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刑務所にて
「裁判員の人には感謝している。普通の人の感覚で質問してくれた。」
平成21年11月。読売新聞は大分刑務所で服役中の男に取材をしていた。
男は、大分県内初の裁判員裁判で懲役14年の実刑判決を受けていた。
「検察官とか、プロの人は決まりきった、慣れた聞き方しかせんでしょう。」
男はこの事件より前にも前科と裁判の経験があるため、検察官らの取り調べや法廷での質問がどんなものなのか知っていたのだ。
男は、知人男性を殺害した罪を背負っていた。
小さな田舎町の、どこまでも果てしなく深く、濃いその事件とは。
事件概要
大分県宇佐市安心院(あじむ)町。日本最大のサファリパーク「九州自然動物公園アフリカンサファリ」を有するこの町で、平成21年5月28日早朝、
「住宅で男性が倒れている」
という110番通報が入った。
安心院町下毛のその住宅に宇佐署員が駆け付けたところ、そこの家の住人ではない男性が血まみれで倒れており、傍らではその家の子供らが立ちすくんでいた。
「おうちの人は?」
署員らの問いかけに子供たちは要領を得ない。その家には子供らの両親がいるというが、当時、土木作業員の父親(当時47歳)は長期の県外出張で家を空けており、事件が起こった時間帯は母親と子供たちが家にいた。
ではこの男性は誰なのか。そして、母親はどこへ行ったのか。
同じ日の昼頃、安心院町内の山中で、男とその家の母親が一緒にいるところを捜索中の警察官が発見、男が男性殺害を認めたことで救急逮捕となった。
逮捕されたのは、安心院町下毛の職業不詳・今戸勝利(当時45歳)。彼が連れまわしていたのは、事件のあった家に住む37歳の母親だった。
殺害されたのは、同じ安心院町下毛在住の枳梖(けんのき)康さん(当時24歳)。枳梖さんはその住宅の家主である土木作業員の男性とは、いとこ関係にあり、親せきとして普段から交流があったという。
人口約8,000人弱の小さな町に今戸も近所に暮らして居り、枳梖さんも同じ地区の伯父の家で暮らしていた。全員が顔見知りで近くに暮らすという、そんな密接な関係の中で起きた事件だった。
枳梖さんは事件前日の夜11時半ころに帰宅。同居する伯父と30分ほど雑談しているときに、携帯に電話がかかってきた。そして、伯父に「ちょっと出てくる」と言って出掛けたという。
その後、事件現場となった親せきである男性の住宅へ向かったと思われた。
二人を知る人々は事件の知らせを受けて、一様に信じられないと話していた。
というのも、ふたりは年の差こそあれ、毎日のように一緒にいて、二人が飲食を共にしているのを多くの人が知っていたからだ。
「なんでこんなことに。二人して飲み屋にいるところをよく見かけた。仲がいいと思うことはあっても、喧嘩しているところなど見たことがない」
枳梖さんの伯母も、わけがわからないといった風で涙ながらに語った。
しかし、二人の関係は周囲が思っているような関係では、なかった。
初の裁判員裁判
この事件は、事件の内容としては「よくある殺人」ではあったが、大分県内初の裁判員裁判として注目された。
8月に公判前整理手続きが行われ、検察、弁護側双方起訴事実には争いはなく、争点は「事件前の被告の行動と、情状面」となった。
平成21年10月14日の初公判では、被害者参加制度が適用されて枳梖さんの母親が出廷した。
車椅子の母親は、「目を閉じると血だらけの息子の姿が浮かんでくる。私にとって、息子は支えでした。息子をもとの姿で返して、絶対に許しません」と涙ながらに訴えた。
起訴事実はすでに双方認めており、裁判員らは被告と被害者のそれまでの関係や出来事などを聞いたうえで、量刑を決めることになっていた。
実は仲が良いと思われていたふたりは、被害者・枳梖さんからの一方的な「強制」で行動を共にしていたのだ。
裁判ではそのいきさつも明かされた。
今戸は窃盗や交際女性への強要などで前科がいくつもあった。この事件を起こした時も執行猶予中であり、また、この事件とは別の重機の窃盗容疑もかけられていた。
そんな中、今戸は現場となった住宅に暮らす女性に、いくらか金を貸していたという。
その返済は滞り、どちらが言い出したかは別としてその見返りに、女性と今戸は性的関係を持つようになっていた。
女性には先にも述べた通り土木作業員の夫がおり、4人の子供もいた。必然的にその関係は不倫となり、田舎の町でその関係を夫らが知るのに時間はかからなかったとみえる。
夫は、いとこの枳梖さんに相談し、今戸に対して女性に近づかないように忠告した。
と、ここまでならば至極当たり前の対応であり、あとは女性が今戸に金を返すか、もしくは不倫の代償として帳消しにするか、それで話は終わるはずだった。
しかし、枳梖さんは今戸に対し、監視するようになったという。
