私のことを、恨みますか〜米子・税理士ら2人殺害事件〜

この記事を転載あるいは参考にしたりリライトして利用された場合の利用料金は無料配信記事一律50,000円、有料配信記事は100,000円~です。あとから削除されても利用料金は発生いたします。
但し、条件によって無料でご利用いただけますのでこちらを参考になさるか、jikencase1112@gmail.comまで連絡ください。なお、有料記事を無断で転載、公開、購入者以外に転送した場合の利用料は50万円~となります。
**********

 

平成22年2月26日。鳥取地方裁判所米子支部では、ある男への論告求刑が行われていた。
男の罪状は、強盗殺人。それ以外に死体遺棄など6つの罪状が男にはあった。被害者は高齢の男女二人、ともに殺害されていた。

殺害された女性の遺族は極刑を求めており、裁判員裁判で初の死刑求刑になる可能性も高かった。
被害者参加制度を利用して、公判には被害女性の息子が検察官の隣に座った。その遺族男性の隣で、北佳子次席検事は男に対し、求刑した。

「被告に無期懲役を求刑する」

隣の遺族男性が、目頭を押さえて俯いた。
論告求刑の前、この遺族男性はある証人に対し、静かに語りかけていた。

「私は死刑を望んでいる。死刑になったら、私を恨みますか。」

証人は涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、「(極刑を望むのは)当然だと思います」と絞り出した。
その様子を見ていた裁判員の多くが、泣いていた。

次席検事の論告求刑の後、遺族の男性が意見陳述を行った。
「極刑以外の判決ならば、恐ろしい判例を作り出すことになる。道場の余地があれば、死刑にならない。そんなことでは犯罪の抑止力が低下する。」
検察の無期求刑に対する心の叫びに思えた。

被告の男は、午前中の情状証人への質問の時は感情の昂りを抑えられない場面もあったが、その後は落ち着きを取り戻し、
「被害者の無念さや思いをしっかり受け止め、生涯ずっと背負っていきたい」
と頭を下げた。

行方不明の税理士

その男性の行方がわからなくなったのは平成21年の2月下旬。米子市内で会計事務所を構えていた男性は、同居する女性とともに、姿を消した。

行方がわからなくなったのは、税理士の石谷英夫さん(当時82歳)と、同居する大森政子さん(当時73歳)。
石谷さんは10数年前に妻を亡くし、その後知り合った大森さんと同居する関係にあった。
大森さんは長年通っていた美容院に2月24日予約を入れていたが、連絡もなく来院しなかったという。石谷さんも、2月21日の土曜日の午前中は自宅の隣のビル内にある事務所に来ていたことがわかっていたが、午後以降の足取りが掴めなかった。

家族らは方々に問い合わせるなどして石谷さんと大森さんの行方を追っていたが、その行方は全くわからなかった。
ただ、会計事務所の人間が「大森さんから連絡があった」「北海道を旅行中、社長(石谷さん)が転んで怪我をしたので札幌の病院に入院しているらしい」と話していたこともあり、まずは札幌の病院に片っぱしから連絡するなどしていたという。

3月23日、家族は警察に捜索願を提出。すると、4月に入って石谷さんから連絡が入った。正確には、石谷さんの携帯電話から着信があったのだ。
電話口からは、何やら呻くような、苦しげな声が聞こえただけで、その声の主が石谷さん本人かどうかはわからなかった。
やはり怪我で入院しているのだろうか?高齢の二人のことで、連絡先がわからなくなってしまったとか、何か思いもよらない事態が起きているのかもしれない、そう考えて家族は必死で連絡を取ろうと試みていたが、確かに石谷さんと大森さんは「思いもよらない事態」になっていた。

二人は遠い北海道ではなく、米子市内のしかも自宅のすぐそばに、いた。

事件発覚

平成21年6月3日、鳥取県警捜査一課と米子署は、死体遺棄の容疑である男を逮捕した。
男は石谷さんの会計事務所に勤務していて、石谷さんと大森さんが行方不明になった後、石谷さんの管理する口座から複数回にわたって1000万円を引き出していたのだ。
警察が3日に任意同行を求めると、男は石谷さんの遺体がある場所を知っている、と話した。

