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女が起こした事件というと、どんなものを想像するだろうか。
最近ではメガバンクの女性行員が貸金庫内での窃盗を行っていたという事件があったり、全国各地の農協、信金などでも女性職員による多額の横領事件などは後を絶たない。
統計でみても、女性による検挙者の中で万引き、窃盗が6割を占める。次いで傷害・暴行、そして詐欺横領などとなっているが、それ以上のいわゆる人の命を奪うような重大なケースも全体の1割ほどになる(令和4年度の場合、女性検挙者37,021人)。
殺人事件における被害者との関係を見ると、男性が知人や職場関係などが多いのに対し、女性は家族や親族、恋愛関係など狭くて深い関係性のものが多い。
またその動機では、男性が些細な口論やトラブルから殺人に発展するケース、犯罪を隠蔽するため、逃走するため(逮捕回避)に殺人を行うケースが多いのに対し、女性はやはり男女問題が絡むケースが多いという。女性特有の動機としては「育児に関係するもの」もある。
女が人を殺す時。その理由。
燃やす女
case1 袖ヶ浦の女
平成元年8月5日午前10時ころ、千葉県木更津市の木造2階建てアパートから火が出た。
火はアパートの一室を焼いて消し止められたが、その部屋から男女の焼死体が発見された。
遺体で発見されたのは、その部屋に暮らしていた漁業・今間正樹さん(当時28歳)。
もう一人の女性の遺体は、後に今間さんの交際相手で看護師の塚越美晴さん(当時22歳)と判明。
状況として、ベッドの上で今間さんが、そして塚越さんは首に電気コードのようなものを巻き付けた状態で死亡しており、さらにその電気コードが窓枠の鍵部分に引っ掛けられていたことから当初は塚越さんが今間さんの首を絞めて殺害し、後に室内に灯油をまいて火をつけ、自身も首吊り自殺を図ったとも考えられた。
しかし今間さんと塚越さんの交際は順調で、事件当日も旅行に出かけることになっていたといい、近々結婚の予定もあったということから心中、無理心中するような動機はなく、警察は第三者による殺人と断定した。
今間さんには離婚歴があった。
昭和57年に結婚し、ふたりの男の子にも恵まれたが、昭和63年5月に離婚。子供たちは前妻が引き取った。
警察は前妻に話を聞くために所在を確認すると、事件翌日、千葉県勝浦市内で自損事故を起こして入院していることが判明。ケガの状態が軽かったことで話を聞いたところ、ふたりを殺害したことを認めたため殺人と放火の疑いで逮捕となった。
逮捕されたのは今間さんの前妻、敏江(当時25歳)。
敏江は事件当日、今間さんに復縁したもらいたくて自宅を訪ねたものの、今間さんに拒絶され、さらには今間さんが寝てしまったことに腹を立ててとっさに首を絞めて殺害したと供述した。
さらに、そこへたまたま美晴さんが来てしまったという。ふたりは言い争いになり、敏江が電気コードを用いて美晴さんの首を絞めた。
その後、無理心中に見せかけるために窓枠にコードの端を巻きつけたり、室内にあった灯油をまいて火をつけるなどの偽装を行ったと話した。
千葉地裁は敏江に懲役17年を言い渡した。
敏江は、18歳で長男を出産。今間さんも二十歳と若かった。
若い二人はそれなりに生活をつくりあげ、次男も授かり幸せな時期もあったろう。なにが理由で離婚に至ったのかは不明だが、離婚して1年ですでに再婚目前の今間さんに対し、敏江の生活は苦しかったという。
加えて、敏江には幼い息子がいた。小学校に上がって出費もかさんだろう。今間さんから養育費などもらえていたかは不明だが、後の裁判で生活の苦しさもあって今間さんに復縁を願い出たという話があるため、もしかしたら養育費はもらえていなかった、あるいは十分ではなかったのかもしれない。
それから、これは邪推でしかないが、当初の報道で「別れた夫と愛人殺す」とされている点から、もしかすると離婚の理由の一つとして美晴さんの存在がすでにあったのかもしれない。
被害者である今間さんと美晴さんは気の毒としか言いようがないが、それ以上に大人の身勝手で父も母も失うことになった兄弟が不憫である。
CASE2 栃木の女
平成9年9月16日早朝、栃木県佐野市のガラス店兼住宅の2階から火が出た。
