隣人を叩き斬った老人の正義~世田谷・日本刀隣人殺害事件~

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平成24年10月10日

東京都世田谷区野沢1丁目。
世田谷区立旭小学校の北に位置する住宅街は騒然としていた。
上空には報道機関のヘリが旋回し、周辺の路地にはパトカーや救急車が待機していた。
周辺では警察官が「犯人は凶器を持っている可能性があります、外に出ないで」と大声を張り上げている。

午後1時40分、警視庁の特殊班が民家に突入、その後家の中から血まみれの男性が運び出された。

男性は搬送先の病院で死亡、しかし、死亡したのは男性だけはなかったし、この男性は被害者ではなかった。
それより2時間前の11時半ころ、その民家の前の路地で、女性が倒れていると通報が相次いでいた。
女性の首は、切断寸前だった。

事件概要

事件が起きたのは閑静な住宅街。狭い路地は車が入れない通りも多数あり、昔からの古い家屋もある場所だった。
最初の通報は女性からで、近隣トラブルに関する内容だった。
「隣の家の人が農薬をかける、なんとかして!」
しかし直後、複数の別の人間からの通報は深刻さを一気に増したものになっていた。
「住民の男女がつかみ合いのケンカをしている」
「おじいさんが日本刀のようなものを振り回している」
複数の通報で警察官が駆け付けると、そこには路上で血を流して倒れている女性の姿があった。
女性は救急搬送されるも、事件現場ですでに首から大量に出血しており、その後失血死した。女性は久保節子さん(当時60歳)で、倒れていた路上に面した家で一人暮らしをしていた。

一方現場では、日本刀を持った高齢男性が民家に立てこもっていた。
その民家は、死亡した久保さんの家で、立てこもっている男性が久保さんを殺害したとみられた。
近所の人らの話で、久保さんを殺害し、立てこもっているのは、久保さん宅の向かいの家に暮らす徳永重正(当時86歳)と判明。なんと、元警視庁の警視だった。

その後、後輩、部下ともいえる警視庁の警察官らに説得されるも、二時間後に自身の首を日本刀で切って自殺を図った。

二人の間に何があったのか。警視まで上り詰めたこの老人はなぜ、日本刀で隣人を斬り、そして自らも果てたのか。

そこにはあまりにもありふれた日常の風景が広がっていた。

ふたりのそれまで

徳永は昭和元年に新潟で生まれた。終戦直後の昭和23年、警視庁に採用となって地域課や交通課で勤務。私生活では結婚し、一男一女に恵まれ子供たちも立派に成長した。
昭和60年に赤坂警察署防犯課の課長補佐となって、定年退官となるまで、何の問題もない警察官だった。
定年時の階級は警視。いわゆるノンキャリでここまで昇進するのはそう多くないという。
退官後は長年の警察官としての労に対し勲章も授与され、妻と二人、長年暮らした野沢一丁目の家で静かな生活を送るはず、だった。

一方の久保さんは、空き家だった徳永家の向かいの小さな二階建ての家に事件の2年前に越してきた。
しかし、越してきた当初から色々と問題が持ち上がっていたという。
久保さんは独り暮らしの寂しさもあったのか、野良猫に餌付けをしていた。その数数十匹。ありがちな話だが、エサはやるが糞尿の始末には無頓着だった。
また、ただでさえ狭い路地に所狭しと鉢植えを並べていた。もともと車が入れるような幅はないほど狭い路地は、いつからか久保さんが所有する鉢植えや物がはみ出しておかれるようになっていた。

地域によっては、そう目くじらを立てることもないような話かもしれないが、久保さん宅の目の前には元警察官が暮らしている。徳永は捨て置けなかった。

久保さんは、それ以外にも町内会費を払うことに応じなかったという。徳永が催促のために説得する姿も見られた。
向かいに住んでいること、加えて長年この地域で警察官として生活してきたことで、近隣の人々も徳永が久保さんに抗議していることは知っていたが、町内会で何か対策を講じるといったことはなかったという。