そこは、なんと石谷さんの会計事務所が入っているビルの5階にある空き室だった。
この事務所が入るビルは自宅兼事務所となっていたが、石谷さんの住居はこの当時ビルの隣、という報道があるため、ビルの中ではなかった可能性もあるが、いずれにしても石谷さんはずっと近い場所にいたにもかかわらず、見つからなかった。

警察が自供に基づいてその部屋を調べると、変わり果てた姿の石谷さんを発見。後に、屋上の物置内からは、ブルーシートに包まれた大森さんの遺体も発見された。
二人とも、腐敗が進んでおり、周辺には消臭剤が複数置かれていたという。

警察は死体遺棄容疑で男を逮捕。逮捕されたのは、米子市在住の会社役員、影山博司(当時54歳)。
影山は長年、石谷さんのもとで働いており、平成19年からは会計事務所の取締役に就任していた。
影山の自供によれば、2月21日、客の応対のために事務所に来ていた石谷さんを5階の空き室へ誘い込み、以前から持ち込んでいた大型ペンチで石谷さんを殴りつけ殺害、後に石谷さんの自宅で大森さんの首をネクタイで絞めて殺害した。
その後、大森さんの遺体は石谷さん宅の物入れに隠していた。
1週間ほどしてから、大森さんの遺体をビルの石谷さんを殺害した部屋まで運び、さらには3月の末になって大森さんの遺体のみを屋上の物置へと移動させたという。4月に入ってからの石谷さんの携帯電話からの着信は、捜索願が出されたことを知った影山の偽装だった。

「石谷さんの預金を狙った」

実際に石谷さんの口座から大金を引き出している事実があり、警察では影山が石谷さんから金を奪う目的で殺害した、強盗殺人と見て捜査していたが、送検された後の弁護人による記者会見では、弁護人が強盗目的、金目当ての犯行を全否定した。
その上で、県警が強盗目的であると誘導するような尋問を行なったり、怒鳴るなどの不当な取り調べを受けたとして米子署長宛に抗議の申し入れを行なったことを明かした。

影山の犯行動機は、金でないならなんなのか。ていうか実際に金を奪っているではないか。

検察は弁護側の強盗殺人を否定する主張を受け、影山が強盗目的で殺人を犯したということを立証すべく影山のそれまでや石谷さんとの関係などをつぶさに調べ上げていった。

しかし検察が事実を暴けば暴くほど、事態は思わぬ方向へ流れていくことになった。

動機

影山は一貫して、「預金は引き出したが、殺害した時点では金を奪うことが目的ではない」と話していた。一方で、石谷さんの預金を引き出したのは事実であり、真意が見えなかった。
弁護人もはやい段階で、「会社の資金繰りや待遇をめぐって、石谷さんとの間で長きに渡る不信感、嫌悪感が募っていた。我慢の限界に達したことで起きた事件で、金銭目的ではなく恨みの感情が強い。したがって強盗殺人は成立しない」と話していた。

影山は凶器となった大型ペンチを事前に職場に持ち込んでおり、石谷さんが出社したのを見計らって犯行に及んでいる。となれば、ある程度の計画性も感じられた。
しかも、石谷さんのみならずなぜ大森さんまで殺害したのか。大森さんに現場を見られたことでの口封じ、ならまだ理解もできるが、そもそも大森さんは石谷さんの自宅にいて何も知らなかったのだ。
影山は、石谷さんを殺害した時点で大森さんも殺害すると決めていたはずだ。やはり、預金を奪うには大森さんが邪魔であるために、殺害したのか。

この、大森さんまでも殺害した、しなければならなかったという理由は、のちの公判において影山の口から語られることになるのだが、その理由は、にわかに理解し難い、けれどおそらく真実なのだろうと思わざるを得ないものだった。

鬼のいる会計事務所

2月23日から始まった裁判では、検察も弁護側も犯行動機に「長年の積もりに積もった鬱憤、恨み」があったとしたものの、検察は強盗目的だったとし、弁護側は精神的に追い詰められたが故の犯行で、関係を消し去りたいという気持ちが強くなり殺人に及んだと反論した。

