僕は何も知らなかった~仙台市・女子大生死亡事件~

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平成191114

仙台市青葉区、午前410分ころのこと。
とある単身者向けアパートから110番通報が入った。
「彼女とケンカしたら、彼女が飛び出したまま帰ってこない」
寒さが厳しくなりつつあった11月の夜更けに、部屋着のままで飛び出していった彼女のことが心配になったという。

すぐに彼女の所在は判明した。
若林区の救急救命センターで、彼女はすでに死亡していた。

事件概要

平成191114日未明、仙台市青葉区在住の予備校生から、交際相手の行方が分からなくなったと通報が入った。
行方が分からなくなっていたのは、新潟市出身で宮城県内の私立大学に通う水口弥生さん(仮名/当時18歳)。
事件当時は、通報してきた交際相手の予備校生宅で半同棲のような生活を送っていたという。

その日の夜、些細なことから口論となった弥生さんは、何も持たずに自宅アパートを飛び出したまま、行方が分からなくなっていた。

青葉署員が確認したところ、弥生さんは若林区内の病院に救急搬送されており、約2時間後の午前350分ころ、死亡が確認されていた。

弥生さんの遺体には、顔面に擦過傷と拳で殴られたような跡があったことから交際相手に事情を聞いたところ、交際相手が弥生さんを複数回殴ったことを認めたため傷害の容疑で逮捕。弥生さんが死亡したことから、傷害致死も視野に入れて捜査を開始した。

逮捕されたのは、新潟市出身で仙台市内の予備校に通う望月将生(仮名/当時18歳)。弥生さんの死亡が知らされた時は放心状態で、取り調べに対しては「まさか死ぬなんて思いもしなかった」と話していた。

たしかに、弥生さんの外傷はおよそ死に至るような傷は見当たらず、また、救急車を要請した通行人によれば、弥生さんは走っていて、突然倒れこんだ、ということだった。
弥生さんはなぜ突然死亡したのか。

そこには、望月も、弥生さん自身も全く知らない要因が関係していた。

冠動脈

弥生さんの死因は、大きく言うと心臓発作だった。
実は弥生さんの心臓の左冠動脈には生まれつき異常があったというのだ。
確かに弥生さんは、幼い頃から長距離を走ったり、急激な運動をした後など、呼吸が苦しいという自覚症状はあったという。酷いときは倒れることもあった。
大学生になって以降も、電車に駆け込んだ際にそういった症状が起きていた。
それらはすべて、弥生さんの心臓の左冠動脈がうまく機能できないことで起こっていたものだったが、それを本人も家族も知らなかった。

だれしも長距離を走ったり急激な運動をすれば呼吸も荒くなるし、時には気分が悪くなったりすることもあるだろう。小柄だったという弥生さんは、おそらく「ちょっと体の弱い子」という認識でしかなかったのだと思われる。そんな子はどのクラスにもいた。

この夜、弥生さんは将生と口論になって家を飛び出し、160m走ったところで倒れこんだという。たまたま通りがかった人に、「助けて」と言い残して、弥生さんは意識を失った。

弥生さんの死は、自身も自覚していなかった心臓の先天異常によって引き起こされた、と思われたが、実際は違っていた。

交際相手の将生はその後、傷害致死で逮捕起訴され、平成2063日、仙台地方裁判所は将生に対し、懲役2年以上4年以下の実刑判決を出したのだ。

誰も知らなかった心臓病の責任を、なぜ将生が負わなければならなかったのか。

それは、ふたりのそれまでと、事件当夜の「出来事」にあった。

ふたり

同じ新潟市内の中学の同級生だった将生と弥生さんは、3年生の頃から交際を始めていた。
将生は新潟市内の高校へ進学、弥生さんは父親の仕事の関係で盛岡へ引っ越し、盛岡市内の高校へ進学したが、それでもふたりは遠距離恋愛を続けていたという。

大学への進学を控えても、ふたりは励まし合いながら勉学に励み、弥生さんは仙台の私立大学に合格。しかし、将生はその年浪人が決まった。
将生は新潟から仙台市内へ引っ越し、仙台の予備校に通いながら浪人生活をスタートさせた。
おそらく、ではあるが、弥生さんが仙台市内の大学へ進学したことからあえて仙台市内での浪人生活を送ることにしたのだろう。
交際は順調に続き、平成19年の9月からは、親公認だったかどうかは別にして、弥生さんは将生のアパートで暮らすようになった。

