『やめいや』と言ってすぐに止めに入って、被告人の腕を掴んで拓実を落とさせないようにしたが、それでも被告人は拓実の足を持って上下させ、そのうち何回かは床に頭がついたと思う」

平成16年7月14日から始まった裁判で、こう証言したのは智弘の弟(当時16歳)だった。
智弘には兄、姉、そして弟が二人いたが、そのうち兄と姉は異母兄姉だったという。

智弘の育った家庭は複雑で、報道では、フライパンで殴って骨折させたのは「実父」となっていたが、判決文には「養父」と書かれているため、養子縁組をした間柄と思われる。
整理すると、兄と姉は智弘の養父の前妻の子供で、少なくとも智弘は母親が連れてこの養父と再婚したと思われ、その下にいる弟二人とは父親が違う可能性、つまり、智弘だけが血縁にない可能性もある。このあたりははっきりと示されていないので推測でしかないが、家族の中で智弘だけがなんというか浮いているようなそんな印象があるのだ。

「喧嘩ばかりしている家」
近所の人らも、事件後の取材に対しこの家のことをそう語っていた。

兄や姉とは10歳ほど歳も離れていて、仲が良いわけでもなかった。むしろ、姉についてはある種の恨みを抱いていた節がある。
その姉の子供たちが、我が物顔で狭い家の中で大騒ぎしていることを、智弘は苦々しい思いでいた。

一方、一緒に暮らしていた弟との関係も、仲が良いとは言えなかった。裁判で証言したのは、四男だった。

弟は必死で兄の暴力を止めようとしていた。が、止めに入る前の一撃ですでに拓実くんは負傷していたと思われ、その後智弘が暴行をやめた後、拓実くんは意識を失った。
救急車を呼んだ際、何があったのかを聞かれた弟だったが、本当のことを言えなかったという。
この時点で、真実を知っていたのは、智弘とこの弟だけ、のはずだった。

しかし、実はもう一人、事件の一部始終を目撃していた人がいたのだ。そして、事実を知った他の家族が、その後2年以上にわたる隠蔽を決めたのだった。

理解不能の保身

「僕見とったで。襖の隙間から、見とったんや」

拓実くんが死亡したのはあの夜から2週間後のことだったが、その間、智弘は真実を述べることもなく現実に向き合うこともしていなかった。
家族、特に拓実くんの母親らは一体何があったのか知りたいのが普通であり、それこそ本当に事故なのか、事故だとしても受け入れられない思いに駆られたって不思議ではない。

しかし弟の証言があったこともあって、拓実くんの死は事故で片付けられようとしていた。

2ヶ月後、冒頭のように切り出したのは、拓実くんの兄(10歳)だった。
兄は拓実くんの泣き叫ぶ声で目を覚まし、そっと襖を開けたという。そこで繰り広げられていたのは、弟の両足首を持って逆さ吊りにしてるおじさんの姿だった。
それを知らされた拓実くんの母親は、自身の父親(智弘の養父)に話をし、直後に親族を交えてそのことについての話し合いが行われた。

その席で、智弘は自分がやったと認めていた。その上で、今後真面目にやっていくことを誓ったのだという。
そして、その言葉を信じた家族、親戚一同が、「もう事故でカタがついているんやから…」ということで警察には言わないでおこうとなったというのだ信じられん。
1億歩譲って、当時未成年の智弘の父親(養父)や実母がそれをいうならまだわかる、しかしその場には、拓実くんの母親もいたのだ。
その拓実くんの母親も同意したというのか、我が子を殺害されたというのに。
その上で、智弘の父親が指示して隠蔽を決めたという。

しかし結果として、隠蔽を指示した張本人が、その数年後に自分の身に危険が迫ったとして警察にぶちまけたのだ。
幼い、自分で自分の身も守れない拓実くんの死を隠蔽しておきながら……

家族の中で

裁判で、智弘はなぜ拓実くんに暴力を振るったのかを聞かれ、拓実くん自身に対しては「おねしょを何度もして、買ったばかりの布団も汚された」ことと、それ以外にも大切にしていたギターをエアガンで撃って傷をつけられたことにも腹を立てていたと話した。

しかし、実際にそのギターはずっと手入れすらされずに放置されていたようなものだったといい、それに少々傷がついたからと言ってそこまで根に持つだろうか。
おねしょも、それまで何度もおねしょをしていたのだから布団を分けるとか、寝るときだけはおむつを履かせるとか、いくらでも対応はできたはずだった。
にもかかわらず、なんの対応もせずにおねしょをされて激怒するというのはどうにも腑に落ちなかった。