検察は冒頭陳述で、会計事務所の経理担当だった影山が、資金繰りに行き詰まり自らが借金をしてその穴埋めをしており、その返済に苦しんでいたことをあげ、自己の借金返済のためには石谷さんを殺害して金を奪おうと考えたと主張。
法廷内のモニターにはそれを裏付けるための、影山の債務状況が折れ線グラフで示された。

一方の弁護側は、冒頭、影山の心の内を表すようにこう切り出した。

「もう嫌だ、もう我慢できない。これが、殺めた時の(影山被告の)気持ちです。」

影山は、事件から約20年ほど前に石谷さんの会計事務所に入った。影山自身に税理士、会計士の資格があったという話はなく、おそらく経理事務専門の職員としての雇用だったと思われる。
石谷さんは昭和34年頃に米子市内で会計事務所を開設、その後は不動産鑑定業にも手を広げ、市の監査委員、県の収用委員会なども務めていた。昭和54年には自宅兼事務所として国道9号線沿いに自社ビルを建設。石谷さんの息子も税理士として同事務所に入り、後継者問題もクリアして順風満帆だった。

ところがバブル崩壊を機に、石谷さんの会計事務所も経営が怪しくなっていく。とは言っても、経営指南のプロ集団でもあるはずの会計事務所であり、普通の企業よりも先手の対処をしていたのでは、と思うところだが、石谷さんの会計事務所は本気でヤバかった。

その経営状態もさることながら、石谷さんの部下に対する態度は想像を絶するレベルだったのだ。

「石谷先生の鬼のような怖い顔で机を叩く姿が頭にこびりついて離れなかった。」

機嫌が悪いだけで部下を呼びつけ、1時間近くも叱責することがあった。落ち度のない社員に対しても、容赦なかったという。
事務所の業績が悪いと、それは全て部下の怠慢になった。一方で石谷さん自身はどれだけ経営が危なくなろうとも、自身の報酬を下げることはなく、むしろ多くを要求していたという。
さらに、個人的な消費まで経費に計上しており、その中には業務とは関係ない私的なクリーニング代や普段の飲食代なども含まれていた。
影山が石谷さんの事務所に入る前にいた経理責任者は、事務所の業績悪化で資金繰りが大変になっても石谷さんに鬼の形相で罵倒されることで資金繰りの相談ができなくなり、挙句、自宅を担保に借り入れを起こし、事務所の資金に充てていたという。

影山が経理責任者になっても、石谷会計事務所が経営破綻の状態にあることに変わりはなかった。
成功の証だった自社ビルも、事件が起こる2年前には競売にかけられ、所有権は別の会社に移っていた。

影山には経理責任者以外にもう一つの役割があった。

それは、石谷さんと大森さんに「呼ばれたらすぐ駆けつけなんでもやる係」だった。

使う者と、使われる者

影山は仕事外でもしょっちゅう石谷さんと大森さんから用事を言いつけられていた。
高齢の二人だから、何かと世話にならなければならないことはあったろう、しかし、ふたりのいう用事は、「玄関前の雪かきをしろ」「電球が切れたから取り替えろ」という仕事の範疇を超えたものだった。ビデオの再生をさせるためだけに呼び出されたこともあった。

休日でもお構いなし、そんな影山に対する給料は月額20万円。しかも、平成20年度に影山が受け取った給料は、たったの2ヶ月分だった。

影山は結婚しており、息子もいた。妻に家計費として渡すのは10万が精一杯だったという。なぜなら、影山自身、前任の経理責任者同様に自ら消費者金融や信販会社などから借金をし、会社の資金に充てていたためその返済に金が必要だったのだ。
一方で、影山が会計事務所に貸し付けた金は年に400万円以上になっていたといい、平成21年2月2日時点の負債総額は848万円に膨れ上がっていた。
影山が自分の金を補填に充てていることは、事務所の人のほとんどが知っていた。事務の女性は裁判で証人に立ち、「このままでは影山さんが持たないのでは、と思った」と証言した。