傍目には仲の良い若いカップルに見えたふたりだったが、現役の大学生と予備校生のふたりというのは時に波風が立つこともあった。

かいがいしく将生の身の回りの世話をする弥生さんに対し、将生は暴力を振るうことがあった。それは、喧嘩がヒートアップして、というより、将生の一方的な苛立ち、ストレスのはけ口としての暴力だったようだ。
ただ、それをもって弥生さんが誰かに相談するとか、同棲を解消するといったことには至っておらず、それが友達らに露見することはなかった。

その夜、なにごともなくふたりで過ごしていた際、弥生さんが中学時代に通っていた塾の話になった。そこで、講師をしていた男性と弥生さんが男女の関係だったのではないかと将生が邪推したという。
関係を否定しつつも、何度か食事に行ったことがあると話した弥生さんに対し、「一回だけと言っていたじゃないか!」と将生が激怒。
その勢いのまま、将生は弥生さんの携帯をへし折った。

将生の形相に恐れをなした弥生さんは、とっさに部屋を出ていこうとしたという。しかしそれを見たことで、将生はさらに激高し、弥生さんの背中を蹴り、さらには背後から頭部をつかむと玄関ドアに弥生さんの頭を打ち付けた。
反動から仰向けに転倒し、ふらつきながらも立ち上がった弥生さんの頭を再びつかむと、将生は「なんでだよぉ!!」と言いながら玄関ドアに何度も打ち付けた。この時、弥生さんの頭髪がばらばらと抜け落ちた。

怒りが収まらない将生は、弥生さんの顔面と腹部にも殴打を加えた。

弥生さんは裸足のままなんとか部屋を飛び出すと、そのまま全速力で逃走、通行人に助けを求めたところでその場に崩れ落ちるようにして意識を失った。

因果関係

裁判では当然、弥生さんが逃走する直前の将生の行為と、弥生さんが死亡するに至ったこととの因果関係が争われた。

弁護側は、弥生さんが重篤な心疾患を抱えていることは本人すら知らなかったことであり、ましてや将生がその事情を知っているはずもなく、また、全速力で走るという行為は弥生さんがしたことで、弥生さんが死亡したことと将生の行為とは因果関係がない、と主張した。

たしかに、将生は部屋を飛び出した弥生さんを追いかけておらず、その後も部屋にとどまり弥生さんの私物に八つ当たりを続けていた。
追いかけたのならまだしも、その時点で弥生さんは逃げる必要がなく、いうなれば弥生さんが勝手に走った、そういうことである。

さらに、司法解剖の結果でも将生が弥生さんに負わせた傷はいずれも加療一週間程度のもので、それらが弥生さんの死に直接かかわっていないことも明らかだった。

しかし、裁判所は将生の行為と、弥生さんの死には因果関係があると認めた。

一番の理由としては、昭和46年の最高裁判例だった。
これによれば、暴行の程度自体が軽く、たとえそれが直接の死因にかかわっていない場合であり、かつ、この弥生さんのような特殊な事情があることを加害者が知らず、重大な結果を予想しえない場合であっても、暴行とあいまって死亡という結果を引き起こしてしまったとすれば、そこには因果関係を認める余地がある(最高裁判所第一小法廷昭和46年6月17日判決, 刑集25巻4号567頁等)とする判例があったのだ。

将生は確かに弥生さんの心臓疾患を知らなかった。しかし一方で、弥生さんが幼い頃から激しい運動を控えていることや、実際に倒れたり、心臓が苦しいと訴えていたことを知っていた。
また、弥生さんがこの夜全力で逃走しなければならなかった理由を生み出したのは将生であり、弥生さんに極度の恐怖心を与えたことが、結果として弥生さんの死に関係していると判断されたのだ。

検察側の懲役3年以上6年以下という求刑に対し、裁判所は懲役2年以上4年以下の実刑判決を出した。

歪み

中学からの付き合いだったふたりということで、当然ながら弥生さんの両親も将生のことは知っていただろう。
遠く離れてもなお、結びついていたふたり。それを考えれば、弥生さんも相当に将生のことが好きだったのだろうと思う。