平成24年になると、徳永は日本刀を持ち出し、家の前の路地で素振りをするようになる。
出くわした近所の人は驚いたというが、久保さん以外の住人に対してはにこやかに、「錆びていたから磨いてみたんですよ」と語っていた。
しかしその日本刀は、所持の許可を得ていないものだった。

久保さんは徳永の抗議に耳を貸すことはなく、それ以降も身勝手なふるまいはエスカレートしていく。
夏には路地に簡易ベッド?を持ち出し昼寝をしたり、どこから持ち帰ったのか様々な「ゴミ」が路地にはみ出すようになっていった。
6月にはゴミ出しのことでもトラブルになり、その際も徳永は久保さんに抗議したというが、久保さんは改めず、怒った徳永は自宅の周辺に殺虫剤を撒き始めた。

この行動が、久保さんの怒りを買った。

7月、殺虫剤や農薬を自宅周辺に撒いていた徳永に対し、久保さんは体当たりでそれを阻止した。その際、仰向けにひっくり返った徳永は、久保さんに馬乗りになられた。
警視にまでなった男の自尊心は粉々に砕けっ散ってしまった。

そして10月、トラブルは収まる気配を見せず、徳永は日本刀を肌身離さず持ち歩くようになった。
対する久保さんも、農薬をまかれるたびに騒ぎ、警察に通報することもあったという。
ふたりの確執にただならぬ気配を感じた徳永の妻は、必死の思いで久保さんに対し
「形だけでいいから謝ってくれませんか」
と懇願したが、久保さんは一蹴した。

この日のために

10月10日。早朝、久保さんは徳永が農薬をまいているという内容の110番通報をしていた。
そして妻が外出していたこの日、徳永は半年前から磨きに磨いてきたあの日本刀を持ち出した。

事件直前、ふたりの間にどんな会話があったのか。

徳永は日本刀を久保さんに振り下ろし、久保さんは崩れ落ちた。

その後の顛末は冒頭の通りだが、実は徳永は遺書を残していた。
「事件になるのは自分の責任だ。迷惑をかけて申し訳ない。」
自宅の居間からは、複数の人へ宛てた書置きが見つかり、その一つにこのように書かれてあったという。

徳永を知る人は、徳永の人柄をこう話す。
「警察官だったから、横柄に感じることもあった。けれど、基本的には正義感にあふれた優しい人だった」
しかし、実際には久保さん以外の住民ともトラブルになっていたという。
足を悪くして以降は杖を手放せなかったというが、何かあれば職歴をちらつかせるという態度を嫌う住民もいた。

ただ妻が非常に明るく社交的な性格だったこともあり、よくある亭主関白のあの時代の男性そのものではあったものの、長年この場所で暮らしてこれていた。

久保さんは家族についての話は聞かれないが、トラブルを抱えていたのはこちらも徳永だけではなかった。
家の中はゴミであふれかえっていたため、大家からは退去を求められていた。徳永が殺虫剤を撒いていたのもおそらく、ゴミから出てくる害虫を避けるためだったのだろう。
しかし久保さんからすれば、「野良猫を殺すつもりだ」となってしまった。
家の前の道路にはキャットフードが大量に置かれ、不衛生な状態でもあった。

徳永が日本刀を研ぎ、素振りをし始めたのは事件の半年ほど前。すでにふたりの間は一触即発の状況にあった。

無届だったというこの日本刀の存在を、徳永はいつから意識していたのだろうか。
まるで、いつかこの日本刀を使う日が来ることを知っていた、というより、願っていたのではと思うほど、それは磨き上げられていた。

その証拠に、久保さんは見事(という言い方は良くないが)、一太刀で叩き斬られていた。
いくら男性とはいえ、杖をつかなくてはならないほどの、そして体当たりされてひっくり返るような86歳の老人である。
それでも、その日本刀は徳永の本懐を遂げた。