立命館大学を出て、帰郷した地で得た地元の名士の会計事務所。
しかし気がつけば、暴君と成り果てた石谷さんの奴隷になっていた。

影山は大森さんまで殺害する必要があったのかと問われ、「大森さんと石谷さんは全ての面で一体。二人で一人だった。」と答えている。
無職だった大森さんは寝起きも石谷さんとともにしており、当然、日々の食事も石谷さんに頼る面があったのだろう。実際、大森さんとのプライベートな出費も、会社の経費にしていたという。
石谷さんは会社の業績悪化を顧みず、全てを部下の怠慢と切り捨て自身は会社に月額80万円〜100万円の報酬を要求。
さらに平成19年には住宅の資金として180万円を会社に出させていた。
その際、難色を示した影山らに対して、石谷さんは「お前らの怠慢だ!」と激昂、影山らはその資金を自らの借金で賄った。

裁判では公認会計士が証人として出廷、事件が起きる10年前からすでに事務所は破綻状態にあり、その根拠として過去9年間の利益1億円のうち、9000万円が石谷さんやその関連会社への貸付となっていて、それらが不良債権化していた実態を指摘、もはや異常事態であると証言した。

影山は自身の貸付を正直に記載すればそれもまた石谷さんの機嫌を損ねると考え、なんと嘘の決算書を作成して石谷さんに提出していたという。

この件については、流石に理解できないと思ったのか裁判員の男性が唖然として聞き返す場面もあった。
また、証人として出廷したほとんどの人が石谷さんの傍若無人ぶりを証明するかのような証言をしたことで、死人に口なしを警戒したのか、ある裁判員が強い口調で影山に質問を投げた。
「これだけは聞かせてほしい、事務所の経営が良くないことは年度ごとに石谷さんに報告していたんですか?」
この問いに、影山は「石谷先生が使わなければ、経営は良好でした。」と答えたが、裁判員の男性は納得せず、「答えになっていません」と語気を強めた。

他にも、弁護人による被告人質問で、どうして職務外の私的な用事まで請け負ってしまったのか、というものに対し、
「自分でもわからない。呪いでもかけられたようだった」
と答えたが、確かにどれほど石谷さんが暴君であろうとも、個人的に借金までしてそれを埋めようとか、会社のために家族を犠牲にしてとか、しかもその額1000万円近いとなるとちょっと理解が追いつかない。給料すら満足にもらっていないのに、だ。しかも相手は暴力団でも半グレでもない、80歳を超えた老人ではないか。
こんな心境にまで追い詰められるって、あり得るのか。

裁判員らもおそらくわからなかったのではないか。

しかし、影山のこの心境を誰よりも理解していた人がいた。そしてその人の言葉が、存在が、ある意味影山を救ったと言ってもいいのかもしれない。

それは、石谷さんの長男だった。

自己破産する税理士

「僕には気持ちがわかる。自分の時と似ている」

石谷さんの長男は税理士として父が経営する石谷会計事務所に入った。
ところが石谷さんは実の息子だろうと容赦しなかったという。というか、もう根本的に部下は「使って当然、会社や社長に尽くして当然」という意識があったのではないかと思われる。

詳しい勤務時期は不明だが、年齢的にもおそらく影山と同世代と思われる長男が会計事務所にいた時期には、すでに経営は危うい状況にあったのではないか。
その証拠に、この長男も給料の未払いという事態にあった。
しかも長男は給与の未払いがもとでなんと自己破産にまで追い込まれていたのだ。
税理士が自己破産……しかもその根本には、実の父親の存在があった。地元の名士でもあり誇り高き石谷さんは、息子が破産という事態になっても、平気だったのだろうか。

「追いつめられると気が変になる。自分は自殺も考えた。影山に対しては9割は死刑にしてほしい気持ちがあるが、それでも同情してしまう部分もある」

遺族の言葉である、重くないわけがない。大切な父を殺した男。憎いに決まっている。でも、それでも長男は影山の窮状や追い込まれていった経緯が明らかになればなるほど、「自分の時と同じだ」と感じていた。
おそらく、石谷さん側の遺族はこの長男と同じ思いだったのだろう、最終的に「死刑は望まない」という考えと述べた。
もちろんこれは、簡単に死んで終わりになどさせられない、という思いもあることは付け加えておく。一生贖罪の道を歩む無期懲役を望んだのは、同情よりもそういう思いだった。

