銃殺の家の女~可児市・廃墟で有名な家の事件とその後~

平成22年1月27日

名古屋市中村区。
宿跡町のアパートの一室から、「刺された」と119番通報があった。
中村署員が急行したところ、部屋には家主でカラオケスナック経営の五味猛さん(当時61歳)が腹部を血に染めて悶絶していた。
救急搬送された五味さんだったが、搬送先の病院で死亡が確認された。

当時部屋には、五味さんの知人である女がおり、警察は事情を知っているとみて話を聞いていたが、女は
「殺す気もないし、覚えてもいない」
という不可解な話をしていた。
その後警察は、五味さんを殺害したとして名古屋市中川区のパート従業員、佳山久仁子(仮名/当時59歳)を逮捕した。

久仁子は事件を起こす15年ほど前まで、岐阜で家族とともに生活をしていた過去があった。夫と子供らの5人家族。しかしその生活は長く続かなかった。
数年の時を経て、この名古屋の事件とはまったく関係のない話から、久仁子が暮らしたその岐阜の家がネット上で晒されることになる。

「銃殺の家」として。

その家

岐阜県可児市御嵩町伏見。
田園が広がるのどかな里山に、有名な家がある。
通称「銃殺の家」。
この家では平成6年に、家人が銃によって死亡するという事件が実際に起こっていた。

心霊系や、廃墟探訪系のYouTuberでは知らぬ者はいないと言っていいほど、超有名なこの家。
小さな丘のふもとに建てられたこの家は、年月を経て周囲の草木に覆い隠されながらそれでも現存する。
管理する人間がいないのか、面白半分で訪れる人々や窃盗目的の輩らに荒らされてしまった室内なども、上記のYouTuberらによって公開されているため、事件物件でありながらその内部を見ることができる非常に稀なケースである。(不法侵入では、というツッコミはちょっとこの際置いておきたい。)

この家で起こった事件については、様々な憶測があった。現在ではこれから記す内容が事実であることはわかっているものの、「銃殺の家」というインパクトはなお強く現在でも残っている。

おおもとの事件からすでに26年が経過。
今一度、その事件の経緯を追っていきたい。

平成6年1月30日

岐阜県可児郡御嵩町(当時)伏見の住宅から、「人が自宅玄関前で倒れている」という119番通報が入った。
倒れていたのはその家の主で不動産会社社員の佳山一雄さんこと、崔泰植さん(当時55歳、以降、一雄さんで統一)。一雄さんは妻(当時43歳)と3人の子供と暮らしており、当時妻と招いていた可児市内在住の知人男性とリビングでくつろいでいた。

午後8時半過ぎ、「ちょっと出てくる」と言って一雄さんは家を出た。
しばらくすると、家の外から何かの破裂音のような音が聞こえたというが、妻も知人男性も特に気に留めていなかったという。
しかし一雄さんが帰宅しないため、知人男性はいったん帰宅。その後、不審に思って家の外に出た妻が、玄関わきに停めてあった車の陰で倒れていた一雄さんを発見した。
驚いた妻は、名古屋市内に暮らす実兄に電話で助けを求め、実兄とその知人が駆けつけて119番通報した、というのが事件発覚の経緯だった。

一雄さんは頭部に銃創のようなものがあり、すでに死亡していた。出血の量などから、ほぼ即死だったとみられる。

現場からは拳銃が見つからなかったことで、岐阜県警捜査一課ならびに暴力団対策課は殺人とみて可児署に特捜本部を設置した。
司法解剖の結果、やはり一雄さんには銃創があり、右後頭部から至近距離で発砲されたとみられた。弾は貫通せず、脳内で発見されている。

銃による犯行ということで、捜査本部では暴力団関係のトラブルも想定、くわえて不動産会社勤務だった一雄さんが何かのトラブルに巻き込まれていたのではないかという見方もなされていた。
また、一雄さんは在日韓国人で、妻も在日韓国人であったことから、その方面での捜査も行われたが、これといったトラブルは浮かんでこなかった。

