おもいあがり~愛媛・高知同居男性傷害致死死体遺棄事件 最終回~

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仇と化した親の愛

裁判を通じて様々なことを考えさせられたわけだが、その中でも今回のケースで切り離せない、「ハンディのある子どもの行く末」という問題は、それまでの私の考えを大きく変えた。

周囲にも、生まれつきハンディを持っている家族がいる人はいるし、友人の中にも脳性麻痺の姉のことを生涯自分が世話をすると決めている人もいる。
障害児を育てる親のブログを見ても、ほとんどは経済的な不安をなくすためにいろいろと考えているし、どんなに介護や障害者の福祉がすすもうとも経済的な不安はない方がいいに決まっている、私はそう思っていた。
しかし、今回それがまさに仇になった。
野田さんは高校を卒業してはいるが、知的障害ではなくても一人で生活するということはまるで出来なかった。
光洋が診察を受けさせた精神科では、発達障害の可能性を指摘されている。
それはおそらく大人になって突発的に発症したとか、そういう類のものではなく、若い頃からそうだっただろうし、少なくとも親は気づいていた。

だからこそ、結構な額の死亡保険金を野田さんが受け取れるようにしていたのではないか。母親の綾子さんの死亡保険金は事故で亡くなっていることもあって増額されたと思われるが、それにしても判明している分だけでも5000万円近くにもなる。私が同じ条件で死んでもこんなに出ない気がする。
本来ならば、野田さんは一人になって仕事をしなかったとしても、家もあったわけで細々とであれば一生暮らせていた。
間違いなく親の思い、愛であり、野田さんを思えばこその「お金」のはずだった。

大切なことは、お金そのものを遺すことに加えて、やはり近隣をはじめとする「人とのつながり」に他ならない。
野田さんには親戚が複数いたし、野田さんと顔を合わせるほど近くに住んでいた人もいた。にもかかわらず、野田さんを真剣に助けようとする人は身内にはいなかった。
もしかしたら、であるが、野田家が信仰していた新興宗教の絡みで疎遠になっていたのかもしれない。
野田さんのようなケースの場合は、保佐人、後見人が必要だった。しかしそんな知識は両親も、近所の人々も持ち合わせていなかったのだろう。
いつどこで、家族が、自分が事理を弁識できなくなるかはわからない。日ごろから家族で話し合う機会を持つことは非常に重要であると痛感した。可能ならば、任意後見の手続きをすぐにでもするべきだろう。

光洋

一方で、光洋はなぜここまで野田さんに執着したのか。
私は裁判を通して光洋という人間のほんの少しを見てきたわけだけれど、間違いなく感じたのは、非常に自己愛の強い人間だということである。
加えて、なにかこう、自分は特別な人間で、人の役に立てる、人から感謝される人間で「ありたい」という気持ちの強い人間だと感じた。

光洋は裁判で、自分と野田さんが「社会から疎外されている点で似ている」と述べた。たしかに、野田さんは社会の常識とは違うレールの上を一人飄々と歩いていた。
光洋はどうか。
若い頃は通関士助手として仕事をしていたが、実際この仕事は無資格でも行えるものだ。国家資格の通関士とは雲泥の差である。
現実社会では複数の派遣や非正規の仕事を転々としながら、一方で他人に仕事を斡旋するような真似事もしていた。
しかし実際にはそう振舞っていただけで、久保田さんの証言にもあったように、一度として仕事を持ってきたことはなかったのだ。
仕事をしていないときでもスーツをまとい、素性を知らない人らには自分を偽ることも厭わなかった。テレビや漫画の世界で仕入れた浅知恵も、田舎の一部の人間には光洋に一目置かせるためには有効だった。
しかしいつからか、その浅知恵がどこでも通用すると思い込んでいたように思える。それが、公証役場や農地委員会、そして検察での録取の際にも見え隠れするが、みんな光洋の嘘や虚勢に最初から気づいていたし、久保田さんでさえ、「相手にならない、口だけの胡散臭い男」としか見ていなかった。

光洋にとって野田さんは、自分を優位に立たせてくれて、自分が望む自分でいさせてくれるたった一人の人だった。
野田さんがダメであればあるほど、光洋の献身は周囲から賞賛となって返ってくる。光洋は日々、小池さんばりにラーメンばかり食べる野田さんのために、野菜がたくさん入った食事を作っていたし、ボロボロの服を取り換え、新しい靴下や下着などを買い与えた。
しかし、野田さんにとってそれは「有難迷惑」だった。野田さんは光洋が買い与えた新品の服より、着古したお気に入りのボロの方が良かったのだ。ラーメン大好きな人間に野菜を与えるなど、嫌がらせ以外のなにものでもないのだ。子供ではないのだ。