石谷さんの次女は影山にこう投げかけた。
「殺害した後、すぐ連絡してほしかった。そうしたら、父の手を握ってあげられた」
この言葉の重みがわかるだろうか。わたしには、殺したいほど憎かった、その気持ちはわかる、と言っているように思える。それはやむなしとして、そのうえで、せめて教えてほしかったと、この遺族の気持ちは想像を絶する。

一方の大森さんの遺族はどうだったか。

私を恨みますか。

2月25日の第三回公判。この日は、影山の妻と長男の証人尋問が行われた。
ただ直前になって、妻の体調が著しく悪くなり、「お答えできる状態にない」との判断から、妻への尋問は取りやめになった。
これより前にも妻は証人として出廷しているが、その際、影山が10万しか家計に入れてくれず、足りない分をパートで補っていたことや、家庭を顧みない仕事人間だったことをこの妻は証言した。
その後、女性の裁判員に「影山さんが給料をもらえていなかったことを知っていましたか?」と問われた妻は、言葉を失った。知らなかったのだという。
影山はおそらく、家庭でも事実を言えず、妻からの冷たい視線に体を小さくせざるを得なかったのかもしれない。

そんな父を支える決意をしたのが、二十歳の長男だった。

「頼りにならない自分をいつも気にかけてくれた。高校受験の前に父からもらった手紙は今でも宝物です。自分のやりたいことをやれと言ってくれたことが忘れられない」

スーツ姿の長男は、嗚咽で言葉を詰まらせながらも、懸命に父のために証言した。
長い間、経済的に困窮していたはずの父が、それを家族に知られまいとしていたこと、壮絶なストレスの中でも自分を気にかけていてくれた、その父が起こした事件。何も知らなかった長男にとっては、キツイどころの話ではなかったろう。
自分が証言しなければ誰が父を庇うのか。その一心だったのだろう。

一方で、証言に立つということは被害者遺族と対峙するということである。

自分がそうであるように、たとえ父を虐げた石谷さんであっても、彼もまた遺族にとってはかけがえのない父親だったのだ。
大森さんもそうだ。病気がちだったが、女手一つで子供たちを育て上げたという。その遺族である長男は、泣きじゃくる若者に静かにこう問うた。

「私はあなたのお父さんの死刑を望んでいます。死刑になったら、私を恨みますか」

想定していた質問だったはずだ。それでも、実際に遺族から直接投げかけられた言葉は、重すぎた。
言葉に詰まる長男に、さすがに裁判長が質問を言い換えた。
「それほどまでに、ご遺族の気持ちは辛いということです」
涙を拭いながら、長男は答えた。答えなければならなかった。

「(死刑を望むのは)当然だと思います……」

裁判員らも質問を終えた。

「父を安心させる大人になります。そうなったら、昔みたいに一緒に遊んでください。」

男性裁判員は眼鏡をはずして涙を拭っていた。ほかの裁判員も、その多くが泣いていた。

被告人席の父も、泣いていた。

死刑か、無期か

この事件は2人死亡、しかも検察は強盗殺人を主張していたことから、死刑求刑、死刑判決が予想されていた。
しかし、当初から弁護側はそれを意識していたというのもあろうが、動機は金目当てではなく長年の不信感、経済的精神的虐待による追いつめられた末の犯行、としていた。

たしかに、影山は石谷さんの口座から1000万円以上を複数回にわたって引き出していて、金目当て以外に何があるのかと思わなくもなかった。
それを裏付けるために、検察は影山自身の債務状況を明らかにもした。
しかし、その債務がほぼほぼ石谷さんの無理解、会計士をして「異常事態」と言わしめた事務所の経営をなんとか回していくためのものだったことも、同時に明らかになっていた。

検察が証拠をあげればあげるほど、影山に対する石谷さんの「虐待」ともいえる長年の対応も明らかになってしまったのだ。
強盗目的であったはずが、金を引き出したのは実際には直後ではなく、時間がかなり経過してからだった。
影山はそのことについて、「(2人が死亡したことで)金を引き出せると思いついた、どうせバレるなら大胆に下ろしてしまえばいいと思った」と話していた。
とはいうものの、その預金すべてを引き出したわけでもなかった。