火は2階建て木造の店舗兼住宅を焼き、さらには隣接する牛乳店と空き家2棟の外壁にまで延焼した。
この火災で、ガラス店を経営している男性が当時2階の寝室で寝ていたものの、火に気づいてすぐに避難しており無事だった。
が、実はこの火災当時、もう一人この家から逃げ出した人物がいた。
警察はその人物に事情を聞いたところ、自分が火をつけたことを認めたため現住建造物放火の疑いで逮捕、後に殺人未遂の容疑でも再逮捕となった。
逮捕されたのは、添島留美子(仮名/当時59歳)。男性の別れた元妻だった。しかも、離婚したのは事件のわずか10日前のことだった。
調べに対し留美子は、元夫に対してよりを戻してほしいと懇願していたというが、強い言葉で拒絶されたことを怨みに思い、無理心中を企てたと話した。
寝ていた夫の布団の足元に米袋などをおいて灯油をまき、火をつけたものの元夫がすぐに逃げ出したため、自分も死ぬのを諦めたのだという。
弁護側は裁判で留美子の精神鑑定を請求したが、裁判所は却下。
後に懲役7年が確定した。
この元夫婦、結婚生活は実に30年以上であり、子供もすでに独立していてその家には二人で暮らしていた。
ただ夫婦の間には元夫の女性問題が起きていて、夫から離婚を求められていたという。しかし留美子は拒否していた。自分を顧みない元夫への嫌がらせなのか何なのか、夫が仕事に行った後、店の入り口に「廃業しました」と貼り紙をすることもあったという。
その後留美子が根負けしたのか、なにか条件があったのかは不明だが、ともあれ離婚は成立。
ただ離婚が成立しても、59歳になっていた留美子に行くあてはなかった。そのため、離婚した後も留美子はそのまま元夫と暮らした家に住んでいた。
二階の8畳間を元夫が、そのふすま1枚向こうの6畳間で留美子が暮らすという、絶対イヤな感じの同居生活だった。
元夫は軽い気持ちだったかもしれないが、おそらく留美子は、一緒に暮らしていさえすれば夫もよりを戻してくれると思い込んでいたようだ。
が、元夫にその気は全くなかった。あの夜、よりを戻してほしいといつもよりも丁寧に頼んだという留美子。それに対する元夫の返事は、
「お前とは絶対に復縁などしない」
という冷たいものだった。
ならばもう、この人を連れて行こう。
炎に気づいて逃げ出そうとした元夫の腕を、留美子は掴んだ。そして、燃え盛る火の中へ元夫を引き戻そうとした。
それでも、元夫は留美子を振り払って逃げていった。
「あの年で夫に捨てられるなんて」
近所の主婦は、事件後の取材でそういって留美子を哀れんだ。
隠す女
CASE1 広島の女
その男の行方が分からなくなったのは、昭和58年の夏の終わりだった。
男は昭和53年から2年間の服役を終え出所、暴力団幹部として活動していたが、ある日突然姿を消してもう3年余りが経過していた。
男はどこに消えたのか?暴力団幹部ということもあり、暴力団同士の事件に巻き込まれた可能性も高かったが、事実、男は事件に巻き込まれていた。
昭和62年5月15日、警視庁捜査四課と深川署は、行方不明の暴力団幹部の愛人の女を、幹部殺害容疑で逮捕した。
逮捕されたのは広島県福山市の無職、田部井美奈子(仮名/当時42歳)。殺害されていた暴力団幹部は、江東区在住の田上勇さん(当時47歳)だった。
調べに対し美奈子は、田上さんとは昭和52年ころから愛人関係にあった。先にも述べたとおり、田上さんはその翌年の昭和53年から55年まで服役しているが、その間に美奈子は別の男性と交際するようになっていた。
田上さんが服役している間は良かったが、出所した田上さんに別れ話を持ち掛けると当然ながら田上さんは怒った。
ここからが暴力団なのだが、田上さんは落しまえとして美奈子に手切れ金を要求してきたという。暴力団相手にまともな話が出来るはずもなく、美奈子は追い詰められていく。
そして昭和58年の9月、夢の島の駐車場に田上さんを呼び出すと、自分の車に招き入れ、隠し持っていた刃渡り約20センチの牛刀で田上さんの胸を刺した。
田上さんを殺害した後、美奈子はその遺体の処理に困った。そこで新しい交際相手の男に相談し、当時交際相手が居住していた広島県まで運んで隠蔽することにした。
東京から広島まで、ふたりは交代で運転して田上さんの遺体を移動させると、そのまま車に放置した。その後、ふたりは福山市内の市営住宅で同棲を始めた。