裁判で、光洋はこうぼやいたことがあった。
「野田さんはせっかく僕が買ってあげた靴下を履かなかった」
善意には違いない、しかしそこには野田さんからの全幅の感謝という見返りを見越しての善意である。
光洋は、自分の満足感のために野田さんを利用したに過ぎない。そしてそれに気づいていない。
光洋の中では、いつまでも自分は野田さんを助けようとした善意の人間なのだ。
それは両親も同じ考えだろう。良かれと思ってしたことが結果、こんなことになってしまった、と。

自分のことも満足にできていない人間が、他人を助けるなど本来できるはずもないのだ。だから、わざと弱い人を見つけ出し、時には弱い人間だと決めつけて、相手に「あなたのためを思って」という、愛と正義の脅迫をし続けるのだ。

光洋は完全に自分を見誤った。自分は人を助けることが出来る、人に認められ、一目置かれ、モンクレールのジャケットにグッチのバッグでジム通いをする颯爽とした理想の自分を、野田さんを利用して実現しようとしていたのだ。一心同体など、勝手な思い込みである。

野田さんは今もきっと、お気に入りのボロを着て、ラーメンを食べている。

おもいあがった哀れな男が現実を直視する日は、来るのだろうか。


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「おもいあがり~愛媛・高知同居男性傷害致死死体遺棄事件 最終回~」への11件のフィードバック

  1. 知らない事件でした。
    とにかく感じたのは、こういう事件に関して、読者が誤解をしないような概要記事を
    限られた文字数内で書くことは不可能に近いということでした
    (管理人様も文筆業のようですが私もそれに近いことやってるのですが)
    世の中の事件の大半は、こういうふうに、見落としてはいけないポイントが山のようにあるのに
    結果として偏った情報しか出回らないから、誤解や偏見が~と
    改めて考えさせられました。。

    まあ、被害者と被告人の関係は本当に、推測するしかないですけど
    最初から金とかが目当てとかだったとは私には考えにくく
    (手間暇、特に長い時間かけて世話をするのではちょっと…あまりにも非効率ですし
    松永某や角田某のような悪質な洗脳者にも見えないし)
    まあ途中から、ひょっとしたら金が手に入りそうなのだとわかったら
    そりゃ出来心起こすかもしれないなんて思ったりもするのですが。
    とにかく何か、見捨てておけない何かがあったのかしら~
    しかしその背景にあるのはやっぱり仰せのような自己愛だったのかしら~なんて今思っております。。

    1. oko_k さま
      コメントをいつもありがとうございます。
      長い長いこの傍聴記、読んでいただき嬉しく思います。
      おっしゃる通り、限られた文字数で全てを伝えることはまず無理で、だからこそ「何を伝えるか」は書く人に委ねられる部分があるため、同じ事件でも人によって温度差が生まれます。
      私は文字数制限なしのところで書いているので、伝えたいこと全部書くことが出来ますが、新聞やネット記事などの本職の方々は大変だろうなぁとも思います。
      その、本職の方々が伝えきれなかった部分を埋められたらいいな、そんな思いもあって書いてます(おこがましいですがw)

      この事件はおっしゃる通り、金目当てではなかったと私も思いました。
      保険金を得られたのは偶然に近いですし、記事にもある通り野田さんだけではおそらく受け取りはできなかった可能性が高いです。

      見捨てておけなかった、神野もそう言ってましたね。
      ただ、自分のことも満足に出来ない人間が他人の人生を背負うようなことをしようとしたのが大きな間違いだったと思います。
      彼は自分を大きく見せたがっていました、野田さんのような人を世話することで自分が尊敬される人になれると思ったのかもしれません。

      今でもたまに野田さんのお墓参りに行ってます。出所したら神野にも必ずお墓参りに行って欲しいです。

  2. 昨日に引き続き、コメント失礼致します。同じ愛媛の事件ということで読ませて頂きました。
    そういえばこの事件もあったなあ、と思い出していましたが、こちらの事件も想像を絶する悪意がありましたね。

    被告がADHDだった、というお話が冒頭に出てきましたが、個人的な私見ですが「見栄や欲に突き動かされた浪費」「突発的な怒りに任せた罵倒や折檻」がADHDの衝動特性だったのだろうかと思います。そして、「話の辻褄合わせをしたり、無理矢理はぐらかして話を曖昧にしようとする『逃げ』や『誤魔化し』」は、先延ばし特性のように思われます。