事件直前、事務所の女性職員は影山から「カードの限度額がいっぱいになってしまった、そろそろヤバい」という話を聞かされていた。この女性職員は証言台にも立っていて、影山がそれまでに会社の資金に充てるために自分が借金をしていることを知っていた。
当時石谷さんの事務所は、支払いの時期に来ていたという。しかし、会社の資金ではそれが不可能だった。これまでは影山が個人的に借金をしてまわしてきたが、もうそれも難しい状況だった。
もしも切羽詰まって金を奪うという気持ちがあったなら、殺害後すぐにそれに着手するのではないか。さらに、カードの限度額はいっぱいだったが、影山には現金化できる資産がこの時点でも500万円以上あったという。この辺りも強盗目的と主張する検察と対立があった。
しかも影山はそのおろした金を会社の資金に充当していた。石谷さんがいなくなったこの期に及んでなお、この会社を守る気だったのか。

何もかも放り出して逃げればよかった。今思えばそうだろう。しかし、石谷さんの長男でも、「追いつめられて変になっていた」と言っていたように、影山もまた、毅然と行動することなど思いつかなかった。
検察は、事前に凶器を持ち込んだ計画的犯行としていたが、実際にはいつ持ち込んだのかわからなかったという。影山は、あの日客の対応で事務所に来ていた石谷さんを見て、「今しかない」と思った。
「最後の方は、もう石谷先生の顔も見たくないし、声すら聴きたくなかった!」
終始冷静に話していた影山だったが、弁護人から事件当時の気持ちを聞かれた時だけは、感情をぶちまけた。

遺族感情も割れた。大森さんの遺族は死刑を望み、石谷さんの子供たちは長女、次女が無期懲役を、長男も許してはいないが死刑は望まない、とした。
影山の同僚らからは、嘆願書も届けられていた。

そして、検察が出した答えは、「無期懲役」だった。

これには現場の捜査員らからは不満が出たという。被害者の無念はどうなるのか、そういう思いもあったろう。ましてや、恨まれていた石谷さんのみならず、「二人で一人だった」という影山の主観のみで巻き添えとなった大森さんの存在があるのだ。
体力的にも、大森さんが抵抗するのは難しかったろうし、遺族の感情もどうすればいいのか。というか、他人を二人殺して死刑回避はないだろう、という単純な思いもあったろう。

また、裁判官経験者らからは「裁判員裁判ということで、国民感情に配慮したゆえの無期求刑だったのでは」という声もあった。
首都大学東京法科大学院教授(当時)の前田雅英氏は、今回の事件が被告に同情の余地が多々あったことを前提として、「死刑を求刑していれば、『厳しすぎる』との批判が裁判員から出た可能性」を指摘する。検察としても、刑の公平性を重んじた上で市民の感覚に沿った求刑を出す傾向になっているのでは、と話した。

鳥取地検の丸山秀和米子支部長と北佳子次席検事は、論告で強盗目的に他ならないとし、犯行は凄惨、残忍と批難。しかしその動機には同情の余地があり、石谷さんが従業員を委縮させていたことや、影山を私的な雑務に使ったこと、大金を持ち出して経営を悪化させたことを認めた。
そして、通常の「誰もが被害者になり得る」という犯行とは異なり、特有の人間関係があったことを無視できない、とも述べた。

弁護側は最終弁論を前に、影山に悔悟の気持ちについて問うた。

「被害者に苦しめられたとの思いが強すぎて、償いの気持ちに曇りがあるのではないですか?」
影山はそれを受けて、
「そのことばかり考えていた気もする。自分が殺したんだという事実が頭から抜け落ちていたのかもしれない」
と述べた。弁護人の一人、井木博子弁護士が
「そんなことでどうするの!」
と語気を強める場面もあった。

それらを踏まえ、弁護側は最終弁論において、
「死刑以外にあり得ない犯罪もあるが、被告は20年来石谷さんらに尽くしてきた。石谷さんと大森さんは、被告を前近代的な奉公人のように扱っていた。会社の資金繰りまで丸投げしていたことを考えれば、奉公人以下と言ってもいい」
「石谷さんは関連会社の事実上の倒産までも被告人らに責任転嫁し、大森さんと人並み以上の生活を続けた。」
「無期懲役でも重い。年齢的にも人格的にも、再犯の恐れはない。できれば、被告がまた家族と暮らせるような、思い切った温情ある判決を」
と述べ、裁判官、裁判員らに深々と一礼した。