半径5メートルの世界

朝の情報番組「スッキリ」において、コメンテーターのテリー伊藤氏は、この事件についてこう述べている。
「人間、年を取ると自分の価値観で固まってしまい、半径5メートルが自分の人生の中で大きなことになる」
警察官として40年勤めあげ、この地で60年も暮らしてきた徳永。足も悪くし、行動範囲もそう広くなかったろう。
一方、越してきてまだ日が浅い久保さんも、この小さな路地裏の半径5メートルがすべてだった。だから、大好きなものでそこを埋めたのだ。癒してくれる野良猫たち、小さく名も知らぬ花たち、他人にとってはガラクタでも、久保さんには寂しさを埋めてくれる特別なものだったのかもしれない。
しかしその自分の世界が、他者とも共有している空間だったことを、久保さんは理解できなかった。

久保家と徳永家の前の道路は、その幅を見ても非常に狭い。ここに所狭しとはみ出すように鉢植えを置かれれば、誰しも気分がいいとは言えないかもしれない。
事件前の家を見てみても、屋根の上にまでプランターが並べられ、そこに植えてあるものは雑草なのかなんのかよくわからない。
手前の家も鉢植えなどを置いてはいるが、完全に敷地内に止めており、やはりこのあたりでの常識としても久保さんの振る舞いは傍若無人だったろうし、余計に久保さん宅の異様さが際立つ。

徳永家も、古い二階建てで、本来の公務員らしい堅実で質素な生活ぶりがよくわかる。
正義感にあふれる半面、ずっと自分は偉いと思っていたのかもしれない。しかし、年を取り、自分がどんどん力を失うのを、受け容れることができなかったのか。
定年後も、自分が担当した事件の犯罪者や遺族のために仏像を彫っていたという。長年尽くしてくれた妻と連れ立って買い物に行く、幸せな余生のはずだった。その妻のことをもう少し考えてほしかった。

久保さんに馬乗りになられた時の屈辱が、日本刀を握らせたのか。

事件後、数年はその路地の家もそのままだったが、久保さんが暮らした借家は新しいアパートへ姿を変え、その数年後には徳永家も取り壊されたようだ。

もうなにごともなかったように。

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参考文献

産経新聞 平成24年10月10日
日刊スポーツ 平成24年10月11日
日刊ゲンダイ 平成24年10月11日
NHKニュース 平成24年10月13日
サンデー毎日 「ご近所トラブル 殺されないための傾向と対策」平成24年10月28日 (菊地香、大場弘行、田中理乃)

「隣人を叩き斬った老人の正義~世田谷・日本刀隣人殺害事件~」への2件のフィードバック

  1. 86歳…警察在職中は剣道でもやってたのでしょうか(もっとも竹刀を主に使う?剣道と、日本刀の剣術は、武器の使い方違うといううわさもありますけど)? 
    とにかく、往年はかなり頑健な警視だったのでしょうかね。。

    私としては、元警察官が平然と銃刀法違反?を犯したらしいこと(日本刀の売買…は、合法で可能でしょうけど)が、ただただ…
    今って、それなりに海外からも日本刀とかに興味を持ったり買い付けたりする人がじわじわと増えていく時代ですし
    下手をすると日本国内でも国外でも、刀を用いた刃傷沙汰が増えかねないような気がしたり…実際に英米圏で1~2年前になぜか日本刀を用いた事件が報じられた記憶がありますし。

    1. oko_kさま

      いつもコメントありがとうございます!
      恐らく、武道の心得はあったと思われます。年齢的にも、今よりもっと真剣にやってたのかなぁと思いました。
      日本刀はどこからか持ってきたのではなく、おそらく家に昔からあったのでは?と思いますが、ちょっとその辺定かではありません。
      購入は所持の許可がなければ出来ないと思いますし…
      こういった面からも、被疑者死亡の事件は解明できないことが多く、残念に思います。

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