    自己愛については、自分も含め発達障害の中でも持つ人が多いように思います。社会一般に比べ一段下にいることが多く、見下されている(あるいはそう思い込んでいる)ため、それを優越や「優しい人」を演じて穴埋めしたいのだと思います。
    しかし、管理人様も仰る通りそれは「思い上がり」であり「~~さんのためを思って〇〇をしてあげたのに」は押しつけと勝手な期待でしかないんですよね。

    被害者の方の孤独と苦痛、恐らく被告と出会ってからは恐怖が大多数を占めていたかもしれない人生を思うとやりきれません。
    被告の両親、弁護人も有るまじき人間性だと憤ってしまいました(特に弁護人)

    しかし、昨日の記事に引き続き、発達・精神障害の当事者が起こした/被害者になった事件として自分自身を省みる糧にしたいと思います。
    被告が持ったような「思い上がり」にせめて、自分は自覚的になって制御できるように努めたいと思います。

    また引き続き、読ませていただきます。

    1. 笹かまぼこ さま
      コメントいただけて嬉しいです、ありがとうございます。

      私はこの事件を傍聴した際に、タイトルはこれしかないと思っていました。ただ、それが上手く読む方に感じてもらえるだろうか、という不安はありましたが、少しでも「そういう事だよね」と感じてもらえると嬉しいです。

      野田さんは、自宅に帰れないほど被告人のことを恐れていた、と思うと同時に、それでも被告人のことを「友人として好きだった」ようにも思えます。

      だからこそ、被告人が野田さんにした仕打ちは許せないのです。野田さんが、「気が合うんやろうねぇ」と被告人に笑って話したことを聞いて、その場面が思い浮かび本当に切ない思い出した。

      控訴審の判決後、またお墓参りに行く予定です。

  3. 早々の返信恐れ入ります。
    なるほど、お金はおまけでたまたまだったかも、ですね。
    いやいや管理人様の考察の深さには説得力があります
    確かに弱者を利用して自身の存在価値を高める、と言う意識・願望は誰にでもありますから。
    光洋のタガが徐々に外れていく様子が容易に想像できます。
    野田さんのように孤独な人は詐欺に遭ったり、悪意のある輩につけ込まれやすいので、管理人様が言う成年後見人のことも、助言者が周りにいればよかったのに、と思いました。

    1. お金はおまけ、と思ったのは、二人が再会した際に野田さんが乞食同然だったことと、当初光洋は実家の食料を融通するなどしていたこと、最初から野田さんの財産を知っていた訳では無いことからです。
      なによりも、光洋は他人から一目置かれ、頼れる人物でいたかったと断言します。ついでに言うと、彼が使用しているメガネ(逮捕当時からおなじ)がなんていうか、デザインがイキってるというか笑、似合ってないんですよね全然。
      仕事してないのにスーツでいたり、哀川翔みたいなメガネをかけたり、「こう見られたい自分」があったんでしょうね。

      ただ、お金がある、お金になるものがあるとわかって以降は、狙ったと思いますよ。
      約1000万の保険金のうち、1年あまりで800万を引き出してましたので。アホでしょう。
      光洋の場合、現実を受け止めようとしない両親のずるさもありました。逮捕監禁事件を起こしてから、それでも野田さん宅に行くのを結果として許していたし、こっそり引っ越してしまってましたから。
      出会っちゃいけない2人が出会ってしまった、と言うとそれまでですが、救えたはずの野田さんの命だったと思います。

  4. こんにちは。この事案は裁判を傍聴されたようですね、
    実に丁寧に丹念に考察されていてとても引き込まれました。
    神野光洋の身勝手な自己満足と思いあがりには、無性に腹が立ち、野田さんが可哀相で不憫で哀れでなりません。
    野田さんはその個性というか、資質から何をされてもNO!!とは言えず、自己主張もできず、光洋の意のままに扱われ、虐げられ、殺されたのですね。
    野田さんを残して先に亡くなった家族もどんなにか心残りであったか。だからこそ保険金などの財産を遺してあげたのでしょう。
    管理人様が言う、それが仇となってしまったことに私も同感です。もし野田さんにお金がなかったら、光陽はそこまでメリットを感じることなく少し距離をとっていたかもしれません。
    法廷で証言台に立ったコンビニ店員さんと交番の警察官が、ある意味この事件の重要な登場人物だと思います。ふたりとも野田さんと光洋との関係性をよく観察していて、見たまま感じたままを率直に毅然と温かい言葉で証言しています。辛い事件ではありますが、そこだけは唯一ホッとしました。
    野田さんの人物像について考えてみると、ちょっと精神が遅滞しているけれど、性格は温厚で周りの誰にも害を与えない、ひとり静かに暮らしていた善良な人だったのではないでしょうか。光洋にさえ出会わなければ、地域の中でこれからも住職さんたちに見守られ、それなりに幸せに暮らしていけたのではないかと思うのです。
    光洋はもちろん憎いですが、被害者の野田さんがただただ哀れに思えました。

    1. チューリップ さま
      いつもコメントありがとうございます。励みになってます!

