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「なんで今頃になって……」
千葉県内で暮らしていた女が、殺人と死体遺棄を告白した。しかしそれは、4年も前の出来事で、女の自供がなければ全く事件として浮かんでいなかった話だった。
被害者は女の実の息子。当時高校生だった長男を、女は当時の夫と共謀して殺害し、埋めたと話した。
長男と夫に血縁はなく、日ごろから折り合いも悪かったという。
警察の調べに対し、今になって自首してきたいきさつを、女は「良心の呵責に耐えきれなかった」と話しうなだれた。
捜査員らも、母親の気持ちを捨てることは出来なかったのかと、複雑な思いで女を見ていた。
寝袋の中の骨
自首してきたのは、千葉県柏市在住の病院職員、前田有紀子(仮名/当時45歳)。有紀子の供述によると、平成6年の10月5日、かねてより登校拒否や浪費癖に悩まされていた長男の将来を悲観し、寝ていた息子の口をふさぐなどして殺害したという。
その後、当時の夫が遺体を山梨県の山に捨てたといい、静岡南署が山中を捜索した結果、木賊(とくさ)峠付近で寝袋のようなものの中の人骨を発見。
夫が話していた遺体を捨てた状況と一致したため、静岡南署はまず有紀子を殺人の疑いで逮捕した。当初は死体遺棄を手伝っただけだとされていた当時の夫も殺害行為に加わっていたとして、静岡市で歯科医院を経営する芦田浩一郎(仮名/当時42歳)も逮捕となった。
有紀子と浩一郎は事件後の平成9年に離婚しており、浩一郎は何食わぬ顔で事件現場の自宅兼歯科医院で生活していた。
有紀子は群馬県を経て実家のある千葉県柏市へと転居し、当時はアパートで一人で生活していたという。
殺害されたのは、有紀子の連れ子で当時17歳の久さん。
久さんと浩一郎の折り合いの悪さは近所の人も知っており、家に居場所のなかった久さんは近所の喫茶店によく顔を出していたという。
それが、ぱったりと姿を見せなくなった。近所の人らに、有紀子らは「義理の父親とうまくいかないので久はよそで暮らしている」と話していた。
一方で、有紀子は偽装のために家出人捜索願を出していた。
事件の前年3月に離婚後、ふたりが会うことはなかったというが、1年半が経った平成10年9月、突然有紀子が浩一郎に連絡をしてきた。
「歯の治療のためだった」
有紀子はそう話していたが、その時、自宅の息子が使っていた部屋を覗いてしまったという。
ずっと封印してきた思いがあの日のまま、有紀子の心によみがえったのか。
母として、息子を手にかけたあまりにも重すぎる罪は、有紀子の心を押しつぶした。
有紀子が自首したのは、久さんの命日の前日だった。
不可解
久さんを殺害するしかないと思うようになったのは夏ごろからだったという。
高校2年から不登校となった後、株取引などをするようになり、その資金を数百万単位でせびられていたという。金銭感覚が狂っていたのはそれ以前からで、学校からタクシーで帰宅しては浩一郎と口論になることもあった。
「このままでは、家庭が崩壊してしまう」
「殺すなら親の手で始末したほうがいいから、殺してほしい」
有紀子に言われた浩一郎は、当然冗談だと思っていた。ところが、日に日に神経をすり減らしていく有紀子を見ているうちに、「久がいなければ楽になれるのか」と思うようになっていった。
最終的に殺害を確認しあったのは前夜。この頃、久さんは有紀子に暴力を振るうようになっていた。
殺害については、有紀子は久さんが苦しまないよう、薬を使って殺してほしいと浩一郎に頼んでいた。
捜査員らは有紀子が取り調べに素直に応じたことや、浩一郎も往生際が悪いということもなく、取り調べには応じていたこともあって事件自体さほど難しくないと思っていた。
浩一郎は取り調べに対し、寝ている久さんの口と鼻にクロロホルムを染み込ませた布を当てて気絶させ、無酸素状態に陥らせたと自供。
その際、久さんが暴れたといい、浩一郎は有紀子に
「本当にこのまま殺していいのか、今なら間に合う」
と確認したという。
しかし、有紀子は「どうしても殺して」とひかなかった。
そして、暴れる久さんの体を有紀子が押さえていたというのが浩一郎の話だった。
ところが、久さん殺害は実は浩一郎の単独だったと有紀子が主張し始めたのだ。
しかも、「あまりに久が苦しそうだったので、どうしてそんなに苦しんでいるのか、と聞いたが、体を押さえたりしていない。自分は部屋の外で見ていた」というもので、殺害の事前協議は認めたものの、実行はあくまでも浩一郎が単独で行った、としていた。
最初の自首の時点での話とも、かなり違ってきていた。
さらに、その殺害に至る動機についても、このままでは家庭が崩壊すると思ってはいたが、殺害についてはなんと久さんから「これ以上自分が悪くなるようだったら殺してほしい」と頼まれていたと主張した。
女の本心
裁判は、初公判こそ二人一緒だったが、第二回公判以降は分離公判となった。
検察は、まず有紀子から殺害の依頼があり、それに浩一郎が応じたとし、二人が共謀して久さんを殺害したと主張。
殺害行為自体に、有紀子も久さんの体を抑えつけるなどして参加していたとした。
弁護側は殺害自体は争わなかったが、夏ごろから計画を立てていたとする検察に対し、実際に殺害を決めたのは事件の前夜であり、計画性については否定した。
