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平成七年四月八日午後一〇時半
静岡県三島市長泉町土狩の路上を、町内在住の公務員男性(当時22歳)は自転車で家路を走っていた。
そこへ、走ってきた車が男性の進路をふさぐように前方に回り込み停車、車から二人の若い男たちが下りてきた。
「金、持ってるだろ、出せよ」
唐突に絵にかいたようなカツアゲをされた男性は、当然断った。
直後、頭に激しい痛みが走る。男たちは木刀を持っていた。
殴られた。男性が必死に体をかばっている隙に、男たちは男性の財布を奪って走り去った。
四月二三日。
三島市若松町の駐車場内で、車上荒らしが発生。
会社員の所有する乗用車の中から、書類入りのバッグが盗まれた。
この事件で警察は、周辺の防犯カメラ映像や聞き込みから、若松町在住の男(当時二三歳)を割り出し、窃盗の容疑で逮捕した。
五月二二日、男は四月八日に発生した路上強盗でも逮捕される。共犯の男(当時二一歳)も逮捕となった。
男らは罪を認め、二三歳の男は執行猶予中であったことから前科も併せての実刑となり、それから六年間服役した。
男の名前は、服部純也。彼は一七年後の夏、死刑執行によりその人生を終えた。
三島の事件
平成一四年一月二二日午後一一時。
出所して建設作業員として働いていた服部は、三島市内で会社の友人らと夕食を取り、車で帰宅の途中だった。ふと、弁当箱を会社に置き忘れたことを思い出し、国道一三六号線を会社方向へ向かっていた。
前方を見ると、同じ方向に走行する自転車があった。後ろ姿からでも、それが若い女性だとわかった。
最初はただのナンパだった。思い付きだった。車の中から女性に声をかける。
しかし女性は服部を認識したが、そのまま走り去った。
諦めたわけではなかった。先回りして、人気のない、暗い場所で待ち伏せた。
車を降り、歩道に潜んで女性がやってくるのを待った。
女性は、突然前方に立ちふさがった男に驚愕し、避けて通れるほど歩道が広くなかったため立ち往生してしまった。
服部は女性の自転車前輪をまたぐようにして対峙し、かつ、自転車の前かごに両肘をかけるなどして完全に進路をふさいだ。
「どこの人?学校行ってるの?名前は?かわいいね」
矢継ぎ早にそう女性に質問しながら、服部は女性の肩を押すように自転車ごと自分が車を止めていた場所まで強引に連れて行こうとした。
抵抗する女性をなんとか車のそばまで連れてくることに成功した服部は、再び自転車の前輪をまたいで動きを阻止し、女性に車に乗るよう誘った。
と、バランスを崩した拍子に、自転車と女性もろとも道路上に倒れこんでしまった。
「きゃあーーーっ」
思わず悲鳴を上げた女性がそのまま逃げ出そうとしたのを押さえ込み、さらに悲鳴を上げた女性に対し、服部は「静かにしろ」と強い口調で脅しをかけると、ヘッドロック状態で強引に車に押し込んだ。
車に押し込まれた女性は恐怖のあまり声も上げられないほど委縮していたが、服部はさらに女性にこう告げた。
「お前、俺の顔見たよな。警察にチクったらぶっ殺すぞ」
恐怖に震える女性を乗せたまま、車は山間の道路をひたすら進んだ。
そして、服部はその車内で女性を強姦したのだ。
放心状態の女性を乗せたまま、服部は車を走らせた。どこか人気のない場所でおろす「予定」だった。
その時、友人から電話がかかってきた。覚せい剤仲間、とでもいうのか、その友人から「注射器を持ってきてほしい」と言われたのだ。
注射器を持っていけば、当然服部も覚せい剤を打つことができる。性的欲求を満足させた今、服部の気持ちは女性のことより覚せい剤を打つことのほうへシフトしていた。
女性は開放するつもりだったが、場所を探す余裕がなくなってきていた。とにかく覚せい剤を打ちたい、頭の中はそれでいっぱいだった。
注射器を取りに若松町の実家へ戻る必要があったため、女性を乗せたまま実家へと車を走らせた。
その間、後部座席で女性は服を着るのが精いっぱいの状態で、泣き叫ぶどころか口もきけないほど憔悴していた。
服部は、その様子も気になっていた。
実家から出る際、玄関わきに置かれた灯油のポリタンクが目に入った。服部の脳裏に、ある考えが浮かんだ。
灯油のポリタンクを車に積み込むと、再び車を郊外へと走らせた。
ゴルフの打ちっぱなしを過ぎたところで、道路の拡張工事が行われている現場に出た。
服部は車を停めると、後部座席の女性の口をガムテープでふさぎ、両手を上着ごと後ろ手にガムテープで縛った。
震える女性を路上に座らせると、持ってきた灯油を女性の頭からぶちまけた。
「火、つけちゃうぞ」
女性は自分にかけられた液体が何なのか、わかっていないはずはなかった。だからこそ、恐怖で声も上げられなかった。
しかし服部には、その態度がなにかを企んでいる、警察に通報する気なのではないかと思えた。
同時に、もう覚せい剤を打ちたいという欲求は限界を超えていた。
平成一四年一月二三日午前二時三〇分。
通りがかった車の運転手が、道路わきで何かが燃えているのを発見。不審に思って近寄ると、異臭が漂い、炎の中に人の足が見えた。
通報で駆け付けた警察によって、燃えているのは人であることが確認された。
被害者は全身が着衣とともに炭化状態となっていた。
その日の午後、三島署に一組の夫婦がある相談に訪れた。
「アルバイトに出たまま、夕べから娘が帰らない」
