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Aさん
検察側は、元妻の証言に続いて不倫相手であったAさんの証言も読み上げた。
不倫を咎められたとはいえ、それは親子間の問題であり、夫婦間の問題ならばいざ知らずなぜ不倫相手の証言がここで証拠として提出されるんだろうと、最初は疑問だった。
Aさんと剛志の出会いは、先述の通り会社での飲み会の席だった。
意気投合した二人だったが、実際に不倫関係になったのは出会いから半年ほど先で、その時点でも「正式な交際」には至っていなかった。
Aさんは剛志にとって、数少ない「愚痴を吐き出せる相手」で、離婚話や両親との関係もことあるごとに話していた。元妻の実家を出て家に戻ることになった際は、Aさんから見れば剛志は安堵しているようにも見えたという。
剛志が実家に戻って以降は、それまでよりも頻繁に会うことが多くなった。そして平成30年7月20日には、離婚は成立していないものの、「正式な交際」に発展した。
そのころ、両親と剛志はうまくいっているように見えたようだったが、母親の過干渉がひどくなるにつれ、剛志が家に居場所がないとこぼすようになった。
それでもAさんは、両親に心配をかけてはいけないし、言いたいことがあるなら親なんだからはっきり言ったらどうか、と剛志を窘めることもあったという。
9月になって、剛志が会社や車で寝泊まりしていることを知り、想像以上に追い詰められていると感じたAさんは、一時的に自宅に来れば、と剛志に持ちかけた。
Aさんには二人の子供がいたが、2週間ほど剛志はAさん宅で生活した。しかしある日、突然剛志の両親がAさん宅を訪れた。
剛志とAさん、両親の4人で車の中で話し合いを持ったというが、その時の母親・洋子さんの淡々としていながらも強烈に発せられる圧力は、Aさんにとって十分すぎる脅威だったようだ。
「これからどうするの?」
そう聞かれた剛志は、「Aさんと一緒にいたい」と話した。しかし、突然のことに恐れをなしていたAさんは、「今は何も考えられない」というのが精いっぱいだった。
その後、剛志は両親に連れられ実家へと戻ったが、この時のことがよほど堪えたのか、Aさんは剛志に「やはり不倫はよくない、別れよう」と告げた。
しかし剛志はそれを断固拒否。その時点ではうやむやになってしまう。
10月下旬、Aさんに突然洋子さんから電話があった。
「まだ付き合ってたん?私らに嘘ついとったん?慰謝料請求するよ。」
妻からならわかるが、なぜ母親が!?そう思う以上に、Aさんは恐怖を感じていた。そもそも、Aさん宅を両親が突き止めたのは、洋子さんが市内中を剛志の車を捜し歩いて発見したのだ。しかも、家とは関係ない場所の空き地に停めていた車から、周辺の家やアパートをしらみつぶしに調べ上げ、ポストも確認してAさん宅を探し当てたのだった。
洋子さんの執念に慄いたAさんは、今度こそ剛志に一方的ではあったが別れを告げた。
剛志からLINEがきても既読スルーを続けていた10月23日、再び洋子さんから怒りの電話がかかってきた。
「剛志が会社に行ってない!あんたと一緒におるんやろ?」
剛志はこの日から行方不明になっていた。
ゴウダさんの話
剛志が会社を無断欠勤したのは、10月23日からだった。平成26年、ハローワーク経由で入社した剛志は、まじめで、残業も嫌がらず、これまで会社内でのもめごとなどもなかった。
上司のゴウダさんは、これまでも剛志に目をかけてきたつもりだった。
若くして子を持つ父親であると知った際、家庭の状況が複雑であるというような話も耳にしたが、深くは立ち入らなかった。
そんな剛志が、家庭の悩みを口にしたのは入社して1年が過ぎたころだった。
社長も交えての話し合いで、ゴウダさんはなんとか若い夫婦がうまくいけばいいと願っていたが、その後の展開までは知り得なかった。
剛志が無断欠勤をした日も、剛志の性格やそれまでの経緯などを考え、しばらくは大事にせず様子を見ることにしたが、剛志の無断欠勤は5日に及んだ。
さすがにこのままにもしておけず、ゴウダさんは実家へ連絡を入れる。
すると、応対した洋子さんから、
「迷惑をかけて申し訳ない、もうクビにしてください」
と言われ面食らう。心配より先にクビにしてくれというのは突飛な気がした。
ゴウダさんに対し、洋子さんは続けてこう話した。
「あのー、そちらの会社にAさんていう方いますよね。仲がいいみたいだから、その人が知ってるんじゃないですか」
ゴウダさんは言葉の真意が分からずにいたが、続けて洋子さんから剛志とAさんが交際していると知らされ驚愕する。