そんなふたりの間に暴力が生まれていたのはなぜだろうか。

裁判所は、将生にもともと粗暴性があり、自己中心的な性格とあいまってのこと、と厳しく断罪したが、おそらくそれはそうだろう。
加えて、予備校生と現役大学生という「格差」も関係していたように思う。

弥生さんは精神保健福祉士を目指していた。まだ1年生とはいえ、大学生生活はのんきなものとは言えなかったはずだ。
一方の将生はどうだったのだろう。私自身、息子を1年間予備校に通わせた経験があるが、そもそも親元を離れて一人暮らしをしながらの予備校通いなど、金と時間をどぶに捨てるようなものだ。
目指す大学の偏差値にもよるだろうが、一定以上の大学を目指す場合、一人暮らしをしながらというのは相当キツイ。予備校に通うくらいだから、一定以上の大学を目指していたのだろうとも思う。

しかし勝手な推測だが、将生は弥生さんが仙台に行くことになったから、ただそれだけで自分の進路を決めたのではないのか。
大学に行くことよりも、弥生さんを独占するための仙台暮らしだったのではないのか。

それに対して、弥生さんは自分の夢をしっかり見据えていたはずだ。
事件の二か月前からの同棲生活も、どういう経緯でそうなったのはよくわからないが、なんとなく、ここにも将生が弥生さんを束縛し、独占しようとしていた、もっと言うと、弥生さんの足を引っ張ろうとしている節が見え隠れする。

弥生さんの父は事件後、仕事を辞めざるを得ない状況になり、姉は弥生さんのことを思うと過呼吸を発症するような状態になっていた。
にもかかわらず、裁判で将生は、「弥生さんが応援してくれていたから、大学受験は成し遂げたい」と言い放ち、顰蹙を買った。これ誰が言わせたんだろうか、信じれん……

愛していたはずの恋人。半面、その恋人が自分の知らない友達に囲まれ、自分の知らない生活を送るというのが耐え難かったのではないか。だから、少しでもそれを邪魔するための同棲だったように思えてならない。

弥生さんも将生のことは好きだったのだろう。けれど、自分の好きな人が歪んだ卑屈な思いを抱えていたことまで気づいていなかった。

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参考文献
判決文

「僕は何も知らなかった~仙台市・女子大生死亡事件~」への4件のフィードバック

  1. いやー、ないないないですよね!
    暴力彼氏。
    しかも心臓が弱くて亡くなってしまうなんて。
    弥生さん可哀想すぎる。

    私の友達が共学の四大に受かったらその彼氏は「女子短大じゃないの?」と不機嫌になったことを思い出しました。
    本当に相手のことを思ってたら合格を喜ぶだろうに‥と。

    この犯人も彼女が大学生活を充実させるのが許せなくて暴力振るってたんでしょうね、最低すぎますね。

    1. ちい さま
      いつもコメントありがとうございます!
      中学からの同級生カップル、本来ならば応援したいし素敵なふたりのはずなのに、どこから変わってしまったんでしょうね。
      変わってなどいなくて、分からなかっただけ、かもしれません。
      親御さんの心中を察すると本当に言葉がないですよね。
      たとえ恋人であっても、その恋人を応援できない人や、夢を諦めさせることに意味を見出す人もいます。
      自分を1番に考えて欲しい、ってことなのかもしれないですが、そんな関係はおかしい。
      裁判所も、ちゃんと判断してくれたことはせめてもの慰めではありますが、彼は今どうしてるんでしょうね…

  2. 加害者の考えの幼さと被害者の関係が恋人では無く「お母さんと息子」みたいです…。
    小さい子供がするような八つ当たりのテンションだけどやってるのが大人の体だからパワーと暴力性に読んでいて顔が歪みそうになりました。
    自分も幼少期に癇癪起こして母親を叩いたり蹴ったりしていたのを思い出して何て最低な事をしたかと恥ずかしくてたまりません。

    誤字を発見致しました、「私物」が「死物」となっています。

    1. ふふ さま
      あああああああ誤字の指摘ありがとうございます!!

      このふたりの歪さは、まさにおっしゃる通り、まるで母と子供なんですよね。判決文にもあったんですが、弥生さんは結構世話焼きというか、そういうことが嫌ではなかったようなんです。
      そこへ、加害者の幼さと自己中な性格が合わさって、同棲以降は母息子の関係でしかなかったのかな、でも2人はきっと気づいてないんだろうな、そう思いました。

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