午前4時の熱湯シャワー〜八王子・6歳養女せっかん死事件〜

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笑顔のお誕生日会

平成769日。
八王子市中野上町の小さな二階建てアパートの一室には、子供たちの歓声が響いていた。
大きなバースデーケーキと、甘いお菓子。飲み物もたくさんあった。
7歳の男の子と、6歳の女の子。二人は兄妹で、お誕生日が近かったことからこの日二人分のお誕生パーティーを両親が開いてくれたのだ。

笑顔の兄妹を、両親は目を細めて何枚もカメラに収めた。

ただ、その笑顔はところどころ、青や黒いアザに覆われている。

そしてこの2週間後、妹は死亡した。

顔と右半身の皮膚を真っ赤に爛れさせ、想像を絶する苦しみの中もがき続け、誰にも助けられることなく短い一生を終えた。

幼い女の子が最後に見たのは、母親の再婚相手の姿だった。

事件

平成7622日午前6時頃、東京都立八王子小児病院に幼い女の子の急患が運び込まれた。
付き添っていたのは両親と思しき男女。母親は狼狽し、父親も顔面蒼白であった。
女児は6歳、しかし運び込まれた時点では意識不明、さらに、顔が真っ赤に腫れ上がり、皮膚も剥がれた箇所があるなど、直視できないほどの酷い状態だった。

医師らの救命も及ばず、女児は死亡した。

治療にあたった医師らは、その女児の状態から警察に通報する。女児は顔面、右背部、右上腕部を中心に湯傷(とうしょう)が見られ、その状態から事件性を疑ったのだ。
警視庁八王子署は、付き添っていた両親から事情を聞いたところ、父親が躾のために女児にシャワーの湯をかけたと話した。さらにその温度が高すぎたようだと話したことから、父親の自称人材派遣業・田中秀樹(仮名/当時28歳)を殺人の容疑で逮捕した。

死亡したのは田中小百合ちゃん(当時6歳)。小百合ちゃんは一つ上の兄と母親とで暮らしていたが、今年4月に母親が秀樹と再婚したことから、秀樹の養女となっていた。

死因は、高温の液体による湯傷ショック及び、全身への外力に基づく外傷性ショックの競合とされた。

躾とはいえ、一体何度のお湯をかけたのか。
その後の調べで、小百合ちゃんは50度から60度の熱湯を少なくとも2分間にわたってかけ続けられたと判明。そしてその直前には、頭部、顔、臀部などを数十発も殴られ、浴室の洗い場にお尻から落とされるという激しい暴行も加えられていた。

小百合ちゃんの死を知らされた関係者らは無念の表情を隠せなかった。
実は小百合ちゃんと兄に対し、虐待されているのではないかという話がいくつもあったのだ。

事件まで

小百合ちゃんは両親が離婚した後、兄とともに母親と生活していた。母親は看護助手の仕事をしながら二人を育てていたが、平成6年の1月ごろ、母親は彼氏ができたという。
中学時代の同級生だったその男こそが、のちに小百合ちゃんを死なせた田中だった。

田中は中学を出た後は進学せず、運送業など仕事を転々としたという。が、いずれも長続きはせず、一時は暴力団の下部組織にいたこともあった。
幼い頃から厳しく躾けられて育ったというが、その割に自分には甘い面があった。

20歳の頃、糖尿病と診断される。そのせいもあって、自律神経や不眠の症状に悩まされることが増えた。
傷害事件を2度起こし、それらは罰金刑で済んだものの、その後覚醒剤にも手を出してしまう。恐喝事件も起こして合計3回、懲役をくらった。

そして出所した直後に、小百合ちゃんらの母親と再会したのだった。

一緒に暮らすようになってから、田中は小百合ちゃんの兄が通う小学校の行事には積極的に参加していたという。
通学路を点検して危険な箇所を自ら学校に進言したり、若い教師に対しては「子供にはもっと厳しくしなければならない」と独自の教育論を説いて聞かせたりもしていたという。

しかしその前、兄が小学校へ上がる直前、この兄と小百合ちゃんはある理由で八王子児童相談所が一時的に預かる事態になっていた。
近所に住む田中の親戚とのトラブルが原因とのことだが、そこでなぜ小百合ちゃん兄妹が保護されたのか。
実はこの頃からすでに、二人は顔にアザを作っていることがあったと言うのだ。

