🔓母に諦められた幼い命~広島・二児虐待死体遺棄事件~

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平成12年10月末

広島東署。
その日、一人の女が知人に付き添われて警察署へ被害届を出しに来た。
知人の説明によると、女の交際相手であった男から、金品を脅し取られているということだった。
署員が調書をまとめていると、その知人は続けて驚くべき話をし始めた。
「この人の二人の子供の姿が見えない。もしかしたらその男に殺されてどこかに捨てられているのかもしれない」

突飛な話に驚く署員をよそに、母親であるその女はあまり口を開かなかった。
警察は、まず被害届を受理した恐喝の容疑で、広島市中区在住の男を11月28日に逮捕、その後の取り調べで男が
「1年前、(被害届を出した)女性の長女と長男を虐待したら死んだので、山に捨てた」
と供述したことから、呉市内と安芸区内の山中を捜索。
12月1日、それぞれの場所から二人の遺体と思われる頭骨やその他の骨片などが発見されたのだった。

遺体発見

警察は当然、男の逮捕で終わらさなかった。二人の子供がいなくなったというのにこの母親は今の今まで何をしていたのか。
12月4日、二人のうち一人についての死体遺棄容疑で、男とともに母親も逮捕した。
男は鷹尾健一(当時28歳)。母親は瀬川光子(当時26歳)。
山の中で白骨遺体となっていたのは、光子の長男・慶樹くん(当時6歳)と、長女・祥子ちゃん(当時4歳)と確認された。

警察では何らかの形で死亡した兄妹を二人が共謀して遺棄したとみていたが、二人が殺人にも関係しているとみて捜査を続けた。

遺体はそれぞれ、祥子ちゃんを呉市の休山(497メートル)に、慶樹くんを安芸区阿戸町の山中に遺棄しており、二人とも鷹尾の供述通りの場所で発見された。

祥子ちゃんの骨は休山頂上付近で広範囲に散乱した状態で発見され、おそらく道路から投げ棄てられた可能性が高かった。
1年もの間、風雨にさらされ続けた祥子ちゃんは、動物に荒らされ骨は散り散りになっていたという。
しかも、祥子ちゃんの遺体遺棄の際には、この母親が現場まで一緒に行っていた。

捜査が進むにつれ、二人が死亡したのは虐待というより殺人と言って差し支えないほど凄惨な暴力と虐め抜かれたことによるものだということが分かってきた。

鷹尾と光子

光子は平成5年に慶樹ちゃんを出産、平成7年には祥子ちゃんを出産している。
しかし、裁判資料などから読み解くとどうやら未婚状態での出産であったようで、慶樹ちゃん、祥子ちゃんの父親はそれぞれ違う。
平成11年の4月ころになって、慶樹ちゃんの父親である男性と広島市東区内のマンションで生活を共にし始めた。
しかしその生活はすぐに破綻、男性との交際も解消し、男性は家を出た。
いつごろから始めていたのかは定かではないが、光子の収入源は風俗の仕事であった。ファッションヘルス嬢として働いていた時に、鷹尾が客としてやってきたことで二人の人生は交わり始める。

一方の鷹尾は、当時呉市内で妻子とともに生活をしていたが、生活は苦しかった。
自身の名字を屋号に据えた建設関係の仕事を生業にしていたが、折からの不況のあおりもあって仕事の量は減っていたという。
鷹尾はこの頃から覚せい剤を使用しており、事業がうまくいかない焦燥感や不安感などから覚せい剤の使用頻度も増え、妻やその両親らに暴力を振るうこともあった。
そのうっぷん晴らしのひとつが、風俗だった。
たまたま訪れた店で接客してくれた光子と意気投合、すぐに二人は交際を始める。
平成11年6月末、元請業者から取引停止を言い渡された鷹尾は荒れ、妻ともうまくいかなくなってそのまま光子が暮らすマンションへと転がり込んだ。

そのまま居ついてしまった鷹尾に迷惑する風でもなく、ふたりはパチンコなどに揃って出かけては、気ままな暮らしを送っていた。
ある時、二人で並んでパチンコに興じていた際、負けが込んで苛立っていた鷹尾に、「打ち方が悪い」と言われ暴行を受けた。
光子は暴力を振るわれたことで鷹尾とは一緒にいられないと思い、7月8日には手切れ金10万円を手渡して別れを告げる。
しかしその翌日、通りすがりの男から性的暴行を受けそうになり、警察に駆け込んで保護されるという出来事が起こる。
その際、光子を迎えに来てくれたのは鷹尾だった。光子は暴力を振るわれたことなど忘れてしまったかのように、これ以降鷹尾に溺れていく。

【有料部分 目次】
慶樹くんと祥子ちゃん
はじまり
犬の首輪と花火
6歳児の命乞い
母親「光子」
祥子ちゃん
DVと、未必の殺意
量刑不当
殺意の認定と、愛欲生活
見失ってはならないこと

「🔓母に諦められた幼い命~広島・二児虐待死体遺棄事件~」への2件のフィードバック

  1. これ、ダメです。
    文章として読むだけでも気分が悪くなってきてしまい、最後の方は跳ばしながらしか読めませんでした。

    この男がどんな罪に問われ、量刑が処されるにせよ、亡くなった子供達の無念が果たされないと思うとやりきれないです(子供達を産んだ女は何を考えてたの?)

    まだ更新途中にもかかわらずコメントを残してしまい申し訳ありませんが、あまりにも憤りを感じました。

    本当に、子供達と出会う前に覚醒剤中毒でさっさと無様に死んで欲しかった。

    追記:
    先日は丁寧な返信をいただきありがとうございました。

    1. 関東人 さま

      コメントありがとうございます。
      子供が亡くなる事件はあまり書きたくないのですが、ちょっと最近、子供が殺されているにも関わらず、それそっちのけで親を理解しよう、親を助けることこそが重要(これは一理あるけれど)、親もまた被害者といった説が多すぎるきがして、連続して子供関係の記事を書いています。
      虐待の描写、きつくて申し訳ないですが、事実です。

      親は体をはらなければ罪になるのか、と言う人がいますが、そういう人は一方でやたらと親子間の愛情を強調もします。無償の愛があるとすれば、それは子から親への愛だとか。
      その、子が親を思う気持ちを黙殺しているんですけどね、虐待する親は。
      いじめでも、傍観者は同罪と言いながら、親子間の虐待ではDVで片付けられることもある。特に母親が罪に問われた時はそれが顕著です。
      私は女として母として、DVの経験者として断固それはおかしいと言いたい。
      そこには、支配と言うよりもまず第一に、「相手のことが好き、失いたくない」という気持ちが絶対にあると知っているからです。そのために子に犠牲を強いているケースが多いのに、何故か絶対に認めようとしないんですよね。
      まとまりが無くなってしまい申し訳ありません、どうも感情的になってダメですね。

      もう暫く、虐待関連の記事が続く予定ですが、良かったらまた読んでくださいね
      いつもありがとうございます。

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