そうこうしていると、剛志本人からゴウダさんに電話がかかってきた。
「どこにおるんや」
そう聞いたゴウダさんに、剛志は今治市内にいると伝えた。聞けば、車で彷徨いながら松山市内の山中までやってきたものの、ガス欠になり、所持金もないために松山の山中から今治まで歩いて移動したというのだ。
松山市は、道後温泉から石手川ダムに抜けて国道317号線を走ると、そのまま今治市玉川町に出る。剛志がどのくらいの距離を歩いたかは定かではないが相当な距離と思われる。
ガス欠の車は山中に放置したままだった。
ゴウダさんは実家へと剛志を連れ帰り、その後剛志は社長にも謝罪した。実家へ連れて行った際は、剛志も両親も冷静だったという。
11月に入って、会社では剛志とAさんが呼び出され、ことの顛末を問いただされた。
個人的なことに会社が首を突っ込むのもどうかと思われたが、やはり不倫であることは無視できず、この場でふたりはプライベートでは会わないと約束させられた。
ゴウダさんは、この時の二人の様子から「もう深い付き合いはやめるだろう」と信用していたという。
その後、ゴウダさんのもとには洋子さんから頻繁に電話が入るようになっていた。
しかしその内容は、およそ24歳の息子に対するものとは思えないようなものだったという。
「剛志が帰ってこないんですけど、Aさんとまだ会いよるんやないですかねぇ・・・」
帰ってこない、と言ってもまだ午後9時ころであり、ゴウダさんにしてみれば心配すると言ってもちょっと度が過ぎているのでは、とも思うようになっていた。
その後も洋子さんからの連絡は続き、辟易したゴウダさんは、会社の同僚らと口裏を合わせ、剛志が残業していたように装うこともあった。
年が明けた平成31年1月9日。
13時前に洋子からの着信があったことに気付いたが、仕事中であったためにそのままにしていた。
仕事が終わった夕方17時53分。ゴウダさんはとりあえず電話を折り返してみたが、その電話が応答することはなかった。
精神鑑定医
公判二日目。
法廷には剛志を精神鑑定した、特定医療法人清和会の和ホスピタル副院長で、認定精神鑑定医の有家佳紀医師に対する証人尋問が行われた。
有家医師は年齢から考えてもベテランの医師であり、長く松山市にある超有名精神科病院、松山記念病院で勤務した後、老人保健施設なども運営する海辺の自然豊かな病院の副院長を務めている人物である。
実はこの病院は、友人や親せきが勤務しているのでよく知っているのだが、心のケアに重点を置く病院である。
まず、有家医師が面談で聞き取った剛志のこれまでについての話があった。
幼いころは高木町の家で母方の祖母と同居していたこと、勝浩さんは電子部品を製造する工場勤務、洋子さんは事件当時は専業主婦であったという。
洋子さんは平成10年ころまでは仕事をしていたという。しかし、そのころから精神科への通院歴があった。
つづいて、剛志からみた、両親の姿、両親との思い出に話が移る。
両親はケンカが絶えない関係だったという。剛志は一人っ子ということもあり、家の中では委縮していた。
剛志の思い出の中で一番辛かったことについては、1日目の弁護人からの質問では
「むりやり入れられたお寺の塾が一番嫌だった。手をあげる先生で、成績が上がることもなく、やめたいと言っても親には聞き入れられなかった」
と話していたが、有家医師には、洋子さんからされた信じられない出来事を話していた。
剛志は高校在学中より近所のガソリンスタンドでアルバイトをしていた。
平成26年5月、剛志が17歳の時、部屋で寝ていたところ洋子さんがこっそり部屋に入ってきたという。母親の気配に気づいた剛志が起きると、自分の財布の中にあったはずのアルバイト代4,000円が消えていた。
すぐさま洋子さんの後を追い、金を返すよう迫ったが、洋子さんはすっとぼけた。
もみ合いになっても洋子さんは頑として認めず、この時剛志は初めて暴力を振るった。
左の拳で母親を4回殴ったが、それでも4,000円は戻らなかった。
剛志の暴力行為は、この後事件を含めると4回あったという。
お金を盗られた事件の直後、実家を出て元妻の実家で暮らしていた平成26年の夏、自転車で登校する剛志の前に、洋子さんが立ちふさがった。
驚いた剛志は、無言で洋子さんを自転車でひき逃げた。さらに翌年3月、元妻と口論になった際に妻にビンタをした。
そして、4回目は事件直前の12月23日と24日。この日、高平家ではその後の事件に大きくかかわってくる、ある出来事が起きていた。