ただ、保育園でも小学校でも、二人は「自分で転んだ」としか言わなかったという。児相の保護が解かれた後も、兄妹は要注意として引き継ぎを受けた。

にもかかわらず、小百合ちゃんの命は守られることがなかった。

「寝ちゃだめだよ」

田中は教育熱心かつ子煩悩というふうに周囲からは見られていた。
子連れでテーマパークに出かけたり、記念日には盛大なお祝いも欠かさなかった。

一方で、子供たちを家に残したまま、妻と友人らと朝まで飲み歩くこともあった。

事実、事件が起きたその夜も、田中は妻を伴い、午後4時から外出していた。
そして、小百合ちゃんに対しある「言いつけ」をしていた。

それは、「自分が帰宅するまで寝ちゃだめだよ、寝てたら怒るからね」というものだった。

何故そのようなわけのわからん言いつけをしたのか。
実は小百合ちゃんは寝付きの悪い面があったのだという。それを、母親は悩んでいた。
それまでもなかなか寝付けずに、すでに寝ている母親や兄を起こすなどするため、田中は小百合ちゃんに対して「思い通りにならない子供」という印象を強めていた。
そして、いうことを聞かない時には殴る蹴るの暴行も働いていた。

それは小百合ちゃんだけではなく、兄に対してもおこなわれていたというが、どちらかといえば小百合ちゃんの方が暴行を受ける機会は多かったという。

622日の早朝4時過ぎに酔っ払って帰宅した田中は、寝ちゃだめだと言い聞かせたはずの小百合ちゃんが、畳の部屋で寝ているのを見るや否や、小百合ちゃんに罵声を浴びせ、叩き起こすと同時に殴る蹴るの暴行を働いた。
この間、母親は何をしていたかというと、「いつものこと」と思って気に留めていなかったという。ちなみにこの母親はなんの罪にも問われていないが、6歳の娘に暴行を働く男とよく一緒にいられるものだ。

田中にしてみれば、自分たちが帰宅するまで小百合ちゃんが起きていれば、その後ゆっくり寝られると考えたのかもしれない。
しかし6歳の子に、いつ帰宅するともわからない状態で、帰宅するまで寝てはいけないなどという方がどうかしているし、いくら寝付きが悪かろうが、明け方の34時では寝てしまったとしてもおかしくないというのは誰もが思うだろう。

田中は小百合ちゃんを風呂場に投げ込むと、そのまま自分も風呂場に入り、出口を塞ぐ形で小百合ちゃんを見下ろした。
そして、お湯が出るつまみをひねると、そのまま小百合ちゃんにシャワーヘッドを向けた。
よくわからない人のために補足すれば、この時代のアパートの風呂というのは、いわゆるお湯と水のつまみが別々になっていて、それぞれをひねることでちょうど良い湯温に調整するというものが多かった。
このお湯が出る方だけをひねると、当然熱いお湯が出る。差はあろうが、およそ60度前後くらいのお湯が出ると思われ、実際に田中らが暮らしたアパートもそういった設定になっていた。

田中は手でその温度を確かめることもせず、ひたすらシャワーを小百合ちゃんに浴びせ続けた。1分、2分経過した頃、小百合ちゃんの様子がおかしいことでようやく我に返った田中だったが、小百合ちゃんは死亡した。

故意か、過失か

裁判では、田中が小百合ちゃんに「熱湯」を浴びせた認識があったかどうかが争われた。
当初殺人で逮捕された田中だったが、起訴時点では傷害致死となっていた。

小百合ちゃんの遺体を鑑定した東京慈恵会医科大学法医学教室の重田聡男医師、および高津光洋医師の共同作成の鑑定書によると、小百合ちゃんは顔面と右側の上半身、背中を中心に体表面積の15%におよぶ第二度の湯傷が認められ、小百合ちゃんが服を着た状態だったにもかかわらずこのようなひどい熱傷となったのは、摂氏50度以上の熱湯を12分間断続的にかけ続けられた結果であるとされた。

50度以上。その熱さの想像ができるだろうか、試しに50度のシャワーを手にかけてみてほしい、どこまで我慢できるか。
当然のことながら、同じ皮膚でも場所によって感覚が違う。顔面や首など、手よりもはるかにその痛みは激しかったろう……

浴室の状態については、このアパートのシャワーは湯用のつまみをひねると、約30秒ほどで温度が次第に上がり始め、約40秒後には摂氏50度、1分後には55度、そして120秒後には59度に達することが確認されていた。
田中は事情聴取においても、公判においても、シャワーの温度がそこまで高いとは知らなかったと話した。
確かに、ひねったのはお湯の方だったというが、それでも田中としては「自分がいつものようにシャワーを浴びるための一連の動作をしたに過ぎない」とした。
加えて、シャワーを出したときに足元にかかったという。その際、全く熱いと感じなかったことから、そのままシャワーをかけ続けた、と述べた。

弁護側も、本人が熱湯をかけていると思っていなかったのだから傷害致死が成立しないと主張した。

平成838日、東京地裁八王子支部の豊田健裁判長は、2ヶ月もその部屋で暮らしていてシャワーの温度変化も十分知っていたはずであり、そもそも通常のシャワーの温度にしたつもりであると言うならこのような事態が起きていないとした。
また、従来の暴行がある以上、この日も罰として温度の高いシャワーを故意に浴びせたというのも優に認定できるとして弁護側の主張を退けた。