遺体は毛布でぐるぐる巻きにされた状態だったが、当然すぐに異臭がしはじめることとなる。美奈子はその都度、駐車場を変更し、結果として3年にわたって事件発覚を免れていた。
福山市内で発見された美奈子の車は、窓ガラスに目張りがなされ、車もシートで覆われていた。
苦情が出るたびに、美奈子はどんな思いでその車に乗り込んだのだろうか。田上さんの死臭をまとって帰宅する美奈子を、男はどんな思いで迎えていたのだろうか。
美奈子には懲役10年が言い渡された。
case2 沖縄の少女
「あそこはもう車一台ずつもっているからみんな別々で謎、謎(の家族)だったね」
琉球朝日放送の取材に、その家の近所の住民が答えた。
沖縄市役所から南へ、こどもの国通り、美島通りへと走ると、右手に比較的新しい住宅街が広がる。
その一角に、その家はあった。
平成21年2月、その家に暮らす米軍基地で働く男性から、「二階の部屋で人が死んでいる」と通報があった。沖縄署員が駆け付けたところ、確かに二階のクローゼットの中に腐乱した状態の遺体があった。
その後、DNA鑑定で遺体は男性の妻と判明。さらにその首にはひものようなものがまかれており、死因も窒息死と断定された。
男性によると1月上旬に妻からメールで「娘と一緒に親戚の家へ行く」と伝えられていたが、その後親戚を訪ねた様子もなく二人とも帰宅しないことから、捜索願も出されていた。
死亡推定日時は1月11日ころ。男性にメールが送られた直後に妻は死亡していたとみられた。
妻が死亡、しかも自宅に遺体があったことで、警察は一緒にいるはずの娘の行方を追った。娘も何らかの事件に巻き込まれているかもしれないし、そしてもう一つは、娘が事件に関与している可能性もあったからだ。
警察は家族からの情報提供などから足取りを追い、遺体発見の二日後、沖縄市比屋根のホテルにいるところを発見、保護した。
娘はまだ、15歳だった。
娘は発見当時、20代の男性と一緒にいたが、男性は娘とさほど深い関係ではなかったようで、本当の年齢も知らなかったと話した。
警察が事情を聞いたところ、娘は「母親が死んでいるのを発見したが、どうしていいのかわからず怖くなって隠してしまった」と話した。
しかし、首にあったひものようなものやそもそも死因が窒息死であることからさらに追及したところ、娘は母親を殺害したことを自供した。
が、「死なせてくれ」と母親に言われたうえで、やむなく殺害したというものだった。
娘は15歳ということもあり家庭裁判所へ送られたが、そのまま嘱託殺人と死体遺棄の非行事実で中等少年院送致が決定した。
複雑な家庭だった。
事件のあった家は、もともと二世帯住宅の作りになっており、玄関も別、1階と2階で生活が分けられていたという。
1階では娘の父親と祖父が、2階では母親と娘が生活していた。家庭内別居のような状態で、母娘が父親らと顔を合わせることはほとんどないという生活スタイルだったという。
そのため、メールや電話でのやりとりは当たり前で、当初は父親も特に不審に感じていなかった。
一方、結果として嘱託殺人になった娘の供述だが、おそらく様々な関係者の証言があってそうなったのだと思われる。
ただ、そうだとしてもその後の娘の行動はまるで逃避行のようなものだった。
父親にメールを送ったのも、そもそも娘だった。自分の携帯から、母親の名前でメールを送り、さらに自分も父親に電話で同じ話をしていた。
また、友人らには「母親がひき逃げ事故で死亡した」とも話していて、父親に隠蔽する一方で知人らには母親が死んだと伝えるなど、何がしたいのかといった印象もあった。
そして気になるのが、発見当時一緒にいた男性の存在だ。
男性は事件には無関係だったが、だからこそ、疑問なのだ。恋人だったならばまだわかるが、なぜ娘はこの男性と一緒にいたのか。
この事件が報道された時のことを、うっすらと覚えている。
ソースがないため書けないが、発見された時の様子に違和感を抱いた。犯行当時15歳ということで報道も慎重だったし、審判の内容もほとんど明かされていない。
検察は、嘱託殺人とした経緯について、娘の証言以外にも嘱託を否定できない証言があった、としていたが、その内容も分からない。
母と娘は仲が良かったという。娘は高校をすでに退学していたが、在学中は車で送迎する姿がよく目撃されていた。