      私は裁判傍聴は2回しか経験はないのですが、そのいずれも、あまり知られていない事件の割に内容は非常に重たく、刑期も軽くないものでした。
      この、神野光洋の事件は控訴されており、まだ終わっていません。
      光洋自身も、最初から財産狙いでもなければ、野田さんを死なせる意図など毛頭なかった、それは真実だと思っていますが、実は光洋は、過去にも事件化こそされなかったものの、付き合いのあった人物に対して野田さんと同じようなことをやっているんですね。
      野田さんの場合はお金があったことと、野田さんを守る人が近くにいなかった、付き合っていく中で光洋もそれに気づき、どんどんタガが外れていったように思います。

      野田さんは、少なくとも人に危害を加えるような人ではありませんでした、迷惑はかけてましたけど。
      光洋は、お金はあくまでおまけだったように思います。なによりも、自分の存在意義を感じたかったのではないか。
      社会から疎外されているような自分の劣等感を、野田さんを利用して払拭していたように思います。

      また、野田さんのお墓参りに行こうと思います。高裁もできれば傍聴しようと思っていますので、また楽しみに?して貰えたら、と思います。

  5. 管理人さん。更新、お疲れ。俺は、2018年11月から、あんたの記事、読みよるよ。愛知男性傷害致死事件、今まで知らんかったよ。俺は元々、自分から話す方やないんよ。管理人さんは、毎日やないけど、記事、書いて事件備忘録に更新しよるけん、多分やけど人と余裕で話せるんやないかな?俺は小さい頃から人間関係に悩んできた。今もそうやけど。まあ、俺だけやないよね。人間関係に悩む人は。
    他にもなんぼでもおるよ。管理人さんは兄弟おる?仕事は、何しよる?独身?結婚しとる?もし、結婚しとるんやったら、旦那から仕事しろって言われて、しぶしぶ働きよる?それとも、好きで仕事しよる?俺の母ちゃんも子供の頃から、人間関係に悩んできたんや。母ちゃんも自分から話すタイプやない。俺だって、そうや。母ちゃんは、結婚するまでは仕事しよったけど結婚してからは、普通に仕事やめた。結婚したら、「家事に専念する」て最初から決めとったんよ。今も仕事しとらんけどな。別にいいやん。人、それぞれやないか。俺は母ちゃん、尊敬しとるよ。管理人さんは、俺の気持ち、分かってくれるかな?俺も毎日、コメントは書きよらん。あんたの事件備忘録とは別に、毎日、海外の事件を書いて更新しよるブログがあったよ。そのブログ、読みよる人も毎日、管理人さんに対してコメント、書きよるんよ。すごいね。みんなが頑張ってコメント、書きよるのを見て、俺も頑張ろうかなと言う気持ちで、あんたにコメント書いたんや。管理人さん。これからも記事、更新してくれたら、嬉しいよ。俺もみんなと一緒に、頑張ってコメント、書くよ。よろしくな。

    1. 坂田銀時さん
      コメントありがとうございます。こないだ書いてくれた宮崎文男さんもたなたかな?違ってたらごめんなさい

      言葉の感じから、なんとなく同郷もしくは中国四国の方かなぁと思いましたが、いいもんですね、距離が少し近い気がして。
      私はバツイチで再婚してます。仕事は逆で、夫からは仕事せんでいいと言われているのでこのブログに時間が取れています。
      お母さんは、自分の決めた道を進んでらっしゃるのでとても素晴らしいと思います、人に言われてイヤイヤやるより、どんな立場でもそれを望んでやっているのだから。
      どんなことでも、人がやってることを見て素直に「すごいな、自分も頑張ろう」と思えるのはいいですね。どんな小さなことでも、他人を認めるってできない人も少なくありませんから。
      私も、こうして応援してくれる方がいるおかげで、このサイトを始めた当初よりもずっと続けよう、という気持ちが強くなっています。
      ありがとうございます、今後ともよろしくお願いいたします。

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