そして、
「その犯行態様が残虐かつ悪質であること、特に顔面及び背面などは真っ赤に変色しており、逃れるすべもないまま、一緒に生活していた養父である被告人からむごい仕打ちを受けて死亡するに至った被害者はまことにあわれであること、被害者は、被告人の暴行によって両目付近や顔面等が腫れ上がるなどしていて、保育園に行くこともできず、また、周囲の者を大変心配させていた状態にあり、現に、被害者の解剖結果によると、胸腺萎縮、副腎菲薄、ほぼ全身にわたる出血、厚層な血腫形成などが見られ、本件に至るまでのかなりの期間にわたって、被告人から、頻繁に、殴る、蹴る、叩くなどの激しい暴行を受けていたことが明白である」
として、小百合ちゃんの遺体の痛ましさ、受けた暴行の惨さを判決文に織り込んだ。

田中はこのような虐待、暴行を行なったことについては、
「自分と同じように厳しく育てなければならないと思っていた」
と述べ、あくまでも教育、躾の一環だったと主張したが、それについても裁判所は一蹴。

「被告人は、これらの暴行を被害者に対する教育のやり過ぎであったとの趣旨を述べるが、このような暴行が、教育や躾の範疇に入るとは思えず、(中略)わずか6歳の被害者に対し寝ることを禁じ、1歳年上の兄とともに自宅に残したまま(中略)妻とともに外出して飲酒するなどして遊び回り、帰宅するや、言いつけを守らないで寝てしまったとして、被害者に対して、その頭部などを多数回殴打したばかりでなく、熱湯を浴びせかけるといった行為は、子供である被害者の人権を全く無視した暴挙であって、もはや虐待というほかなく」

「被告人の犯情は甚だ芳しくなく、その刑事責任は重いというべきである」

このうえで、田中が悩まされていた糖尿病の影響などを考えたとしても、実刑は免れないとして懲役56月を言い渡した。
田中は控訴したようだが、その後の報道がないことを見ると、棄却されたか、取り下げた可能性が高い

残された兄は、さすがに虐待を放置した実母の元には残せないと判断されたのか、児童相談所が保護したという。

兄が通う小学校の教師は、とある取材にこう答えていた。

「お父さんが外部に向けて見せる子煩悩さ、子供に対する情熱は、虐待のカモフラージュじゃないのかなと思ったことがありました

田中は、法廷でまさか熱湯とは思わなかったと話したが、一部では以前から熱湯シャワーをかけていたのではないかと疑う声もあった。
小百合ちゃんは実に5ヶ月間にわたって激しい暴行を受けてきたわけだが、その傷の中には「火傷」によるものがあったという。
しかもその火傷は膿み、傷跡が褥瘡のようになっていたことから、近所の子供らが恐れをなして遊ぶのを嫌がるほど酷かった。

一方で、「いつものこと」と気にも留めなかった母親はその後どうなったのか。
裁判でもこの母親のことはほとんど触れていない。遺族感情とかいうものも、この裁判には出てこない。
そもそもこの母親に遺族を、小百合ちゃんの母を名乗る資格などもうなかっただろう。
それでも恥を忍んで、自らを罰する意味でも、何か言葉を発して欲しかった気もする。

令和3年、摂津市で3歳の新村桜利斗ちゃんが、北の将軍様みたいな変な髪型の男に同じく熱湯シャワーを浴びせかけられ死亡した事件では、案の定、言動が理解の範疇を超えていた母親も逮捕となった。

殺す気はなかった。この懲役56月は、求刑が懲役7年であること、未決勾留日数170日算入、前科三犯を加重した上でのことを考えると、恐ろしく軽い。
幼い子を殴る、蹴る、熱湯をかける、これをもし他人にしたら?
私が傍聴した監禁傷害致死事件でも、傷害致死で懲役16年である。ほかでも、死亡したのが一人であっても、他人であれば、無期懲役もありうる。それが何故、家族内のことで、被害者が子供だったら、こんなにも刑が軽いのか。呆気なく死んだ被害者が悪いのか。

いつまで経っても、子供たちが何人死んでも、変わらない。

本当は実名でぶちまけたいところだが、ネット上のどこにもこの事件の詳細がないため、一部仮名とした。

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参考文献
毎日新聞社平成7623日東京夕刊、平成838日東京夕刊
中日新聞社平成7623日夕刊
読売新聞社平成7623日、平成838日東京夕刊

平成7年(わ)737号 平成838/東京地裁八王子支部/刑事第2/判決
判例時報1588154