その母親に、死なせてほしいと言われたからといって死ぬまで首を絞められるものなのか。そもそも、母親が15歳の娘に殺害依頼などするものだろうか。それは娘を犯罪者にするということだ。
本当のことは娘しか知らない。
崩壊する女
静岡の母親
消防本部にかかってきたその電話は、不穏だった。
平成12年10月8日の早朝。電話の相手は無言だった。いたずらかとも思われたが、相手が重篤な状態にある可能性もあり、消防本部は慎重に呼びかけていた。
1分半ほどして、電話は切れた。消防本部がすぐさま発信元にかけ直したところ、女性の声がした。
「苦しい……」
消防本部は事態が芳しくないと察し、救急車を出動させる。この時点で詳しい住所も分かっていなかった。
何かおかしい。
電話はその間も繋いであり、消防本部では必死で相手に呼びかけを続けたが、会話はほとんど成立せず、13分にも及んだという。
その時、別の119番通報が入った。通報の内容から、おそらく先程の通報と同じ現場とわかった。
「家族が刺された」
救急車が到着すると、その家の中で3人が血まみれで倒れているのが発見された。
ひとりは中年の男性、ふたりは若い女性で、その内の一人は電話を握りしめた状態で倒れており、しかも妊婦だった。
男性と、2階のトイレ前で倒れていた女性は残念ながらすでに死亡していたが、通報してきたと思われる妊婦は息があった。
すぐに搬送され、女性は無事出産することが出来た。
被害者らは家族と思われた。2本目の通報は、妊娠していた女性の夫が、自らも傷を負いながら隣家に助けを求めてなされたものだった。
一体何が起きたのか。
死亡していたのはこの家の主、込山薫光さん(当時59歳)、その次女で会社員の玲子さん(当時25歳)、そして首を斬られながらも助かったのは、長女の未希子さん(仮名/当時28歳)、夫の佳孝さん(仮名/当時32歳)だった。
未希子さんは、搬送される前に
「お母さんが風呂にいる、助けて」
と言っており、救急隊が風呂を見に行くとそこには母親が傷を負って座り込んでいる母親とみられる中年女性がいた。腕などから出血していたが、幸いにも軽傷だった。
警察は、佳孝さんと母親から事情を聞いたところ、風呂場にいた母親が家族を刺したことを認めたため、殺人と殺人未遂の疑いで逮捕となった。
逮捕されたのは込山さんの妻・美代子(当時56歳)。
調べに対し、「夫が浮気をしているので殺そうと思った。家族に迷惑が掛かるので全員殺して自分も死ぬつもりだった」と話した。
この家には普段、込山さん夫婦と二人の娘が暮らしていた。助かった長女の未希子さんは1月に結婚していたが、妊娠中ということもありその後も実家で暮らしており、夫の佳孝さんが自宅のある横浜から週末だけ込山さん宅に来ていたという。
実は未希子さんの出産予定日は10月9日で、事件の翌日だった。そのため、佳孝さんは6日頃から出産に立ち会うため込山家に来ていたのだ。
込山家は国道246号線裾野バイパス桃沢高架橋の下に位置する、周囲を田畑に囲まれた場所にあった。
数軒が固まっている込山家の近隣では、つい最近まで初孫誕生を心待ちにし、ベビー服の準備などをする美代子の姿が見られていた。
しかし一方で、美代子は約3年ほど前から夫に不信感を抱き、そしてそれは家族を消し去らなければ収まらないほどの苦悩としてのしかかっていた。
事件後、警察が家の中から美代子が書いた書置きと遺書のようなものを発見した。
そこには、なぜ自分が家族を殺害し自分も死ぬのかという理由が書かれており、それによれば美代子の中で夫の浮気は確定事項のようになっていた。
ただ、美代子は最初に一家心中を思いついてから実に1年近く、その思い抱きつつも逡巡していたという。おそらく、未希子さんの結婚や妊娠などもあって気持ちが揺らいだのだろう。
近所の人が言うように、初孫の誕生への期待が、夫への不信感を上回った時期もあったのだろう。
しかし結果として事件は起きてしまった。
そのきっかけは、事件当日の10月8日にあった。
その日は、ある家の法要が営まれる日だったという。その家というのが、まさに美代子が疑っていた夫の浮気相手とされる女性の家だったのだ。
込山家には、その女性の家から法要の案内状が届いていたという。しかし美代子がそれを故意に夫に見せなかった。そして夫がそれを知って口論に発展していたというのだ。
……法要?