躓いた「家」

一方で、一雄さん自身が経済的に困窮していたのでは、という話が浮上する。
一雄さんはバブル期には数千万単位の土地取引を頻繁に行い、ゴルフ場建設などにも携わり、財布の中にはいつも数十万円の札束が入っていたという。
平成2年に御嵩町大庭台団地で家族と暮らし始め、平成4年夏ころから件の場所をおよそ250万円で購入、住宅金融公庫から1,500万円の融資を受け、自宅を建設し始めた。

しかしこの頃すでにバブルは崩壊し、イケイケだった不動産業などはそのあおりを直撃しており、一雄さんも経済的に追い込まれている状況にあったようだ。
勤務先にはほとんど顔を出さなくなっていたといい、収入は激減していた。

実際にその家は、建築途中から「ケチ」がついていた。
家を建てたことがある人ならわかると思うが、家を建てるにあたってその費用の支払いは基本的に契約時、着工時、上棟時、引渡し前、という風に段階を経て払う。住宅ローンなどもいろいろあって、住宅ローンさえ通っていれば住宅メーカーがすべてやってくれるところもあれば、工務店の場合や個人の大工さんなどの場合は、その都度費用を振り込むなどの手続きをしなければならない場合もある。

一雄さんは、住宅金融公庫から融資を受けていたものの、上棟時に支払う建築費の3割がどうやら払えなかったらしいのだ。
そのためなのかどうなのかは不明だが、一雄さんの家の建築を請け負っていた業者は直後に倒産してしまった。家はまだ、鉄骨と屋根しかできていない状態だったという。

その後なんとか資金を調達できた一雄さん一家は、平成5年の春からこの家に入居。不動産会社に籍は置いていたというが、実際にほとんど収入は得られず、この頃も知人の大工に日雇いの仕事を頼むほどになっていたようだった。
そしてその1年後に、一雄さんは命を落とすこととなった。

真相

事件から2か月後の平成6年3月、事態は急変する。

他殺だとばかり思われていた一雄さんの死が、実は「自殺」だったことが分かったのだ。武装した暴力団員や、一雄さんを殺したいほど恨んでいた人間は、最初からいなかったのだ。

容疑者や一雄さんの他人とのトラブルがこれと言って浮かばなかった捜査本部では、一雄さんが経済的に困窮していたことに加え、知人に「自殺したい」と漏らしていたことを突き止めていた。
そして、一雄さんが自殺した際に使用した拳銃を「隠した」として、妻とその兄、知人男性二人の合計4人が、銃刀法違反の疑いで逮捕された。
この妻こそが、久仁子だった。

しかしここで大きな疑問がわく。
一雄さんが自殺したのであれば、なにもわざわざ他殺に見せかける必要などなかったのではないか。一雄さんにはおよそ6000万円の生命保険もかけられており、こんなこと言うとアレだが、経済的に困窮していた家族のために自分の命と引き換えに家族の暮らしと家を守った、と言えるわけで、悲しみは別としてある意味「ありがたい」話ではないのか。

実はこの一雄さんの行動は、久仁子からすれば「なんてことをしてくれたんだ」という怒りすら沸くような行動でしかなかったようだ。

生命保険はその性質上、いくつか免責事項がある。
死亡保険金については、どの保険会社であっても受取人、契約者いずれかの故意による支払事由の発生については、死亡保険金は支払われない。
加えて、契約から一定期間内での被保険者の自殺も、支払われない(この期間は保険会社で違う)。
一雄さんの場合、まさに契約してから1年未満での自殺であり、こうなると残念ながら生命保険は1円もおりないことになってしまうのだ。自殺されたばかりか、その死が1円の銭にもならん……悪夢である。

夫が拳銃自殺というとんでもない状況の中でも、久仁子、もしくはその場に駆け付けた3人の男たちの誰かが、そのことに気付いたのだろう。
久仁子らは保険金を受け取りたいがために、夫の自殺を「他殺」に見せかけたのだ。