影山は最終陳述で、「現実的ではないかもしれないが、石谷先生と大森さんのお墓参りがしたい。死刑だとできないし、服役中に死んでもできない。被害者の無念、遺族の思いを一生涯背負って生きていきます。」と述べ、影山本人も死刑のみならず無期懲役も回避したいという思いをあらわにした。

平成22年3月2日、鳥取地裁の小倉哲浩裁判長は、「(強盗目的を認定した上で)命を持って償わねばならないとまでは言い難い」として、影山に求刑通りの無期懲役を言い渡した。
影山は控訴しない方針だったが、弁護側は強盗目的ではないと認められなかったこと、そしてそれらは弁護人らの技術不足、ミスであるとして、影山の了承を得て控訴、上告。
平成24年7月2日、上告棄却となって影山の無期懲役は確定した。

それぞれの思い

この事件は、検察も認めた通り石谷さんと大森さんと影山との、特殊な人間関係がなければ起こらなかった事件だ。
それには当然、石谷さんの暴君とも言えるふるまいや、お金に携わる仕事をしているとは到底思えない考え方など、石谷さんの落ち度となる部分も大いに関係している。
大森さんはどうか。
石谷さんとの同居の経緯は定かではないが、それでも人並み以上の生活をしていたとされ、影山に対する使用人以下の扱いをしていたのは、石谷さんだけでなく大森さんもだったという。

結果、影山は石谷さんの遺族が死刑を望まなかったこともあって、無期懲役となった。しかし、大森さんの遺族としては到底納得などできなかったろう。
同じ遺族でありながら、大森さんの息子からすれば石谷さんの落ち度に、ただ当時同居していたからというだけで引っ張られたような気になったとしてもおかしくはない。
裁判では影山に有利になるような情状面での証言がいくつも飛び出し、そのたびに不愉快な思いをしただろう。

どれほどのことがあろうとも、人を殺していい理由にはならない。

影山は確かに追い詰められ、自身を犠牲にして石谷さんに尽くしていた。しかしそれは、ここまで同情されることだろうか。そう考えてみる余地はないだろうか。
追いつめられていたのはなにも影山一人ではない。前任の経理責任者も、そして石谷さんの長男もそうだった。言い方は悪いが、ほかの人は石谷さんから逃れることで身を守った。影山はなぜ、こうまで石谷さんを支え続けたのか。
もっと言うと、影山が身銭を切っているのを知っていたこの会計事務所のほかの職員は何をしていたのか。誰も影山を守ろうとしなかったのか、あるいは、それほどまでに石谷さんという老人の存在は、大きいものだったのか。
洗脳、とも違うような気がするが「呪いにでもかかっていたかのよう」と影山も言うように、そうだったのかもしれない。
が、石谷さんに追い込まれたという一方で、どこか自分で自分を追い込んでいるような印象も受ける。石谷さんに絶対服従、そうする以外になかった、とは、到底思えない。

裁判員裁判でなければ死刑を求刑され、死刑判決が出ていたのでは、そういう関係者もいたと聞く。

影山は生きて詫び続けることを許されたが、社会復帰までにはまだ相当長い期間、己と向き合わなければならないだろう。
出所が可能になるころには、おそらく当時の石谷さんを超える年齢になっているであろうが……

**************

参考文献

朝日新聞社 平成21年6月4日大阪夕刊、東京夕刊、6月27日、7月16日大阪地方版/鳥取、平成22年2月23日東京夕刊、25日、27日、3月3日東京朝刊、26日大阪夕刊、大阪地方版/鳥取
読売新聞社 平成21年6月4日、5日、6日、10日、25日、26日大阪朝刊、平成22年2月24日大阪朝刊、東京朝刊、大阪夕刊、26日、27日大阪朝刊
産経新聞社 平成22年2月24日、25日、27日大阪朝刊、大阪夕刊

参考サイト
犯罪の世界を漂う
2010年度無期判決