すでに道路わきの焼死体はニュースになっていた。かろうじて残っていた焼死体の指紋は、その夫婦の娘のものと一致した。
山根佐知子さん(当時一九歳)。三島市内に家族と暮らす上智短大生だった。
男のそれまで
昭和四七年二月二一日、北海道で出生した服部は、幼少期に静岡県三島市内に一家で転居。三島市南二日町、富田町、青木、若松町など市内何か所かに引っ越しながら、彼は成長していった。
その後、三島市内の小、中学校を卒業しているのだが、彼の生い立ちはなかなかすさまじい。
中学三年の時、窃盗で初等少年院送りとなり、仮退院した後鉄筋工などの職に就いてはいたが、一七歳で再び窃盗で逮捕、この時は中等少年院だった。
退院後、姉が暮らす沖縄へと移り、一年ほど働いた後三島市内へ戻って、スナック従業員や建設作業員として働いていた。
しかし窃盗の悪癖は抜けず、未成年時にまた保護観察処分を受ける。
二十歳になった年、ついにクスリに手を出した。法を守るという精神が欠落していたのか、道路交通法違反も繰り返して覚せい剤取締法違反と合わせて懲役一年六月(執行猶予四年保護観察付)の判決を受けた。
この後、冒頭の車上荒らし、強盗傷害事件を起こして今度こそ実刑を食らったのだった。
この間、平成四年(二十歳)には中学時代の同級生だった女性と結婚、子供も二人授かっていた。結婚当初は、若松町内の服部の実家で両親、弟とともに同居していた(本籍も婚姻時の住所である若松町)。
しかしこの頃、覚せい剤に手を出し、この時点ではまだ窃盗などの比較的軽微なものとはいえ、罪を重ねていたのだ。
平成一一年、服役中に妻といったん離婚するも、出所した平成一三年七月ころに再びよりを戻し、籍は入れずに妻子が暮らしていた沼津市大塚の県営団地で同居生活を送っていた。
服部が犯罪に手を染め始めたのは、中学の頃ではない。会社員の父親と、専業主婦の母親、本人を含め四人の子供という構成としてはその時代普通だが、貧困にあえぐ家庭だったようだ。
新潮45に掲載されたルポによれば、服部家が越してくると近隣では「窃盗被害」が相次いだという。
車上荒らし、空き巣、時に空き地でなにかを物色し、そばの池に物を捨てる服部少年の姿も目撃されていた。
住民らは、おそらく盗んだ財布やバッグの中身を確認し、不要なものを捨てていたのだろうと推測する。
一方で、家庭の状況についてもよい話はほぼない。
服部家に家を貸していたという大家は、一家が引っ越していったあとの家の中の惨状にのけぞったという。
また、事件を起こした当時の実家だった若松町の借家にいたっては、あまりのゴミ屋敷っぷりに大家が退去を迫っていた。
大家は息子が事件を起こしたことを知らず、家賃滞納とゴミの不始末を理由に賃貸契約の解除を迫ったというから、よほどの惨状だったのだろう。
両親についても、父親の存在はほとんど知られておらず、母親はパチンコ好きで有名だった。
服部少年の盗みぐせは、家庭内から始まっていたようだ。母親の財布から金を抜き、バレると父親から鉄拳制裁を受けた。母親はパチンコで負けると機嫌が悪く、子供らに当たり散らす日々だったという。
外から見てもゴミ屋敷だったわけで、家の中も惨憺たる状況だった。喘息を持っていた服部少年は、埃だらけの異臭漂う家で成長しなければならなかった。
幼いころからいわゆる札付きと言われてきた服部少年だが、実際のところ、暴力的な事件は起こしていない。
成人した後の強盗傷害は重罪であるが、それでも被害者のけがは全治2週間ということで、頭がカチ割れるほど殴ったというよりも、脅しの延長だったんだろうなという感じである(もちろん、だからといって重罪には変わりない)。
覚せい剤についても、使用していたことは本人も認めていることだが、その件では立件はされていないところを見ると常習者というほどのことでもない。
事件当時の服部は、目つきの悪い正直、「いかにも」な人相をしている。加えて、女性を強姦しそのまま焼殺するという行為が人のすることとは到底思えないことで、生まれついての凶悪な人間に思える。
ただ、やったことと服部本人の人生と、事件後の言動をみると、どうも死をも恐れぬ凶悪な人間とは程遠いところにいるような印象も受ける。
事件そのもの、というよりも、この服部純也という人間について、私は非常に興味をそそられた。
管理人様、いつも色々と考えさせられながら拝読しております。
これは、おぞましい事件でした。
被害の女性がアルバイトされていた居酒屋さんに、当時、よく通っていました。
店名は変わりましたが、今も三島の人気店です。
あの日、お店を出る時間がほんの少しでも違っていれば、女性は事件に遭うことも無かったのでしょう。
考えれば考えるほどお気の毒で、ご本人ご両親の無念を思うと言葉もありません。
たろう さま
地元をよく知る方なのですね、コメントありがとうございます。
なぜその時間まで佐知子さんが残っていたのか。本当はもっと早く上がれていたのに、佐知子さんが自ら残って手伝いをしてくれたいたのだそうです。
お店の方々も非常に無念だったと思います。
通り魔的な事件でもあり、おっしゃる通り、佐知子さん「が」狙われたわけではなかった。
そこを考えると本当に悔しいし、怒りを覚えますし、ご本人とご遺族がどれほど苦しいか、想像を絶しますよね。
当時は拉致現場付近にあまり建物がなく、暗かったと聞きました。風景が変わっても、忘れてはなりませんね。