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平成26年6月10日
広島市南区の路上で、中年の男性が家から飛び出してきた。
そのすぐ後を、同じく中年の女性が追いかけ、その男性を捕まえると家の中へと戻っていったのを通行人がその一部始終を見ていたが、どこか乱暴というか、男性と女性の関係に異様な雰囲気を感じさせていた。
「家に帰りたい・・・」
男性は力なく呟いた。
平成26年6月11日午前4時
山口県岩国市立石町のアパートで、その部屋に住む米満清一さん(当時66歳)が息をしていないと、米満さんの知人女性が近所に住む友人に助けを求めた。
警察に通報してほしいと言われたその友人が110番通報をし、駆け付けた警察が下着姿のままアパートの居間で倒れこんでいる米満さんを発見。
司法解剖の結果、胸や背中を強く殴られたことでの左肺挫傷により死亡したと判明した。
死亡推定時刻は6月10日から11日までの間で、警察では殺人事件と断定、部屋が荒らされた形跡はなかったことなどから、交友関係を中心に調べを進めた。
しかし12日夜になって、米満さんが息をしていないと知らせた知人女性が殺害に関与したとして、広島市南区在住の無職・西村多津(56歳)を殺人容疑で逮捕した。
多津と米満さんは、2011年ころから交際していたとみられ、この日何らかの理由で多津が米満さんに暴行を加えたらしかった。
しかし、高齢に差し掛かる年齢とはいえ、米満さんは建設作業員、警備員などもしている男性であり、対する多津は特別大柄であるとかそういうことでもなかった。
口論がヒートアップしてお互いが殴り合ったとか、そういうことでもなく、多津にはケガなどは見当たらなかった。
実は、多津はかねてから米満さんに対して些細なことで暴力を振るうドメスティック・バイオレンスの加害者であったのだ。
ふたり
多津は離婚歴があり、子どももいた。
米満さんとの出会いは2011年。知人の紹介だったという。ふたりは意気投合し、多津の子どもを含めて出掛けることもたびたびあった。
50歳を過ぎての新しい出会い。しかも、米満さんは優しくおおらかな性格であったので、社会的にも経済的にも恵まれているとはいえなかったふたりは、寄り添って穏やかな第二の人生を歩んでいるように思われた。
しかし、米満さんはおおらかである半面、見る人によれば「大雑把、だらしない」と取られてしまう性格でもあった。
日常生活においても、電気をつけっぱなしにしたり、鍵を閉め忘れるなどの些細なことではあったが、多津はそういったところが人一倍我慢ならなかったとみえる。
交際を始めて1年ほどたったころ、多津は米満さんが失敗するたびに暴力を振るうようになった。
とはいっても、毎回暴力を振るうということではなく、多津の機嫌が悪いときや失敗が度重なったときなどにそれは行われていたようだ。
問題はその暴力の程度だった。
女の力でぶっ叩いたとしても、男性が防御するなりすればそんなに大きなケガになることはなさそうなものだが、米満さんの顔には痣が出来るようになった。
それは時間の経過とともにどす黒く変色していたというから、相当な暴力と思われるが、米満さんが抵抗したり反撃した様子はなかった。
それでも2013年の秋、耐えかねた米満さんは警察へ被害届を出す。
現行犯逮捕となったというからよほどの暴力が認められたと推測できるが、男女差のこともあったのか、多津は起訴猶予で釈放となった。
一方で山口地裁は、多津に対してDV防止法に基づいて米満さんへの接近禁止命令を出す。
ふたりの交際は実質的にこの時点で終わった。かに思えた。
一か月後、ふたりは岩国市内のスナックで「偶然」再会する。
再会からの暴力
偶然とはいえ、接近禁止命令が出ている相手と鉢合わせしたら本来ならば逃げ帰ると思うのだが、米満さんは逃げずに多津とよりを戻した。
その頃多津は広島で生活保護を受けて暮らしていたというが、実は米満さんも経済的に困窮していたようだった。
生活保護で定期的に収入を得ることができた多津とまた一緒にいれば、お互いの生活も楽になると考えたのだろうか。
裁判で多津は、「米満さんは月に10日ほどしか働いていなかった、食料などを購入して渡したこともある」と話していることから、多津の一方的な復縁というより、お互いメリットをとった、ということなのだろう。
2014年4月9日に接近禁止命令が解けた際、警察に対して米満さんは「再度接近禁止命令を出してもらう必要はない、今も(多津が)きているがもめたりしていない」と話した。
しかし、その2か月後、米満さんは命を落とすことになってしまった。
6月10日。
その日は広島市内でのお祭りを見るために、ふたりは数日前から広島市内の多津の家にいた。
実はこの頃、多津の暴力が再び顔をのぞかせていた。
抵抗しない米満さんに対し、多津は些細なことで殴る蹴る、時には物を使って殴打するなど、その暴行の程度はエスカレートしているように思えた。
