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汚名
「娘さんのことで話がありますので連絡をください」
父の会社に藤沢北署から連絡がきたのは、14日の午後3時ころだった。
外に出ていた父親は、そのメモを見て胸騒ぎをおさえつつ急いで電話を掛けた。そして、最愛の娘が死亡したことを知った。
母親が娘の死を知ったのはさらに後になる。携帯電話が普及していなかった時代、社員旅行で夕方藤沢に戻った母は、駅に迎えに来ると言っていたはずの娘と連絡が取れず、結局一人で家に帰った。しかし家には誰もおらず、どうしたのかと思っていたところへ、娘の死が知らされたのだ。
警察から知らされたことは、美穂さんのアパートから火が出たこと、男性と一緒だったこと、男性は助かったこと、そして、どうやら美穂さんが主導して心中しようとしたようだということだった。
両親は全く理解できなかった。娘は男と別れたがっており、昨夜ようやくそのケジメがついたのではなかったのか、しかもそれは、両親同席の場でのことだったはず。
自身の人生を取り戻せたとあんなに喜んでいた娘が、なぜこともあろうかその別れたがっていた男と心中などするのか。
両親だけでなく、二人の関係を見てきた美穂さんの友人や同僚らも、ことの顛末を信じることは出来なかった。そもそも、警察が発表した事件の概要は、生き残った佐々木が語ったことを鵜呑みにしたものではないのか。
しかし、新聞などは一斉に、美穂さんが心中を持ちかけたといった論調で報道した。そのため、美穂さんは命を落としただけでなく、他の人間が暮らすアパートに放火した加害者といったイメージまで植え付けられてしまった。
事実、美穂さんの両親はその後、アパートの大家から損害賠償請求を起こされている。
佐々木はケガと火傷で入院したものの、美穂さんの告別式よりも前にさっさと退院していた。両親らは警察に呼ばれて事情を聞かれたが、佐々木を逮捕したという話は全く出てこなかった。
納得などこれっぽっちも出来ないのに、時間だけが過ぎていった。
男の供述
事件が起きてから、美穂さんの母親は取り調べや報道などで得た情報などをすべてノートに書き留めてきた。
少しでも新事実が分かればという思いで、辛いこともききたくないような話もすべて書き留めた。
しかし、事件は杳として進まなかった。
佐々木が取り調べで語ったのは、12月13日の朝、何があったのかということだった。
佐々木の供述によれば、当日、朝8時ころに前夜から宿泊していた母親が出勤のためにアパートを出るのを布団の中から見送り、普段なら自分も8時15分には家を出るのだが、その日は9時半から歯医者の予約をしていたため出勤しなかった。
しかし歯医者に行く気にもならなかったのか、家を出たのは午前10時を過ぎたころだったという。そして、車で出勤したものの、やはり仕事に行く気になれず、ガソリンスタンドで給油だけ済ませて再びアパートへ引き返した。
時間は午前10時40~45分頃だったという。
アパートに戻ったものの、やはり仕事に行こうと思いなおして家を出たところ、前方から美穂さんの母親の赤い車が来たため、すれ違いざまに停車すると、美穂さんがアパートを指さして「ついてきて」と言った仕草をした。そこでUターンして二人でアパートへと戻った。
美穂さんは当初洋服などを持ち帰るために持参したビニール袋に洋服を詰めるなどしていて、佐々木は台所の椅子に座ってその様子を眺めていた。
すると、美穂さんが佐々木の膝に甘えるような感じですり寄り、「今日は下着付けてないんだ」と突然言い出したという。
佐々木は「じゃあ最後にエッチしようか」といい、自然に二人は性行為に及んだというのだ。
その後、「こんなんじゃ別れた気がしないね」などと話し、佐々木が「明日から仕事に行けるかなぁ」と弱音を吐いたところ、美穂さんは、「そんな慶ちゃん見たくない。なら、二人で死のう」と提案してきた。
半信半疑ながら、その提案を受け入れた佐々木が見ている前で、美穂さんはポリタンクに半分ほど残っていた灯油を、布団の上に振りまき始めたという。
そして、佐々木が呆然とする中、小走りに台所へ走り、包丁を持ってきた美穂さんは、布団の上で火を放つ。
さらに、持ってきた包丁で自らの喉を二度突き、そのまま布団にあおむけに倒れた。
佐々木はそこで初めて、美穂さんが本気だったのだと思い、ならば自分も死ななければと、包丁で手首を切った。