これらはおそらく、引き金に過ぎなかったのだろう。おねしょはともかく、ギターのことなどは取ってつけた言い訳にしか聞こえない。

本当の部分は、それ以外だったのではないか。

智弘の家庭環境が複雑なのは先にも述べたが、智弘は拓実くんの母親である姉を嫌っていた。
10年ほど前にはなるが、智弘の実母(姉からすれば義母)に熱湯をかけてやけどを負わせたということがあった。故意だったのか過失だったのかはわからないが、それを智弘はずっと心の中で許せなかったという。
その姉が、形的には実家にあたるからと言って我が物顔で自分の家に入り込み、子どもを3人も押し付けていくことを、そして自分の持ち物を汚されていくうちに、その心の闇はどんどん大きくなっていった。

しかも、拓実くんは姉によく似ていたという。

数で言えば大家族とも言えるこの家族の中で、智弘から見れば血のつながりのないいわば他人も多かった。その辺りは関係しないのだろうか。

智弘はその判決文の中でも抑制のきかない凶暴性な性格、とされているが、逮捕のきっかけとなった養父への暴力事件も、発端は養父の実母に対する些細な言いがかりだったという。
智弘にとって、実母だけが自分の家族だったのかもしれない。(ちなみに拓実くんの事件当時はこの実母は同居していない。)

しかし幼い拓実くんにはそんなことは関係ないし、恨みを買う謂れもない。

大阪地方裁判所の角田正紀裁判長は、4歳児のおねしょが落ち度にあたるはずもなく、動機は非常に短絡的で酌量の余地はないとし、智弘の粗暴癖は本人が相当の自覚をもって臨まなければ再犯の恐れも払しょくしがたいとした。

智弘は養父や親族に「真面目になるから」と誓ったことで、ある意味不問に付されたはずだった。にもかかわらず、その後も養父や弟らに暴力を働きつづけていた。

一方で、智弘のその粗暴な性格はそれまでの生育環境や養父、実母らの養育の仕方などに問題がなかったわけではなく、それらによって育まれた部分も否めないとし、拓実くんを死なせた経緯についても確定的な殺意は認められないとして傷害致死にとどまるとした。
また、当時18歳と智弘自身もまだ「子ども」であり、発覚が遅れたのも智弘が隠蔽したというよりは家族ぐるみでの保身によるものだったこともあり、その辺りは考慮の余地があるとされた。

ただ、その間、事件を目撃した四男、拓実くんの兄らは精神的にも非常に辛い思いをしたこと、四男にいたっては本当のことを知っていながら救急隊員に伝えられなかったことを悔い、裁判では両親から出廷するなと言われたにもかかわらず、拓実くんのため、兄である智弘のためにも出廷して証言しなければならないという強い決意のもとでの証言だったこと、かつ、拓実くんの実父の処罰感情が強いことにも触れた。

そして、智弘に対して懲役8年(求刑懲役13年)を言い渡した。

智弘の罪が重いことは当然として、この家族のいびつさにも言葉はおかしいが興味をそそられる。
子どもをある意味殺されたに等しい拓実くんの母親はなぜ、黙ってしまったのか。
またこの姉と智弘の実母との関係性もどうだったのか。
そして何より気に入らないのはこの智弘の養父の腰抜けっぷりである。自分が言い出した隠蔽を自分の身に危険が及ぶとすぐさまひっくり返したのには驚きを隠せない。2年以上、家族の誰もが、子どもさえも誰にも言わずに心に隠してきた秘密を、この養父が指示した秘密を、自らぶちまけたのだ。なにがしたかったのか。
(ちなみに息子を逮捕してくれ殺される!と言って何もかもぶちまけたはずなのに、裁判が始まるとこの養父は智弘に対し処罰を求めないとしている。意味が解らん。)

このような人間がぽんぽん子供を作りその養育の責任も果たさないというのも、生理的に受け付けない。

刑務所へ行った智弘は、自分自身の問題と向き合ったろうか。

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参考文献

読売新聞社 平成16年5月18日、6月8日、7月15日、平成17年2月5日大阪朝刊、東京朝刊
朝日新聞社 平成16年5月18日、平成17年2月5日大阪朝刊
毎日新聞社 平成16年5月18日大阪朝刊
中国新聞社 平成16年5月18日中国朝刊

平成17年2月4日/大阪地方裁判所/第一刑事部/判決/平成16年(わ)1784号