女性に近づかないよう言われたにもかかわらず、今戸は女性に接触しようとしていたといい、それを知るや否や8時間にわたって今戸に説教をした。
それ以来、仕事以外の時間は今戸に行動を共にするよう強要していたという。
町の人々が今戸と枳梖さんが仲が良かった、いつも一緒に飲み食いをしていたと言っていたのは、そういう事情があったわけだ。
しかも、飲食代金は今戸持ちだった。
今戸はどうやら女性に執着する性質だったようで、夫の知るところとなった後も、女性宅をうろついたりどうにかして女性に接触しようとしていた。そしてそのたびに、それを理由に「賠償金」と称して枳梖さんから金銭を要求されていた。
今戸は束縛される日常から逃れようとしたというが、子供のことを引き合いに出されて逃げることもできなかった。
平成21年3月、思い詰めた今戸は自殺を考えるようになるが、実行には至らなかった。
そして、事件当日を迎えた。
裁判員
私も松山と高知で2度、裁判員裁判を傍聴した。しかし、高知の裁判ではひとりの男性裁判員が質問をしただけで、松山での裁判員裁判では、裁判員らはひとことも言葉を発しなかった。
裁判員はとりあえずそこにいて、質問などはしないものなのかな、そんな風に思っていたが、この大分での裁判員裁判では、多くの質問が裁判員よりなされていた。
裁判員らは、今戸と枳梖さんのそれまでの関係に注目し、暴力行為の有無や、相談相手の有無などを次々に質問している。
また、争点は情状面がどこまで酌量されるか、というものだったが、殺意を持った時点についても突っ込んだ質問がなされた。
今戸は枳梖さんをナイフで殺害しているが、当初はナイフを持っていなかった。それを、わざわざ自宅へ取りに帰っていた。
捜査段階の今戸の供述では、殺意が生じた時点がどこなのか、はっきりしない部分があった。
家の電気が消えた時点、ということもあったし、家に刃物を取りに帰った時点では脅すつもりだった、という風にも話していた。
裁判員は、
「ナイフを取りに帰った時、(すでに)殺意はあったのか」
と質問。今戸は、
「取りに戻ったくらいだから、多分あったと思います、今となっては。」
と答えた。
初の裁判員裁判、ということが、裁判員らには良い方向に作用していた。検察も弁護側も、裁判員らに語り掛けるよう、それまでの裁判で見られたような、単に紙を読み上げるだけのものとは違い、できるだけ法律用語を言い換えながら訴えた。
検察は懲役16年を求刑、その理由を5つの項目に分けて説明、対する弁護側は、事件の背景には複雑な人間関係が存在していたこと、枳梖さんによる度が過ぎた要求があったことなどを指摘し、懲役10年が妥当と説明した。
3日間の審理を経て、平成21年10月16日、大分地方裁判所の宮本孝文裁判長と裁判員は、懲役16年の求刑に対し、懲役14年の判決を下した。
殺害方法が何度も刃物で刺す、という残酷で執拗な点で殺意があったことは明らかで悪質であり、遺族らの処罰感情が峻烈なことも当然としながら、一方で被害者による被告への金銭の要求や監視などは被害者側の「落ち度」と言える、とした。
被告の話を全て信用することは出来ないとしながらも、またその全てを否定することもできない、という、なんとも一般人らしい理由が述べられた。
検察側は減刑となりはしたものの、概ね評価するとし、弁護側も審理時間の短さや事務作業の多さなどに問題点はあるとしながらも、こちらも判決については被告側の事情も分かってもらえた、と評価した。
検察、弁護側双方が控訴せず、今戸は懲役14年が確定、その後行われた重機窃盗の罪で懲役1年が追加され、懲役15年が確定した。
濃く、深く
この事件の大きな特徴として、登場人物全員顔見知り、しかも親戚関係にある人々が含まれ、また、全員が近くに暮らす人間だったことが挙げられる。
非常に濃い人間関係があったからこそ、起こった事件と言えた。
たしかに、時系列的にだけ見ていくと、軽微とはいえなんども犯罪行為を繰り返す今戸には情状酌量の余地はないように思える。
執行猶予中だった今戸がこの事件の前に犯した事件は、当時交際していた女性に鎌(!)を突き付けて車で連れまわすという、非常に悪質で危険な事件だったし、今回の事件でも同じように女性を連れまわしている点など、反省してないと取られてもしかたなかった。
そもそも、いくら借金のカタとはいえ、夫のある女性と性的な関係を結ぶなどウシジマくんの世界でもベタ過ぎてあんまり出てこない。
もっと言えば、そんなことを思いつくような男を枳梖さんが見咎め、親戚関係でもある女性から遠ざけるために今戸を監視するといった行為に出たとしても、それがなぜ被害者の落ち度と言えるのか。
確かに、賠償金と称して金銭を要求していたのなら行き過ぎと思われるかもしれないが、そもそも今戸が女性に貸した金も大した額ではなかったと思われる(せいぜい10万程度)のと、やはり不倫の代償という枳梖さん側の考えが、そこまで落ち度と言えることなのか、疑問が残る。