そして、火が燃え盛ろうとする中、布団に横たわる美穂さんに覆いかぶさるようにして死のうとしたが、あまりの熱さに我に返り、外へ飛び出して助けを求めた、これが佐々木の証言であった。
実際に、美穂さんの遺体からは死の直前に性行為があったことを示す証拠も出ていた。また、美穂さんの頸動脈は切れてたが、その後煤を吸引したことが認められたため、死因はあくまで「焼死」とされていた。
首の傷についても、自分でつけることのできない刺し傷とも言い切れず、美穂さんが自分で刺したと考える余地がないわけでもなかった。
これについては、過去に美穂さんの体に残されていた「傷痕」も影響した。
佐々木は、自分が自傷行為を強要したのではなく、美穂さんが自らの誠意を示すためにそのようなことをするクセがあったのだとも話していたのだ。
解剖結果も、「自他殺不詳」の焼死とされた。
事件から1年経った平成7年3月、神奈川県警は殺人と現住建造物放火の容疑で佐々木を書類送検したものの、平成10年6月、横浜地検は佐々木を嫌疑不十分で不起訴とした。
あくまで、心中を持ちかけたのは美穂さんであるとする佐々木の証言と、美穂さんの死因が「焼死」とされたこと、そしてなにより、火災で重要な証拠が焼損していることで佐々木が美穂さんを殺意を持って殺害したとするには足りなかった。
事件は佐々木が不起訴になったことで終わった、かに思えた。
しかし、絶対に美穂さんが自殺などするはずがないと確信していた両親は、不起訴処分が下される前の平成8年12月、佐々木に対して損害賠償を求める民事裁判を起こしていた。それは、時効の2日前の提訴だった。
民事裁判での「殺人認定」
両親らが起こした民事裁判は、同時に事件現場となったアパートの大家からの損害賠償請求と併せて審理された。
その中で、両親らの知らなかった事実もいろいろと浮かび上がってきた。友人や同僚らの証言も、この民事裁判の中で得られたものである。
実は事件後の捜査で、警察が両親に話を聞きに来たのは事件から2か月も経った頃のこと。その際も、立件するのは難しいと聞かされていたという。
それでもあきらめきれなかった両親は、火災後に美穂さんが借りていたアパートの住民や近隣住民に聞き取りなどを行っていたが、それが大家の逆鱗に触れてしまった。
大家としては、どんな事情であれ借りていたのは美穂さんであり、佐々木が逮捕されていない以上は美穂さんに責任を問うしかなく、連帯保証人である美穂さんの父親から相応の慰謝があって然るべき、と思っていた。
しかし、両親らは何よりも娘の潔白を証明したい一心だったため、大家にとって納得のいく慰謝などがその時点ではなされていなかった。
また、美穂さんはアパート契約時にはそれまで勤務していた旅行関係の会社を退職していたのに、それを偽りあたかも現在勤務しているかのように装っていたという。
そしてなにより、佐々木が同居することを大家は許可しておらず、そういった点でも大家からすれば美穂さんに貸してさえいなければ、こんな事件に巻き込まれずに済んだという思いが強かった。
神戸在住の大家は、持病を持つ身でありながら事件後の処理やアパートの再建、被災した住民らへの謝罪などに追われ、金銭的にも身体的にも、精神的にも非常に苦しい思いをしたという。大家としても、やむにやまれずの提訴であったのかもしれない。
一方で美穂さんの両親からすれば、そもそも美穂さんが被害者であると信じていたのであり、それが認められず、裁判も開かれないまま真実が闇に埋もれてしまうのは到底納得できない、というのも十分すぎるほど理解できる。
そのため、もとより証拠が少ないこの事件を風化させてなるものかと、必死で近隣住民らに聞き込みを行っていたのも無理からぬことである。
近隣住民らも快くそれに応じており、決して美穂さんの両親のみが娘可愛さに現実を直視せぬまま暴走していたわけでもない。
民事裁判は実に4年の歳月を費やし、その間には佐々木に対して予想通り不起訴処分が下っていた。
平成12年7月19日。
横浜地方裁判所は、賠償請求額9800万円に対し、佐々木を殺人と放火の実行犯と認定したうえで、9700万円の損害賠償を命じた(ちなみに、大家に対する損害賠償責任も両親に命じられている)。
さらに、控訴審でも一審判決は支持され、佐々木が美穂さんを殺害し放火したと認定されたことで、両親らは検察審査会へ刑事処分を不服とする申立を行った。
事件から8年が経過した平成13年2月26日、横浜地検は佐々木を殺人と現住建造物放火の容疑で逮捕した。