通夜や葬儀であれば一般の参列も有り得るが、法要というのは基本的に家族、親族に限定するのが一般的である。込山家のあたりは違ったのだろうか。
違わないとするなら、浮気相手というのは込山家の親類ということにならないだろうか。とすればかなりきつい。
事件後、静岡新聞社の取材に対して、親戚がそのきっかけとなった法要の話をしていることを考えても、美代子が疑っていた夫の浮気相手はやはり親戚の女性ということなのだろうか。
ただ裁判では美代子が重症の妄想症もしくは妄想性障害だったと認定されているため、おそらくこの夫の浮気というのは美代子の思い込みだった可能性が高い。
弁護側も、犯行当時心神喪失だったとして無罪を主張していた。
検察も同じく、妄想による犯行だったとして心神耗弱は認めたものの、限定責任能力があったとした。
美代子の思い込みは相当だった。夏には浮気相手に財産を盗られ家庭が崩壊するとして夏ごろには警察に相談にまで赴いていた。
警察は家族内の問題であるとして、親族に相談するようアドバイスしていたという。
美代子は罪状認否で、殺害を企てたのではなく、あの世で家族と幸せに暮らしたいという思いで心中しようとした、と述べた。
静岡地裁沼津支部は、限定責任能力を認め、懲役15年(求刑懲役16年)を言い渡した。
浮気相手に家庭を壊されるという妄想に取り憑かれた美代子自身が、その幸せだったはずの家庭を崩壊させてしまった。
美代子がその後、妄想から逃れられたのかどうかはわからない。しかしいっそそのまま妄想の中で生きた方が美代子にとっては苦しみは少ないようにも思う。
妄想から逃れられた瞬間から、本当の地獄が始まるのだから。
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参考文献
中日新聞社 平成元年5月16日、8月10日朝刊、平成12年10月9日朝刊、平成21年2月18日夕刊
産経新聞社 平成12年10月9日東京朝刊
読売新聞社 平成元年5月16日、8月8日、9日東京朝刊、平成12年10月9日、11日、平成13年7月6日東京朝刊、平成21年2月21日東京朝刊
静岡新聞社 平成12年10月10日、平成15年6月26日夕刊
朝日新聞社 平成元年8月5日、10月26日東京夕刊、8月9日東京朝刊、平成9年9月17日、10月9日、平成10年4月25日、6月24日、9月19日東京地方版/栃木
NHKニュース 平成元年12月21日
日刊スポーツ新聞社 平成9年9月17日
沖縄タイムス社 平成21年2月21日朝刊夕刊、3月13日、16日朝刊(社会部・湧田ちひろ、金城珠代、堀川幸太郎)、4月4日朝刊(社会部・堀川幸太郎、金城珠代、湧田ちひろ)
琉球新報社 平成21年2月21日朝刊
西日本新聞社 平成21年3月13日夕刊
参考サイト
沖縄で感じた日常 2009年の北中城の殺人事件のその後を知っている人います?