米満さんの顔は傍目から見てもわかるほどに黒く変色していたため、外出時にはマスクで顔を隠していたという。
祭り見物どころではなくなった米満さんは、隙を見て多津の自宅を飛び出した。
その時の様子が、冒頭のものであるが、この時通行人らに見とがめられたことで多津はさらに激高する。
「恥をかいた!」
多津は自宅に米満さんを引っ張り込むと、米満さんの頭をビールジョッキで殴りつけた。
もう米満さんは限界だったとみえ、「岩国に帰りたい」と口にした。
多津は米満さんとともにタクシーに乗り、岩国の米満さん方を目指した。
タクシーの中で米満さんは寝入っているようだった。
岩国のアパートについてからも、多津の怒りは収まっていなかった。
アルコールが入っていたこともあり、米満さんの足元はおぼつかない様子だったが、とりあえず多津は米満さんの頭部の傷を消毒するなどの手当てをしたという。
ひと段落し、トイレへと向かった米満さんは足がもつれて転倒してしまう。多津はそういったことにも腹を立て、米満さんの頭を数発殴った。
トイレから戻った米満さんは、布団の上に横になると、その状態のままで下着を取り換えようとしたという。
布団の近くには多津のバッグが置いてあり、うっかり多津のバッグに血がついてしまった。
それを見た多津は、まるで何かがキレたかのように激怒、横になっている米満さんの腹部や背中を足で蹴った。
呻き声を上げる米満さんだったが、やがてうつぶせになっていびきのような音を立て始めた。
おそらくそれも気に入らなかったのだろう、多津はハサミを持ち出すと、俯せの米満さんの背中に何十回とハサミを突き立てた。
まるでそうすることで自身の怒りを収めようとしているかのように、何度も何度も、ハサミを米満さんに突き刺し続けた。
その傷跡は、50か所にもなっていた。
ふと、静かになった米満さんが息をしていないことに気付く。
「やってしもうた」
多津は心臓マッサージなどを試みたようだが、すでに米満さんは息絶えていた。
知的水準の低さと狡猾さ
裁判では多津の知的水準が、いわゆる正常域と遅滞域の境界にあるということを弁護側は訴えた。
その上で、「普通なら対処できるような些細な問題を、多津被告は人一倍深く事態を受け止める傾向があり、その問題に直面した時の対処能力が劣っている」として情状酌量を求めた。
注意して解決すればいいようなことでも、極端な暴力行為に走るのは、対処能力に問題があるからだという主張だった。
検察側は、決定的な殺意の立証は困難であるとして、傷害致死での起訴だったが、多津は起訴内容を全面的に認めた。
杖をつきながら入廷した多津は、とても成人男性を蹴り殺したような女には見えなかったが、米満さんは多津に蹴られたことで肋骨が6本折れ、そのうちの1本が肺を貫いたことによる左肺挫傷が死因だった。
判決では、多津の暴力が突発的ではなく、もはや日常のものであったと認定、求刑10年に対し、懲役6年とした。
多津は裁判の間も時折涙を見せ、反省の言葉も口にした。
米満さんが死亡した後は、何度も自殺をしようと考えたという。しかし、子どもたちの顔を思いうかべると、出来なかったと打ち明けた。
裁判を傍聴した記者ら傍聴人にも、多津の暴力的な面だけでなく、愛情深い一面も垣間見えたという。
しかし一方で、自殺を考えたと話す時にわざわざ手首を切るしぐさをしてみたり、それこそ杖をつきながらおぼつかない足取りで入廷して見たり、どこか多津の言動には芝居がかった印象もある。
弱々しさを出しながらも、暴行を働いた理由を、
「(米満さんは)口で何回言ってもわからなかった。三つの子でも3回言えばわかる」と切り捨てるような証言もしている。
女性特有というと怒られそうだが、攻撃的な女性ほど、弱々しい演技が得意なのは私の独断と偏見だが、そう外れてもないと思っている。特に、年齢を重ねるほどにそれは顕著だ。おそらく、真の意味での反省からの涙ではない、と私は思っている。よくテレビでやってる、万引きしちゃったおばちゃんが事務所にしょっ引かれてる図、アレだ。この場を収めるためにならば、いくらでも泣けるというやつだ。
知的水準がやや低かったというのは裁判でも認定されているが、その水準が低いがゆえにあからさまな「狡さ」も垣間見えてしまう。
おそらく検察も裁判所も弁護人も、みんなわかってたと思う。
離れられなかったふたり
それでも米満さんの行動にも不可解な点はある。
被害届を出し、接近禁止命令まで出たにもかかわらず、その1か月後にはよりを戻したというのはいくらなんでも異常だ。
たしかに、多津が言うように「経済的な問題」で多津を受け入れたのかもしれない。
しかし、私にはどうもそれだけに思えない。
これが男女逆だったら洗脳だー、マインドコントロールだーみたいになるんだろうけど、この二人の場合、そういったのとは無縁な気がするのだ。
米満さんは山でタケノコを掘っては、近所に配って歩くような優しいおじちゃんで通っていた。