実際の時系列はこうだった。

1月29日の午後九時半ころ、一雄さんは自宅前の駐車場において拳銃自殺を図った。家には久仁子と可児市内の知人男性がおり、当然のことながら一雄さんが自殺したことを知った。
久仁子は実兄とその知人を電話で呼び出し、名古屋市内から2時間かけて駆け付けた二人と相談のうえ、共謀して拳銃を隠し自殺を他殺に見せかけたのだ。

真相の真相

夫の死よりも金かよ、と思う人が多いのは当然だと思うが、ふと、一雄さんの気持ちを考えてみた。
一雄さんと久仁子の夫婦仲については、悪い話は出ていない。しかし、経済的に困窮していたのは間違いない話である。
あの日、久仁子と知人男性と3人でいた際、どんな話があったのだろう?何の前触れもなく、突然自殺するだろうか。
しかも一雄さんは知人に仕事の依頼までしていた。ということは、働く気はあったわけで、死を選ぶよりまずそっち、にも思える。

警察が最初に他殺だと思ったのにはもう一つ理由があった。一雄さんの利き手からは硝煙反応が出ていなかったようなのだ。
しかし、それについては後日逮捕した4人のうちの一人が、
「一雄さんは右手にゴム手袋をはめていた」
と供述したことから、自殺の線が濃厚になったというわけである。

ならばやはり家族のための覚悟の自殺だったのか。
もしそうだったならば、久仁子がとった行動は、まさに夫の命を懸けた行動を補完することであり、ある意味妻だからこその行為にも思える。

……その逆は?

あの夜、なぜ突然一雄さんは拳銃を手にしたのか。その拳銃はどこにあったのか。本当に死ぬつもりだったのか。そもそも自殺するのに右後頭部から撃ち込んだりするんだろうか。結構変な角度になるのだが。
ゴム手袋をしていたのは一雄さんの意思なのか。
久仁子らに何も告げずに発作的に自殺したならば、その右手のゴム手袋は何の意味があったのか。他殺に見せかけるためだったなら、そのあと久仁子らがゴム手袋を外し拳銃を隠すことを「想定」していなければ意味がない。
もしくは、最初からその段取りだった……?

捜査本部は、平成6年3月25日、銃刀法違反で逮捕していた久仁子ら4人を処分保留で釈放、起訴猶予とした。その後の情報は見つけられなかった。
言うまでもないが、生命保険金は一円も受け取れなかった。

銃殺の家として

数々のYouTuberらが聖地のように巡礼した久仁子の家は、「銃殺の家」と呼ばれ、多くの再生回数を叩き出している。
その中で、室内に散乱する「手紙」があった。詳しくはそれらの動画を見てほしいが、なんとなく察するに、久仁子かその家族の誰かが薬物の問題を抱えていたことを思わせる文面があったようだ。

全てにぼかしが入ってはいるものの、その封書に貼られた切手が60円切手(釣鐘)1枚であることから、差し出されたのは平成元年4月1日以前(この日以降は60円で封書は送れないため)のものとなり、事件が起こるより5年以上前のものと言える。
撮影者によれば、名古屋市内と可児市内の住所があること、女性が差し出した手紙であるようだったが、拘置所、といった言葉があることから、犯罪(そんなに大きな罪ではない)を犯してしまった人が差し出した、あるいは受け取った、そういう手紙であることは間違いない。

久仁子、あるいは一雄さんのいずれかが、その手紙の持ち主であろうが、複雑な家庭の歴史が垣間見えた気がした。

その家が「銃殺の家」となってから16年。
久仁子と子供たちはどんな暮らしを余儀なくされたのだろうか。

久仁子と亡くなった五味さんがどんな関係だったのかも、詳しくはわからない。久仁子のその後の処遇についても詳細が分からなかった(わかれば追記します)。

未だに銃殺の家の事件についてはいろいろと憶測もあるようだが、事件としては一雄さんの自殺でカタがついた。
ただ、久仁子という女が、事情がどうあれ人を殺すことのできる女だったということは、16年後に証明された。

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参考

コメント欄でも言われてますが、途中シャレにならない声が入ってる…

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