浩一郎も有紀子も、起訴事実を認めたとされるが、浩一郎の第二回公判で有紀子は証人として出廷、「殺害実行は元夫が一人でやった」と主張した。
そのうえで、事前に共謀したことは認めたが、動機については久さんに頼まれていたという主張を繰り返した。
弁護側は有紀子が自首したことで事件が発覚したことを強調、殺害の実行についてもその差があるとして情状酌量を求めていたようだ。
たしかに、殺害を持ち掛けたのは有紀子だが、良心の呵責に耐えかねて事件を告白したのは十分、情状酌量の余地はあろう。
久さんが事件に巻き込まれているとわかっていたならば別だが、そもそも久さんは家出人でしかなく、事件性があると決まっていたわけでもなかった。
17歳のしかも結構金のある家の男の子なら、警察も好き勝手にしているのだろうと思っていたかもしれない。
しかし、有紀子は耐えられなかったのだ。
良心の呵責に耐えかねた、その有紀子の言葉は、実は嘘だった。
有紀子があの日、突然に自首したのは良心の呵責なんかではなかった。
あの日、1年半ぶりに浩一郎と暮らした家に戻った有紀子は、確かに久さんが使っていた部屋を覗いた。
そして息子の気配を感じ、良心の呵責に耐えられなくなったと話したが、実はその久さんが使っていた部屋に、久さんの気配など微塵もなかったのだ。
そこには、見知らぬ女性の写真が飾られていた。
浩一郎の、婚約者の写真だった。
死なば、もろとも
そもそも久さんを殺害したという「絆」が二人にはあったはずだ。それは、詳細は分からないが案外脆い絆だったようで、事件後早い段階で離婚している。
静岡を離れていることからも、有紀子に浩一郎に対しての未練があったようには思えない。
おそらく有紀子は、この罪を、痛みを、たとえ夫婦でなくなっても、浩一郎も自分と同じように背負って生きていくと思っていた。
もちろん、浩一郎もそのつもりだったろう。
ところが、浩一郎は新しい人生を歩んでいた。それをどの時点で有紀子が知ったのかはわからない。噂で浩一郎の婚約を知り、歯の治療にかこつけて様子を探りに来たのかもしれないし、もしかしたら全く知らずに気まぐれでやってきて、部屋の変わりように動揺したのかもしれない。
たしかに、殺害した久さんのその部屋に婚約者の写真を飾るとか、浩一郎の無神経さにもちょっと引くわぁ、なのだが、有紀子が自分自身の罪の露呈と引き換えにでもぶち壊してやると、死なばもろともだと思ったのはどの時点だろうか。
裁判でも検察は、自首について良心の呵責ではなく嫉妬であると断言していた。が、事件備忘録的にははちょっと違うと思っている。
有紀子が浩一郎に未練があったようには思えないし、正直それはどうでもいい。
有紀子が自首したのは、自分が罪に問われることと引き換えにしてでも、許せないことがあったからだ。
嫉妬というより、怒りだ。
この有紀子という女は、そもそも息子の将来を悲観して、というよりも、自分の将来を悲観したような気がする。でなければ、隠蔽工作をして罪を逃れようなどとはしないだろう。
将来を悲観した場合はとりあえず形だけでも無理心中を装うものだ。
しかし有紀子は黙っていた。それは、自分の平穏な人生をもう一度始めるためだ。久さんの将来を悲観したのではなく、久さんが邪魔だっただけだ。
もっと言えば、その邪魔者を消すために、浩一郎を利用したのだ。その、利用したはずの浩一郎は、さっさと過去と決別しようとしている……
一蓮托生のはずだったのに、自分を置き去りにするなど許さない。
(当初、自分が殺害し浩一郎が死体遺棄を手伝った、と話していたのも、浩一郎をいわばかばう素振りを見せることで、「良心の呵責に耐えかねて」という部分を補強したかったのではないか。
ところが死体遺棄は時効成立でこのままでは浩一郎が罪に問われることがないと知り、それはいくらなんでもと供述を変えたのではないのかとすら、思う。)
静岡地裁は、検察の主張をほぼ認め、久さん殺害実行は二人によるものと認定。
ともに懲役10年を求刑された有紀子と浩一郎に対し、それぞれ懲役6年を言い渡した。
久さんの問題行動も認めたうえで、「適切な助言、指導があれば立ち直りは可能だった。にもかかわらず殺害するに至ったのは、短絡的と言わざるを得ない」としたが、浩一郎については、反省を深めているという点を考慮した。
有紀子に対しては、その真意はどうあれ自首したことも考慮されたと思われる。
浩一郎は、後に山中から発見された久さんの頭蓋骨と対面することが許されたという。
「短い時間だったが、(息子と)たくさんのやりとりができたと思った。心から、申し訳なかった」
最終陳述で、浩一郎は涙を流して久さんに謝罪した。
有紀子はその後の刑務所の中で、自首したことをどう思っただろうか。
とりあえず、浩一郎の再婚をぶち壊せたことは、満足だったろうか。
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参考文献
静岡新聞社 平成10年10月8日、12月22日朝刊、10月16日夕刊、平成11年1月26日、5月18日、20日朝刊、6月30日夕刊
産経新聞社 平成10年10月8日東京朝刊
朝日新聞社 平成10年10月8日東京朝刊、12月22日東京地方版/静岡