多津に対しても、プレゼントを贈ったりする一面もあった。
人生の最終章の入り口で出会った、年下の多津。
きっと米満さんにしかわからない、多津の魅力はあったのだろう。
多津にしてもそうだ。
米満さんのことを「とうちゃん」と呼び、裁判でもとうちゃんと呼び続けた。
偶然再会したという岩国のスナックは、本当に偶然だったのだろうか。
ざっと調べただけでも岩国駅周辺だけで100軒以上の飲み屋がある。おそらく、ふたりが過去に通ったことのある店だったのだろう。本気で多津を遠ざけたかったら、鉢合わせする可能性のある店に行くだろうか。
多津は、そこで米満さんとの再会を期待していたのではないか。そして米満さんもまた、同じ気持ちがもしかしたらあったのかもしれない。
米満さんが暮らしたアパートは、岩国市を走る国道2号線と、山陽本線の西側を流れる川のそばにある。
道路から一段下がったような場所で、住宅が広がる中に古くからある二階建てアパートだ。
あの日、米満さんが汚したと言って多津が激高したそのバッグは、米満さんが多津の誕生日に贈ったバッグだった。乞われて買ったのか、米満さんが自発的に買ったのかいずれにしても60を過ぎた男性が女性に対してプレゼントを買った。米満さんにしても、まんざらでもない気分だったのではないか。
多津がバッグにこだわったのは、もとはと言えば米満さんにもらったバッグだからこだわったのではないか。
相手を支配しようとか、意のままに操って利用しようとか、そういった理由で多津は暴力を振るったのではないだろう。
間違っているけれど、おそらくそれは、多津からすれば米満さんに対して愛情は確かにあった。本当は何よりも大事だった。けれど、殺してしまうまでそれに気づけなかった。
検察官に「バッグと米満さんとどっちが大事だったのか」と聞かれ、「今思えばとうちゃんだった」と涙をこぼした。反省しているかは別として、米満さんのことは確かに愛していたのだろう。
これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛。
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参考文献
朝日新聞社 平成26年6月12日西部夕刊、13日西部地方版/山口
共同通信社 平成26年6月13日
読売新聞社 平成26年6月13日西部朝刊
うーん、「愛」ですね。
多津は怒りをコントロール出来ていなかったのすね。本当はそんな事したくないのに。でも頭に血がのぼってしまったら、もう止まらない。ハサミで背中刺すなんて!怖すぎる!
米満さんは、そんな多津を見て、耐えるしかないと思ったのでしょう。基本的に悪い事してないのでしょう。浮気とか博打とか。
でも、怒られる。些細な事で怒られる。しかも、その怒り方が尋常じゃない。病気なんだと。耐えよう。ただひたすらに耐えよう。サナギマンみたいに。
多分、怒りが収まった後の多津は、後悔したのでしょうね。恐らくですが、これが離婚原因なのでしょう。また離れて行ってしまう!
なんか、怪力の化け物の話を思い出しました。
大切なものを抱きしめたいけど、その強い力で壊してしまう。大切なものが無くなってしまう。
米満さん、このやり方で行くなら、死んでしまったらダメ!ダメージを最小限にするようにしないと。
まず、正面で受けない。体の前側は以外と急所が多い。なので背中を向ける。そして、うつ伏せ状態で「亀」になる。そうすると、ある程度ダメージを軽減できる。
ま、俺だったらやり返す。ボコボコにする。とにかく負かす。いわゆる「心を折る」ってやつ。
多分、負けた事がなかったのでしょう。だから「暴力」に取り付かれたのでしょう。負ければ、普通は過度な暴力は奮わなくなるでしょう。あくまでも普通はです。例外もあります。
米満さんの優しさが仇となりました。本当に愛しているのなら、負かすべきです。耐えるのではありません。負かして去って行ったのであればそれまでです。
なんで「水中花」と思ってましたが、なるほど!何かいい落語を聞いたみたいでした。お見事!
作品としては、こういう物もいいですね。
ひめじの さま
そうです、松坂慶子の名曲のワンフレーズが思い浮かんだのでタイトルに入れました(笑)
米満さん、お写真を見ましたが優しそうな方でした。ちょっと遊び人(働かないという意味)なところがあったのか、それも多津はイラついたのかもしれません。
多津は生活保護受けてますから、本当は米満さんになにか言える立場ではないんですが、実質、収入が安定していた多津が経済的な面倒を見ていた節があるんですよね。
実際に暴力を奮ったあと、傷口の手当をしたり色々やってはいるんです。
でも、やはり普通じゃないです。
米満さんは死ぬなんて思わなかったのかもしれません。当時結構酔っていたので、もしかしたら何もわからないまま死んでしまったのかも。
多津を心配していたかもなぁなんて思いました。