実際は何が起きていたのか。
裁判では先にも述べたとおり、被害者参加制度を利用して枳梖さんの母の姿があった。自身の意見陳述も行い、おそらく母子家庭で母一人子一人であった(報道などから推測)のだろう、また、枳梖さんが当時親類宅で生活していたという経緯、母親が車椅子であることなどから、もしかしたら母親は入院していたのかもしれない。
息子は私の光だったと話す車椅子の母親の姿は、裁判員らの胸を打った。
しかし、裁判所と裁判員はそれでも枳梖さんの落ち度を認めた。
今戸があの夜、殺意を抱いたのは理由があった。
今戸はそれまでも、女性宅の周辺をうろついて女性と接触する機会をうかがっていた。
あの日の深夜、女性宅に枳梖さんが現れた。その家の家主の男性の「いとこ」なのだから、深夜であってもたとえ家主の男性が「長期不在」だったとしても、枳梖さんが家を訪れたとしても何ら不思議はない。
しかし、枳梖さんが家に入って1時間ほど経過すると、家の灯りが消えた。そして今戸が家の中をのぞくと、そこには眠る女性の隣で同じく横になっていた枳梖さんの姿があった。
しかも、下半身は裸だった。
これが何を意味するのか、みなまでは言う必要はなかろう。 今戸は女性と枳梖さんが男女の関係にあると思い込んだという。後の捜査において、当の女性は「そんな関係はない」と完全に否定しているが、まぁ、そう言うしかないと思う……
今戸はおそらく、この日より前から女性と枳梖さんの「関係」を疑っていたのではないか、そんな気もする。
自分には不貞を説教しておきながら、金まで巻き上げておきながら、自分も同じことをしているではないか。
ましてや、女性は枳梖さんの「いとこの妻」である。
実際の今戸の供述にもそれはあるし、殺害の直接の動機はこの夜の出来事であると認定されている。
もちろん、女性が枳梖さんとの関係を否定している以上、たとえ発泡酒の感が転がる暗闇で、女性の横に男性が下半身裸で寝ていたとしてもそれは今戸の「勝手な思い込み」なのだろう。
裁判で弁護人がこの事実を説明していると、傍聴していた枳梖さんの母親は
「そんなこと!今言わないでください!!」
と叫んだ。うん、聞きたくないよね……
今戸は枳梖さんを刺している最中、起き上がって座り込み、「わかったから」という風に手で制してきた枳梖さんを見て、ハッと我に返った。
そして、女性を連れて熊本県内まで一度は逃げた。
その道中、実家の父親に電話を入れ事件を起こしたことを告白、宇佐市内へ戻ったところを逮捕された。
私も似たような田舎で育ったからわかるが、このような非常に濃い人間関係の中で起こる信じられない関係は、珍しいことではない。
圧倒的に人口が少なく、必然的に男女の対象になる人数も限らてくる。そういったコミュニティにおいて、都会の人よりも実は倫理観のハードルは低い。
この狭い独特の世界から抜け出せばいいのかもしれないが、そういった狭く濃く深いコミュニティには、一方で独特の居心地の良さもあるのかもしれない。
幼い頃からの序列、中学時代の先輩後輩、そういったものはそのコミュニティに属している限り、生涯有効である。小さなコミュニティで一目置かれる存在の人というのは、実は一歩外に出ると全く通用しない人が99%であるのだが。
だからこそ、その序列や居心地のよさを手放せない人が集まって、脈々とそのコミュニティは受け継がれていく。男と女のそれは、より、深く、濃く。
今戸は熊本まで逃げたにもかかわらず、安心院に戻った心境を、
「熊本じゃ言葉が違うから」
と話した。
今戸も、安心院以外では生きてくことすらおそらく難しかった。方言が違う、そんな些細なことが今戸には耐えがたいことだった。
懲役に入った今戸は、枳梖さんの母親に謝罪の手紙を書こうとして、何度も何度も書き始めたという。
しかしいずれも、書き終えることができずにいた。
「なんて書いていいか、わからんくて……」
薄っぺらい上辺だけの言葉と受け止められるのが怖いのか、それとも、謝罪の気持ちを持ち合わせていないのか。
いずれ出所したら、安心院のまちに帰るのだろうか。
判決確定後、民事で今戸には3,200万円の賠償命令が出ている。刑事事件では枳梖さんにも落ち度があった、と認定されたが、民事では落ち度はなかったとされた。
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参考文献
判決文
読売新聞社 平成21年5月28日、10月14日、15日西部夕刊、16日、11月5日、12月19日、平成22年2月2日西部朝刊
毎日新聞社 平成21年5月28日、10月14日、15日夕刊
朝日新聞社 平成21年5月28日、6月19日、10月12日、15日、17日西部地方版/大分
西日本新聞社 平成21年11月5日